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森勝治君 まあ悪意のかたまりではないという御
発言でありますから、私も素朴に受け取りまして、次の問題に移ります。
ところで遅配の問題、どうすれば遅配がなくなるかというき然たる
方針というものは、いま
お答えが願えないわけでありますが、御
承知のように、最近の
郵便物の
内容が非常に変わってまいりましたですね。だから、たとえばダイレクト・メールが多く、団地や個々の住宅等に配達に行きますと、
郵便受け箱の中にはダイレクト・メール広告や何かにまざって幾日も放置されている
状況です。しかも受け取って、その配達している職員の目の前で、受け取ったものをぽいとくずかごにほうり込んでしまう姿がまま見受けられるそうであります。したがって、過去のように
郵便配達をもって社会、公共に尽くそうという真摯な願いを職員が心に秘めておっても、目の前で、心を込めて持って行ったものが受け取る側で愛情の片りんすらないということ、すべてではありませんが、そういう姿を見ると、
一体おれは何のためにここまで運んできたのか、
郵便の使命に目ざめて、その
職場に参画して、社会、公共、
国民の
福祉に寄与するために持ってきた、汗水たらして持ってきた、そうしたら、見もしないでくずかごに入れてしまう、それでその職員は非常にがっかりした。かてて加えて部数はどんどん無限大に広がる。宗員は少ない。いま言ったようにかっこのよくない
職場だということで、若者は集まってくれない。しかも、賃金というものはなかなか上げてくれたい。かてて加えて
郵便物が多くなるのでありますから、配達の
郵便のかばんが重くなる。いわゆる重労働をしいられる。私が
先ほど若干ことあげいたしました心と心をつなぐ
事業とおよそかけ離れてきたような
仕事の
内容になってきた。したがって、その労苦に報われるものは何
一つもない。いままでは各家庭の
郵便受け箱の前には、
郵便屋さん御苦労さんと、ポスターやたどたどしい字で子供さんらが書いてくれて、非常にこれで生きがいを感じたといわれたが、最近はそういう姿は見受けられなくなった。これでは
一体、汗水たらして、いわゆる人間が骨身を削って、真心を込めて生活する
事業であるかどうか、
職場であろうかどうか、働く
郵便の若者の中には、そういう現実と理想の中で自問自答を繰り広げているということを聞いているわけです。昔は、かつて赤い自転車という映画もありました。したがって、
郵便局の代名詞は赤い自転車だということで、赤い自転車が山野をかけ走るとき、ちまたをよぎるときには、
国民はこの赤い自転車に深い愛情と感謝のまなざしを送ったものであります。ところが、いま私が若干、一、二ことあげしたように、この
郵便の中身が変わってきたから、いかに自分が
事業愛に燃えてそこへ入っていこうとしても、ついそういうことになってしまって情熱が薄らいでいく。かっこが悪いというこの
職場の服装等の問題もさることながら、こういう
一つ、
一つの問題をとらまえてみますと、この
郵政事業は若い者が情熱をささげる
職場とはやはりかけ離れてきているような気がしてならぬわけです。私は、そういうことを若い
郵便配達の
諸君から訴えを受けたときに、かつて私
どもが
郵便局におった
時代から比べて、それはまさに隔世の感があります。他の
産業は、次から次へとオートメーション化されてまいりましたが、
郵便は最後は手でなければきめ手にならぬ。したがって、その中では、
機械化というものは他の
産業に比べて遅々として進んでないけれ
ども、その反面、人間の、この従業員の心にしのび込んだ
事業に対する
熱意というものに、おそらく他の
産業でははかり知れないような深刻な私は影響があるだろうと思うのであります。この深刻な影響を受けている従業員の
気持ちというものをはたして上に立つ
諸君が考えてくれているだろうかどうか、私は、そういう点に多くの疑問を持つわけであります。ある面では、最近の
郵政事業の中では組合弾圧をするものが出世をする。うそだと思ったら
大臣、全国の
局長、課長の転勤先を見たまえ。組合と、いわゆるげすな
