運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1970-10-21 第63回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年十月二十一日(水曜日)    午前十時七分開会     —————————————    委員異動  九月十六日     辞任         補欠選任      向井 長年君     片山 武夫君  十月十五日     辞任         補欠選任      片山 武夫君     松下 正寿君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         塚田十一郎君     理 事                 源田  実君                 渋谷 邦彦君                 松下 正寿君     委 員                 大松 博文君                 増原 恵吉君                 山本 利壽君                 小林  武君                 矢山 有作君                 春日 正一君    国務大臣        国 務 大 臣  中曽根康弘君        国 務 大 臣  山中 貞則君    事務局側        常任委員会専門        員        小倉  満君    説明員        沖繩北方対策        庁長官      山野 幸吉君        防衛庁防衛局長  宍戸 基男君        防衛施設庁長官  山上 信重君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○沖繩及び北方問題に関しての対策樹立に関する  調査  (当面の沖繩問題に関する件)     —————————————
  2. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) ただいまから沖繩及び北方問題に関する特別委員会を開会いたします。  まず、委員異動につきまして御報告いたします。  去る九月十六日向井長年君が委員辞任され、その補欠として片山武夫君が選任されました。  また、去る十月十五日片山武夫君が委員辞任され、その補欠として松下正寿君が選任されました。     —————————————
  3. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 次に、委員異動に伴い理事が一名欠員となっておりますので、この際、理事補欠選任を行ないたいと存じます。理事選任につきましては、先例により委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事松下正寿君を指名いたします。
  5. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 次に、沖繩及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査を議題とし、これより質疑を行ないます。質疑のある方は、順次御発言を願います。
  6. 矢山有作

    矢山有作君 沖繩関係防衛の問題について二、三お伺いします。  長官沖繩訪問をされた際に、屋良主席から、沖繩自衛隊配備反対であるという申し入れを受けておられるというふうに聞きましたが、この申し入れに対して長官はどう受けとめておられるかお伺いしたい。
  7. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 屋良主席お話は、沖繩は過去の大東亜戦争において非常に悲惨な戦場になったところであり、県民皆さんもその思い出をいまだに失ってはいない。したがって、防衛とか軍事と言うと、すぐ悲惨な過去の思い出がよみがえってくる。そういう意味もあって、自衛隊というものに対する連想も同じようなものがわいてくるのであって、県民自衛隊が進出することについては大部分反対の意向のようである。自分県民代表として、そういう県民意思をここでお伝えするが、その事情をよくくみ取って政策をやってほしい。——そういうお話がございました。私は、沖繩は過去二十数年にわたってわが民族の最大の犠牲者であり、過去の戦争中におきましても最も苦難な道を歩んだ、わが同胞の犠牲者であり、そういう特殊的地域であるということはよくわかりますから、沖繩皆さん県民の皆さまのお気持ちもよくわかりますが、しかし、第一に、本土に復帰するということになると日本主権が及ぶのであって、日本主権が及ぶということは、当然、日本国民責任において沖繩も守らなければならない場所になるということです。それから、自衛隊自体も昔の軍隊と違って、自衛官はいわゆる「制服を着た市民」である。そういう考えに基づいて新しい憲法に認められた防衛力を建設しておるのであります。自衛隊の実体や性格をよく御認識いただければおわかりだと思う。そういう意味において、われわれは県民誤解を解いて、自衛隊を円満に進出するようにいたしたいので御協力を願いたい。——そういうふうに申し上げたのであります。
  8. 矢山有作

    矢山有作君 屋良主席におっしゃったことはそのとおりだろうと思うのですが、私どもが報道を通じて承知しておるところでは、あなたは、その屋良主席申し入れを受けられて沖繩から帰る那覇空港での記者会見では、屋良主席申し入れを受けたけれども、これは一部の偏見だとか、あるいは、一部の県民意思であるとかというような発言をなさって、そして自衛隊配置はもうきめておることだから後退はあり得ぬというふうにおっしゃった——というふうに伝えられております。われわれは報道の問題をそのままには受け取るわけではありませんけれども、しかし、少なくとも、各紙がこぞってそういうふうに報道しておるところを見れば、あなたが屋良主席から申し入れを受けての受けとめ方というのはそういうような受けとめ方をしておられたんではないかというふうに私は思うわけです。したがって、私がお聞きしましたのも、屋良主席に対してあなたがどういうふうに答えられたかということをお聞きしたんではなくて、あなたはどういうふうに屋良主席申し入れを受けとめられたかというふうにお尋ねしたわけです。まあ、新聞に伝えられておるところが事実なのかどうか。そういうような、一部の偏見であるとか、一部の誤解であるとか、一部の意見であるとかいうような受け取り方をされたのかどうか、率直にその点が聞きたいんですが。
  9. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 私は、沖繩県民皆さんは、全体を考えてみれば、日本本土に復帰して日本主権下に入れば、本土と同じように、全国民沖繩を守るのは当然であると、そういうことであると思っています。多数の意見はそういう考えであると思います。しかし、少数のそうでない意見が組合その他を通じて表へ激しく出ておって、それが報道されておると思うのです。サイレント・マジョリティというものはわりあいに常識的であって、自衛隊沖繩進出に対しては、われわれが努力すればもちろん賛成していただけることが多いと思っております。ただ、現在はまだ努力は不足であります。と申しますのは、いよいよこれからそういうPRや理解願うことを努力しようというスタートに入ったわけでございますが、私が現地におりまして、パーティや何かで大体各層の代表的な方々とお会いしましたけれども、その方々意見は、沖繩日本に復帰したら、やはり日本国民沖繩を守るのはあたりまえだと、そういう考えを言っておられましたので、ほんとうのことを言うと、みんなそういう気持ちであるんだろうと私は思っております。
  10. 矢山有作

    矢山有作君 せっかくの御説明ですが、それはあなたとお会いになった沖繩県民だけであって、それが全体の意見代表するというふうに即断はできないだろうと思うし、はたしてその会合にどの程度沖繩県民が集まっておったのかということは私は承知しませんから、そういうことで水かけ論をやってもつまらぬと思います。私の言いたいのは何を言わんとしているかというと、あなた方の通弊として、たとえばこの間私が問題にした日本原実弾射撃の問題を取り上げてみても、あのときにあなた方が言われたのは、町長実弾射撃賛成だとおっしゃった。したがって、町民賛成しておるんだという解釈のもとに実弾射撃を強行したんだろうと、現地ではそういう表現をなさったわけです。ところが今度は、屋良主席、これは町長と同じように沖繩県民代表とする屋良主席が、沖繩県民自衛隊配備反対をしておると、こうおっしゃる。そうすると、それに対する受けとめ方は、屋良主席県民代表だから県民もそういうふうに考えておるんだという受け取り方をしないで、今度は自分都合のいいように、屋良主席はそう言っても、それは一部の意見代表しておるんだ、サイレント・マジョリティはそういうものじゃないと、こういうふうにおっしゃる。そのときどきで、いわゆる自衛隊責任者が言っておることが、自分都合のいいように、都合の悪いところはすり抜け、都合のいいところだけを使おう、こういう態度があなた方にあることを私は問題としておるわけです。少なくとも屋良主席というのは県民代表なんです。県民代表する屋良主席が無責任なことを言うはずはないんです。そうすれば、それをあなたとしてはやはりすなおに受け取るというのがこれまであなた方がとってきた態度じゃないんですか。たとえば私が言った日本原演習場でも、あなた方は射撃強行の理由を、町長賛成したから町民賛成しておると、こういうふうにおっしゃった。ところが実際の町民の大多数——いわゆるサイレント・マジョリティは、これはもう射撃反対なんだ。ところが、それを町長発言だからといって賛成と解釈してやられる。今度は、屋良主席発言はそうでないとしておる。こういうえてかってな行政姿勢というのは私は問題があると思う。そこで取り上げたわけです。こういうようなえてかってなことは、これから慎まれたほうがいいんじゃないですか。いわゆる記者会見の話であっても、これは無用のことなんじゃないですか。あなたが屋良主席に答えられたとおりのことをお答えになるならまだほんとうです。そうじゃないですか。
  11. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 日本原の問題のときには、私は町長並びに町会議員皆さんのことも申し上げておいたわけです。それで、町会議員皆さんの多数は賛成であったと私は報告を受けております。沖繩の場合は、立法院はどうであるかというと、別に決議もしておりませんし、大体自民党のほうが——賛成派が多数のようです、十八対十幾つかという形で。ですから、立法院決議すれば、結果はどうなるかわからないわけです。したがって、まあ公選された主席の御意見は御意見として承って、私は意見としては尊重いたしますけれども、県民意思全体というものはその問題で問うたことはないわけであります。今度国会議員選挙であるいは出てくるかもしれません。そういう意味では、今度の国会議員選挙は非常に注目すべきであると思っておりますが、実際のところ、県民全体の意見がどうであるかということは、片っ方で独断してはならないと、そういうものだと私は思っております。
  12. 矢山有作

    矢山有作君 おそらくあなたのことだから町議会を持ち出されるだろうということはこっちも予測しておりました。しかし、私はそういうくだらん議論をすべきじゃないと思うんです。私の言っておるのは、政府がそのときによって都合のいいように国民意思を解釈しがちであるという、その基本的な姿勢を問題にしておるんですから、これはあなたが、立法院では自民党が多いから立法院はおそらく賛成するだろうとおっしゃるけれども、これは立法院はまだやっていないんですよ。いかに自民党が多くても、はたして自衛隊配置賛成かどうかわかりませんよ。これはこれまで立法院全会一致で、あなた方政府与党立場に対して全く反対のような決議をしてきている例も多々あるんですから、そういうような即断はできないと思うんです。だから、そういうような矮小化されたところに議論を持っていくんでなしに、私の言っておるところの真意をあなた方に判断してもらいたい。私があなたに一番言いたいのは、少なくとも自治体の首長、屋良さんが言っておる。しかも、その屋良さんの背景というのはあなた自身の口から説明されたとおりのような背景があるわけです。第二次大戦でたいへんにひどい目にあって、長い問の軍事政権下に置かれたそういう背景の中で、県民自衛隊配置反対であろうというようなことで屋良さんがそれを言っておられるという特殊な背景があるわけですから、さようなものを考えた場合に、あなたが空港で得々と記者会見をなさって、これは一つ意見だと言うというようなことは、これは政治家として慎むべきことではないかということを言っておるわけです。だから、つまらないところに議論をすりかえるのじゃなしに、私は、中曽根さんともなれば、これは自民党の名うての政治家でしょう。そういう本質のところをあなたに反省をしていただきたいわけです。  次の質問に移ります。最初にお伺いしたいのは、返還後の沖繩への自衛隊配備計画がまとまったように聞いております。その内容長官からお伺いします。
  13. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 陸上自衛隊といたしまして考えておりますことは、陸上警備民生協力のための普通科及び施設科から成る部隊、局地の航空輸送力としての小規模のヘリコプター部隊並びに募集、広報に当たる地方連絡部等約千百名、海上自衛隊といたしましては、沿岸哨戒のための対潜哨戒機部隊港湾防備及び離島輸送のための小型艦艇部隊並びにこれらの支援に当たる基地部隊約七百名。航空自衛隊といたしまして、領空侵犯対処のための要撃戦闘部隊及びレーダーサイト連絡員約千四百名、合計三千二百名でございます。
  14. 矢山有作

    矢山有作君 四十六年度の予算概算要求で、自衛隊沖繩配備に必要な経費約五十二億円を、八月末に出された四十六年度概算要求追加をして要求することになったというふうに聞いております。これは一体どういう意味なのかということをお伺いをしたいのですが、どういう意味ということは、一つには、七二年返還というのは、七二年の初めという意味なのかどうか。つまり、七二年の四月以降の返還であれば、われわれは四十七年度予算に計上したら間に合うではないかと思うから、そう言うわけです。  それからもう一つは、四十七年度中に、返還前でも自衛隊の一部配備もあり得るということなのかどうか。もしあり得るということであるならば、五十二億円の予算要求をやったその内容というものを配備計画に合わせて説明が願いたい。
  15. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) 四十六年度予算として約五十二億円の追加をお願いをいたしました。これは、四十七年度中に返還があるだろうという前提でございますが、特別何月というふうなことを断定したわけじゃございません。四十七年度中に返還があるだろうということでございますが、四十七年度予算では間に合わない部面がいろいろあるわけでございます。つまり、自衛隊で申し上げますと、必要な部隊を、先ほど長官からお答えのように配置をいたしたいと思っておりますが、その準備が要ります。その準備のための予算は四十六年度で計上いたしたいというのがまず基本的な立場でございます。しかし、後段でお尋ねのように、その返還日の前に部隊配置をするかといいますと、そういうわけじゃございません。やはり部隊配置は、四十七年度の何月かに返還がきまりましたら、その返還日のあと正式に配置をいたしたいというふうに考えておりますが、正式な部隊配置じゃなくて、いろいろな準備のために連絡員を派遣するとかというふうなことは当然必要になってくるであろうというふうにも考えております。
  16. 矢山有作

    矢山有作君 したがって、五十二億円の予算要求内容
  17. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) 陸・海・空で申し上げますと、陸が約十億円でございますけれども、主として部隊配備しますための準備のためのいろいろな管理施設——食堂とか厨房とか車両整備工場だとか、そういったものを準備をいたしたいというような施設関係がおもでございます。それと、定員としまして千人の定員要求をいたしております。  それから海上自衛隊では約十六億でございますが、内容としましては、約千四百五十トンの揚陸艦、それからあと曳船とか交通船とかいう雑船——支援船と申しますが、そういう小型の船を入れまして約十七億円でございます。  それから航空自衛隊としましては、滑走路——現在の滑走路が多少そのままでは短いというようなこともございまして、滑走路の延長に着手いたしたいというふうなことを含めまして約二十四億程度でございます。  そして、前後いたしましたが、航空自衛隊では増員として約千二百人程度、それから海上自衛隊でちょっと申し落としましたが、二百四十人程度増員をお願いするというような内容でございます。
  18. 矢山有作

    矢山有作君 そうすると、陸上で千人、それから航空で千二百人、それから海上で二百四十人というのは、この準備段階ですでに沖繩に送り込むんですか。
  19. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) いまの人員とか艦艇というのは、定員を先に取っておきませんと、返還時にその人間整備して送ることができないわけです。したがって、定員をいただいたら内地で編成しておいて、そして返還時に送れるようにという意味事前措置でございます。  それから艦艇につきましては、やはり造艦に年月がかかるものですから、発注をしておく、そういうものでございます。
  20. 矢山有作

    矢山有作君 そうすると、この五十二億予算の中で、やはり施設整備施設費というようなもの、あるいは送り込む準備人員というものは見ておるわけですね。人員はどのくらい見ておるのですか。
  21. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) 陸で千人……。予算増員要求じゃなくて。
  22. 矢山有作

    矢山有作君 五十二億円の金額、五十二億円の中では、いわゆる返還がきまった段階自衛隊配備しなければならぬ、したがって、その準備として、いま言ったように、定員をふやす、その他いろいろな説明をされたわけですね。ところが、現実にそれじゃ四十六年度で予算要求をされた五十二億の中で、沖繩に実際に出かけて行くその人員なり、やる仕事は何かと言うのです。
  23. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 大ざっぱに申しますと、約七十人くらいが三自衛隊の進出に伴う文官あるいはそのほかの準備要員、たとえば設計とか、工事の監督とか、それからたしか約二百六十人前後の施設庁関係定員の要望をしておりまして、いろいろそれから土地や不動産の調査を促進しなければなりませんので、ある程度のそういう施設庁関係人間の派遣ということが考えられております。
  24. 矢山有作

    矢山有作君 二百六十人は間違いですね。
  25. 山上信重

    説明員山上信重君) ただいまの大臣の御答弁に追加いたしまして補足さしていただきます。二百六十人と申しましたのは、ちょっと誤解がございまして、これは米軍基地の問題につきまして返還時におきまする提供業務を円滑に行なうために、そのための土地所有者等との折衝その他に要する人員として、施設庁において明年度人員要求をいたしておるものでございまして、自衛隊配備とは関係ございません。自衛隊配備に伴う人員といたしましては、私のほうの人員として五十名を一応明年度人員として要求いたしておりますが、これらは設計とかあるいは必要に応じて監督等に当たる人員でございますが、現地に派遣する人間はその約半数程度考えております。
  26. 矢山有作

    矢山有作君 そうすると、こういうふうに考えたらいいんですか。五十二億円余りを四十六年度予算追加要求をしたその中身というものは、四十七年中に返還になるその際に自衛隊配備をするその準備として、陸上が千人、それから航空が千二百、海上が二百四十ですか、これだけの人員、並びに、先ほど御説明になったようなことの準備を含んで五十二億と。そしてその五十二億の中には、同時に、四十六年度の段階受け入れ準備のために、たとえば先ほどおっしゃった滑走路整備あるいは施設整備のために必要な人員を送り込む、それは七十人程度。それから、施設関係でいまおっしゃったぐらいの人数だと、それを全部含んだものが五十二億と、こういうふうに解釈していいんですね。
  27. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) そういうことでございます。
  28. 矢山有作

    矢山有作君 それでは次に入ります。  返還後の沖繩防衛構想をひとつお伺いしたいわけです。特に沖繩駐留米軍自衛隊との関係はどうなるのか。返還米軍が全部撤退していくのかどうか。もし米軍が残るのであれば、その規模はどうなるのか。これらを含めて米軍自衛隊との関係、つまり、沖繩防衛構想はどうなのか、これを聞きたいわけです。
  29. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) 沖繩が返りましたら、防衛関係本土並みでございまして、本土で現在自衛隊がやっているようなことを沖繩においても自衛隊としてはやるべきだろうと、基本的にはそう考えます。つまり、沖繩を守ることでございます。そこで、先ほど申し上げたような数字の陸・海・空を展開するわけでございます。米軍とはもちろん連絡はいたしますけれども、別々の系統で防衛をするということになります。しかし、現在は米軍が全部やってるわけですから、自衛隊機能を発揮する部分については米軍がおのずから手を引いていくということは、現実問題としてあろうかと思います。それは主として防空関係になるであろうというふうに考えます。陸上自衛隊が千数百人参りますけれども、これで米軍と特に競合するということはおそらくないであろうというふうに考えます、大ざっぱに申し上げて。それから海のほうも、海はこちらが何百人行ったから米軍がどうだということにはおそらくならないであろう。その辺につきましては、現実レーダーサイトが四カ所ばかりございます。先ほど申し上げました数字の中には、返還後直ちにレーダーサイト引き継ぎをやるための連絡要員考えております。十年ぐらい前に、本土米軍が維持しておりましたレーダーサイトを逐次航空自衛隊が移管を受けて自衛隊のほうで維持するようになりましたが、それと似たようなことを沖繩において行なうことになろうかと思います。最初連絡要員を派遣いたしまして、それになれてまいりますと、逐次こちらの航空自衛隊部隊をふやしまして、いずれ航空自衛隊が四カ所のレーダーサイトを全部維持管理するということになろうかと思います。他の防空施設につきましても似たようなことが行なわれるであろう。たとえば要撃戦闘機として104戦闘機を持っていくというようなことを考えております。先ほどの数字にはそれが入ってるわけですが、それがスクランブル等を行なえるような体制になりますと、おそらく米軍としてはそういう部隊の展開をやめるであろうというようなことが考えられます。  大体以上のようなことを考えております。
  30. 矢山有作

    矢山有作君 私のお伺いしたいのは、七二年中には返還があるということをまあおっしゃっているわけですから、そして返還されれば、まず第一義的には、いま長官説明されたような形で約三千二百名の自衛隊配置するというわけでしょう。そうすれば、そこまでの話はおそらく向こう側と話を詰めてきてそうなっているのだろうと思いますけれども、自衛隊の三千二百人の配備というのは、これはおそらく返還直後の当面の計画だろうと私なりに解釈しているのですが、しかし、それにしても、返還された場合の沖繩防衛の全体計画というものが米軍との関連においてできておるのかどうか。できておらないにしても、おそらく私はその話し合いはやっておるのだろうと思う。そんなこと何もなしに進んでおるわけはないわけですよ。その点を聞いたわけです。
  31. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) 米軍とはいろいろ東京で折衝いたしておりますが、いまお尋ね沖繩返還後の防衛構想、これが計画を立てるときのいろんな前提になりますが、それにつきましては、先ほど申し上げたように、第一義的に日本の陸・海・空自衛隊沖繩県防衛についてはやるべきであるというのが基本的な立場です。その立場に立って陸・海・空の自衛隊を展開する。しかし、おのずから機能が違いますので、先ほど申し上げたような数字を当初展開するし、かつ、米軍との具体的な関係は、先ほど申し上げたように、防空について事実上の引き継ぎが行なわれるであろうというようなことを考えているわけでございます。
  32. 矢山有作

