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参考人(
長谷川正安君) 私は大学で
憲法を
専門に勉強しているものですから、
日本の
憲法の立場から、また一人の
法律家として、この
改正案に
意見を述べさせていただきたいと思います。三つ問題がございます。
一つは、いままでの
京極、
木下両
参考人とほとんど同じ
意見ですが、
選挙活動の自由という問題です。で、これは御
承知のように、現在の
憲法では、公務員を選定、罷免するのは
国民固有の
権利であるというふうにいわゆる
参政権の
権利が
憲法十五条で認められております。しかし、この
参政権なるものが具体的にどう
実現しているかということは、
公職選挙法で
選挙資格なり
選挙運動についてどうきめているかということにかかわるわけでありまして、私は
公職選挙法というのは事実上
憲法に匹敵するような重要な
法律であるというふうに
考えております。幸い
日本では、
選挙資格については明治二十三年に第一回の
選挙が行なわれたときに、
有権者は人口の一%、四十万ぐらいしかおりませんでしたけれ
ども、今日では、幸い六〇%以上の、要するに人口の半数以上が
有権者になっているという、いわゆる普通
選挙が
実現し、この点ではヨーロッパの進んだ資本主義国と同じあるいはそれ以上であると思います。ところが、残念なことに、
日本の第一回の
選挙以来の例を見てみますと、
選挙資格が拡大するに従って
選挙運動がきびしく
制限されるという一般的な傾向があるように思われます。たとえば、一番いい例は、大正十四年に男子普通
選挙が
実現した際に、
選挙法を変えて世界じゅう例のない戸別訪問の禁止ということを
日本でやりました。で、ほとんどそのときの、審
議会がございまして、そこで審議した結果、戸別訪問禁止するのはいけないという結論が出ているにもかかわらず、あえて戸別訪問の禁止をするというような、要するに
選挙権が拡大したときに
選挙運動を
制限するということが行なわれましたし、また、どうも新しい
憲法のもとでも、そういう傾向がいままであったような気がいたします。そういう観点で見ますと、私は今度の
改正は、せっかく
選挙資格を拡大して
国民固有の
権利を十分
実現していながら、その実態において、ヨーロッパの進んだ資本主義国ではほとんど
考えられないような運動の
制限を加えている。非常に、まあいままでの
日本の
選挙の扱い方、その流れの上に乗っていると言えばそれまでですけれ
ども、どうも悪い傾向がまた復活しているように思われます。そういう
意味で、私は、
選挙運動あるいは
選挙活動あるいは
選挙中の
政治活動の自由ということを
憲法の原理に照らして、もう一度
考え直していただきたいというのが第一点です。
それから第二の点は、私は
法律家として
意見を述べたいんですが、この
選挙法の
改正の個別的問題点について一、二触れますと、
改正の法文の内容がきわめてあいまいであります。常識的にはわかるけれ
ども、
法律家にはよくわからない点が若干あります。で、それはたとえば、この
政治活動用の
ビラを、
国会の場合には三種類とか、あるいは地方
選挙の場合に二種類に
制限するということが新たに設けられておりますけれ
ども、一体
ビラの種類というのはどういうことなのか。一体大きさが違えば種類が違うのか、色が違えば種類が違うのか、あるいは文の内容が違えば種類が違うのか、
考えられることは、およそ
選挙をやったことのおありの方すら
ビラの種類というのは何だというふうに言われて、お答えできる方が私はいるかどうか疑問だと思います。要するに、こういうわからない規定をつくっておけば
取り締まりは自由だということです。つかまえてもいいし、つかまえなくてもいい。
あとは
裁判所におまかせするということになるだろうと思うのです。それからもう
一つその例をあげますと、たとえばこの
改正案では
シンボル・
マークの規制をやっております。要するに、
シンボル・
マークを表示するものを掲示することを
制限しています。しかし、
シンボル・
マークを表示するものを掲示するといっても、たとえば
シンボル・
マークをバッジとして胸につけたらどうなるのか、ゼッケンとして背中にしょったらどうなるのか、腹巻きにしておなかに巻いたらどうなるのか。およそこの法文からはどこまでよくてどこまで悪いのか、要するに、
シンボル・
マークを規制したいという立案者の
気持ちはわかるが、客観的にそのことが
法律としてどういう
意味を持つかということは非常にあいまいであります。こういう
選挙運動というものが民主主義の社会においては原則として自由であるというたてまえならば、こういうわけのわからない妙な規制のしかたをするということは、私は何といいますか、大げさに言えば罪刑法定主義の原則に反するし、
取り締まりということは、およそ原則としてやるので、
選挙は不自由なんだという立場に立つならばこういう規定もまた理由があるかもしれません。しかし私はそうは思いません。
これは問題点がちょっと違いますが、もう
一つ改正の内容に触れますと、確認団体の
機関紙誌を六カ月という期限をつけて
頒布の自由を
制限しているということ。これもなぜ一体この確認団体の
機関紙誌を六カ月という期間を設けたのか、どうも立案の合理的な理由みたいなものが私にはよくわかりません。ただこの
参考人として御依頼を受けたのが突然で、郵便
事情が悪くて資料が私のところに届かないということで、私の不勉強なところもございますので、その点は御容赦願いたいのでありますが、どうも立案の、意図はわかりますけれ
