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公述人(
地主重美君) 本日、私は
社会保障の
あり方を考える場合に、問題となると思われるような点について、およそ五点ばかり指摘いたしまして、そういう観点から今度の四十五
年度予算、特にその中の
社会保障関係費について
意見を述べさせていただきたいと思います。
社会保障制度といいますのは、われわれを取り巻いておりますもろもろの
生活不安なり、
リスクといった
ものをできるだけ縮減する、少なくする。もし、この
リスクが発生したときには少なくとも
最低限生活水準を割ることはないように、全
国民に対してナショナル・ミニマムを保障する。そういう
社会の仕組みであろうと考えているわけであります。ところが、ここで
社会保障制度が対象にいたします
生活不安とか
リスクといった
ものは、決して固定した
ものではないはずでございます。
時代とともに形を変え、姿を変え、また、
性格をすら変えておるわけであります。ことにわが国のように、
社会変動が非常に激しい、
経済成長が非常に著しいようなそういう
社会においては、こういう
生活不安とか
リスクといった
ものが非常に大きく姿を変えておるということをわれわれは指摘しなければならないと思うわけであります。この
リスクとか
生活不安が、もしこのように大きく変動する
ものであるといたしますならば、
社会保障といった
ものもそれに対応するように姿を変えていかなければならないはずであります。たとえば、貧困問題が
一つの例でありましょう。従来、われわれの二十年代に経験した絶対
的貧困、その絶対
的貧困の
時代における貧困と、
高度経済成長のもとにおける相対
的貧困とは同じ貧困といっても、その
性格が非常に違っておるということを考えざるを得ないわけであります。したがって、この
社会保障、そういった貧困問題に対応すべき
社会保障といった
ものも、その機能や仕組という
ものも、それに伴って大きく変わらなければならない。この点がわれわれ考えなければならない大前提であろうかと思うわけであります。ところがこの日本の
社会保障——日本だけではないと思います。海外の
社会保障についてもやや同じような点が指摘されると思いますけれども、日本の
社会保障を考えます場合に、実はこの大前提についていろいろ問題がある、こういうふうに考えるわけです。
そこで第一の点はこういうことであります。それはつまり
リスクや
生活不安の形態なり、
性格なり、機能なりが変わっておりますのに、それに対応すべき
社会保障の
制度その
ものが非常に硬直化しておるということです。端的にいいますと、二十年代に妥当したであろう
制度が、現在でもそのまま生き続けておる、そのために
社会保障が本来目的にするような保障の実効のある効果が期待できなくなっておると、こういう点が第一に指摘されると思います。で、一、二それについて例をあげて申し上げたいと思います。
生活保護を
一つ問題にいたします。現在、日本の
生活保護におきましては、いろいろ
原因の違った貧困者を、いろいろ違った
原因で貧困階層におちいった人々を
一つの
生活保護という受け皿に受けております。どうもこの
生活保護の
基準を決定する場合には、
一般に
勤労者出帯の平均的な消費水準の、たとえば、五〇%であるとか、あるいは五〇何%であるとか、こういうふうに、
かなり大幅な格差をおいてきめているわけであります。この考え方の背後にありますのは、どういうことかというと、こういうことではないかと思います。
それは保護
基準をあまり上げ過ぎますと、それが受給している人たちの勤労意欲に非常に影響を与える。ですから、これは非常に好ましくない。つまり、高い保護、
生活保護に甘んじて、あえてこれから脱出して勤労の機会を求めようとしなくなる、こういう考え方であろうと思います。この
生活保護
世帯の大部分が労働能力を持っているような、そういう事態においては確かにこういった考え方もある
程度妥当性はあったかと思います。ところが最近の厚生省の統計なんかを見てもわかりますように、現在の
生活保護
世帯の大部分は労働能力のない
世帯であります。特に老人
世帯が非常に多いわけであります。そういたしますと、もはやこの勤労意欲を問題にして保護
基準をきめるという、そういう考え方その
ものが
現実に合わない、そういう事態になっているというふうに考えるわけであります。さらに
生活保護の受給者が、いま申し上げましたように、老人でありますとか、あるいは母子
