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内田国務大臣 私は浅学非才でございますが、しかしこの児童手当の構想というものは、すでにもう前の池田内閣の時代からこのことが言及をされてきたと私は記憶いたすものでございます。その後、もうここで繰り返すまでもなく、国会で各党の皆さま方から、いつ実現をするかということにつきまして強い御注文がありました。そのつど政府は、早急に
対策を立てて実現をいたすとか、あるいは場合によりましては、明年度から実現をいたすというようなことを何年か重ねまして、今日に至るまでこれが実現できなかったわけでありますので、さようなときに私が
厚生大臣をお引き受けをいたすことになりましたことと、また、いまの時代が、私はいつも口ぐせのように申すのでございますが、軍事大国の時代にあらず、また経済大国の時代にあらず、福祉大国の時代である、こういうことを政府も国会も
国民もそういうような意識を持つような時代に来ておりますさなかに、いままでのような
状態でいつまでもこの児童手当というものが姿、形さえもあらわさないということは、まことに政治のあり方として適当でないと私は
考えつつ、実は
厚生大臣にも就任をいたしたわけであります。
いまだから申し得ると思いますが、おしかりを受けるかもしれませんけれ
ども、私はひとつ私の
厚生大臣の時代に総理に直談判をして、とにかくいままでの言明を実現するために児童手当の法律だけはつくって、その
実施は政令をもってきめるということでもよろしい、つまり予算は一年くらいずれてもやむを得ないが、児童手当の法律だけはぜひつくるべきであるということを、実は閣議のあと残りまして、総理
大臣にも直談判をいたしたことがございます。しかるに私のそのような
考え方よりも、総理
大臣の勇断と大蔵
大臣の
理解が進みまして、とにかく法律だけでなしに予算も一部つけていこうと、こういうことになりましたので、皆さん方には非常に御不満を残して出発する形ではございますが、しかし、正直のところ、そうでもしない限り、ことし四十六年度もまた法律の影さえもできなかったかもしれないことを思いますときに、私も多少
努力のしがいがあったような気がいたすものでございます。でございますから、申しわけないことばでありますが、小さく生んでということでございまして、このままで終わるわけではございませんで、法律
自身の中にも、これが両三年の間に全体の姿となることを既定の事実としてうたってございますし、また、金額等については別に法律が今後の増加等については触れておりませんし、また、対象となる児童を何番目からの児童にするというような今後の発展の構想については触れてはございませんけれ
ども、やはり
国民の意識が児童手当につきまして引き続き期待が大きく、また、その方面に沿って発展をされるならば、皆さま方の御激励のもとにこれは大きく育てていきたい、私はかような
考えを持っておる次第でございます。もっとも、金額などにつきましては、三千円ときめてございますけれ
ども、
国民の生活水準その他の諸
事情に著しい変動がございました際には、それに対応する
措置もとるべき旨、これは審議会などの答申にはございませんでしたが、そういう規定さえも入れたような状況でこの法律案を提案いたしております。
以上、御
理解をいただければたいへんありがたいと存じます。