    矢山有作君 いや、どうもはっきりしないな。沖繩返還返還と言っているわけでしょう。返還された後の沖繩日本が守るのだということを言っているわけでしょう。だから、沖繩返還された場合の防衛構想の全体はどうなるのかということを聞いているわけですよ。なぜ私がそれを聞くかといったら、これは四次防の作成に密接な関係を持ってくるわけでしょう。四次防は、いままでのここでの答弁によると、大体この秋にはもうできると言っておったわけですね。もう秋が来た。だいぶ秋も深まったのですが、一向にできたのかできないのかわからぬ。どうなっているのか知りませんが、おそらく四次防との関係があるはずなんですよ、沖繩防衛構想というのは。したがって、四次防を含めて沖繩防衛構想の全体がどうなっているのか。特に沖繩の場合に米軍との関連があるはずだから、それらの話し合いを煮詰めて全体計画の上に立ってものを考えているのかどうかというのです。それがさっぱり……ないならない、それがあるならある、あるいは、カーチスさんとの間の話し合いでどの程度の話をやっておると、これを明らかにしてほしいというわけです。特に四次防の問題だとか返還後の沖繩防衛問題というのは、これは政府が関心を持っているだけではないのですね。これは日本国民全体が大きな関心を持っているわけですから、それでかねがね言われるごとくに、ほんとうの国の防衛というものは国民の合意がなければだめだということをあなた方おっしゃっているわけです。だから、国民の合意を得るためにも、その全貌を、あるんなら、はっきり示されたいと言っているわけですよ。いま沖繩防衛だけ言いましたけれども、あるのですか、ないのですか。話がさっぱりできていないのか、話ができているならどの程度までできているのか、それをおっしゃってください。
  33. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) 基本的な考え方は先ほど申し上げているようなことでございます。  四次防との関連でございますけれども、先ほどから申し上げている数字は当初展開の陸・海・空の規模でございます。で、お話しのように、また四次防との関連が当然出てまいります。あれは当初展開でございますので、四次防の全体のことをいまやっているわけですけれども、それによって、先ほど長官説明しました部隊を四次防においてもう少し増強をしなきゃいかぬだろうという感じを持っております。たとえば、先ほど申し上げました航空自衛隊のことについて言いますと、レーダーサイト最初から引き継ぐだけの規模の部隊を展開することにしておりませんので、四次防においてこのレーダーサイト四つ全部を維持管理する部隊は展開すべきであろうというふうに考えますし、他の防空部隊、たとえばミサイル部隊等の展開も必要になってくるであろうというようなことも考えております。陸・海については、当初展開の部隊とそれほど大きな変化はありませんけれども、若干増強しなければいけないだろう。当初展開するのが三千二百程度でございますが、全体として考えますと、四次防において、約その倍ぐらいの人数は必要になってくるんではなかろうかというふうに考えております。
  34. 矢山有作

    矢山有作君 どうもピントが合わぬですね、話の。だから、沖繩防衛構想というのが、「考えております」、「でありましょう」というような不確定な話でなしに、防衛構想というのが煮詰まっておるのか、煮詰まっておらぬのか。煮詰まっておるんならそれを言ってくれと言っているわけです、ないならないと。そしてさらに沖繩防衛構想に関連した四次防はどうなっておるのか。煮詰まっておるなら煮詰まっておる、なければないと。これから向こうさんの出方次第ですというなら向こうさんの出方次第ですと。そこのところをはっきりしてもらいたいと言っているわけです。防衛構想がある、沖繩防衛構想があるなら、それを言ってもらいたい。それに関連しての四次防ができておる、できておるならば、それを言ってもらいたい。これが一つです。もし、ないなら、全然ありませんと。これからすべて相談するんだということなら、そうですということを言ってもらえばいい。どっちなんです。はっきりしてください。
  35. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) あります。ありますけれども、具体的に詳細にまだきまっていないのです。四次防自体が、大体の大まかなメルクマールはできまして、ごく近い将来発表できると思いますが、これは党との関係がまだ未調整で、党との関係が調整でき次第、できるだけ早目に発表したいと思っております。しかし、これも具体的にこまかく三自衛隊について戦車何台とかというところまで煮詰まったものではなくして、大まかな予算のワク、それから積み上げてきたものとの調整ということが完全にはまだ具体的に詳細には行なわれ切ってはおらない状態なんです。それで、沖繩との関係におきましては、大体いま局長が申しましたように、海と陸についてはいま申し上げたものと大体大同小異、情勢によって施設部隊を増強するとか、あるいは医療関係人員を強化して、離島その他の医療のめんどうも見ることをもっと強化する必要が出てくるかもしれない等々考えております。空については戦闘機による防空、それからナイキ及びホークによる防空、それから航空管制、この点をアメリカから逐次引き継いでいくつもりです。その時点についてまだ先方と考えが一致しない点があるわけです。これは、ですから、ペンディングになっております。しかし、大体においてこちらの腹はきまっておりまして、これからの交渉にかかっておる、そういう段階にあるわけです。
  36. 矢山有作

    矢山有作君 やっぱり長官のほうが答弁の要領がうまいですね。そういうことなら、防衛庁は防衛庁なりに、長官のおっしゃるように、沖繩防衛構想の概略はあるということなんだし、それから四次防の基本的な考え方も固まっておるということなんだが、それをやっぱり発表していただけませんか。これはやはり発表が必要なんじゃないですか。いまここで言えないなら、やっぱり発表の時期というものをある程度めどをつけていただきたい。四次防というのは、これまた、たびたび、この秋には発表するということが繰り返されてきた中で、一向にわからないわけですね。それは一体どうなるのかわからない。それはどうなんですか。
  37. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 自民党との調整次第、ごく最近の機会に発表する予定で進行しております。
  38. 矢山有作

    矢山有作君 私どもは、もちろん政党政治ですから、自民党との調整も必要でしょうが、やはりこうした重大な問題は政府与党だけでなく、先ほど言ったように、全国民的な関心の的ですし、われわれ国会としても重大な関心を持っておるところなんで、これはやはりまとまり次第に早急に発表してもらいたいと思うのです。これは私は今後の議論のためにも、ぜひこういうことをお願いしておきたいと思うのです。  それから次にお伺いしたいのは、沖繩防衛の主体については、先ほど、返還がされた後の沖繩防衛日本がやるのだ、こういう意味のことをおっしゃったと思うのですが、そうなんですね。
  39. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 返還後は日本国憲法並びに日米安全保障条約が適用されますから、その趣旨に沿って日本人が第一義的に守るべきものであると考えます。
  40. 矢山有作

    矢山有作君 ところが、最近の沖繩基地の状況がいろいろ伝えられておるところによると、七二年返還が一応めどがついたといわれておる中で、むしろ基地の強化拡大がどんどん行なわれておるということなんですね。そうすると、アメリカ軍はいままでのように駐留をしておる。あるいはさらに言うならば、軍事基地機能として強化拡大をされておる。そういう状態の中で自衛隊配備をしていって、沖繩自衛隊が守るのですと言っても、ちょっとわれわれにぴんと来ないのですよ。これが、沖繩米軍が、米軍配備基地を含めて撤去されていくということがはっきりしておるなら、それは撤去された段階において自衛隊が主体的に沖繩防衛するということも言えるのですけれども、現実の状態はそうじゃないでしょう。逆なんですね。そういう状態の中で——米軍がいままで、あるいはいままで以上に強力な力を持っておる中で、日本自衛隊沖繩防衛を主体的にやると言っても、私にはどうしてもわからないのです。一体どういう役割りを果たすのですか。
  41. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 日本の領土と国民日本人が守るべきものであると考えます。
  42. 矢山有作

    矢山有作君 抽象論はそうです。それは日本の領土と国民日本人が守るというのは抽象論として言えるのです、あなたがいつもそう言っておるのだから。しかし、現実沖繩の実態というものをあなたは見てこられたでしょう。あなた自身がびっくりされたのじゃないですか、沖繩を見られて。伝えられるところによると、沖繩米軍基地は膨大であり、極東における重要な機能を果たしておることをあらためて認識した。あなた自身が、沖繩基地がいかにアメリカの戦略上で重要な機能を果たしておるかということをあらためて痛感されたわけでしょう。そのあなたが、そういうアジアにおけるアメリカの重大な戦略的拠点であり、しかも、それにふさわしいだけの配備がなされておるところに自衛隊をどの程度出すのか。将来の計画はわかりませんが、アメリカががっちり押えて、返還前と返還後と実質的に変わらないようなそういう状態の中で、「日本人が沖繩を守るのだ」と言っても、それは抽象論としては言えます。観念論としては言えます。しかし、具体的に、国民はみな、おかしいな、一体自衛隊はそこで何をするのだ、こうなりますよ。それの疑問に答えるのが政治家の使命じゃありませんか。ここで私の質問を突っぱねたところで何の価値もない。沖繩の実態の中で自衛隊がみずから沖繩を守るのだというのは一体どういうことなんだということを明らかにしなければならない。私を突っぱねたところで話になりませんよ。
  43. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 観念論を肯定していただけるならば、まことに次の議論が出やすいわけであります。昭和二十七年のときの日本とよく似てきておる。つまり、占領が解除されましたときは膨大な米軍日本におりました。陸・海・空、蟠踞しておりました。しかし、その後自衛隊をつくり、日本防衛力整備されるにしたがって米軍は撤退を開始し、安保条約も次いで昭和三十五年には改革されました。そういうように、時間の経過とともに、かつ、われわれの防衛努力の増加と相応じて米軍はどんどん撤退をして、また、客観情勢の変化に応じて日本本土はこういう情勢に変わってきたわけです。沖繩はそれが二十数年おくれておる。しかも、特殊の事態の中にいままであった。そういう状態にある場所であって、時間をかけて、やはり本土の先例を見ながらわれわれが努力をしていくべきものである。一九七〇年代というのはいろいろ変化の多い年でありまして、私は、沖繩についても将来長期的に見ればいろいろな変化があり得ると思っております。そういう変化に対応できるような考え方も一面においては持っておかなければならない。そう考えて、持続的に努力していくべき問題であると考えます。
  44. 矢山有作

    矢山有作君 きわめて長期的な展望のもとにあなたは話をされたわけですね。しかも、それはあなたの期待にしかすぎない。そういうことでアメリカと合意できておりますか。この間訪米されたでしょう。合意されておるなら別です。具体的にはっきりと合意されておるなら別ですが、そうでなしにあなたがそれをおっしゃっても、それはあなたの単なる期待にしかすぎないわけでしょう。現実沖繩というのは、たとえば一例をあげてみますと、嘉手納基地のマーフィ司令官が四十五年の七月に言っていることがあります。「今後五カ年間に約六千万ドルの基地建設費が投じられる」と言っておる。「この費用の中には基地の運営維持費のほか、超大型輸送機C5A受入れ施設や、軍用犬訓練所の建設、航空機ターミナルの拡張工事のほか、住宅、学校の建設も含まれ、その通り実現すると、少なくとも嘉手納基地は施政権返還後も強化拡大の一途をたどり、戦略拠点になる公算が強い」、こう言われておりますね。それからさらにこういうことも言っておりますよ。これは四十四年の十一日に朝日新聞の井川記者が新聞紙上で言っていることなのですが、「沖繩では「太平洋陸軍特殊作戦センター」など「太平洋〇〇」と名乗る特殊機関が続々と新設、または強化されている。ベトナムから撤退してきた第三海兵師団は再び沖繩に司令部を置いた。工兵隊の工事予算も急増している」。まあ、これは一、二の例ですが、そのほかにたくさんいろいろなことが伝えられておる。現地沖繩原水協の調査の中間報告が出ておるのを見ても、これは施設の強化拡大というのが目ざましい状態で進んでおるということになりますと、そうすると、あなたの期待とはうらはらな現実がここに沖繩に起こっているのではありませんか。そういう中で「沖繩を、日本の領土になったら日本が守るのだ」と言うのは、単なるから念仏ではないですか。むしろ、われわれに言わせれば、沖繩が返ったら、沖繩日本の領土だから日本人が守るのだということの中で、つまり、自主防衛を強調する中で、軍事力増強のてこにしようというのでしょう。われわれにはそうとしか考えられないのですよ、現実の状態を見れば。どうなのですか。
  45. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 現地の軍人さんはいろいろなことを言っておるでしょうが、ペンタゴンの首脳部は、国会との関係等を考えてみて、いろいろの考え方を持っておるように私は見受けてきました。それで、極東情勢に大きな変化が起こらないならば、私はアメリカの軍事費は削減されていくだろうと見ておるのです。それで沖繩にも将来は及んでくるだろうと見ておるのです。それで、そのスピードはわかりませんけれども、七〇年以後になるとスピードアップされるのではないかという感じが、一般的な感触でありますが、私はしておる。それはアメリカの国会の空気自体を見るというと、そういう方向に動いているように思います。しかし、といって、私はそうだと確信しているわけではありません。これは一般的感触であります。あるいは、いま現地の軍人さんが言うように進むかもしれません、われわれは門外漢でありますから。しかし、政治家としてのその「気候」といいますか、政治的クライメートを考えてみると、大きな変化がない限りそういう方向に行くだろうと私は観測している。まあ、矢山さんの観測が当たるか私の観測が当たるか、それは歴史が実証いたしますから、もう少し見ていただいたらいいと思います。
  46. 矢山有作

    矢山有作君 そういうふうに期待感を持ちつつ、五年先か十年先か、いつ実現するかわからないし、あなた自身のことばをかりても、「アメリカさんの出方一つ」ということで、全くこれは不確定のものですね。そういう不確定要素を踏まえながら、ことさらに「沖繩防衛日本の力」でという、そのあなたの政治家としての考え方の裏にひそんでおるのは、私が先ほど言ったように、この際自主防衛という名をかりて軍事力の急速な拡大をやる、そういう陰謀——とまで言っては言い過ぎですから、まあ、てこにしようという、こういうふうにわれわれは解釈するということを言っているのです。  それでは次にお伺いしますが、沖繩基地の問題なんですが、沖繩基地がどれだけ膨大な基地群を持っているかということは、もう私がいまさら申し上げぬでも、あなたがこの間見てこられてびっくりされたのですから、あなたのほうがよく御存じだと思います。われわれが行ったのは六年前ですから、その六年前と今日と比べればまた強化されているでしょうから、よく御存じだから、具体的なことは言いません。そういう状態の中で沖繩県民基地の縮小・撤去という希望がいかに強いかということもあなたはかねがね痛感されておっただろうし、今度行ってさらに痛感をされたと思うのですが、おそらく私はアメリカへ行かれたときに在日米軍基地の縮小問題を話をされたということですから、そのときに沖繩基地の問題についても触れておられるのではないかと思うのですが、沖繩基地の問題について何か交渉されましたか。
  47. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 沖繩基地の問題は重大な事項として話をしてまいりました。
  48. 矢山有作

    矢山有作君 そのときに、日本政府代表する立場で、あなたは、沖繩基地整理縮小についてどういう意見を話され、そうして相手はそれに対してどういう態度をとったのですか。
  49. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 沖繩米軍基地施設の中で民生と入り組んでいるような住宅地域とかそのほかのそういう接触している部面については、最大限に整理統合をして日本側に返還をするということが好ましい。これは当面の返還のときの非常に大きな大事な問題であると自分は思う。その点については格段の考慮をわずらわしたいということを強く各人に申し入れをいたしました。先方側は、事情はよくわかります、われわれもまじめに検討いたしましょう——そういうことであります。
  50. 矢山有作

    矢山有作君 そういうふうな場合の基地返還というのは、私は、聞き間違いでなければ、おそらく自衛隊にそのまま転用するという形でなしに、沖繩県民への返還という部分のことを言っておられるのだとかってに解釈しますが、それでいいのですか。
  51. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) けっこうです。
  52. 矢山有作

    矢山有作君 そうすると、そういうふうに自衛隊転用でなしに沖繩県民返還されるに相当であると考えられる基地が大体どの程度であるとつかんでおられますか。
  53. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) その具体的なポイントを一つ一つ指摘してはまいりません。それは、まだそういうことを言わぬほうがいいと思ったから言わぬだけです。しかし、私は、心組みでは、大体ポイントを頭の中に置いておりますけれども、ここでまだ言うべき段階ではないと思います。
  54. 矢山有作

    矢山有作君 「ここで言うべき段階でない」とおっしゃっても、言っていただいたほうが私どもは議論がしやすいのですが、まあ、沖繩における基地の面積というのは大体九千二百万坪ぐらいといわれておりますね。大体その中で、大ざっぱに言ってどのくらいのものが、あなたの言われるその交渉のときに頭に描かれたものとして考えられていたのですか。
  55. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 先ほど申し上げたとおり、まだ発表すべき段階でありません。   〔委員長退席、理事源田実君着席〕
  56. 矢山有作

    矢山有作君 言いたくないものを無理に言わそうといっても無理でしょうから、それでは次に聞きますが、返還後の自衛隊配備のために米軍基地のうちで普天間、那覇近郊のホイール・エリア、東海岸のホワイト・ビーチ、那覇空港が返還されるのだとか、あるいはこれを自衛隊と共同使用するのだということがいわれておりますが、これについての話し合いというのは具体的にどうなっておるのですか。
  57. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) いまおあげになりましたような場所は、自衛隊配備の場所として候補にのぼっております。しかし、まだきまったわけではございません。候補でございます。先ほど申し上げましたような数字部隊配置するには当然場所が要ります。どこが適当であるということはいろいろいま考えております。しかし、先ほど長官お答えのような全体の基地の整理統合の問題があります。民間に返すものもありましょう。米軍が独自で使うものもありましょう。共同使用というようなかっこうになるのもありましょう。これから全体のバランスを考えながら詰めていくという仕事が残っているわけでございます。まだ全部がきまっているわけではございません。
  58. 矢山有作

    矢山有作君 じゃあ、いま指摘した部分についても全然話してないんですか。カーチスさんとある程度話が煮詰まっているのじゃないですか。
  59. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) 最初お答えいたしましたように、そういうところを候補にあげて折衝はいたしております——決定をしてないということを申し上げているわけです。
  60. 矢山有作

    矢山有作君 そうしてみると、これは沖繩基地の縮小整理というのは、いかにも大きな希望を持っておられるようですが、なかなかこれむずかしいんじゃないですかね。自衛隊配備のための基地ですらそういう状態だというところへ持ってきて、私ども聞いておるところで見れば、沖繩の海兵隊当局が普天間基地について言っているのを見ると、普天間基地では現在兵舎施設を拡張しておる、七二年返還後普天間基地自衛隊移駐の要請はいま聞いておらぬ、聞いておらぬが、聞いたとしても、自衛隊を現状では受け入れるスペースは全然でございませんと沖繩の海兵当局が言っているようですね。そうすると、もしそのとおりになったら、自衛隊はどこに持っていくんですか。
  61. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) 折衝でございますので、われわれが最初考えたのと必ずしも話が合うものではございません。向こうの都合もございましょう。こちらの都合もございます。それですから、折衝でございますから、いろいろ話が煮詰まった上できまる。また、他とのバランス等も考えなければならぬ。こういうことでございます。
  62. 矢山有作

    矢山有作君 だから私は、容易なことではありますまいと言っているんです。  それからもう一つ、時間が来たようですから、私は沖繩基地の整理縮小という場合に特に考えていただかなきゃならぬと思うのは、自衛隊配備にすら、屋良主席がおっしゃったように、県民には激しい抵抗があるわけです。ところが、沖繩基地が、将来の展望として、なるほど整理縮小されても、それが自衛隊にほとんどそのまま肩がわりされるというのでは、沖繩の、いわゆる沖繩軍事基地の中にあるという、こういう状態というのは、一つも脱却できぬわけです。そうすると、これは沖繩県民の期待には相当反すると思う。沖繩県民沖繩返還で期待しているのは、基地を撤去してもらいたいというのが、何と言っても、私は大きな期待だと思うんです。なぜならば、沖繩県民沖繩で生活していく、沖繩の産業開発をはじめ、生活をしていくためには、基地が大きな障害となっているわけです。その基地沖繩県民返還されるのはほんのちょっぴりで、基地の大部分自衛隊に肩がわりというのでは、従前のとおりと変わらないということです。この辺のところを私は、基地の整理縮小とおっしゃる以上は、十分腹に入れてやっていただかないと、これはたいへんな沖繩県民に対しては期待はずれになると思いますが、この点はどうなんですか。
  63. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 基地を整理統合していくということは私は大賛成でありまして、そういう方向に日本に復帰したあとも努力してまいりたいと思っておりますが、問題は、沖繩県民諸君の民生の問題もあります。約四万人の軍雇用者がおりますけれども、基地が一挙に撤去されて裸同然に、失業状態にほっておいたら、どうしてこの人たちの生活のめんどうを見るか、こういう経済問題も考えなければいけないと思うのです。私は実際、労働組合の幹部でない人とちょっと話をしたり聞いてみましたら、内心はその不安を非常に持っているようです。それで、基地撤去と口では言っているけれども、腹の中では、その場合に自分の失業問題をどうしようかというおののきを非常に持っているわけです。この二律背反をどういうふうに解決していくかということが、政治のまじめな現実の問題であるわけです。それにはある程度時間をかけて、時間という要素を入れて解決して、段階的にやっていくよりしかたがない。そういう、口で即時無条件全面返還という考え方は、おそらく軍雇用労務者の大部分は腹の中では賛成してくれないのじゃないか、自分の職業を見つけてくれたらそれは賛成だと、そういうのがほんとうの声だと思う。そういうほんとうの声を聞くのが政治家だと思うのです。
  64. 矢山有作