ども、理由がはっきりしない点がございます。そういう幾つかの個別的な問題点を見ますと、もう少し
法律としては練り直すというか、
趣旨説明を明確にするというか、そういう点が非常に必要ではないかという
感じが私はけさちょっと見ただけでも
感じた点がございました。
それから第三の点でございますが、実は私は愛知県に住んでおりまして、愛知県ではさっそく来年の一月告示で二月に知事の
選挙がございます。この知事の
選挙を具体的に私がイメージを浮かべながら、この
法案が通ったら一体どういうことになるだろうかということを
考えてみますと、まず第一に
考えられるのは、
先ほど京都の知事選のことが例にあげられました。
ビラ公害ということを
参考人の方が申しましたけれ
ども、私に言わせますと、この前の愛知県知事の
選挙は、すなわちいまの知事が当選したわけですけれ
ども、
投票率が何%だったかというと三七%です。
京都の
選挙は七〇%をこえているはずです。要するに、愛知県のこの前の知事選と
京都の知事選を比べると、何と愛知県では半分以下の低調な
選挙をやっているのであります。私に言わせれば、
ビラの
公害があるかどうかはともかくとして、少なくとも愛知県の場合には、三七%の
選挙なんというのはおよそ
選挙とは
考えられない。こういうもので選ばれても、三七%の一〇〇%を取ったとしても過半数に達してない、
選挙の形をなしていないと思います。これの原因がどこにあるかというと、幾つかあると思いますが、
一つの理由は、
選挙運動がやるたび違っておりまして、
選挙運動をやっている人が
自分のやっていることが違法かどうかわからないという人がある。それに参加しようとする
国民が、うっかり参加したら、この前はよかったけれ
ども今度は引っかかるかもしれない。電話一本だれかにかけるのに、
候補者の名前を、
法律によって、たとえば
自分が学校の先生なら職場を追われるかもしれない。その他要するに、
選挙に参加しにくいようにしにくいように、こういう法を変えるということ自体にかなり
選挙を低調にしている大きな原因があると思います。それは
公職選挙法の、六法全書を見ますとわかりますが、毎年
改正を取っかえ引っかえやっている。その中で
選挙運動を不自由にしていることが、やりにくくしていることが、少なくとも愛知県では
選挙を低調にしている原因だろうと思うのです。
したがって、今度もしこういう規制をつくったら、三七%が一体どこまで下がっていくのか。なくなれば官選になってしまうわけですけれ
ども、どうも私は問題があるのじゃないかという気がします。
それからもう
一つ。第二の愛知県の場合の例でいいますと、具体的にいいますと、今度の
選挙は、現職の知事と、それから社会党と共産党が統一して、いわゆる革新統一候補というのを出して、これが先ごろきまって、この二人の決選になります。これは愛知県だけではありませんけれ
ども、現職の知事は大体
選挙運動を始めるのがものすごく早く、立候補の
届け出は半年以上前にやっています。ところが、革新のほうの統一候補というのは、どこに責任があるかわかりませんけれ
ども、告示ぎりぎりにならないときまらない。そこまでもんでいるのが普通です。そうなると、確認団体というのは、その場合には、現職の知事の支援団体というのは昔々からできておりまして、これは六カ月前といってもひっかからないような、こういう性格のものですね。また、
先ほど新しい
政党と言いましたけれ
ども、
政党に限らず、新しく何か政治運動をやろうとすれば、これが確認団体として
選挙のときに
機関紙が不自由にさせられる。現職が強いということはよく言われますけれ
ども、それにお手伝いするような規制をなぜこういう
法律でやらなければならないのか。私はかなり問題があると思うのです。ですから、
政党の問題もありますけれ
ども、私は新しい政治運動が起これるような、そういう政治の新しい動きを
法律で押えるようなことはすべきではないんじゃないかという気がいたします。特に私の住んでいる県のことを
考えると、この
法律は一方に味方するための
法律だとしか
考えられない。
最後につけ加えておきますと、一体私がいま言いましたように、具体的な事実関係ということが、この
法案をつくるにあたっての前提になっている事実認識というものがかなり問題だと思うのです。しかし、そういう場合に、一体この
法案は、政府に
選挙制度審
議会という審
議会がありますけれ
ども、そこにかけて一体どのくらい
専門家の方に
考えてもらってつくったものなのか非常に疑問のような気がします。これは正確かどうかわかりませんけれ
ども、私のちょっと伺ったところでは、
選挙制度審
議会にかけていないということのようです。かけてもいままで
選挙制度審
議会できまったことで尊重されたことはありませんから、もうかける必要がないという御認識であればまた別ですけれ
ども、そうでなければ、なぜこういう
法案をつくるときに事実関係をよく調べてつくらないのか、この点も私は疑問であります。
先ほど京極さんから述べられたように、若干の
改正点があることは私も認めるのにやぶさかではありませんけれ
ども、全体として見れば、この
法案は非常に内容が不備だし、それから政治的な意図が露骨であるし、特に私が愛知県に住んでいて、今度行なわれる
選挙のことを
考えると、いかにもそれに当てつけていまの政権を担当している人がつくりたくなるような、そういう案だというふうな
感じがいたしますので、私はこれには
反対です。