ことばでチャンバラやって、激しく戦った。それはよいとか悪いとか抜きにして、激しく戦った管理者から見れば組合を弾圧した、そういう
諸君は事のよしあしにかかわらず、
内容のいかんにかかわらず、おしなべて上局、あるいは上席へ栄転しているではないか。私はなぜ
大臣が人間愛ということを出され、私がこれについて言及しておるか。いま
郵政の
職場の中で上官と部下の中にあるものは何か、それは断絶であります。この断絶はますます広がるものであります。ところが新
大臣はその就任の
抱負の中で、あなたは愛情を持って接するという
ことばを言われたので、だから私が新しい
郵政大臣が今度真剣に取り組んでくれるならば、この上官と部下のすき間というものがふさがるであろう。そして
期待される
郵政事業というものが、これからやっと再出発ができるだろうという私は願いを込めて、まことに失敬でありますが、あなたの心境まで私は探りを入れたわけであります。この点はひとつお許しをいただきたいと思うのでありますが、私があなたに
質問した中身というものは、こういうところにあるのであります。ところが、最近はどうでありましょう。あなたはときにはむちをもってしなければならぬと
大臣の
立場でおっしゃられました。しかし、世間ではそう見るだろうか、世間では。たとえば、杉並
郵便局の例を見ても、岩手県の大船渡
郵便局の例を見ても、この忙しいさなかに一生懸命汗水たらして
作業している裏で手帳と鉛筆を持って監視している。そのひまがあったら、一緒に
郵便区分を手伝ってやれば、国家
国民の
期待にこたえることになるでしょう。監視労働という
ことばは使いたくないけれ
ども、監視労働をさせているような気がして私はならぬ。だから私は、組合を弾圧し、職員をちまたに放り出すような
ことばかりやっておるから
郵政に
期待する若い者が、せっかく入ってきても出ていってしまうと思うのです。これは、いかに
郵政が権力で職員を押えつけようとしても、この手紙という
国民の心と心をつなぐ最後のきめ手は、やはり
労働者の手による以外はないでしょう。どんなに近代文明が発達しても、
郵便局からロボットが持って行って、その家の窓口に持って行くわけにいかぬ、だから
事業愛に燃える
郵政の
労働者に
期待する以外にないでしょう。だからそういう面で、私は若干の問題について、少し
ことばが多過ぎたようなきらいがありますけれ
ども、そういう面で
郵便遅配というものを世間から非難されると、すぐ職員の責めに期すような
ことばかり言っている、どこの県でもそういうことを言っている。なぜ自分たちの管理能力の問題を出さないか、なぜ
事業に対してビジョンというものを掲げないのか、長い何十年という
逓信の歴史の中で、今日のように
国民の非難を受けていることはなかったでしょう。
期待された
逓信事業が、
郵便がおそい、職員が休んでいるから、来ないのです、山ネコやっているからおくれているのです。年賀
郵便のときでも、そういうことを言っている。なぜ私
どもの指導が足りないからおくれたのだ、なぜそういう
ことばを各局の管理者は率直に言えないだろうか。そういうことを、管理者みずからが
国民の
期待にこたえるためには、みずからが反省をして、かりそめにも、職員にこの欠陥というものを押しつけることなく、責任者の上長がこれを負うようになってくれば、上官と部下に、
事業という命題を通じて、相互の理解
関係というものが深まってくる、そのとき初めて私は
郵便の遅配が解消され、
国民に
期待される
逓信事業として更生できるだろうと思うのであります。したがって、この
郵便の遅配を解消するためには、いま私は時間がありませんからあまりことあげいたしませんが、たくさんの理由の中にも、私がことあげしたようなこともあるわけであります。したがって
大臣は、
一体この遅配を解消して、信を
国民に貫くためには、どう可及的に処置されるか、具体的にこのことをお伺いしたい。部下がだめだと、部下ばかりこきおろしたって、いまの若い者は働くものじゃありません。もう少し私は管理者が心の入れかえを考えてもらわなければならぬと思うのであります。したがって、
郵便遅配に対して、ひとつどう対処されるのか、その点お伺いしたい。