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伊藤参考人 私、
伊藤信男でございます。貧弱ではございますが、私の在野法曹としての経験を通じまして、この
改正法案に対する
意見を次の四点にしぼって——ほかにもいろいろございますけれ
ども、ここでは次の四点にしぼって申し上げたいと存じます。
まず第一は、第五章の紛争処理の第百五条以下、
著作権紛争解決あっせん
委員の制度でございます。この制度の性質は、現在行なわれております民事調停に類するものと
考えられます。もしそうであるならば、これはすでに裁判所に民事調停の制度があるので、屋上屋を架するようなものではないか、調停は裁判所にまかしておけばいいんじゃないかという
意見が当然出てくると
考えられますが、
著作権事件は特殊の性質を持っておりまして、これを一般民事調停にゆだねることは必ずしも適当とは
考えられません。古くは昭和八年の榛村専一氏の「
著作権法概論」、それから戦後におきましては、昭和二十三年の勝本正晃博士の「
著作権法改正試案」、昭和二十五年には城戸芳彦博士の「
著作権法改正私案」などに、いずれも
著作権に特有の調停制度、仲裁制度を設けるべきであるという構想が打ち出されております。その理由としましては、
著作権事件は複雑難解であり、特別の知識、経験を要するので、特別の手続が必要であるということがうたわれております。現実に民事調停制度のやり方を見ますと、やはりその感が深いのでございまして、私など、とうてい
著作権事件を民事調停に持ち出すような気持ちは起こりません。民間にも調停を行なうような団体がございますが、これもどの程度まで信頼を置いていいか、疑問が抱かれます。本日は御欠席になりましたが、山木桂一教授の著書にも、批判的なことばが出ております。そこで、裁判所に持ち込み、本訴を起こして訴訟の段階に持ち込みますと、相当長くかかります。これは大体二年くらい、長いと三、四年、もし控訴、上告でもしますと、五年、六年というふうにかかるわけであります。戦後唯一の
著作権の最高裁判例を生んだミュージックサプライ事件というのがございますが、これは札幌の有線
放送を扱った事件でございます。この事件は七年かかっております。昭和三十二年に仮処分の申請が行なわれましてから、最高裁の判例が昭和三十八年十二月二十五日に出るまで、七年間かかっております。城戸博士はこの点について、現状では
損害賠償等の請求訴訟を提起しても、判決が確定するまでには相当長い日時と多額の費用とを要する結果、判決の実効がほとんど失われるといっても過言ではない、このようにその著書に述べておられます。これは残念ながら同感と申し上げるほかない実情でございます。そのために、訴訟が中途はんぱな段階で和解で終わってしまうというケースが、
著作権の場合非常に多うございます。大ざっぱな推測でございますが、大体判決で終結する事件一件に対して、和解で終わる事件が四件あるいは五件というふうに、私の経験から推測いたします。したがって、
法案にこういうような特有のあっせん制度を設置されるということは、この弊を救うものということができようかと思います。これは適正に運用されれば——適正ということは、だれでも気軽に
利用できるということ、結論を出すことが早いということに尽きるかと思いますが、適正に運用されれば、
関係者の
利用が多くなる、信頼を得て
利用が多くなるということで、効用を発揮することができるかと思います。従来、
著作者側は
自分の
権利が
侵害された場合、先ほど
石川先生もこのことに言及をされましたが、
権利を無視されても、どうも訴訟に訴えるということは繁雑でかなわないということで、泣き寝入りをするということが多かったようでございます。もっとも最近は必ずしもそうではなくて、団体の力を借りて、団体に申し入れをして、団体の交渉にゆだねるというような傾向がだんだんと強くなってまいりました。これは非常にけっこうなことだと思いますが、たとえば文芸家協会、
放送作家協会等は、会員の申し入れによって非常に強力に交渉を進めていく、会員の
権益を擁護しておられる。たまには、多少団体の力が強過ぎて、勇み足的な解決が新聞に報道されるのを見ることもございます。これは文芸家協会と
放送作家協会のことでは毛頭ございません。それ以外の団体においてそういうことがたまにあるようでございますが、まあそういうこともしょうがないかと思います。一方使用者側におきましては、たまには
権利者側から非常に不当な要求を受ける、高額な要求を受ける。しかし、これを裁判に持ち出されて新聞に報道されると不面目であるというようなことから、不本意ではあるが金を出して解決するというふうなことも行なわれておるようでございます。このあっせん制度の設置ということは、こういうふうな
著作者側、使用者側両方にとって不満を解消するということになるのでありまして、これによって
著作権の世界が明朗化するということが期待されるわけでございます。もっとも、この制度があまり発展しますと、
弁護士の職域を侵すというふうな声も出てくる可能性がございますが、しかし、これは一般の
弁護士にとっては影響は非常に微々たるもので、とても問題にならないものだと
考えます。ただ、観念上はそういうことになってくるかと思います。また、当事者に民事調停あるいは本訴を起こすという道も残されておりますので、職域を侵すという声は、まあ出てまいりましても、これは大して問題にする必要はないんじゃないかというふうに
