○剱木亨弘君 私は、自由民主党を代表いたしまして、
総理並びに
関係大臣に対して若干の質疑を試みたいと思います。
〔
議長退席、副
議長着席〕
昨年十一月、
アメリカを訪問せられました佐藤
総理は、ニクソン大統領と隔意ない懇談を行ない、その結果、
沖繩の
施政権は、一九七二年末までに
わが国に
返還せられることになりました。しかも、
日本国民として最大の
関心事でありました
沖繩の
核兵器はどうするかという問題につきましては、
アメリカ政府は、非核三原則を堅持している
日本政府の
政策に背馳しない形で
返還を実現することを約束されました。いわゆる核抜き、
本土並みという
国民多数の要望は完全に満たされたのであります。戦争によって失われた領土が平和な
話し合いによって
復帰し得たことは、歴史上きわめてまれな事例でありまして、このたびの
沖繩返還に関する
日米取りきめは、佐藤内閣の輝かしい
外交的功績として高く評価せられるべきであると信じます。
なおまた、先般の
日米会談によりまして、
日米安全保障体制は、相当長期にわたって維持せられることが明らかとされました。国連の
平和維持機能が必ずしも完全な効果をあげるに至っていない今日、
日米安保体制の存続は、
わが国の平和と安全、したがって、また極東の平和と安全にとってきわめて重要な
意味を持つものであります。一九七〇
年代における
わが国の
外交並びに
安全保障に関する基本的な
路線ははっきりと定められたと言わなければなりません。
アメリカより帰国されました
総理は、
日米会談の成果を踏まえて、信を
国民に問うため、
衆議院の解散に踏み切られたのであります。総
選挙の結果、わが自由民主党が三百名の多数を獲得しましたことは、
自民党が
国民多数の力強い支持と信頼を得たことの証左として、何人も否定し得ないところと信じます。このたびの総
選挙でかかる結果の出ましたことは、
国民の大多数の方々のわが
自民党の
内政外交に関する
政策に対する強い支持の発露であると思われますが、しかし、私はこのほかにいま
一つ見のがしてはならない点があると思います。
一昨年以来の大学紛争において、現体制を破壊せんとする過激な
行動は次第にエスカレートし、学園の平和と秩序に対し重大な影響を及ぼすばかりでなく、一九七〇年を控え、国内的動乱の導火線ともなりかねない様相を呈するに至った際、
政府並びに
自民党は、多数大学当事者、いわゆる革新的社会人及び野党各派の根強い
反対があったにもかかわらず、き然たる
態度をもって、断固、大学の
運営に関する臨時
措置法を通過
成立せしめたのでありましたが、この法律制定以来、大学紛争は漸次沈静に向かってまいりました。自由主義、民主主義国家としての
日本を守り抜かんとする
国民大衆が、この
政府並びに
自民党のき然たる
措置に対し、異常なる共感を持ち、
自民党が
責任政党として祖国擁護の
方針を力強く打ち立て、この道に邁進するであろうことの期待が、総
選挙に際し大きな力として働いたであろうことは、否定できない事実だと信ずるのであります。(
拍手)
国民の期待が大なれば大なるだけ、この期待を裏切るようなことがあれば、
国民感情の帰趨はおそるべきものがあると存じます。
総理は、
選挙の勝利にあぐらをかくことなく、一九七〇
年代の試練を乗り越えるため、こん身の
努力を払うことを力強くお誓いになりました。私は、この
総理の御心境に満腔の敬意を表するものでありますが、願わくば、これが口頭禅に終わることなく、真に全
国民の信頼を得るため、実行をもってこれにこたえられんことを、
質問の冒頭に強く要望するものであります。
まず、
総理の
施政方針演説にありました「新しい
指針」について
お尋ねいたします。
総理は、一九六〇
年代を分析して、
わが国経済力の著しい充実を
背景にして、国際社会での
地位の向上をはかることができた時期であると規定しておられますが、私は同時に、六〇
年代は、一面急激なる
経済発展の陰に、
わが国民が
日本民族たる意識を忘れ、
日本民族の持つ伝統的美風をまさに捨て去らんとする社会的風潮が生まれたことこそ、真に憂うべき現象として反省すべきではないかと思います。
