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勝賀瀬参考人 私、昨日、
参考人として出るように事務当局の
方々に申されましたが、資金協会の私ですが、きょう申し上げるのは、資金協会とは全然
関係なく私見でよろしいかということでなにしましたら、それでよろしいということでございますので参りましたが、その点をひとつ御了承おきを願いたいと思います。
もう時間もありませんから、いろいろの問題もありましょうが、私特にきょうここで申し上げて
皆さま方のいろいろの御参考にしていただきたいと思いますのは、
取引ルールの問題だけに限定して申し上げてみたいと思います。
その前に、最近物価が非常に上がる、特に
生鮮食料品の値段が上がってきますと、それが全部中央
卸売り市場の責任であるというようなことを新聞その他で見るのですが、この
生鮮食料品の年次別の値上がりそのものについては、中央
卸売り市場あるいは
卸売り市場には
関係ないと考えておるのであります。ただ
卸売り市場に
関係のあるのは、そのうちのいわゆる
供給、
卸売り市場に入荷する数量の増減が
価格の変動を起こす、いわゆる日々の変動というものが
卸売り市場の責任の分野になるので、最近の
生鮮食料品の
価格が値上がりしたということについての責任は、絶対に
卸売り市場においてはないのです。これはむしろ
生産なり、あるいは
供給方面の不安定からくるということをいってよろしいので、ほかのほうの施策でいかなくちゃならないと思うのであります。いま申しましたように、短期的の
価格の安定をはかろうとすれば、どうしてもいわゆる日別の
価格の安定をはからなければならない。今日中央
卸売り市場におきます
価格は、いろいろの事情もありまして、毎日の
変化というものが非常に激しいのであります。非常に
卸売り市場の
変化が激しいということが、ひいては
小売り価格に反映する。
小売り価格の値上がりの相当部分というものは
卸売り市場の変動にあるということをいってよろしいのじゃないかと私は思います。そのほかにもありましょうけれ
ども、私は、
卸売り市場の
価格の変動をある程度防ぎ得れば、
小売り価格の騰貴をある程度防止することができるものだと考えておるのであります。
そこで私考えてみたいのは、
先ほど大石参考人からのお話もありましたように、
卸売り市場の今日の状態というものは、もう現在には対応できないんじゃないかというような感じがするのであります。
先ほどもお話のありましたように、
卸売り市場は大正十二年にできまして、今日まですでに五十年になっております。その
卸売り市場をつくりましたときに、どうしても公正な
価格をつくるということから、公正な
価格にするためには、
需要と
供給とをはっきり反映するような
取引をしなければならぬ。そのためには競売という形、いわゆるせり売りの形でいかなければならぬというので、せり売りのかっこうになったわけであります。したがって、せり売りをするとなれば、
需要供給を一カ所に集めて、そこでほんとうの値段を形成させるというためには、単一の
卸売り人でなければならぬというので、単一
卸売り人になったわけです。しかもそれの業務
規定におきまして、いろいろの不公正なことをやらせないようにということで、たとえば
市場へ入った品物以外は一切の
取引相ならぬ、また
市場に入ってきたものは数が多かろうが少なかろうが、その日に全部売り尽くさなければならぬ、売り残しちゃいかぬ、そうして成立した
価格については、たとえその値段が安くても、そのせり落とした人に渡さなければいけない、売りどめしちゃいかぬというようないろいろの条件というものがついておったわけであります。これは要するに公正な
価格をつくるということから出てきたものだというので、私
どもは納得するのであります。ところが、戦終後、進駐軍の
関係もありまして、
卸売り市場の単一制というものが禁じられまして、複数になりました。複数になったということは、複数の
卸売り人に、お互いに集荷の競争をさせるべきだということで複数にした。しかし、いま申しましたような業務規程はそのままで今日まできておるわけであります。そうしますれば、従来の単数であればその
価格というものは公正にいきますけれ
ども、複数の人たちがお互いに集めてきて、それが多かろうが少なかろうが、自分の店にその品物を集めるといって、集めてきたものが多かったということで暴落するというようなことは一体いいのかどうか、私はその点について非常に疑問を持つのであります。最初にできましたのは、公正な
