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1970-11-12 第63回国会 参議院 法務委員会 閉会後第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年十一月十二日(木曜日)    午前十時十九分開会     —————————————    委員異動  十一月十一日     辞任         補欠選任      阿部 憲一君     塩出 啓典君  十一月十二日     辞任         補欠選任      塩出 啓典君     山田 徹一君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         小平 芳平君     理 事                 後藤 義隆君     委 員                 上田  稔君                 江藤  智君                 山崎 竜男君                 小林  武君                 松澤 兼人君                 山田 徹一君                 山高しげり君    最高裁判所長官代理者        最高裁判所事務        総局総務局長   長井  澄君        最高裁判所事務        総局総務局第一        課長       林   修君        最高裁判所事務        総局人事局長   矢崎 憲正君        最高裁判所事務        総局行政局長   矢口 洪一君    事務局側        常任委員会専門        員        二見 次夫君    法制局側        法制次長     杉山恵一郎君    説明員        文部省初等中等        教育局長     宮地  茂君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○検察及び裁判運営等に関する調査  (裁判運営に関する件)     —————————————
  2. 小平芳平

    委員長小平芳平君) ただいまから法務委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  本日、塩出啓典君が委員辞任され、その補欠として山田徹一君が選任されました。     —————————————
  3. 小平芳平

    委員長小平芳平君) 検察及び裁判運営等に関する調査を議題といたします。  御質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 小林武

    小林武君 最高裁前回お尋ねいたしましたが、その点で、二、三の点について、さらに、前回の御答弁を含めて、質問をいたします。  その前に、青法協に加入している裁判官調査訴追委員会の。それから福島判事に関するその他の問題こういうことについて言論界はもちろんのこと、いわゆる法曹関係意見、さらには国民全体が司法権独立というものについて非常な大きな関心を持ったというふうに私は考えているわけです。そういういわば司法権の危機とも言われるものは、私自身考えれば、非常に私自身においても、やはり事の重大性というものを感ずるわけです。少なくとも司法権独立というようなものに対する信頼度というものは、これは一〇〇%でないにしろ、われわれ——私にもある、そういうことがあって初めて憲法というようなものに守られている、あるいは正しいものは裁判を通して非力なものといえども勝てるという、そういう自信が持てるわけでありまして、ところが、現在いわゆる新聞その他の言論機関を通して、司法権独立という問題について、これほど議論される段階になりますというと、一種基本的人権とか、国民の自由というようなものが一体どうなるのかということは、それはいまの政治的、社会的情勢というものを考えますれば非常に不安になるということ、こういうことなんでありますが、これはどうなんですか、最高裁としては司法権独立というものについての一種のわれわれの持っておる疑念というようなもの、そういうものについて、現在何らかの認識を持っているのかどうかということです。それを一応お尋ねしたいと、こう思っているんです。何にもそのことについては心配しておらないのか、あるいは事実上最高裁においてもこの問題は重大だとお考えなのか、そのことを質問いたします。
  5. 長井澄

    最高裁判所長官代理者長井澄君) お答え申し上げます。  ただいま御指摘がございましたように、重大な使命を有します裁判所裁判権というものが非常に論議の対象となりまして、その権威を疑われ、信頼度にひびが入ったというような論議が非常に行なわれておりますことは、裁判所といたしましても重大な関心を払い、残念なことに存じておるわけでございます。ただ、私ども裁判所に現在職を奉じております者といたしましては、現実に独立が侵されているというようなことは毛頭考えておらないのでございまして、憲法に保障されましたところの権限地位に基づきまして、その憲法に従いまして、職務を遂行しているという確信を私ども持っておるわけでございます。何ぶんにも、しかし国民の間にそのような疑念がございますことは、やはり権威の上から非常に問題でございますので、深く反省いたしまして、裁判所自身判断、事実の認識法律の解釈、適用というような面でいささかの疑念も生じませんように反省、精進して、この憲法上の権限を全うしていかなければならない責務があると考えているわけでございます。
  6. 小林武

    小林武君 自信をお持ちになっているということは、ある意味では国民安心感を与えるということなんです。しかしこれは最高裁がどういうことでおっしゃったかということは、完全にいまの答弁ではわからないんですけれども、私はこれは最高裁のいわゆる内部の問題という観点だけでお取り上げになるというと、これはちょっと十分ではないんでないかと、いわゆる司法権独立というものに対しては、これは前回質問いたしましれけれども、いわゆる国会との関係国政調査権の問題を取り上げてこの間質問いたしましたが、あるいはその他行政権との関係権力分立という観点からのやっぱり問題点がありますので、さらに新しい問題もあると思います。そういうことを考えますと、それらの関連においてどうするかということももちろん最高裁でお考えになっていまの御発言があったと思うのですけれども、そう理解してよろしいわけでございますか。
  7. 長井澄

    最高裁判所長官代理者長井澄君) ただいま御指摘のとおり裁判所内部におきましていくら自信を持ちましても、憲法上の各種機関あるいは国民の間にそういう疑念がございます以上、その独立が全うされるということにはならないことは私どもも十分認識しておるところでございます。ただこれは権限とかそういう事実があるかないかいうことを越えまして、やはり裁判内容、質、そういうものによって憲法上の責務をみずから謙虚に果たしていかなければならないという、司法に対する確信と信念がまずあることが必要だと存じましてお答え申し上げたわけでございます。したがいまして御指摘のような各種疑念につきましては、これから大いに努力をいたしまして、そのような疑念を払拭するようにやっていかなければならないと内部では考えておるわけでございます。
  8. 小林武

    小林武君 前回質疑の中の事項についてお尋ねいたしますが、前回の最初に、私は司法権独立という意味から最高裁として昭和二十三年に国政調査権関係参議院法務委員会異議を申し立てられた、このことを取り上げたわけです。これは私が参議院法務委員会に現在いるから国政調査権の問題について異議があるとかなんとかいうことではないわけです。むしろ私はその立場において、国会といえども逸脱した範囲外の問題だと考えた場合には最高裁としてそれに対して断固として司法権独立のために意見を述べ、撤回させるべきものは撤回させるというような、そういう態度は私は司法権独立というものを維持するためには必要であるという立場をとっているわけです。ただしそれについての幾多の学説だとか法律的見解があるということは私も多少は知っている。そういうものがあって、私は前回質問ではそういう立場お尋ねした。これについての御答弁というのは、最高裁判所司法権というものは憲法上、裁判所に専属するものであるから、他の国家機関がその司法権について容喙するようなことは憲法上許さるべきものではないという、こういう御答弁です。その内容といたしまして、個々の具体的裁判について事実の認定、もしくは量刑等当否を審査、批判し、また司法部に対し指摘、勧告する目的で事実認定量刑調査をすることは国政調査権範囲を逸脱するという観点、大体要約すれば、そういうお話だった。それについては、先ほど来言った態度として司法権独立というためには、そういう主張は当然されるべきではないか、事実を逸脱している場合には。それはよろしい。  そこで、私はさらに行政上の問題について行政権がどうだということについて触れようと思っておったわけです。それが十分ではなかったので、若干その点についてお尋ねしたいわけでございますが、司法権独立というものが——司法権独立というものを歴史的にみれば、司法権というものは何から独立しようとしたのですか、これはどういうことになりましょうか。
  9. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 国によってそれぞれの事情がございますので、的確なお答えになるかどうかとは存じますが、一般的に常識的な問題として申し上げますと、行政権から司法権独立した、このように見るのが通例ではなかろうかと存じます。
  10. 小林武

    小林武君 私もそうだと思うわけです。行政権からの独立、その行政権からの独立なしには、これは司法権というものがほんとうに公平な裁判ということはできないということは歴史的な事実を見れば肯定できるわけです。私もそう思います。  そうすると、行政権から独立するということも、歴史的な経過から見れば、これは非常に強く考えられなければならない。しからば行政権から独立するという、行政権が一体権力分立立場から範囲を逸脱したような行動というのは何であるかということが明らかにならなければならぬと思うのですが、そういう点について、最高裁はどういう見解をお持ちなんでございましょうか。
  11. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) それぞれ国家機関がその権限に基づきましてその活動を行なうということは当然のことでございます。ただ司法と申しますのは、あくまでも具体的な争訟に対しまして、対立する当事者を予定し、その当事者間の紛争解決する、これが司法目的でございます。そうして、そのような解決をいたしますためには、当然のことといたしまして、一方の当事者あるいは場合によりましては双方の当事者から、これを不満とし、いろいろの批判、攻撃を受ける場合があるわけでございます。しかし、そういったことにとらわれずに、全く自己良心とそうして与えられました法律とによって、問題を解決していくということが司法目的でございます。といたしますと、そういった具体的な事件につきまして、具体的な紛争解決という問題につきまして、もし他の機関、あるいはそれが立法権でございましょうと、行政権でございましょうと、あるいは私人でございましょうと、そういったものが定められた手続外のことによって、これに干渉をしてくるならば、私ども断固として、これをはねなければいけない、このように考えております。そして司法独立というものはそういった断固として自己に与えられた任務を遂行する、もっと具体的に申し上げますれば、法律良心に従って、定められた手続によって具体的争訟解決するというところにあるわけでございまして、これを侵害するものに対してはわれわれとしては一刻も猶予することはできない。このように考えておるわけでございます。
  12. 小林武