考えます。
次に第六章以下の
権利侵害。百十二条、百十三条、百十四条などに、
現行法にない規定がございます。
現行法の規定はちょっと簡単にすぎまして、民法の七百九条以下の「不法行為」の規定に大体まかせるようになっております。不法行為につきましてはいろいろ判例がございまして、大体判例法が確立しているということでございますが、
著作権の場合、やはり特殊な
事情がございますので、こういうふうな規定を設けることは、非常に適当であろうと
考えます。訴訟の場合に一番困りますのは、
損害額の立証ということでございます。
権利が
侵害された。そこで
損害が起こった。ではその
損害額は幾らか。
損害額が確定しないと、裁判所は勝訴の判決を下しません。無断興行の場合に、
権利侵害によって
損害賠償の請求をしたケースで、
損害額の立証がない、あるいは不十分であるということで、原告が負けている例が、二、三判例集に載っております。こういう判決は不当だと思いますが、しかし現実にはそういう判例が出ております。そこで、こういうような
損害額の推定、百十四条、こういう規定を設けて原告の
損害額の立証の責任を
反対側、被告側に負わしめる。それに対する
反対の
意見があれば、被告側で
反対しなければいけない。一応
法律上には推定を受けるというふうな規定を設けられたことは、はなはだ適当であると思います。これは特許法の規定と同じようなものでありまして、この規定によって、
著作権が特許権、工業所有権のレベルに達したということができることになるわけでございます。
ところで、最近、といたしましても、去年からことしにかげまして約一年の間に、私はたまたま翻訳と写真のことについて、いずれも三件ずつ相談を受けました。ちょっと気づいたことがあるので、この点について申し上げたいと思います。たとえば原書を手に入れてこれを翻訳したいが、
著作権者はわからない、どのようにしたらいいかということであります。それからまた古い写真、これをある本に挿入したいので、いろいろ苦心してさがして適当な写真を手に入れた。これを使いたいが
著作者、
撮影者というものが一切わからない。無断で使ってもいいと思うんだけれ
ども、一応相談したいというようなことなんでございます。普通外国の本には、
著作者、
著作権者、発行者というものの表示はございますが、外国のことでもあり、また古いと、その
権利者を確知することは非常にむずかしい。ちょっと不可能にも近いような状態になります。そこで発行年を見ると、大体十年以上たっている。十年以上たったものは、
日本国内で
日本語出版物が山
出版されていない限りは、自由にできる。翻訳権は消滅して自由にできる。だからそういう点を調査した上で、
出版物がなければ自由に翻訳
出版してもよろしいというふうな返事をすることになります。写真の場合も大体同様で、写真
著作権は短いので、前大戦当時のようなああいうような古い記録写真的なものは、これは自由にできる。本に挿入してもよろしいし、写真集をつくってもよろしいというふうに返事をいたします。写真の場合は、特に
著作者名の表示というものはほとんどの場合ありません。したがって、新しいものでもそうですが、古いものについては、特に
著作権者の承認を得るということは非常に困難で、不可能に近い場合も間々あるわけでございます。
こういうような実例から、私は二つのこと、翻訳についてまず申し上げますと、翻訳権には現在十年留保の規定がございます。この十年留保の規定の効用を、私は再認識するわけでございます。
著作権制度審議会の答申は、これは常識的なものでありまして妥当ではございますから、私は基本的には賛成いたします。別に
反対はいたしません。しかし、過去の翻訳権問題に関する経緯とそれから実益という点から
考えますと、翻訳権の留保は継続すべきものではないかという
考えを起こすわけでございます。
翻訳権については、明治三十二年のベルヌ条約の加入当時すでに議論がございまして、当時の鳩山和夫博士などは、
反対の
意見を述べておられます。しかし当時は、治外法権撤廃のための条件としてベルヌ条約に加入を約しておりましたので、不
利益を甘受して加入したわけでございます。その後、あまり翻訳権について問題になっておりません。問題になっておりませんが、これは私の推測——単なる推測ではっきりした根拠ほございませんが、推測によりますと、どうも翻訳権無視ということがまかり通っておったのではないか、横行しておって、だれもこれをとがめなかったのではないかというような気がいたします。ところが、昭和六年ごろにドイツ人のプラーゲという人が外国人の
著作権の代理人として
日本に出現しまして、いわゆるプラーゲ旋風というものを起こしました。このプラーゲ旋風は、非常に文化界を荒らしました。無断翻訳
出版、無断興行等を摘発しまして、相当
日本人にとっては過酷と
考えられるような手段で追及したために、文化界が騒然として、中にはベルヌ条約脱退論を提唱されたような文化人もございます。水野錬太郎博士とか山田三良博士のような専門家は、古くから翻訳自由論を唱えておられまして、水野博士は、一九〇八年のベルリン会議で、すでに翻訳自由論を唱えられました。それから山田博士は、一九三九年の学芸協力国内
委員会国外