総理はまた、
わが国が「われわれの愛国心を高い普遍的な人類愛にまで昇華し得るか」との問題を提起しておられますが、私は、
国民一人一人が普遍的な
世界人となる前に、まず、
日本人よ、
日本人たる自覚と誇りを取り戻せ、そして、われらの祖先の残した古来の美風を想起しつつ、
日本国民全部が
日本の国土と同胞に無限の愛をもって結合せられ、その基盤をまず確立し、その基盤の上に立って
世界人類の普遍的人類愛にまで昇華すべきではないか。
総理は、心中深くこのことをお
考えになりながら、あえてこれを避けて述べられたのか。もはや
日本民族という狭い観念にとらわれることなく、全
世界に通ずる普遍的
人間像こそ七〇
年代の
日本人の行くべき道と
考えられるのか。
総理は、
日本の国家目標とか、
日本の特色に触れられておりますが、
日本経済の飛躍的発展による明るい面だけを述べられ、現下
日本の思想的混乱を軽く見過ごしておられるのではないかと感じられます。
一九七〇
年代こそ、私は、
日本の精神面での本来の姿を取り戻すための
努力が敢然として払わるべきであると思いますが、
総理のお
考えをお伺いしたいと存じます。
次に、
外交と
安全保障の問題について伺います。まず、自主
防衛についてであります。昨年七月末、グアム島での記者会見の際、ニクソン大統領は、
アメリカの
アジア政策の基本
方針を明らかにし、さらに十一月三日の
演説でもその原則を繰り返しております。それによりますと、
アメリカはその公約を守る、そして他の国に核の
かさを提供する一方、
アジアの諸国は、
核兵器を用いない侵略に対して自国を
防衛する
責任を負うべきであり、
アメリカは
経済援助と
軍事援助を与えるが、その
軍事援助は、派兵ではなく武器供与ということになろうということであります。われわれはかねてから自主
防衛を唱えております。すなわち核攻撃によらない侵略に対しては、
わが国の力で国を守るだけの
防衛力を整えることを理念としております。ニクソン大統領の原則は、われらのこの理念にまさに合致したものと言わなければなりません。
ところで、通常兵器による侵略に対して、独力で国を守るに足る
防衛力というのはどの程度のものでありましょうか。現在は、国の
防衛を相当程度まで
アメリカの戦力に依存しておりますから、現状の程度で自主
防衛の実をあげることができないことは明らかであります。
政府が第四次
防衛力整備計画を立てようとしておるのも、現状では不十分であるからにほかなりません。それぞれの国の
防衛努力の程度をはかる尺度はいろいろございましょう。
国民総支出に占める
国防費の比重をもってこれをはかるのも
一つの
方法であります。
政府は、現時点で、自主
防衛の立場から、
防衛力の限度をいかにすべきかを策定する必要があると思うが、これに対する
総理の御所見を承りたいと存じます。
次に、
核兵器不
拡散条約について伺います。この
条約は、
核兵器を保有しない国の原子力の
平和利用に不利益をもたらさないという点で必ずしも十分な
保障を与えておらない
条約であるとして、
政府もこれまで
調印に慎重でありましたが、むしろ中に入って主張すべきことは主張するという立場から、今回その
調印に踏み切ったものと存じます。
調印にあたっての新聞論調を見ますと、この
条約についての完全な
国民的合意はまだ得られておらないように思われるのであります。すでに
調印を了した今日ではありますが、
政府としては、
国民的合意を得るための積極的な活動を行なうべきではないかと存じます。この
条約に対する
国民の合意を取りつける最良の
方法は、
調印にあたって発表された
政府声明に盛られている
批准に必要な三つの
条件、すなわち、核大国が具体的な核軍縮
措置をとること、二、
非核保有国が
核兵器による威嚇を受けないよう
安全保障理事会が適切な
措置をとること、三、
平和利用の査察の面で
わが国が不利な取り扱いを受けないこと。この三つの
条件を
条約機構の中で力強く主張することにあろうかと思われます。
日本政府が提示したこの三つの
条件に対して、