    小林武君 具体的なことというのは前回の御答弁で理解いたしました。  ともかく申し上げたいのは、私は国会というものが現在の憲法の中で非常に明治憲法よりかも優位に立っているということはいえると思う。そういう意味でおそらく最高裁昭和二十三年の浦和事件のときには事重大と考え法務委員会に対して異議を申し立てたと思うんです。しかし先ほどの御答弁にもありましたように、行政権というものも、むしろ司法権独立というものは行政権のために先に考えられた。私は行政権というものがわれわれの何といいますか、権力の大きさといいますか、それがその権力使い方いかんによってはその脅威を与えるという点において何よりも大であると考えているわけです。そういうことを考えますと、学者の言う司法権独立第一義的意味は、行政権からの独立だというようなことを言うのでありますが、私は学問的なことよりかも実感としてまさにそのとおりという考えを持っておりますから、この説に非常に賛成なんです。そう考えますと、具体的な問題でなければならぬと思いますが、具体的に一体——具体的な問題に対して一体最高裁司法権独立という問題にどんな影響をこれに与えているかということについては敏感に反応しなければならぬと考えるんですけれども、ただいまの御発言はそういう場合になったら敏感に反応するということの意味でございますか、断固としてというのはそういう意味ですか。
  13. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 敏感にと仰せられます点がどういうことを意味しておりますか、たとえば反射的に、直ちにと、間髪を入れずにという時間的な意味でございますれば、そういう場合も断固という中には含まれるかと思います。私ども断固と申しますのは、いささかもその決意と申しますか、独立を守る決意をゆるがせにすることがないというような、何と申しますか、決意のほど、その強さという意味で言ったんでございます、ということを申し上げておきます。
  14. 小林武

    小林武君 敏感ということばを使いましたのは、先ほど来申し上げております司法権独立というようなものがいまいわゆる国民的な関心の的になってきたということです。そしてまたいわゆる一九七〇年代というものは、保守であろうが、革新であろうが、時代の、何といいますか、転換的一つの傾向とか、あるいはその間における意見の食い違いとかいうようなものはみなそれぞれ政党、政治家というようなものは意識している。そういう段階に一体たよりになるといいますか、ほんとうに厳正なる一つ判断を下す司法権独立というものが議論されるということは私はやはり事に当たって平常よりかも敏感でなければならぬという、ものの響きに応ずるがごときというまさにそういう態度と、それから峻厳なる態度をもって司法権独立を守るという、いわゆる断固たる気概が必要だと、こう思うものですから、敏感というようなことばを使ったわけでございます。そう考えておるわけです。  そこで、具体的な問題にちょっと入るわけでありますが、これは先般来御答弁をいただいたことでございますから、それについてお尋ねをしたいのでありますが、訴訟の発生というものは対立当事者の構造をとっているから互いに主張の異なる争いがあるのだ、その主張の相違というものは訴訟手続によって法廷の場において完全に戦わされる、こういう趣旨のお話があったように思うのです。この点、私は全くそのとおり当然だと思うのであります。これは原告が国であろうが——いま行政権の話をしているわけでありますから、原告が国であろうが、あるいは国が被告であろうが何だろうが、これはもう主張法廷の中で訴訟手続に従ってやられる、そしてそれについて判決が出た、その判決に不服があるならば、これまた手続をとって法廷内で争う、これはしろうと観としてそうあるべきだと思う、こう思っておるのですが、これは間違いありませんか。
  15. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) そのとおりでございます。
  16. 小林武

    小林武君 そこで私は前の参議院法務委員会浦和事件に対しての御答弁の中に、「当事者以外の者が」ということばがありますね。「当事者以外の者が」ということばがある。そうすると、私はこの「当事者以外」ということばが出てきますと、当事者というものはその判決その他について主張するところは主張できる、これについては私は先ほど来御答弁いただいた内容の御答弁であるならば当然だと思っている。しかし、国が、という場合に、いわゆる行政当局という場合、これは文部省であろうと、それは何であろうと、どこであろうと、国が相手の場合には、行政的な手段、行政上の措置というものはいろいろできるわけです。当事者である場合にはあらゆる手だてを講じてその判決批判してもいいのかどうかですね、あるいはあの判決は誤りであるからどうせいなんというようなことが、これは国が当事者である場合にはあらゆる行政的手続をとってやれるかどうか。やれるとしたら、私はこれはもう最大の脅威だと、こう思うのです。この点はいかがなのでしょうか。
  17. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) まず私どもの根本的な立場について一言申し上げさせていただきたいと思いますが、それは訴訟をいたします上におきまして、国が原告となる場合もございますし、被告となって出ていく場合もあるわけでございます。したがって、そういった者の持つ、小林委員のおことばを借りれば、強大な権限を持つ行政機関国家権力といったようなもの、そういうものが強大な権力を持つということを考えながら裁判をするというようなことではとうてい裁判独立というようなものは全うし得ないわけでございまして、全国におります裁判官が具体的に裁判をいたします場合には、それが国であろうが、か弱い、たとえば一女性であろうが、そういったことは意に介さないで、自分考えに従って法律に定められた手続によって裁判をしておるというのが裁判官気概でございます。したがいまして、一般的な問題といたしましては、実はそういったことは何ら意に介していない。そこに代理人となって、あるいは当事者となっておいでになるのがいかに社会的な高い地位を有する方であろうと、そのことによって裁判判断にいささかの影響も受けない気概裁判官全員が持っているということをまず申し上げたいと思います。  で、そうではございますが、しかし国が当事者になってあらわれてまいります場合の中で、一番いまお尋ねのような問題の起こりやすいのが行政事件訴訟でございます。行政事件訴訟は御承知のように行政機関がその行政本来の目的を果たすために行なった行政行為等につきましてその当否を審査するわけでございます。といたしますと、勢い行政機関の行なった行為批判判断するということになってまいります。当然行政機関はその当事者立場において自己行為正当性主張するでありましょう。したがいまして、そういった正当性主張行政機関全力をあげてなされることもまた訴訟の性質上当然のことでございます。私どもはそのようなことがあってもそれにはいささかも動かされないであたかも一私人主張と同様に判断しておるということをまず申し上げたいわけでございます。  したがいまして、小林委員の御心配はまことに常識的にはごもっともでございますけれども、私どもそういったことで裁判が動かされる、あるいは独立に支障を感ずるというようなことは絶対にないわけでございます。その点は非常に口幅ったいようでございますが御安心いただきたい。このように考えるわけでございます。
  18. 小林武

    小林武君 質問のしかたがちょっと悪かったと思いますが、ちょっといまのような御答弁内容ではなかったのであります、私の聞き方は。当然なんですよ、いまおっしゃったように、国が原告であろうと被告であろうと、国としてはやられた行政的措置に対して当否を問われるということになりますと、これは全力をあげてやるということは、これはあたりまえだと思います。これは、片っ方が、それに対して相手方がまた全力をあげてやる、これは当然です。そこまではいいのですよ。そういう、両方が全力をあげてやることの、前回質問に対して、いいかげんな資料じゃないと、われわれは手続に従った資料によって判断して、良心に従ってこれに対して判決をくだすのですと、こうおっしゃった、これでその点までは全く理解される当然のことだ、そうあってほしい、こう思うのです。ところが、判決が出た、判決が直ちに確定すれば別ですが、これが控訴になった、異議ありということが行政権のほうからそういうあれが出てきた、そういう場合ですね。そういう場合、当然それは判決異議があるのだから判決異議ありということは当然これは言ってけっこうだと思います。しかし、判決が出たら——われわれいわゆる常識論かもしれませんけれども常識とか何とかいうことは、私は法律の中に全然なくてもいいとは思わないのです。本来法律なんというものは常識的なものであって、庶民感情でわからないようなものを法律としたら変な話だと思います。ですから私は、それは法律という非常に精緻な体系を持ったものについて、これはなかなか理解できないような議論も、あれもあるかもしれないけれども、本来それは幾ら聞いても個人常識では、いわゆる庶民一般常識では理解できないというような問題はないと私は信じているのです。だから、そういうたてまえからいいますと、法廷内であらゆる手だてを講じてそのあれに不服があると、自分正当性主張することは当然ですし、そういう行政行為をやっているわけです。やっているというと、その末端にたくさんのやはりその命を奉じてやった行政末端があります。それに対して権力のある、行政権力というものは裁判所が何と言おうと、どんな判決が出ようと、あの判決は間違っておると。まあ、ある、大臣の次ですかな政務次官の立場にあるというから、それは私はりっぱなこれはもう政府の方で責任のある者だと思う。そういう人が、あの裁判官は血迷っている——私は血迷っているということを、きのう辞典で見てみたのですが、よく調べておかないといけないから。血迷っているというのは、これはまことにどうも穏やかならざる内容を持っている、われわれの想像していたとおり。血迷っているというような言動を、それは酒を飲んで言ったりしたならば、酒の席で言ったというならば、まず聞いている者は範囲がきまっておりますからたいしたことはございませんけれども全国の、少なくともそのことに直接関係のある責任者を集めて、その席上において言ったということになりますと、これはもう行政権というものの強大な力というものに脅威を感ずるわけです。私は一個人であっても裁判に不服であれば控訴もしますし、あの裁判は納得いかぬというようなことを、これは個人でも言うでしょう。しかしそのことがほんとう個人ならばやれるのは法廷の中だけですよ。しかし、権力は通達だとか、通知だとか、命令だとかでいろんなことでやれる。あるいはもっと簡素な方法でみんなを集めて訓示するとか——法的拘束力がなくても訓示をするとか、あいさつをするとかというようなことをいくらでもやれるわけですよ。そういうことが私は裁判上の、いわゆる司法権独立というもので放置されていいのかどうなのかということです。このことなんです、言いたいことは。それはあなたのいままでの答弁だというと、当事者には許されるがごときように聞こえたんです、当事者に。当事者というものは許される、それが一つ私は非常に疑問を感ずる。  もう一つですね、先ほどおっしゃった行政事件訴訟法ですか、あの中の二十七条でしたかね、この間もちょっと言いましたが、総理大臣の、非常に問題がありましたあの問題は。あれは一体——あれを適用した事件というのは幾つあるのか知りませんけれども、どういう内容のもので、どこの行政的事件であったかということはほんとうは周知しておりませんですが、そういうものは一体どういうことになるのか。総理大臣というものは、それはもう各省、各行政自分の内閣ですからね、各省、各あれの一切のものについてそういうことがやれるのかということを、かかわりをあわせ考えてみまして、これはもうたいへんなことだというふうに考えるわけですが、その点については最高裁としてはどんなお考えですか。
  19. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) まず第一点でございますが、私、前回のこの席で、ただいま小林委員指摘のようなことを申し上げたわけでございますが、しからばもう一歩突き進みまして、訴訟当事者法廷において、法律手続によってその主張を述べるのではなくて、法廷外の場において訴訟手続きによることなくいろいろの意見を述べることはどうかという問題になってまいりますと、前回はそこまでは実ははっきり申し上げてないということでございます。あらためてこの点についての私ども考えを申し上げたいと思います。一般的に申しまして、訴訟当事者でございましょうと自己主張正当性を広く訴えまして、それによって世論を動かして、具体的に進行中の事件影響を与えようとするということになりますと、それは好ましいことではないと考えておるわけでございます。そういったことはすべてやはり法廷の場において主張し、法廷の場において訴訟手続に従って争われるべきものではないだろうかと、このように考えておるわけでございます。お答えになりましたかどうか。第一点について、私ども考えはいま申し上げた点でございます。  それから第二点の内閣総理大臣異議の問題でございますが、もちろんせっかく精魂を込めまして下しました判断が、内閣総理大臣異議によって判断を取り消さざるを得ないということになることは残念なことではございます。しかし、現在の立法、司法行政ということのお互いの三権の分立が、それぞれの立場を守りながらチェック・アンド・バランスの関係に立つ現行法制というものは、これまた裁判官としては尊重せざるを得ないわけでございます。内閣総理大臣異議が出れば、この行政事件訴訟法がございます以上は、裁判所としては、行ないました決定、判断を取り消さざるを得ない。このことは司法権独立ということ、その限度における独立ということに相なるかとは存じられますけれども、そのことによっていま司法権が非常な困難におちいったような問題は、直接には出てまいらないのではないか、このように考えておるわけでございます。
  20. 小林武