    矢山有作君 それはあなたのたいへんな間違いです。それは沖繩基地を温存するための詭弁ですよ。なぜかといえば、基地があるから今日沖繩県民の生活が成り立たなくなったんでしょう。基地を撤去して何もしないという、そんな無責任な政治がどこにありますか。問題は、基地沖繩県民の生活をそこなっているとするならば、基地を撤去して、そうして沖繩県民基地に依存しないで生活できるような政策を打ち立てていくというのが政治のほんとうの姿でしょう。いま撤去してしまったら食えなくなる、そういうような素朴な考えはあるいは一部にあるかもしれない。そういう感情をたてにとって基地温存の道具にしようというのは、これは政治家としては一番許されない態度ですよ。防衛庁長官ともあろうものがそういう詭弁を弄してはいけない。基地は撤去すべきなんです。基地に依存しないで食えるような対策というものを早急に立てるべきだと思う。そうすれば県民は安心をすると思う。過渡的に困る場合があるかもしれません。過渡的に困る場合には、これは政治の力で救済する方法は幾らでもあると思うのです。そのことを考えないでおいて、基地撤去をしたら食えなくなるから困るだろう、だから基地を温存するのだ——そんなでたらめな話がどこにありますか。アメリカ軍が基地拡大しておる最中でも、アメリカはドル防衛ということで、自分のふところ勘定だけで、沖繩軍事基地の労働者が食えようが食えまいが、一方的に首を切っているじゃありませんか。この現実を見なさい。政治家としてはもっとまじめな考え方がほしいですね。  私の時間は終わりましたから、いろいろあと残っておりますが、これで終わります。また次の機会に譲ります。
  65. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 長官が最近アメリカ訪問あるいは沖繩訪問、加えて昨日も防衛白書の発表等々おやりになったわけでありますが、その一貫した行動から判断しますと、確かに長官自身もしばしば言明されておりますように、断じて軍国主義の道を歩まないというように言われております。アメリカでもそのことをしきりに申されたようでございます。しかしながら、その一連の長官の言動を通して、また、その反響というものを考えました場合に、はたしてそうだろうかという疑念がどうしても根底的に払拭されないと思うものが残るわけであります。先ほどの御答弁の中にもございましたように、見解の相違である、これは歴史が将来において証明するであろうと、こう一刀両断のもとにやられてしまえばそれまでかもしれませんけれども、やはり国民の疑惑というものについては、多少歯切れが悪くても、明確にその辺は表明されて今後の道を進まれるというのが一番望ましい行き方ではないか、また、それが政治であろうかと私は思うわけであります。今回の沖繩防衛体制というものについてももうしばしば議論が繰り返されているようでございますが、昨日の防衛白書を通して見ましても、またぞろここで私どもが関心を持たせられるものは、一体どの程度までに現在の日本防衛力を増強すれば事が足りるであろうか、ますますエスカレートしていきはしまいか。特に沖繩防衛というものについては、長官御自身も相当意欲的に取り組まれているのではないかという印象すら受けるわけであります。将来——それもごく近い将来においては、沖繩もいわゆる防衛体制の中に組み込まれていくわけでありますので、日本全体のまず基本的な問題からもう一ぺん考え直してみる必要があるのではないか、昨日のそうした発表に伴いまして、再確認をしておきたい、こう思いますので、長官御自身が一体どこまで防衛力を増強させていけば日本のいわゆる専守防衛というものの役割りが果たせられるというふうにお考えになっていらっしゃるのか、そしてまた、今後の展望というものについてはどのような考え方を持っていらっしゃるのか、いわゆる日米安全保障条約というワクの中において日本の果たす役割りというものを一体どういうふうにとらまえていらっしゃるのか、まずここから伺いたいと思います。
  66. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 私は、外国へ参りまして、よく日本の経済成長ということを非常に称賛し、日本人の勤勉性を賛美いたしますが、それを聞いてみて感得しましたことは、それと同じぐらいに日本の力に対し恐怖心を抱いているという感じを持ちました。率直に言って、この間の大東亜戦争の影響その他等を考え——今日のドイツが両方に分割されている。それでドイツ人は統一を欲しているけれども、その周辺の国々がほんとうにドイツの統一を欲しているのかどうか疑問の余地がかなりあります。それは、やっぱりドイツが強大になることをおそれているということがあるのではないかと、わきから観察しています。それと同じようなことが、日本についてもまわりから見られているということをわれわれは意識しなければならない。ドイツのことを単にドイツだけではないのかもしれんのだ、そういう気が、私、非常にいたしまして、日本防衛力整備については非常にその点を戒心して、いやしくも誤解を受けないようにやっていかなければならない。それをやる中心はどこであるかといえば、文民統制以外に何ものもありません。それで、どの程度までが限界であるかという点について、学識経験者にずいぶんお聞きもいたしましたし、見識を伺いましたけれども、結論するところ、数量的なものはできないということなんです。それで方法において制限をしていく以外にない。なぜならば、すべてにおいて相対的であり、流動しているからである。そういう意味において、きのう白書で発表したような、限界を、「憲法上の限界」及び「政策上の限界」というふうにして出しまして、あとは毎年度、毎年度、予算あるいは五カ年計画というものを国会においてコントロールしながら、国民の反応を見ながらブレーキをかけ、あるいはアクセルを踏んでいくという、そういう形でいくのが民主的制度であろうと私は感じております。
  67. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 過去において「戦力なき軍隊」という表現で言われたことがございます。自衛隊そのものは戦力を持たない軍隊である。しかし、最近の予算のふえ方等々を考えてみましても、あるいは装備の点から考えてみましても、はたして「戦力なき軍隊」と言えるのかどうなのか。むしろそのベールを脱ぎつつあるのではなかろうかという懸念を持つわけであります。いま御答弁にございましたけれども、はたしてそれで今後の日本防衛体制というものはいいのかどうなのか。要するに、「限界」とおっしゃいましたけれども、それではたして限界なのかどうなのか。私は明確にその点を納得するだけのものをまだ持ち合わせないわけでありますが、どうもその辺がまだひっかかるような感じがするわけであります。ちょっと話が前後するかもしれませんが、長官が先般の訪米の際に、ナショナル・プレス・クラブにおいて記者会見の際に発表された——四次防については、その予算のワクを百六十億ドルですか、これを日本の金に直しますと五兆七千六百億、年平均で一兆何千億、さしずめGNP一%のワクで今後の防衛費というものの捻出をしていきたいということを表明されているようであります。そうしますと、年々防衛費というものが増大していく、これはだれしもが査定できない厳粛な事実だろうと思いますし、また、そうしなければ現在の防衛力というものは整備されない、また、そうすべきである、それは最小限度の日本を守る防衛力整備につながるのだ、こういう解釈に基づいた考え方であろうかと私は思っております。けれども、現在アジアにおいては、中共を除いては、戦前の戦力よりはるかに上回って、兵力あるいは装備の点においても第一位である。少なくとも自由主義国家群においては第一位であるというような評価すらも生まれているわけです。はたしてこれがエスカレートしないという保証があるのかどうなのか——というようなことがやはり疑問として残るわけであります。こうした予算のワクという現実的な問題から考えてみた場合に、長官としてはどういうふうに将来の展望をお持ちになっていらっしゃるのかということを再度お尋ねしたい。
  68. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 各国は各国の環境により、及び国情によって防衛方針を立て、防衛力整備していると思います。日本日本固有の方針によって防衛力整備し、防衛体系をつくっておるわけであります。したがって、外国のことは必ずしも日本に適用されるとは考えられないのであります。  しかし、当面、私らが頭の中に置いておりますことは、陸上自衛隊については、十八万という定員は、沖繩関係増員も加えれば、多少あるいはふえるかもしれませんが、大体この程度で当分の間いいだろう。それから空と海については、航空機あるいは艦艇においてもう少し強化する必要があるであろう。それに応ずる人員は必要であろうけれども、しかし、人員をあまりふやすということについては、私らはあまり賛成しない。できるだけ省力化していきたい。かような基本的考え方です。  それで、人間一人当たりの限界効用率といいますか、それを最大限に上げていく。民間産業が原単位の人間の価値率、効用率というものをあれだけ上げて生産性を高めているのでありますから、防衛庁もそれに負けないぐらいに効率を高めていくということがこれからのわれわれの大きな仕事である、こういうように考えております。
  69. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 長官が、最近の考え方の中で力説されている点がございます。それは、今後の世界平和というものを目ざす場合には、むしろ軍事力というものよりも外交優先であるということを申された。これはもうそのとおりだと私は思う。ならば、防衛ということを考える前に、むしろ、その外交の今後の展開ということに最重点を置いた、そういう取り組み方というもののほうが非常に大事ではないだろうか。いつも繰り返して申し上げるようでありますけれども、戦争が起ったらどうするかということより、戦争が起きないためにはどうするかということのほうがやはり基本的な考え方ではないだろうか。先ほども御答弁にございましたが、沖繩防衛体制については、あくまでも民生ということを第一に考えると申されました。けれども、少なくとも予算の面から考えてみた場合、ただいま申し上げましたように、それが民生の安定の上に役立つような予算の組み方だろうか。むしろ民生安定という名をかりて、その裏では防衛力の増強にまっしぐらに突っ込んでいくのではないだろうかというような、いろいろなそういうことを考えてみた場合に、長官のおっしゃっている、外交を優先するというような観点から矛盾が起きはしないか。この点はいかがでございましょうか。
  70. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 白書にも書きましたように、外交がくずれたら防衛は半分はもうだめになる。また、国民の心を失ったら防衛は全部だめになる。そういう観念に立脚しつつ政策を進めていきたいと考えておるわけであります。しかし、沖繩にせよ、あるいは本土防衛にせよ、必要最小限のものはやはり物的力としても必要でありますし、また、そういう力は一朝一夕にはできるものではないわけです。何年計画でそういうものは逐次整備されていくのでありまして、そういう長期的な構想の一環として防衛考えなければならない。そういう観念に立脚していろいろな手当てをしておるわけなんであります。
  71. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 そういたしますとこれからも、やはりあくまでも防衛ということを、外交優先とはいいながらも、それにかみ合わして、世界平和の足がかりをつくるためには、最小限度のそういう体制というものは必要なんだ。しかし、防衛という意味から受けることは、常に仮想敵国というものを想定した前提に立って考えられているであろう。これもしばしば今日までの国会の議論を通して展開されてきた内容であります。しかし、いま、どこを仮想敵国とするかはこれは別問題といたしましても、はたして現在の自衛隊の有する防衛能力というものでもって、核戦力を有しているような国の攻撃を受けた場合に十二分に対応できるか。それはもちろん日米安全保障条約というもとに、自由主義国家群、なかんずくアメリカの援助を受けるから心配はないと、こういう議論になるだろうと私は思うのであります。けれども、最初の戦闘態勢に入る場合には、それは自衛隊がまず第一番目の役割りを果たすんだということが前提になっておるわけであります。けれども、それであっても、はたしてその第一段階における防衛というものが現在の体制でできるか。できないとするならば、結局はこれからもエスカレートしながら、あるいはその既成事実というものを積み重ねて、そうして最も力ある、いわゆる戦力を持った軍隊という、そういう形に仕上げていくようなおそれが出てきはしまいかというふうに思うわけでありますが、この点はいかがでございましょうか。
  72. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) その点は、やはり日本国憲法のワクの中における専守防衛防衛力という限度を厳守するようにわれわれは今後も戒めてやっていきたい。沖繩についても同様であると考えております。
  73. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 時間の都合で、沖繩と焦点をしぼって一問お尋ねをいたしますけれども、ともあれ、ただいままで申し上げた点につきましては、依然としてしこりが残るといいますか、やはり将来も尾を引くであろうという、そういう御答弁ではないだろうかという気がいたします。とりわけ、沖繩返還をめぐりまして、何といっても沖繩県民が一番憂えていることは、またぞろ戦前と同じような最も強力な防衛体制というものが沖繩にしかれるのではないかと。なるほど今回の発表によりますと、兵力は三千二百名というふうになっております。米軍の実態から見ると、まさに取るに足らない存在と言えば言い過ぎかもしれませんけれども、そういう実態であるわけであります。けれども、やはりそこには、先ほどの質疑応答の中にもございましたように、過去の忌まわしいそういう経験を深刻に味わった県民といたしましては、まあ、米軍よりはむしろ自衛隊が来るほうが望ましいとは思いつつも、やはりそこには割り切れない気持ちが残っているんではないだろうか。何かこう、一足飛びに、こうするぞという、頭ごなしにこの沖繩防衛体制をきめたというような印象がぬぐい切れないわけであります。今回非常にあわただしい長官の日程等を報道を通じてうかがい知りましても、長官がおっしゃっているように、基地県民生活の調和がないと基地の維持はできないというようなことがはたしてできるんだろうか。あるいは今後二回、三回、おいでになるかどうかわかりませんけれども、しかし、沖繩県民の中には大多数の沈黙した賛成者がいることも事実だとおっしゃっている。これは私は少々行き過ぎたお考え方ではないだろうか、そういうふうにも感じました。いずれにしても、私も何回か沖繩に行っております。また、いろんな方に会ってはだで感じております。それほどに、現在の防衛体制という問題から生ずる将来の沖繩のあり方というものについては、むしろ神経過敏になっていると申し上げても決して言い過ぎではないだろう。にもかかわらず、県民の調和をはかることが基地の維持につながるんだと長官おっしゃっておりながらも、はたしてそれがどう一体具体的にこれから行なわれていこうとするのか。そして、いままでの軍隊とは違うんだ、新しい組織に基づくいわゆる自衛隊なんだというような表現もなさっていらっしゃる。一体、こうしたことの内容というものが明確に県民に全面的に納得がいかないにしても、ある程度の理解を与えることが必要ではなかったろうかということが一点。  それから加えて、もっと話し合った段階を通じて、むしろどうしても自衛隊配置しなければならないということになるでしょう、おそらく。ならば、もっと段階的にやるべきではなかったのだろうか。また、そういう説明も十分なされてよかったのではないだろうかという気がしてならないわけです。この二点はいかがですか。
  74. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) これから大いに努力をしてまいりたいと思います。沖繩県民の皆さま方は、ああいう悲惨な戦争の経験をお持ちでございますから、防衛とかあるいは自衛隊とかいうものについて、なかなかなじめないお気持ちがあることはわれわれも拝察しなければならぬと思います。したがいまして、非常に慎重に沖繩県民の心をくみながら徐々に理解を深めていく、こちらのほうもそういう深い戒心を持って政策を進めてまいりたいと思います。
  75. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 長官がアメリカに行かれた際にも主張なさったそうでありますけれども、米軍基地の使用についてでございます。いわゆる共同使用という問題、これもこれから大きな論議を呼ぶであろうと私は思うのでありまして、いろんなところがいま想定されているようでありますけれども、その中でもいわゆる航空自衛隊が用いる基地、いまのところは那覇空港が予定されているそうであります。現在では非常に狭い、したがって、滑走路等も整備して拡張する、こういうことが伝えられております。しかも、那覇空港には民間の航空機の離着陸をはじめとして現在米軍も使用しております。そしてまた、近い将来においては自衛隊も使用する。一体どうなるんだろうという不安、心配。これは北海道の千歳空港においても同じであります。この間も北海道に参りましたときに、危うく大事故を引き起こすというような、そういうことがあったそうであります。事故がないからそれでいいとは言い切れません。ならば、あくまでも那覇空港のような場合にも民間航空の飛行場といたしまして使用させるのが当然でありまして、嘉手納という膨大な基地があるわけであります。そこの一部分を共同使用にするように要求するとか、あるいはその他の地域において適当と思われるところがあれば、むしろそこを開発してやるべきではないだろうかというふうに思うわけであります。これらは、まあ時間もありませんので、はしょった言い方をいたしましたけれども、何も航空基地に限らない問題だろうと私は思います。こうした一連の問題も沖繩県民にとっては最大の関心事ではないだろうか、こう思いますけれども、この共同使用という問題についての根本的な考え方、そしてまた同時に、ただいま申し上げました那覇空港については、具体的にどうお考えになっていらっしゃるのかということをお尋ねして私の質問を終わらせていただきます。
  76. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 自衛隊配置につきましては、私は局長に指令をいたしまして、カーチス中将との話の際、できるだけ自衛隊は独立のところに置いて米軍に混在させないようにしろ。そして第二番目には、新しい土地を、民有地を必要とするということのないようにしなさい。要するに、米軍土地を使いなさい。そういう二つの項目を指令して、先方といろいろ話し合い、候補地をいま検討している最中なので、そういう配慮を貫いてまいりたいと実は思っているわけであります。  それから米軍基地につきましては、七二年返還以前と、七二年の返還が成ってからの時点においては、日本政府立場は変わってまいります。つまり、七二年返還後においては日本主権の範囲内における米軍基地になってくるわけであります。今日ではまだ日本主権の範囲内における米軍基地ではないわけです。したがって、七二年返還以後においては、またわが政府はわが政府としていろいろ考えていくでしょう。そして沖繩県民の要望を最大限に実現するように努力することは当然であって、いま本土において私が米軍基地の整理統合を言っているように、七二年以降においては客観情勢その他を見て整理統合という考えが出てくることもまたあり得ると考えていいんじゃないでしょうか。私はそういうふうに、七二年以前と、七二年以後のわが主権下に入ってきたときの時点とを明確に考えてやっていかなければならない。今日において言うべきことを慎むこともありましょうし、あるいは七二年以後になってから言うべきこともあるのではないか。それは日本政府として当然のことであると考えておるわけであります。
  77. 春日正一

    ○春日正一君 簡単に具体的にお聞きしますけれども、新聞の報道によると、沖繩米軍当局が去る十二、十三、十四日の三日間、嘉手納その他の基地報道関係者に公開していろいろPRをやったようですけれども、その際、海兵隊の普天間基地司令官のラマー大佐がこう言っております。「この基地——すなわち普天間基地——「もチャプマン最高司令官が沖繩を訪れたさい言明したように、無期限に常駐しよう。現在のところ、基地の縮小や統合整理の計画は全然ない。むしろ、施設がせまいので、兵舎の増強を実施している段階である」、こういうふうに言っております。それからさらに米軍当局は、この「海兵隊は、国府や韓国、南ベトナム、タイなど東南アジア同盟国軍の軍事訓練センターになっている」ことも明らかにしております。  そこで私、心配するのは、沖繩のいわゆる施政権返還に際して海兵隊が残る。同時に、こういう南ベトナムやタイというような国の軍隊の訓練もそのまま続けられるというようなことをずっと続くんじゃないか。そういうことになると、アメリカが日本基地を使う約束になっておる。「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与する」ということで安保条約が結ばれておるわけですけれども、そういうタイとかベトナムというようなものは、安保条約改定の際にも問題にされて長官御存じでしょうけれども、その「極東」という範囲に入っていないはずです。そういうところの、無制限に連れてきて訓練するというような基地日本の国内に置く条約上の根拠はあるのか。そこをお聞きしたいのです。
  78. 宍戸基男

    説明員宍戸基男君) 現在沖繩米軍以外の国の訓練が行なわれているということはあり得ることだと思います。しかし、日本本土におきましては安保条約で米軍基地を提供しているわけで、そのたてまえから、日本本国では、米軍基地では米軍が第三国の軍隊の訓練に当たっておりません。沖繩が返りましたら、やはり本土と同じようなことになるのであろうというふうに考えられます。
  79. 春日正一

    ○春日正一君 それが当然だろうというふうに私も考えます。  そこでもう一つの問題は、海兵隊自身にも問題が出てくるのですね。普天間にいる第三海兵師団、この師団の任務について、八月に発表されたアメリカ議会の例のサイミントン委員会の公表資料、あれではこういうふうに言われております。これは外務省が配付された資料の一五〇五ページというところにあるのですけれども、「この師団は米太平洋軍司令部の管轄区域全域に向けて戦闘即応態勢をとる」というふうに言っております。「米太平洋軍司令部の管轄区域」というのは、当然、御承知のように極東の範囲に限定されるものではありませんわ。非常に広い——インド洋のほうまで含む広い区域での作戦ということが予定されておる。そこへいつでも出て行く軍隊、そういうものが、施政権返還後これが日本の安保条約の範囲に入った場合、日本に駐留することが許されるのかどうか。当然これは撤去を要求すべきだと思うのですけれども、その点、どうですか。
  80. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 当然安保条約並びに地位協定のワク内における行動に限局されることになるべきであります。
  81. 春日正一

    ○春日正一君 そうしますと、日本政府はそう限定さるべきだと思っておると。しかし、第三海兵隊に対するアメリカ軍のほうの任務規定は、太平洋軍の作戦範囲全体に戦闘即応態勢にあると。いつでも出て行くということになれば、初めから、つまり日米安保条約のワクを越えたものを承知の上でかかえ込んでしまうということになるわけですから、そうすると、その場合、はっきりと海兵隊の任務の変更を要求するとか限定を要求するというような形をとらなければ、海兵隊が日本の領土内におる条約上の根拠はなくなってしまう。そこの辺、どうですか。
  82. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 日本返還されまして日本の憲法並びに安保条約、地位協定が適用されるようになれば、当然そういう範囲内における運用に変更さるべきでありますし、また、日本政府としてもそのことを要求してそれを確保する考え方であります。
  83. 春日正一

    ○春日正一君 当然そうあるべきだし、それはぜひはっきりさしておかなければいかぬと思うのです。というのは、先ほど来のほかの議員の質問にもありましたように、沖繩県民は二度とこの前の戦争のようなああいう戦争に巻き込まれたくない、それから異民族の支配のもとから脱したい、この二つの点は、これはもう沖繩立法院与野党一致していつでも決議して上げてくる陳情の文書に書かれておるこれは強い要求ですわ。そうして日本国民全体も、多数が、少なくともこの前の戦争みたいなものはやりたくないし、そういう戦争は困るという気持ちを持っておる。だから、自衛隊に対してもいろいろ注文があるし警戒もしておるわけですけれども、先ほど長官は、自衛隊は専守防衛だと——もっぱら防衛を一筋だということを言われたのだけれども、自衛隊そのものが専守防衛であろうと、現にアメリカ軍はあすこからベトナムへ出て行って戦争している、攻撃している。アメリカが、ベトナムを防衛していると言っても、攻撃ですわ、出て行って。そういうものをかかえ込むということ、しかも、安保条約の中へ入ってくると、当然五条でもって日本がいやおうなしに引きずり込まれる条件がついているわけですから、ですから、その点について非常に心配するし、そういう出撃していくような部隊をかかえ込んだんじゃ困るというのが強い意見になっている。しかし、まあ、安保条約のワクの中で事前協議があるというようなことで、政府はそこでチェックできるというように言っていますけれども、私どもはその点はそう甘く見ていない。少なくとも、いま言ったように、安保条約のワクを越えるような、そうして最も攻撃的な部隊ですね、海兵隊というのは。こういうようなものは沖繩に置くべきじゃないし、だから、そういうものは、当然、はっきり性格が限定されるというようなことにならなければ撤去を要求すべきだ、こういう点で御質問したわけですわ。いま長官は、当然これは、憲法ももちろんだけれども、安保条約のワクの中に入るような性格のものにするということをはっきりさせるということをここで言明されたと思うんですけれども、そういうふうに受け取っていいですか。
  84. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) けっこうでございます。
  85. 春日正一