米ソその他の諸国はどのような反応を示したでありましょうか。これらの
条件が満たされる
可能性は、現に開かれつつあると
考えられるのでございますか。また、これらの
条件が満たされるために
政府が払うべき
努力の用意について所信を伺いたいと存じます。
外交の問題につきましては、このほか北方領土の問題、対
中共貿易の問題、海外
援助の問題などについて一言触れておきたいと思います。
北方領土については、
ソ連は、この問題は
解決済みであると申しておりますが、われわれの断じて承服できないところでございます。これに対処する
政府の
方針を伺いたいと存じます。
対
中共貿易につきましては、今回、中国大陸に渡られる古井、松村さんの一行に
政府としてバック・アップをしてやり、ぜひ成功させたいと思いますが、
政府はどのようなバック・アップをなさるおつもりでございますか、承ります。
また、海外
援助については、これまで主として産業
経済面が重視されておりますが、教育、医療等の面を一そう積極化することが、
わが国と被
援助国の
国民との結びつきを親密にするゆえんであると
考えますが、御所見を承りたいと存じます。
次に、
経済の問題に移って
お尋ねしたいことは、
経済政策の基本についてであります。まず端的に、望ましい
経済成長率は何%であるか、また、それは
政策的
努力によってどの程度まで達成が可能であるかという問題を提起したいと思います。池田内閣の
国民所得倍増計画は、実質
経済成長率を七・二%と見込んでおりました。その実績は一〇%をこえるものでありました。途中で改定されました中期
経済計画の想定
成長率は八・一%、
経済社会発展計画のそれは八・二%でありましたが、これもまた現実によって追い越され、
経済社会発展計画の計画期間である
昭和四十二−四十六年の平均実績
成長率は、おそらく一二%をこえるであろうと予測されております。われわれは
日本経済の潜在
成長力をあまりにも低く評価してまいりました。ですから、新しい
経済社会発展計画では八%台の
成長はほとんど問題外とされ、一〇%をやや上回る
成長率が適正なものとして計画が策定されようとしております。そして、
成長率が一〇%をやや上回る場合、
消費者物価は年率四%をこえ、五%に近い上昇を来たすであろうという試算がなされております。これは望ましい適正な
成長の姿であるかどうか、お伺いをいたしたいと存じます。
かりにこれが望ましい
成長の姿であるとして、その望ましい
成長率を達成する上に、われわれの
政策的
努力はどの程度に寄与し得るかということが
一つの問題であります。寄与するとは、過去の経験に徴すれば、多くの場合行き過ぎようとする
成長の手綱を引き締めることを
意味するものでありましょう。しかしそれにしても、自由
経済は自由
経済であります。
政策的
努力をもってしても、いかんともなしがたい面があります。自由
経済である以上、そうした面があることは当然であります。そこで、望ましい
経済成長を達成するために、
政治が
経済に介入し得る分野を、今後一そう広げていくことが適切であるかどうか、あるいは必要であるとお
考えになっているかどうか、お気持ちを伺いたいと思います。
このように問題を提起いたしますゆえんは、賃金と
物価と生産性について、われわれはあまりにもこれを規制する力に乏しいと痛感するからであります。賃金の上昇は、それ自体
国民生活の向上につながるものであり、
経済の
成長に伴って当然のことでありますが、問題はその上昇の程度であります。今日、超完全雇用ともいうべき状態にある
わが国では、賃金、所得の平準化の作用が強く働き、中小企業、農業は窮境に追い込まれ、
消費者物価の上昇に苦しんでいるのであります。
政府は、例年、
施政方針演説において、生産性上昇の著しい業種にあっては、その成果を単に企業と労働に分配するのでなく、価格の引き下げによって消費者にも還元すべきであると述べられておりますが、それは今日まで
政府の願望にとどまって、実効をあげていないようであります。
総理は、この点について具体的にどのような
施策をお
考えになられておるか、承りたいと思います。