    小林武君 前の、前段の御答弁ですね、これはいまの御答弁ですと、これはもう国であろうが何であろうが、いろんな宣伝なりいろんな方法をとって世論に訴えるというようないわばやり方ですね、これは好ましくないという——私はそれだけじゃないですよ、むしろそのことはある程度わかっています。そうでなく、われわれのできないこと、われわれ個人の場合にはできないことですよね、一般の国民ではできない、われわれ一般の国民にはできないことである。それが国の場合ならば、先ほど来申し上げたように、通達だとか、さまざまな行政的にとり得るあらゆる手段を講じて、結局末端の機構に、それは一般にやれることもやれますわ、それは政府の広報その他を通してやるということもありますし、それはそういう方法をとっています。それと同時に、いわゆる一種の命令です。これはあなたたちにそういうことを別段申し上げることもないと思います。通達、通知とかいろいろありますがね、あるいは談話、あいさつ、いろんな手だてがある。その行政的にとられるあらゆる手段を講じてやるということになりますとね、末端の機構というものは、上級者の命令にはこれは従わなければならない。公務員法がちゃんとそういうことをきめてるわけです。地方公務員法にもきめてある。  そういうことになりますと、そういう手だてを講じて裁判の結果というもの、それはたとえば確定していなくてもやるということ、それからそういう裁判判決というものは全然問題にならぬのだ、錯乱状態のあれがやったというようなことを、もしかりに、もしじゃない、ほんとうに言ったらしいんですが、新聞見たんですが、ぼくは聞いたんじゃないが、新聞はここに持ってきていますから、見たければお見せしますがね、そういうようなあれを行政でやる場合に、行政権というものがやる場合において、ちょっと前段の御答弁はそれについてのあれはないと思います。それはどうかということなんです。
  21. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) しばしば申し上げておりますように、行政権であっても、前段申し上げた点に変わりはないわけでございます。したがいまして、もしそのようないわゆることばとして穏当を欠くようなことばであらわすというようなことがございましたとすれば非常に遺憾なことであると存じます。しかし一般的に行政機関というものが、自分当事者として受けた判断に不服であるということを主張し、そしてそのことを、不服のゆえんと申しますか、不服の理由を下部機構にどういう形で出すかという問題は、私どもそういった下部機構もひっくるめて、これを一つ行政機関というふうに見ておりますので、ただいまのお尋ねの点だけからは的確には何ともお答えを申し上げかねる、さように申し上げておきます。
  22. 小林武

    小林武君 ちょっと何だかいまのことはわからぬのですが、どういうふうに理解していいのか。とにかくこれはもう上部機関といえば、たとえば各省というものがある。その各省の出先の機関というのは東京にもある、各県あるいは市町村にもわたってあるでしょう。そういうものが、公文書、その他いろいろな手だてを講じて行政のあれを出してくる。これがなかったらまた日常の行政事務というものが行なわれないわけです。それを敏速にやるということについては一般論としてはだれも異議がない。ただし両者が少なくとも法廷において争った。争ってそれについて判決が出た。国側が不利になった。そういうときに、この判決は間違いであるから従来のあれが正しいのだというようなことを末端に通知をし、通達をして、そして従来どおりのそれを実施せいというようなことは、私は三権分立の精神からいって、国というものがとるべき態度ではないと、こう思うのです。それはまあめちゃくちゃなやつが暴力的にやるという場合なら話はわかりますけれども、私はそこにはおのずから節度というものを国あたりは持つべきだと思うのです。ところが節度どころの話じゃない。穏当ならざる、というような文章、穏当なんていうのを引き合いに出して、——あまりひどいから言ったのだけれども、穏当であろうが穏当でなかろうが、どんな用語を使おうが、そういうやり方というものは最高裁としてはどう考えるのか。私ならば、それは司法権独立というものについて、国みずからがこれについて司法権独立権威を傷つけるということになる。いわば国というものを考えた場合には、天につばするような行動だと、こう思うのです。だから私はそういう観点に立って話していますから、何というか、お互いが主張といっても、個人の場合ならたいしたことはないのです。あれには実際、不服だとか不満だとかいうのは、これは私は国の側としても言ってもけっこうだと思うのです。もうとにかくあれは不服であるから控訴して戦うのだ、こういうあれはけっこうだと思うのですよ。まあ具体的にあなたに文書をお見せしてというような、全く具体化されたものを出していませんからね、あまり具体化されているとますますあなたのほうもお困りになるだろうと思うから申し上げないのですけれども、しかしそれぞれ横の連絡はあることだと思いますからすでに御存じだと思うけれども、こういう場所では無理に御答弁いただかなくてもけっこうだけれども、こういう考え方というのが、それは法律的見解からすれば、司法権独立というようなことを云々する法律立場から見れば、問題にならぬというようにお考えになっているとすれば、非常に私は残念だと思いますが、それはどうですか。
  23. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) しばしば申し上げておりますように、当事者がこれを不服である、絶対にこれに服することはできないと主張して、さらに訴訟上の争いを展開するということは、私ども一向に差しつかえない問題だと思います。ただ、そのことを、不服であるということを、客観的なそういった事実を下部機構に告げるということではなくて、それにいろいろとこの考えを入れて、そしてそのことから世論を動かそうとか、あるいはいろんなことの意図が入ってまいりますと、これは私どもとしては見のがすことはできないというふうに考えるわけでございます。  で、具体的な事例として、文部省がお出しになりました通知の案がどういう意図をもってなされましたかは、先般の委員会の速記録等で拝見をいたしておりますが、もしそれが判決の確定するまでなおこれまでの方針に従ってやっていくのだ、しかし判決が確定すればもちろんそれに従って新しいやり方をしていくのだ、そこをはっきりするというような趣旨のものでございますれば、いまここで私どもは、特にそれによって行政機関裁判の結果について云々したというふうにはあくまでも考える必要はないのではないか。もちろんそんなことがかりにあったといたしましても、私どもそれによって動かされるものではないことは当然でございまして、しばしば申し上げたとおりでございます。控訴されたということ及びその控訴されたその理由、どういうふうに考え控訴されたかということを周知徹底されたものでありますれば、しかも一般国民に訴えるという方法ではなくて、必要な下部機構にお流しになったという程度のものでございますれば、私ども特に取り上げる必要はないのではないかと考えているわけでございます。
  24. 小林武

