○
鈴木参考人 雑誌
協会の
著作権委員長をやっております
鈴木でございます。
初めに結論から申し上げますと、今度の
著作権法の新
法案をぜひ今度の
国会で成立していただきたいものであると思っております。いつまでも宙ぶらりんであるのは、たいへんよろしくないと思っております。もう
一つ、これはわれわれの年来の主張でございまして、非常に成立を
お願いしたいのですが、その中で特にしぼりますと、二つのことを御
審議を
お願いしたい。
一つは、写真の
著作権、いま
渡辺さんがおっしゃった写真の
著作権の問題、第五十五条にございます。これは結論から申しますと、公表後五十年になっておりますけれ
ども、いろいろ後に述べるような理由から、過
保護ではないか。これも結論だけを先に申し上げますと、われわれは、芸術的な写真につきましては死後二十五年、それから主として時事を報道する写真、いわゆるニュース写真的なものに関しましては公表後二十五年が妥当ではないかと考えております。これが
一つ。
それからもう
一つは、新
法案の第三十九条にあります新聞雑誌からのほとんどあらゆる記事といっていいと思いますが、それを無断で他の新聞または雑誌に転載することができるというかなり乱暴な規定がございまして、これを御修正いただきたい。これが結論の部分でございますが、その理由を申し上げます。
写真が、現行法では公表後十三年となっています。これに対して、新
法案では一挙に五十年に延長した。御存じのように、一般
著作物の
保護期間は、つい数年前まで死後三十年だったのです。これに対して、写真は公表後十年という非常に短い期間であります。その後一般
著作物の
保護期間が四回にわたって暫定延長がありまして、三十年から三十三年、それから三十五年、それから三十七年、またもう一年、ちびちびと延長がありまして、三十八年になって現在に及んだ。新
法案では、死後五十年説をとっております。その間写真のほうは、一般
著作物の第一回、第二回の延長の際にも、十年のまま据え置かれました。第三回目に至って初めて二年、さらに四回目に一年延長があって、現行法の十三年に落ちつきました。その間のいきさつが、そのまま写真が他の一般
著作物とは若干違った体質を持ったものであることを示しているのではないかというふうにも考えます。新
法案では、一般
著作物が現行三十八年から五十年と約一・三倍の延長案であるのに対して、写真は一挙に約四倍の延長になっております。これはどうも過
保護ではなかろうかということ。現在
わが国が加盟している二
大国際
著作権条約、ベルヌと万国
著作権条約ですが、われわれはその中のベルヌのうちのローマ規定に入っておりますが、ここでも一般
著作権に対して写真のそれを区別することが公認されております。これは
ベルヌ条約のローマ規定をごらんになればわかります。
わが国がおそらくはまた加盟しようとしているのだろうと思うのですが、ブラッセル規定というものがありまして、これについては、一般
著作権は死後五十年を
強制されておりますが、写真の
保護期間はその国が自由に決定するということを認めておる。一番新しいストックホルム規定、これは調印ばかりしまして批准がさっぱりされていない、あまり各国の支持がありませんのでまだ宙ぶらりんになっているわけですが、一般
著作権の場合は死後五十年であるが、写真は製作後二十五年を下回ってはならないというふうな規定がしてあります。それからまたユネスコの万国
著作権条約、ここでも一般二十五年以上に対し、写真は十年以上というふうな
保護期間の設定に、いずれも明確な差異をつけているわけであります。これが正しいかどうかは別としまして、少なくとも
保護期間にそういうふうな差異をつけることを認めているという
一つの事実があります。これはやはり写真
著作権が、写真自体が持っている
一つの特質のために区別されているのではないか、そういうふうに考えるわけです。
写真の持つ特性につきましては、ここにおられる、先ほどお話しになりました
渡辺さんを会長とするJPS——
日本写真家協会のメンバーのようなプロ作家の作品のような非常に芸術性の豊かなものも数多くありまして、これが公表後、ついこの間までわずか十年であった。これはわれわれもまことにお気の毒にたえない、何で虐待するのだろう、そういうふうに思っておりましたが、一般的に言いますと、機械的な、あるいは化学的な操作でつくられ、偶然性を持ち、一般の
著作物、たとえば文学とか美術とか、そういったものよりも創作性の度合いが苦干乏しいのではないかということは、これは、
著作権法の生みの親は水野錬
太郎博士であることは御存じのとおりですが、水野錬
太郎博士が「
著作権法要義」というあの名著作の中ですでに指摘されていることであります。そこにおいでになる本案の起草に努力された安達
文化庁次長が、やはり写真家
協会の会合で私と似たようなことを申しておる記録を私は持っておりますけれ
ども、それはいいとしまして、そのことは歴代の当局者並びに
