○
国務大臣(
橋本登美三郎君) 最初に、今回の
事件に関しまして、各党の
皆さんが
協力一致されまして、私
たちを、及びこの
事件に対して非常な御支援と御
激励を賜わりましたことは、現地におります私としては、
ほんとうに心強く、そうして
与野党各位の
誠心誠意の御
協力に対しましては、
感謝感激にたえません。その基盤がありましたればこそ、多少の問題がありましたにいたしましても、ことに私
たちの不行き届きからその点のことがありましたにいたしましても、一応このような、
人命全部を無事帰還せしめることができましたのは、
皆さんの御
協力、御
激励の結果でありまして、厚く感謝申し上げます。
皆さんが
激励してくだすっておるということは
官房長官を通じて私の手元までに、このように国会はあげて、
国民とともに、この「
よど」号の救出に対しては心から
協力しているからしっかりやれと、こういう御
激励を賜わったので、非常に私としては心安んじてこの問題の解決に
全力を注ぐことができました。
ほんとうに厚く御礼を申し上げます。
いままでの
経過につきましては、おそらく
政府当局から
皆さんのほうに御
報告があったと思いますけれども、御
承知のように、この
事件が発生いたしまして、そうして
福岡から
北朝鮮に向けて出発をするという報を受けましたので、私は、これはたいへんな問題になったということでおりまするうちに、「
よど」号は
金浦飛行場に着いたと、事情はわからぬけれども
金浦飛行場に着いたということを確認いたしましたので、直ちに
大臣命令として、
山村政務次官を私の代理として、
関係者を連れて
特別機で、三月三十一日の、時間にいたしますというと昼過ぎに
向こうへ
到着をさしたわけであります。その後、翌朝、
官房長官から、問題はなかなかむずかしいところに
到着したのであるからして、よその国に
到着したのであるからして、したがって、いろいろの問題もあろうから、なお
運輸大臣が
最高の
相談役として
関係方面との十分なる連絡をとるために直ちに出発するようにと、こういうことで、私は、四月一日の午後一時半――ほかに
チャーター機がありませんので、海上保安庁の使用しておる
救難捜索機YS11機、これを急速整備させまして、四月一日の一時半、
羽田飛行場を出発いたしまして、三時十分ごろ
金浦飛行場に
到着をいたしたのであります。
私が
到着いたします前に、すでに前の日に
到着しました
山村政務次官が
政府の代表として
関係方面といろいろの
打ち合わせをいたしておりましたが、すでに
韓国政府当局は、「
よど」号、いわゆる
犯人の乗った「
よど」号が
到着しますと、直ちに、とにかく
乗客全員をおろせ、ここは
韓国政府の
管轄下である、したがって、
人道上の立場から、非常に疲労しておるであろう
乗客の
人々をまずおろせというようなことを、
山村政務次官が行く前にすでに
犯人に向かって
放送をした。御
承知のように、
金浦飛行場は
軍用飛行場と兼用であります。したがって、現在、われわれの
承知するところでは、
金浦飛行場というものは一種の軍の
管理下に置かれておる。したがって、
管制塔も
軍用といわゆる
民間用とに共用されておる。その
飛行場内には
空軍のいわゆる
司令部がある。こういうような
状態のところであります。私は、
到着しましてから直ちに、その
空軍の
司令部といいますか、そこが
対策本部になっておりましたので、そこに
金山大使と
山村次官に案内されまして、
韓国側の
当局の
首脳部といろいろ
相談をした。
私から
関係者、
韓国政府に
お願いしたことは、とにかく
犯人がエキセントリックな精神の
持ち主である、したがって、われわれ内地で
赤軍派の
行動を、
犯人たちの
行動を見ておって、これらは異常な
神経の
持ち主であるからして、絶対に
犯人を刺激しないような取り扱いをしてもらいたい、しかも、伝えられるところによれば、
日本刀とか
短刀とか以外に
爆弾もあると言われておる、
短刀や刀のあることはもうすでに
福岡で確認されておりますが、
自爆用のために
爆弾も持っておるということであるから、したがって、いわゆる
犯人に対して興奮さしたり刺激したりするようなことは絶対にやめてもらいたい、同時にまた、
乗客に対して
人命は必ず保証するんだというような
安心感も与えてもらいたい、この点はかたく
