○吉田(賢)
委員 わかりました。まあひとつ、
政府の姿勢は佐藤さんにまた一ぺん聞いてみます。これはこの
程度にしておきましょう。
そこで、やはり
一つの問題は、これも私はたびたび指摘しておりますが、もっと退職後の人生の明るい歩み方、
方針等について具体的な明るさを与えるということが必要ですよ。でなければ、たとえば、おととい発表いたしました自書の内容について見ましても、老いぼれだという年齢の人はほとんどありません。五十前後といったら、人生働き盛り、この働き盛りに去っていくのです。察するというと、もう四、五十のときに第二人生計画を立てておかなければいかぬということに通じると思うのです。それならそれを引きとめないのは一体どういうわけだ。堂々と退職後第二人生計画を立ち得るような道を開けばいいじゃないか。何を一体こそこそと行くんだ。そのかわり、その仕事をしているときはりっぱな待遇も与えましょう、信賞必罰でいく、勤務評定も十分にやる、
国民に
ほんとうの奉仕をする――憲法と国家公務員法で、公に奉仕して、全体に奉仕して、公共の利益のためにというようなことをいっているのはから念仏にあらず、
ほんとうにそうだということでなければならぬ。そこですね。いろいろな意味で食い違いはあります。たとえば
国民にしましても、そういうように憲法やら国家公務員法には書いてありますけれども、
国民にしましたら、昔の官員さんみたいなことがまだ残っているかもしらぬ。残っていますよ。また公務員にしましても、おれは権力の行使者なりとふんぞり返っている。陳情があるんならこっちへやってこい。陳情にやってまいりますと、どっちが主人かわからぬのがこれは現状ですね。また
国民の期待そのもの自体も、そんな全体の奉仕者とかなんとかいうのじゃなしに、もう
一つ別の、官僚さまさまに何か結びつけて求めようとしているのかもしれない、この食い違いはあります。
そんなわけですから、何かとこの原因はありますけれども、やはり当人自身が退職後の人生の歩み方について堂々と闊歩していけるような道を
ほんとうに公明正大につくることが大事じゃないだろうか。それは一体どうすればいいんだろうか、具体的に検討しなければいけません。これが
一つと、時間もないから結論を言います。結論、二つあるのです。
一つは定年制の問題なんです。定年制は、御
承知のとおり裁判所とそれから自衛官にありますね。それから大学におきましてはそれぞれ自主的にそういうのをきめています。東大は六十歳くらいでしたか、自主的にきめておる。その他定年制なしということになっておりますが、定年制をつくることは一体どうなんだろう、つくってもいいんじゃなかろうか、つくること、これは一体それほど大きな障害があるのかどうか、それへ一歩前進する、具体化へ一歩前進するということが必要で左かろうか、これが
一つであります。
それから、そういうことと、最近どうも参議院選挙なんかになりますとだんだん目立ってくるのですけれども、一々個人を、私は恩怨も何もありませんけれども、公務員制度から
考えて残念に思うことは、やはり高級公務員が
国会議員に立候補するときの一種の事前運動です。これは何も法に触れるとは申しませんけれども、やはりやめる前からみな知らぬ人はなしということになりますと、何かもう少しこれは明朗にしてもらう手はないであろうか。こう言うと、高級公務員の人は、何じゃ、おれの前途をおまえははばむ発言をするのかといやな感じを受けるかもしれませんけれども、ここはやはり、それとこれとは混同することなしに、公務員であるときには公務員としての規律、厳正にこれは守ってほしい、そして
民間に出たときに、その瞬間から大っぴらに何なりとおやりなさい、こういうふうにありたい。そこを公私混同してしまったならば、
国民の血税で選挙運動をやるということに、われわれから見たら通ずることになります。これはいろいろな意味で弊害があります。コネ、因縁、情実、昔なにをしてやったから、おまえ後援会のなにになってくれということにも通ずるのであります。これは弊害のもとであります。こういうことは、ひいては
国会の運営にも響いてまいります。
あれこれいたしますので、この辺につきまして、退職後の人生の計画の問題、それから定年制の問題、それからいま言うた
国会議員立候補における一種の、自主的にすべきか制度的にすべきかは別といたしまして、公明正大に規制すべきでないか、この三点を明確にしておきたいのであります。これも非常に大事な点でありますので、ひとつ一括いたしましてそれぞれ御
答弁をいただき、これで終わることにします。