○畑
委員 私もずいぶん前から監獄法という文字が気になってならないのでありまして、いつか機会あらば私の提案をしようと思っておったのですが、今度の
事件でさらにそれを痛感したのです。前時代的なものでありまして、やはり新しいものに、新憲法になったのですから、それを早くやりかえなければならぬ、こう思っておったのですが、たまたま大臣も同じ意見のようでありまして、これはひとつさっそく改めてもらいたい。ただしかし、やはり前進的な建設的な前向きな改正であってほしい、世界の
行刑にあまりおくれをとらないように、そういった世界の
行刑もよくにらみ合わしてやってもらいたい。やった以上はやはりきちっと行なうこと、大体いまの監獄法自体がもう時代に合わないのだと思うのです。それで一方こうした
金嬉老みたいに特別待遇をする場合もあるし、そうでなくてやかまし過ぎるような場合もずいぶんある。
実は、私のところへ東京拘置所の被告島田哲男という、これはいま控訴中で、例の学生
事件や何かで一年もかかっているそうですよ。これは裁判所の
関係で
刑務所の
関係ではないが、
刑務所で預かっておるわけだ。それから来るのが、ずいぶん長文の、そういう処置に対するいろいろな意見などが来ておるのです。これを見ましても、ずいぶん
刑務所のやり方が、ほんとうにあそこだけ厚い壁の中の、悪い
意味での別世界のようなことがしみじみこれでわかるのです。この間の「よど号」
事件のときも、新聞が購読できるのですが、ほとんどまっ黒く三日間ばかり塗りつぶされてきた。この問題については例の中に入っている学生の連中が訴訟を起こしていますね、あとで見たのですが。たまたまそれより前にこの被告がこの問題を取り上げて、人権じゅうりんだ、こういうことも言うてきておりますし、またさらに
面会時間なんかにつきましても、せっかく女房が何カ月かに一ぺん会いに来るのに、わずかに五分間ということはないはずなんですね。それは忙しいから切り詰められるのかしらぬけれども、わざわざ旅費を使って来て、そして女房と会うのに五分間でもう終わり、こういうことなんで、非常に憤慨して書いています。これもまた人権じゅうりんだと思います。監獄法にはそんな短い時間でないように書いてある。おそらく三十分かそこいらの時間は与えるようにしておるはずだと思うのです、いろいろ忙しいからということでそういうことになるのだろうけれども。
それから、もう
一つは
差し入れ屋ですが、
食べものあるいは書籍などを
被告人たちが買いに行く。ところが、その
品物がまことに高い。しかも不良品が多い。
食べものでもひどいそうです。しかも一軒に限られておる。それだからその間にどうも不正が行なわれている模様がある。こういうようなことで、書籍でも一軒しか許されないというようなことで、
被告人たちの要求しているようなものでないものを無理にとらさせるようなことになる、こういうことを言っておる。
またさらに、中に入っている
収容者、この人たちの
食事の中に薬を入れておるらしい。要するにあまり興奮しないようにおとなしくさせるようにそういう薬も入れておるようであって、これは非常にまじめに、いずれ近いうちに家に帰れる、それだのに夫婦生活ができなくなる、非常に人権じゅうりんだというようなことが書いてある。非常にまじめな
意味でおこってここに書いてきております。
それから、非常に不衛生だ。ネズミがかけ回る、ネズミまでばかにしやがる、こういうようなことが書いてある。
実際これは現実に上のほうの人が行って見て、そして改善しなければならぬところが相当多いのじゃないかと思う。あれは別世界だからというので、そういう別世界で相当な人権じゅうりんが行なわれておる。そういう
意味からも、一方には
金嬉老のように特別待遇で、殿さまみたいに、われわれの生活よりも場合によってはいいくらいだ、そういう扱いを受けておる人があるかと思うと、また規則で認められておるものも十分に
処遇をしておらぬというような面が相当あると思う。そういう点を、やはり監獄法そのものを改めると同時に、全部の
収容者に対してやはり平等にやらなければならぬ。今度の問題は、特別に
金嬉老にだけ特別待遇を与えておったということだったから世間は承知をしない。全部が同じようなものならいいのですけれども、それが人によってこうも違うということになると、これは一たん明るみに出た以上は、やはり世間が承知するはずはないわけです。しかもそれは単なる一
看守や二、三人の
看守ではなくて、
保安課長、
管理部長、さらには
刑務所長までがおそらくこれは知っていたに違いない。もう当時の人はやめていたり、あるいはほかへ移転したりしておりますけれども、こういう者こそ厳重に処分すべきだ。一番末端の
専従の
看守よりもその人たちのほうが罪が深いと思う。これが問題だと思う。教育のやり直しというのは、一番下の
看守を
幾ら教育をしたってだめですよ。その上の上級の刑務
職員が御身お大事に、事なかれ主義で、何とか
金嬉老をおだてて
金嬉老が事故を起こさないようにということで、何でもかんでもエスカレートするままにいろいろ与えていったということがこういう
事件になったと思う。これはたまたま
金嬉老の
事件に
関連して、この前から東京拘置所内の
収容者から手紙を受け取っておりますので、この際
関連する
意味で大体荒筋を申したわけですが、ひとつこういう点を十分改善もしてもらうと同時に、公平に扱ってもらいたい、かように思います。
それから、こういったことはさっき
田中委員も言われましたが、単に私は
静岡刑務所だけの問題ではなかろうと思う。これはどこの