価格を形成するためにせり
取引をやらした。ところが複数になって、各所で同じ品物をせっておるということになりますれば、
価格というものはあっちこっち非常にごちゃごちゃになる、そういう形になっておって、しかも公正であるということははたしていえるのかどうか、いわゆる
卸売り人というのは、この場合におきましては公正な
価格をつくるための
卸売り人で、
生産者のためとか
消費者のためにいろいろの便利をはかるということは禁じられておるのです。禁じられておって、その
卸売り人がそこで
取引しておるということになると、文面にはありませんが、現在の
卸売り人というものは、中立の
立場に置かれておるということを言ってもよろしいのじゃないかと思うのです。せり原則であるためには、私に言わせますれば、
価格の騰落というものはいまのような事情で激しくなるのは当然である。要するに
供給方面が不安定である。現在
供給方面は、まとまってきてはおりますけれ
ども、毎日の
供給数量というものは不安定である、そこへまた集荷競争がある、どんどん集められるだけ集めてきたということになりますと、
価格の騰落のあるのは当然じゃないか。しかも、ほかの
取引ですと、大手筋の人たちが買おうとすれば幾ぶん割引するとか、手数料をまけるとかいうことができますが、せり
取引でありますと、どうしても大量に買おうとする人たちは、最も高い値段をつけなくちゃいかぬ。人よりも高い値段をつけなければ大手筋の人たちは買えない。これは普通の
取引とは矛盾するのじゃないか。これは要するにせり
取引の
関係からこうなるということで、この点についても何らかの考えというものが必要なんじゃないかと思うわけであります。
それと、もう
一つ私が申し上げたいのは、せり
取引であって、要するに相手方の
買い手がお互いに競争して値段をきめる、しかもそれに対して売り手側は何も発言する余地がない。これは一体いいのかどうか、売り手側は全然発言できないという形に置かれるということは、私はどうかというような気がするのであります。私は、実は、
市場というものは売り手と
買い手とがあって、その両者が
価格を形成する場所だというように考えておるわけであります。そういう場所だとしますれば、
買い手は、もちろん
仲買い人あるいは買参人ということになりますが、売り手である
卸売り人というのが、公正な
立場ということを、私はよく審判官といっておるのですが、ほんとうにせりというものが公正であるかどうかということだけに責任を負わされておって、
卸売り人そのものは売り手の側には現在ないというのが
現状ではないかと思うのです。私は、
卸売り人というのは当然売り手の側に立つべきものなので、
卸売り人が売り手であって、
仲買い人、買参人というものが
買い手であるというように考える必要があるのじゃないかと思うのです。要するに、売り手の側は何も発言する余地がないというような形に置かれておるということはおかしいのですが、しかし、実際業務規程その他をだんだん見てみますと、出荷者が
卸売り市場で
取引する場合には
卸売り人に委託しなければならぬという条項があるはずです。
卸売り人に委託するということは
卸売り人に対して自分の品物をどうでもいいから、安くてもいいから売ってくれというような委託をする人はないので、複数の
卸売り人のうちの一番自分が信用の置ける人を選んで、その人に委託するのが常例なんだと私は思うのです。その
卸売り人が開き直ったようなかっこうで、中立でございます、あなた方のためにサービスはできませんというような形になっておるせり
取引そのものについて私は少し疑問を持っておるわけです。委託しなければならぬ。その上にまた出荷者は
卸売り人に手数料まで払っておるわけです。出荷者が全部手数料を払っておるわけです。出荷者が委託をお願いして、そして手数料まで払って、しかもその人が出荷者の味方になることができないというのがいわゆる中立性の現在の
卸売り人だということを言ってよろしいのではないかと思うのです。
そこで私が申し上げたいのは、委託販売業者であり、手数料まで払っておる
卸売り人であれば、その
卸売り人の
方々は
生産者のサイドに立つべきものじゃないか、
生産者のサイドに立って
卸売り人が
市場で向かい、相手方の
買い手の
仲買い人と買参人というものは
消費者方面のサイドに立って、この二つの間の
価格の形成というものがなされるのが当然じゃないか。そういうことになりますれば、
卸売り人そのものはいわゆる
生産者の代理となって、自分の評価力を活用して、大体においてきょうはこの品物はこれぐらいに売れるべきだ、売るべきだというような自分の評価力を発揮して