日本政府の
最高責任者として
お願いをいたします、こういうことを強く申し入れたのであります。
それに対して、
韓国政府側も、この問題は
犯人によって起こされた
事件であり、
人道上の問題であるからして、
運輸大臣からの申し入れは快くこれを
承知し、その
方針でこれを処置をいたしてまいることに同意をするというような
態度をもって迎えられたわけであります。私は直ちに
犯人に向かって
説得をしようということを申し入れたのでありまするが、
金山大使、
山村次官ほか
韓国政府の
方々が、どうもこの際は、
犯人の
態度から見て、
大臣が直接話をするということはかえって逆効果になる心配がある、ということは、彼らは百何人という人質を持っておるのであるからして非常な強気だ、要するに、いままでの
説得の
状況を見ても、このまま
全員を立たせろというだけの
要求で、繰り返しそれだけほか返事をしてこない、そういう
状況からして、かえってこれは危険を増すことになる、彼らを興奮させることになる、こういうことであるから、ぜひそれはひとつやめてもらいたい――これは、
金山大使も
山村次官も、また
韓国政府も同様に全く一致した意見であります。私は、もちろん
説得も
一つの
目的ではあるが、ただ、全体を
調整をし、かつまた重大な決定に対して私の
判断を求めるということが主たる
目的であるから、したがって、その
方法等については
皆さんの御指示に従いましょうということで、私はまず、
方針としては、この
犯人の異常な
神経、狂暴な
状態を何としても静かにせしめる、それから
乗客に
安心感を与える、何としても
乗客に
安心感を与える、そうして、そのためにはやはり二、三日の時間は必要であろう、まあ私は腹の中ではどうしても二、三日間は落ちつかせるために必要であろう、もう
一つは、
向こうの
飛行場――私はいろいろ
飛行場の
関係者に聞いてみましたが、だれも
平壌の
飛行場の
様子がわからない。ああいうような
大型飛行機を持っていける
飛行場なのか、あるいは計器ができておるのか、こういうことについては、私は
日航の
金浦の
責任者、あるいはその
あと松尾社長も来ましたが、聞いてみても全くわからない。おそらく十分な設備はないとわれわれは聞いておると、こういうことであって、非常に
大型飛行機を満ぱいをして飛ばせるのには危険な
状態であるような話を聞いておる。そういう
意味で、私はもちろん技術的に詳しいことはわかりませんから、そういう
関係者と話してみますと、なかなかむずかしいところだ、それだけを言って、そこで、しかしながらまあ何とかして
乗客はこの場でおろすということに
最大の力を、最善の努力をして、おろすということが何としても必要な
状況ではないか、それが、そういう
飛行、
着陸等の点から考えても、また安全に
人命を救出するといいましょうか、安全を保つためにも必要じゃないか。そのためには、できるだけ
犯人及び
操縦士等にも
休養を与える、また
犯人にも
なごやかな状態を与えることが第一だということで、まずその
方面に
全力を注いだ。
そこで、
食事その他のことについて十分な手配をしてもらう必要があろうと感じて、
韓国政府に
お願いしたところが、
韓国政府は快く受けて、とにかく
食事だけは十分にしましょうということで、私か着いてからでありまするが――その前にももちろん
食事は持って行ったようでありますが、
向こうが受け付けない。われわれは断食をしても
飛行機を飛ばせるのだ、こういうことをもって受け付けない。しかし、
韓国の空港の
当局から、そんなこと言ったところで
操縦士が疲労をしたら飛べないじゃないか、だから
食事を持って行くから十分に食べろということでありましたが、なかなか受け付けなかったそうであります。それは前の晩。私が参りましてから、そこでいろいろ
相談をし、
お願いをして、
夕食の十分な、約二百人分の
夕食の
食事、それからミカン、ジュースの類、それから薬、その他非常にこまかい点まで配慮してくださいまして、それを
飛行機のそばまで
飛行場の
関係者の人が持って参ったわけであります。しかし、これはなかなか
向こうは受け取らなかった。ところが、繰り返し、
韓国飛行場の
関係者が、とにかく
食事を持っていくのであるからして、
諸君は
食事を食べろ、飛ぶにしても
休養する必要があるじゃないかといって、いろいろ