世帯でありますとか、あるいはまた心身障害者でありますとか、そういうふうな労働能力を持たないか、あるいは労働能力を発揮する機会が非常に限定されているような、そういう階層であるようになってまいりますと、そういう人たちの福祉を向上させる道は、決していわゆる現行の
生活保護費を引き上げるという
やり方ではないと思うわけです。で、これをやるためには、やはり老人に対しては老人福祉のサービスを提供する、母子
世帯に対しては母子福祉のサービスを提供する、こういう形ではじめてこういう人たちのほんとうの福祉の向上に役立つことができると思う。単に
生活保護費を引き上げるということだけでは問題は解決しないし、また、それだけではいわゆる
生活保護費その
ものも伸ばすことはできないわけでございます。まあ、こういうふうに考えてみますと、現在の
生活保護
制度といいます
ものは、どうも古い
時代の、
昭和二十年代の、そういう
現実には妥当したけれども、現在の事態にはあまり機能しないし、
生活保護が本来の目的としております目的にも十分こたえることができない、そういう事態になっているのではないか、こういうふうに思うのです。これがまさに
制度の硬直化、
社会保障制度の硬直化ということでございます。
また、失業保険なんかもよい例だと思います。失業保険というのは、非自発的失業、労働能力がありますのに労働するチャンスがない、こういう人たちを対象にした
制度でございます。でありますから、非自発的失業が失業者の圧倒的多数である場合には、この
制度がうまく運用されたわけであります。けれども、現在の失業というのは、それと
かなり性格が違っております。そういう失業ももちろんあるにはありましょうけれども、しかし、現在の労働不足経済のもとでは、そういうタイプの失業というのは非常に少なくなっている。現在、日本の失業というのは、いわば産業構造が急速に高度化する、急速に変動する、あるいは技術革新が非常に激しい、こういうことに伴う失業、いわば摩擦的な失業でありますとか、あるいはまた構造的な失業であります。こういった失業者を失業保険で救済することが適切かどうか、この点が実は問題であります。こういう失業者を救済する方法は、実は、失業保険というよりは、むしろ、産業
政策でありますとか、職業再訓練でありますとか、そういう
ものであるべきであろうと思います。ですから、失業保険その
ものをここで廃止するというのではありませんけれども、失業保険
制度その
ものにこういった
制度をいわばリンクさせる、こういうことが非常に重要である。労働の再配置という見地からそういうふうな
政策をとらなければならない。こういうことでございます。その他、現在の
制度は、ほとんど大部分がそういう
現実その
ものが非常に変わっておりますのに、
制度その
ものが非常に硬直化している、こういうことをわれわれは認識いたすわけであります。
第二の点は、こういうことであります。まあ、従来われわれが
社会保障の規模を考えます場合に、
国民所得に対して
社会保障の規模がどれだけであるか、五%でありますとか、六%でありますとかいうことが言われています。西欧諸国は二〇%
——ドイツなんか二〇%になっている、非常に格差が大きい、こういうことを言うわけです。これは確かにそのとおりであって、これを否定するつもりは毛頭ございませんですけれども、しかし、
社会保障が目的としております
生活不安とか
リスクをなくすのに、いわゆる経常的な
社会保障費を増加するというだけでその目的を達成できるかというと、この点は非常に疑問であります。われわれが
生活水準という
ものを考えます場合に、単に一人当たりの
国民所得の水準だけで考えることは非常に非
現実的である。住宅も貧しい、住宅環境施設も貧しいような
状態で所得水準が上がっても、これは
生活水準の
上昇だということは言えないわけです。未来学者は、一人当たりの
国民所得水準がアメリカ並みになるということを、即
生活水準のアメリカ並みというような即断をしがちでありますけれども、この点は非常に問題でございます。と同じことが
社会保障についても言えることであって、単に経常的な
社会保障費を増加させるというだけでは、これだけでは
社会保障の目的を達成することはできない。むしろ、
社会保障関係の施設の整備、施設の充実、これをストックとかりに名づけますならば、このストックを充足するということは、経常的な
社会保障費の増大と並んで、あるいはそれ以上に将来はますますそういう重要性が大きくなる。いま