    ○春日正一君 じゃ、終わります。
  86. 源田実

    理事(源田実君) では、長官よろしゅうございます。  速記とめて。   〔速記中止〕
  87. 源田実

    理事(源田実君) 速記始めて。
  88. 小林武

    ○小林武君 総理府の総務長官にお伺いします前にこれからの質問のためにちょっと前置きをいたしますというと、新聞の世論調査というのを見ますと、その中に、アメリカの基地がなくなったら生活に不安を感じるか感じないか。「大いに感じる」というのが二四・五%、「少しは感じる」というのが三六・二%です。合計すると六〇・七%の人間が出ている。これはあなたもお読みになったと思う。ところが、自衛隊の駐留というものになりますというと、「反対」と「賛成」というものはきわめて接近している。自衛隊の駐留というのには「賛成」が三二・九%で、「反対」が三一%。さらに復帰後に沖繩から台湾海峡とかベトナムとか朝鮮にアメリカが出動する、これが事前協議に付された場合に断わるべきかどうかという調査では、五四・四%が「断わるべきだ」と、「断わるべきでない」というのが四・七%、「時と場合による」というのが一六・九%。ここに沖繩の人たちの考え方というのが出ていると思うんです。基地経済というものの中に沖繩県民が依存しているという実態、この実態にありながらも、沖繩県民皆さん本土に復帰したいという運動、非常に大きなエネルギー、大臣はどうお考えになっているか知りませんけれども、私の判断からすれば、本土復帰というものの起点はどこにあったかというと沖繩県民の中にあった。しかも、それに非常に大きなエネルギーを出したのも、これも沖繩県民だ。そういうものを受けて政治情勢ができてきた、こう私は考えるんです。もちろん、その他のいろんな条件も加味されるべきですけれども。これは高く評価します。そういう沖繩県民の復帰後についての期待というものは、この中から全部出ているものだと思うわけであります。そういうことを考えますと、先ほど来防衛庁長官とそれから各委員の間のやりとりを聞いておりまして、防衛庁長官考え方というのは、まあ質問すればよかったんですけれども、質問する時間もないから聞けなかったのですけれども、自衛隊の駐留なんかに対して反対するというのはもう少数意見である、こういう発言をして盛んにやりとりをやっておったのです。これは一・何%という違いがあるか知らないけれども、ほとんど接近していることからいえば、あるいはその他のいろいろの世論を参考にすれば、おのずからもう明らかな事実です。こういうことを私はまあ頭に置いてこれからのことを御質問するわけです。どうなんでしょうか、沖繩の人たちは、ほんとう自分たちの言うことが通るのか通らぬかということは、これはもういま非常に不安になっていると思うのです。総務長官としては全力をあげてやっていることもわれわれは認めるし、その点について非常に努力していることもわかりますけれども、しかし、彼らの中に非常に大きな不安が、経済面においても、あるいは沖繩県民考えましたこの平和の問題にしろ、復帰後の核抜き・本土並みというようなものに対する考え方というものに動揺を与えていると思うわけです。そのことから一つお尋ねいたしますと、まずこれは総務長官に聞いてもいいのですけれども、一体沖繩基地問題というのはどうなるだろう。先ほど来の質疑を聞いておりましても、沖繩基地というのはどういうことになるのか。一例をちょっとあげてみますと、そういうことをなぜ聞くかというと、たとえば経済自立の政策を立てるとか、いろいろありますわね。そういうことを言っても、基地が現在のままであって、基地に依存していくような経済体制というものがいつまでも続くということになるならば一体どうなるかということになるわけでありますから、総理府の総務長官としては基地というものが将来どうなるか、沖繩県民皆さんが期待しているようなところに持っていくためには私はこの問題はおいて考えることのできない問題だと思うわけなんですけれども、先ほど来の防衛庁長官、それからきのう新聞に出ました防衛白書等を見ますというと、基地というものはそう簡単にはなくなりはしないだろうし、それからまた、いまの防衛庁長官との質疑応答を通して見れば、なおさらそれがもう明らかになってきた、こう考えるのですが、そういう点についてひとまず長官の見通しをお伺いしたい。
  89. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 伝えられる私と中曽根君との微妙な関係というようなことを念頭に置きながらのたいへん巧妙な誘導質問でありますが、防衛問題につきましては、私は中曽根長官責任大臣としての言動というものをまず前提として考えたいと思います。しかし、私が、いま世論調査でいろいろとあげられました数字の中の、基地の経済にきわめて強く依存もしくは関連を持つがゆえに、経済の将来について基地の問題と関連して心配を持っておる。パーセンテージ、これは私のやはり重大関心事であり、私自身がそれに何を答えなければならないかを示す、五〇%をこえる。パーセンテージの比率だと思うわけです。そういう意味で私は受けとめたいと思います。まず基本的にはやはり沖繩の、ことに本島において占める基地の圧倒的な比重、さらにまた、その比重が最も人口の密集した中南部に集中して置かれておる状態。極端に言うと、嘉手納村のごとく、旧村の八割は軍用地になり、二割が旧村の村民の所有地としてわずかに許されて海岸べりに押し込められた形で住んでおる、こういうようなこと。あるいは、都市計画そのものすら青写真も書かないうちにまたたく間に大きな都市にふくれ上がってしまってどうにもならなくなった那覇市の中におけるあまりにも皮肉な対象としか受け取れない米軍住宅の広々とした敷地、その他、沖繩にあれほどのゴルフ場がなければならないのかどうかという問題も含めまして、軍用、提供された土地としてのゴルフ場ですね、これはアメリカの上院でも議論されているわけであります。私自身の基本的な姿勢は、沖繩の本島においてあのような状態における基地の状態は、必要最小限な機能を維持するための基地としてなるべく返還をしてほしい。これは日本本土における——中曽根長官の答弁ちらっと聞いておったんですが——共用もしくは日本に対する返還の作業よりも、沖繩においてはこれを早めてほしいように私は思うわけです。でなければ、那覇の都市計画の青写真すらなかなか書けないという状態でありますし、ましてや琉球政府の那覇を中心とする中核都市形成、こういうものも私はやはり一つの将来の計画だと思います。あるいは住民福祉等の、広域下水道処理その他の問題等を考えても、焼却炉を考えても、那覇市の都市計画というものは絶対に必要だ、しかし、どうしても必要な軍用地をアメリカは、手放せと言ったってなかなか手放さないでしょうし、力関係で押しまくって争奪戦をやるようなこともまた不可能でしょうし、そういうようなことから、いわゆる私たちの姿勢、方向としては、なるべくあいているところ、あるいは使わなくてもすむところ、あるいは、そんなによけい要らないところ、こういう感じのところからだんだん日本側に返していただく、しかも、その扱いについては、これは復帰後は防衛庁の施設庁が取り扱うことになり、その方面が主として扱う、お世話申し上げることになるでありましょうが、それまでの間の日本政府側の窓口は私を通じてものを言い、受けとめるわけでありますから、沖繩の軍用地については、もともと軍用地ではなかった、第二次大戦中における日本軍の強制的な供用というものも含めて、戦後のアメリカ側の、戦車を背景にしたような強引な土地の買収等もございました、立ちのき等も行なわれたという事実、これらを考えますと、やはり地主というものに対する了解をどのような形で政府があらためて取りつけて、それを米軍にかりに提供するにしても、話し合いを進める形をどう持つべきかということが大きな問題でありましょうし、また、了解ずくの地主についてもそうでありますが、強制的にやられた人々についてはどのようにしてあげることができるのか。さらに、それらの人々に了解という形を本土政府が取りつけることが可能なのかどうか。要するに、それらの提供地主の人々との話し合いというものが民有地、個人所有地に関する軍用地については必要になってくるであろうと考えておるわけでございます。
  90. 小林武

    ○小林武君 私は、いまの御答弁は大体総理府総務長官沖繩に対する非常な熱意のあらわれであり、よき理解者的発言であるというふうに聞くわけです。しかし、それは、そういう意図はどうであっても、政治の情勢というものがそう動いているかどうかということについては、なかなか納得いかない。しかし、このことはあまり長くやりませんけれども、たとえば先ほど来、基地というものがだんだん縮小されていくという状況ばかりではなくて、ある面では縮小されながらも、ある面では、日本の意図はともかくとして、アメリカは拡張強化していくというところもあるというようなことは、これはもう歴然たる事実だと言ってよろしいと思う。だから、われわれが期待するほど、いわゆる本土並みというようなことの期待というものは、そう持てないのじゃないかという心配を持っている。同時に、それは沖繩県民皆さんに非常に大きな不安を与えるという、あるいは本土に対する非常な不信感を持つというようなことになるのではないか、政治不信というものになるのではないかと思う。そればかりではない。彼ら自身が非常にいろいろな面でさらに多くの不幸をなめなければならないということになると重大な問題だと考える。  それからもう一つ、核抜きというようなことを言われましたけれども、私はこの防衛白書を見ると、核の問題にしても、必ずしもそれほど安心することはできない。日本防衛力ということについて防衛力の限界を述べて、アメリカに何をやらせるかということを書いてある。これは安保条約の中でアメリカにやってもらわなければならないことは、「日本防衛上米国に依存する度合いは、わが国に対する武力攻撃または侵略の様相、規模の大小、対処期間の長短等により、また、わが国の防衛力整備程度により異なることはいうまでもないが、概していえば核兵器を使用する戦争や大規模な武力紛争の脅威に対する抑止、直接侵略に際してわが国の領土外への戦略攻撃等である」、こういうことになっている。私はこれを見ると、こういう核抜きということは、これはどうも消えてなくなるおそれが十分あると見るわけですね。これが日本のいわゆる防衛白書に書かれた日本のこれからの防衛の基本の姿なんです。こう考えますと、なかなか前途多難じゃないかということを考えるわけです。このことについて「微妙な関係」のあなたから御答弁をいただくのもまああれですからいただかないとして、一つお伺いしたいことは——お伺いしたいというよりか、事実をはっきりしてもらいたいのだが、これは私は新聞記事を通して見たことだが、事実はあなたのほうがよく知っていると思うのだが、これは屋良さんが返還に対して復帰準備を進めるにあたって、沖繩住民の福祉利益を考えるために、彼を顧問にして、愛知外相もこれについては最大限に主席意見というものを取り入れるという答弁を私も直接この耳で聞いた。しかし、現状はどうかというと、これは八月の十三日の、瀬長浩という人ですか、準備委員会の顧問代理ですか、初めて準備委員会の性格について、準備委員会はローカルな問題を取り扱うのが本務であり、沖繩にとって重要な問題はほとんど外交交渉事項になることを明らかにした。私はこの点は外交交渉ということになると、総務長官もこれに参加できるのかどうかということをちょっと考えるのですが、こうなりますというと、これが公式の発言であって、性格がそういうふうに規定づけられるということになりました場合、私が考えるのは、一体、いろいろの沖繩の問題というのは、沖繩の住民の生活の中から出てくる問題なんです。問題がそのような外交交渉の中でというのは、外交交渉というものの対象になるものは、いわゆるいままで沖繩県民の置かれたもろもろの問題、そういう問題を取り上げる。だからこそ私は、日本としては顧問にしてと言ったが、一体その顧問の位置についてわれわれは非常に心配したのはそこなんです。顧問なんというものは適当に名前があっても実際上の発言というものはないんではないか。屋良さんが沖繩県民代表して発言することに重きを置かなければならないということで、この問題についてはかなりの質問が集中したけれども、たいへんりっぱな御答弁だったけれども、結果はこうなっているわけです。沖繩のこれが事実として新聞は取り上げている。期待がはずれたと、沖繩県民はつんぼさじきに置かれたという、こう表題をつけられている。これについては大臣はどうお考えになりますか。事実があるかないかということですね。
  91. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 形式上からいえば、私もつんぼさじきに置かれることもあるわけです。ということは、資産の引き継ぎについては、財務省と、外務省、日本の大蔵省とがやりますから、さらに返還交渉の具体的な作業は外務省のレベルでアメリカ側との間に行なわれております。ですから、場合によっては私自身もその作業の進捗についてはあとで聞かされる、連絡を受ける程度のこともあります。私はしかし遠慮しませんから、自分意見はどんどん言いますから、なるべくそういうことのないようにしておりますが、屋良さんが顧問である、主席が顧問であるということはおかしいということですけれども、しかしながら、アメリカと日本とが、日本の国の一部である沖繩をアメリカの施政権下から引き取るのだという話し合いでございますから、その話し合いにおいては、現地の引き取られる地域、すなわち施政権下に置かれた、米側の現在責任を持っている地域の代表である責任者主席というものが参加するということはあり得ても、対等の立場で交渉するということは、日本政府を相手にしてもアメリカ政府を相手にしても、屋良主席が交渉しもしくはそれを推進と申しますか、そういう対等の形としては少しおかしいという外務省側の考え方というものも、私は現実にはそのとおりだと思います。したがってまた、私も返還協定の作成に同じように外務大臣と同列でもって参加をいたしてはおらないわけでありますし、大蔵省と同列で資産の引き継ぎについての交渉に参加しておるわけではありません。しかし、沖繩県民というものが、現在の琉球政府から二年後には文字どおり日本沖繩県であり、沖繩県民の姿に返っていくその過程における琉球側の住民の考え方、政府考え方、議会の考え方、そして本土としてなし得べきそれまでの最大限の努力、これはすべて私にございますし、また、琉球政府並びに沖繩県民の人々との間の接触その他は私との間を通じて円満に、かつまた密接に行なわれるべきものと私としては仕分けをして考えております。でありますので、返還作業の中でときにはもう少し早く耳に入れておくべきだったではないかということも、内幕を申しますと、ときにはあります。ありますけれども、大体おのおのその分野を守っておればいいのではないか。そのことが沖繩側に非常に不利になるというようなことを、中曽根防衛庁長官との問答で、あるいは沖繩県民自衛隊というものに対する考え方、心の準備、そういうものなしに、頭の上から飛び越していって、何か既定の事実、前提条件のように受け取られるような問答があったのではないか。——私、全部聞いておりませんからわかりませんが、そういうことを前提お話だとしますと、そういうことはおそらくないようにこれから努力もしますし、了解なしの行動というものを一方的に押しつけて、また、それが受け入れられるものでもないということを私は考えておるわけでございます。
  92. 小林武

    ○小林武君 いや、これは私の中曽根質問とはあまり関係ない。それはそういうことではないのです。ただね、準備委員会とは何をするところかという議論はこの委員会でも、それからその他の委員会においても議論されましたね。そのわれわれの期待というようなもの、われわれは心配を持っておったのです。しかし、沖繩県民の期待というようなものはいまのようなものではなかった。結局、ここで議論されるものは何かというと、琉球大学の移管問題だけがこの準備委員会で議論されるようなもので、その他はきわめてローカル的なことで、沖繩県民が最も関心を持つ問題については、沖繩県民の意向というものは取り入れられないという、そういう事実は一体ないのかどうか。こういう一体不安感というようなものが、それじゃ沖繩県民の中にないとあなたは判断するのか。それと同時に、準備委員会でどれだけ沖繩県民考え方をすくい上げるようなことをやったか。それを言ってくれるならば納得するかもしれぬね、私は。何をやったか。ほんとうに琉球大学の問題だけしか議論されないのかどうか。というようなことでは、あとはまあ総理府との間のいろいろな折衝とか話し合いとかということは、これは当然だ、国のことですから。しかし、アメリカとの関係の問題では、先ほど来総務長官もたいへん長々と説明されたが、沖繩県民としては言いたいことが山ほどあるわけです。だから、それがほんとうに十分に反映されているかどうか、そのことですよ。準備委員会というものがそれほどローカル的なものに一体引き下がっていったのは何か意図的にやったのかどうかということです、それは。初めからそういうことをやったとすれば、一種のそれは沖繩県民に対するだましなんだ。そう思うからお尋ねするわけです。これは中曽根さんのあれとは何も関係がないというか、全然ないわけではないが……。
  93. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 私が無理に屋良さんを対等のメンバーにしちゃいかぬというようなことを主張した覚えもないし、また、そういうことでやったわけじゃありませんが、たてまえ上そういうことになるだろう。しかし、最終的には日米協議会というものが基本的な問題としてそこで処理がされるわけでありますけれども、内政問題は、たとえアメリカに対する問題であっても、琉球政府の選ばれた主席としての立場から、あるいは議会の決議等から、絶えず施政権者のアメリカについては直接にものは言っておらないわけです。ただ、返還準備を進めるにあたって、私としては琉球大学が議題になったということはちょっと聞いておりませんが、そういう個々の問題として取り上げることよりも、現地側でどのような問題をどのような順序で処理していくか。それにどのような障害があって、それにどのような合意点を発見する努力をしなければならないか。現地で処理できない問題ならば、それを日米協議会のほうに上げる問題はどれとどれかという、そういう問題等について議論をしておられるのであって、別段、そこできまったとか、あるいはそこで言わなかったために県民の福祉が犠牲にされるというような問題が議論されているとは私は思っていないわけであります。
  94. 小林武

    ○小林武君 まあ、もう一つでやめますけれども、一体、それでは日米協議会というものに非常にウエートがかかるということは、それはわれわれもかなり心配もし、一つの見通しを持っている。しかし、日米間の準備委員会というものについては、これこそやはり現地の声というようなものを最も直接的に吸い上げる場所として、そうして沖繩県民と最も関係の深い米国資産の問題はどうだとか、あるいは通貨の切りかえの問題はどうなるのかというような、アメリカとの関係の問題について議論される場所だと考えたが、それらはとにかくそこでは議論されるところではないということであるならば、事実そうであるならば、これは沖繩県民がつんぼさじきに置かれたという考え方を持つのは当然であるし、そういう言い方をするならば、これは私はかなりいろいろな問題が出てくると思う。返還ということの沖繩県民との間の問題でも非常な問題が起こるし、さらには先ほど来申し上げましたけれども、軍事的な問題なんかに至ってはこれは全く失望せざるを得ないということになるおそれは十分あると私はいままでの経過から考えるわけです。ですから、このことをいろいろとあなたとやりとりして、そうでない、そうだという議論をやってみてもしようがありませんが、これはひとつ事務当局にも大臣にもお願いしておきますが、準備委員会でどういうことが一体討論されたかひとつ出していただきたい。これは秘密でも何でもないだろう。何かいつやって、どういうことが議論されたか。それを出せばはっきりわかりますが、出せますか出せませんか、どうですか。いま出せと言うのじゃないですよ。
  95. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) ただいまの要請については、議事録全部出すということについては、アメリカ側との間に了解が成り立っていないそうでありまして、しかしながら、きまった事柄について発表いたしておりますから、それらはその回数並びにそのつどの内容について資料で差し上げることにいたします。
  96. 小林武

    ○小林武君 それでは一つお尋ねいたしますが、最初沖繩教育の問題ですが、その中で、教育委員会制度をどうするか、公選制をそのまま堅持していくのかどうかという質問をこの委員会で鶴園委員が質問をして、山中総務長官がそのときずいぶんはっきりしたことを——ほかのことはともかくとしてこのことだけは断じて直ちに本土並みにしますということを言われた。その後、坂田文部大臣が行って、沖繩教育委員会公選制は日本の土壌になじまないと、こういうずいぶんうまいことを言ったもんだと思うが、土壌になじまないのか、坂田文部大臣になじまないのか、よくわかりませんけれども、こういう発言をした。私も山中さんも、この教育委員会制度のことでは全然知らないことじゃなくて、十分知っているから、まあ、かれこれした議論はやめましょう、これやってもしようがないのですから。ただ、お尋ねしたいのは、その後またこれについて若干経過的に切りかえを考えていきたいというようなことを言っているそうだけれども、どっちがほんとうなのか、これを一つお尋ねしたい。
  97. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 基本的な議論は、これは休憩後にでもしませんと、相当時間がかかりますから。  いまの発言が少し違ったのじゃないか。というのは、実際上の事務処理上、復帰に際して、現在公選で選ばれた資格を持つ人、その人たちを直ちに、たとえば一九七二年六月三十日午後十二時ですか、二十四時までしかだめだということがはたして言えるかどうか。そうすると、任命制度その他の問題もまだそれは時間があるわけですし、すぐにはつなぎませんから、そこらのところを経過的には何か措置をしなければならないかなというようなことをちょっと言っただけでありまして、これは主席選挙をいつにするかとかなんとかという問題等も、予定どおり選挙をしてもいいと言う人もありますし、復帰作業のどたんばまで来ているときに主席選挙でまた事務が完全に二、三カ月停滞されたらもうとても返還の日までに作業が間に合わぬというほんとうの事務上の心配をしておる人もおりますが、これは政治上の大問題になりますからこれは別にして、単に事務的にそういうことを言ったということでありますから、本質的には変わっていないということであります。
  98. 源田実

    理事(源田実君) 本調査に対する質疑は、午前中はこの程度とし、午後は一時から再開することとして暫時休憩いたします。    午後零時十五分休憩      —————・—————    午後一時三分開会
  99. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) ただいまから沖繩及び北方問題に関する特別委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、沖繩及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査を議題とし、質疑を行ないます。質疑のある方は、順次御発言を願います。
  100. 小林武