仲買い人、買参人の
方々と立ち向かってお互いの間の話し合いをするのが
卸売り市場じゃないかと思うのです。そういう形に持っていくのが本来の姿ではないかと私は思うのです。そう持っていくためには、私は現在のせり
取引原則というのはせり
取引でなくちゃならぬというのをある程度——これは
運用ていけるはずだとは思いますが、緩和しまして相対
取引というものをあそこに入れるべきじゃないかというような気持ちがするのであります。相対
取引を入れるということは、結局
生産者の側の気持ちをくんで
取引に当たる。もちろん現在のせり
取引でも、もし値段に希望があれば底値を入れてよろしいということになっております。ところがせり
取引で底値を入れて底値まで到達しなかった場合には売りどめになる。売りどめになったあとの処置というものは全然もう不可能なんです。捨てるなりあるいは翌日回しにして値段を下げるよりしようがない。これはせり
取引の場合の底値を入れるのと相対
取引での希望値を出すということは、相対
取引では希望値は希望値だが、しかしその日の事情によってその希望どおりにいかない場合もある、それもやむを得ぬから事情によっては希望値を割り引きずるということもあるのですが、少なくとも希望というものを
市場に反映させるという行き方が相対
取引を入れることによってできるのであって、せり
取引ではその
生産者側の、出荷者側の反映というものはできないのじゃないか。そういう
意味では、この委託販売業者であるというたてまえをとっておるのと、手数料を
生産者が払っておるというたてまえから、
生産者サイドに
卸売り人があるのだということを
前提にするような行き方をする必要があるのではないか。つまり現在の中立性を持たせるという行き方を避けて、どこまでも
卸売り人は
生産者のサイドに立つものだということで
取引に参画するようにするのがほんとうじゃないかと思います。ある一部の人は、そうすることによってあるいは
価格が引き上げになりはしないか、
価格はいまより高くなりはしないかというような疑問を持つ
方々もあるのでありますが、私はそうは見ないのです。別に
卸売り人が自分で値段を想定して出してみても、相手方が買わなければ売るわけにいかない。相手方が買うような値段が話し合いの上できまるのであって、その場合に複数の
卸売り人がほんとうに活動しようとしますれば、自分の評価力を生かして、そうして相手方も——品物を買おうとする相手方のうちにやはり大手筋あるいはこまかい当座のその日その日の
取引に参画するような相手方もありますが、有力な相手方をつかまえておることによって自分の評価力を生かした行き方もできるのであって、私は
生産者サイドに立つということは値段を高くするということには通じないと考えるのです。やはり相手方が一番買いやすい、またそう無理な値段でないというその
卸売り人についてくる、ついてくることによって自分の委託を受けた品物も売れるということで、
卸売り人が
生産者サイドに立ったからといって値段をつり上げることにはなり得ない。むしろ
卸売り人としては出荷者もお得意さまであるし、また
買い手の仲買いさんあるいは
小売りさんもお得意さまなんだ、両方喜ばせるような行き方をしなければその
卸売り人というものは繁盛しないというのが当然じゃないかと思うのです。そうだとしますれば、私は
卸売り人自身が
生産者サイドに立ったからといって、これは
価格の引き上げにはならないというように確信を持っておるのであります。
そうなってきますると、結局複数の
卸売り人でありますから、数はどうであろうとそのうちで評価力のある、
取引のうまい
卸売り人が繁盛してくるので、だれでもかれでも機械的にせりをしてせりの値段がきまれば自分の手数料をもらえるというような形にはならない。そこでやはり優勝劣敗というものが出てくるだろうと思いますが、これは私はやむを得ぬのじゃないかというようなことに感ずるのであります。それでこそほんとうの
価格の安定もできる。つまり
価格の暴騰を避けて
消費者方面を安心させ、また暴落を避けて出荷者方面も安心させる。出荷者だって、暴落があれば暴騰を要求しますが、暴落がなければ暴騰を要求すべきものではないし、また要求させるべきでもないというような気がするのです。
そこで次にこういう問題が出てくるのです。相対
取引だと人の前で
価格がきまるのではない。
先ほど申しましたように、初めは需給
関係からくる公正な
価格でありましたが、現在では複数である以上は公正な
価格ではなくてあれは公開の
