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参考人(
滋賀辰雄君)
西陣の
滋賀でございます。
まず最初に、
西陣織物工業組合の紹介からさしていただきたいと思います。
西陣と申し上げますと、
皆さま御承知のとおり、いまから五百年前、
室町幕府の
時代にその名がつけられまして、
日本で最も古い
機業地でございます。
京都の機織りの歴史は、それよりもさらに数百年古く、
飛鳥時代に
大陸文化を移入いたしました際に
日本に伝えられたものだといわれておりますが、
日本の
工業の発祥といたしまして
京都の
産業となったものでございます。特に平安朝以降、朝廷あるいは
幕府の保護を受けまして、今日に至るまで一貫して最高級の
絹織物産地といたしまして、その
地位を他に譲ったことはございません。
西陣の
織物組合は明治に設立されまして、その後、全
西陣の
機業家の
統合体といたしまして、幾たびかの
法改正のたびに継承されてまいりましたが、今日の
西陣織物工業組合は、
昭和三十三年
中小企業団体法の施行に伴いまして設立されたものでございます。現在、
組合員は千三百七名で、そのほとんどが絹を主体とする
先染高級絹織物、
紋織物を
生産しておりますが、
業者規模はきわめて零細でございまして、一
企業当たり十三台という小規模のものでございます。しかし、そこで私
どもが
生産いたしております
生産高は、
別表にありますとおり、
昭和四十四年一カ年に八百六億の
金額を数え、
京都市の
工業生産高のうちの二〇%という大きなシェアを持っているものでございます。
別表といたしましては、
西陣の私のほうの
組合では、帯地が六百五十万本、
金額にいたしまして三百六十九億九千万、そのほか着尺、
ネクタイ、
金欄、
室内装飾用織物、マフラー、ショール、
広巾地、おもに
輸出にやっておるのでございますが、また服地を含めます。その他の
織物等々で
合計が八百六億ということでございます。
ここで
西陣織物の
輸出の現況でございますが、一年間の
輸出高は
別表2にありますとおり六億強というわずかなものでございます。
輸出といたしましては、川島
織物をはじめといたしまして十五
業者で、その
合計が六億五百万ということになっておるわけでございます。
次に、この
法律に対する
意見を申し上げますが、私
たちのような
伝統的工芸産業を営む
中小零細企業にとりましては、この
法律は欠くべからざるものだと考えております。以下それについて実情を御説明申し上げます。
さきにも申し上げましたとおり、私
たちの
西陣産地は、
内需用の
織物産地として育ってまいりました。私は、いま
日本絹人繊織物工業会の
内地産地部会長をいたしておりますが、
日本の
内地産地はどこも
生産過剰の様相を呈しまして、
競争は激化の一途をたどっております。今後私
たちのような
中小機業家が経営の安定をはかるためには、どうしても
海外の新しい
需要を開拓しなければならないと存じておるのでございます。私
たち西陣の
業者は、十一年前の
昭和三十四年よりこのことあるを予測いたしまして、
組合に
輸出振興委員会を設けまして
輸出振興策を検討してまいりましたが、私
たちがこの
委員会でテーマとして検討してまいりましたのは、現在の
輸出向き織物産地と競合する
大衆向き織物ではございません。
大衆向き織物をつくっておりましては、
日本の
織物産地の中で最も
価格の高い土地の上に工場を建て、
日本一高い織り工賃を払わなければならない事情にありますところの
西陣では、他の
機業地と
競争できる道理がないのでございます。しかしながら、
内需用の
織物については、この悪条件を克服いたしまして年々その
生産を伸ばしてまいりました。
西陣の
織物は値段は高いです。しかし、
日本の
消費者は高くても
西陣はよいものだといって買っていただいておるのが
内地の
現状でございます。
西陣の諸先輩は、かつてどんな不況に際しましても
品質を落とさず、
高級品としてのイメージをくずさずがんばってまいりました。そこに
自然西陣織りという得がたい
ブランドが成長してまいったのでございます。私
たちが十一年前から
輸出振興を唱えたときの
目標は、このような
高級品を
海外に送り出そうという思想でございました。このような
高級品を
海外に送り出すその
一つの施策といたしまして、われわれはわずかな
組合予算をはたきまして、ニューヨークの五番街で
西陣展も開催いたしました。
香港でもこれを行ないました。あらゆる機会をつかんで総合的な
輸出展に参加いたしました。
海外に
調査団も派遣いたしました。いまも毎年毎年
組合で
高級織物の
サンプルブックを作製し、
海外に発送し続けております。しかし、
国際経済の壁は、
中小企業にとってあまりにも厚いことをこの際知ったのでございます。
西陣織は、ハーグの国際司法裁判所の
会議室の壁を飾っており、モスコーの美術館にも掲げられております。最近では外務省の御用命を受けましてワシントンの
ケネディホールの舞台も飾らしていただきました。
日本の
工芸品として、文化財として、
西陣はある程度
海外にも知られておるという甘い期待を持っておりましたが、
商品としての
高級品ブランドにはなっていなかったのでございます。一昨年でしたが、
香港で
展示会を行ないました直後、
台湾政府の
特許公報に
ネクタイ類で
西陣織の出願が中国人の名前でなされておるのを知りまして、通産省の
お力もかりまして、これに対して抗告をし、
商標確定を阻止したこともありましたが、
海外で
優秀品の
ブランドが認められ始めると、すぐこのような問題も起こりがちです。そのたびに、何十万円という
訴訟費も払わなければなりませんでした。私
たちのような
中小企業集団にとって、これだけでも相当な負担になるのであります。
この十年間の
輸出振興事業の結果、私
たちが痛感いたしましたことは、
一つには、
海外市場、特に
高級品市場においては、イタリー、フランスなど
織物の
先進国が根強い力を持っているということでございます。
さらにいま
一つは、それら
諸国の
織物が非常に高価に買われているにもかかわらず、決して
西陣のそれに比してすぐれたものでないということでございます。
この二点であります。
もちろん流行の先端をキャッチしているという点では、われわれの及ばぬものを持っておりますが、その他の点では
品質的、技術的に決して
日本の
西陣の
製品は劣るものではないとの確信を得たのであります。
今後私
たちが高級絹
織物の
輸出を増加さそうとするときに、まず競合するものは、フランス、イタリーの
高級品であります。そこでわれわれとして解決しなければならぬことは、内需面で
西陣という
ブランドが
高級品といわれているように、
海外でも同じ
高級品の
ブランドイメージを植えつける努力をすること。いま
一つは、現在フランス、イタリーがそうであるように、また内需面で
西陣がそうであるように、
日本が流行のセンター的働きができるように努力することであります。
世界の一等国とランクされた
日本にとって、デザイン面でも、
日本の
地位がレベルアップされなければならぬことは急務でありますか、同様に、
日本が
世界の
高級品という
ブランドを数多く持つことも急務であります。しかも双方ともが長期的な努力を必要とするテーマであります。
西ドイツ、ゾリンゲンの刃物は、いまでこそ
世界に
優秀品としてその名をあげておりますが、それはいまに至るまでのゾリンゲン地区の中小
業者のなみなみならぬ努力と、
政府の長期的なたゆみない援助によって得られたものと思います。
日本の伝統的な優秀技術が、
世界の
市場にその名を得しむるよう、格段のご
配慮をお願い申し上げまして
意見とさせていただきます。