説得されましたところが、夜の八時過ぎ、十時ごろでありましょうか、
向こうから、非常に
空気が悪くなったから
空気を取りかえてくれ、同時にまた、その機会に
食事ももらおう、しかし、
飛行場の
係員以外は近づいてはいかぬ、こういうわけで、
飛行場の
係員、それに
日本の
JALの
支店長がおりますから、その人に、
従業員にかわってもらって、それを一人加えて、平田という人ですが、その人に
一緒に行ってもらって、
様子をひとつ見てもらおうということで――
機長の窓口があります。ドアは開けません。そこからその者らの
食事を全部入れた。
向こうも
機長を通じて、
犯人でなく、
機長を通じて、それを中に運び入れて、そうして全部に配分をしたのであります。
しかし、
あとで
山村政務次官に聞いてみますというと、運んだ
食事は、まずみんなに丁寧に配って、
自分たちは二時間ぐらいそれを食べなかった、ということは、何か毒味をさしたのではないかと言っておりましたが、食べなかったそうであります。二時間ぐらいたってから初めて
自分たちが食べたと、こういうことを、これは
山村君が
一緒になってからの話でありますが、そういうことを聞いたようであります。
そういうことで、私は、
食事を全部受け取ったということと、ずっと見ておりまして――
作業員の人は何人かはかなり近くまで、五十メートル、百メートルまでは近づけるわけですが、その
連中の
報告を聞きまして、喜々としてみんなも
食事を食べているということを聞いて、まあ私
たちの考えた、
乗務員をはじめ、
犯人及び
乗客の
人々が安心して食べておるという
状況を聞いて、これは一歩前進したと私は
判断したわけです。あれが狂暴のままでいるというと、何をしでかすかわからぬ、であるからして、これは一歩前進したということで、まあわれわれは
一つの
めどが、私の考えておった
めどが一応ついたわけであります。
そこで、
全員はそのまま残っておった。機内の
連中は、
食事を終わって、何時でありましょうか、おそくなりましたけれども、休んだ。私は、
機長及び
機関士、副
操縦士、この
人々に
休養を与えなければ、万一
全員を飛ばすということになっても非常に危険だ、何としても
休養を与えなければだめだ、であるからして、十一時に寝たか十二時に寝たかわかりませんけれども、
休養を与えたということは、私にとっては、
一つの気持としては、ほっとしたわけであります。
で、私
たちはもちろん帰るわけにはいきませんからして、その
金浦飛行場の中にそのまま残りまして、そうして
様子を見守りながら、また翌朝から
首脳部の
打ち合わせをしまして、そこで、あくまでも
乗客だけはおろそう、
向こうの
飛行場の
状態がわからない、当方ではもちろん、
韓国政府もわからないわけです。
日本でも
飛行場がわからない。であるからして、とにかくできるだけ身軽な
状態が安全に送る上においては必要だ。
韓国政府の
方々も非常にこれは親切にしてくれました。そうして、何といっても
人命をそこなわないように、安全にしなければいかぬ、そのためには、できればここで
全員をおろすことが一番いいのです。
犯人もろとも。しかし、
犯人は無理だということは考えまして、
諸君は必ず送る、必ず
北朝鮮に送るからして、とにかく
乗客だけはおろせ、これは
心身ともに疲れているし、するからして、
人道上の問題なんだ、君らは
向こうに行けばいいじゃないか、必ず
向こうにやるからして
乗客はおろせと、こう言って
韓国の
飛行場当局が
説得をしますけれども――
管制塔を通じてやるのです。目の前ではできないのです。一キロくらい離れておるわけですから。けれども、何としても聞かない。いや、おれは
全員とこのまま行くんだ、だから
飛行機をちゃんと
滑走路に乗っけろと、こういうわけなんです。
それはできないと、こういう危険な
状態で、
人命尊重の上から、そんなたくさんの人を――
飛行士もまた、
皆さんが御
承知のように、
石田機長以下、だれもこの
韓国を飛んだ経験がないんです。しかも、
国内飛行場ですから、
航空地図も持っていないということを
日航の人から聞いておる。だから、めくら
飛行なんです。そういう
状態をわれわれは
日本航空の
諸君から聞いておる。まあ
韓国の人も聞いておる。であるからして、そんな満ぱいの