委員会という国際会議の席上で翻訳自由論を提唱されまして、山田博士自身の記載されたところによれば、各国代表の賛同を得たということでございます。これはほんとうかどうか私は存じませんが、山田博士の論文にそのように記載されております。
自分のことを申し上げて恐縮でございますが、私も昭和十四年に「翻訳自由論」という貧しい論文を公にしたことがございます。しかし、ベルヌ条約脱退はもちろん、翻訳自由論も、現在ではとうてい提唱することはできません。が、せめて翻訳権十年留保、現在まで適法に維持している翻訳権の十年留保だけは、今後可能な限り維持していくべきではないか、自発的に放棄する必要はないのではないかということを私は切に
考えます。
日本は翻訳文化国といわれておりましたし、その恩恵は非常に大きなものがございます。で、翻訳十年留保の必要は、現在でもなお継続し、将来もある期間継続するんじゃないかと
考えられますので、その撤廃ということについては、慎重にお
考えいただきたいというふうに
考えます。大国としての体面ということももちろんございますが、しかし、アメリカ合衆国はベルヌ条約に加入すること自体を
拒否しております。
自分の国に不
利益であるということで加入しておりません。まあ不
利益ということだけじゃなくてほかに理由があるかもしれませんが、とにかく加入しておりません。それから
日本の周辺にあるソ連、中国あるいは韓国といった国も、いずれも加入しておりません。
日本が飛び離れたところで加入しているわけでございます。それから
日本と欧州語との間の語系の
根本的相違、これは山田博士や水野博士が強調された点でございますが、語系が
根本的に違っているというふうな点、いろいろな点を総合しますと、必ずしも大国としての体面にとらわれる必要はないんじゃないか、そのように
考えます。
次に、写真の問題についても同様でございまして、写真の保護期間を長期間延長することには、私は大きな疑問を抱きます。
改正法案によりますと、発行後五十年ということになっております。が、このように長期間延長していいものかどうかということを、私は疑問に思います。もちろん芸術写真のようなものについては、これは一般の
著作物と
同一視すべき根拠はあると思いますが、おそらく写真の大部分、九九%までは芸術写真ではない普通の記録写真、シャッターさえ押せば子供にでも写せるような普通の写真だと
考えます。それから何よりも写真の場合、先ほどちょっと申し上げましたように、写真の
複製物には無記名のものがほとんどであります。特に一々だれが
著作者であるかということを書いたものは、きわめてまれであると
考えます。と、古いものでは
著作権者をさがす、調査するということが非常に困難で、全く不可能であるという場合も多いことかと思います。そういうものは、一々
著作権者の
許諾を受けなければ使用できないというのでは、文化の上からもちょっと
考える点があるんじゃないかというふうに私は
考えます。しかし、必ずしも発行後五十年に延長することに
反対ではございません。もしそうするときには、たとえば二十五年とか三十年とか一定の年限を経過した後の保護期間については、何かの制約を設けて使用を容易にする、こういう方法を
考える必要があるんじゃないかというふうに
考えます。一部の写真家は、発行後五十年でもなお不満で、死後五十年に延長せよということを要求しておられるようでございますが、死後五十年というのは、私の
考えでは明らかに行き過ぎではないかと
考えざるを得ないわけでございます。ただ、この場合でも、一定の制約を付して使用を容易にするということが考慮されれば、必ずしも
反対はいたしませんが、大体私は、発行後五十年でも長過ぎるというふうに
考えるものでございます。
最後に、まとめ的なことを一言申し上げて、私の
意見を終わりたいと思います。
著作権法の全面
改正ということは、古く昭和六年にすでに当時の
著作権の主管庁であった内務省において
考えられたことがございます。私は、昭和十年から十四年まで内務省におりましたが、その間にそういうことを言い出した課長さんもございましたが、結局今日に持ち越されたわけでございます。制定後七十一年目でございますか、ようやくその
機会に際会した。これがもし実現されれば、
著作権法史上の最大の業績ということになるわけでございます。この
法案に対しまして先ほどから種々修正
意見が申し述べられましたが、私も若干の点、たとえば音楽、
映画、録音、
美術といったような点について、
意見がないでもございません。
法案に対して必ずしも全面的に満足しておるということもございませんが、まあいろいろの
事情を
考えますと、この
法案は七年余の日子を費やして得られたものでもありますし、これ以上のことを現在望むことは無理ではないかという気がいたします。私は一民間人でございまして、別に何とぞすみやかな御
審議をというふうなことを申し上げる
立場ではもちろんございませんが、内心ではそのような希望を抱いております。この法一律が制定された明治三十二年は、一八九九年でございます。十九世紀、したがって、今日からいえば、この
著作権法は前世紀の遺物ということにもなるかと思います。戦後、大部分の国が全面
改正を施しております。
日本はいわゆる大国として、前世紀の遺物をかかえているということが、大国としての面目上おもしろくない、好ましくないものであることは、先ほど申し上げました翻訳権十年留保の比ではないというふうに私は
考えます。
はなはだざっぱくな
意見を申し上げましたが、私の陳述をこれで終わります。(拍手)