生活保護の問題で申し上げましたように、老人問題が非常に大きな問題になるということになりますと、老人ホームでありますとか、そういう関連の福祉施設がどうしても必要になります。こういうようなことがありますので、単なる経常的な
社会保障費の増大だけでは福祉的な目的を達成することはできない。どうしても施設の整備、施設の拡大、充実ということが必要だということが第二の点でございます。
第三の点は、これをかりに「物から人へ」と呼んでおきましょうか。これはつまり、われわれが家計の消費の内容を見ましても、次第に、サービス、特に人的なサービス、個人的なサービスに対する
需要が非常に大きくなっています。これは当然のことで、
生活水準が高まってきますと、そういう
ものに対する
需要の
ウエートが高まってくるわけでございます。実は
社会保障についても全く同様だと思います。老人問題が非常に大きくなってくるということになりますと、やっぱり、老人をケアする、そういう要員がどうしても必要であります。その他、心身障害者の問題、あるいはまた母子
世帯の問題、これ、すべて個人的なサービス、こういった階層をケアするような、そういう人たちのサービスに対する
需要が非常に高まっていくはずであります。そういう
ものを考えないで、ただ
社会保障費を上げるとか、あるいはまた施設だけをふやすということでは本来の目的を達成することはできないわけであります。ところが、人をふやす、要員をふやすということは非常にたいへんなことでございます。これには非常な長期の時間がかかる、養成に非常に時間がかかるということとともに、この
社会保障の部門というのは、
一般の民間の部門と違って、非常にじみな部門であります。こういう部門に若い有能な人たちを導入する、誘い込むということは、これは非常にたいへんなことであります。しかし、これをやらないことには、将来の
社会保障のほんとうの水準を上げるということにはならないわけであります。この点はこれからぜひ考えていかなければならないと思います。
それから第四番目。これは、ただいま
生活保護の問題で触れましたけれども、現在の
生活保護をいわば機能分化させて、一方、サービスに回せる
ものはできるだけサービスに回す。ですから、
生活保護という
ものは、いわば純然たる所得保障になる、所得保障として純化されるわけです。所得保障として純化されるわけでありますが、この所得保障というのは、言ってみれば逆な所得税、マイナスの
税金だというふうに考えることもできるわけです。
税金というのは、われわれが徴収されるわけですけれども、しかし、こういう階層に対して給付を与えるということは一種のマイナスの
税金だ、こういうふうに考えることもできるわけです。ところで、納税をしているようなある一定所得以上の階層に対しては、減税でありますとか、いろんな優遇措置が講ぜられております。ところが、そういう
ものと一緒に、じゃ低い階層に対する優遇がなされているかというと、必ずしもそう言えない。これは明らかに所得の再分配という点からすると、非常に問題であります。一方のほうでは非常に優遇しているのに、下のほうでは、それに相当するような
ものをやっていない。あるいはまた、それと同時にやっていない。そこで、ここでそういうマイナスの
税金、つまり、いま言った給付をさすわけですが、マイナスの
税金と、いわゆるプラスの
税金——われわれが納めているプラスの
税金、これを一元化する、税制として一元化する、こういう方法を考える。つまり、
生活保護といった
ものを所得保障として純化すると、そういうことが可能なはずであります。そういう一元化することによって、いろいろ分配にまつわる不公平という
ものが除去できるのではないか。よく言われておるように、逆所得税という
ものをひとつここに導入してみたらどうだろうか。これもやっぱり真剣にこれから考えてみる必要がある問題であろう、こういうふうに思います。
それから最後、第五の点でありますが、こういう施設の整備でありますとか、要員の養成、これは非常に時間がかかります。時間がかかりますということは、これをやろうとすると長期の計画が必要だ、こういうことであります。ただ、しかし、施設の整備、要員の養成だけを単独に計画するということでは効果がないわけであって、このことは、つまり、
社会保障全体としての長期計画が必要だということを示唆しているわけであります。
社会保障に関する長期計画をどうしても策定しなければならない、こういう要求が当然ここから出てくるはずであります。つまり、
社会の大きな変動、
経済成長の中では、どうしても長期計画なしには
社会保障の実効ある
制度の運用ができない、こういうことを申し上げたいわけでございます。