    小林武君 まあだいぶ断固たるところから変わってきたわけですけれども、私はまず浦和事件というものに対する最高裁態度から見れば手ぬるいという感じです。私は国会よりかも行政権力脅威というものを感ずるのは、最高裁態度いかんによってもうかがいしれると思うのです。国会国会なんと言っているけれども国会の場合にはむきになってやる。私は国会議員の一人だけれども最高裁というようなものは少なくともこの新しい憲法の中において司法権独立について少しでも問題点を感じたら、断固としてそれに対して裁判所は抗議するとか、撤回を求めるとかというような気概を持たなければ、いまのような段階では司法権独立は守れないと、こう思っているのです。そういうむしろあの場合のことを——あとあとの議員でございますからそのときの当事者ではございませんけれども、肯定してものを考える、しかしそのことは同時に三権分立の精神からいって、行政権に対しても同様でなければならない。特に行政権というものを議会と比較して始末がいいものだと思ったら大間違いだということを言っているのです。だから私は司法権独立というものが何から独立したか、歴史的に始まったかということをお尋ねしたのはそこなんです。また、学者も第一義的な独立意味はそこにある、行政権からの独立だと、こう言っているのです。そうするならば私は差別をつけてやることはないけれども、少なくとも何に対しても三権分立の精神の上に立って司法権独立を守るというような気概は持たなければならぬと思うのですけれども、どうも聞いているというと、だんだんふやけて、おやりになるのはけっこうですという話になるというと、私はこれは問題だと思うのですがね。
  25. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) お考えの点とそう違ったことを申し上げているつもりはないのでありますが、行政権からも独立でなければいけない。行政権がその巨大な機構を背景にして裁判所裁判権の行使に容喙してくるならばこれを断固としてはねのける決意はいささかも変わりはないわけであります。ただ具体的なこの事件におきましては、文部大臣当事者として出てきておられるわけでございまして、その当事者がこの判決には不服であるということを言っておられる、それ以外のものではないと考えておるわけであります。私どもは、そのようなことを不服であるということであるならば、当然そういったことをなさるであろうということは、まあいわば予想されるわけでございまして、これは浦和充子事件国会法務委員会がこれに関係なさいましたのとはいささか趣を異にしているのではないかということを考えるわけでございます。しかし、もしこの教科書事件裁判におきまして、文部省以外の国家機関がこれに何らかの発言をされ、それに対して何らかの批判をなさいますならば、これに対しましては私ども断固としてそういったことはあってはいけないゆえんを声を大にして叫びたいと思うわけであります。しかし、問題は当事者であり、敗訴の当事者である文部省でございます。その文部省訴訟に不服であったということを、どの点が不服であるかということを下部機構に御説明になったというふうに了解できる限度におきましては、私どもそのことが好ましいとまで申し上げる趣旨ではもちろんございませんけれども、いわば非常に口幅ったいことを申し上げるようで恐縮でございますが、その限度におきましては取るに足らぬ行為であるというふうにも考えるわけでございます。いささかもそのことによって今後のこの具体的事件の審理が動かされるというようなことはない、そのことだけは繰り返し申し上げておきたいと思っているわけでございます。
  26. 小林武

    小林武君 ただいまの御答弁は私はたいへんこれは問題感を持ちます。それでお尋ねいたしますが、何かいまのお話を聞いておりますというと、十分文部省の通達その他を御検討なさった上での発言のように聞こえますが、十分ごらんになっているわけですか。それでこれについてはあなたのほうでさしたることはございませんという結論を出されたわけですか、最高裁として。
  27. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 実は前回法務委員会の私が退席いたしました後の速記録を拝見したわけでございますが、その速記録で、文部省の係官が、「今回の通知は当事者としての文部省控訴しました理由についてその立場を明らかにするという意図をもってこの通知が出されていると、そういうふうに御理解をいただきたいと思うわけでございます。」云々という点を拝見いたしまして、そのような意味でもってお出しになった、このように承知いたしているわけでございます。
  28. 小林武

    小林武君 そのことを読む範囲でね。それではひとつ参考のために、これは北海道で全国小学校長会が開かれた。全国連合小学校長会二十二回大会が十七日から札幌で開かれたわけです。この際に、「文部省の西岡政務次官は、家永教科書に対する同省の検定不合格処分を違憲とした東京地裁の判決を「杉本裁判官はなにを血迷ったか、論理的飛躍をおかしている」と激しく批判、「文部省考え方はすでに初中教育局長名で通知してあるので校長先生は自信を持ってこの問題に取り組んでほしい」と述べた。」、これに同席しておった町村知事は、「同次官の話に深い感銘を受けた。教育を、反体制的政治目標に利用しようとしているものがあることは、国民にとって不幸なことである」と言ったことは、少なくとも私はこれは裁判判決についても、これは知事ではありますけれども、言及していると、こう見るのです。ただし、これは新聞記事です、北海道新聞の。その新聞の同じ十八日の夕刊の「直線曲線」というところに、「“杉本裁判官は血迷った”と文部政務次官。」、こう書かれている。私は、先ほどあなたがこれはもう答弁用だと思うのですよ、文部省と私とのやり取りは。あれをただごらんになっただけでおっしゃるのであれば、私はもっとやはり違うのじゃないか。あなたがおっしゃったようなことだけであるならば、とにかく裁判はこうなった、しかし不服だから控訴する。しかし確定しておらないのだから従来のあれを混乱を起こすようなことはいかぬというのであれば、これは私は許さるべきだと思うのですよ。それは私だってそうなんです。これはほかの例もございますけれども、何かこれはほかのところにもありましたが、国税庁の何か事件の問題で国税庁長官が談話を発表した。私は談話のごときものぐらいであればこれはまだわかる。だから従来のあれを変える方針はないからという、その談話はわかる。私はこの程度のことであるならば、それは勝ち負けはあとでまた次の公判できまるわけですからそれはいいとしても、私はもう先ほど読んだような意味でもって、しかもその受け取り方は町村知事に代表される受け取り方です。これは全国の校長会の大会です。その大会でこういうことを言われるということは、あの通達の中の問題は、これは相当重要な意味を含んでいる。これはもう最高裁の方は御存じないかもしらぬけれども、私は長いこと文部省とつき合っていますからあらゆる点について表裏とも知っているつもりです。どういう言動をしているかということも知っている。ある高官は、この通知にそむいたら法律違反だと言ったとか言わぬとかということも聞いている。これは末端にそう聞こえている。だから私はその点を言って、そこまで話をすればなかなか最高裁としてものも言いにくいかもしれぬけれども、私はいまあなたからそれをどうせいということの答弁は求めません。ただ、非常にやはりその点はもう裁判官ですからよく御存じだと思うのですが、裏の裏、ほんとうに機微に触れる問題まで透徹した見解がとれるような、そういう資料その他もあることでございましょうから、その上に立って議論していただくならばけっこうですけれども、ただ上っつらのことだけをごらんになって、司法権独立というものに行政権のあれはさほど感じませんと、それぐらいのことでは私のほうではだいじょうぶですというようなことをおっしゃるのは、私はいささかやはり危惧を持つということです。そういうことがやはり取りこぼしのあれになるのじゃないかと思うのですよ。それはもういろいろな世界に表裏のあることはわかっております。  それから一つお尋ねいたしますが、裁判官の政治的中立性というのはどういうことなんですか。これも一つはやはりいま出ている問題の中で大事なことだと思うのです。政治的中立性とはどういうことをおっしゃるのでしょうか。
  29. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 中立ということは、俗に申し上げますと、いずれにも片寄らないで、自身卓立することというふうに解されるわけでございます。裁判は本来この世の中をどちらかの方向かに押し進めようという目的をもって行なわれるものではないわけでございまして、いわば公権的な役割りを果たしていくというものでございますので、政治的なさまざまの立場を離れて行なわれるべきがその当然の帰結であるわけでございます。この意味裁判は、まあ本質的に政治的に中立であるものでございます。そういうことを裁判官の政治的中立性、このように私どもは理解しておるわけでございます。
  30. 小林武

    小林武君 結局裁判官というのは、具体的な事件といいますか、問題に対して、訴訟事件に対して、憲法法律に従ってへんぱのない公正な法的判断を下せばいいのでしょう。その人がどういう一体あれを持っておったらそういう条件が欠けるかというようなことを、いろいろな点から——これはそういう判断ができないとか何とかということを、そういうことを、きめること自体がおかしいので、私は法に従って——憲法法律に従って、それは弱い者であろうと、強い者であろうと、どんな権力を持ってきても、富を持ってきても、法は曲げることはございませんという信念のもとに公平な態度でもってやるという、そういう人であるならば、それが私はいわゆる、何といいますか、へんぱのないりっぱな態度だと思うんです。ところが、政治的中立性というのは、そういうことを抜きにして、たとえば何かの団体に入っているとか、あるいは政府のたまたまきげんをそこねるような判決を再々やる裁判官であるとかいうような、あるいは非常に大きなある裁判判決がその人に及ぼすというような、そういうことに何か惑ぜざるを得ないように、私自身感ずる。そういう側からの叫ばれる政治的中立性というのが、逆にいえば政治的中立ではなくて、政治的中立を名のった非常にへんぱなものの見方だと、あるいは人間の見方だと、こう思うのですが、私は裁判官の政治的中立性というのは、どこかの団体に所属している、ある政党に加入している、ある宗教を信じておる、そんなこととは無関係だと思うのですけれども、これはどういうことですか。そういうことについては別段文句はないはずだと思うけれども、何か青法協とか何かの問題が出ると最高裁態度は必ずしも歯切れがよかったとは思わないが。
  31. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) ただいま申しましたように、裁判官は政治的中立でなければいけないということでございますし、また公正でなければいけないわけでございます。裁判官が公正であり、中立であるということは、いわば民主主義の最後のとりでともいうべきものであろう、このように大事なものであろうと私ども考えておるわけでございます。で、そうであるといたしますと、裁判官個人として公正であり、中立であるということでございましても、それが外形的にそのように見えないというふうに思われるようになってまいりますと、やはり裁判の公正、中立ということに国民が疑いを抱くという面が出てまいるわけであります。私ども裁判官として身を持する者といたしましては、この点については十分の留意を払わなければいけないわけでございます。特定の団体に加入したりすることが、もし国民からそういうふうに疑われるというようなことがあるといたしますと、これはやはり私どもの心がまえの問題といたしまして避けたほうがいいのではないかということがいえるわけでございます。ただいま小林委員指摘のいろいろの問題がございまして、それにつきましては事務総長が見解を発表いたしたことがございますが、すでに御承知のとおりのことでございますが、事務総長の発表いたしました見解というものも、全くそのような裁判官の心がまえの問題を説いたということで、このように御了解をいただければいいのではないかと考えているわけでございます。
  32. 小林武

