○高山恒雄君 次に申し上げたいのは、これが確認した前の書類なのです。そこでやっぱり悪いことはできないものだなという気がするのですが、それは第一審で提出された乙の八号証の二にある大久保千代松という印鑑です。これはごまかすことはできないと思うのです。原本より直接のコピーの証拠としてこれは薄く写っております。それがこれです。コピーは朱印はなかなか出てきません。朱印はコピーでは写りません。したがって、ぼけております。この印鑑の径と、あとから出しました印鑑の径は相違があります。一ミリ違います。ここらが私は大きなエラーであったのではないかというような気がするのです。これがいまから三十年前ですが、大久保千代松氏が持っておった印鑑です。おそらくこの印鑑を使ったと思っております。これが
先ほど申しましたその写しですが、こういうふうに大久保千代松というこの判はぼけております。この判がぼけておりますのはコピーでは写らないのです、朱印は。だから、ここらの問題を
考えてみますと、まことにいろんなテクニックを使いながら、国としては一般社会人をごまかしながら、こういう悪らつなやり方をしておるのじゃないかということすらわれわれ第三者から見て私思うのです。
ここで申し上げたいことは、この岡部氏という方を私は
質問する限りにおいては調べました。社会的な人物からいっても非常にりっぱな人です。これは事件屋か何かにかかっておるというなら私は
質問いたしません。けれ
ども、あまりにもりっぱな家庭であると同時に、歴史的な経営者でもあるし、そして、いま新しく自分たちのその事業をやるためのビルを建てようとして、それも途中でやんでおります。そういう人の問題について私は
考えてみますと、いかにも国がこそくなことをやって、その民有林を逆にごまかそうとしておるのではないか、こういうことすらわれわれは
考えざるを得ないのであります。したがって、
先ほどお見せしましたように、これを見ていただけばよくわかります。どうぞひとつ見てください。印鑑の問題も、だれが見てもわかります。大臣一ぺん見ていただきます。これはしろうとが見たってわかります。
次にもう一つ申し上げますが、境界査定通知書の
——これは前回も申し上げましたけれ
ども、前回は
資料不足で十分な
質問ができなかったのですが、この件についてお尋ねしたいのは、境界査定処分の一番重要な書類ではないかと思うのです。あとでいいですから、これはもう、もし回答がここでできなければ、書類でひとつ出していただきたいと思うのです。
まず第一、明治四十年の、私は鉄道の事情を申し上げたいと思うのです。盛岡から雫石間が大正十二年の六月二十五日に開通したのです。それから、田沢湖から大曲間は大正十二年の八月三十一日にこれは開通した。全線の開通が
昭和四十一年の十月二十日です。当時、盛岡から大曲、あるいは田沢湖線は、まだ鉄道のない時代であります。鉄道が全然なかった時代です。その時代に、下川原雫石郵便
局長のことばをかりれば、当時、青森行の手紙は全部秋田回りであった、奥羽本線の大曲まで約六十数キロを飛脚で飛ばしていたというのが証言です。この事実を
考えれば、乙の九号証に押しておられる印は、明治四十年の三月十四日午後雫石を発して翌日の午前中に青森には絶対に着かないということが言えるわけです。飛脚輸送でありますから絶対に着かない。現在何日かかるかということで試験をしたところが、配達証明でやってみたのですが、
昭和四十五年の九月二十九日に、青森局から午前九時に出して九月三十日の午後雫石に着いております。速達で約一日半かかっているのです。したがって、境界査定の立ち会いをやるという通知を出して翌日着くはずはないじゃありませんか。常識から
考えてみて、そんなに飛脚が速いということは言えないのです。これが一つであります。そこで普通は現在でも二日半から三日かかるようであります。明治四十年の、鉄道も自動車もない時代ですから、もちろん、速達なんというのは明治四十年には
日本の郵政ではまだ取り扱っていなかった。これが事実であります。
そこで、これでもう一つ疑問を感じますことは、これも見ていただけばわかるのですが、陸中国岩手郡雫石村・大久保千代松、こう郵便で出したというのを写真にとった見本があります。そうすると、これはその当時、
日本の場合は、御承知のように、消し印については、この郵便局のスタンプを見ますと、こう書いてあります。四十年三月十四日イ便と書いてあります。これは
日本文字です。ところが、明治三十八年七月より
日本字ではいかぬというので廃止になっております。アラビア文字に全部変更されております。したがって、スタンプを全部取りかえなさい、その間の余裕は見ましょうという法律がありました。ところが、これは依然として明治三十八年から約三年の間いまだに
日本字を使っておるということです。もう一つ奇怪に感じますことは、大臣、ここにはイ便と書いてあります。書留には少なくとも割り判がなくちゃいけません。ここにはロ便と書いてあります。割り判にこんなことがあるのですか。郵政の規則上、イ便の消し印を押しておきながら、同じ判を押さなくちゃならないものを、ここにはロ便と書いてある。同じイ便でなぜ割り判しなかったか。ますます疑義が深まるのです。
こういう点を
考えてみますと、これはまことに、いまの
政府は大きな顔をして個人所有の土地の問題について係争をしておられますけれ
ども、私は裁判でどう出るかわからぬという御答弁しかお聞きすることができないとは
考えておりますけれ
ども、あまりにも明白な偽造的なにおいがぷんぷんしている。そうして社会人を斯くような、立ち会い人をばかにしてかかっておる。しかも、国家公務員がそういうことを
——裁判ならばどんなことをしてでも勝たなくちゃいかぬ、そういう態度を大臣はどうお
考えになるのか。私は、これは法治国家としてゆゆしき問題だ。むろん正しいことは正しく主張していただかなければいけません、国の財産ですから。けれ
ども、やった事実に対して次から次に偽造的なやり方の事実が明らかに出てくるような問題は、これは許すべからざることではないかという感すらするのであります。この点、大臣どうお
考えになるか、ひとつ賢明な御答弁を願いたいと思います。私も国を憂える一人として、賢明な御答弁を願いたいと思います。