状態で飛べということは、非常にこれはもう危険がある。こういうことを
韓国の
飛行場当局の
諸君も心配し、
JALの、
日本航空の
諸君も心配しておる。しかも、
神経は、いかに一晩休んだからといっても、疲れておる。しかし、
石田航空士は、
最悪の場合は
全員を乗っけて行かなければならぬと思ったんでしょう。その晩の
様子を聞きますというと、その晩は副
操縦士が
放送に出て、
石田機長は一番奥のところでもって休んでおるということでありました、翌日の朝も。であるから、
石田機長としては、
最悪の場合は全
乗客を乗っけて行かざるを得ないだろうということで、からだを休めておったんだろうと思うんです。しかし、
石田機長にしても、みんな、だれもその
航空地図は持っていないんですからして――ただ、
あとで聞きますというと、
福岡の
飛行場で、小学校の
韓国の
地図、小さい
地図を、それをコピーしたものだけを差し入れがあっただけで、もちろん、
日本航空にも
北朝鮮の
地図はないわけなんです。いわゆる
飛行地図はないわけです。
定期航路がありませんから、ない。であるからして、
京城と
平壌といったところで、あの小さい
地図から見ると、二分か三分だけの違いなんですから、それですからして、おそらく
石田機長も、めくら
飛行をせざるを得ないというので、
神経は十分に休ます必要があると思ったんでしょう。ゆっくり休んでおったようであります。
こういうことで、まあ私の
判断としては、非常に疲れておること及び
神経をおさめるということがまず
最大の要件だということで、
犯人が言うとおり――今度は第二回、第三回になりますというと、今度は
チューインガムを入れてくれと。
チューインガムをどうするのかしらぬが、
チューインガムを入れてくれとか、少し
運動不足だから
胃腸がおかしいから
胃腸薬も入れてくれとか、歯みがき・ブラシも入れてくれ、水も十分、かわいておるというようなことで、われわれから見るというと、まあまあこれはある
意味においては平静な
状態になったと、私としては非常に喜ばしい
状態になったわけです。
で、そういう
状態になってまいりましたので、――しかし、それにいたしましても、いろんな
関係から、あまり長期にここに残すことはできません。しかも、
犯人は一日も早く出せと言っておるのですから、したがって、私としては、
判断としては限度があります。ここでもって
持久戦をやるわけにはいかない、国際
関係から見ても。そこで、私は、二日の昼に、もうやっぱり限度としては、最後の切り札を用いる以外に道はない。それに
山村政務次官も、前からして、私が
到着するなり、
最悪の場合はひとつ私を出してほしいという申し入れがあった。私は、それに対しては、いかぬと、いまさようなことを口に出すべき時期ではない、まだ。機内の人心が安定しておらないということで、また翌朝もその申し入れがありましたが、それもいかぬと、 こう言って――ところが、そうすると
金山大使が、それなら私が外交官で
人命尊重をするのだから、私はどうですか、それはいかぬ、
韓国大使がそんなばかなことはできない。いずれにせよ、私が、必要なときには最終の
判断をすると、こういうことで、二日の夕刻、午後になりまして、四時前後でありましたが、――時間は、ああいう
状態ですから、多少こまかい時間等については食い違いがあることは御了承願います。四時前後と思いますが、最終的に
韓国当局も、おまえ
たちは
乗客をおろさないで出発できると思うのか、それならかってにしろというような、表面上は強いことばで言われた。
金山大使も、もうこれだけ言っても、おまえ
たちはどうしてもわからないのか、もうこれ以上言うべきことはない、君らは
ほんとうに安全に送ってやるんだから、したがってよく考えろと、こういうことで一応打ち切ったわけであります。三時前後でありましょう。
その
あとで、私はいろいろ
判断をしまして、いろいろの
状態、
日本の国内
状態なり、その他の
関係各国、その他の機内の
状況等から考えて、もう私は大体限度に来ておる、前から、午前中から、私は、きょうの午後もしくは明日の午前中をもって最後の時間とする、そのときに最終的な、腹に持っておる
山村君と
打ち合わせた、そのいわゆる決断を下す時期だ、こういうことを考えておった。そこで、五時ごろになりましてから
山村政務次官を呼びまして、
