○
冨永参考人 交通安全対策に
つきましては、いろいろな施策があると思いますが、即効的なもの、それから長期的なものとあるわけでございます。今回は、そのおもな点、私の感じました点を申し上げてみたいと思います。
交通と申しましても、結局は、
道路の上で人が車を使うわけでございますので、問題は、人と車の問題、
道路の問題、それに、私は、その
交通を管理するシステムの問題がそのほかにあると思います。この四つの問題について
考えなければならないと思うわけでございます。車に
つきましては、たとえば安全基準の問題とか、非常にいまやかましくなっております。それから
道路の問題も、いまかなり安全の面がおくれておりますけれども、努力をされておりますが、
最後は、やはり人の面であろうと思うのでございます。
もう一回戻りますが、車に
つきましてただ二つだけ申し上げてみたいと思います。
一つは、これは即効薬でございますが、ちょうど飛行機のように、
自動車に乗る場合におきましては安全ベルト、これを締めてもらうということでございます。これによって
事故はかなり減ります。これは事実がそのことを証拠立てておるわけでございます。昨年、アメリカでおととしよりも約千百名の
事故死亡者が減った。その理由にいろいろございますが、たとえば、
道路標識のサイズを拡大するとか、あるいは安全
自動車の問題がありますが、やはり安全ベルトを締めるということの
効果をうたっておるわけでございますし、それから、いま言ったような、ベルトを締める率が高いのはスウェーデンでございますが、これは現在高速
道路では約七〇%という率が出ております。
日本の場合におきましては、今度の予定されております
道路交通法の改正案の中には、高速
道路の区間は、安全ベルトを締めるようにというふうなことになっておりますが、高速
道路ばかりじゃなしに、市内におきましても締めていただく。と申しますのは、時速三十キロでも、たとえば正面衝突、あるいは障害物にぶつかった場合には、致命的な
事故になっております。それが安全ベルトを締めておったために、傷を全然負わないという事例が、最近少しずつでもふえておるわけでございます。行く行くは、もし安全ベルトをしておれば、保険が——これはスウェーデンの場合ですが、していない場合よりも、補償が高くなる。
死亡あるいは負傷の場合にですね。あるいはアメリカの場合は、逆に、ベルトをしていないで
事故にあった場合には、補償がそれだけ引かれるというふうな、保険との組み合わせも
考えておるような状況でございます。したがって、これは大いにキャンペーンをしていただいて、ベルトを締めることによって
事故は三〇ないし四〇%は減るということでございます。現在、昭和四十四年の新車からは、
自動車には前のシートに備えつけなければならないのですが、車に備えつけてあるだけでは、これはただアクセサリーにすぎません。問題は、それを締めるか締めないかということでございます。
それから二番目には、車をとめる場合におきましては、簡単な三角の赤——これはイギリスのハイウエーコードでございますが、その中に
写真がありまして、こういうふうに——遠くからおわかりになりますか。必ず車から離したところに、これは夜光る三角の物を置いていただく。これをやっていただくということでございます。たとえば九月七日、万博の終わりごろの深夜、東名高速
道路でマイクロ
バスがガソリン切れしまして
路肩にとまっておるところに、一台の乗用車が突入しまして、一家全滅、五名の
即死が起こっております。合計六名の
死亡者と、十六名ですか、重軽傷者を出しておりますが、こういうふうな悲惨事というのは、
路肩にとまっている車の前に置くということがずっと習慣づけられておれば、あるいは防ぎ得たかもわかりません。あるいはまた、夜間暗い国道で大きな
トラックがとまっておる。それにぶつかりますと大きな
事故が起こることは、これは当然でございます。したがって、こういったものを、たとえば高速
道路のサービスエリアでも売っている、これは外国の場合でございます。やはりこれをできるだけ普及していくということが必要だろうと思います。
次は、
道路の問題で、
道路でいま非常に感じますのは、
道路の夜間照明でございます。夜間の
事故が、
全国的な
日本の統計は残念ながらとれておりません。たとえば、府県によりましてはとれておりますが、
東京の場合におきましては、
死亡者は昼が五四・七%、夜間の
死亡者が四五・三%という数字になっております。アメリカの場合は夜のほうが多くなっております。これは
道路を夜間照明することによって、
事故が少なくとも五〇%は減らされるということになっております。
