○畑
委員 故意と過失の問題については以上にとどめたいと思います。
それから
刑法の問題、もう話を変えまして、この
処罰法と違うのですが、例の無過失責任の問題になるわけです。これはわが党のほうで無過失損害賠償法を
公害に限って出したわけなんですが、その問題については、私のほうの案についてはいずれまた質問を受けるとして、逆に、私のほうはまだ正式の議題にはなっていないかもしらぬけれ
ども、関連をして、無過失責任の問題について、この間実は私、
法務大臣といろいろ
意見を戦わせたのです。先ほ
ども法務大臣と非公式な話をしましたが、いろいろ
議論している間にお互いにわかってきたというような感じが私もしました。
小林大臣もそう言われたが、私もそういった感じを深くしたのです。やはり
議論していくとそのうちにだんだんとお互いのあれが明確になってくるというような感じがいたして、非常に私は前進だったと思うのです。
それで、最近非常に
公害が次々と出て、しかもたくさんの大衆がこの害毒によって病気になりあるいは死んでいる、こういうことなんです。それだからこそ
公害国会を開くような事態になったわけですが、それについて私は、
刑事罰としてこの
公害罪を立法したということは、これはざる法というような非難は確かにある。あるけれ
ども、ひとつ自然犯としてこれをとらえるというようなことで、きびしくやっているというような抑止力をねらった効果としては、私は評価をいたしておるのでありますけれ
ども、それと相呼応して同じような
考えで、民事の賠償につきましてもやはり一歩進んだ、いままでの扱いと違った被害者救済の手段を講ずべきだと思っておるわけです。この間の連合審査の際も私申し上げましたけれ
ども、七百九条という
規定は、御承知のように、封建制度から抜け出したそのあとのいまの近代初期の時代に、非常に大きな効果をあらゆる面においてあげたと私は思うのです。ところが、最近は非常に複雑な機械ができたり、技術の進歩によって、さらにまた薬品にしてもいろいろなデリケートな薬品ができた。そういうような
段階になってまいった。結局、いままでは過失がなければ損害賠償を負わぬでもよろしいというのが、御承知の七百九条の
規定でございます。ところが、やはりこういうような
段階になってまいりますと、過失がなくとも損害が起きる場合が多い。過失があるかないかわからない、むずかしいというようなことはもちろんのことでありますが、時代が変わってきて世の中が複雑になってきて、企業というものがいろいろ大きな力を持ってまいってきますと、こうしたイタイイタイ病だの水俣病だのといったようなもの、サリドマイド事件といったようなものが次々と起きる。一般の大衆はきわめて無力だということになって、損害賠償の訴訟をやりましてもなかなか過失の立証が骨が折れる。しがも事件がえらい長引くわけですね。御承知のように何年もかかる。それでは救済の実があげられない。いままで七百九条という
規定は、結局、加害者と被害者との間の公平という問題に相当大きく寄与して、企業の発展もそれによって促されたということだと思うのですが、いまやそれが足かせになって、不公平な原則になってきた。特に企業活動の場合においてはそういうことになってきた。それをやはり民事の面において被害者の救済という点で新しく観点を変えて、民法の例外を私は設ける必要があると思うのです。そして無過失でも賠償をする、過失の立証は必要としない、反証がなければそれでよろしいというようなことでいくのでなければ、
ほんとうの公平の原則に合うような事態にはならない、こう思うのであります。
この間も実は
法務大臣とその点いろいろと
議論しました。
法務大臣の
考え方は、いままで鉱業法だとかあるいは水洗炭業法だとか、それから独禁法とか、あるいはまたこれは少し違いますけれ
ども、そのほか原子力損害の賠償に関する
法律ですか、そういった私がちょっと記憶しているだけでも幾つかあります。さらにこれについてまたどういうのがあるか。民事局のほうから聞きたいのですが、個別法において無過失責任あるいは無過失責任と似たような
規定を
規定している
法律にどういう
法律があるか。あとで聞きますが、そういう縦のというか、この間、縦割りと横割りの話が
法務大臣とございましたが、縦の、個別の非常に危険が多い
——原子力なとはきわめて危険が多い。鉱業についても同じで、いつどういうふうにして水が流れたりなどして被害をたくさん受けないとも限らないといったようなことについて、個別にやっていく。いまのところ無理かもしれぬが、さらにそれを新しく
考えてつけ加えていく、こういう個々の法規できめていく、ほかの各省でおのおの担当に応じてきめていく。そうすべきであって、
公害についてだけではあるけれ
ども、横の広い
関係で、民法の例外
規定をつくるべきではないというような、
法務大臣の大体要約したらそういう
考えだというふうに承ったのでありますが、私はまだとても
法務大臣の理屈にそうですかというわけにまいらぬのであります。
公害だけに限ってはそういう事態であるだけに、私が先ほど申し上げましたように、一方は強大な企業であり、一方は弱い大衆である。立証するべきものもたくさんない。企業のほうはなかなか強大で、しかも技術的にも進歩している。いろいろノーハウ等で場合によっては消防車も入れないといったような企業秘密ということを守る。立ち入りもなかなかさせないというような状況下においては、そういった企業活動に応じての
公害問題についての損害賠償だけについては、しかも健康に害があるということにしぼって、それと財産権の一部についてだけわれわれ提案しております。そういうものに限って一応しぼりをかけて、横の
考え方で民法の例外
規定を独立の法規で
規定をするという必要が私はあると思う。個別のものではなかなか
規制し切れない。この間、
法務大臣にも言ったのですが、
法務大臣は、各省でやるべきだ、
法務大臣のほうとしては各省でやればそれでいい、そのとき協議に応ずるという形だったと思う。ところが、そういった
公害についてだけの横の
規定を、無過失責任の
規定を私らが提案したように設けるとすれば、これはやはり
法務省の民事局の管轄だ。そういう点で
意見が違ったのですが、私はいまでもそういうふうな
考え方を持っておるのです。
つきましては、まず民事局のほうに、私の知っている限りで、いままでの個別法でそういった無過失責任あるいはそれに近いもの、それが
規定されているのは何と何か、どういうふうな
規定なのか、こまかいことは要りませんけれ
ども、それをまず
最初にお伺いしておきたい。私も全部知っているわけじゃありませんので、参考のためにひとつお聞きしたいと思うのです。
それと同時にもう一つ、将来少なくてもそういったものをやるべきだと思われるような、個別法における無過失責任をつくるべきだというふうに
考えておられるものはどういうものがあるか、そういうことをひとつ承りたい。
同時にまた、
大臣のほうから民事局のほうへ、そういった
意味の
公害に関する無過失責任に関する問題を立法化するようなことが必要があるかどうか、あるいは必要があるとすれば、どうしたらいいかというようなことについて研究を命ぜられたことがあるかどうか、その点についてまず承りたい。