○竹本
委員 第六次が終わるときにはあなたは
主税局長でないと思うから、それはそれでいいかもしらぬですが、しかし私が問題にするのは、この税は将来
道路の
財源として位置づけられることになり、
道路の重要性、また
道路計画の金額の増大の必然性を思うときには、非常に引き上げられる
可能性のほうが多いのではないか。またそれを意識して計画的に出しておるのではないか。その点をまた庶民は心配しておるのだ。こういうことを私はここで明確にしておきたいと思うのです。これ以上あなたに無理な
質問をしてもしかたがありませんからやめますが、これは私は政策の立案の態度として、残念ながら賛成できない。
そういう
意味で私が言いたいのは、こういう
道路財源というものは、将来の交通
——先ほど申しました
交通政策の重要性あるいは
道路計画の重要性、一般的にいわれる
社会資本の充実の緊急性ということを
考えると、これを税によってやるということ自体に発想が違うわけです。私どもはこういうほんとうの
意味で将来をいろいろ
考えまして、
社会資本の充実、そのためには
建設公債を出せということを言っておる場合に、その
建設公債を出すに値するものは
道路だとぼくは思うのです。しかも
道路は、いま税金を少しふやすのじゃないかということを言いましたが、少々ふやしても間に合わない。間に合う程度で
道路をつくり、港をつくるなんということになりますと、
日本の交通輸送政策の矛盾と隘路は絶対に解決しない。これは時間がありませんから、
日本における交通輸送の隘路とか、その政策の矛盾を指摘する時間がないのです。先ほど何か指摘してもらおうかと思って聞いたけれども、これはどうもお答えがなかったのでさっぱり要領を得なかったのだが、とにかく
日本の経済は、七〇年代を終えまして八〇年代に入って、具体的に言うならば、
日本の経済が今日二千億ドルのGNP総生産から、七五年には四千億ドルになり、それから八〇年には大体その倍の八千億ドルぐらいになって、いまのソ連の経済と大体タイになるのですよ。
ところがいまの
日本人の頭というものは、八千億ドルの経済をまかなうような頭にはなっていないのです。失礼ながらなっていない。
日本の政治もそういうふうになっていない。ロイド・ジョージの「大戦回顧録」というのがありますが、あれにうまいことが書いてあります。戦争のときにロイド・ジョージが一番悩んだのは何か。金にあらず、物資にあらず、何でもない、人だ。人で一番困ったのは何か。人の頭の切りかえだ。イギリス経済をまかなっておる経営者、指導者、財界人の頭も政界人の頭も大体スリー・トナーズ、三トン貨車だ。ところが戦争経済は予想以上にばっとふくれたものだから、いままで三百人しか使ったことがない人が二千人使わなければならない。その労務管理から経営管理ができないのです。そこに一番大きな悩みがあったということを「大戦回顧録」にロイド・ジョージは非常にきびしく書いておる。私はこれは非常にすぐれた経済についての見識だと思うのです。
日本の経済をまかなう、あるいは指導するというわれわれ自体が、八千億ドルのGNP総生産になって、ソ連と同じ経済の
運営をするということになれば、われわれの頭はついていけないだろうという心配を私はしておるのです。たとえば資本金百万円の会社の社長が資本金一千万円の会社の社長になったらどうしていいのかわからないのと同じことになるのだ。
日本の経済はへたをするとそういうふうに、この急激な高度成長のために
あと十年たてばかれこれ八千億ドルの総生産をあげるようになる。そうなれば、これをまかなうということのためにはわれわれはよほど頭の切りかえをやらなければどうにもならぬ。その切りかえをしなければならぬ場合に、一番切りかえを必要とするのは私は生産の面ではないと思う。むしろいまわれわれが忘れておる流通経済部門だ、あるいは消費の問題だ、あるいは余暇の問題なんです。そういう問題については、いま政治家のわれわれ自体も頭がそこまでなかなかついていっていないと思うのですね。
そういう
意味から
考えてまいりますと、
あと十年たった後の