    小林武君 局長、私いまの御答弁を聞いておって、非常に残念に思います。他から疑いを持たれる——この他から疑いを持たれるというのは、怪しげな場所に出入りしたとか、あるいは直接裁判関係ある人とつき合いをしたとか、あるいはどうもその中には汚職的なにおいがあるのではないかといわれる、そういうことの中においては、厳として身を慎しむといえばこれは私はりっぱなことだと思うのです。それを最高裁が御要求になるのであれば、これは当然そうあるべきだと思います。しかしながら、その人が一つの信念を持って何かの団体、それがとんでもない団体なら困りますけれども、暴力団の団体に加入したとか何とかいうことならばともかく、少なくとも何かの、そういう種類のものでない、政治的意味を持ったとか、あるいは宗教的な団体とか、その他文化的ないろいろな団体の中に入っていたからといって、それをかれこれ批判をするというようなことを恐れているのであっては、私は血の通った裁判なんていうものは裁判官はできないのじゃないか。いつでもうろうろきょろきょろしているようなことで、世評はどうだろうというようなことを気にするような立場に置かれて、ほんとうに信念を通して正しい裁判を、百万人といえどもわれ行かむというような気慨でもってぶつかるというようなことは不可能だと思うのです。これは確かにそういうとにかく何か特定のものに入って、具体的にそれがどうなったというような事実があるならばともかく、私はたとえば青法協のような問題については、私はそういうやり方というのは一体はたしてどうだろう。まあ私は元教員をやっておって、日教組という団体、労働組合にいたわけですけれども、加入しておったのであります。そうするというと、大体あれは中国の手先だとか、ソ連の何だとか、ひどいのになると、ソ連系混血児小林武なんていうビラを張るやつもいる。そういう偏見みたいなものを持たれるということは、これは、ためにせんがためにすることです。私は、そういう周囲をあまり意識される——裁判の公正というようなことを意識されるのはけっこうだけれども、そこまで考えられるということは、逆に司法権独立というものを侵害されるという結果になると私は思います。  しかしまあ、その点について長々と議論してもしょうがありませんから、これはまた次回に機会があるでしょうからやりますけれども、私の党の訴追委員会委員というのは、実際非常なとにかく苦しい立場に立たされている。しかもそれが正当な会議の結論でもない、提案もされない事項についてやらざるを得なくなったけれども、それに加わっているという立場から、責任をとるということになった。私はそのことをこの間役員会で報告を受けておりましたので、なおさらのこと、そのことと関連をいたしまして、ちょうど裁判官という仕事が非常にきびしい仕事だ、教育という仕事も非常にきびしい仕事だ。世評の真っただ中に立たされるという機会が多い。そういう際に、その弱さというようなものを利用して逆の攻撃というようなものにわれわれが対処できなかった場合においては、権威は守られぬということを考えますので、その点申し添えて、いずれまた機会を見て最高裁には御質問したいと思います。  文部省のほうに……。いままでの質問お聞きになって、喜んだり喜ばれなかったりするのではないかと思いますけれどもお尋ねいたしますが、この通知と通達の話がこの間出ました。通知と通達というのは、これは文部省から出す場合には、あて先はどこどこへ出すわけですか。
  33. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 内容によりましていろいろ異なると思いますが、一般的には、教育問題でございますので、通達等におきましては、県の教育委員会あるいは私立学校行政をつかさどっております知事といったようなところが一般的なことと思います。通知にしましても、これは大体におきまして県の教育長とか知事とかいったようなところが一般的であろうと思います。
  34. 小林武

    小林武君 初中局長ね、一般的な話じゃなしに、この通知というもの、通知はときどきによって違うというのだが、われわれは、文部省通達だとかなんとかいうのは、受けるほうの側で受けたこともあるけれども、そのつど違うものですかね。あれは。私は、今度の場合はどういうやり方をやったかということをまず聞きます。と思いますということではなくて、どことどこへ出したかということです。
  35. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) お尋ねの、教科書訴訟に関しまして先ほど来御質疑がございましたその通知は、昭和四十五年八月七日に、都道府県知事と都道府県教育委員会、教育長あてに出しております。内容によって違うと申しましたのは、たとえば通知等でございますと、事実を知らせるといったようなものもございますので、こういうものは全部の県教委とか県とかいうことではない場合もございますし、あるいは会議を開く通知等は教育委員会の部長とか課長とかあてのものもございますので申し上げた次第でございます。
  36. 小林武

    小林武君 この場合は国立学校には出さぬのですか——県知事、県教委ということになりますと、これはおもに高校程度までの学校に出したということになりますか、それは。国立学校の付属の学校というのがありましょう。国立学校には出さないのですか、国立学校の責任者には。
  37. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 今回の場合には国立学校のほうへは出しませんでした。
  38. 小林武

    小林武君 どういう理由ですか、それは。
  39. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 理由は、深い理由はございませんが、国立学校等は文部省直轄の関係上いろいろ会合等も多うございますし、さらにこの通知を出しました経緯の一つには、都道府県教育委員会あるいは市町村等末端におきまして、教科書訴訟原告側あるいは原告を支援する団体側におかれてもやはり勝訴したということでいろいろな宣伝等もなされておるといったようなことから、特に、とりわけ都道府県教育長等においては教育現場の混乱というようなことについて私どものほうへ強い要望もございまして、そういったことで出しました。国立のほうへ出してもよかったわけでございますが、さほど深い理由で、国立には絶対こういう理由で出さないという、特にとりたてて申し上げるほどの深い理由はございませんでした。
  40. 小林武

    小林武君 一般的なことからいえば、ちょっとぼくら理解ができないような気がしますけれども、まあいいですわ、それは。  それで、通知と通達の違いですがね。通知の場合は、かくかくになりましたというような、これは単なる知らせるという意味ですか。
  41. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 通達と通知につきましてはっきりした定義がなされておるものはございませんが、通達、訓令につきましては、国家行政組織法で、各省大臣等が「その機関の所掌事務について、命令又は示達するため、所管の諸機関及び職員に対し、訓令又は通達を発することができる。」という規定がございまして、それ以上通知についてはこうだといったようなものがございませんが、まあ私どものほうとしては、これは各省にあると思いますが、文部省の文書処理規程というものを、これは大臣訓令で、内部規程でございますがつくっておりまして、それには、通達は、いまの行政組織法の趣旨を受けまして、行政処分の内容または法令、訓令等の解釈、運用方針等を示達するために発する文書、それから通知は、通達以外の文書で、所掌事務に関して必要な事項を知らせるために発するといったようなことでございます。したがいまして、まあ通知ということでございましても通達でも出せるものもございますが、感じといたしましては、通知の場合は、特に下部機構にこうせよという指揮命令というものではなくて、まあ知らせるといったようなこと、さらに文部省としましては指導行政という一面がございますので、指導をするといったようなものは、通達というよりも通知で出しておるというのが従来の慣例であろうかと思います。
  42. 小林武

    小林武君 通知、通達というのは、大体あなたのほうでは指示命令するような意味でね、期待するところは、このとおりやりなさいということですね。そういうことでしょう。やらなければどうなるということになるわけでしょう。あなたたちのほうはよく言うけれども文部省の言うことを聞かないとかなんとか言うでしょう。  それは通達の場合はどういうことになりますか。通達を実行しなかったときあるいは通達の内容を認めないというようなことを言ったとき、そのときどうなりますか。
  43. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) これも形式的にお答えをするような画一的なものがございませんけれども……。
  44. 小林武

    小林武君 このことでいいです。このことで。
  45. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) たとえば通達にしましても内容がいろいろございます。訓令的な、上司が下僚に命令をする。その命令を聞かないというようなものは命令違反になりましょうが、たとえばいま先生が問題にしておられます私の名前で出しました通知について申し上げますと、先ほどもその通知違反が法律違反だと言っておったようなことを、ちょっとお話ございましたが、これは参議院のたしか文教委員会でも卸質問があったと思いますが、先般出しました教科書の問題についての通知に違反したからといって、ストレートで、通知違反ということでこれが法律に違反するとか命令違反とかいう問題は起こらないと思います。しかしながら、現実の問題といたしまして、裁判がまだ第一審で未確定である。未確定で、文部省控訴したのだということでございますが、したがいまして、控訴いたしておりまして、裁判が終結しておりませんから、たとえば、よく裁判にも言われておりましたが、学習指導要領というものは法的拘束力は持たすべきでないというような内容のこともございます。したがいまして、そういうことのないようにと言ってるわけですが、この通知に違反したからといって、通知違反でどうということじゃございませんが、学習指導要領の基準によって教育は行なうということを、そうでなく、学習指導要領の基準によらないで行なっていく、あるいは教科書、検定を経た教科書を使って教育をするというのに対して、問題になっておる教科書、これは訴訟になって文部省が敗訴しておるから、この教科書自身、これによらぬでよいんだとかいったようなことになってまいりますと、通知違反ということで、ストレートに問題が起こるんじゃなくって、別の学校教育法なりの系統から法律違反という事実になってくるであろう。ですから、ストレートにこの通知と、まあ例は悪うございますが、職員の、教師の処分とかいうようなことが形式的につながるものではない。しかし、実質的には学校教育法等の系統から、いろいろ問題が起こることにはなるであろう、そういうふうに解されます。
  46. 小林武