著作権学者によって同じように主張されてきた。やはりいってみますと定説でありまして、その機械への依存度が、現在のカメラそのもの及び感光材料、フィルム、そういうものの進歩の結果、いまではさらに強まっているというふうに考えます。最近の写真のメカニムズの発達は、これは異論もあるでしょうけれ
ども、「だれでも押せば写る」式のEEカメラとか、「私でも写せます」というふうなことをテレビでも年じゅう言っておるように、シャッターチャンスの偶然性が作品の価値を決定することも多くなっていることは周知の事実であって、すべての写真、何もかもひっくるめてどんな写真でも他の一般芸術と同じであるということに、根本的な無理があるのではないかと思うわけであります。
それから写真が従来、他の
著作物よりも短い
保護期間で十分とされたことは、写真の中のあるもの、たとえば非常にニュース的なものとかいうことをさしているわけですが、新聞、雑誌のニュース記事同様——これは御存じのようにフリーになっております。新聞、雑誌のニュース的なものは、
著作権の対象にならない。全然頭から認められない。ということは、この記事そのものに
公共性があり、社会性がある。なるべく短期間内にこういうものは、パブリック・ドメーン、国民のものにする、そういう国民の共有にすることが妥当であるという
性格を持つとされたためであろうと思うのです。この点については後にあらためて触れることにいたしますが、この新聞、雑誌のニュース記事も、利用価値から
著作権が発生するという
考え方であるとすれば、これについてももちろん利用価値はあるわけでございまして、ニュースに利用価値がなかったら、これは話にならぬ。私は現在新聞社につとめておりますからなおさらでございますが、そういうふうなニュースがフリーであると同じような
意味で、
公共性、社会性、そういったものが裏づけにあるのじゃないかと考えます。
次に、これはそろばん勘定になりますが、
日本の場合、
外国人の
著作権を遇する場合には内国民待遇という便利なものがありまして、これは
外国のカメラマンにとっては気の毒なんですが、
外国の写真を使う場合には
日本の
著作者法によって律せられる。現行法は十三年ですから、十三年たったものは
日本国内ではフリーになります。いろんな偉い人の写真も、これはフリーになるわけです。かりに
わが国が写真
著作権を五十年に延長すれば、当然、写真
著作権五十年
保護を規定している幾つかの国の
外国に対しても、同じような
保護を認めなければなりません。従来よりもさらに三十七年間の長い期間、
外国写真の使用について銭を払わなければいかぬということになるわけです。なお、
外国ではいろいろ写真の
保護期間が非常に短い国が一ぱいありますけれ
ども、これは後に時間があったら述べることにいたします。これはいま言ったことはそろばん勘定でありまして、
大国意識とかなんとかいうことを振り回せば別になりますが、国益という点から考えますと、先ほど
美作参考人がお話し申し上げた
翻訳権十年
留保を撤廃した場合に受けると同じようなマイナスが出てくるわけであります。
日本がやっぱりそれだけ損をするということになります。と同時に、御
承知のように、戦後の
出版物というものは、読む雑誌から見る雑誌へとかいうようなことが盛んにいわれまして、いわゆる視覚的な編集、ビジュアルな編集をやるようになったのが大きな潮流になっていまして、写真を使用する頻度が年々ふえております。特に
外国の写真の使用というものは、これはだいぶ裸の写真なんかが多いのですけれ
ども、これなんかも非常に増加している。従来フリーであったものまで今度は長期間にわたって対外の支払いを行なうということになりますと、これは当然雑誌の製作費にも
影響しまして、コストが高くなる。そうすると、必然的に
定価にはね返る。
定価にはね返るのは、大衆の利益を阻害するに至る。どうもこういう理屈はあまり言いたくないのですが、そういうふうなこともあり得るわけであります。
それから大事なことは、写真がすこぶる多様性を持っているという点が
一つあると思うのです。写真のメカニカルな発達により、現代写真は、
一つは芸術性の方向、
一つは報道的な面、あるいは非創作的な単なるコピー、記録の面へも進んでいるように思われます。明らかに芸術的な写真とか学術的な写真が
著作権の
保護対象であることは、全然異論はありません。しかし、ほかの単なる記録とか報道というものは、若干別途に考える必要があるのじゃないかと思います。現行法で、新聞・雑誌の時事を報道する記事は、いわゆるストレートニュースといっていますけれ
ども、その社会性、
公共性の点から
著作権の対象とせず、フリーとすることは、先ほど申し上げたとおりであります。このことは新
法案にありましても同様で、事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、
著作物の範囲に属さない。よけいなことですが、この雑報とか時事という