価格というように私は考える。大ぜいの前で値段をきめるから公開する、しかしその値段というものは需給を反映しているかと申しますと、必ずしも全体の需給を反映しておるというようには私は考えられないと思うのです。
そこで問題になりますのは、やみ
取引に通じやしないか、要するに相対で、二人だけでやるのであるからいいかげんな
取引をするのではないかというようなことで最初のうちは防戦されたのでありますが、今日におきましてもしやみ
取引あるいはいいかげんな
取引になるのを防止しようとすれば、防止する方法はあるはずです。たとえば今日やっておるかどうかわかりませんが、中央卸売
市場法ができましたときに、必ず
価格、数量、
品目をはっきりさせた複写伝票、仕切り伝票をつくって、一部は市に届け、一部は自分が持ち、一部はその
買い手に渡し、一部は出荷者に渡す、複写伝票でいくというようなことが初めにうたわれたことがあるのです。おそらく実行しているのだろうと思いますが、そういう方法をとっておけば、万一不正があったというような風評のあったときにはそれを調べてだんだん追及していけば、はたして不正があったかどうかということがはっきりするはずなんで、私は、相対
取引でも不正に通ずるということは、今日になりますともう問題にする必要がないのじゃないかというような気がするのであります。
私のいまここで申し上げましたのは、
先ほどの
大石参考人のお話とは少し違いますけれ
ども、相対
取引にすべきだというのは、相対
取引一色に塗りつぶすというんじゃなく、せり
取引、相対
取引でも、いずれでもよろしいじゃないか。これはやはり場の意向、あるいは委託販売ですから、委託した人たちの意向というものでこれをきめてよろしいんじゃないか。それでせり
取引でやってくれということになれば堂々とせり
取引でやればいいんで、私は相対
取引だけにせよというんじゃなくて、せり
取引、相対
取引いずれなりと、もうここまでくればせり
取引というものは公開の
取引であって公正な
取引でないということを
前提にすれば、私は相対
取引そのものを入れても決して障害がないんじゃないかという気がするのです。私はこう申しますのは、今度の卸売
市場法でもいろいろうたっておられますが、私の元来の言おうとするところは、
日本ではやはり中央卸売
市場法というものができて五十年もこれだけやってきて、相当固まってきて、あれが
中心になっておる。将来もやはり
卸売り市場というものが
中心で
日本の
生鮮食料品が動いていくべきじゃないか。そのときに、その
卸売り市場の
取引はせりだけでなくちゃならぬということのために
価格の騰落が激しいということから、ややともすると卸
市場を避けようという気持ちというものがそこに起きてくると思うのです。これはできるできないは将来の問題ですが、現に今日問題になっております産地直結というのはそこからきていると私は思う。要するに、中央
卸売り市場では幾らで買えるかわからぬ、きょうの値段は幾らかわからぬ、あしたの値段はどうなるかわからぬというような不安定なために、産地直結して平準な
価格で
取引したいということで産地直結にいく。私は、中央
卸売り市場がせり一本調子でなく、相対もやり得るんだということになれば、その問題の相当部分は解消するのじゃないか。解消するということは、将来もやはり中央
卸売り市場を
中心にした
取引が主体であって、それに産地直結とかいろいろのものが出てきましょうけれ
ども、それは付随したものであって、どこまでも中央
卸売り市場を
中心にしていくのが
日本の
生鮮食料品の
流通の行き方である、これが一番いいんだということからそういうことを申し上げるのでありまして、現在の中央
卸売り市場を否定するものではありません。むしろ現在の中央
卸売り市場というものの、この一年、二年これでいくというんでなく、永遠に中央
卸売り市場を
中心にしていくためには、中央
卸売り市場にもただぎすぎすしたせりだけということでなく、相対も入れることによって、いわゆる
価格の不安定なのをある程度安定化することができるというところに焦点を置いて、そうしてどこまでも中央
卸売り市場というものを育成していく必要があるんじゃないかということで私は申し上げるので、私は
卸売り市場の否定じゃありません、これは念のために申し上げておきますが。
卸売り市場を育成して、これが
中心で将来ともいけるためには、こういうある程度の永久性を持たせるということがどうしても必要なんじゃないか。それでなければ、私は直結の
方向にいくということもやむを得ぬというような、またそういう計画も出てくるのは当然だという感じはいたすのであります。
