○山崎昇君 私は、
日本社会党を代表して、ただいま
議題となった防衛関係
法案に対し
反対の
討論を行なうものであります。(
拍手)
個人の名前を出して恐縮ですが、自民党の国防部長をしておられる源田参
議院議員の定義によると、「脅威とは、意図と能力の二つがあって初めて成立する」、「意図があっても能力がなければ、能力があっても意図がなければ脅威にならない」と。そして、極東における武力侵略について日本が当面しているのは、アメリカ、ソ連、中国であるが、アメリカ、ソ連は能力があるが意図はない。中国は意図は別にして能力はないと述べられている。したがって、わが国の防衛は、仮想敵はないと政府は説明するし、現実的にも脅威がないとすれば、それに備えるという自衛隊の存在そのものが疑問となり、まして、それを増強することはナンセンスではないでしょうか。
しかし、いまは脅威がないが、いつ脅威が生ずるかしれないから、それに備える必要があるとも言う。かりにそのことばを信ずるなら、アメリカを、ソ連を、中国を相手にして
戦争をすることになり、結果は戦わずして明らかである。かつての第二次世界大戦が実証しているところである。こんなばかなことを考えているとは思いたくないし、あってはならないと考える。
政府はまた、朝鮮半島を見よ、台湾問題を見よ、そしてベトナムを見よ、現実に緊張状態があり、
戦争があるではないかと。だが、冷静にこれらの問題を見ると、朝鮮問題といい、台湾問題といい、ベトナム問題といい、これはそれぞれの国の内政問題であって、他国が口出しをすべき問題ではない。アメリカが軍事力を背景に、民族自決の原則を踏みにじり侵略しているところに緊急状態が解けないのであって、即刻軍隊を撤兵し、その民族に問題解決をまかせるべきである。日本に対してこれらの国が侵略の意図があるわけでなし、また能力があるわけでもない。これらの状態を口実に自衛隊の増強をはかることは、無意味以外の何ものでもないと考える。
最近、政府は、どうごまかそうと思っても、ありもしない脅威を国民に押しつけることは不可能になったと見えて、急速に直接侵略の危険はほとんどないものと判断されるが間接侵略の危険性はあると、その戦略を変えつつあるように見受けられる。特に国内における学生運動等をてこにして治安訓練が急速に増大しつつあるといわれる。間接侵略とは何か。その定義は旧安保
条約第一条に
規定されているところであるが、現在のわが国において大規模な内乱がほんとうに起こると思っているのだろうか。大規模な内乱は、武装した革命勢力が立ち上がって初めて起こるものである。レーニンは、「革命はどういうときに起きるか。大衆が現在の生活方法でもうがまんができないと思うだけでは革命は起こらない。統治者が統治能力を失ったとき初めて革命が起こる」と、そして革明は
輸出できるものではないと述べているが、まさに真理である。わが国に武装した革命勢力が存在するのだろうか。それとも自民党政府は統治能力を失ったのだろうか。まぼろしの脅威におびえ、むしろまぼろしの脅威が存在するかのごとく見せかけ、軍備の増強に狂奔する姿こそまことにこっけいであり、あわれでもある。その国の政治がしっかりしていればおそれる必要はない。これはその国の政治の問題である。再び源田さんのことばを借りよう。「現にアメリカは世界で一番大規模な
犯罪が多い。日本も高度成長で
昭和元禄などというが、
犯罪はかえってふえている。貧乏でもよい。ひとしからざることが一番いけない。アメリカなども億万長者がいるかと思うと失業者がいる。こういう状態が一番いけない。」と。また、スウェーデンの経済学者G・ミュルダールは次のように述べている。「国際的な場面では、現在一つのドラマが上演されている。それはかつてマルクスが考えたものよりもはるかに大規模に、マルクス的な大変動で終結できるように思われる。富める国と貧しい国との間にはおそるべき所得格差が存在し、しかも貧困が大衆の役を演じている。現に格差は拡大しつつある。貧困は階級意識を持ちつつある。」と。また、「全世界の三分の一の人間が先進国に、三分の二が低開発国に住んでいる。だがこの三分の一の先進国が手にしている国民総生産は、全世界の八七・五%であり、残りの一二.五%を三分の二の低開発国の人間が分け合っているにすぎない。一人当たりにすると、その格差は一対一三・五である。」と指摘し、そのひとしからざることを憂えている。日本ではどうであろうか。その傾向はおおうべくもない。むしろ、格差は二〇対一と、金持ち階級と庶民との格差は生じている。国民の生活の苦しさは年々ふえている。こういう政治を改めることこそが一番大切であって、軍事力で押えつけようと考えることは全くナンセンスではないか。自衛隊を増強して幾ら治安訓練をしても何の意味もない。即刻やめるべきではないだろうか。
自衛隊は、そもそも誕生以来、憲法違反の存在であることは多くの学者の指摘するところである。その実証は枚挙にいとまがないほどである。最近、北海道の長沼
裁判において、自衛隊の実態が国民の前に明らかになるのをおそれ、
裁判長の忌避などというこそくな手段をとっているが、理解に苦しむところである。自衛隊が真に違憲でないと言うなら、むしろ進んでその実態を明らかにするため堂々と