    ○小林武君 午前中の続きでございますが、総務長官、この沖繩の教育委員会制度については、制度のよしあしにかかわらず、本土並みにすると、こういう御意見のようですが、これはどういうことなのでしょうか。私はまあ、あなたは沖繩のことについては一番御理解の深い大臣でありまた政治家であると思っておりますが、ある意味では一番よく知っていると言ってもいいと思うのです。そのあなたが、ここへ来ると急にどうも高姿勢であるということは、ちょっと聞いておかんといかぬと思うのです。どういうことですか。
  101. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 表現一つでずいぶん違うんですが、「制度のよしあしにかかわらず」、と言うと高姿勢ですね。私は、そうじゃなくて、制度がどちらのほうがすぐれているかどうかの議論はありましょう。しかし、いずれにしても、教育というものは、ことに小・中の義務教育については、一番南の波照間島の学校の生徒も、あるいは北海道の生徒も、同じ教育の環境、あるいは教科書、給食その他の条件、そういうもののもとに置かれるべきである。だから、本土においても戦後一時現在のような制度をとった時代がございました。しかし、それはその後、議論があって、現在は違う制度になっておる。そのために、沖繩だけに特例を残すという場合に、特例でも義務教育についてはなるべく本土並みでなければならないと私は思っておるので、そういう意味で、生徒のことを考えた場合には、おとうさんが転勤をしても、どこへ行っても同じ教育を受けられるというのが義務教育なのでなかろうか、そういうことを言ったわけです。しかし、私の言っているのは、土壌になじむとかなじまぬという言い方はしておりませんし、「よしあしにかかわらず」とも言っておりませんし、どちらがすぐれておるかの議論は別です。教育だけは同じ制度でありたいというふうに思っておるわけです。教育を「同じ制度」というのは、生徒たちが同じような環境に置かれたほうがいい。たとえば私たちは学校給食で貧しい家庭の子供たちに無料でとか、あるいは準要保護世帯の子供はどうとかという制度をとっております。こういうことが、はたして幼い子供たちに、あの子供は貧乏だから給食の費用は払わないんだよと言われて育つ子が、それがほんとうにその子の一生にプラスになるかどうか、そのことは子供の一生に悪い影響を与えるおそれなしとしないというようなことまで、児童の置かれた環境というものは、よく考えてあげなければならぬ。ここに私は、沖繩の先生方も含めた教育者としての児童に対する考え方、それから出てくる制度というものの議論として申し上げたつもりでありますが、私の意見とはもちろん見解を異にされるでありましょうし、どちらがいいということを押しつける態度でないということだけは御理解を賜わりたいと思います。
  102. 小林武

    ○小林武君 まあ、大臣の立場としていまのような発言をされるということもある程度理解できます。そのことは、正しいとかなんとかいうことは別にいたしまして、ただ私は、やはり長官として沖繩のこの特殊な教育の事情ということを相当理解しなければならぬのじゃないかと思うのです。これは本土のことについても、この問題について私どもは現行制度には反対です。しかし、いまその議論をここで言っている時間はないし、それはいずれまた別の機会にやることにいたしまして、先ほど来から私も述べておりますが、いまの沖繩の、復帰に示した教育界、沖繩教職員会の非常な努力というものはあなたもお認めになっていると思います。同時にまた、この教職員会が日本の、日本人の教育をするのだということで、アメリカにどれだけ一体抵抗をして、そうして教育基本法に基づく日本人の教育というものをやったかという経過についても、これも私はここであなたに申し上げる必要もないことだと思うくらいです。そういういわゆる教師の良心というような、教育的な信念、しかもその信念を貫き通すということのためには、いわゆる施政権がアメリカにあるわけです。異民族支配というような非常に本土とはおよそ違った環境の中においてそれだけの信念と実行力を持ったということは、私はやはりその制度から来るものだと思うんですよ。それから、いま大臣がお話しになったように、沖繩の教育というのは、これからまあ具体的な問題について質問いたしますけれども、それは本土と比較すれば大きな格差を持っている。そういう沖繩の現状を考えた場合に、これを直ちに本土並みにする、まあ制度のよしあしは抜きだ——ということは、これはどういうことだ。さらには、「本土の土壌になじまない」なんていう話に至っては、これは問題にならぬし、それからまた、見方によっては、沖繩の教職員会が、われわれのよく加えられたような、何か偏向的な教育をやっているというような印象を与えるような発言もあるやに聞く。
  103. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 私が。
  104. 小林武

    ○小林武君 あなたでなく。  そういう考え方の上に立って教育委員会制度をいじるということは、これは私は沖繩県民全体として賛成しないところだと思うんです。もちろん、教育委員会の制度そのものの中にいる人たちの意見もそうだということは、これはもう間違いないので、これについて一体特殊に沖繩の問題について検討してみるという余裕はもうないわけですか。政府としてはもうとにかく既定の方針に向かってちゅうちょしないでやるというような意向にいまあるのかどうか、それを承りたい。
  105. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 沖繩の祖国復帰運動というものの中核が教職員の皆さんである。そして、戦後沖繩で英語教育をさせようとした米軍の方針に反発して、拒否し抜いて、日本語教育を徹底して守ったのも教職員の諸君であります。また、日本の教科書を採用することも、教職員組合の皆さんがやられたことです。また、教育基本法の中に第一条に、「日本人としての教育」ということを米軍政府の言い分に抵抗してかちとられたのも教職員の皆さんであることも私は知っております。  しかしながら、それらのいわゆる教育を守る行動を起こす団体としての教職員の皆さま方の行動されることと、一人一人が教育者として教壇に立って自分たちの子供を教えるという意味における教育は、日本国民として義務教育はどこに住んでもどのようなところでも同じ条件のもとで行なわれるべきであるということを否定するということとは、またこれは別であろう。それらの行動について、今日までの沖繩における中核としての、すべての日本人のあり方についての指導力であったということについては、私は率直に認めるものでありますが、一人一人はまた教育者であるということを考えられた場合に、自分がいま目の前で教えている子供たちと自分という関係から考えて、やはりこれは本土並みとか沖繩並みとかいうことでない、やはり同じような環境の中で日本人としての義務教育をさせたいというお気持ちにぜひなっていただきたいということを私は思っておるわけでございます。
  106. 小林武

    ○小林武君 あなたは教職員会の人たちにも会っているでしょうし、あるいはまた、たくさんの現場の教職員にもおそらく知っている方もあると思います。その人たちの希望というものは聞かれていると思うんです。何の制度にあっても、それは賛成反対というものはあるものです。賛成もあれば反対もあるものがある。きわめて民主的だというこの制度についても、民主的だと思うのが案外民主的でないような結果になった場合もある。これはもう何の制度によらずそうです。しかし、いまの政府や与党の人たちが、いわゆる公選制というものに対して、これを否定することが教育のためによろしいとか、それから、それでなければ教育がまともにいかないという考え方はぼくは理解できないんですよ。われわれ議員でも、衆議院議員でも同じだと思いますけれども、翼賛政治のときのように、あんな形で一体議員になった者がほんとうに国の大問題にぶつかって正しい処理ができたかというと、これはもうあの翼賛政治のときに端的にあらわれていると思うんですよ。それは票で集まるんだから、必ずしもりっぱな人物を選ぶばかりじゃないということもあるかもしれないし、あるいは片寄る場合もあるかもしれない。しかしながら、一番民主的なやり方でやっていくというのは、やっぱり選挙制度なんです。これは議会制度というものを互いに認め合ってやっているのではないですか。教育のところだけそういう考え方を持つということ自体に、私は非常な不満を持っているということ、これが根本にあるわけです。だから、とにかくこの時点に来たら考え直してもらいたいということが一つあります。同時に、沖繩のことを見た場合に、特に沖繩の問題で考慮すべきだという私の意見は、何といっても、あなたのおっしゃったように、私が先ほど質問したように、沖繩の教育というものを、とにかくささえてきたエネルギーは何か、ある意味でアメリカ側の教育になりそうなのを日本の教育に引き戻したのは一体だれか。そうする場合に、何がそれほどのエネルギーを教職員の皆さんに与えたのかということをわれわれ考えた場合に、彼らは一様に教育委員会制度のことを説いているわけです。同時に、やはり教育委員会の中にもそういう考え方がある。だから私は、沖繩のいまの教育の現状を考えた場合に、これに対する考え方は十分ひとつ検討して、私は少なくとも沖繩県民の意向というものをこの問題について反映させるような態度をとにかくとってもらいたい。そのことをひとつ要望いたしておきます。
  107. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 私は、繰り返し申しますが、公選制というものはいけない制度であってそれを否定するのだということは言っておりません。どちらのほうがすぐれているかは、それはおのおの見る人によって違いもするだろうし、また決定的なことも言えないだろう。しかし、制度はやっぱり義務教育については一緒でありたいということを、最初の那覇空港での記者団の質問に対して答えたわけであって、それ以後も変わっておりません。ですから、別段、公選制がいけないというふうには見てないのです。ただしかし、あまり基本的な議論になりますと、ドイツと日本は同じようにいくさに負けて、アメリカがやはり日本に送ったように教育使節団を送って、こういうふうな六・三・三制というようなことを中心にした制度を勧告した。で、ドイツはき然として、ドイツ人教育にはドイツのあり方がある、だからそんなことは要らざるおせっかいだと言って、私たちは初めての敗戦でうろたえていたものですから、結局はアメリカの言うとおりな制度をつくって、新制中学建設に市町村が市町村財産を売却して非常に疲弊したという経験を持っております。ですから、あまり根源論という問題を議論するつもりはありませんで、結局は、不幸なことに、沖繩の現在の諸制度との間に教育の制度において幾つかの違った制度が存在する、これは義務教育に関する限りは、ぜひ一緒にしたいというだけのことであるということでお受け取り願いたいと思います。
  108. 小林武

    ○小林武君 そのことについて一言だけ申し上げますが、私はやっぱり負けっぷりのまずさということを、ある外国に長いこと住んでいる婦人から聞いた。——日本人ですよ。全くぼくはだらしないと思う。主張すべきことは主張するという気概がないと思う。鬼畜米英だ、殺してしまえというような指導をやってきたものが、占領軍が来るというと、一番先におべんちゃらをふるうような、どんな問題でもぺこぺこ頭を下げるようなやり方はどこから生まれたかというと、戦前の教育の中から生まれた思想ですよ。戦前の日本の政治制度、経済制度、社会制度、全体から出た問題なんです。われわれには民主的な訓練というものがなかった。おのれを主張するという、そういう教育が足りなかったということでしょう。だから、負けっぷりの悪さというようなことを、いかに自主性がないかということを、これはもう外国に長いこといた婦人は、最もそれをどぎつく感じたというわけです。だから私は、制度のよしあしは、なんていうことよりかも、議会制度というようなものが日本の進路というものを少なくともきめていくわけです。そのことに信頼できないようなやり方ならば話にならない。われわれは少数党で、とにかく自民党の多数に対してなかなか対抗できないような状況にあるけれども、しかし、だからといって、これを否定するとは思わない。われわれはやがてその地位につくということを考えておる。そういう理屈に合わないようなことを言われるということは、ぼくはどうも若干ふに落ちない。しかし、そのことの議論は、まあいずれわが党でもそれに対する意見を出しますから、そのときに譲ります。  そこで、教育問題にすぐ移るわけですけれども、格差の大きさというのはあなたが御存じのとおりです。前回も質疑の中に出ましたし、あらゆるところで議論されておりますが、私はそういうことの議論ではなくて、もう、どの程度実施してもらえるのか。たとえば学校の施設設備というものの格差をどうして是正するかということ。この点については実は文部省の関係者にも聞いてみようと思ったのですけれども、やっぱりこれは沖繩の問題になるというと、統一的に総理府のほうでまとめられているということでありますからお尋ねするのですが、義務教育諸学校の施設設備の整備というものは、とにかく格差是正の五カ年計画というものがあるはずです、沖繩のあれに。それに対して一体どうなんですか。本年度の予算で一体どれだけの手当てをしたか。予算要求ですね。概算要求段階でも一体どうしたか。確かに四十五年度の予算では四十九億か出しているんじゃないですか。今年度の予算はどうなっているのか。さらには、そのことから、これは文部省のあれでしょうけれども、その後復帰後に一体どこらをめどにしてこの義務教育諸学校の設備の整備というものを置いているのか。そのことをお尋ねしたい。
  109. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 来年度予算要求数字については長官から答弁してもらいますが、私としては、復帰前にも、現在見られるような、学校ごとに特別教室もないし、校長室、職員室もないというような状態の中で教育が行なわれておるというようなことを見るにつけましても、やはり教育というものを私たちの責任で最終的にはこのような状態に置いたわけですから、すみやかに内地の普通の義務教育の環境として当然要求される環境にこれを到達するようにしたい。しかしながら、現状を見ますと、何年かの年次計画を立てて逐次整備をしていきませんといけませんし、また、それに対する補助率については、特例法の中でも特別な高い補助率をもって補助をしてあげなければやっていけないだろうという市町村財政等の実情もございますので、十分の配慮をいたしてまいるつもりでございます。
  110. 山野幸吉

    説明員(山野幸吉君) 今年度の教育の援助費は、いま御指摘のとおり四十九億九千万円でございますが、明年度はこれを、学校の施設整備等を中心にしまして、百三十一億七千三百万円の予算要求をいたしております。その目標といたしましては、琉球政府、文部省、私のほうと、いろいろ相談をいたしまして、小学校の校舎につきましては、既設校の校舎面積基準の達成率を現在六五・二%であるのを、復帰時点では、四十六年度から五十年までの五カ年計画ですが、六五・二%を九五%程度に引き上げたい。中学校は、同様校舎の面積基準達成率を現在の六三%から一〇〇%に最終年に持っていきたい。それから小学校の屋体、これは現在はきわめて未整備でありまして四・四%という状態でございますが、これを大体昭和五十年の本土の予測される達成率七四・二%を目標に引き上げたい。それから中学校の屋体は六・九%を一〇〇%に持っていきたい。それから高校の産振校舎は、八〇%の達成率を目標に整備したい。その他特殊学校等については、四〇・七%を九三・九%に引き上げたい。こういう五カ年計画を目標にしまして、明年度沖繩復帰対策費あるいはそれ以降の予算措置によって達成して本土の水準に引き上げていきたい、かように考えております。
  111. 小林武

    ○小林武君 次に高等学校の問題です。進学率は、先ほど来の話にも出ましたように、六〇%ぐらい。かつては本土のほうもそういうことでありましたけれども、いまや義務教育化している。そういうことで、高等学校の施設設備についてどういう考えを持っているのか。  それから、社会教育や特殊学校、特殊教育というようなものについて、本土への復帰にあたってはやはり五カ年計画とか何々計画とかいうようなものを持っているんですか。どうですか。
  112. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 大体全体を特別措置法というようなもので五カ年計画ぐらいの段階で締めて目標年次を示しながら、これはとても五年では済まないものも多うございますし、五年で目的を達成して経過措置を終わるもの、あるいは、予算上さらに第二次五カ年計画に入っていくもの、いろいろと整理していかなければならぬと思いますが、基本的には、復帰前の年においても、内地ならば県立の高校等について建設費補助等はいたしておりませんが、ことしの予算で、御案内のように、商業高校の建設に補助をいたしましたし、来年度もそういう予算を組もうといたしております。さらに、沖繩で、ある年において見舞われた結果として風疹児という不幸な子供たちが生まれましたけれども、頭脳は正常であって耳だけが非常に難聴であるこの子供たちが来年義務教育の一年生になります。これをどうするかということが大問題でございまして、私も直接風疹児の子供たちと話してみて、やはりこれは何らかの教育をしなければなるまい、特別な環境が必要だと思ったんですけれども、やはり本島に一カ所だとか宮古に一カ所だとかいう集め方をしないでくれ、幼い学童たちですから、できればもよりの、普通の生徒たちの通学できる学校に併設した特殊教室をつくってほしい、知能は正常なんだから、心身障害児とかなんとかという児童と一緒に特殊学校に入れないでくれという強い御要望がありますし、私もごもっともな親の気持ちだと思って耳を傾けまして、来年度の要求としては、風疹児の新入学学童受け入れのための教室の増設等についても大体全部まかなえる——まかなえると申しますか、受け入れることが可能な予算要求いたしております。数字的なこまかいものが必要ならば長官から述べさせます。
  113. 小林武

    ○小林武君 琉球における高等教育の問題についてはどういうような一体——これは先ほどもちょっと出ましたが、琉球大学というのがありますけれども、高等教育というものに対して、復帰後の沖繩の産業経済の点から見て対策がございますか。
  114. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 高校についても、沖繩の場合は、やはり国がめんどうを見てあげなければならないだろうと思いますから、産業技術高校という形で本土の高等学校とやや形を異にした、性格のややあいまいな学校でございますが、これを高等学校に昇格させる。これについては国の予算でも来年度予算で手当てをする、三カ年計画ぐらいでこれをやっていこうじゃないかということで、大体本土の各県における高校の大体設置状況とほぼひとしい状態に高校もなれるようにという配慮のもとに予算を逐年進めていくつもりでございます。
  115. 小林武

    ○小林武君 先ほど来、後期中等教育にわたっての話まで聞きましたが、琉球大学とか、おくれたもの、あれをどうするかという問題、たとえば医学部を設置するというようなことが可能なのかどうか。それは沖繩の医療問題とも関連して重要な問題であり、それから沖繩の琉球大学というようなものが本土の大学に比較してやっぱり問題点があるということは、総務長官のところにも行政府のほうから文書をもって申し入れているはずで、それからまた、高等教育でありますから、工業専門学校というようなものを国立として設置するというような要望もあるやに聞いているわけです。こういう点について、これは教育の一環として、幼児教育から大学までの間に本土との非常な格差を持っているというようなことを考えたり、また、いま返還の前に置かれた沖繩の状況を考えますときに、この問題は重要だと、こう考えるのですが、これに対する対策というのはいまのところどうなっていますか。これも何カ年間の後にどうするかというような計画がございますかどうか、説明してもらいたいわけです。
  116. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) たびたび申していると思いますが、琉球大学は復帰と同時に国立大学に移します。さらに、それまでの間においても、教授陣、講座その他が非常に国立大学としては不足がございますので、これらは本土からの教官の派遣その他に最大の努力を講じながら予算面等で努力をしてまいるつもりでありますが、これは復帰の時点において国立に移し、さらに国立と同時に附属病院として移したいと思っております新那覇病院、これは医学部のない附属病院という異例のことで、保健学部の附属病院という形になりましょうけれども、それだけに沖繩の地域の、御指摘の医療後進性というものに対して広域的に貢献できる新しいものもできると考えます。この際、医学部というものを将来は設置するということも前提にあるわけでありますから、そのために、現在医学部がなくとも、附属病院として新那覇病院を国立大学附属病院にしたいということであります。医学部の設置については、やはり入学それから卒業、それに対応する学校の教官の確保、卒業後の生徒たちがお医者さんになりまして、どの程度——将来の島内需要というものはある時期には飽和点が必ず来ます、一県だけですから。それらのことを考えた場合に、場合によっては日本で東南アジアあたりの医学生を受け入れて勉強させる唯一の学校、そういう性格も与えながら、なおかつ、県内の県民の子弟もその大学の医学部で勉強を受けてお医者さんに——場合によっては東南アジアのほうに卒業して帰る本来の人たちと一緒に、日本人としてお医者さんが東南アジアのほうに行くようなことも将来は予測できるのではないか。そういうようなことも考えると、医学部の設置はなるべく早く踏み切る時期が来れば踏み切ることにしたい。しかし、大前提は琉球大学に医学部をつくりますということにおいて変わりはないということであります。
  117. 小林武

    ○小林武君 東南アジアまで出て行くということになると、これは差しつかえがいろいろあるのですが、医学部の設置というものは、一つはなかなか教授陣を集めるとか設備等からいって、学部一つつくるということになると、たとえば旧帝大の中でも問題になったことがあるわけです。歯学部を北海道大学に設置するというときに、一番問題になったのは教授陣であります、われわれが聞いた答弁は。そういうふうに、沖繩の場合において、私はなかなか困難な条件が北海道よりもあると思うのです。琉球大学をどうこうと言うのではありませんけれども、いままでの大学のあれからいっても、それだけのやはり蓄積されたものがないということを考えますと、私はやはり計画というものは前から立てて、そうして実施の段階というものを、どこらに置くというようなめどを持たないと、これは沖繩県民が医療の問題で非常に苦しんでいるわけですが、これにこたえることもできないし、それから、もう一つ、私は、余るんじゃないかということは、これは大臣、そうばかりはいかぬです。これはどこの大学でも、国立の大学をつくりましたら沖繩の人ばかり入れようとしたってそうはいかぬですよ。試験がありますし、選抜をやられますから、どこの大学でも、おれのところの出身者はさっぱり入れないじゃないかという大学所在地の不満があるということ、これはいまの大学の制度の中ではやむを得ない。しかし、大学をつくれば、ある程度の歩どまりはある、これは。ばから、非常に無医村の多い北海道なんかでもあるいは高知県というようなところなんかでも、医学部をつくるということに非常に熱心であります。こういうことですから、私は、余って医者がほかまで輸出——輸出でもないけれども、出してやらなければならぬということまでは考える必要はないのじゃないか。これは早急にやはりこたえるべき必要があるのじゃないか。先ほど大臣、風疹病のことが出ましたけれども、それらの問題についても、これが中央であるならば、ある程度対策というものがあったように何か新聞で読んだことがあるのですが、何しろ、長い間、いろいろな点で本土とは大きな格差をつけられて、不幸に悩んできたところでありますから、この点についてもひとつ特にがんばっていただいて実現を期してもらいたい。  それから工業高等専門学校ですか、いわゆる工業学校ではなくて高専というやつです。それについての希望が非常に多いわけです。それは沖繩の復帰後に工業化というのをある程度意図しておることだと思うし、技術者が非常に少ないという現状にこれはやっぱり基因すると思うのですが、これについても、いまのところ別に計画がないのか。  それからもう一つ、これは早晩なくなるとはいいながら、国費学生制度というのが現在ある。国費学生制度というのを復帰後五カ年間とにかく継続実施してもらいたいという意向が沖繩のほうに特に強く考えられているということでございますが、この国費学生制度の継続というものは、いまの大臣の計画の中に入っているのかどうか。これをお伺いしたい。
  118. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 国立琉球大学医学部の問題については、そう見解の相違はありません。同じだと思っていただいてけっこうだと思います。ただ、何年ごろに完成するか、したがって、初めての入学医学生が何名になるかということは、なるべく早目にきめたほうがよろしいと思いますから、その前に校舎、設備その他きちんとそろえませんと、医学部だけはそう簡単に参らないという事情でありますので、その作業は急ぎたいと思います。  国立高専につきましては、内地のほうでも各県に全部国立高専があるわけではございません。しかしながら、国立高専ブームというのは一つの山が過ぎたような感じの事態にいまなっていることは間違いないと思います。しかし、沖繩で、これからやはり過疎県にしない、そして基地依存経済から脱却しつつ、さらにいまの生活よりも高い生活レベルを確保したい、しようという計画を立てようとすれば、どうしても現地に求人雇用の貢献度の高い産業、たとえば造船工業とかその他のいろいろな日本の企業が行って、あるいは、場合によっては外資も入ってもしかたがないフリーゾーン地帯等を必要とするかもしれませんが、要するに、そういう環境をつくっていく。その場合に、造船工業一つとってみても、内地のほうに研修に現地の労働者を呼んで、そして内地の関連造船所において勉強させて基礎を覚えさしてから、ほんとうの徴用と申しますか、その会社の労働者として採用するということを経なければだめだということだそうであります。でありますので、現地で国立工業専門学校というものが、これから沖繩の未来を自分たちの手でになわせるという人たちを育成しておくということの上から検討はされなければならない課題の一つであると思います。しかし、来年度の予算においては、国立高専設立の要求というものはいたしておりません。今後考えてまいりたいと存じます。  さらに、国費留学生の問題は幾多議論をしたところでございますが、私の言っておりますることの真意、すなわち、復帰と同時に国費留学ということはなくなるということは、国内でございますから、特定の県から隣の県に行くのにそれは国内留学だということが言えなくなるということを言っておるわけでありまして、しかし、沖繩の教育の水準というものが、率直に言って、いまのこのままで、全く平等な競争のもとで本土の大学その他に入ろうといたしましても、さらにまた、沖繩にはない医学部、そういうもの等についてはどうしても本土に行かざるを得ないわけですから、これであたりまえの試験を受けた者はほとんど合格できないという現状があることも認めざるを得ない事実だと思います。したがって、それらの特別のワクのもとに沖繩地区に限って選考される一定のワクというものは、現在のような状態をしばらく続けることが可能ではなかろうか。しかしながら、それに対して国費留学生として全額支給するという支給の形式を、やはりこれは奨学資金か、もしくは特別の、別の意味の、実質は変らない資金援助というという形でそれが肩がわりされていくということが望ましいであろう。しかし、それは永続するものであっては私はならないと思いますし、やはり沖繩に医学部等が整備されてまいりますれば、そういうことも当然一つの条件に、きっかけになるでしょうけれども、一定期間——琉球側の意向も高校の一年生というものが抱いている期待権というものがなくなるということから考えて三年間ということを——復帰の時点に入学した一年生ということですね——だから、三年間程度ということを言っておられますが、その程度がよろしいかどうか。要するに、特別な選考方式、特別な人数割り当てというものと、それからそれに対する資金のめんどうをどのような形で見れるかということは、これからいろいろな方式の提言がありますし、それらのものを検討して、最もふさわしいものを選ぶつもりでございます。
  119. 小林武

