○藤井委員 それでは、問題を私ははっきりさせるために、具体的な資源開発にしぼって、ひとつ
輸出入銀行の従来のやられた実績を踏まえながら、今後の方針、同時に私としてはこうあってほしいという私の希望を述べながら意見を伺ってみたい、このように思うわけでございます。
すでに御案内のごとく、私が申し上げるまでもなく、七〇年代の
日本経済成長のいわゆるボトルネックは資源問題だということは、もうみんなが百も承知しておる冷厳な事実であります。特に最近のいわゆる石油戦争の火の粉をもろにかぶって、大消費国である
日本はもうお手あげ同然の状態に置かれておるという情けない事態を直視すると、これに対してはわれわれは積極的なかまえをしなければならぬ、このようにだれしも思わざるを得ないと思うのでありまして、先般私的な場所でありましたけれども、大蔵
大臣いわく、藤井君、おれはこの資源問題については、
大蔵省の諸君に対して従来の
考え方を百八十度転換すべきである、こうとくと私は話しておいた、こういう話でございました。これは私的な場所のみならず、堂々と公の場でその姿勢が見えたのは、
最初の大蔵
委員会のあの所信表明のとき、大蔵
大臣のお話の中にも資源の重要性がにじみ出ておった、こう思っておるわけでございます。私は特に、従来の
日本経済のここまで来た事情というのは、いわゆるガット体制ですね、商業ベースによって、ともかくお金を出してどんどんものが入ってきた。それをいわゆるわが造船力をフルに生かして、
海外から輸送コストの低い利点を活用しながら、そうして臨海工業地帯に加工設備を設けて、そうして石油をはじめとして製鉄あるいは非鉄金属、こういった施設がいわゆる臨海工業地帯となって今日の
経済発展の原動力をなしておるという、こういうことは多言を要しないと思うわけでございます。ちなみに、私は、皆さんすでに御承知だと思いますけれども、鉱物資源に限って具体的な事情の
推移、
海外依存度の
推移を調べてみると、
昭和三十八年ごろ銅は六〇%、非鉄金属は七七%、原料炭は四七%、石油はその当時から相当高かったわけで、九八・八%、アルミ、ニッケルは当時から一〇〇%
海外依存。これが
昭和五十年にはどうなるかというと、銅は八三%になるであろう、鉄鉱石は九〇%、原料炭は八六%、石油は九九・七%、アルミ、ニッケル依然として一〇〇%。こういった状態をわれわれが
考えるとき、またこれを具体的な数字で最近の実績を調べてみますと、銅、
昭和四十四年度の実績は八十三万トンですね。亜鉛が七十三万トン、アルミが八十五万トン、石油は一億七千二百万キロリットル。ところが五十年にはどうなるかというと、銅が八十三万に対して百四十二万トン、亜鉛は七十三万トンに対して百十五万トン、アルミは二百二十八万トン、石油に至っては三億キロリットルという、こういった数字が先ほどの。パーセンテージと相呼応する数字であるわけでございます。
ところが、これに対して国内の資源はきわめて乏しい、こういう状態で、だれしも
海外に資源を求めて自主開発をしなければならぬ。たまたまこれは
経済協力と相呼応し、かつてわれわれがたどった道も同じであった。かつて
日本は銅を
輸出し、石炭、五平太炭を外へ出したという歴史もあるやに聞いている。これがやはりわれわれは工業国となり、敗戦の道をたどったけれどもあの当時ずっと伸びてきた、いわゆる
経済離陸の原動力になったことを思えば、やはり
海外に資源開発を
経済協力の体制の
一環として積極的にやるべきだ、このように思うわけでございますが、
経済協力基金問題についてはこれは別途の問題として、私はここに
輸出入銀行の役割りが非常に大切になってくるというふうに思うわけでございまして、
輸出入銀行法の十八条には、この「業務の
範囲」の中、第四号でありますが、資源
関係を
中心に大いに
輸出入銀行もやるのだということを書いてあるわけです。こういう
日本の
経済が要請し、変化が対応を求めておるこの問題に対して、
輸出入銀行の総裁としては、どのような時局の認識と具体的な今後の方針を、四十六年度予算編成のこの国会において、たまたま
輸出入銀行の
法律案——これはうしろ向きの、しかもよその国のあとかたづけということでありますけれども、私はむしろ
輸出入銀行というものがそういう時局の変化に対応して、その機関の機能を積極的に伸ばすために、この
法律の現状ではどうもむずかしいというのなら
法律改正を出してもらいたいし、現状でいけるならいけるように、どういうふうに積極的にやるのだというお
考えをひとつ聞かしてもらいたい、こう思います。