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政府委員(
安達健二君)
一つ実体との
関係を先にちょっと
説明さしていただきたいと思いますが、監督さんたちがこの
法律によっていままであった
権利まで奪われるというような話をしておられるようでございますけれ
ども、実体は
——実体と申しますか、
現行法におきましては、映画の
著作者については明記いたしていないわけでございまして、この映画を「製作シタル」者と書いてありまして、これにつきまして裁判所の判例などでは、製作したるものは製作会社であるというような判例も出ておるわけでございます。そうしてそれからもう
一つ、監督等がその会社と契約する等の場合におきましては、一切の
権利を会社が行使することを認める、こういうようなむしろ
規定が現在契約等で入っておるわけでございます。ところがこの
法案におきましては、
著作者人格権というのを認めておるわけでございます。人格権はこれは何にもならないのだというのはとんでもない話でありまして、実体的にも、たとえば劇場用映画を
放送映画のテレビ用に再編集する場合には、たとえば二時間のものを一時間二十分に切るということになりますると、これは映画の
著作物の
内容の改変になるわけでございます。その場合には、むしろどうしてもこの
法案によりましては
著作者の同意なくしてはそれはできないわけでございます。したがって、映画の監督等のそういう
権利がはっきり確立されてくるわけでございまして、私
どもはそういう面でも非常な前進ではないだろうかと思うわけでございます。
それから第二段の、いま御指摘のありました、
権利を一たん監督等に発生せしめてそれから映画製作者に譲ればいいのではないか、こういう方法で、たとえばドイツやフランス等では
権利は製作者に譲渡されたものと推定すると、別段の約束をしないという、その
著作権は全部映画製作者に移ってしまいますよと、こういう
規定をしている国もございます。それからそういうことをしないで、お手元にも資料として配ってございますが、イタリーとかオーストリア等ではそういうことをしないで、映画の
著作者はそういう監督等であるけれ
ども、
著作権は映画製作者に属する、こういうような
規定を置いているところもあるわけでございます。それからイギリスやアメリカ等では、この映画の
著作権は映画製作者のものだというように
規定しているところもございます。しかもアメリカは映画の
著作者も映画製作者であるというような
規定すら持っておるわけでございます。そういうような
関係におきまして、いま御指摘のような方法ももちろん考えられると思うわけでございますけれ
ども、映画の
権利関係を明確にしていくと、
先ほど申しましたように、映画の
著作なり製作には多数の人が参加するわけでございますので、
権利関係を明確にしなければならない。その
権利関係を明確にした上で
著作者等の利益もはかるということが可能でございまして、これはよほど誤解があろうかと思いますけれ
ども、たとえば映画の
著作権が映画製作者に帰属いたしました場合におきましても、その場合は当然その映画の
著作物の
利用について監督等と映画製作者との間で契約を結ぶ、たとえばテレビで上映する場合にはこれこれ、外国に出す場合にはこれこれ、こういうことを映画製作者との間で契約を結ぶことはもとより可能でございまして、したがって、たとえばテレビに出す場合には、
一つはこの
法律によって人格権が当然普通の場合は働いてくるでありましょうし、あるいはさらに、いま監督等と製作者で結んでおるテレビ上映についての契約はこれは契約として決して否定されるわけではなくして、これは契約として生きているわけでございます。したがって、映画の
著作権を別段の留保がない限り譲渡したものと推定するという制度によって契約上の利益をはかるかですね、それとも
著作権は映画製作者に帰属したと、その前提のもとに契約を結ぶかということが、いずれが
実態に即しておるかという、そういう問題であるし、それが同時に、映画の
著作物の
利用をはかる上にどちらがいいかという問題になってくるわけでございまして、
日本の映画の製作形態というのは非常にアメリカに似ておるわけでございまして、長官がよく承知でございますけれ
ども、ヨーロッパ等では大きいそういう映画会社というものはまずないわけです。
日本の形態というのは、非常に現在のところはアメリカに似ておるわけでございまして、映画の製作者自体を
著作者にすべきであるという意見も相当審議会等でもございました。しかし、そういう見解はとらなかったわけでございますけれ
ども、しかし映画の経済的
利用権を映画製作者に帰属させることは世界の様子なり
日本の映画の
実態から見て決して不当ではないし、そしてまた、それによってそういう前提のもとに映画の
著作者が契約によって経済的利益を確保することは十分でき得ることでございますから、その点についての心配はない、こういうように考えるわけでございます。