    ○小林武君 実質的であればこれはいいと思うのです。そして、それが数が減るとかいうようなことも、これもやはりだんだんとそういうことになるのはけっこうだけれども、この国内——よく北海道あたりでは内地留学と言うのですが、東京あたりの大学に一年間とかなんとかいう、これは各県でそういう制度をとっておるところがあるのですね、それは国費でやるとかなんとかいうことでなくて。だから、私は、そういうことが沖繩県でできる可能性が出てくればとにかく別ですけれども、いまのところはやはりある程度の違いがあってよろしいのではないか。それから、そういう制度というものは、ぼくはいまの状況の中では全国的にとにかくなくなるということはないと思っているのです。これはこっちのほうから別なほうにまた留学する者もあるわけですから、そういうことが大きな刺激になっているということだけはひとつ含んでおいていただきたいと思います。  次にお伺いしたいのでありますが、全軍労の首切りが二千名という数だそうですが、再就職はどのくらいしているのですか。
  120. 山野幸吉

    説明員(山野幸吉君) 八月一日現在で申し上げますと、沖繩の中で再就職した人が二百六十一人、それから本土は五十八人、こういうことでございます。それから総員数は、解雇者は千九百五十九人でございます。
  121. 小林武

    ○小林武君 約二千名で三百ちょっとこしたくらいの就職ですね。これはまあこの前に質問いたしましたから、間接雇用とかなんとかいうことは抜きにいたしまして、これは質問しないことにして、やはり先ほどもちょっと述べましたが、基地というものはそう簡単になくなる情勢にはないと私は見ておるのです。だから、この問題というものは非常にやはり後々まで相当の配慮をなさらないというと、二千名も首切られて、そうして三百名ちょっとの再就職しか可能でないという現状を考えると、私はこの基地の雇用問題というものは非常に重大だと——そのほかのいろいろな職場においても同様だと思うのですが、この中で一つ承りたいのは、沖繩におけるたばこ工場ですか、これは大量の——何か、ことによるというと、七百名ぐらいの従業員の問題であるそうでありますが、この経過は一体どういうことになっているのですか。
  122. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) たばこは、御承知のようにわが国は専売制度をとっておりますから、戦前沖繩では専売制度の中にたばこ事業は含まれていたわけです。しかしながら、アメリカによって占領された長い間に、輸入たばこだけではやっていけないし、それに、たばこの生産をやる耕作農家の方々もおられたわけでありますから、自然と沖繩にたばこ会社というものが民営で出発をしたことは当然の成り行きだったろうと思うのであります。しかも、三社それぞれ資本力があり、製造本数等の相当の違いがあったとしても、れっきとした三社が存在をしておるという事実は、これははっきりしておるわけであります。これらの方々は、もう私、担当大臣になる前から、やはり専売制度の中の特例というものはむずかしいと、いずれにしても私企業として存在することはできないであろうということは話をしていたわけですけれども、直接担当になりましてそのことはさらに明確にいたしました。それらの工場の責任者皆さんも、そのこと自体はやむを得ない事態であろうと、しかしながら、それについては、まず企業者側としては、自分たちの企業が受けるべき——本来営業をこのまま続けていったと仮定したならば得べかりし利益は幾らであるかと、あるいは自分たちがそのために直接現地に工場を残さないというならば、それらの敷地、設備その他について投じた費用をどのようにして見てくれるのかという、いわゆる国家賠償についての条件を——三社若干のニュアンスの違いがありました——いま私の手元で調整しつつ大蔵省と話し合いをするように、私はむしろ援助を申し上げる形で大蔵省と取り次ぎをして話をしておるわけであります。ついでに、それらの従業員の方々については、その三社ともいずれもたばこ会社だけをやっているわけではありません。ほかの関連の産業を一ぱい持っている諸君でございますので、それを直ちに首切りいたしてそのままもう再就職の道は知らぬという態度はとらないということを言っておりますし、その再就職について当然の、もちろん国家賠償の中で退職金等が見られることはあたりまえですけれども、そのほかの、国の意思によって、自分意思以外の力でもって自分の職場を失う人々に、それらの三社それぞれの社長あるいは構成メンバーの責任者の諸君がなるべく吸収していくという努力をすると言っておりますが、それでもなおできない場合については、さらに民間企業といえども、国の専売が受け取るために発生する失業者ですので、そういう意味において相談に乗っていかなければならぬと考えているわけであります。
  123. 小林武

    ○小林武君 これは沖繩にはたばこの公社の工場をつくらないというのが大臣のいままでの方針だったと、そういう答弁をなされていますね。専売公社側はそのことはそうでもないように言う。ということになるというと、三つの会社が投げ出した場合には、当然そこには七百名の首切りというものが起きるということになるわけですが、一体この場合どうなんですか。公社ができるわけですか。もう全然沖繩というところにはたばこの工場、製造というものはやらなくてもいいということになるのかどうか。そこらがいまの答弁ではよくわからないのですが、どういうことですか。
  124. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) これは実はいまあなたのおっしゃったのは違っておりましてね、私が沖繩に工場をつくっちゃいかぬとか残しちゃいかぬという考えを持つわけがないのです。そうですね、あなたはあまり御承知ないかもしれませんけれども、これは専売の労使の間で長い紛争を続けながらやってまいりました一連の合理化工場への転換という、まだそういうトラブルが続いておりますけれども、工場が廃止されたり、あるいは……
  125. 小林武

    ○小林武君 それは私も知っています。
  126. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) そういうのがありますでしょう。そういうことで、想定しております専売公社のあるべき工場の一単位の規模あるいは近代性というものから考えると、どうしても沖繩の三つの工場、最も進んでいる一番大きな工場を例にとってみても、どうしてももうああいう前近代的なものをかりに動かしてみてもどうにもなりませんということを言っておりまして、でありますので、沖繩は、また一つ残すといっても三社のうちのどれを残すということにも問題がありましょうし、そういうことで専売公社としてはもう一社も工場としては残せない。そこにまた新しくスレッシャー装置を備えた新鋭の工場をつくるというのにはあまりにも供給範囲というものが狭い。そこで専売公社全体の経理からいえば、それはたばこ耕作者のつくっているものについては、引き続きまだある以上は買っていきますし、原料を買ってきて、本土へ送ってきて、本土のもよりの工場で製品にして向こうにまたさらに送るわけですから、専売公社としてはメリットとしては若干デメリットの部分が多くなるけれども、それであっても現地には工場はつくれないということでありますから、つくれないならば、本人たちは私企業として繁栄してこられたのですから、それに対して国家賠償の責任があるぞということで、私が中に入っているということでございます。
  127. 小林武

    ○小林武君 結論からいうと、このたばこ工場というものはなくなって、七百人はとにかく失職するということですね。それに対する手当てというものは、前の二千名に近い軍労働者の首切りにからんでの問題と考えてみると、これはもう重大な問題だと思うのですね。少なくともこれは返還にあたっての問題ですから、一体これをどう処理するかということは、ある意味ではやはり大臣の責任ある処置をお願いしたい、もし、どうしてもだめなら。しかし、そこにたばこ工場を存続させるというならば七百名は助かるわけですけれども、実情としてはできないということなんでしょう。それについてはあれですか、労働者の七百名についてはどんな対策を講ずるかということ、これらには失職のうき目というものを見せないでいくという成算ございますか、どうですか。  それともう一つ、もう時間がございませんからお伺いしたいのですが、軍関係の仕事についている労働者は五万四千とか聞くのですがね、そのうちの二万五千人というのは失業保険も医療保険法も適用されない。首を切られたらそのまま切られっぱなしという状況に置かれる労働者だというのだけれども、それについて今後どういうことになりますか。その基地の変動等にあたって、そういう労働者が現在までそういう不合理な労働条件の中にあったというわけですけれども、復帰という問題を前にしてこの二万五千名といわれる、いわゆるもう労働者としての待遇、権利というようなものを全く持たない者をどうするというお考えでしょうか。この点をお伺いしたい。この二点。
  128. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) たばこの労働者、就業されておる労働者の諸君の失業は一人もおらなくできるかというお話ですが、そうしなければならぬと思っております。もちろん、退職金なり、あるいは職を失うためのいろいろな形式上の計算がございますから、そういうものも含めて賠償というものを企業全体で要求しているわけですけれども、さらにそのあと、先ほどは、それぞれの会社が関連企業等への配置転換等も考えられるだろうと言いましたけれども、さらに今後、いま議論しておりますので、ここでそこまで言っていいかどうかわかりませんが、内地には御承知のようにたばこには卸というのがありません。しかし、現地では、沖繩には無数の、小売りと言っていいか、現在の内地のたばこ小売り店の規制の距離その他の条件を完全に念頭に置いてない自由な営業の形の小売り店が一ぱいありますから、これも認めていかなければなりませんでしょうし、そうすると、それに専売公社がお上の仕事のようなことで、職員を一ぱい派遣して配って歩くというようなことは、これはとほうもない重労働になるし、無用な人間を使うことになりますから、そこらのところで、やはり現地の長いことたばこ関係におられた人たちの中で、特別小売り制度というものを沖繩で設けることが可能かどうか。そういう場合に、それらの方々が小売り店に配置をされる、いわゆる現地のたばこの卸売人みたいな形で、みんなで一つの会社をつくって卸売業務を当分の間続けるような、実質卸売というか特別小売り人というより呼びようがないでしょう、そういうことを大蔵、専売等で話をしておりますけれども、これは、問い詰められたということでそういうことをちょっと漏らしたということで、まだそういうことができるかどうかわかっておりませんが、最大限の努力をしたいと思います。  それから軍労の総数の約二分の一近い者が、いまおっしゃったような条件下にある。これは三種、四種の諸君のことだと思います。これは内地においても同じことだと思うのですが、しかし、現地においては、特別な環境の中で、自分たちの意に反して、住んでいた土地まで含めて軍用地に取られた人たちというのが、やむを得ず軍の職場を得て、それにかわって生活をしていくというようなことが数多く例としてあったわけでございます。これらの三種、四種の方々について、いまさしあたりどうするということ以外に、これらの人たちの身分の問題についても、やはり私たちとしては無関心ということであってはならないというふうに考えておるわけでございます。
  129. 小林武