こういうような視点から、今
年度の
予算をながめてみたいわけでございます。いま申し上げた事柄は非常に長期の問題でございますので、これを単
年度の短期の
予算にそのまま当てはめて批判するということになりますと、これはいろいろ見当違いの批判にもなりかねないわけでありますが、しかしながら、
一つの方向づけという
ものはあるはずであります。つまり、そういう長期の計画なり、長期の目標なりがはっきりしておりますと、それはおのずから
予算の面においても反映されてしかるべきはずであります。そういうような視点から、今
年度の
社会保障関係費をながめてみたいわけでございます。
御案内のように、今
年度の
社会保障関係費は一兆円の大台をこえる、これはたいへんな増加でございます。
政府予算の対前
年度増加率、これは一七・九%になっておりますが、これを上回って、二二%
もの大きな伸びをしているわけでございます。ところが、この内容を見ますと、いろいろと問題があるわけであります。全体の五四%近くが、これが医療費に食われております。厚生
行政は医療
行政だと、よく悪口を言われますけれども、まさに、この
予算を見ますと、そういう感じがするわけであります。しかも、
社会保障関係費に占める医療費の割合は、年々わずかながら
上昇しております。といいますのは、ほかの厚生
行政に振り向けられる、ほかの
社会保障に振り向けられる
予算の割合がだんだん減っているということです。ましてや、新規の
政策に向けられる費用という
ものはなかなかひねり出せない、こういうことになってしまうわけであります。この点は、現在の医療問題を根本的に考え直さないことには、どうにもならないことでございまして、すでに
国民一般の世論もそういうことを要求しているわけです。そのためには、単に医療保険を手直しするというだけではなくて、やはり医療
制度全体を根本的に考えるということが必要であります。これは別に
金額が大きいからよいとか悪いとかという
ものではありません。そういったことをやって、なおかつ、これだけの費用がかかるかもしれません。かもしれませんけれども、しかし、医療にこれだけの金が食われて、ほんとうに
国民のための医療になっているかどうかということは、やっぱりそういう見地から検討し直す必要があろう。そのためには医療
制度を考えなければならない。医療保険だけで終わってはならない。医療
制度その
ものが実は問題だ。こういうことを申し上げたいわけであります。まあこの点はここで深入りいたす余裕もございませんので、次に進ましてもらいます。
第一に、先ほど申し上げた長期計画という観点から、今
年度の
予算はどうなっているかということを考えてみます。
社会保障の長期計画については、いまの経済
社会発展計画の中で強くその実施を迫っております。それから現在策定中の新経済
社会発展計画でも、とにかくこの
社会保障の長期計画を出せということを強く要求しているわけです。また、この計画自身の中にも、非常に大まかでありますけれども、ある種の計画、ある種の長期的なビジョンという
ものが載っておるわけであります。ところが、御承知のように、現在の経済
社会発展計画は、発足わずか二カ年くらいで、
現実と計画との間に、実績と計画との間に大きな乖離が生じた。この乖離が生じた
原因は何かと申しますと、これは、私の
意見では、計画どおりに実効性ある
政策手段をとらなかったからだ、こういうふうに考えます。つまり、あそこの計画の中でこれだけのことをやりなさいということをうたっておりますのに、その
政策をとらなかった。これが
一つには乖離をもたらした大きな
原因であろうと思います。こういう
政策がとられなかった。つまり、計画に
予算的裏づけがなかったということ。このために、計画が絵にかいたもちに終わってしまった、こういうことではないかと思われるわけであります。そういう観点からこの
予算を見ましても、どうもそういう長期的な計画を持っておって立てられた
予算であるというふうには、どうも見受けられないわけでございます。これが第一。
第二は、先ほど言ったストック、つまり物的な施設の整備でございます。この施設につきましては、
生活環境や衛生対策のほうで施設の整備が
かなり大幅になされております。これはやはり
政府が真剣にこの問題を考えているという
一つの徴候であろうとは思いますけれども、しかし、こういう、いま言った
生活環境や衛生環境の施設整備費という
ものは、いわば都市化に伴ったそれでございます。これももちろん、保健福祉という点からすると非常に大事でございますが、