全国を回ってみますると、県によりましては、市が国道の照明をつけられているような非常に進んでいるところもあれば、あるいは県庁所在地でありながら、その市内のどまん中が非常に夜間まっ暗なところもございます。非常にまちまちでございます。これはどうしても照明をつけていただきたい。特に、市内は夜間照明を
道路につけていただきたい。特に絶対必要だと思いますのは、障害物には必ず照明をつけていただくということでございます。かりに
道路には照明がありましても、さらに加えて障害物、たとえばロータリーとかあるいは中央分離帯が始まるところとか、あるいはグリーンベルトの始まるところとか、要するに
道路上における障害物です。これは夜間の照明がないと、ぶつかった
自動車が悪いということだけでは、これは済まないのじゃなかろうかということを感じます。
最後は、人の問題でございます。これはいろいろ、特に
教育はやはり必要であろうと思います。そのうちで一、二を申し上げますと、たとえば、
バスの
運転者は最小限スキッドの訓練というもの、これをやってもらいたいということでございます。スキッド訓練といいますと、
道路を水びたしにしまして、そこへ車を持っていきますとスキッドします。横すべりします。その横すべりした場合の訓練というものをやるということでございます。
具体的な例を申し上げます。イギリスのロンドンで、例の二階建ての
バスが走っております。これの
バスの訓練センターを見ますると、いま申し上げましたスキッド訓練をやっておるわけでございます。舗装した
道路上に水道管から水を水びたしにしまして、そこでスキッドする、必ず横ぶれします。その場合に対する処置というものをやっておるわけです。しかも、これをいつやるかといいますと、
運転免許をとる直前にやっておるわけでございます。やはり多くの
人命を預かる
バスの
運転者は、雨が降り、
道路がぬれた場合にはスキッドします。その場合の訓練をしておりませんと、逆にハンドルを切ってみたり、大きな
事故になっておるわけでございますが、このロンドンの
バスの訓練センターは、実は三十年前からやっておるわけでございます。したがって、現在走っておる
運転者は、全部このスキッド訓練を経ておるということを確言いたしておるわけでございまして、ロンドンの
バスの
事故が非常に、特に二階建ての
バスの
事故はほとんど聞いたことがないというのは、それなりの
バスの
運転者の訓練のきびしさといいますか、そこに歴史の違いをはっきり感ずるわけでございます。
それで、そのほか民間にも、たとえばイギリス、オランダはそういう施設がございますが、残念ながら
日本では、いまのところスキッド訓練は二カ所くらいしか
設備がございません。少なくとも、これから観光
バスや何かどんどんふえるわけでございますから、
道路がぬれていた場合に、スキッドする場合の訓練をさしていないと、大きな
事故になると思うわけで、この訓練をやらす必要があると思うわけでございます。
それからもう
一つは、
自動車学校の問題です。これは、やはりざらに
教育の改善をやるべきでございましょうが、同時にいま必要なのは、実際に指導する指導員の訓練、それの中央における訓練のセンターをつくっていただきたいということでございます。
最後にシステムの問題でございます。これも人には関連すると思いますが、現在、県や市にはようやく
安全対策室とかいう機構ができつつございます。これに比べまして、私ははっきり申し上げたいのは、
教育委員会がそれだけ進んでいないのじゃないかということを申し上げたいわけでございます。
教育委員会に安全の問題に専従する職員を置いていただきたいということでございます。現在、現状を見ておりますと、
保健体育をやっておられる人が兼ねて安全をやっておられるということでは、
保健体育のほうが忙しくて、安全がほとんど見れないというのが現状であろうと思います。この問題は、アメリカはいま
日本でいう運輸省ができる前は、アメリカ大統領に直属した
交通安全
委員会がございますが、そこで勧告事項を出しておる中に、州においては、各
学校を指導調整するところに安全を専門に従事する職員を置けということを勧告いたしておりますし、現にアメリカはいろいろな機構を置いておるわけでございます。そういう
意味から、
教育委員会に安全を担当する専従職員を置いていただきたいということでございます。現在
交通安全教育を見ておりますと、先ほど
杉江先生のお話もございましたが、
高等学校、それから大学が、一般的に申し上げまして、これが非常に力が入っていないと感ずるわけでございます。と申しますのは、
高等学校は、たとえばバイク通学を禁止しておる。バイク禁止の
学校が多いのですが、禁止しておる手前から、指導はできないというたてまえになっておるわけでございますが、これはやはり若いときから、正しい
運転というものをどうしてもやらなければならない。何かアメリカを例に出して恐縮でございますが、アメリカは
