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小林武君 そうしますと、命令であろうが何であろうが、あれでしょう。直接ストレートであろうが、何であろうが
——これはストレートだよ、学校教育法の違反なんだから。そうでしょう。ぼくは
内容知ってるから、
内容知ってるというのは、その
判決の
内容を読めばわかるのです。そうでしょう。あなたのほうで、ぼくと
意見が食い違って、目の色変えて、教育権は国にあるという
主張と、そうじゃない、
国民にあるんだという
主張と、その対立について、今度の
判決は、あなたたちの
主張は通らなかったわけでしょう。だから重大なことなんですよ。だから、格別あなたのほうで、実は、そういう
判決ができましたけ
ども、敗訴しましたから、これからもう一ぺん
法廷でやります、それまでは確定されておりませんと、こう言ったところで、何も拘束のないあれならば、なるほどやっぱり
国民の権利であった、教育権は
国民にあるのだ、あの教科書は検定制度によってかれこれ言われるのはおかしいということになったということになると、教育に当たるものは真実を教えなきゃならぬ。そうでしょう。だから、それについて、
自分は教育的信念に立ってやるといった場合には罰せられるのでしょう。結局罰するのでしょう。まああなたとそうここで議論してもしょうがないと思うけれ
ども、あなたが何ぼいばっても、何ぼ
文部省が肩ひじいからしてみても、敗戦のとき一番はっきりしたのは、あなたたち
文部省の役人とかなんとかいばっておった人たちは追放にはならぬのです。都道府県の教育の、とにかく指導的
立場にあった人たちは、これは追放とかなんとかいうのはなかった。ところが、どうであるかというと、
末端の国定教科書以外のことをやったら承知せぬと言われて、このとおりをやった教師の中でずいぶん追放になった。むざんな、ほんとに最後の教育生活のみじめな状況に追いやられた人が相当数あるのですよ。だれもがそのとき言った。子供まで言った。だれの
責任かといったら、文部
大臣が悪いなんて言う人は一人もいない。県の教育
——文教。何と言ったっけ、何といったかわからぬけれ
ども、部長が悪いなんて言った者は一人もいない。先生が悪いと言う。何のかんのといっても、直接子供に教育するという者の
責任はどんなことをしても回避することはできないという
立場に置かれるのは教員です。あなたたちは教員というのは何と
考えておられるかしらないが、そういうことからいうと、今度の
判決が出たのは戦後の教育の中で論争を続けてきたことに対して明快なる
判決が出たということになると、あなたのほうもあまり
自信がなくて、何と言おうと、ということになって、知らせておくぞという程度のことであるならば、それじゃ信念に従ってやろうかということになったら、それを処罪するということはおかしい。そういう意図があるならば、これはぼくはひとつあらためてまた
最高裁に聞いてみなければいけない。処罰される、これを実施すると。とすると、教員の処罰というのは軽いのも重いのもあるのです。五十数万、六十万近い教員がいるが、過半数は
文部省の処罰を受けなければならない。そういう現状ですから、この点ほとんど処罰を受けない者は一人もなかったということになるかもしれない。そういう重大な
意味があるんですよ、そういう通知でしょう。何のかんのと言ったところで、あなたは正直です。ぼくはあなたの逃げないところがいいところだと思う。ストレートにはいかぬけれ
どもやられると言っている。このことは速記録に残ることだし間違いありませんな。いまの解釈はそうでしょう、処分されるでしょう、学校教育法に違反するのですから。学校教育法に違反したら地方公務員法違反にもなるでしょう。