    ○小林武君 質問はこれで打ち切りまして、最後に御要望申し上げますが、労働者が首切られるということ、これはやはり私は企業にも当然責任を持たさなければいけないと思うのです。その企業の責任と同時に、沖繩の置かれているいまの状況からいって、政府においてもこれはついてはやはり万全の対策を講じてもらいたい。  もう一つは、二万五千名の労働者ですね、これは内地もそうだというようなことですけれども、これとてもそうなんですね、比較にならぬような状況にあるのではないかと思うのです、環境から言えば。それについて一体どういうこれから手当てをするかということについては、今後の沖繩基地問題というものとからんで、ひとつ正確な、しかも行き届いた対策というものを講じてもらいたい。これを要望して質問を終わります。
  130. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 去る十六日、沖繩復帰準備委員会は、米政府から十四項目にわたる施政権の一部の返還委譲ということに合意したことが伝えられております。中身を見ますと、はたしていままで米国政府が取り組んできた、タッチしてきた重要な部門であろうかと、こう思いますときにいろんな評価が生まれてくるだろうと思います。いまその点についてはさておきまして、まあ北方対策庁もこおどりして喜んだというようなことでありますから、これが一つ返還時に至るまでの突破口、いわゆる現在時点において当然すみやかに日本政府へ委譲できるものは委譲したほうがいいと、こういう経過においてまず最初の取りきめがそう行なわれたのか。それから、今後これからも、こうした一部返還ということがなしくずし的に行なわれて、返還時においては最も根本的なものが残されて一切完了と、こういうかっこうでいくのか、その辺の経過と、十四項目にわたって委譲されたというその中身ですね、これをまずお聞かせいただきたいと思います。
  131. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 十四の項目にわたって準備委員会として現地で発表したわけでございますが、さらにそのほかに、「日本政府は合衆国政府による左記の諸機能の遂行に参加する」という形で、一、琉球政府予算の編成に関する同政府に対する助言と援助の付与、二、資金運用部資金の管理に関する琉球政府に対する助言と援助の付与、三、租税及び歳入事項に関する琉球政府に対する助言と援助の付与、以上を加えまして十七、大体今回合意に達したということであります。まあこれは第一段階、第二段階とわれわれがいままで第三段階まで御報告申し上げてまいりました第一段階の、そのさらに第一段階でございまして、これは中身を読んでみると、琉球政府の各局ごとに本土政府から予算の助言と援助の付与ですか、そんなこともたいした中身はないですよ。局ごとに行なわれているのであるからたくさんの項目があるようであって、要するに、琉球政府に対して日本政府のほうでこれぐらいのものは琉球の現在の政府のやっている仕事についての、たとえば財源問題を議論することまでは相当アメリカ側の異論も経過としてありましたけれども、要するに、歳入歳出全体についてそれぞれの局ごとに分けたけれども、琉球政府のやっていることに本土政府がアメリカ側とそうそう相談なしでやっていいんだということで合意に達したという程度のもので、これは大きな躍進でもありませんし、もう復帰がきまっている以上、これぐらいのものはやらしていただかなければ、私たちは四十六年度予算の編成においても、やはりアメリカ側の援助は期待しないならしない、出すんなら幾ら出すと、それは千二百万とか三百万とか二千万ドルとかいう話をしなければなりませんし、やはり私たちは主導権を渡してもらわなければなりませんから、これは普通の第一段階とお考えいただいて、むずかしい問題はこれから逐次詰めていくというふうにお受け取りいただいたほうがむしろよろしいというふうに考えております。
  132. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 そこで、なるほど、いまおっしゃられたとおり、中身を見るとたいしたことないといえばたいしたことない。むしろ日本政府がこれからイニシアチブをとって積極的に推進しなければならない項目ではなかろうか。これは当然なことなんであります。ならば、せっかくこういう手がかり、足がかりができたとするならば、従来からしばしば問題になっているようなことがいまネックとして残っておりますね。たとえば、まだ渡航制限の権限についても依然として民政府が握っている、こういう問題がやはり何らかの形でしこりを残すおそれが出てきはしまいか。こういう問題こそもっと早く解決されてよい問題ではないだろうか。そのほか、望ましいこと、いわゆる沖繩県民が要望しているような問題等まだまだたくさんあるだろうと思うんです。いま長官は第一段階のそのまた序の口である、こういうことを言われました。ならば、今後復帰時までの約二年の間においてどんなことが想定されるのか。また、政府としてこれからどういうことを要求してそれを具体化し、実現の方向へ持っていくことが望ましいのか、この点はいかがでしょう。
  133. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 交渉事ですから、条件は、もう一定の年月が経過したら日本に返るのですから、そうがんばってみても、あとわずか半年か一年じゃないかという意味の感触でわりと話はうまく進んでいくと思います。思いますが、しかし、ただいまの渡航の問題、入域許可等の問題は、直接私まだうちの忠良なる対策庁の部下の諸君から報告を受けておりませんが、新聞報道のほうが早くて、フィアリー民政官が現地において何か婦人の会合で、婦人の諸君の集まった会合に出席して講師か何か——最後に「拍手」と書いてありましたからたぶん講演だと思いますが、そこで入域許可については最後まで、ちょうど裁判管轄権と同じ感覚を施政権の裏の権限として持っているような話をちょっと見たんです、新聞で。これはどうも私としては意外で、民政官までそういう気持ちを持っておるのか、公安局あるいは軍というものがたいへんきつくて、そうして民政官並びに高等弁務官あたりは調整にいま努力してくれているものと私は思っていたわけです、いままでの感触では。私は意外だったからそれの真相を調査しなければなりませんし、こういうものはなるべく早く日本人同士が行き来することについて、いつまでがんばってみて何の得があるかという、本来アメリカ自身が考えて何の得るところがあるか、こういう問題に実は問題を置いていきたい。アメリカ側でそう考えてもらうように追い詰める——と言うと誤解があります、語弊を生じますから、アメリカ自身そういう考え方の問題として扱うようにこの問題をぜひともしなければならないと考えております。しかしながら、最終的にはやはり、いまちょっと触れましたけれども、軍のそれぞれの独特の権能、四つに分かれた権能並びに裁判管轄権そのものというものは最後まで残っていくだろう。そのほかのものは逐次なしくずし的に両者合意に達したものは現地において発表され、われわれが中央において承認していくということになると思うわけでございます。
  134. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 ともあれ、おそらくアメリカ側としても、沖繩県というものに対する主体性、これはもうできるだけ早い時期において持たせようという考え方であろう——あなたのいまの御答弁の中にそういう含みもあったようでございますが、あってしかるべきではないか。また、日本政府も当然それに呼応した折衝というものが展開されてよろしいのではないか。最近の沖繩県における社会問題というものを考えた場合に、やはりしばしばこの委員会において論議されてまいりました当面の課題というものが依然として膠着状態、あるいはむしろ逆に社会不安を助長させておるという傾向があるのではないか。たとえば犯罪捜査の問題でございますけれども、私の記憶では、たしかことしの五月、六月がピークだったと思いますが、米兵犯罪における事件はだんだん下降線をたどっておるといいながらも、逆に今度は質的に悪化しておる。いわゆる凶悪犯罪が非常にふえておる。こういうようなデータが出ているようであります。具体的な実例も幾つかあるのでございますが、こうした問題をめぐって考えてみた場合に、いつもふしぎに思うことは、検挙率が依然として四〇%を上回わらない。よしんば検挙されて被害者との間に示談が成立いたしましても、それがはたして完全に補償されているのかどうなのか。こういう問題が依然としてあとを断たない。したがって、先ほど冒頭に申し上げたように、せっかく主体性を認め権限を委譲するというならば、むしろこうした問題を早く委譲してもらったほうが米国政府にとっても好感を持って迎えられるのではないかということが考えられるわけですね。したがいまして、こうした問題、あるいは近い将来においては、沖繩県民と同様に沖繩県に在住する米国人に対する課税の問題等々も、一体どういうふうに準備が進められているのかというようなことも、これは緊急の問題点の一つではないだろうかと、こんなふうに一連の最近の社会問題を通しまして痛切に感じるわけであります。せっかく努力してくださっているんなら、やはり沖繩県民が、やってくれたという安堵感を少しでも持っていただくような前向きの姿勢でもって解決に当たられることがやはり望ましい、こう思うのでございますけれども、ただいま申し上げました問題点等については、長官としてこれからどう取り組まれ、そして折衝に当たられるおつもりなのか。
  135. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 最近、確かに少し変化があったことは私も気になっております。それは最初は、ベトナムすなわち戦地と、沖繩すなわち戦地ではない、ましてやこれは日本にもうすぐ返さなければならないところなんだという、その区別がわからないで、ベトナムから直行をして帰ってきたばかりのような若い兵隊の犯罪とおぼしき凶悪犯が一時ピークに達しましたですね。あなたの御指摘のとおりだと思うのです。ところがその後、沖繩の人たちも黙っちゃいないで、こん棒、バットその他を手に対峙した状態があったり、あるいはMPそのものも取り巻かれて立ち往生したりというようなことから、だんだんに日本に復帰すべき日本人である沖繩県の住民の諸君に向かっての意識した行為が少しずつ見られていくような危険な感じがしてならない。最近の、たとえ模擬爆弾みたいな、音だけのものとはいえ、何の目的を持ってそういうことをするんだというようなこと等は、何だかいやがらせみたいにとれることも、これは私たちのひがみかもしれませんが、実にいやな気がします。これは日米両国のために非常に不幸なことだし、現地のアメリカの今後残されたわずかの施政権の行使にも非常な悪影響を私は及ぼすと思います。そういうことについては、また私自身が、たまたまこの場で、あなたの、若干の変化が見られるという犯罪の質の問題に触れられたことについて、私の考えを述べただけでございますので、まだこの問題については、日米双方で分析し、不祥事の起こらないようにするためにはどうしたらいいかという、これは琉球政府も含めての相談事ということになるでありましょうが、そういうことまでは至っておりません。しかし、こういうことをなくする前提は、いわゆる裁判管轄権の周辺部のどこまでが米側の認めるところとなり得るのか。日本側から言うならば、琉球警察が、逮捕権、捜査権、そして捜査に伴う資料その他の裁判に必要な条件をそろえて身柄を相手に引き渡す、いわゆる裁判そのものをやらないだけというところまでのどこまでを接点として歩み得るのか。現行犯逮捕の措置等も含めて全般の一応の妥結を見ましたことも相当大きな、いままでからすると、琉球警察自体が自分たちでここまでやれればという評価も一部にあったくらい前進をしたとは思いますけれども、しかし、もうわずか残された期間で、施政権という軍政のもとにおいてのみ許される、許されてはならないことが起こる、そういう状態について、不幸にして起こった場合、もうすぐ主権者となるべき琉球政府日本側というものが、このままの状態でいつまでがまんできるかという問題はおのずから限度があります。したがって、この話し合いは今後といえどもさらに続けていかなければならない分野を多く含んでいると考えます。最終的には、裁判管轄権を、できれば復帰以前にでもという希望は持っておりますが、これはなかなか相手の譲りたがらない、譲り得ない一線のようにいまのところは感ぜられます。
  136. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 いまのその点が奇妙といえば奇妙ですね、これほど人権を無視された行為ということは一体認められていいのかどうか。先ほども申しましたように、検挙率四〇%ということは全くナンセンスな話だと思います。しかも、あれだけの狭い地域でございます。本気になって捜査をやれば米国側としても十二分に犯人をさがし出し得るそういう可能性というものを持った地域ではないだろうか。そういうところにも何か割り切れない、そういう気持ちを抱くわけです。不幸にしてそうした問題が起こった場合にも、先ほどもちょっと触れましたが、やはりいつもこじれる問題は補償の問題。どこが一体補償するのか。さりとて米国側が責任を持ってそれに対する力添えをしたということは、まずいまだかつて聞いていないわけです。したがって、今後引き続きそういうような問題等が起こるということになれば、おそらく沖繩県民としてはますます、米国のみならず、日本政府に対しても当然、何をやっているんだと、こうしたことが、しばしば政府、なかんずく中曽根長官あたりが言われるように、基地の維持というものは県民の理解あるいはその協力なしにはできないと。この問題にも障害となってあらわれてくるでしょうし、いろんな問題が錯綜してくるのではないか。せっかく努力をしているにもかかわらず、前向きに進んでいるのではなくて、むしろものによってはうしろ向きになっているようなものがありはしないかというところに、今日依然として沖繩県民の不安あるいはその将来に対する疑惑というものがぬぐい切れないということを非常に心配するわけです。今後どのような経過をたどってそうした問題の一切の解決がなされていくか、これは注目すべき事柄であろうと私は思いますけれども、いずれにしても、せっかくかっこよく施政権の一部を返還した。何か一部のきびしい批判の報道を見ますと、もうそろそろ選挙の告示が迫っておりますから、政府としては何とかそこで自分のほうに有利になるような、そういう思惑があってわざわざ時を選ばずこういうことを発表になったんではないかと言われるようでは、私は非常に慨嘆にたえない。それはしかし、たまたま時期が合致したといえば見解の相違であると一蹴されるかもしれませんけれども、いずれにしても、もっと実のある、せっかく施政権の一部委譲ということが行なわれるならば、日本政府としてもそれくらいの強い要求と具体化への道を歩んでいただきたいものだというふうに思いますし、これからも一段の努力を続けていっていただきたいと、こういうふうに思うわけです。  次に、来年度の沖繩復興対策費の予算概況を拝見いたしますと、前年度に比較すれば大体倍額、おそらく政府としては相当思い切った要求額であろうと、こういうふうに思うわけでございます。ただ、せっかくこうして予算——これでも十分とは必ずしも言い切れない面があることは長官自身一番よく御存じだろうと思うのでありますが、大ざっぱに見ましても、先ほども文教費の予算が述べられておりました。そのほかに強い要望がある中で、社会福祉、あるいは医療費関係、これが百九億というふうになっております。ここらあたりもおそらく、それから国土保全費ですか、この辺が今後沖繩復興の軸になるところではないかと思うのでございますけれども、一方来年度の防衛費の中身を見ますと、五十二億でございますか、何か非常にちぐはぐな感じを受けたわけです。こうした面について考えてみた場合に、この一般会計費の内訳、それぞれあらゆる角度から検討されて振り分けをされたんだろうと思いますけれども、どうですか、これで相当機能的な働きができるような方向に向けられていくでしょうか。それとも、もし足りない分はどのような形で今後援助していかれるおつもりなのかということをまず最初にお伺いしておきたいと思います。
  137. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) まず最初の、不幸にしてそういう事故があった場合の補償はほとんど行なわれていないということは実はそうじゃないんで、講和前の補償の取り残しの問題はいつも議論しておりますからお互い承知していることですし、そのあとは、外国人賠償法によって大体——金額の多寡、不服、不満は別にして——まとまっておりますが、中には、時期はいつでしたか、アメリカの少年がライフルで沖繩の台所で働いておった主婦をそれだまでけがさせたという、これは一件は賠償金を納めて、残りの二家族は納めないでいつの間にか本国に帰っちゃったということが最近わかったというようなこともあるようです。このようなことははなはだ、幾ら民間人が起こしたことであっても、やはり施政権者たるアメリカがこういうような状態を認めたというか、知らなかったというか、結果そうなっちゃったということは、私は非常に不幸なことだと思って、この問題もいずれ真相を調査してみたいと考えておりますが、それ以外は、やはり外国人賠償法で一応はきちんと賠償も済んでいるということになっております。その多寡あるいは不服等は、もちろんけがなんかした場合、それでおれは満足だなんて喜ぶ人はいないと思いますから、それは別として、そういうたてまえになっているということでございます。  来年度予算につきまして、私のほうでこれが満足だという金額でももちろんありませんが、ただ、かってやたらと要求した一般予算においては各省二五%増のワク内ということで詰めておりますし、かといって、沖繩はもう一九七二年における予想される予算ではこれはもう内地の府県としての予算に移るとすれば、私どもがいま要求する四十六年度予算が現在の琉球政府の最後の形の予算、復帰前最後の年の予算であるということになりますから、これはもう何十%増とかなんとかいう問題、日本政府沖繩にどのようなことを最後の年にしてあげられるかどうかという問題にこたえなければならない予算でございますから、精一ぱいの努力をして、筋の通るものは筋の通るように理論づけたつもりであります。しかし、最終的に七百三億という金額については、山野長官がわざわざ参りまして、現地で、それぞれの専門の予算関係者並びに主席とも詳しく長時間にわたって相談をいたしまして、ほとんどは意見を一致いたしたものが多うございます。私たちとしては、いままでのように、琉政は幾ら要求し、総理府はそれを幾らに切っちゃって、大蔵に持っていってさらに幾らに減っちゃったという、当初予算から最終妥結が幾らになった、こういう三段飛びはいかぬ。だから、沖繩、琉球政府予算要求の全額と、私たち沖繩北方対策庁並びに沖繩の出先というものが共同作業でもって意見が一致したところまで十分に詰めようじゃないかという作業をいたしまして、気持ちよく意見が一致したものの例としては、たとえば琉球政府は復帰の前の年に税務署を全部鉄筋でつくりかえようというような予算があったわけです。これは大蔵省が聞いたらきげん悪いでしょうけれども、何も金のないこんな復帰前に取らんでもいいじゃないか、あとは大蔵が、自分たちの税金を徴収する役所ですから、自分たちの予算でちゃんとつくってくれますよ、こういうものはやめて、金が取れるならほかのものをやろうじゃありませんかというような相談をしまして、そういうような意味の、じゃこれは落としましょう、これはやめましょうというようなことで、ずいぶん調整はできました。しかし、最終的には屋良主席記者会見されて、九十三億ほどまだわれわれとの間に予算の総額において違いがある。もちろん、琉球政府のほうが多いわけです。しかし、ここに至っては、私たちも一緒に作業をしたんだから、これからは総理府の要求する予算の満額の獲得に努力をしたい、一緒に協力したい、こういうことを記者会見しておられるようであります。また、そのような報告も受けました。その九十三億の中には、たとえば内地にはない制度、年休買い上げ——休暇を取らなかった者は買い上げていくという制度とか、いろんな復帰のあとにおいては考えられない制度等がございまして、これらをどのような形で処理するか。一括全部買い上げて処理してくれという要求に対して、いや復帰の年におやめになる人は既得権として考えなければならないけれども、身分が継続する人は、それを引き継いで全部そこで清算するのはあまりにも金額も大きいし、理論的にもむずかしいというような議論等が詰まりませんで、そういうものも累積しますと九十三億ほど私たちが琉球政府の最終的な御要望に沿い得なかった幅がございます。しかし、これは両方ともよく事情を知って意見の合わなかった金額ということでございますので、幸いにして今回は琉球政府も、七百三億の要求そのものについては自分たちも同意見であるということで、共同歩調をとって予算編成の最終決定に努力するということが確立できたものと信じております。
  138. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 今回倍増に近い予算というものについては、いま御答弁にございましたように、琉球政府としてもいろんなこれからの問題と取り組んで解決という方向へ向かうであろうということが想像されるわけでありますが、しかし、まだまだ問題というものは、いつも議論になりますように、山積しております。その中でも、特に産業開発という問題については心を痛める場合が非常に多いわけであります。失業者をどう吸収するかという問題と関連をいたしまして、そこで産業開発についても内地の大手メーカーあたりがしきりに沖繩を往復をいたしまして、調査あるいは具体的な設立の方向へ話し合い等が進んでいるようでありますけれども、一方、やはり沖繩は中小企業が非常に多いという見地から、そうした地場産業というものを育成する上からも、当委員会において前にも御要望申し上げましたけれども、何とか早い機会に国民金融公庫であるとか中小企業金融公庫であるとか、あるいは環境衛生金融公庫というような政府金融機関というものを早く出先の機関として沖繩に設置するわけにはいかないかと、こういうことを再びここで確認しておきたいと思います。
  139. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) そういう形にするがいいか、あるいは沖繩復興開発金融公庫という一つ沖繩ワク、沖繩だけの国の金融公庫をつくって、そこからそれぞれ中小企業とかいまおっしゃったような分野に、本土ならば中金がやっている、あるいは国民金融公庫がやっているような分類された融資というものをやったほうがいいのか、ここらはいろいろと議論のあるところだと思います。しかし、いずれにしても、農業協同組合の信連、こういうものは、やはりちょっとその中に入れるのは、系統金融ですから、無理だと思いますので、場合によっては漁業、漁信連も含め、その他の政府の政策金融機関については沖繩についてはむしろ一本にまとめて、沖繩復興開発金融公庫の中できめこまかに配慮をしたほうがいいのではないかという議論もあります。私としては、どちらかというと、後者にいまウエートを置いて議論をしている最中でございますが、一長一短あろうと思いますが、しかし、それぞれが出先を持って、そして沖繩ワクみたいなものをそれぞれみんなが持ってやることが、はたして中小企業といっても協調融資等も含めればダブって考えなければならない場合がだいぶありますから、そうすると、近代化資金がいいのか、高度化資金がいいのか、何かいろいろ考える際に、やはり一つの機関の中でいろんな資金の種類があるというようなほうがかえって親切ではなかろうかというふうにも思っております。これは最終決定はいたしておりません。おおむねそういう方向の検討を進めております。さらに予算そのものでも印刷工業の人たちが意欲もございますし、内地のように高度化資金による団地をつくる、こういうことには来年度予算土地取得、整地等の経費について国のほうでめんどうを見ていこう。もう一つは、中部建材という名前で、建材業者のそういう共同施設と申しますか、団地の共同施設、こういうものも予算で援助するようにしております。やはり中小企業というものの地場産業の育成、あるいはまた造船なら造船が行きますと、造船関連の工業というものがどうしても現地にありませんと、ただドックを据えただけでは造船工業は成り立たない。鋳型工場から始まる、鋳物工場から始まる一連の下請け企業というものがどうしても関連企業として存在しなきゃならぬわけですから、これらの問題等も頭に置きながら、金融の問題と、それから沖繩におけるそういう中小企業の新しい未来へ向かっての展開、こういう面を総合的に急いでやはり整備をしていきたいと考えております。
  140. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 いまの問題でありますけれども、時期的には早いほうが非常に望ましいと、こういうふうに考えるわけでございますけれども、いま長官の構想の中ではその時期はいつごろと大体推定されておられるのか、その金融機関の設立について。
  141. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 大体十月の末ごろにはそれらも含めまして、まあ沖繩で現在、本土側がどういう制度をとるのだろう、あるいはどういう特例をつくってくれるのだろうというようなことで心配しておられる。そのために、一部復帰作業がおくれているのではないかという批判があることも私承知しております。十月の末ごろには大体において沖繩県民がどうなるであろうということを、たとえば具体的には、来年の臨時国会にかりに沖繩返還協定と一緒に数多くの特例法その他が提出されるといたしまして、それらの前に、暫定的に現在の段階考えられる範囲のもの、その中には当然いまの金融公庫みたいなものも入ると思いますが、こういうものはこういうふうにしたいと思っていま作業中でございます——というような中間的なことを明らかにしたほうが現地の皆さまのためだし、予算はもうはっきりわかりますけれども、制度の問題について心配がなお続くのはよろしくないということで、一応そういう時期に発表するように作業をしておったわけです。ところが、私を含めてあと十円余りで一応浅右衛門ということで(笑声)時期が参りますので、これは大蔵省も含めてですが、佐藤さん一人が関係ないわけですから、そこで、やっぱり改造が終わったあと、責任を持っておそらく次の来年の国会にそれらの法律を出して説明し、責任を持っていく大臣たちが、新しい閣僚が、言いかえれば、大臣たちが責任を持ってきめたという形で少しずらしてありますが、といっても、ずれ込むのは十日ぐらいの間であろうと考えます。十一月十日ぐらいまででいいか——きついかな——ちょっときついそうです。なるべく急がせます。十一月十日をめどにしてやりますが、少し何か渋い顔しておりますから、あとでむちを少し当ててみたいと思っております。(笑声)
  142. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 じゃ、次に、時間もございませんので、お尋ねしたいんですが、最近の異常現象の中で、特に高校卒、中卒に対する本土からの求人、これがすごい旋風的な状況を巻き起こしている。それで、ここ三カ月が一番顕著なようであります。先月はもう一万人に近いそういう接触があったそうでありますが、そうなりますと、まず考えられるのは、沖繩県内の労働力の極端な不足、いまでも特に宮古だとか、これは長官、私が一々申し上げなくても御存じなんですが、サトウキビ栽培等に従事する、そういう労働力が激減する。これは企業そのものが、企業といってもささやかな企業でありますけれども、成り立たないというふうになりましょう。おそらくこれはこれからも当然予測される問題でありますし、特に来年度の卒業前をめぐってその攻防戦はまことにすさましいものがあるんではないか。教員あたりがそでの下をもらったとか、どうとかこうとかというまことにまゆをひそめるような話も伝えられるようであります。これはもう沖繩県民にとってはまことに遺憾な点ではないだろうか。あるいは今後沖繩県が自立して産業を発展させる上でも、あるいはその他のいろいろな事業を推進する上においても、やはり一番必要なものは労働力ではないか。一体こういう問題に対して現在どういう方向で助言をし、また援助をしていかれようとしておられるか。
  143. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 琉球政府は求人活動を野放しにしておるのではありませんで、ちゃんと琉球政府において琉球政府の認めた、求人活助をしてよろしいという証明を持った者が公然と求人活動をできるということにしておるようです。   〔委員長退席、理事松下正寿君着席〕 しかし事実は、いまあなたの言われましたように、いろいろ青田刈りですとか、あるいはむちゃくちゃな求人というようなことで、この機関ならば、この会社ならば、この企業ならばだいじょうぶだからという、いわゆるお墨つきをもらっていないもぐりの会社——会社があるわけでしょうからもぐりじゃないのでしょうが——もぐりに近い連中がいわば非合法的に人を集めるというようなことなどして事実摘発なんかを受けておるようでありますけれども、これはやはりたいへん慎まなければならないことだと思っております。ことに、沖繩復帰の時点で本土との間に施政権の壁がなくなるという状態になりました瞬間、渡航——行き来が完全に自由になる。かりに入域チェックがなくなり完全に自由になったという場合に、同じ国民ですから、さっと本土のほうへ沖繩の若い働き手が来て沖繩がからになるようなことがあっては絶対にならない。本土側の求人活動以外にも、テレビその他の普及にしたがって、東京というところ、大阪というところはずいぶんすばらしいパラダイスみたいなところなんだなあと、静かな海辺でネオンの灯も見えないところの青年たちがテレビなどによってそういうあこがれを抱くかもしれない。本土の過疎法をつくるときにそう思ったのですが、やはりそういうものが都会に吸い寄せる役目を果たしていることも一つの要素だろうと思うのです。ですから、沖繩現地自分たち青年が持つ夢、自分たちが定着していい島だというものをやっぱりつくってやらなければならない。そういう義務があるというふうに私たちは考えております。  さらに、本土に就職したあとの離職率あるいは転職率、そういうものが沖繩の青年の場合にやはり高いということも、私たちは絶えず別な調査によって追跡をしております。ことばの問題とか、あるいは初めて大都会の荒波に農漁村から出てきた素朴な青年たちが対処するためにおどおどする状態というものが、結局は自分自身を閉鎖社会に追い込んでいって、職場にいたたまれなくなっていくということがやはりあるようでありまして、ここらの点が沖繩からこちらに働きに来ております若い諸君の離転職率を高からしめておるのだということを考えますときに、私たちとしては一番胸が痛むわけであります。ですから、ただいまのような無責任な求人というものは、琉球政府のほうでもさらに一そうきびしく取り締まる。最近は警察権を発動しておるようでありますから、これからはチェックはされていくものであろうと思います。
  144. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 まあ青田刈り、そういうことばがあるくらいでございますので、いくらでももぐり的にそういうことをやる余地が残されているのです。もちろん、琉球政府としてもそういう事態の起こらないために取と締りをきびしくするということがいま御答弁の中にもありましたけれども、しかし、それだけでは必ずしも十分であるとは言い切れない。何となく割り切れない問題が残るような感じがいたします。   〔理事松下正寿君退席、委員長着席〕  したがって、今後それがどういう形になってさらに表面化してくるかわかりませんけれども、いずれにしても、何かの形でもっときびしいチェックをして、沖繩県民の民生安定の上でもやはり青少年の労働力というものが高く評価されておる現在でございますので、むしろ、十分その地元において活用できるという方向を明確にやはり示してあげることが大事じゃないか。そういうことについて、特段の政府のそういう指導というものを要望しておきたいと、こう思うのであります。  最後に二つだけ、かけ足でちょっとお尋ねしておきたいのでありますが、一つは、西表は国有地でございますけれども、これは御存じのとおり九〇%が森林であります。ところが、この地域に住んでおられる方々、約人口二千人というふうに掌握をしておるわけでございますが、いままでの気候その他悪条件と戦って自作農としてやってこられた。まあ七二年に復帰した場合、この方々に対して政府は、土地の払い下げというものは当然起こってもきましょうし、地元の人からも強い要望というものが出てくると思います。そうした場合に、いままでの経過を踏まえて——たいへん苦労もされてきております、また、そういう未開の地を開墾してきたという労苦がございます——そういうものに対する、やはり報償と申しますか、そういう考え方に立って、無条件にと私はあえて申し上げたい、それを政府として払い下げてもらいたいというふうに私は思うのでありますが、その考え方について伺いたいのが一点。  第二点は、これもしばしば問題になっております八重山飛行場の問題でございますけれども、これはもうその経過を説明するまでもなく、過去において日本軍に強制収用された。そして、一片の債券でもって買い上げられたと、こういういきさつがあるわけでありますが、これも同じように、何らかの形でこの七二年の返還時において補償されていいのではないかというふうに思われるわけでありますが、はたしてその当時持っていた債権というものが一体どういうふうに行使されるのか。その値打ちというものはどうなっているのか。またそれに対する補償というものは考えられているのかどうか。それができないとするならば、それに対する見返りとして、何らかの形として政府が当然責任を持って補償すべきではないだろうかと、こういうふうに考えるわけでございます。  まあ、いずれにしても、この二つの問題は関連のある、政府が今後責任を持って対処していただかなければならない問題ではないだろうかと、こういうふうに思いますが、この点を。——そのほかにもまだまだお尋ねしたいことがありますけれども、きょうは一応いまの問題をお伺いして私の質問を終わらせていただきたいと思います。
  145. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) ちょっと渋谷君、済みませんが、西表の問題は、国有林の今後の経営と地元民の所得の問題ですか、それとも開拓者の開拓地の問題ですか、いずれですか。
  146. 渋谷邦彦