    小林武君 そうしますと、命令であろうが何であろうが、あれでしょう。直接ストレートであろうが、何であろうが——これはストレートだよ、学校教育法の違反なんだから。そうでしょう。ぼくは内容知ってるから、内容知ってるというのは、その判決内容を読めばわかるのです。そうでしょう。あなたのほうで、ぼくと意見が食い違って、目の色変えて、教育権は国にあるという主張と、そうじゃない、国民にあるんだという主張と、その対立について、今度の判決は、あなたたちの主張は通らなかったわけでしょう。だから重大なことなんですよ。だから、格別あなたのほうで、実は、そういう判決ができましたけども、敗訴しましたから、これからもう一ぺん法廷でやります、それまでは確定されておりませんと、こう言ったところで、何も拘束のないあれならば、なるほどやっぱり国民の権利であった、教育権は国民にあるのだ、あの教科書は検定制度によってかれこれ言われるのはおかしいということになったということになると、教育に当たるものは真実を教えなきゃならぬ。そうでしょう。だから、それについて、自分は教育的信念に立ってやるといった場合には罰せられるのでしょう。結局罰するのでしょう。まああなたとそうここで議論してもしょうがないと思うけれども、あなたが何ぼいばっても、何ぼ文部省が肩ひじいからしてみても、敗戦のとき一番はっきりしたのは、あなたたち文部省の役人とかなんとかいばっておった人たちは追放にはならぬのです。都道府県の教育の、とにかく指導的立場にあった人たちは、これは追放とかなんとかいうのはなかった。ところが、どうであるかというと、末端の国定教科書以外のことをやったら承知せぬと言われて、このとおりをやった教師の中でずいぶん追放になった。むざんな、ほんとに最後の教育生活のみじめな状況に追いやられた人が相当数あるのですよ。だれもがそのとき言った。子供まで言った。だれの責任かといったら、文部大臣が悪いなんて言う人は一人もいない。県の教育——文教。何と言ったっけ、何といったかわからぬけれども、部長が悪いなんて言った者は一人もいない。先生が悪いと言う。何のかんのといっても、直接子供に教育するという者の責任はどんなことをしても回避することはできないという立場に置かれるのは教員です。あなたたちは教員というのは何と考えておられるかしらないが、そういうことからいうと、今度の判決が出たのは戦後の教育の中で論争を続けてきたことに対して明快なる判決が出たということになると、あなたのほうもあまり自信がなくて、何と言おうと、ということになって、知らせておくぞという程度のことであるならば、それじゃ信念に従ってやろうかということになったら、それを処罪するということはおかしい。そういう意図があるならば、これはぼくはひとつあらためてまた最高裁に聞いてみなければいけない。処罰される、これを実施すると。とすると、教員の処罰というのは軽いのも重いのもあるのです。五十数万、六十万近い教員がいるが、過半数は文部省の処罰を受けなければならない。そういう現状ですから、この点ほとんど処罰を受けない者は一人もなかったということになるかもしれない。そういう重大な意味があるんですよ、そういう通知でしょう。何のかんのと言ったところで、あなたは正直です。ぼくはあなたの逃げないところがいいところだと思う。ストレートにはいかぬけれどもやられると言っている。このことは速記録に残ることだし間違いありませんな。いまの解釈はそうでしょう、処分されるでしょう、学校教育法に違反するのですから。学校教育法に違反したら地方公務員法違反にもなるでしょう。
  47. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) 一般論でございますと誤解を生じますので申し上げますが、私一例を引きましたのは処分ということでございますが、たとえば学習指導要領の基準によって教育をしなければいけないということになっているわけです。そうして学習指導要領の基準に基づいて教科書というものも編集されております。また学校では文部大臣の検定を経た教科書を使わなければならないということになっております。したがいまして、この通知が出ようと出まいと、今日の段階におきまして、通知とは無関係に学校教育法の規定に違反して、自分はかってな教育をやるのだということで検定を経た教科書を使わない、学習指導要領の基準にのっとって教育を行なわない。それが教師の信念であるといってかりにおやりになっても、それは学校教育法の規定に違反いたしますので、したがいまして、所轄機関——県教委になりましょうが、その教師が公務員法令に違反したということで、公務員法違反になろうと思います。公務員法違反はどういう処分がなし得るということになりますけれども法律論としては処分の対象になり得る行為を犯したということにつながっていくと思います。したがって先生が、この通知がどういうことになるかということですから、通知はいろいろ言っておりますが、さらに、いまの点を申しますれば、第一審判決は出ても裁判は確定していない。したがって教育行政は従前どおりである。先ほど最高裁の方も言われましたように、これが裁判が一審で文部省はそれに不服であるということで控訴しなければ、控訴しないのにこれが通知を出すということはおかしいものでしょうし、さらに最高裁で最終判決があってなおかつこのようなことを言うということであれば問題でございましょうが、そうでございませんので、民主主義国家としてのわが国の憲法の規定、法律の規定に基づいて、私ども法律手続に従って控訴した。したがって行政行為はいままでどおりであるという事実を申しているわけでございます。したがいまして、そういうことについて違反のないように第一審判決が出たから、それでもうきまったんだというふうに自分かってでおやりになると、そうではございませんよということを念のため申し上げた次第です。そういう意味で、この通知に反したからストレートで通知違反である、だから処分だとかいったような問題にはつながらない。あくまで通知と離れて学校教育法の規定に従って教育をしてくださいということを申し上げておるわけでございます。
  48. 小林武

    小林武君 そういう論理をきわめてあたりまえだと感ずるところにあんたたちのセンスの問題があるんですよね。効果は、当然法律違反によって処罰できるようなことにきちんとなってんです。そうでしょう。あなたの言う先ほどの答弁というのはまさにそのとおりのことを言ってるんですよね。それはあなたもお認めになるでしょう。そうすれば、通知と書いても、通達と書いても、結局結果は同じなんです。ただ、通知と書けば、まああなたたちもやっぱり通達とか通知出すのに部内でずいぶん議論あったでしょう、やったらいいか悪いかとか、前例のないことだという話だから。大体談話ぐらいで、ほかのあれでも、いままでは国家機関でやっておったけれども、あなたのほうでやったから、議論があったということを聞いてますよ。議論があったのは当然だと思う。そこで通知になったのではないかと私は考えます。一種の逃げですよ。逃げを打っている。しかし、効果においては何にも変わってはいない。私はもし文部省というのがうんと謙虚な態度に立って、ぼくもその点では同意してるんです。先ほどね、こういうことを——とにかく確定しておらないと、控訴をしていると、意に合わぬから。それで、その間において混乱を起こさないようにという内容であれば、私は穏当な態度だと思うんです。それは認めますと言うのです、そういう態度でやられるのは。ところが、あなたのほうはね、腹にどういう態度があるかということは政務次官の態度を見てもはっきりわかるんですわ。あなたたちのほうは、校長会というのは、これは全く独自のあの人たちの自主的な機関であって、文部省は来賓として出かけましたとおっしゃるかしらぬけれども、文部大臣が行かれようが、政務次官が行かれようが、そこで言われることはね、一つの法的拘束力がなくても、影響甚大ですね、処罰できるような一つのあれを持つんですから。たとえば最高裁の長官の訓辞だとか何とかいうものは下級裁判所の判事の皆さんに非常な影響があるということを指摘している。これは司法権独立というものを内部からくずすというものの一つのやっぱり原因になっていると、こういう学者の説があるけれども、私は文部省もその点ならば同じよりかもっとひどいやり方でやってんですよ、その点は。だから、気違いだと、こういうような血迷った判決くだしたというようなことを言う。これが全国校長会において堂々とぶたれて、そうしてそれに老巧な知事が、警視総官もやったことのある知事が出ていって、まことによかったというようなあいさつをされれば、校長たる者、全国のそうそうたる校長連中がみんなこれに同調すれば効果一〇〇%です。そういうやり方とこれと合わしてみれば、あなたかりにも文部省だから、教育ということを考えたら、影響というものを考えなければだめですよ。人間心理ということを考えなければならぬし、それから仕組みの中に——国家公務員、地方公務員という仕組みの中においての影響ということも考えなければならぬ。その配慮が別の意図でやられているわけでしょう。そのことをあなたたち認めたらいいのではないですか。そうすると、ぼくは最高裁にまた問題をあれしますからね、それは認めざるを得ないでしょう。あなたをぼくは尊敬しておりますよ。なぜかというと、言を濁して変なことを言わないで、それは処分を受けますわというようなことを言うことなどは、やはり男らしい、ほめていいと思います。ぼくもそう言ってもらったほうがすっきりしてよろしい。結局あなたにぼく尋ねるのは、効果というのはやっぱり起こるということだけは認めますかというのです。
  49. 宮地茂

