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野村参考人 現行の
公害対策基本法は、
昭和四十二年に制定せられましたが、その後わずかに三年ばかりでもって、早くも
改正の必要に迫られました。これは、本来
基本法といものは、私は、やたらと短期間のうちに
改正をするような、そういう
性質のものでないようにしていただきたい、こういうふうに考えております。その
意味におきましては、やはり今回
基本法の
改正をいたしましたならば、十分に将来を見通した
改正をしていただきたい、これがまず第一に申し上げておきたいことであります。
なぜかと申しますと、
昭和四十二年の当時におきましても、すでに国際的には
ロンドンスモッグの問題や、それからロサンゼルスの
スモッグの問題、こういうようなものが起こっておりますし、
外国におきましても、すでに
光化学スモッグについての
研究さえも、もはやできておった時代でございます。それからまた、
日本におきましては、もう
四日市ぜんそくの問題や水俣病はもとより、そういうような種類の問題がたくさん頻発をしてきかかっていた
情勢でございます。しかも、そのときにおいて、
経済の
成長というものを考えるならば、必然的に
公害の発生すべきことは予知しなければならなかったのではないか。こういう
意味におきまして、今回の
改正にあたっての
基本的姿勢というものは、やはり将来の
国民、それから
人類の幸福と健康というものを、根本的に守るような
姿勢で立ち向かっていただきたいというふうに考えております。もとより、
佐藤総理などの申しておりますことを伺いましても、
基本的にはそういう
姿勢であるというお話でありますから、どうぞそういう点において、私は十分に御
審議の上御
検討をお願いしたい、こういうふうに存ずる次第でございます。
このような
観点に立ちまして、
政府提案とそれから
環境保全基本法案について、若干の
意見を述べさせていただきたいと思います。
政府案は、どちらかというと健康、
生命という
現実的な問題から出発して、そしてもって自然の
環境の
保全というような、そういう
方向へ向かっております。
ところが、
環境保全基本法案のほうは、現在及び将来の良好な
環境をつくることの中でもって、この
生命、健康という
現実的な問題を
処理しよう、こういうような
姿勢になっておるかと思います。その
意味におきましては、幅の広さ、それから視野の高さ、こういう点においてはややこの
環境保全基本法案のほうが、
基本的姿勢においては私はすぐれておるものではないだろうか、こういうふうに考えております。もちろん
生態系の
循環の問題、
調和の問題、それから今日、
成層圏汚染とかいうような問題が出ておりますが、これは、
専門家であります
和達さんや
宮脇さんもおいでになっていらっしゃることでありますので、そういう問題については、とくと両先生に御
意見を伺っていただけばよろしいのではないかと思うのです。
問題は、
理念や目的、これはもちろん大切でございます。しかし、この
基本法案というものが成立したときに、それに基づいてできますところの個別的な
立法が、どんなにその
実効性を確保する
立法になり得るか、この点が第一点として問題でございます。
さらに、そういうような
立法ができても、それを運用する
行政上に適切な
措置がとられているのかどうかということと、その裏づけとなるところの財政的な
措置、並びにこれを運用いたしますところの人材の養成、こういったような
観点というものをどうするかということを、やはり
基本的に考えていただかなければならないものだといふううに私は考えております。こういう点におきましては、どちらかというと、この
現行の
基本法の
改正案のほうでは、そういう
問題点は特に強く触れておりません。しかし、
環境保全基本法案のほうにはその点が入っております。しかし、この
環境保全基本法案にしても、
政府案にしても、
——もちろんこれは一般的には前進をしておることは私は承認をいたします。しかしながら、
一つ問題になりますところは、国の
環境基準等の
設定を中心としております。しかし、御承知のとおり、今日人の健康や
生命に影響を及ぼすところの
公害と称する現象は、これは広域的な
環境の問題であると同時に、地域的に非常に差がある、こういう問題がございます。
そこで、その地域的な性格という点に目をつけて、
地方自治体に対する
権限を、単なる
委任事務の形にするのか、それとも、
法令によって幅広い
権限を与えて、
現実に、また急速に、この
緊急事態、
状態に対応するようにし得るか、この点については、ほんとうにまじめにお考え願いたい。
全体としまして、
要綱の