次にお伺いいたしたいことは、民間設備投資と社会資本投資の
関係についてであります。民間設備投資に対する社会資本投資の割合は、
昭和三十
年代には五〇%ないし五五%でありましたが、四十
年代に入ってからその割合が年々減少し、最近では四〇%をわずかにこえるところまで落ち込んでおります。それは、社会資本投資の対前年度
伸び率が、民間設備投資の
伸び率の半分以下というような貧弱な伸び方になっているからであります。その結果が、
国民経済全体の効率を減退させるとともに、交通難その他の
公害の原因ともなり、
人間尊重の
政治に逆行することになっておると思います。およそ、社会資本投資は、民間企業設備投資と異なって、それ自体直接に生産の増加につながりません。したがって、企業設備投資を押えて社会資本投資をふやすことは、一時的には
経済成長率を押えるが、長期的には
国民経済全体の効率をよくすることによって、いわゆる安定
成長をもたらす道でもあると
考えます。
政府は、
昭和四十五年度には、臨時的に法人税の増税を行なうとともに、
公共事業費の
伸び率をふやしております。その点、
努力のあとがうかがわれるのでありますが、民間の設備投資意欲から見て、四十四年度に二六。二%であった民間設備投資の
伸び率を、四十五年度に一七・一%に押えることがはたしてできるかどうか、かなりに困難ではないかと思われますが、いかがでありましょうか。私は、大企業が自主的に急激な設備投資を抑制することが、安定
成長と
物価の安定を達成する最も有効な
方法であると
考えますが、
政府は、
経済界にこのことを積極的に呼びかけて、協力を求める
考えはないか、お伺いをいたします。高い賃金をもって労働力を確保し、盛んな設備投資を行なって生産力を高めているのは大企業であります。これに反して、中小企業は、先ほど申しましたように、労働力の入手難、不十分な設備投資からくる低い生産性を悩みとしております。中小企業に対しては、特段の配慮を必要とするものと思われますが、御所見を承りたいと存じます。
さらに、ここ数年前まで、
わが国の
経済は、労働力過剰と外貨不足という
条件の
もとで
成長してまいりました。しかるに、ここ一両年来、このパターンは
変化し、労働力の不足と外貨の過剰という局面を迎えようとしております。労働力の流助化が大きな問題となってきました。また、
貿易の黒字は定着し、外貨準備は急激な増加を来たしました。この趨勢が続いてまいりますと、外貨の過剰が国内の流動性を高め、インフレーションを招来して
物価を押し上げる
方向に働くと思います。外貨の過剰は、円平価の切り上げの
要求をも強めるでありましょう。現に、国際通貨市場では、円の投機が行なわれる機運すらあります。これを避けるには、資本の輸出、海外
経済協力の強化あるいは輸入の増加をはかる
施策が要請されます。輸出の増大が至上命令であった時代と引き比べて、今昔の感があるのでありますが、
情勢はそのように
変化しつつあります。
経済政策の基本について再検討が求められるゆえんであります。これらの点について、
政府はどう
考えているか、御所見を承りたいと思います。
次に、当面の
経済動向と
昭和四十五年度
予算についてお伺いいたします。
わが国の
経済は、これまでにない長期の
繁栄を持続しております。
政府見通しによりますと、
国民総生産の名目
成長率は一五・八%、実質
成長率一一・一%となっておりまして、四十四年度に比べて若干落ちるとはいえ、五年続きの好況は間違いないものと予想されております。ニクソン大統領の
予算教書は、この
見通しが閣議決定を見た後に発表せられました。大統領の
予算教書によりますと、
アメリカ政府は、
経済政策の転換を行なって、思い切った緊縮
政策をとっております。
アメリカの景気のスローダウン、
世界貿易の
伸び率の鈍化は、
もともと予想されるところでありましたが、
予算教書の
内容は、一般の予想をこえるきびしいものがあります。
アメリカ政府の緊縮
政策は、
世界経済全体に少なからぬ影響を与えることでありましょう。それは、
わが国の
経済にどう波及するか、