社会保障にとって、もっと大事なことは、
社会福祉
関係の施設の整備でございます。ところが、これについては、どうも今
年度の
予算を見る限りでも、あまり大胆な考え方を打ち出しているというふうには見受けられない。つまり、あまりいまと違ったような傾向があるようには見受けられないわけでございます。もちろん、これには、
社会福祉その
ものを将来どうするかという、そのことがきまらない
ものですから、それでなかなか
予算をつけにくいということもありましょう。たとえば、老人福祉であるとか、老人ホームをたくさんつくるのが老人にとって幸福かどうかというような基本的な問題というか、考え方の問題にも連なるわけでありますので、そういう点でも、なかなかつけにくいということもありましょうけれども、それならばそれで、やはりそういう問題を真剣に考えるような何か手だてをする必要がありはしないか、こういうふうに思うわけであります。
第三の、要員の養成でございます。これはむしろ一番重要な問題であろうかと思うわけでありますが、今
年度の
予算で考えられております、あるいはまた、われわれが見てすぐ気のつくのは、看護婦養成のための
予算、これが倍増しております。看護婦問題が非常に大きな問題になっておるというわけで、
政府はこれに真剣に取り組んだということは確かによくわかるわけでありまして、これは大いに歓迎すべきところであります。しかし、これは、広い意味では医療問題の一環でございます。ところが、そうではなくて、ほかの
社会保障の
分野において要員に対する
需要が現在非常に大きいだけでなくて、将来非常に増加するであろうと予想されますのに、そういう
ものに対する対策という
ものが、この
予算で見る限りでは、あまり見受けられないということでございます。いずれ、こういう人員の問題にせよ、施設の問題にせよ、これは非常に長期を要する問題でございますので、単
年度の
予算でどうこうということではないでありましょうけれども、しかし、やはり計画を持っている
予算と持っていない
予算というのは、おのずから違っているであろうと思います。そういう点では、やはりこういった計画といった
ものをしっかり固めて、それを
予算の上でも反映させるようにしてもらいたい
ものだ、こういうふうに思うわけです。ただ、施設とか要員の整備、あるいはまた養成という
ものをもっぱら国費でやるのがよいか悪いかというのは、これはおのずからまた別の問題であろうと思います。つまり、費用の負担をどこでやるかということは、これはまた別の問題として考えなければならない。何もかも、要員の養成であるからこれは国費でやる、施設の整備であるから国費でやる、ということには実はならないであろうと思います。これは
かなりむずかしい問題でありますが、そういう点は一応別にして
——別にしてということは、これを離れて考えるということでなくて、これを考えるときに同時に財源問題という
ものも考えていかなければならない、あるいは財源問題と費用の負担、これを考えていかなければならない、こういうことでございます。
最後に、こういったふうに流動する経済的
社会的な変動の中で、じゃ、今度の
予算がそういう
ものを全く見なかったかというと、そうではない。実は、
金額としては非常に小さいが、
かなり重要な点の指摘があるように思います。それは何かと申しますと、母子保健対策でございます。これは、当初の厚生省の原案では、全
国民にこれを広げるということであったようでありますが、結局D4階層までということになったようでございます。それでも八五%までカバーできる。ということは、つまり、こういう福祉サービスという
ものが、ある低い階層だけでなくて、全
国民に広げようという、そういう考え方を打ち出したということであります。これは
社会保障を考える場合に実は非常に大事なことであって、
社会保障というのは低所得者対策だというふうな従来の考え方では実は処理し切れないということです。全
国民的な広がりを持たなければならないということ、そのことをこれは非常によく認識している
ものであろう、こういうふうに思うわけであります。そういう点で、この点については私高く評価をしたいわけであります。
以上、あまりまとまりのない話になりましたけれども、しかも、問題の焦点が
社会保障の
あり方といった、今
年度の
予算とは直接
関係のないところに大きな時間を費やしてしまったわけでありますけれども、所見の一端を述べさしていただきました。(拍手)
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