刑務所でも多かれ少なかれ行なわれておると思う。そういうことであってはならぬわけでありますが、特に
静岡刑務所の場合は特徴的にこの問題があらわれてきたと思うのです。一体こういうことを承知ですか。私はこの間その方にも会っていろいろ聞いてきたのですけれども、矯正管区のほうでときたま監査に行きますね。そうすると何かそういうときに、どうも管区の人と
刑務所の上級
職員との間でマージャンの大会をやるそうだ。それがかけマージャンだそうだ。それでしかもそれが終わってからキャバレーなんかに公用車で行く。その金はどこから出るかというと、養豚の訓練と称して豚を飼っている、その豚の上がりでそういうことをやっているものがある。こういう話がある。これはやはりうそじゃないと私は思う。こういうことがやはり全体の綱紀が弛緩するもとになる。それから、ある
幹部のごときは、やはり養豚場の豚を売った金でおやじの葬式費用に充てたりなんかしておるそうだ。それから、ある
幹部は
収容されている前科三犯の窃盗男に
——養豚場の回りにぐるりと水がめぐらしてある、それにアヒルを飼っているそうだ、そのアヒルを盗ましてそれで
自分の家庭のほうの食ぜんに供している、こういうこともあるそうであります。これじゃしめしがつかないですね。やはりそういうことをやると、その囚人には弱い点を握られていますから、したがって、その囚人に対しては特別待遇をせざるを得ないということになってくるのですね。これは既決囚ですが、それでたばこを自由に吸わせたり、外出もどんどん自由になったり、こういうようなことに現になっておるそうです。それでいて
上司はまた下のほうの
看守等に対してはなかなかうるさい。そして敬礼をしたのにおまえ敬礼しなかった、いや敬礼しました、こう言うと
上司抗弁というのでこれまたおまえやめさせる、こういうようなことを言う。とびらを締めたのに締めろ、いやもう締めましたと言うと、これまた
上司抗弁というものがいまでも厳然としてあるのだそうです。敬礼をしたとか、昔の軍隊みたいなもので、そういう社会がいまの日本にある、一番おくれている社会じゃないかと思う。あの囚人を入れておくということで高いへいがめぐらされておるけれども、その高いへいの中で、われわれの常識では考えられない前時代的なそういった上下の
関係が行なわれている。これじゃ心服しないと思う。また囚人にもなめられるということにもなる。
こういう点を聞いて私は実はあぜんとしたわけなんです。私は大体うそはないと思う。大体私が会ったその鈴木平という人は、どういうわけで懲戒免になったか、あなたは御承知かもしれませんけれども、この人は酒が大好きな人らしい。それでひとつまた反面義侠心のある男らしい。二人の
看守が
警察官を志望しその試験を受けようということで休暇
願いを出しても
上司がこれを取り上げない。そこでしかたがないので、その二人は病気欠勤ということで実は試験を受けようとした。試験を受けた。ところが、それを
上司に見つかって、おまえ免職だ、こう言われる。こんなくらいのことでというので鈴木というのが男気で抗議を申し込んだということです。同時にまた、知り合いの
警察署長に会って相談しようと思って出かけたらさいふを忘れた。しかたがないものだから、あと払いということでタクシー賃をあと払いにした。それが結局
刑務所のほうに照会があって、こういう人がいますか。ただ乗りしたわけじゃないんだそうだが、そういう照会があって、こういう人がいるか、どういうことですか、こういうことです、おまえただ乗りしたな、ということ等がございまして、それからまた
上司とやり合う。それで外へ行って一ぱいやって、そこから電話をかけて、
金嬉老の問題等を、かってなことをしていやがるというようなことで、電話を
上司にかけた。それがそういった内部の問題を公衆のいる前で電話したりなんかしたのは官吏として不謹慎だ。確かにそれはそうだと思います。そういう点はあるかと思います。しかし、それによって結局最後には懲戒免、こういうことなんだ。
そういう点が、
上司と下僚との
関係が先ほど私が申し上げましたような古いやり方がずっと残っている。こういうことも
一つの大きな今度の背景じゃないかと私は思う。したがって、下のほうの末端のほうばかりやかましく言ってもだめなんだ。上の人たちがみずから範を示す、温情をもって下僚に接する、こういうことでなくて、ただ
上司と下僚という
関係で押えつけるということだけでやる。しかも
上司がりっぱな人ならばいいけれども、そうでない、何か
刑務所の建築か何かにもからんでどうもいかがわしいような問題もあるというような話も聞いてきましたけれども、しかし、これは実際にこれだけの証拠があるわけじゃありませんから、私申しませんけれども、いろいろそういったようなことがあるようでございます。やはりこういう点をひとつ全部洗いざらいにさらけ出してやらなければならぬ。ただ下のほうだけ責めて凶器がどうの、だれがやったのというだけではだめだ。その人のいわく、法務
委員会あるいは検事というようなことで、別の立場の人にならば話すでしょう、さもないとなかなか
看守たちも口がかたくて
ほうちょうの経路なども話さぬというようなことを言うておりましたけれども、こういう
静岡刑務所の綱紀の弛緩、これは必ずしも
静岡だけじゃないと思う。ほかに転勤したり何かしていますからね。だから、ほかにも大同小異のことが行なわれておるのじゃないか。
私が幾つか並べましたけれども、そういう点で
矯正局長、何かお気づきの点はありますか。先ほどの養豚の問題、マージャンの問題、そういう点があるといわれるのですけれども、この辺については何ら知らないということですか。どうでしょう。