    説明員(宮地茂君) この通知を出しました意図は、裁判影響を与えようとか、圧力を加えようとか、そういう意図は毛頭ございませんが、不服であるということは、こういう理由で不服だということで、訴訟当事者として控訴しているわけです。また、下部の教育委員会なり、教師もその内容を知りたがっていることでございますから、それは通知しておりますが、さらに、裁判は確定していないんだと、だからいまの法律というもので、教育関係法律で教育は行なわれるのだ、それを間違えると教育というものが乱れるし、たいへんなことになりますよということで、これは指導もし、注意も喚起いたしております。したがいまして、通知でありましょうとも、通達でありましょうとも、私ども裁判が確定していないのに、あたかも確定したかのごとく勘違いをして、学校教育法の規定によらない教育をしてもいいんだという教師がいるとたいへんなことになるから、そうではございませんよということを指導し、注意を喚起したわけですから、そのことはどこまでも効果をもってもらいたいというふうに考えております。しかし、それ以上の考え方はございません。
  50. 小林武

    小林武君 それは詭弁ですね、あなたこれはやはり通知を出しておいて、出した本人が読んでいないんですわ。あんまり読んでいないでしょう、この判決内容について。あなたのほうではその批判をやっているのじゃないですか。私はそうでなく、まだこれは確定していないのだから、文部省として方針をいま変えるということはありません。だから、混乱を起こさないようにという程度のことなら認めると言っている。しかし、重要な内容を含んでいるのだから、それは急回わりすることはできないということはわかります。これはもし確定したものなら、文部省のあれはどうなるかということは考えますよ。大きな責任問題が起きますよ。百八十度の転換がある。それこそほんとうの民主主義教育というのは実現するわけだから、民主主義教育をじゃまにしてきた文部省は行き場所がないくらいあわてふためくだろうと思いますよ。それだけのことだから。しかし裁判というものは何と言っても確定しなければどうにもならないから、必要以上の混乱を起こしてはならないということはぼくも同意しました。しかし、あなたの一番の問題点は単なる通知というけれども、明らかにこの中に判決に対する批判が出ているでしょう。これは出ていないと言ったらあなた間違いですよ。日本語ではこれは批判というものです。あなたのほうの関係の中教審でも教育権は国にあるということを、何だかの一つの覚えみたいなことをいつも言っているのではないか、それだけ違った問題をあれしているのだから、それをとにかく強調するために、先ほど来何べんも言うけれども、血迷った裁判官ということまで言わなければならんでしょう、公的な会場でですよ。そういうことを考えたら、文部省の意図はどこにあるかということははっきりしておりますよ、この文章で。時間が来ましたので、このことについてはこの次にまたひとつということにいたします。
  51. 山田徹一

    山田徹一君 最近の新聞等の報道によりますと、裁判官に対する訴追委員長が出したこの照会状が司法権独立を侵害するものではないかというような疑惑が持たれておりますが、私はその裁判官弾劾法第十条に定むるところによる訴追委員会の議事の内容を云々するものではありません。ただ法的解釈の上からひとつお尋ねしたいと思うわけです。  まず司法権独立という問題について、法制局及び最高裁お尋ねいたします。憲法第七十六条司法権独立というのはどういう意味なのか、ひとつつまびらかに、わかりやすく、だれが聞いてもわかるようなことばで、最裁所並びに法制局にお尋ねします。
  52. 矢崎憲正

    最高裁判所長官代理者(矢崎憲正君) 憲法七十六条に「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」とありまして、その三項に「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ抱束される。」と、こういう規定があるわけでございまして、このとおりの内容のものでございまして、特に山田委員に御説明申し上げるまでのこともないと存ずるわけでございます。
  53. 杉山恵一郎

    ○法制局参事(杉山恵一郎君) 法制局長が所用で他出中でございますので、私かわってお答えをいたします。  裁判官独立につきましては、ただいま裁判所のほうからお答えがあったとおりだと思います。
  54. 山田徹一

    山田徹一君 裁判官独立の原則に対して当然だと思いますが、その裁判官にも、してはならない行為がすなわち禁止行為といいますか、あると思うのですが、いかなる行為を言うのか、お答えいただきたいと思います。矢崎人事局長。
  55. 矢崎憲正

    最高裁判所長官代理者(矢崎憲正君) 裁判官弾劾法第二条に規定がございますが、「弾劾により裁判官を罷免するのは、左の場合とする。」とございまして、「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠ったとき。」それから二号に「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき。」と、こういう規定があるわけでございますが、これがその典型的な場合であろうと存ずるわけでございます。
  56. 山田徹一

    山田徹一君 裁判所法の第五十二条におきまして、その一号に「国会若しくは地方公共団体の議会の議員となり、又は積極的に政治運動をすること。」こうありますが、この「積極的に政治運動をすること。」という意味は、最高裁として裁判所法の解釈をどういうふうにとっていらっしゃいますか。
  57. 長井澄

    最高裁判所長官代理者長井澄君) これも条文に明示してありますとおりでございまして、特定の政治的な見解を持つだけでなくその政治的見解を社会において実現するために政治的な活動を行なうことを指すものと解しております。
  58. 山田徹一

    山田徹一君 「裁判所法逐条解説」の中で、これは最高裁の事務総局から出ているわけですが、その中の中巻の百七十八ページに、「「積極的に政治運動をすること」とは、国会や各議会の議員となることを除いて、みずから進んで政治活動をすることである。どのような行為が政治活動に該当するかは、むずかしい問題であるが、一般の公務員の政治的行為の制限に関する国家公務員法第一〇二条の規定および右規定にもとづく人事院規則一四——七の規定は、本条の「政治運動」の範囲を決するについても、解釈上の一の重要な準拠となるものといえよう。国民の一員として当然果すべき義務としての政治的行動(たとえば、各種の選挙において選挙権を行使したり、公務員の解職請求の署名をしたりする行為)は、もとより積極的に政治運動をすることにあたらないし、単に特定の政党に加入して政党員になったり、一般国民としての立場において政府や政党の政策を批判することも、これにふくまれないものと解すべきである。」と、このように解説がしてありますが、このとおりと理解していいですか。
  59. 長井澄

    最高裁判所長官代理者長井澄君) 法律の規定といたしまして、このように解釈されておるのが、現在の解釈でございます。
  60. 山田徹一

    山田徹一君 もう一ぺんお尋ねしますが、この解釈をうのみにしていいですね。
  61. 長井澄

    最高裁判所長官代理者長井澄君) 法律上の禁止された裁判官の行動であるかどうかという観点から解釈いたしますれば、このような解釈となるという趣旨でございます。
  62. 山田徹一

    山田徹一君 ちょっと極端な言い方になるかもしれませんが、法解釈の上から政治団体あるいはその他の団体に加入しているとしても、このことを理由に裁判官の思想または団体加入の有無を調査するということは、裁判官の思想、良心の自由、表現の自由、団体加入の自由を侵して、ひいては裁判官の権利を侵し、司法権独立を侵害することになると考えてしかるべきであると思うがどうか、お答え願いたい。矢崎人事局長。
  63. 矢崎憲正

    最高裁判所長官代理者(矢崎憲正君) ただいまの御質問の趣旨でございますが、訴追委員会のこのたびの措置と関連しての御質問でございましょうか、いかがでございましょうか。
  64. 山田徹一

    山田徹一君 そうでなくて、一般論としてお答え願いたいのです。法解釈の上から一般論として、そういう問題全然関係なしに。
  65. 矢崎憲正

    最高裁判所長官代理者(矢崎憲正君) この問題はまことにデリケートな問題を含んでいるわけでございまして、抽象的に返事をせよと仰せられましても、これは現に具体的な問題が問題とされているわけでございまして、この場において軽々に申し上げることは困難であろうと存ずるわけでございます。
  66. 山田徹一

    山田徹一君 法制局の次長さんどうでしょうか、法解釈の上で。
  67. 杉山恵一郎

    ○法制局参事(杉山恵一郎君) 具体的に事案等の関係でものを考えませんと、一般論としていまのような問題についてお答えするのは、非常にむずかしいのではなかろうかというふうに私も思います。
  68. 山田徹一

    山田徹一君 だって、一般的な問題として、いまの法の解釈というもので教えていただきたいと思うんですが、法制局の次長。
  69. 杉山恵一郎

    ○法制局参事(杉山恵一郎君) 繰り返して言うようでございますが、その周辺にあるいろいろな事情というものがございますので、ですからそういうものを含めてものを考えませんと、判断の材料が足りないのではないかというふうに実際に思うのでございまして、あえてその問題を回避しているわけではございませんので、その点は御了承願いたいと思います。
  70. 山田徹一

    山田徹一君 回避しているような気がしますね。まあいいでしょう。  それでは法制局の次長にお尋ねしますが、裁判官弾劾法の第十一条——ひとつ関連していると思わないで、教えてもらいたいのですから、こっちが。その十一条に、「訴追委員会裁判官について、訴追の請求があったとき又は弾劾による罷免の事由があると思料するときは、その事由を調査しなければならない。」あと用語がありますが、その十一条の法文解釈についてお尋ねいたしますが、「訴追の請求があったとき」と、こうあるのはいろいろ学者の説もございます。訴追事由の見込みがあったときだけか、または請求があれば何であろうと調査するという、そういう二つの見解考えられているが、法制局の法文解釈はどういうふうに解釈されておるか、お教え願いたい。
  71. 杉山恵一郎