日本の経済の大きさと発展のテンポ、そういうものをまかなっていくべき流通経済、その中の
道路計画、そういうことを
考えますと、それは
自動車新税といったようなちょっと思いつきの案で、これをめちゃくちゃに広げていけば悪税になる。いまでさえ悪税なんだから、それをますます悪税にしちゃう。ところがそれではどうにもならぬ。そのときはそのときで
考えてくださいと
主税局長は言うのだけれども、私はいまから七〇年代の、あるいは七〇年代から八〇年代への政治を展望しながら、われわれはこれからの
社会資本をどう充実していくのか、また
財源はどう確保していくのかということについて、実はこの辺で真剣に
考えなければならぬ
段階ではないか、私はそう思うのです。
そういう立場から見れば、私の立場を強調し過ぎて恐縮ですけれども、私は
建設公債に踏み切って
社会資本の充実を思い切ってやる。そのかまえも、予算的な裏づけもこういうふうにあるのだという……。ことに七〇年代は六〇年代の延長として
考えるのではなく、
社会資本というものはただことばで言っておるだけで、どれだけ問題を理解して言っているか私にはわからない。ここでほんとうの
意味での
社会資本の充実、七〇年代の新しい経済の展望の中で新しいビジョンを持ってこれから問題に取り組もうというならば、私自身は、どうしても予算
制度というものも変えなければならぬという意見なんです。
すなわち
一つはタックス、
主税局長の御苦労を願う税でまかなって、しかもできれば最大限度に倹約をしていかなければならない、節約を旨としなければならないそういう行政部門。それからもう
一つは今日よくいわれる社会福祉の面です。これは民間の生命保険とかなんとかいうような資本も動員しながら、官民協力の形で福祉社会の
建設のために予算的にも思い切った体制をとらなければならぬ、そういう部門。さらにもう
一つは、キャピタルバジェットといって、資本勘定、将来の
日本の経済の発展、ソビエトと同じような規模を持つところの、八千億ドルの
日本の総生産をまかなえるような
社会資本の充実ということは、われわれだけで解決し得る問題ではないのだから、思い切って
建設公債に移すが、その公債をもってまかなうべき部門。私は予算の
制度というものを三つに分けて、公債でまかなうべきキャピタルバジェットとしての部門、税金でまかなって節約第一で
考えなければならない部門、官民協力で福祉を充実しなければならない部門、こういうふうに交通整理を、
財政の
制度自体を
整備再、編成しまして、その公債の部門、キャピタルバジェットの部門は、いわゆる
社会資本充実の部門としてこれを公債を出してまかなっていく。そうでなければ、いま言ったように
財源に不足して悪税を強化し拡充するような形でも困りますから。
財源が足らなければ動きがとれないのだからなお困る。そういう
意味でこちらは思い切ってやらなければならぬ。それを、最も倹約しなければならない租税部門で、その
考え方でこちらをやろうというのですから、事の出発がまるきり交通整理ができていない。
そういう
意味で七〇年代は、これは総理か大蔵
大臣に聞きたいところですけれども、とにかく
社会資本の充実ということは、六〇年代の延長でことばだけの
社会資本の充実なんか言っているような
段階ではないのだ。
日本の経済はとにもかくにもソビエトと同じ大きさになるのだ。それをまかなっていくところの流通経済、それをまかなう港にしても
道路にしても飛行機にしても、とてもなまやさしいことではついていけないのだから、いまにして
日本の
財政制度を全面的に再
検討して、特に
社会資本の充実はわれわれの国家百年の大計だ。キャピタルバジェットとして、公債
財源でちゃんとしたものを
考えなければならぬという時代が来ておる。そういう
段階に来ておるのに、
目的税か
一般税か知らないけれども、そんなけちな税金でこれをまかなっていこうなんという取り組み方は
交通政策の重要性を全然理解していないのではないか。私は非常に残念に思いますから、この点について、
大臣も見えたからひとつ
大臣から
伺いましょうか。