ことばは非常に古い
ことばでありまして、現行法でいまだに雑報——これは
明治時代の新聞用語でございます。新聞紙またはいまのようなニュースは、フリーの
著作物の範囲にも属さない。これは全然市民権を与えられていないわけです。このほかに、新聞または雑誌に掲載して発行された政治上、経済上または社会上の時事問題に関する論説(ただし学術的な性質を有するものを除く)というものでさえ、他の新聞または雑誌に転載、
放送または有線
放送することができるというふうになっているわけです。これは先ほどの私のほうの主張の第二段階のものです。このように雑報、時事の報道、時事についての論説と同様な
性格と内容を持つ写真までが、
一つは書かれた文字であって、
一つはカメラで撮影されたものであるという差異だけのために、
一つは
著作権の
保護対象の外にある、市民権を与えられない、ほかは厚い
保護を受けるということに、疑問を感じないわけにいかないのです。
いままで申し上げましたように、写真の多様性を区別しないで、何もかも十ぱ一からげに
保護しようとすることに対しては、おそらく写真家の方も矛盾を感じているのじゃないかと考えます。かといって、私
どもは、写真
著作権を、いまの芸術性その他明確でないもの、単なる報道的なものを全部ただにする、フリーにしてしまえ、ゼロにしてしまえということは、暴論であろうと思います。少なくとも現在までは十三年の
保護を受けているという
一つの既得権的な事実がありますので、これはやはり認めるにやぶさかではありません。何がしかの
保護を与えねばならないと思っております。これは専門家がそこにおられますので、後にお尋ね願えればわかると思いますが、
外国でも、その区別をしている国は、イタリア、オーストリア、スウェーデンとかたくさんございまして、イタリアなんかは、
原則として製作後二十年、ただし芸術的写真は登録後四十年とするという特例で
保護しているというようなことがありまして、こういう国が、デンマークその他ドイツとか、まだここに一ぱい書いてありますけれ
ども、勘定しますと十六カ国もあります。こういうものは、写真の実態をかなり正しく把握した立法じゃないかと思います。われわれは従来の
著作権法の立法の精神に立脚して、写真の過
保護を妥当なものに修正していただきたい。と同時に、写真そのものの多様性を認識していただいて、明らかに芸術的なもの、当然
保護すべきもの、
保護はするけれ
どもストレートニュース、さっきの新聞記事その他に準ずるもの、全く
保護を必要としないものというふうに区別して立法をしていただくよう、御
審議いただくように主張したい、提案したいと思います。
われわれは、雑誌
協会、書籍
協会もそうですが、写真家
協会とは実は持ちつ持たれつの間にありまして、写真家の方とは一緒に仕事をしている。ですから、これはもちろん和気あいあいたる関係を保っているつもりでおりますが、こういうものに関しては、やはり言うことは言わなければならないのではないかということが、私
どもの主張の根本にもなっております。われわれの現場の問題でありますが、写真に
著作権の表示をつけていただきたい。現在でも、少し古い写真になりますと、だれがとったのかわからなくなることが非常に多い。
保護期間が一挙に延長された場合、またこれが非常に混乱を呼ぶわけです。雑誌というものは締め切りに追われていますので、編集製作時間が非常に短いものですから、その間に、何かこの写真が使いたい、非常にいい写真ではないか、絶対に報道としても使いたい写真だが、だれが
著作権者だかわからぬというために、利用を断念する、これはお互いに、
権利者のためにもマイナスだろうと思うのです。
発表したものは、ぜひ
著作権の表示を必ず写真につけるという必要があるのではないかと思います。これは御参考までに申し上げますと、イタリア法の場合、写真の中にそういう表示がないものは、撮影者が複製者の悪意を立証しない限り——複製者というのはおおむね
出版社か新聞社であろうと思いますが、この複製は不法とみなさない、かつ、報酬の支払いを要しないという規定をしております。これなどは、非常にいい参考になる条文じゃないかと思っております。
それからもう
一つつけ加えたいのは、これは先ほどの写真の特異性にあるわけですけれ
ども、最近は、写真のメカニズムの発達、それからフィルムが非常に安くなった。そういうことで、同じ被写体、対象を何十枚も一ぺんにとってしまう。そのうち一枚か、多くも数枚だけを使うということが非常に多いのです。一連の同じような数十枚の写真が、かりに公表の時期によって、それぞれ
保護期間が違ってくる。しかも短いものでも延々五十年間であっては、写真を使う場合非常に混乱が起こる。たとえばケネディの暗殺のときに、十六ミリの写真をとった男がおりまして、これを「タイム」、「ライフ」でものすごい高いばく大な金で買った。それがまた
外国へいろいろ売られた。
日本の