    ○渋谷邦彦君 両方含めて質問いたします。ことばが足りなくて……。
  147. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) わかりました。ではまず初めに、八重山の国有林の開発の問題についてお答え申し上げます。  当初大田主席の時代に契約されました八重山の開発許可面積、これは旧国有林の大部分である二万ヘクタールをちょっと切れる一万九千七、八百ヘクタールというものが対象になっております。その後比嘉主席の時代に、さらに経営者が、内地のほうでは王子製紙で、八重山開発という会社にかわりまして、それが大体一万八千ヘクタールぐらいの契約にし直したようであります。そして現在は一万二千ヘクタールということで開発計画を進めておるようでありますが、最近琉球政府の森林審議会等におきましては、これをさらに半分の六千ヘクタールまで縮めよう、そして開発は六千ヘクタールにとどめて、残りは自然公園もしくは亜熱帯林として、マラリアその他がありましたために、結果、かえって世界にまれな天然分布の状態で存在しておる景観というものを残したいというふうになっておるようでございます。この森林に依存しております——森林開発に依存しております部落、これが白浜部落と祖納部落と二つで、そして大多数が森林収入によって生活をしておられますが、これらの人たちの生活を今後どうするかという問題になりますと、六千町歩の限られた面積の中で八重山開発が今後企業としてやっていけるかどうか。私の聞いたところでは一万ヘクタールを割る。現在伐採をして、いまあります雑木を白浜港から積み出してそしてパルプ材その他に持ってまいります事業そのものは赤字である。しかし、そのあとに植林いたしました琉球松の成長が非常に度合いが早くて、節間の伸びも非常に長大な伸び方を示す。そこで、大体内地の二分の一ないし三分の一ぐらいの早い時期で伐採期に来るであろう。それならば、そのメリットを計算すると、大体やっていけるのではないかという意味で、いままで開発計画再造林をやってきたのであります。琉球政府のいま審議会が六千町歩以下で開発しなさいと言っている条件で、はたして今後企業としてやっていけるのかいけないのか。ここらの点は林野庁のほうに、たしか本日出発をいたしたと思いますが、専門の諸君を相当長期間——隊長と申しますか責任者は本庁の課長が参りますが——一カ月以上滞在しまして、詳しくそれらのことを調べて帰ってくることになっております。できれば六千町歩以内ならば、まだいまのところの感触でありますが、そのぐらいの程度ならば琉球の西表の景観を保っていく。やがては国立公園の特別保護地帯というような形で世界の学者がつえを引く島というようなことに大体できるのではなかろうかというような感触は持っておりますが、最終的にはそれらの報告を聞いてから。  さらに、山に依存する人たちの生活をどうするかという問題については、会社が企業をやらない場合に、部落の人たちだけではそういうような伐採、搬出、積み出し、市場への売り出しなんていうことはとてもできませんし、そこらをよく考えて、地元の人たちが、復帰のために、本来国有林でありますから、自動的に返ってくる、したがって、琉球政府が民政府の管理を肩がわっているというだけでもってこういう契約書をつくったことが合法か非合法か。これらもまだ議論があるんですが、要するに、山に依存する人たちの生活をどうするかという、貴重な天然資源をどう残すかという問題との一致点を見出したいと考えております。これは近く結論を出す予定であります。  さらに、開拓農民の人たちは、戦前、入っても入っても部落が全滅をしてしまうマラリアと戦いながらなお生き延びてきた人たちが今日の戦後の人たちであります。でありますから、これらの開かれた国有林にかかる開拓というものは、すでに本土の開拓地あるいは開拓法という概念もずいぶん変わってまいりましたから、これらの点について、国有地としてそうそうあこぎなことをする必要はない。現地の人たちの生活になるべく国が尽くせる範囲があればどんどん貢献するような方法で問題を解決していきたいと、かように考えております。  八重山の石垣空港の旧軍用地、戦争中の旧軍の接収用地にかかる問題につきましては、なかなか具体的な個々の詳しい権利関係等のデータがまだそろっておりませんので、これらの問題を完全に調査いたしました後に態度を決定したいと考えます。
  148. 松下正寿

    松下正寿君 沖繩の問題についての政府の基本的な態度について山中長官にお伺いしたいと思います。  沖繩の復帰が確定する前には、沖繩県人はこぞって、またわれわれ本土の者もこぞって沖繩復帰というところに全国のエネルギーが集中されたわけであります。幸いにして全国民の熱意、政府の努力等の結果、一九七二年に沖繩復帰ということが確定しておるというわけであります。まことにけっこうでありますが、同時に、最近ちょっと聞き捨てならないようなことばがはやっておるので、それはつまり、「復帰不安」であるとかあるいは「復帰ショック」というようないままで全く考えたこともないようなことばがはやっておるのです。これが単なることばであればこれは無視してもかまいませんが、やはりこれは単なる流行語ではなくて、やはり沖繩県民の間に相当深刻な「不安」と「ショック」——ということばはちょっと行き過ぎかとも思いますが、そういうものがあるんじゃないかと考えられるわけであります。私はそのいろいろな原因があると思いますが、やはりその原因のうちの唯一もしくは最大であるかいなかはちょっと問題があるかと思いますが、やはり政府だけでなくて、われわれ日本国民全体のうちに、沖繩に対する基本的な認識がちょっと違っておるんじゃないだろうかということを考えておるわけです。というのは、いままでわれわれが考えましたのは、沖繩がまことに不当にも、つまり、アメリカに統治されておるというまことに悲しむべき事態を何とか脱却しなきゃならぬ、それには、とりあえず本土に復帰をすべきである。そこに全部のエネルギーが集中されたわけで、その点はけっこうでありますが、その際ばく然と考えておったのを、何か本土に復帰さえすればそれで万事が片づく、めんどうなことはないじゃないか、青森県や岩手県、鹿児島県と同じように扱ってやれば文句がないだろうというような、それすらたいへんなことなんだから、それさえ片づけばもうこれでけっこうじゃないかというような、そういうような認識があったんじゃないかと思うわけであります。しかし、これは長官はお読みになったかどうかわかりませんが、実は中央公論の十一月号に平恒次という人が「「琉球人」は訴える」と、こういう題で簡単な論文を発表しておりますが、この題は、副題は編集人が書いたんじゃないかと思いますが、「独立国琉球の復権を切に主張する」と、こう書いてあるわけで、私も実はびっくりして、沖繩本土に、琉球が本土に復帰するときまっておる現在において、沖繩を独立国にするというような、こういうアイデアがあるのかどうかということをちょっと不思議に思ってよく読んでみましたら、必ずしもこれは内容はそれほど極端なものではないわけです。そうじゃなくて、むしろ重点は、私がいま申し上げるような点で、復帰というと本土に復帰して本土並みに扱えばいいのだという安易な考え方じゃなくて、沖繩の歴史、それから長い間の異民族統治という特殊な事情から発生した、同じ日本人ではあるけれども、ちょっと違う特性というものに重点を置いた考え方をしてほしいというのがこの論文の趣旨であるように思われるわけです。私は必ずしもこの論文を全面的に賛成ではございませんが、やはり防衛庁長官の非常に苦しんでおられる自衛隊の問題、その他あらゆる問題がやはりこの基本的な認識に原因しておるんじゃないかということを考えまして、こまかいことは、これは時間ございませんから別の機会に譲りまして、基本的な政府態度について長官の御所見を伺いたい。
  149. 中曽根康弘

    国務大臣中曽根康弘君) 沖繩の指導者の方々も、自分たちの目の黒いうちにはたして復帰が実現するかどうか半信半疑だったということもいま漏らしておられるわけでありますが、やはりそういう沖繩独立論、あるいは復帰尚早論、あるいは復帰反対論といろいろございました。しかし、それはやはり思いがけず早く復帰と申しますか——実際は長かったのですけれども——きまったということについては、唐突にきまったような感じがして、厚い壁がぱっと割れたような感じがしたときの戸惑いというふうないろいろな議論があったことは私も承知いたしております。しかし現在は、その論文はちょっと私知りませんで、いずれお教え願いますが、そういう意見はだいぶ影をひそめておると思いますが、十一月号とおっしゃったのですから最近でしょうがしかし、いまなおそういう意見があり得るということは、本土政府の誠意というものが、ただの四十七番目の県として扱うのではないか、まだそういう誤解を与える点があるとするならば、これは大いに反省をいたしまして、私たちは復帰まで二十七年の償いというものを、償い切れないかもしれないが、やろう、償いいたしますということを懸命にやっているつもりであります。ですから、そのようなことについて今後そういうことを主張するような原因が政府側にないように私たちの誠意を一生懸命に具体的な形にあらわしてみたいと思っております。
  150. 松下正寿

    松下正寿君 ちょっと長官誤解があるんじゃないかと思いますが、ここに書いてあります論文というのは、本土復帰に反対というわけではなくて、本土復帰には絶対賛成であるけれども、ただ復帰ということは、単なる日本の一県に編成するというような簡単なものじゃなくて、沖繩の伝統同じ日本人でありながら非常な歴史を異にしておるという点にかんがみて、その特性というところに重点を置いてもらいたい、そういう意味でございます。したがって、基本的な姿勢というものがはたしてどういうところにあるかということをもう一ぺんはっきりとお伺いしたいわけでありますが、もっとはっきり具体的に申し上げますというと、つまり、現在日本本土沖繩とは非常な差異があるわけであります。これに対して、いろいろ特殊事情にかんがみていろいろな過渡的な施策をとられることはこれは当然でありますが、これが過渡的なものとして、結局は日本の単なる一県に、つまり、ほんとう意味において本土化することが方針であるか、あるいはやはり日本本土の一部ではあるけれども、りっぱな日本人ではあるけれども、やはり沖繩の特殊性にかんがみて一応その特性を認めた姿勢をとられる、それが根本の方針であるか、その点をお伺いしたいわけであります。
  151. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) これは全く見解は一致すると思います。沖繩の歴史をひもとき、沖繩の心の流れをくむ。つまり、忍従と屈辱の歴史というものを参議院本会議で私最初に申し上げましたのは、そのような歴史の背景に余儀なくされた沖繩の人たちの心をくんで沖繩の仕事をやらなければだめだということを申したつもりであります。さらに、しかし、沖繩の人々はまた厳然として侵すべからざる誇りも持っております。その誇りに対してたとえば象徴的なものとして琉球王朝の正殿、そういうようなものの復興という願望も文化財委員会等でございます。これは普遍的な願望ではありませんが、沖繩の人たちの心の誇りの根源が象徴されるとすれば、琉球王朝の正殿復興というのもあながちむげに退ける案ではないと考えまして、これは予算が獲得できるかどうか、この段階で明らかにするのもどうかと思いますけれども、琉球王朝正殿復興のための予算も来年は要求いたしまして、誇りある沖繩県民の誇りの根源もやはり復元したいというようなこまかい点も考えておるつもりでございますが、しかし、私たちが押しつけがましく沖繩の人たちの気持ちがわかったようなことを言う資格はないと思っております。
  152. 松下正寿

    松下正寿君 時間がはなはだ短いので、いろいろいま申し上げたような、またいま御答弁がありましたような観点に立っての具体的な施策、御意見を伺いたいわけでありますが、ほかは全部省略いたしまして、この「復帰対策の概要」のうちホというところに「通貨の切替準備」ということが書いてあります。これは具体的にどういうようにおやりになるつもりであるか、また、うわさによりますというと、長官はフリーゾーンということをお考えであるということも伺っておりますが、これについてのお考えを伺いたい。  ある学者は、沖繩全土をフリーゾーンにしたらということも主張しておるわけであります。これについての御意見を伺いたい。
  153. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 通貨の問題については大体推定一億ドル前後の流通通貨があるだろう、こういうことでありますが、これは奄美大島等の引き取りのときの例もございますが、金額と申しますか、量があまりにもかさむたいへんな量でありますので、そこで日本円の輸送手段あるいは日銀の地下の相当堅牢な金庫、俗にいう大金庫でしょう、そういうものの準備等も必要でありますので、これは大蔵とか日銀等といま相談しておりますが、そういう準備を万遺漏なくやること。それよりもその準備の前に、復帰の際の交換レート三百六十円は変わりません、円の切り上げ等、無用の御心配は要りませんよということの徹底、これが一番必要なことのように考え、いまその努力をしておるところでございます。  それから第二点のフリーゾーンの問題については、フリーゾーンというものが現在沖繩にあることは、もう現地に行ってごらんになったと思います。小さなブロックに六つの小さい会社が、それぞれグローブその他をつくったりラジオをつくったりしておりますが、あそこを残す残さないは別にして、浦添村の地先あたりをもっと埋め立てたりして、高雄方式みたいなもので、やはり地域に限ったフリーゾーンというものを考えたい。そのほかはみやげもの店のポイント——点という意味のそれぞれ指定されたフリーゾーン——ゾーンと申しますか、フリー・ポイントでしょうか、そういうもの。さらにまた、ガルフ、エッソ等の外資等が、日本の石油業法、あるいは日本の資本の自由化の現段階、復帰時点の段階までにおける取りきめに従わなかったというような場合において、その地域における操業は認めるけれども製品の日本国内への販売は認めないという意味のフリーゾーンの封じ込めというような、いろいろな形態があると思いますが、基本的には、現在の那覇港のそばにある小さいブロックのフリーゾーン地帯をもっと大々的に設計して沖繩の立地条件を大いに生かしたい。高雄の当初フリーゾーンをつくりましたときの推計というものは、工場数にしても収益の見通しにしても、そこで取り扱われる取り扱い高にしても、もっともっと低く見ていたのですが、全部が何倍という飛躍的な数字でもって現在の高雄フリーゾーンが栄えておるようであります。それに伴って地元に落ちる金、附加価値というものも相当あるようでありますが、沖繩の場合は台湾ほど雇用賃金が安くはございませんので、そこらの点は割り引きして考えるといたしましても、立地条件はたいへん有利なところにあると考えまして、それを生かそうと思ってフリーゾーン構想というものを申し上げておるわけであります。全島フリーゾーンというのは、したがって、考えておりません。
  154. 松下正寿

    松下正寿君 フリーゾーンについての質問は、時間がありませんから、私はこれ以上お伺いいたしません。ただ、この通貨の問題につきまして、たしかにこれは奄美大島の返還のときじゃなかったかと思いますが、軍票はこれはアメリカ政府のものだからと言って引き揚げたといったようなばく然とした記憶がございます。むろん現在沖繩で使われているのはドルで、軍票じゃありませんから問題はないのじゃないかと思いますが、まあ念のために、私自身が安心するためにお伺いするわけでありますが、これが、万が一にもドルであるからして引き揚げてしまうということはないだろうと思いますが、同時にまた、現在あるドルというものが円に変換される場合にそれは一体どうなるか。日本の外貨として積み立てられるものであるか。そういうような点についてどういうふうにお考えでございますか。
  155. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) 具体的にはアメリカの財務者と大蔵省でいまそこらを詰めておりますけれども、しかし、基本的にはっきりしていることは、この数年一億ドル前後、幾らアメリカがいま外貨事情が悪いからといって、これをアメリカの外貨の中に取り込もうというような動きは、一部ちょっとそういうことを聞いたことがございますが、現在はありません。ですから、このままいきますれば、当然三百六十円のレートでもって交換された円というものが日本国民の持っていた金として日本の国内のドルに蓄積されるということになるであろうと思います。
  156. 春日正一

    ○春日正一君 現在沖繩に進出しておる外資の問題、これをどう処理するかという問題は、将来の日本経済の自主性という問題から見ても、沖繩経済の復興という点から見ても、たいへんかかわりのある問題だというふうに考えます。そこで最初に、沖繩に進出している外資についてその実態がどうなっておるのか。企業進出がどのくらいあって、そのうち自由化第一類、第二類、これがそれぞれどういうふうに該当する企業があるか。それから、資本の総額はどのくらいになっているのか。現在ある外資の概要をひとつ聞かせてほしいのです。
  157. 山野幸吉

    説明員(山野幸吉君) 御質問に完全に御答弁するだけの資料がないわけでございますが、一応手元の資料によりますと、沖繩進出企業の数は三百三十四社。それから年間投資額二億四千八百万ドル。それから、そのうち本土の企業を除きますと、会社の数は二百二十四社。投資額にしまして二億三千八百万ドル。これが六九年の十二月三十一日の会社数、投資額でございます。
  158. 春日正一

    ○春日正一君 そこで、これらの企業について、日米共同声明の時点で、これを境にしてその前とあとでは違って扱いをするというふうに言われていますけれども、これは共同声明第九項の、「沖繩における米国企業の利益について留意する」という約束に沿うことだと思うのですけれども、この進出外資企業に対する復帰後の扱いの問題で、共同声明以前に認可を得ておる企業については再認可制をとって、その際、既得権としての実績を尊重していくというようなふうに聞いているのですけれども、その点どうですか。
  159. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) おおむねそのとおりだと御了承願っていいと思いますが、佐藤・ニクソン会談以後の時点において、まあ中には不幸にしてそのあとにずれ込んだものもありましょうが、これはやむを得ませんから、その時点で、そのあとのものはかけ込み——一種の意図を持って復帰後というものを念頭に持った設計をもって申請をして進出した会社であると断定することにしました。それらのものはきちんとかけ込み外資としての措置を復帰の時点においてしたいと思います。しかし、それ以前のものは、いつ返るかわからない状態の沖繩に出ていった外資であり、それは相当に沖繩の人たちのためにもそれぞれ定着した産業活動をしており——例外ももちろんございましょうが——これらのものはやはり既得権として尊重していかなければなるまい。その際には、復帰の時点で、まだこれから日本も自由化品目、資本の自由化等がどんどん進みますから、復帰の時点といまではだいぶ違うと思いますが、それにしても本土の法制等と違う業態の資本というものがありました場合には、尊重はするといっても、特殊なケースとしてどのような形で尊重するか、これらについてはまだまだ日にちもあることでありますが、ケース・バイ・ケースの議論になっていくのではないかという点もあります。
  160. 春日正一

    ○春日正一君 その点で、まあ共同声明以前の認可といっても、これはエッソだとかガルフだとかいうよう石油精製企業、これは資本の比率からいっても、さっき言った二億何がしの投資の中でほとんど大きな比率を持っているし、日本の石油政策という上からいっても将来問題があるというように思うのですけれども、そこで沖繩における石油の需要量ですね、現在どのくらいになっておるのか、それから、このガルフやエッソの現在の精製能力がどのくらいあるのか、その点お聞きしたいと思うのです。そして、それが将来大きくなる計画というものがあるのか。
  161. 山野幸吉

    説明員(山野幸吉君) 沖繩における一日の民間石油の消費量でございますが、二万四千バーレルでございます。それに対してガルフの一日当たり石油の精製能力は、これは御承知のように十万バーレル、エッソが八万バーレル、こういうことでございます。
  162. 春日正一

    ○春日正一君 そういうことでガルフ、エッソで十八万バーレル現在日産やっている。しかも、民間の消費量は二万四千ということになるわけですね。そうして、それがそのまま合弁という形にさせるようですけれども、かかえ込まれてきた場合、日本の将来の石油需要の計画から見ても、単に沖繩の需要をまかなうというだけではなくて、日本の燃料計画の中でのアメリカの比重というか、影響力というものがそれだけ強くなってくる。そして日本経済の自主性がそれだけ食われていくという関係になってくるんじゃないかというふうに思うんですけれども、その点、どうですか。
  163. 山中貞則

    国務大臣(山中貞則君) まず初めに、沖繩現地の会社の問題としてとらえますと、エッソと東洋石油、これは大体提携の国内企業、いまの本土の企業が渡っておりますから、それのことしの割り当てについて、それらを稼働した場合を考えた数量の割り当てがいわゆるカットされるのであります。しかし、ガルフの場合はまたそれがはっきりしておりませんから、提携がもし復帰までになされないで、日本国内の調整に服さない状態で戻ってくるという場合においては、ガルフは当然フリーゾーンとしてその島で操業することは可能である、その地域で。しかし、それは製品も全量日本国外の国へ持っていってほしいという条件に従わざるを得ない。しかも、そこまで話をするつもりはありませんが、どうもガルフは、台湾で尖閣列島等のいろんな問題でも相当反日的な会社であるというふうな印象も最近は受けますので、あまりわがままは許さぬという態度ははっきりしておく必要があると思います。国内に返ってからの問題は、日本の国の消費量の増大に対応した生産の許認可が通産において行なわれているわけでありますから、結局、現在の日本本土における企業と提携しない会社は関係しない——関係ない状態で操業のみが許されるわけですから、過剰生産は結局製品の低落ということで認めがたい製品というものが毎年できるわけです。そのあとはあまりそう心配する必要はないのじゃないかと私は思っております。
  164. 春日正一

    ○春日正一君 いまのお話ですけれども、在沖繩アメリカ人商工会議所のシップリーという会長は琉球新報によると、「沖繩進出は、日本市場だけを目的としたものではない。東南アジア諸国への拠点として沖繩は地理的条件がよいからだ」ということを言っております。「沖繩は将来、経済的なキー・ストーンになるだろう」ということを言っております。そういうことで進出してきておる。そうしてガルフが聞かぬと言ったら、そこに封じ込めるというと、日本の領土をまるきり租界として与えるかっこうになるわけです、一つの島を。そういうことが独立国として許されるかという問題が一つあります。聞かぬと言った。そして、おる。しかし、日本の国内市場には売らせないけれども、そこで、とにかくガルフ島みたいなものができて石油精製してよそに売ってやるというようなことが許されるのかという問題ですね。だから、それはいま大臣が言った、そこの解決のしかたというのは、私は非常に問題を含んだ考え方だと思いますよ。そういう意味で、やはり外資に対して日本の自主性という問題、経済、そういう立場沖繩の将来を考えて、もっと厳格な態度をとる必要があるだろう、そう思います。ただ大臣の時間がちょうどいま一ぱいなんで、委員長のほうからも先ほど来相談があって、そういうわけだからきょうは打ち切ってくれというので、これだけ残しましたから、この次には一番先に聞かしてもらうということにして、きょうは私のそういう考え方を表明して、そこでとめておきます。
  165. 塚田十一郎

    委員長塚田十一郎君) 他に御発言もなければ、本調査に対する質疑は本日はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時十五分散会