段階で私が拝見したところによりますと、かなり
地方自治体の
権限の拡大、あるいは
権限を与えるという点について考えておられたようです。しかし、
法案になりました
段階になりますと、その点が弱くなった。この点は、
和達さんもえんきょくに御指摘になったように思いますけれども、私もそのような気がいたすのであります。
たとえば、
大気汚染防止法改正案にしましても、
水質汚濁防止法の
改正案などを見ましても、この点はおわかりになられることと存じます。
地方自治法十四条がございますので、その
法令というものの中で幅広い
権限と、それから裁量の余地を
地方自治体のほうに残していただく、こういうふうにしなければ、
実効があがらないのではないか、こういうような気がするのであります。
現実にこういう問題を考えます場合に、
一つの例でありますけれども、実際には、今日
地方自治体は、国で定めました
基準よりもきびしいものを実行しております。その実行をしているにもかかわらず、なおかつ
公害病認定患者が出ておる。このことをやはり考えていただかなければならないのではないかということでございます。特に、
基準の
設定そのもの、政令で
基準を
設定する場合について、私は強く考えていただかなければならないことではないだろうかというふうに考えて、その点を、各
個別法案については、特にこの
委員会でお取り扱いになる部分は少ないのかもしれませんけれども、どうぞお考えいただきたいというのが私の考え方でございます。
それから、
環境保全基本法案の中には、企業の無
過失責任を取り入れているという考え方が出ております。無過失の損害賠償責任ということは、今日の新聞を見ますと、最高裁あたりでも、すでに無過失損害賠償の責任問題、こういうものは考える必要があるだろうし、それから因果
関係の証明についても、それを転換するという考え方、挙証責任の転換という考え方が必要だということを述べておられるように私は新聞で拝見いたしました。私たちも、この点はたいへん重大な問題だと考えます。しかし、損害の賠償というのは、出てしまった損害に対する償いの
意味でございます。
生命や健康をそこなわれて、それから幾ら償われても、もとの
人間のからだには回復いたしません。そこで必要なことは、損害の発生をあらかじめ防止し、あるいは予防するということが必要だと思うのです。これを実は各
法案においては、
行政的な
措置でもっておやりになる、しかも、国の
行政的
基準でもっておやりになる、こういうふうにいわれております。だから私は、単に国だけではなくて、
地方自治体が、その状況に応じてきびしい
基準を設ける、あるいはときとしては操業の一時的停止等もやってもらう、こういうようなことをしないと、この損害の発生は防げない、こういうように思うのであります。
ただ、従来の例によりますと、
行政官庁においては、人員不足という問題もございます。それから財政的な裏づけという問題もあります。そういうことのために、実際には
実効を必ずしもあげていない面がこれはあります。
たとえば、ついこの間新聞に出ておりました、労働省の労働
基準監督官を動員しまして、全国の安全衛生施設の点検をいたした結果が出ておりますけれども、
大気汚染については、大体七〇%をこえるものが施設をしておられなかった。シアンなどのようなきわめて激烈な有毒物の放出を、そのままやっているものも一七%もあった、こういうようなことが出てまいりました。これは総力をあげて点検したら出てきたということであります。通常事務におきましては、なかなかそういうことはできないのです。たとえば、現在の労働
基準監督官の数が二千八百ぐらいだと私は想像をいたしますけれども、それでもって全事業場を対象として考えた場合、二十年に一回実際においては回れるということでございます。もちろん数は十年に一回回れることになるのだという計算でありますけれども、課長さんも二人おりますし、署長さんもおります。そういう方々を除いてしまって、
現実に動き得る人という点から考えると、二十年に一ぺんぐらいになってしまう。こういうような
状態でございますから、
公害について
行政的な
措置を国がやる、そのために国が
公害監督、監視のための人員をつくる、こういうようなことをやりましても、おそらくはこの十分なる点検ということはむずかしいのではないか。また
地方自治体にそれを全部まかせますと、そこにはまた予算的な問題も出てくるだろうと思うのです。
地方自治体に委任をする場合には、十分に予算的
措置をつける、
地方自治体がみずからやるものについては、これを国が援助する。そういうふうに
権限に対する財政的な裏打ちを行なうということが、やはり
公害を絶滅していくためには必要な
問題点ではないかと思うのです。