自動車がげたのようなところでございますから、
日本と国情は違いますが、アメリカはハイスクールで
交通安全の特に
運転教育が始まりまして、約三十年の歴史を持っております。現在は州が義務を課しておる、あるいはほとんどの
高等学校は
運転教育をやっておるわけでございます。全学生が一年三十時間は全部講義を聞かなければならない。それから希望者だけが実際の
運転教育をやるというふうな形になっておりますが、これが行なわれていない。それから、各大学に
交通安全教育の講座がございます。
日本には大学に
一つもございません。なぜ向こうはあるかと言えば、
高等学校で教える先生を養成するために、各大学にそういう講座を設けて、その講座を通った人が教員免許を得て、その人たちが
高等学校で基本的な
安全教育をやっておるわけでございます。
自動車学校では、残念ながら、いよいよ免許をとろうとするときには、いかに早く免許をとるかということに、金がかかりますから、どうしてもそういう気持ちになっていくわけでございますので、これはやはり
学校時代に、——鉄は熱いうちに打たなければならないと同様に、若いときに正しい
教育というものをやらなければならないということを感ずるわけでございます。そういう
意味から、私は、
交通安全の
教育に関して立法をしていただきたいということをお願いいたしたいと思います。大学は何をする、
高等学校は何をするということをやはりやっていただきたい。現にフランスがドゴール
時代に、一九五一年ですか、
交通安全の
教育に関して
法律をつくっております。師範
学校では何をやれというふうなことをこまかく規定いたしておるわけでございまして、
日本の現状を
考えますと、大学やら
高等学校がそういうふうな現状では、やはり
法律をつくる必要があるのじゃなかろうかと思うわけでございます。
それから、たとえば大学で申し上げますと、
交通問題のいわゆる技術関係、トラフィックエンジニアリングと申しますか、
交通工学の講座があるのは
日本ではわずか
東京大学、京都大学、それから
日本大学、三大学のみです。ほかには
交通問題を専門にやる講座がございません。これが
日本の現状です。なぜないかといいますと、それは卒業者が行くところがない。採るところがないということです。大きな府県あるいは大きな都市が
道路をつくる。エンジニアの方を採用する気持ちはあっても、
交通を管理する技師、エンジニアですね、技師を採用するという着意がまだ出てきていない。だから大学でそういう講座がないということになると思うわけでございます。これもアメリカが、十万以上の都市にはことごとくトラフィックエンジニアがおられるという状況から見ますると、やはりシステムのおくれというものを感ずるわけでございます。
最後に
一つ。これは都市計画あるいは都市の
開発問題に関連すると思いますが、ニュータウンやらあるいは都市のどまん中は、
自動車の分離ということを
考えていただきたいということでございます。
具体的な例を申し上げます。これが遠くからおわかりになりますか。ブラジルの新しい首府のブラジリアを飛行機で上空からとってみました。ブラジルといいますと、国民所得が
日本の五分の一で非常におくれている国でございます。しかし、そこで
一つの住宅街をつくる場合におきまして、ここが
自動車が走っておる道でございます。ここは住宅がございますけれども、
自動車は自由にこの
自動車の走る道から
自分の家には入れません。遠回りしてぐっと入ってこなければならないというふうになっておる。あるいはロンドン郊外は、
自分の家にまで
自分の
自動車を持ってこれない。これがそうでございますが、最近の傾向は、
自分の家からみな少し離したところに車庫をまとめてつくって、車はそこに置いて、歩いて
自分の家に帰るというかっこうになっております。ということは、
自分の家のまわりは、
子供が
自動車の脅威なしに自由に遊べるというふうな仕組みに、現在スウェーデンでもイギリスでもアメリカでも、最近の傾向はほとんどそうなっているわけでございます。で、ニュータウンはどんどんできつつございますが、
自動車との分離という問題を、やはりニュータウンをつくる場合において
考えていただきたいということを特にお願いしたいと思う次第でございます。
日本でもその徴候は
一つ出ております。たとえば北海道札幌の北広島団地は将来やはり、先ほど申し上げましたように、各自が
自分の家に車庫を持つのじゃないというかっこうにもっていきたいということを言っておられますし、そういった方向では来ておりますけれども、これはもっと、そういう民間が
開発されるニュータウンにおきましても、人と
自動車の分離、要するに
子供が
自動車の脅威なしに遊べるというふうに団地をつくっていただきたいということを特にお願いいたしたいと思います。