裁判に臨むべきだと思う。ここにも自衛隊の存在そのものがすっきりしない一因があり、国民の納得しないところである。
今回提案された
法案の
内容を見ると、その中心は隊員の士気を高揚するために七百三十名の准尉
制度を設けることであり、隊員の定員及び予備自衛官の定員をふやすことになっている。しかし、こんなこそくな手段で隊員の士気が上がるものではない。自衛隊の存在そのものが疑われ、その
目的がはっきりせず、指導者そのものが、軍隊と言ってみたり、技術者の集まりと言ってみたり、考えれば考えるほど論理的につじつまの合わない自衛隊が魅力に乏しいことはあまりにも明瞭である。退職したある自衛隊の幹部は、「誇りなき軍隊」と題して、「現代は汚職続発の自民党の領袖を最高指揮官と仰がねばならぬ悲哀をになっている。しかも、いままで顔はもちろん名前も聞いたことのない、悪い表現をすればどこのだれかわからぬ人に、長官となったその日からその人の命令により命を投げ出さねばならぬ運命を負わされるわけで、全くやり切れないの一語に尽きる。さらに、憲法上の制約があっても、自衛隊をつくった以上、もう少し士気旺盛で清潔なものとすることができるはずである。それをはばんでいるのは、歴代政府の自衛隊を単に忠実な番犬にしようとする方針にほかならない。」と嘆いている。経済成長のため若年労働力の
不足にも原因あるとはいえ、自衛隊の充足率は年々低下し、診断書を偽造してまで隊員を募集せざるを得ない現状、さらに将来の幹部として養成される防衛大学校の生徒ですらその一割は卒業と同時に自衛隊を去っている。それとうらはらな関連もあって、予備自衛官が年々増加されている。かつての軍隊の二大柱の一つである召集令状が存置されており、さらに一つの構想として、自衛隊員の実質的な年齢の引き下げであり、旧軍隊の幼年学校が復活されようとしている。きわめて危険な構想と言わねばなりません。政府は、自衛隊のかかる現状と将来にわたる問題等を見つめ、再検討すべき時期に来ているのではないだろうか。
マスコミ界の大御所と言われる大宅壮一氏は、その著書で、「自衛隊はアメリカの入れ歯である。そして、その入れ歯を本物の歯にしたいと努力しているのが現状である。しかし、入れ歯は入れ歯であって、本物の歯とはならない」と。自主防衛論が盛んに政府によって唱えられているが、この大宅氏の批判をどう考えるのだろうか。入れ歯が増強することによって本物になるのだろうか、無意味なことはやめたほうがよいと考える。ナポレオンは、「
戦争において士気の状態は勝敗の四分の三を占めている。これに対する人力の割合は残りの四分の一を占めるにすぎない」と。モントゴメリー元帥は、「高い士気は高価な真珠である。戦闘を見れば見るほど、戦いにおける大きな要素は士気であることを一そう確信せずにおれない」と言っている。つけ焼き刃の准尉
制度、そしてその裏づけとなる待遇関係は曹時代と何の変化もないこのやり方で隊員の士気が高揚すると本気で考えているのだろうか。私は、政府の場当たり的なやり方にどうしても
賛成することができない。
中曽根長官は、最近の防衛問題は、軍事的なことと政治的なことが混在し、今後の問題としては、むしろ外交に重点を置いて考えるべきだとの意見を発表している。まさに平和を維持し、人類の幸福を確立するためには、話し合い、すなわち外交交渉が最重点でなければならない。そのためには日中問題、日ソ平和
条約の問題等、懸案する外交問題の
処理こそが一番重要であると思われる。
最近、アメリカをはじめとし、世界各国、特にアジア諸国から、日本の軍国主義復活について指摘され、日本の軍事力を脅威であると感じさせていることは、まことに遺憾のきわみである。したがって、佐藤総理も、「経済大国が軍事大国になってはいけない。慎重に考えねばならぬ。」と言わざるを得ない現状等を考えると、今回の
法案にある自衛隊の増強にはどうしても
賛成することはできない。
まだまだ述べたいことは多くあるが、時間の都合もあり、この程度にとどめるが、最後に佐藤総理に提言しておきたい。
それは、アメリカの大統領は世界で最大のポストである。そのポストを維持するものは軍事力ではないということである。ケネディ大統領の不慮の死も、ジョンソン大統領の退陣も、そうしてニクソン大統領みずから、次の選挙にあたっては当選しないかもしれないと告白したのも、ベトナム
戦争を拡大した結果である。世界最大の軍事力をもってしても他民族を支配することはできないし、国際正義を踏みにじることはできない。世界をとうとうと流れる反戦平和の戦いの前にやがて屈服せざるを得ないだろう。この歴史の流れを食いとめることはできないであろう。佐藤総理は、この世界の流れをよく見つめ、いまは理想的と考えられる
社会党の非武装中立であっても、人類普遍の原理に基づいた不滅のものであるこのともしびを高く掲げ、世界政治の中で名誉ある地位を確立されることを強く提言するものである。総理がこの道を勇気を持って進まれるとき、わが
社会党は、国民とともに心からなる
拍手を送ることを申し添えて、
討論を終わります。(
拍手)
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