その上にさらに必要なことは、
行政官庁がやることに待つだけではなくて、
国民の一人一人、住民の一人一人、あるいは住民の団体なりがこういうことをとめること、あるいは賠償の請求はもちろんできますけれども
——賠償の請求は裁判所に出せばできます。ただ、その道を容易にするのは、先ほど申し上げた無過失と因果
関係の立証の転換ということでございますが、あらかじめこれを防止し予防するというような請求権については、実は今日、財産について、ことに物権については、物権的請求権というものが
法律上あるわけです。しかし人格権、
人間の
生命、健康というものに対しては、実は損害賠償ぐらいであって、
現行法においてはわずかに名誉棄損について謝罪広告の請求ができるということが法文上出ているぐらいなんです。こういう点は、私はぜひ請求権の問題として、やはり
国民にそういうような権利を裁判所に遡求し、すみやかにこの仮処分のような手続でもって一時とめる、こういうようなことまでできないものであるかどうか。現に、
外国においてはそういう
立法例をつくっております。
私は、先日も
国会に参りまして、各党を御訪問いたしました。その際ぜひ考えていただきたいと言ったことは、たとえば本年の十月一日、アメリカのミシガン州におきましては、何人といえども巡回裁判所に対して衡平法上の救済、
——衡平法上の救済というのは、たとえば禁止命令を出してもらう、こういったような
措置ができることになっている。しかも因果
関係は転換して、そして相手方が
公害を出しておらないということを立証することができないならば、直ちにとめる、こういったような
法律をつくっておるわけです。こういうような
法律は、その後も幾つかの州でつくられようとしております。それからまたこれについては、連邦法も考えるというふうに伝えられております。こういうような、もう国際的
傾向というものが生まれてまいりました。また、
公害罪法につきましては、本日の新聞で、ハンブルグの船会社の社長が、廃油を捨てたことから、八カ月の懲役刑に処せられたということが新聞に伝えられております。そういうようなことを考えまして、どうぞ御
検討願いたいものだと思うのです。
私は、少し強く企業の責任のことについて述べ過ぎたように思います。しかし、すでに大企業の中では、
——私は、この間学術
会議におきまして、
公害シンポジウムを行ないました。そのときに、企業の中の
研究所の方たちなども大ぜい出ておられました。私の聞いたところでは、ある大企業におきましては、すでに脱硫装置を開発して、それについて
外国にも売っておる。それによって数十億の利益をもうあげておる、こういったような事態が出ております。また、ある製紙会社の大工場は、
外国の特許を得て、それによって現在問題になっております富士市の会社にこれを売っておる、こういったような事実もあるわけです。したがって私は、企業一般ではなくて、大企業の技術首脳というものは、もうそういうことを知っておられるわけなんです。排出
基準をきびしくするならば、きびしいような技術の開発をやっていくんですね。そういう人たちの申しますことにつきましては、排出
基準などはやたらに変わってもらうことは困るんだ。実はきびしいなら初めからきびしくしてほしい。そこで、ことし設備をしたものが、来年変えなければならぬというようなことにならないように、きびしい
基準というものを最初から立ててもらいたい。そうでないとむだな金を使うことになるんだ。こういうような言い方をしておりました。そのことは今日の技術から見るなら、私
自然科学者じゃありませんから、必ずしもあらゆるものについての防止の技術というものが、どれほど進んでおるかという点については、明確にはいたしておりません。ただ一部におきましては、すでにそういうような
基準以上の装置をして、来年変えられても差しつかえないようにしているというのが現状だといっております。そういう点を考えると、つまり排出
基準、
水質汚濁につきましても、それから
大気汚染につきましても、
土壌汚染につきましても、そういうものの
基準というものは、最もきびしいところに定めるという考え方をぜひお示しいただきたい。これはすでに
国民の
生活を、
経済の発展というよりも優先しなければならぬ
段階に来たということを、総理もお認めになって、そしてこういう
法案の
改正に進んだわけでありますから、ぜひそのような
措置をとられることを希望いたしておきます。
そして、そういうような
公害防止事業費の費用の点についてでありますけれども、企業負担としていくということにつきましては、これは可能である企業というのはずいぶんあります。なぜかというと、今日