    ○法制局参事(杉山恵一郎君) 確かにこの十一条の規定というのは非常にいろいろ問題がある規定のようでございます。ただいまお話がございました訴追の請求があったときに調査をしなければならないという規定は途中から改正で入りました規定で、おそらくこの趣旨は、訴追請求があった場合に、訴追委員会がそれを握りつぶしてしまうことがあったのではいけないというので、憲法の中にあります公務員の罷免権は国民に属するというふうなことの趣旨からいっても、そういう請求があれば誠実に何らかの行動をとらねばなるまいということであろうと思うわけです。したがって請求があった場合には何らかの措置をとらなければならないというのが一応の考え方だと思います。ただしかしその請求事由にはいろいろな要件がございまして、一番はっきりしておりますのは訴追期間が三年以内でなければいかぬというふうなこともございますし、したがって五年も十年も前の事件を持ってきたというふうな場合でもなおかつ調査をしなければいけないのだというふうになりますと、これは調査しても無意味だということがはっきりしておりますので、そういったような場合は当然調査がなくても、調査をしなくてもいいのではなかろうかというふうに思われます。したがってこの条文の上から申しますと、常に請求がありますれば調査をしなければならないように見えますけれども、その請求を受け取った場合に、それを不備なところをいろいろ補充したり補正させたりして、なおかつそれらの訴追事由に該当しないということがはっきりしているような場合に調査しなければならないのだというふうには解釈しなくてもいいのではなかろうかというふうに一応は考えております。
  72. 山田徹一

    山田徹一君 それではいま一つお尋ねしますが、この同じ裁判官弾劾法の第二条の先ほど矢崎人事局長の読まれた条項ですが、「弾劾により裁判官を罷免するのは左の場合とする。  一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚しく怠つたとき。  二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。」と、このような規定になっておりますが、この二つに該当しないような事柄があった場合、この第十一条の調査権を発動することは、司法権の侵害になるのではないかと、こう思うわけです。したがって法解釈上の点からいって、こういう問題はそうとるべきなのかどうなのか。法制局の次長にお答え願います。
  73. 杉山恵一郎

    ○法制局参事(杉山恵一郎君) 二条に該当しない事由であって調査をする、該当する事由がはっきりしていて調査をするという場合に、その調査がまあむだになってしまうというようなことについてはわかりますが、それが今度積極的に司法権を侵害することになるのかどうかという点は、また違った要素の問題なんで、そちらのほうとの関係考えませんと、はっきり言えないのではなかろうかと思います。
  74. 山田徹一

    山田徹一君 それではそのようないまの弾劾法第二条に該当しないようなものは調査する必要がないと思われるけれども、それに対して法制局の次長の法律上の見解はどうでしょう、侵害とか云々じゃなくて。
  75. 杉山恵一郎

    ○法制局参事(杉山恵一郎君) 侵害じゃなくて、先ほども申し上げましたように、訴追事由として出てきたものが二条に該当しないということが明白であるならば、調査をする必要はないのではないか、こういうふうに思います。
  76. 山田徹一

    山田徹一君 それでは問題を変えまして矢崎人事局長にお伺いをいたしますが、いま問題の焦点の一つになっているのは、札幌の高裁の福島判事に対する注意処分でございますが、新聞等の論調によりますと、国会の多数勢力によって政治色の濃厚な決定が出やすい、裁判官訴追委の決定によって注意処分が決定されたんではないかと、これは司法権独立を現実に侵すものとの印象を与えたと、こういうふうな意味のことが各紙に報じられていることは御存じのことでありましょうが、国民司法権に対する不安感を与えることは、民主政治の根本に触れる重大な問題であると思うわけなんです。  そこで、きょうは長官の代理としてこの不安感を除去することは当然な責務であるとも存じますので、私はここで報道の記事をそのまま読み上げますから、もしその内容について違っているような点があればお答えいただきたいと思うわけです。それは吉田事務総長の記者会見の発言ですけれども、「平賀判事に注意処分をした一年余り後にこの処分が出たが。」と、こういう質問に対して総長は、「平賀判事の行為ははっきりしていたが、福島判事行為の動機、経過は当時、まだ明らかでなかった。そのうち訴追委にかかったので、その決定に影響を与えることなどのないように、処置をひかえていた。訴追委の決定が出て、そのおそれもなくなったので処置をとった。」と、こう言っておりますが、これはいかがでしょうか。
  77. 矢崎憲正

    最高裁判所長官代理者(矢崎憲正君) 札幌高等裁判所が政治的な圧力ないしは訴追委員会の決定があったということによって、それに影響を受けて注意処分をしたというようなことは、これは断じてございません。札幌高等裁判所といたしましては、その裁判所法に認められている独自の権限に基づきまして、独自の立場裁判官会議を開いて結論を出したわけでございまして、そのようなことが政治的な圧力ないしは訴追委員会の決定のインフルエンスのもとになされたというような疑惑を抱かれるということは、これは札幌高等裁判所裁判官一同にとってきわめて遺憾でもあり、きわめて残念なものの見方であろうと、こう存ずるわけでございます。
  78. 山田徹一

    山田徹一君 ちょっと、いまこの新聞の記事がそのとおりかどうかというところをお尋ねしているわけですが、このとおりであるかどうか。
  79. 矢崎憲正

    最高裁判所長官代理者(矢崎憲正君) 総長の記者会見の談話は、これはこのとおり談話として発言されたものと思うわけでございます。
  80. 山田徹一

    山田徹一君 その次に、「訴追委の決定に追従した、という印象で受取られているようだが。」という記者の質問に対して総長は、「そんなことはない。裁判所独自の立場でやった処分だ。一般国民はわかっているはずだ。」と、これもこのとおりですね。
  81. 矢崎憲正

    最高裁判長官代理者(矢崎憲正君) そのとおりと存じます。
  82. 山田徹一

    山田徹一君 では高裁のこの注意処分は、訴追委の決定に影響されたものではなくて、裁判所独自の判断によって決定された注意処分であるという答弁と解釈していいですね。
  83. 矢崎憲正

    最高裁判所長官代理者(矢崎憲正君) そのとおりでございます。
  84. 山田徹一

    山田徹一君 そこで私は、もちろん国民が疑惑を抱いておりますので、一つは平賀判事の注意処分があった後に、福島判事の処分が不問に付されていたのではなかろうか。さらに独自の決定であるという理由は何か。また福島判事の注意処分の決定はいつなされたのか。さらに訴追委員会での訴追猶予決定と裁判所の注意処分が数日のうちに発表されたことが、国民に疑惑を起こさせてはいないだろうかというような点について、可能な限り具体的なしかも明快な答弁をお願いしたいと思います。
  85. 矢崎憲正

    最高裁判所長官代理者(矢崎憲正君) 具体的な経過を申し上げることにいたしますが、昨年の八月二十七日に札幌地裁本庁の裁判官が集まりまして、要するに裁判官会議の開催ということについて結論が出たわけでございまして、その後九月六日に正式に会議の招集があったわけでございます。そして九月の十三日に札幌地裁の裁判官会議が開かれまして、そして深夜にわたって論議された上で、札幌地裁が平賀所長に対し注意の処分を行なったわけでございます。で、その翌日すでに平賀書簡は発表されてテレビに放映され、その翌日新聞の朝刊に書簡の全文が発表された、こういういきさつになっているわけでございます。そして九月二十日に平賀所長に対しまして最高裁判所裁判官会議の決定に基づきまして注意がなされたわけでございます。  その後福島判事につきましては、訴追の申し立てがあったわけでございまして、その訴追の申し立ては十月二十三日にあったというように新聞が報じているわけでございます。そしてその後本年に至りまして、四月に札幌地裁に福島判事の忌避の申し立てがございました。五月に忌避申し立て却下決定が地裁でございました。そして高裁で七月十日に抗告棄却の決定があったわけでございます。そして十月十九日に訴追委員会福島判事につきましても訴追猶予の決定があったと、こういうような一連の事実関係があるわけでございます。  ところで訴追委員会の決定の中に掲げられてございますように、これは多少くどくなりますが、訴追委員会の決定の内容の一部を読み上げさしていただきます。「福島裁判官が八月二十二・三日頃から同月末項までの間に、東京の裁判官等を含む数名の裁判官に、平賀所長より平賀書簡を受けたこと並びに札幌地裁の裁判官には、これを公表することに反対する意見が多いが、公表の可否についての意見を求める旨の書信を送り、さらに九月はじめ頃、右裁判官らに平賀書簡のコピーとその後の経過を書いた書信を送って、これに対する同裁判官等の意見を求めたところ、公表すべきである旨の圧倒的多数の回答に接し、また公表については積極的に協力する旨の手紙も数通あったので、これを放置すれば書簡を公表される危険があったにかかわらず、あえてこれを差し止めなかったため、東京方面に送った平賀書簡のコピー一通を同月十三日の裁判官会議開催前に新聞記者に入手せられる結果に至らしめた」、こういうように訴追委員会の決定の中で事実関係がうたわれているわけでございますが、平賀所長のとられた行為そのものは、きわめて事実関係としては明白であるに反しまして、福島裁判官のとられた行為につきましては、ここの決定の中で認定されておりますように、まあいろいろと複雑な内容を含んでいるわけでございます。これにつきましては場面が東京まで及んでいるかのようでございまして、そしてその発表に至った経過等もきわめて複雑なものがあるようでございます。そういうような事実関係を前提にして、そして先ほど申し上げた一連の経過とにらみ合わせてお考えいただきますれば、札幌高裁がその当時福島裁判官に対して注意処分をとることが困難であったという事情がおわかりではなかろうかと存ずるわけでございます。
  86. 山田徹一

    山田徹一君 いずれにしても司法権独立というものは重要な問題でありますし、もう少し詳しく話していただきたいという気持ちもありますけれども、持ち時間の関係もありますし、どうか国民裁判に対する信頼にこたえるためにも、司法権独立という点については強く要望して、私の質問を終わりたいと思うのです。どうかよろしくやっていただきたいと思います。
  87. 小平芳平

    委員長小平芳平君) 他に御発言もなければ、本件に対する質疑は本日はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。   午後零時三十五分散会