○杉原一雄君 私は、日本社会党を代表して、ただいま提案されました
公害対策基本法の一部改正案には反対、
大気汚染防止法の一部改正案には反対、
公害防止事業費事業者負担法案に対して反対、そして
騒音規制法案については賛成、右の立場から討論いたします。
間もなく一九七一年になります。七〇年代は環境問題の世代であるとニクソンが
公害教書の中で国民に訴えています。私もそうだと思います。米議会上院本会議において、一月、ネルソン議員は、すべての国民が正当な環境を享受することができるという奪うことのできない権利を認め、かつ擁護するよう憲法を改正せよと迫ったそうであります。そのアメリカの上下両院
協議会は、十六日、
大気汚染防止法案に対して、上院・下院の見解の食い違いを調整し、一九七五年一月一日まで自動車排気ガス中の有毒成分を現在より九〇%減らし、無
公害車をつくらせなければならないとの厳重な規定を承認したと伝えられているのであります。しかし、その無
公害車規定の草案者は、七二年大統領選のときニクソンの有力な対立候補、民主党のマスキー議員であるところに、すぐれてすばらしいアメリカの
公害に対決する姿勢を読みとることができます。
一方、わが国では、佐藤首相が繰り返し、福祉なくして成長なしと言い、各
法案から経済との調和条項を削除したことを訴えております。だがしかし、その訴えも、国民には実にむなしい、うつろな響きしか与えなかったのではないでしょうか。それは、各
法案について検討してみると、きわめて大切な点が、ところどころ骨抜きになっているからであります。
朝日は十二月八日の社説で、次のように訴えています。「ここでわれわれは、政治と
企業に、改めて
公害問題の原点に立返ることを望みたい。原爆問題で広島、長崎の惨情の原点が強調される」ように、その原点の第一は、患者・家族の窮状である。「第二点は、
公害被害者は、戦後の技術革新、高度経済成長の犠牲者であるということである。往年の軍事大国が兵士のかばねの上をばく進したように、戦後の経済大国は
公害という名の人柱の上をばく進している。とすれば、その人柱には最大のつぐないがされて当然ではないのか。」、そして最後の結びにおいて、「「腐敗した社会には、多くの
法律がある」という
ことばがある。
公害関係法の整備も大切だが、つぐないの良心がなければいかなる法も死ぬ。そして国際社会の笑い物になるだけである。」と論じ、われわれに痛烈な批判と要求をしているのであります。
私は、国民の悲痛な願望と、アメリカの教訓、朝日社説等の警告を大切にして、
法案審議に参加してまいりました。
四日、五日の衆議院
連合審査会を傍聴し、がっかりして帰った富山の小松みよさん、約四十年イタイイタイ病と戦い、夫婦の生活を断絶し、病気と貧乏と戦い、身長約三十センチ縮小した不自由なからだを東京に運び、むなしい思いで帰郷されたと伝えられているのであります。
そしてまた、去る十一月十二日、
公害都市川崎、年平均亜硫酸ガス・国がきめた環境
基準〇・〇五PPMをこえる〇・〇七PPMの汚染都市川崎、その川崎市で、二十七才の若い主婦が
公害病の気管支ぜんそくで死んだ。死んだ主婦は、親戚などから引っ越しをすすめられていたが、やっと
公害病と認定されて医療費をもらっているのが、川崎から引っ越したら、ふいになってしまうと拒否し続けていたという。川崎市では、この一月から
公害病と認定されたものには医療費はただ、症状によっては月二千円ないし四千円の医療手当を支給しているのであります。ただし、
公害病認定
地域から転居すれば認定が取り消され、医療費は自己
負担となる。とすれば、低所得者層の人々が病と貧乏の二重苦の戦いをしていることは、如実にこの死をもって証明されているのであります。実に悲惨な死であります。
イタイイタイ病
公害病認定患者九十八名、その他水俣病患者、
四日市ぜんそくの患者や、その遺家族に対し、医療費はもとより生活費に対し十分のめんどうを見ることができぬという冷たい政府答弁を
委員会等でたびたび耳にしたことは、実に遺憾きわまりないことであります。
原点を忘却した
公害論議は実に空虚であります。しかもなお、その原点から再出発するなら、まず第一に、
公害排除には環境権の確立こそ重要かつ欠くことのできぬことは、ネルソン議員の
ことばを待つまでもありますまい。何人も、憲法二十五条の生存権に基づいて、よい環境を享受し、環境をよごすものを排除する基本的権利があります。きれいな
空気、水、
騒音のない静かな環境などの自然は、その
地域に住む人の共有財産であり、もともと
企業が、ときには自衛隊という名の国家機関が、その環境を一方的によごす権利はない。断じてない。環境権の確立が認知されるならば、
地域住民はだれでも妨害排除の請求権を持つとともに、
公害発生そのものをやめさせる差しとめ請求の根拠となる。国や
自治体が法令できびしく
公害を規制する根拠となるでありましょう。そして、
公害発生源側に故意や過失がなくても、環境が侵害されていれば排除できる。すなわち、無過失
責任主義の根拠となるのであります。だから、各
法案のバックボーンとして、環境権の確立を原点とし、無過失賠償
責任制度の採用が大前提であります。これが骨である。その骨が抜けているので、環境権の確立、無過失賠償
責任制度の確立が認知されるならば、
防止事業費の
負担は、三分の一だの四分の三だのという議論の余地はない。全額
企業者負担の大
原則を確立すべきであると思います。建築現場で上から鉄骨が落ち、通行人が死亡したら、建築業者が死亡者の補償
責任をとるのは当然であります。石油精製業者が亜硫酸ガスをまき散らして一般
市民の健康を奪ったら、その弁償
費用をどうして第三者であるものが
負担する必要があるでありましょうか。とりわけ資本家、
企業者のモラルの堕落しておる今日、われわれ政治家は、もっとしっかりと腹帯を締めるべきであろうと思います。
私は、十一月二十一日、富山地方裁判所法廷に立ち、二年八カ月にわたるイタイイタイ病裁判を傍聴しました。鑑定申請却下、事実上結審となろうとした瞬間、被告三井金属は、昭和四十三年五月八日、時の園田厚生大臣が、イタイイタイ病は神岡鉱山から神通川に流れ出したカドミウムが
原因であり、
公害病であると認定したことに対し、せせら笑い、原告がこの政府決定を鬼の首でも取ったように言いふらしているが、全くナンセンスである、と言うのである。これが今日の資本の本質であり、論理であります。
去る十一月三十日、労働省の
公害総点検の結果の発表によると、有毒物質たれ流し七五%、全国一万三千六百六十五
工場のうち特に一千九百四十五
工場に警告を発したと報じられているシアン、クローム、カドミウム、そして鉛、日本列島は侵害されつつあります。一月十六日現在、交通事故死一万六千名突破が記録されております。スモッグ追放に成功したロンドンは、いま明るい空を取り戻しているという。
日本が今日、
公害問題の深刻化しているのは、
企業に
公害防止についての自覚が足りないからである。このような
企業に社会的
責任を果たさせるため、しっかりとした歯どめが必要であります。しかるに、今日上程されている
法案は歯どめとしてきわめて弱体であるから反対いたします。
最後に、政府に要望します。今後、法改正の努力、そして政令、省令の制定の過程では、法の欠陥を補完するように努力するとともに、
公害行政の一元化、強化を目ざし、環境保全省
設置に向けて努力されたい。今次国会において
提出されなかった悪臭
防止法をすみやかに
提出されんことを要望します。国民から、くさいものにふたをする政府として、非難やそしりを受けぬように最大の行政努力を要望して、反対討論を終わります。