山村政務次官に対して、もう自分としてはあしたの朝でもいいと思うが、いろんな
状況から考えて、きょうこれは決行するのが
最大のチャンスだろうと思う、
向こうもだいぶなごやかになってきておる、多少
日本側を信用しようという気持ちになってきておる、であるから、はなはだ君に対して御苦労だが、わしが行けばいいかもしらぬけれども、ちょっと
大臣の立場で行くとなればいろんな問題を起こすであろう、しかも、君は
政府の責任を代行しておるという形で話をしておるのであるから、君のほうがかえって
向こうも安心しやすいかもしらぬ、そこで、はなはだ自分としては断腸の思いである、自分の部下に対して、
人道上の問題であるから危険はないとはいうようなものの、いかなることが起きるかわからぬ、その中に出すということは上司として忍びがたい、しかしながら百十数名の命をここで安全におろすことができれば――しかし、
犯人はそれでよろしいと言うかどうかわからない、どうしても彼らがそれでもだめだと言うときには、やむを得ない、
韓国政府に
日本側が正式に
お願いをして、このまま立つような、それで安全策を講ずる以外に道はない、しかし、先へ行って
着陸等のことで失敗があるかもしらぬけれども、これはやむを得ないということで、初めて
山村政務次官に対してその交渉をさせることを承認を与えたわけです。
したがって、そのときに
金山大使と
山村政務次官に言ったんだが、万一のことがあれば、これは
運輸大臣の責任において処置したことであるから私が最終の責任を負うべきものと思っておると。
山村政務次官が、いや、私がみずから要請し、また、政治家としてこれぐらいやることは私は当然のことだと思いますと、ことに運輸政務次官として航空行政をあずかっておるのであるからして、私としては、だれが、あるいは野党の
方々であろうとだれであろうと、もう政治家としては当然このような
行動に出ることは当然であって、決して私はそれがために他に責任をとってもらう、さような考えはもちろん持っておりません、幸いにして何人か何十人か、あるいは
全員かが助かることが、私と交代することによってできれば、これに越したる喜びはありません、決して
大臣に御迷惑はかけません――それは形式はそうであるが、実は私に責任がある、とにかくそれ以外の道はもうない、こうなったら。
向こうは何にも
要求していない、もうわれわれは
日本政府、
韓国政府に対して
要求すべきものは何もない、
食事も十分にもらってある、ただわれわれを送ってくれ、これだけでありますから、ないと、こういうことで、やむを得ず最終的に……。
山村政務次官の要請がありましたが、その決断、処置は私の責任であります。私の責任において、その旨を、
山村次官、
金山大使にも、私の責任において決定をする、こういうことで決定をいたしました。
そこで、これはもう決して
韓国政府と
相談の上でもありません。また、
韓国政府から要請されたわけではない。
日本政府としてやるべきことでありますから、
日本政府として。ただ、了解は求めなくちゃならぬ、これは
韓国政府の。で、直ちに私は
韓国政府の
責任者のところに参りまして、公邸に参りまして、そうして、こういう事情で、もう私としては最終的な措置として事を行なう以外に道がない、結果としてどうなるか別問題にしても、ひとつ
日本政府のとる措置に対して御了解を願いたい、こういうことで、三十分にわたって了解を求めまして、やむを得ないであろう、それは
日本政府の責任においてやってもらいたいということで、その了承を得ました。そのうちに、実はすでにもう政務次官は
向こうさんにその交渉を訴えて、交換のことを申し入れたわけであります。その結果が、御
承知のように、君は
山村政務次官と言っているけれども、われわれは知らぬからして、おまえが本物かどうかわからぬ――非常にああいう異常な
神経を持っているから疑ぐり深いのでしょう、そんなものわからぬ。それなら証明する方法は何だといって
山村君が聞いたら、社会党の阿部助哉代議士を知っておる、その人に首実験をさせるから、その人を
日本からすぐ呼べ、こういう田宮かなにかの申し入れです。
山村君が、そういったって、阿部代議士がはたして東京にいるのかどこにいるのかわからぬから、時間かかるかもしれない、いいから至急にその人をこっちに呼び寄せろ、こういうことで、このことに関しては
