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松本(忠)
委員 ここで証言の中身につきまして、私、金井部長と論争しようとは思いませんけれども、別に私が外部に行ってこの六名の人を吹聴して歩くわけではないのですから、六名の人の住所、氏名くらいのものは私に知らせてくれても一向差しつかえないのではないか、私はこう思うわけです。
そこで、時間の関係がありますので次の
問題に移りますけれども、たまたまこの町の
問題につきまして、私いろいろと調べてまいりましたうちに、昨年、四十五年二月十五日の週刊現代、これに
航空気象台の青山なる人物が、事故調査団の一員で
気象のほうの調査を担当されました北岡団員、きょう本席に来ていただいております
気象庁の
気象研究所の北岡所長の御意見と全く
反対の意見を述べられておりますので、非常に疑問に思いまして、議員会館に青山行良氏に来てもらいまして事情を伺ってみた。ところがいろいろなことが判明したわけですけれども、青山行良氏は現在
東京航空地方
気象台予報課に勤務する技術専門官です。
気象庁長官の監督下にある者でございます。この青山氏が一九六六年三月四日に発生したカナダ
航空機の着陸時の事故についても、当時の
気象状況について重大なる誤判断があったとして具体的に説明され、そうして再
検討されるべきである、こう私に告げられました。ですけれども、この
問題はしばらくおくといたしまして、ただいま私が
問題にしておるところの全日空の羽田沖の事故についても、数々の疑問を青山氏から私は伺ったわけであります。その中心の主題になっておるのが晴天乱気流ということなんですが、この晴天乱気流の可能性に関して青山氏から述べられた。この晴天乱気流が727の事故に結びついている可能性について、青山氏は上司に自己の学問的良心に従ってしばしば訴えたそうでございますが、取り上げられなかった。
そこで、当時の
気象庁長官吉武素二氏に対しまして、昭和四十四年の十一月二十九日に内容証明郵便で回答を求めた。しかし返事がなかった。そこで、さらに昭和四十五年十月十五日再度内容証明郵便で回答を求めた。ここにその内容証明の写しがあるんですが、この中で重要な部分を若干読んでみると、非常に参考になると思うのです。ちょっと申し上げてみますと、これは青山氏の書いておるとおりに読みますので、理解しにくい点もあろうかと思いますが、一応原文のままで読んでみます。若干関係のないところを取りまして要点だけ言います。「一九六六年二月四日の全日空機遭難についてですが、これについては、
航空気象学文献抄中十一巻第五号に、「晴天乱気流についての一考察」として私の考えを発表しました。」そのことの原文は私も見せていただきました。それはここにも持ってきておりますが、非常に学問的なむずかしいことが書いてございます。そこで中間の関係のないところを除きまして、「これについて、私の考えは順次また機会あるごとにのべて来ているのでありますが、きわめて不可解な上部当事者の反応より得られておりません。」このことについてしばしば青山氏が発言するけれども何の反応もない、こういうことだと思うのです。このあと非常に
問題点があると思うのです。これは
局長よく聞いておいてください。「これはどのようなことかと二、三例をあげますと、上司の言うことに
反対するような説を唱えたりしたら、とんでもない事になりますよ、と言われたことがあります。」上司に
反対の説を唱えたりしたらとんでもないことになりますよ、こういうふうな脅迫とまではいかぬでしょうけれども、こういう言辞が弄されているわけですね。「その意味かどうか、私は昨年十二月中旬に、全く希望した覚えもないにかかわらず、ある民間会社に転職を希望しているということで、出向くように言われた事実があります。また、この
問題は解決ずみであり、命ぜられもしないで余計なことをやらなくても良いと言われたこともあり、」命ぜられないのによけいなことをする必要がない、こうも言われた、こういうのですね。そのあとに、最もこれは重大な
問題なんだと思うのですが、私は憤慨にたえないのですが、こういうことを関係者の中に発言する人があったら、ゆゆしい
問題です。「