公害発生源企業の中で、配当一割以上というのはたくさんあるんです。こういう点を考えたり、あるいはいわゆる交際費だとかないしは、そういっては当たりさわりありますけれども、政治資金、献金なんというものをある
程度規制することによっても、私は、十分に
公害防止、
人間の命を守ることにさき得る余地があるのではないかというふうに考えております。
ところが、今日の企業の全体の構造を見ますと、やはり下請的な仕事をやっておるもの、ことに中小企業におきましては、系列化されたり下請化されたりしている企業というものが圧倒的に多いわけです。そういう点からいきますと、下請価格が押えられると、どうしても設備投資というものに手が抜かれる。このことがやはり問題であると思うのです。そこで、中小企業につきましては、とくと
配慮をする必要があるんじゃないだろうか。これをどの
程度にするかという点は、十分に御
検討願いたい、こういうふうに私は考えております。
それから、やはり
基本的なこういう考え方に立ちまして、
人類の生存の将来の問題でありますけれども、やはり今度の
基本法案の中で、
環境保全ということが少し弱過ぎるように思う
関係か、あるいは
大気汚染や
水質汚濁や
土壌汚染ということを防ぐことによって、結果的に自然を守るという考え方になっているのかもしれませんけれども、自然公園法の
改正などを見ましても、やはり一部にしかすぎない。単に湖沼や河川だけがよごれているのではなくて、森林そのものがだんだんにまいっていっている。たとえば、富士スバルラインの問題にしましても、これは観光開発会社がどんどん開発していきます。なるほど景色のいいところに連れていっていただけます。しかし、私は、数年たって同じところへまいりますと、全く様相を異にしてしまっている、こういうような事態にぶつかっているのです。そういうような点につきましても、やはり
環境保全ということについて、もう少し力を入れ、そしてその中から良好な
環境づくりという、そういうことによって
人間の
生命を守る、こういうように徹していただきたいと思う。
とにかく考え方にしましては、
政府にしましても、財界の圧力などは全然受けていないんだ、そして憲法二十五条の
精神に沿った、
生命と健康を守り幸福を守る、こういう方針でスタートするんだ、こういうような所信を披瀝されておられるわけです。野党のほうにおきましても、こういう問題につきましては、やはり一致して立ち向かおうという
姿勢を持っておるわけだ。そういう考え方をお互いに持つならば、
人間の
生命のため、健康のために、次代の
人類のためにも、私は十分にお話し合いをして、満足のいくような
法案をつくって、将来に悔いを残さないような、そういう行き方というものができるのではないか、こういったような考え方の上でもって、これはぜひお話し合いの上、
審議を尽くされて、そして、前向きな形でもって問題を解決することが必要ではないかと思うのです。一人の
生命は全地球よりも重いということは、私はたいへん大事なことだと思うのです。たとえばぜんそくに悩む子供が、あの赤白だんだらの煙突にふたをしてくれとおかあさんに言いながら、そして死んでいったということが最近伝えられた。こういうような悔いを残さないことが、私は、やはり私どもがお選び申し上げたこの
国会の皆さん方が、ほんとうに真剣に取り組んでいただくべき問題ではないだろうかというふうに考えております。したがって、私はそれだけ申し上げて、これで私のなには終わりたいと思いますが、最後に一言申し上げておきたいのです。
けさ参りますおりに新聞を見ました。そしてこちらへ来て、公述人の四人の方と話して、もう
政府はこの
法案は
改正をしない、あるいは原案のまま通すということを決定したと伝えられる。決定したのになぜわれわれは来なければならないのかという、そういう考え方を持った。これは、もちろん
国会は
立法府でありますし、行
政府とは違うのであります。したがって、議員の皆さん方が修正しようと思えば修正の余地があるわけです。ただ、形式的な
意味でもって、私たちが時間をさいて、五百人の学生を学校に待たせておいて来なければならない理由は、もしそれがほんとうだとするならばないのではないか、私はそういうふうに考えたのでございます。これは、私ども四人の共通した考え方でございますので、どうぞおくみ取りいただきたい。
委員長から、先ほど、わざわざおいでくだすってありがとうございますという私たちに謝礼のことばをいただきました。ほんとうにありがたいと思うのですが、どうぞ、公述というものは、実はほんとうに
専門家なりあるいは
国民なりの声を、少しでも
法案の中にくみ取るという姿であるのだとするならば、その来る前にもう修正しないなどということが新聞に出されるような、そういうことはひとつ考えていただきたいものだと私は心からお願い申し上げます。(拍手)