政府の四十五年度
経済見通しに手直しを施す必要はないか
どうか、お伺いをいたします。
また、
政府見通しによりますと、四十五年度の
消費者物価は、対前年度四・八%の上昇が予想されております。過去の趨勢から見ましても、
物価上昇を四・八%にとどめるためには、相当の
政策的
努力が必要であるというのが一般の観測でありますが、
政府としては、四・八%に十分自信を持っているかどうか、
お尋ねをいたします。
昭和四十五年度
予算は、総額七兆九千四百九十七億円と、相当大型
予算であり、
政府は、これを警戒中立型の
予算と申しておりますが、新聞論調など、いずれも、かなり刺激的要素を持つ
予算であると評価しております。
予算の性格について、
政府の
見解を披瀝せられたいと思います。もし、新聞などの批評のように、刺激的な要素がありとした場合、それは、先ほど申しました
アメリカの緊縮
政策による
アメリカ及び
世界の景気後退の影響を当然に受けるであろう
日本経済にとっては、幸いにして、あらかじめ、てこ入れの道が講じられていたことにもなろうかと
考えられますが、この点はいかがでありましょうか。
さらに、財政の硬直化ということが両三年来問題となっておりますが、硬直化は解きほぐされてきたでありましょうか。一方では、硬直化の新たな要因も生まれてきているのではないでしょうか。長期にわたる好況の持続に幸いされて、年々相当の自然増収があったために、これまではどうやら切り抜けることができました。しかし、将来景気のスローダウンが生じることがあると、
予算は非常な編成難におちいることでありましょう。財政硬直化の要因は、したがって、常にこれを取り除くことにつとめなければならないと思うのでありますが、
昭和四十五年度
予算においては、この点にいかなる配慮が加えられているのでありま
しょうか、お伺いをいたします。
次に、農業
政策について
お尋ねいたします。農
政の面で、今日、焦眉の問題となっているのは、
申すまでもなく、米の過剰生産の対策と、総合農政確立の問題であります。
政府は、過剰米対策として、昨年度は、生産者米価の据え置きと自主流通米制度の導入を行ないましたが、四十五年度には思い切った米の生産調整を行なおうといたしております。このことは農政としては、どう見ても、うしろ向きの
施策であり、かつ、その実施はきわめて困難であると予想され、
政府の異常なる
努力と、全農家、農業団体及び地方自治体の力強い協力が要請されると存じます。
私は、いま、かつてのいわゆる河野
構想なるものを想起いたします。河野
構想は、米価を一定し、その価格においては、無制限に
政府が買い入れを行なって、食管制度の根幹を堅持すると同時に、いわゆるやみ米——今日言う自主流通米であります。やみ米を認め、その価格は自由取引にまかせ、農家が良質米の生産に転換するようすすめようとするものでありました。この
構想は、各方面の非常なる
反対にあい、ついに
構想に終わったのでありますが、そのときに河野さんが申されたことを、いまもなお私は記憶しております。それは、米の問題は、米が全需要に不足する場合は対策はむずかしくはないが、数年後には必ず米が余るときが来る。米が余った場合の対策はきわめて困難で、いまから過剰米対策を
考えておかなければ、たいへんなことになると言われました。いま、現実に過剰米を生じ、生産調整という非常手段をとり、米価の据え置き、自主流通米制度の創設等を
考えるとき、河野
構想がいかに先見の明があったか、農林省当局は、もっと
事前に過剰米を予測し、その対策を購ずべきではなかったか。農林省当局の農政が、変転きわまりなく、近視眼的に過ぎることに、農政に全くしろうとの私は、心中穏やかならぬものを感ずるのであります。過去のことは問わずとしても、農林
大臣は、真剣に過剰米
処理に取り組むばかりでなく、総合農政の策定にあたっては、真に十年、二十年の将来を
見通し、
わが国農業の安定的発展のため、将来悔いなき最善の方策を樹立するよう
努力されんことを切望するものであり、この点に関する倉石農林
大臣のお
考えを承りたいと存じます。
最後に、教育問題について