航空機が落ちて多くの人が死んでも、人間にも機体にも保険がかかっており、だれも損をする者はないと言われた事もあります。これらについて、一々強く反駁したわけではありませんが、私としては決してそれで良いと考えているわけではありません。羽田沖事故調査団は、私の主張している晴天乱気流を事故原因とする可能性について、全く考慮をしたように見られない事は、まことに不思議なことであります。」中間を飛ばしまして、「近年、
航空気象上の
問題として、晴天乱気流と風の鉛直シャーの関連について、これを否定出来る人は殆どあるまいと思われます。」そうして、さらに中間を飛ばしますが、「
気象上は晴天下の下降気流による影響を考えられるとしているようですが、」これは最終報告書にあることですね。「このような際の下降気流は、恐らくは最大に見つもっても毎秒数十糎位のもので、例えば三十秒間ではどうかとみても、二十米をこえることはない程度のものであります。世界的にもこのような現象による
航空機の墜落事故は、皆無であろうと思われます。これに反し、強い晴天乱気流によって機体を損傷する程のものが、強い風の鉛直シャーをともなった
気象状況下に起っている例は枚挙にいとまがない程度と申せましょう。しかるに、このような
気象状況下に起った全日空機の墜落について、晴天乱気流の可能性に関する記述がこれまで全く見られないのは、この事故調査団のこの点の認識不足によるものではあるまいかと思われるので、再調査を申し入れるべきであるというものであります。」中間を除きまして最後の段階になりますが、「これらの事故の貴重な経験により、
航空気象において世界をリードする新しい理論あるいは実験の展開も可能となると言える位に思われるものが、実際には大事な事実を何とか言わないで、極端に言えば秘しとおして、一つはパイロットの責任、一つは原因不明のままおし通そうとするかに見えることは、将来私の主張するような点で原因が明らかにされた場合に、我々は世界の人々の物笑いの種になり、国内においては国民の非難、怨嗟の的となるものと思われます。」そうして最後のところに、「極めて重大な
問題に関しているものでありますので、なるべくは速かに御回答下さる事を期待しております。昭和四十五年十月十五日横浜市緑区長津田町一六一二
東京航空地方
気象台予報課技術専門官青山行良」として判こが押してあります。「
東京都千代田区大手町一丁目
気象庁長官吉武素二様」こうして内容証明の郵便で出してあるわけですね。
こういうお話を私、伺いまして、いろいろまた問いただしましたところ、青山氏が、吉武前
気象庁長官の指図によって、事故調査団員であり
気象研究所の所長さんであるところの北岡
龍海氏に二回にわたって面会して、十分に自己の主張を述べられたようでありますけれども、ついに北岡氏からは晴天乱気流については、ただ否定されただけである。青山氏も晴天乱気流による墜落だと確定的には言っていませんが、晴天乱気流によって操縦が不能になったか、または機体の弱い部分とか欠陥があった部分が破壊されて空中分解を起こした、その結果墜落したのではないかということが十分推定される、このように青山氏は言っているわけです。青山氏は学問の自由を守るためにも、また将来再びあのような大事故の発生を防止するためにも、この
問題はゆるがせにできないことだ、こう言っております。
この件については、先ほども申し述べましたとおり、前
気象庁長官から北岡氏に、その回答をするようにという指示があって、お二人でお会いになったんですから、その指示があったことを北岡氏もお認めになって二人で会ったんでしょう。そこで、二人で二回にわたって対談をしているけれども、ただ晴天乱気流を否定するにとどまって、学問的根拠も示されず、二年以上にわたってその回答を出さない、反論もしない、そうして放置しておくということは、私はまことに無責任じゃないか、こう思うのです。この点非常に遺憾だと思うのです。
そこで、きょうおいでいただいております北岡所長にお尋ねするわけでございますが、どうして回答をしないのか。青山氏が要するに文書で回答を求めている以上、文書で回答するのが当然のことだと私は思いますが、なぜ回答をしないのか、回答しない理由、それだけでけっこうです。技術的なむずかしい
問題でなくして、なぜ回答をなさらないのか、回答をなさらない理由だけをここでひとつ北岡さんから伺っておきたい。