出版社でもずいぶん買ったところがあります。あの場合は、ああいうものと同じものが何十枚もある。その中からちょきんちょきんと三枚ずつ切って、それを渡す。それでこれを買ったほうは独占したと思う。それで高い金を払った。ところがほかの雑誌にも出た。たとえばジャクリーヌ夫人がそばにおりますけれ
ども、御夫人の手の指がちょっと違っているだけだ。
あとは全部同じだ。そういうことがあり得るわけです。こういうものはほかの芸術品にはありませんわけで、たとえば
丹羽さんの「親鸞」という作品は、
丹羽さんの「親鸞」ただ
一つしかない。かりに
丹羽さんが「親鸞」とそっくり同じような、写真でいえば絵柄のものをおつくりになって
発表されて、これは全然別個の
著作権が成立するんだと主張されたら、おそらく
丹羽さんはそんなことをされるはずはありませんけれ
ども、文壇からも言論界からも袋だたきにされるにきまっております。そういったようなものは、
一つしかできないけれ
ども、写真の場合は同時に同じようなものが幾つもつくれるというふうな特質もありまして、それに対して
一つ一つわれわれは認めなければいけない。御存じのように、例のアイモ改造というカメラでとりますと、一ぺんに何十枚もとれます。同時にそういった報道的なものというのは、それは先ほど
渡辺写真協
会会長もおっしゃっていたように、職務著作ないしは法人著作が非常に多いわけです。新聞社のカメラマンがとった、雑誌社のカメラマンが商売でとったというものが非常に多いのです。そういうものは、少しでも早くこういうふうになったほうがよろしいんではないかというふうに思っております。
次に、時間がなくなりましたので急ぎますが、第三十九条にありますのは、先ほどちょっと申し上げましたが、無断転載ができるわけです。これは不当に拡大解釈される危険性が非常にありまして、実は現実に幾つもそういう例がすでに起こりました。それをそのつど食いとめをしておるのですが、ときにこの
法案を振り回されますと非常に困る場合があるのです。これは現行法もそうなんですが、現行法よりも、
改正法案の三十九条はさらに拡大解釈される危険性を持っておる。現行法は政治上云々しかないのですが、今度は新聞、雑誌に掲載された政治上、経済上、社会上の時事問題に関する論説となりますと、これはほとんどのものが含まれてしまう。しかもこの条文でいいますと、全文ですらとり得る。署名原稿でもとれる。現実にそういうことを商売にしている不徳の者がおるわけでありますが、こういうものは、やはり少なくとも署名原稿までかってにかっぱらわれたんじゃかなわぬじゃないか。
著作権保護もへちまもないじゃないか。特にこれには転載を禁ずる旨の明記なきときは、というクローズがついておりますけれ
ども、現行法で、現在の
著作権思想において、そういう何かしるしをつけておかなければかっぱらわれてもしようがないんだよというのは、
時代錯誤もはなはだしいのではないかというふうに思うのです。ところが、事情を承りますと、最初新聞
協会がこの条文を支持したという事情があったわけです。ところが、新聞
協会では、もちろん報道はなるべく幅広く報道したいという観点からばかり考えまして、拡大解釈されて起こる不当に利用されるところを考えなかった。それで私が実は雑誌
協会を代表してまいりまして、新聞
協会と話し合いまして、こういうこともあるんだといったらびっくりしまして——きょう実は新聞
協会の方がお見えになると思っていたのですが見えないのですが、この問題を一緒にやろうということになりまして、これはいかぬということでわれわれのほうに新聞
協会は同調してくれました。ですから、このかつての理由であったということになっております新聞
協会がこの条文を支持したということは、現在においてはございません。これはほんとうを言いますと、私から申し上げるのじゃなくて——実は私新聞
協会のほうも、若干新聞社にも私は関係があって、二またと同じなんですが、聞いていただけばわかると思います。あれはしかし
協会のほうからもたしか要請書みたいな形で出ているんじゃないかと思っております。ですから、これに対しましては、新
法案も他の新聞紙もしくは雑誌に転載使用を認めていますが、これを公正な慣行に合致する形式で、つまりほかの署名原稿の引用は困るとか、いろいろな
著作権の制限があるわけですから、自由利用、フェアユースというものがあるわけですから、それと同じような形で通用するような、社会通念においても通用するようなりっぱな転載のしかたであり、同時に署名原稿までやるのは、これは非常な
著作権無視に通ずるわけでありますから、そういうものを織り込んだ条文にぜひ御修正を願いたいと思います。
たいへんかってなことを申し上げましたけれ
ども、その二項に尽きますので、ひとつよろしく御
審議の上、ぜひ今度の
国会では、ずいぶん長くもう宙ぶらりんのままでおりますから、
著作権法を成立させていただきたい、かように考えます。どうもありがとうこざいました。(拍手)