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石川委員 これはどうも話が並行線になりそうですから、やめておきます。というのは、科学
技術関係の
委員会でも、その点はかたくくぎを打って、了承いたしましたという
答弁を得ておるわけなんです。この前は小宮山政務次官も、内政問題だけでも手に余るほどたくさんの問題をかかえておるので、内政問題に限定をいたします、
国民の実生活に密着した問題だけを取り上げます、こういう
答弁をいただいておるわけなんです。私もそれが一番妥当ではないか、こう考えておりますが、これは経済企画庁が一応の窓口になっておりますから、いずれまたそのことについて議論をする機会もあろうかと思いますけれども、いまのように、防衛問題ということになりますと、考え方は世界観でだいぶ変わってくるということがあります。そうなりますと、世界観で変わり得るような問題についてシンクタンクにかけるということについては、大きな錯誤と混乱というものが出てくる可能性が非常に多い。そういうことで私は、シンクタンクというものをつくる必要性を十二分に認めながらも、そういう点でのけじめといいますか、了解というものをはっきりさせていきたい。実生活に密着したものに限定をしなければならぬということを私は強く希望いたします。これは申し上げれば、切りがないほどいろんなことがあるのでありますけれども、その点は、いまのところちょっと意見が食い違うようでありますが、この点については、機会を見てじっくり話をしたいと思っております。
それからあと
一つ、これもまた繰り返しになってたいへん恐縮なんでありますけれども、これは参議院の分科会でも取り上げられ、同時にこちらの
委員会でも取り上げられまして、
公益事業局長から一応の
答弁はいただいておるわけなんです。それで一応結論が出たわけなんですけれども、これはどうしても前向きに積極的にひとつ通産大臣が認識をしていただかなければならぬという点で、だめ押しのような形でたいへんくどいようでありますけれども、原子力発電所の問題について申し上げておきたいと思うのです。
それは、中部電力でもって、三町村に参加をさせて、監視機構をつくるという問題について、その三町村を参加させることはけしからぬとか、あるいはまた、非常の際に知事あるいは地元の連中が電気事業所といいますか、発電所に立ち入るということについて了解を与えたことはけしからぬというようなことが、朝日新聞にでかでかと出たわけですね。それについて
質問したところが、いや、そういう事実は全然ないんだというようなお答えがあったわけです。ところが、名古屋のほうの地元の新聞を見ますと、それ以上にきついことが事こまかに出ているわけですよ。それはどういうことかといいますと、通産省は、「このような協定を自治体のいうがままにのむとは何事か」、あるいは「協定作成に当っての中電側の責任者はダレか。このような重要な問題は社長が直接交渉すべきである」というようなことを言った。あるいは「中電は浜岡原子力発電所さえうまくゆけば、あとのことはどうでもよいつもりなのか」というようなきびしいことを言ったということが、地元の名古屋における朝日新聞には相当大きく報道されておる。これは東京の新聞には出ておりません。私は、朝日新聞ともあろうものが、事実無根のことを書いておるとはどうも考えられない。ただ、
局長の
答弁によれば、そういうことを言った覚えはない、あくまでも地元の
協力が必要であるので、一、二の点でもって指導したことはあるけれども、そういうふうなことを言った覚えはないのだ、こういうふうな
答弁になっておるし、また参議院の分科会では、あまり突っ込んだ
質問にはなっておらなかったようでありまして、一応その線に沿って通産大臣も
答弁をされて了解をしたというような形で相済んでおるように受け取れるのでありますけれども、私は隣に東海村があるという
関係もあって、原子力には相当関心を持っております。
そこで、この原子力のはかり方というのは、カウントではかったり、キュリーではかったり、あるいはガンマ線ではかったり、レムではかったりしますが、核の種類には二百とおりもある。二百もの核の種類の
一つ一つの影響度というものは、まだまだ未知の世界なんです。そのうちの半減期の長いものについていいますと、二百八十九年なんというのがある。でありますから、ICRPという、世界で放射能の許される許容基準というものがありますけれども、これがはたして妥当かどうかということは、まだ学者だって自信がないわけです。大体この辺であろう、ゼロでなければならぬけれども、しかしやむを得ずここまでは認めてやろう、というような線が一応出されておるというだけであって、これは世界の定説だということは、まだまだ私は言えないと思うのです。しかも日本では、いろんな
事情がございまして、ICRPの一割の線に押えております。でありますから、日本の場合にはたいへんきびしいから、それでいいんだというようなお考えのようでありますけれども、実はアメリカではミネソタ州が、ICRPの五十分の一という基準でなければいかぬというふうに、日本よりはるかに低いのです。そして、ミネソタ州にならって、アメリカではほかの十州もまた、ミネソタ州と同じ要求を