皆さん御
承知のとおりであります。阿部代議士にもたいへんに御苦労かけまして、心から御礼を申し上げます。ということで、阿部代議士が参りまして、これは
山村政務次官に間違いがないということを証明して、初めて、そうか、それなら
山村政府代表と
自分たちは具体的な
相談をするということで、御
承知のように、その間にいろいろなこまかい点がありましたけれども、
全員をおろして、そして
山村政務次官がかわりになって
北朝鮮に行くことになったのであります。
その後の問題については、またいずれ
山村君が
皆さんに御説明する機会があろうと思いますけれども、
全員をおろしましてから機体の整備をし、そうして御
承知のように、スタートがいわゆる
金浦飛行場でありますからして、
金浦飛行場のいわゆるフライト・プランといいますか、
飛行命令に従って、この旨はMAC
委員会を通じ、
北朝鮮側にも通告をし、そして出発をした。
山村政務次官の帰ってからの
報告によりますというと、たいへんなショックであって、
飛行場におりましたときには、いわゆる
飛行場の
状態が、
石田機長の言によると、百分の一だけ安全があって、百分の九十九は危険な
状態であったそうです。誘導も何もない。全くめくら
飛行場にそのままおりざるを得なかったということでありましたが、無事おりることができて、
北朝鮮側の寛大なる
人道的な立場によって無事今日帰還することができたのであります。
今回の全体を通じまして、私は、
韓国政府及び
北朝鮮も含めましてでありまするが、特に私の知っておる範囲におきましては、
韓国政府が
人道的立場に立って、
食事の世話から医薬の世話、あるいはそうした嗜好品に至るまで、しかも
首脳部諸君がほとんど三日間にわたって徹夜の
状態で、いわゆる
人道的立場からこの問題の解決に
協力してくださった
状態は、
ほんとうに心から感謝にたえません。
北朝鮮もまた、
人道的立場によって
関係者に対し即座に帰還の方法をとられたことに対して、私は心から御礼を申し上げます。国内に、私
たちの人が足りませんために、報道
関係の人が不十分であったために、刻々と事実を
皆さんに十分にお伝えすることができなかった。まあ、ああいうような非常にあり得べからざる大
事件のものでありますからして、現地の大使
諸君をはじめとして
日本航空の
関係者及び
韓国政府の
人々が
ほんとうに一致団結してこの
事件の処理に当たってくれましたが、ただ報道の面において、私が経験者でありながらも、ああいうような大
事件になりますというと、非常なたくさんの人を要する。そのために、刻々として
状況を
皆さんのところにお伝えできなかった、その点の不手ぎわについては心からおわびを申し上げます。ただ、私としては、百余名の
人命をいかにして安全に措置するかということに
最大の主眼を置き、しかも、それにもいろいろの制約がある中で、いかにすべきかということに苦心惨たんを重ねた。その三日間というものは一睡する余地も時間もなかった。このとおり疲れておりますので、声も不十分であり、
皆さんに十分のことを説明できないことを心からおわびを申し上げます。
ただ、この問題を通じて、私は、何としてもこのようなハイジャックを防ぐ方法を、
ほんとうに国会の
皆さんの挙党一致の精神のもとに、法的にも整備をしてもらいたい。また、
飛行機会社も金銭を離れて、これらのいわゆるハイジャックに備える道も考えてもらいたい。われわれ運輸
当局も最善の措置を講じて、今後再びこのようなことがないようにいたしたい、かように考えております。また、いろいろの
意味において、国交上から考えましても、この問題がいろんな問題を含んでおりまするが、結果としては、
関係各国の、私は、
人道という、
人道上の問題というものがいかに大事であるかということにおいて深い意義を持っておるものではないであろうか、この点は私の所管でありませんので詳しくは申し上げません。
ほんとうに国会の
皆さんの
全員一致の御
協力によっての
激励、御支援、この結果が――とにかく、まあまあ
人命を全部安全に救出することができましたことは、われわれの努力ではありません、
皆さんの心強い御支援、御
協力の結果でありまして、その点心から御礼申し上げまして、概略の
報告にかえる次第であります。ありがとうございました。(拍手)
――
―――――――――――