お尋ねをいたしますが、
質問に先立ち、人工衛星打ち上げの成功に一言祝意を表したいと思います。
去る十一日、全
国民の待望の的でありましたラムダ五号の打ち上げがみごとに成功し、
世界第四番目の人工衛星保有国になりましたことは、まことに慶賀にたえないところであり、東大宇宙研の皆さんに対し、過去四回の失敗にもめげず、かつ世評を黙々としてたえ忍び、ついにその目的を完遂せられましたことに対し、全
国民とともに、心からなる感謝の意を込めてお喜びする次第であります。今後、なお、科学衛星の
開発研究に一段の
努力を望みます。他方、種子島における実用衛星打ち上げ計画も着々と進んでおります。今後の問題として、宇宙
開発であれ、海洋
開発であれ、国家的ビッグサイエンスについては、全学術研究者が協力体制をとり、一体化の
方向に進むことを要望したいと思います。(
拍手)
次に、
質問に移ります。
大学紛争は、大学
運営に関する法律の
成立以来、大学当局の自発的
努力も増大し、漸次鎮静に帰し、本年の入学試験も、警戒体制下ではあるが、全大学がとにかく実施できるようになりましたことは、大学並びに
政府の
努力に対し一応敬意を表します。しかしながら、これをもって大学における研究と教育が完全に平穏に行なわれるようになったとは決して認めるわけにはいきません。大量検挙により、反代々木派の組織が一時的に崩壊に向かったといっても、いまだ各所にくすぶりが残り、組織の再建も行なわれていると思われるし、ことに最近における高校生の
動向は、まことに寒心になえないものがあります。
総理は、教育の
内容や教育制度を再検討すべき時期にきていると申されており、四十五年度
予算においても、新
構想大学等の調査費を計上しております。
もとより、大学紛争の
解決は、相当根本的かつ慎重なる
態度を要する点はあるとしても、さしあたり、急を要する問題が多々あると
考えます。ことに、国立大学の
運営上の欠陥は、大学紛争によって遺憾なく暴露されたところであり、その改革は、焦眉の急を要する問題だと思います。国立大学の管理は、
選挙せられたる学長の
もと、教授会、もしくは評
議会の議によってのみ行なわれ、大学の自治は、すなわち教授会の自治であり、平穏無事の間はとにかく、一朝有事に際しては、全く決定能力を失い、事を誤った場合、簡単に学長一人その職を去るだけで、教授の一人一人に何らの
責任なく、全く無
責任体制であると言えると思います。管理機構の改革は、多年要望せられながら、いまだに完全に実現に至っていません。大学の管理機構を早急に改革する
意思がおありかどうか、文相のお
考えを承りたいと思います。
また、私学助成につきましては、四十五年度
予算において、私学に対する人件費を含む経常費に対する助成が計上せられ、私学振興会を改組して、私学振興財団を設立し、財団をして、私学の
自主性を尊重しつつ、公正かつ適切な助成を行なうことの
方針が確立せられましたことは、全私学に対しては
もとより、
わが国教育の発展のため、きわめて画期的英断であると
考えます。明治以来、
わが国教育の勃興期においては、学校は、国または公の経費により設立せられ、私学は、その補完的作用を持つにすぎなかったが、現在では、少なくとも大学においては、全く国立と私学の
地位は逆転し、私学教育に依存せざるを得なくなりました。しかも、国立と私立における授業料の格差は極端になり、私学の授業料の増額もその限界に達したとも言わなければなりません。私は、多年の懸案であった、私学経常費補助の制度が確立したことを心から喜ぶものであります。しかしながら、この助成金は、国
民の血税であり、
もとより、有効適切に使われなければなりません。とともに、私学の発達は、これまでその自主的
努力によってつちかわれてきたものでありまして、その伝統と
自主性は、あくまで尊重されなければなりません。ここに、私学助成の具体的実施面に困難性があると思います。慎重かつ適切な方策が必要だと思います。文相の具体的
施策について承りたいと存じます。
以上をもって私の質疑を終わらしていただきます。(
拍手)
〔
国務大臣佐藤榮作君登壇、
拍手〕