○矢山有作君 まあ自衛隊のほうは、実弾射撃をなるべく早くやって、演習場の拡張をはかりたいということから、第五条のただし書きというものを、いま聞きますと、形式的な解釈によって解釈をして、それで実弾の射撃に入ったのだろうと思うのです。そこで私はこの際詳しいことは申し上げられませんが、ごく最近の経過がどうなっておるかということを、地元の人間から十分
調査してまいりましたので、そのことを概略申し上げて、そういう情勢の中で、このただし書きをたてにとってやることがいいのか、悪いのかということを私は
長官に御判断願いたい、簡単にできるだけし上げます。
最初、
関係部落の住民がずっと、従前演習場の拡張には反対をしておったわけです。そのことは御承知のとおりでありますが、その反対の中を、まず四十年の七月に、
日本原演習場使用協定という、いま私が問題にした使用協定が結ばれました。で、従来演習場拡張の賛成、反対に分かれて激しく対立しておったのですが、この使用協定を結んだことによってさらに深刻化してきた。そうしてそういう中で、四十二年の二月の選挙で、いまの町長である久永氏が町長として就任をいたしました。それとともに、地元住民の意思を無視して、町当局が強力な演習場拡張運動を展開し続けたのであります。さらに四十四年の八月一日に、そういうようなことをやりつつ、奈義町議会が帝国憲法復活決議を十対七で可決いたしました。これはその当時週刊誌に騒がれた問題ですから、御記憶の方もあると思う。
昭和四十四年九月十八日に
防衛庁
長官が日本原視察にこられたようですが、そのときに久永町長は
長官に向かって、ことし中に地元利害
関係者を納得させ、東地区への実弾射撃ができるようにいたしますと約束をしたわけです。さらに引き続いて四十四年の十二月の二十日に、選挙運動のために岡山入りをされた
防衛庁
長官は、町長がそういうふうに言うのだからということで、日本原の全面使用については、地元との話し合いが進んでいるので部隊を増強すると公表されたようであります。さらに久永町長は、以上の経過の中で、四十四年も押し詰まってまいりましてから、東地区への実弾射撃実施について了解を得たいから、部落総会を開いてほしいと、
関係五部落へ申し入れました。ところが
関係五部落は、すべてそれを拒否いたしましたが、ただ成松部落だけが一応話を聞いてみようということで、町長が成松部落に出向きまして話し合いをやったようです。
そのときの話の
内容というのは、町長が言ったのは、十二月の二十一日に絶対試射をさせたいので部落として了解願いたい、こう言ったようであります。ところが、これは全面拒否されまして、したがって試射はどうにもできない、できなかったという
状態におちいったわけです。明けて四十五年一月の四日になって宮内部落が、町長の言う会合を持ってひとつ話を聞いてみようということになりました。そこで町長は大いに喜びまして、町長以下が、町当局が四名、自衛隊側は中部方面総監部第四
部長以下七名、県庁側が三名、これが大挙して宮内部落に出向きました。そこで午後の三時から午後の八時まで約五時間にわたって話し合いをしたのであります。しかしながら、どうにも部落の住民の納得が得られない。そういう
状態の中で、初めて自衛隊の人々は、町長が言っておることと
関係部落の住民の意向は全く違うのじゃないか、この中に大きな断層があるのじゃないかということを感ぜられたようであります。そこで自衛隊の方からの発言といたしましてこういうことが言われております。「東地区への実弾射撃は皆さん方の了解のないのに強行することはありません。
昭和三十九年三月自衛隊の
行政財産になってから六年、強制力を使ってでも東地区への実弾射撃をすると言ったことはありません。実はいままで私たちは町長さんとお話ししておれば皆さん方と話し合っていることと同じだと思っておりました。きょうの皆さん方のお話を聞いていて、これは大きな間違いであったことがわかりました。総監部へ帰って皆さん方のお話をよく伝え相談し直してきます。そのときは町長さんをまじえないで直接皆さん方とお話し合いをしたいと思います。どうかこれっきりもう話し合う必要はないなどといわないで、また会ってください」、こう言って自衛隊の方は引き上げられたそうであります。
そうなりますと、直接現地に
関係のある中部方面総監部としては、町長の言っていることは、地元部落の住民には全然無
関係であり、その意向を全くくんでいないということを十分この時点では承知をなさっておったはずだと私は思うのです。そういうような事情を了解しておる中で今回の射撃が強行されたという背景が
一つあるということを頭に入れておいていただきたい。
ところで、町長のほうは、射撃をやらせると言った約束のてまえ、何とかして早くやらせようということで一計を案じました。それが
日本原演習場に
関係のある七カ部落、これは西地区に
関係のあるのが二カ部落、問題の東地区に
関係のあるのが五カ部落ですが、そこの部落長を集めて、演習場対策
委員会を設けて推進しようとしたわけです。ところが、その演習場対策
委員会というのは、町長の言うような推進
機関にはならなかった。むしろそこでの相談は、演習場問題処理について
関係部落共通の問題や、当該部落の利害得失について協議、
調整する
機関という性格になってしまったわけです。そこで町長は、これはいかぬというので、四月の六日に対策
委員会を招集いたしまして、そして
関係地区の
調整がつくのを待っておれぬから、四月十日に試射させたいと、こういうような話し合いを対策
委員会でやったようであります。そこで、
関係の東地区
委員から全面的な反対を受けました。で、町長は、四月の八日になりまして議会を招集し、九日に東地区への試射の同意を求める議案というものを議会に出しまして、十四対三で議決をしております。
その議案の
内容というのは、「
日本原演習場問題の処理について」というのであります。「
日本原演習場問題の処理については
日本原演習場の使用等に関する協定第五条但し書の規定にかかわらず東地区への実弾射撃を前提とした試射を実施することに同意する」、こういうものを町議会できめてしまったわけです。そしてこれを自衛隊に通知をした。で、自衛隊のほうでは、これは町議会できめてくれたのだから、射撃はできるということで、先ほど言いました宮内部落での発言というものはすっかり忘れてしまって、射撃をするということに踏み切り、十一日ですか、第十三特科連隊第二大隊長名で、十八日から二十三日まで毎日一〇五ミリりゅう弾砲を十二発ずつ東地区の宮内と成松の北方にある新着弾地に向けて撃つ、こう通告してきたのであります。
これを
考えてみると、私はこの町議会の議決というものがいかにでたらめであったかがわかる。しかも、そういうことをやる中で、町長はいやでもおうでも納得をさせようというので、部落の人たちに聞いたところによりますというと、その通告を受けてから後、部落に出向きまして、とにかく賛成をしてくれと、賛成をしてくれれば、これは整備事業費が二十一億円もらえるのだ、さらに賛成してくれれば賞金十万円ずつをやる、こういうような懐柔工作をやっている。そしてどうしてもそれが成功しない、そして十一日のいわゆる射撃強行を迎えた。こういう背景になっておる。
私はそういったこまかい事情というものを、はたして中部方面総監部というほうから
報告を受けておられるのか、受けておられぬのか。しかも四十五年の初頭に宮内部落で行なわれた座談会においては、町長と町当局ないし
関係部落との断層がある。町長の言っていることは全く間違いだということを、列席をしておった方面総監部の幹部自体が口にして帰っている。そうすると私が、今回の実弾射撃についても、形式的な町議会の議決だけをたてにとって押しまくったというやり方には問題があるんではないかと、いま申し上げましたのは、従来の経過をまとめたものであり、その概要ですが、それをお聞きになってどうお感じになるか、それが一点伺いたいのであります。