政府に対してしておる。そして、AECとの間でもっていまその裁判をやっておるわけです。したがってアメリカでは、最近は原子力発電所はほとんどつくれないというようなところまで追い込まれているというのが
実態なんです。私は無理もないと思うのです。
ところが日本の場合は、御承知のように原爆の洗礼を受けておる。しかも公害問題については非常に関心が高まっておる。したがって、公害の問題についてだけ言えば、原子力のほうが重油専焼の発電所よりは少ないのだというようなことがいわれておりますけれども、一たん事故があったらどうなんだということはだれも予測できない。中都市で発電所が事故を起こした場合の損害の計算などを一一やっておりますけれども、大ざっぱに言って三兆二千億円。しかもこの計算の基礎で言いますと、人一人死んだら大体三百万円というたいへん低い評価です。もし一たん事故が起これば、これはおそらく内閣総辞職でしょうね。そういう危険性がある。しかもこのICRPというのは定説ではない。しかもアルゴンとかストロンチウムというものについては半減期は短いけれども、福井とか大熊とか、四百万キロワットというようなことになりますと、この逆転層のあった場合には、アルゴンはICRPの現在の基準をこしてしまうのではないかという心配をしておるわけなんです。
そういうような問題がいろいろあるわけなんです。原子力発電所それ自体は、あと二十年たてば、重油発電所と同じぐらいの量になる。六千万キロワットというのを予定しておるわけでありますから、大体重油専焼の発電所と原子力発電所が同じくらいの量になるだろうと思うのです。立地条件が非常にきびしいし、これからどうやってこれをやっていくか。私はこれを阻止する気持ちは毛頭ないのです。原則的なことを言えば、利潤追求の九電力でやるということについては疑問を感じています。これはほんとうは保安
対策というものをまず第一に考えるということになりますと、原子力発電というのは国家でやるべきじゃないかという基本的な考え方は持っておりますが、それは議論でありますからここでは申し上げません。しかしながら、一たん事故があったらとんでもないことになるのだということを考えると——この前の科学
技術委員会でもって、ある
法案に附帯
決議をつけました。これは今国会でありますけれども、「原子力損害は広域かつ甚大であることにかんがみ、損害の発生を防止する監視機関を設置するとともに住民の代表学識経験者等、第三者の参加を図り、その民主的な運営を図ること。」、こういうきびしい条件をつけて原子力損害の賠償・補償法の一部
改正法案を通しているわけなんです。したがって、この
答弁としては、この前は
局長から伺いましたけれども、決して現地のほうをそうやってどうかつをしたといいますか、けしからぬと言った覚えはないのだ、現地のやったことは妥当で、そのとおりでよろしいのだ、こういうふうになっておりますけれども、どうも現地の末端のほうは、そういうことを知らないのじゃないかと思うのです。何か監督、指導というふうなことだけが表に出て、原子力発電によって起こり得る災害に対する認識というものはきわめて薄い。しかも現地の住民を、とことんまで監視機構というものに参加をさせて、十分な安心感を与えるということがなかったら、私は、原子力発電所というものは、これから一カ所もできないと思うのです。そういう点の認識が非常に浅いのではないか。
私は、この原子力発電所というものが、将来、
石油というものにも限界があるわけですから、それに取ってかわらなければならぬ。これについてはいろんな問題がありますけれども、きょうは触れませんが、現在のような通産省の認識では、原子力発電所というものの設置が先行き非常に危ぶまれる。
具体的に言いますと、核の種類がたくさんありますが、その中で特に危険性の多いもの、あるいは半減期の非常に長いもの、それから非常に多発しそうなもの、こういうものについての
調査を一体日本でどこがやっているか。ほとんどやっているところはないのですよ。ということは、茨城県では発電所が
一つありますので、そこからどろを取ったり水をとったりしてやっていますけれども、実に二人か三人の連中で細々とやっているというかっこうで、しかもこれが大体日本で一番権威があるだろうというような状態なんです。こんな形では、原子力発電所をこれから重油専焼発電所と同じようなところにまで持っていこうなんというときに、住民が参加をしても、こんなものでいいのかという疑問が当然出てくるのではないか。住民を参加させると同時に、そういうものを十分に監視をする中央の権威のある監視機構というものがあって、データ通信でも何でもやって、そこですぐ
調査をさせる、適否を確認をさせるというようなことまで、とことんまで考えていかなければ、原子力発電所の設置はおぼつかない、そういうふうなことが十分に予見されるわけです。したがって、ただ単に、浜岡の発電所の問題についてどうこうなんという区々たる問題で私は
質問をしようと思っているわけではないので、今後ほんとうに、原子力発電所というもの、そのエネルギーがなくちゃ日本の産業は発展しないわけで、
石油だけにたよれないということが
実態でありますから、そういうことになれば、住民を参加をさせ、しかもその住民が十分に納得のできる機構、こういうことにならなければ、たいへんなことになるのではないか。いまその手を打っているかというと、全然その手は打たれておらない、こう私は思うわけなんです。この点について所感をひとつ伺いたいと思います。