最後に一言申し上げておきますが、これは卸売
市場法と直接の
関係がありませんが、先般企画庁で
野菜価格の安定のための
委員会が開かれまして、先般、十月の六日でありましたが、この提案が出たわけですが、あのうちで私は
一つ問題になるのは、いま申しました、企画庁もある程度この
方向をにおわしておるようではありまするけれ
ども、この
方向に、
卸売り人を
生産者サイドに立たせることになれば、せり機関というものは別個につくらなければいかぬ、
卸売り人と別個につくらなければいかぬというような提案をしておられるわけです。私は
先ほど最初に申しましたように、最初の出発は公正な
価格をつくるということのためにせり
取引になった。ところが、中途から複数になって、公正というよりも公開、皆さんの見ている前で何円何十銭というように呼ばしてやるという、いわゆる公開の
取引の場になっておるというのが
現状なんです。それをことさら、これからあと
卸売り人が
生産者サイドに立つことになれば、
卸売り市場のせり機構というものを別に持たなければならぬ、独立したせり機構を持つ必要があるということを申されますが、私はこれには少し疑問を持つのです。いま申しましたように、公開ということ以上にない現在のせり
取引に対して、ことさらに別個の
団体をつくる必要があるのかどうかということの疑問と、それからもう
一つは、今回相対——私のいま主張するのは、相対
取引を入れるべきだ、また相対
取引も
政府もある程度入れようとしておられるときに相対
取引が入るということになれば、せり
取引そのものはいわゆる需給、その
市場の
需要と
供給を反映した
価格にはなるはずはないのです。一方に相対
取引がありますから、その数の割合はどうであろうかわかりませんが。ほんとうにせり
取引を公正なものにするとなれば
需要と
供給とを一堂に集めて、そうしてそこで競争し合って
価格を成立させるのが必要だ。しかも今度は相対
取引も認めるということになったときに、ことさらに一体せり機構というものを別個につくる必要があるのかどうかということについて、私はあまり理想に走るような気がして疑問を持つのであります。
いま
一つ、あの提言の中にありますのは、まず機構を別に持つべきだが、そこへいくまでの間に時間がかかるとなれば、共同せり機構を持つべきだというようなことをいっておられるわけです。いわゆる複数の
卸売り人のところに来た品物を全部共同してせりをやる。これも先般の三十八年のときにも私は反対したのでありますが、これはおかしいと思うのです。集荷競争をさして、私のところは一番せり人がうまいんですよ、私のところは一番うまく売ってあげまよと言ってとってきたものを、全部共同せりにかけて、ある一人の人がせりをやるということになれば、一体複数の集荷競争との間に矛盾するのじゃないか。複数の集荷競争の場合には、私のところが一番いいから私のところにお出しなさいといりて出してきたのが、全部同じせりにかかるということになれば、これはおかしいので、そんなことはできるはずもないし、また各
卸売り人が賛成することもないというので、三十八年の
委員会のときに私は最後まで一人だけ反対してかかったのですが、私はそれは間違っておったとはいまでも思いません。というのは
先ほども
大石参考人から申されましたように、
生鮮食料品流通改善対策要綱というのが三十八年の七月の九日に、これは閣議決定されました。閣議決定して、そうしてそれを出されて、すぐ実施するということで出されましたが、そのうちにいろいろありますが、これに関連するのは、いわゆる上場する単位を、いま非常にこまかいから、これを引き上げよ、単位を大きくすべきだということ、それからいまのせり売りを共同化するということ、それから大口
需要者を売買に参加させる、この三つを出しましたが、あの当時、三十八年の十月の一日までに実施するということになったのがいまでも実施されておらぬ。しかも今度の企画庁の提案にはこれがまた載ってきておる。私はちょうど最後におりませんで、事務当局には申し上げておいたのですが、これはそのまま載っておるのです。こういうことがあって、私は共同せりということについても反対でありますし、また、いま申しましたようなせり機構を別個につくるということについても、私はいまここまできてそんな必要があるのかということを考えておりますので、卸売
市場法の御審議にあたりまして、おそらく企画庁の
関係の問題もある程度参考になるかと思いますが、その点を申し上げて私の
参考人としての
意見といたします。(拍手)