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国務大臣(
橋本登美三郎君) なかなかむずかしい問題でありまして、実は閣僚会議の
意見にしましても、あるいは
行政管理庁の
意見にしましても、ただ社会構成というものが非常に複雑化してきておる。いま山崎さんがおっしゃったように、したがって、ある
意味では規制すべき面がある程度出てくるのではないか、そういう面でもわれわれは考えざるを得ない点もあると思います。たとえばタクシー
行政もそうなんですが、前には車を走らせるということが、どちらかといえば、このタクシー
行政の
中心であったと思うのですね。いまではタクシーを安全に走らせる、あるいはそれによって起きた事故は、物的損害はだれが背負うかということが、やっぱりこのタクシー
行政の中に入ってきておるわけですね。したがって、はたしてこの物価安定会議ですか、から出ておりますけれ
ども、一定の基準に合致したものはそのまま認めたらいいじゃないか、及び台数等は従来制限しておるが、これも申請があったら、基準に合ったらそのまま認めたらいいじゃないか、こういうような弾力的な提言です。
ただ問題は、これは皆さん御承知でありますが、いまタクシー運転手というものが、いろいろの事情があります。これもまた現在の新しい社会といいますか、近代社会における企業の中における勤労の
条件というものと少し事情が違ってきておる。タクシーの運転手であれば、たとえば二十四、五歳の運転手も四十歳の運転手も、タクシーの水揚げ量は変わらない。あるいは若い人のほうが多いかもしれない。勤続年限がそれに加わらない。実際の水揚げの上から言ったら変わらないわけですね。そういう点から言って、はたしていまの現状のままタクシー運転手というものを近代
産業下における勤労者と同じような
条件になし得るかといいますと、なかなかむずかしい問題があります。また、これをいわゆる
政府の保護のうちからはずしてしまって、だれでもやれる、こういう
状態が——交通事故が起きた場合に、それを国が全額支払うならいいんですけれ
ども、自賠法なるものは、御承知のように大部分がドライバー、車を持っている人、所有者がこれは保険を積んでいくわけですね。そうしますというと、はたして——相当人命の価値が上がってきております。今度も五百万円に上げておりますが、外国の例で見ますとおそらく一千万円以上、高いところは五千万というようなところがありますね。そういうものにたえられるかどうか問題があります。そういう
意味において、近代社会というものが多種多様な諸要因を持っておりますので、一がいにこの規制をやめていいかどうかという問題も一面においてはあります。
ただ、
経済の流動性といいますか、
経済の進展化ということを目ざす
意味においては、やはりこれは弾力的な
措置は考えなければならない。私も運輸
行政に携わっておりまして、あまりにも不必要な許認可事項がある。そういうことからして、刷新本部であのような案をつくってまいったわけでありますが、ただ、先ほど来からいろいろお話がありました誘導型あるいは規制型という
ことばが適当かどうかと言いますというと、私も、私のつくった文章じゃありませんけれ
ども、必ずしも適当じゃないと思います。ある
意味においては、
行政の本来の性質は監督であり指導であると、これは
行政法の原則であります。ただ最近社会科学といいますか、
時代に沿うて
ことばの使い方が非常に広範に使われますからして、したがってサービス型とか、あるいは規制型とかという
ことばを使ってもおかしくはありませんけれ
ども、必ずしもこれは
行政法のたてまえから言うところの
意味とはだいぶ
意味が違ってきている。純粋に言うなれば、
行政法としてはいわゆる監督であり指導である。先ほどからお話がありましたように、監督指導というものがその役所だけにとどまらないということですね。その
法律に従って動いている、あるいは運送会社にしましてもタクシー会社にしましても、それもある
意味における
行政の、広い
意味から言えば一部を担当しておる。こういう
意味から考えますというと、まあ官房長が言いましたように、使用者あるいは利用者の立場に立ってものを考えるという
考え方があっても、これは差しつかえないと思う。またそうあるべきであろうと思います。そういう
意味において、運輸省としては、少なくとも
国民大衆に直結しておる監督
行政の立場にあるからして、ものの
考え方あるいは扱い方を、利用者本位といいますか、利用者の立場に立ってものを考える、こういう反省は私はまた歓迎してよろしいのではないだろうか。ただ、いわゆる許認可と、こういう権限だけ持っておって、そこでややともすれば、役人の指導監督というものは許認可事項を持っていることから出てくる場合が多いわけであります。そういう
意味において、いわゆる監督
行政というものは許認可
行政であることは間違いありませんが、近代社会のようないわゆる
組織化されておる社会では、あるところを押えれば全体が押えられるというような社会、情報化
時代でありますからして、ものの
考え方、発想法を改めて考えていくということが必要な
時代に入ってきておりますので、いわゆる運輸
行政なるものもここで見直そうというところに刷新本部の
一つの方針がある、かように御理解願えればありがたいと思います。