○坂田国務
大臣 この
通知を出しました
一つの大きい
理由は、控訴したということです。それに対しまして各地の
地方教育委員会からいろいろ聞いてくるわけでございます。それからまた、一般の
国民の間にもいろいろの
考え方があるようでございます。あるいは全く違った
解釈をしておる、こういうことでございまして、なぜ
文部省としては控訴をしたのかその
理由を説き明かす必要がある、こう
考えて
通知を出したわけでございます。
控訴いたしました
一つの大きい点は、私
どもとしては、下級
裁判でございましょうとも承服できますならばこれを尊重し、承服したいのでございます。しかし、これを承服できない部面がある、こう思ったのでございまして、それならば、なぜ承服できないのかということを述べることは当然だと思うのでございます。また、われわれにも、新
憲法下におきましてあるいは
三権分立の制度のもとにおきまして、一審で承服できない場合は控訴をするということはできる仕組みになっております。でございますから、最終結論、つまり
最高裁の決定が出ませばもちろんそれに服さなければなりません。当然そうだと思います。
控訴の
一つの大きい
理由でございますが、学問の自由すなわち研究の自由、そして研究の発表の自由、こういう
憲法の保障しておる事柄と
教育の自由というものが同質である、こういうようにうかがわれる
判決である。これは、私から言うとどうしても承服はできない。御承知のような
最高裁
判決も出ておるわけでございまして、なるほど大学におきましては、相手がある程度の判断、
批判力を持った学生でございますので、大学内におきまして研究の自由、研究の発表、あるいは
教育をする教授の場合におきまして大幅な行為の自由というものが許されるということは事実でございます。しかし、学問の自由という
憲法で保障しておるそのままの原理が、あるいは同質のものが、
教育の自由という名のもとに許されておるというふうには
解釈はできない。いわんや高等
学校以下の小中校のまだ未成熟な、
批判力のない段階において、
教育の自由ということが
憲法に保障されておる研究の自由と同質のものとしてとらえられておるということは私は間違いである、こう思うのでございます。したがいまして、その結果はどうなるかというと、結局この
判決によって小
学校でも中
学校でも
教育の自由がある。したがって
先生方は何をやってもよろしい、どういう
教育をやってもよろしい、こういうことにつながっていくと私は思います。
また、一方においてこの
判決は、
内的事項に対して、つまり執筆者の
思想の自由に抵触するというような場合、それは国としてチェックすることはよろしくない、その
意味においては、もしそこまで踏み込んでくるとするならば、検定制度そのものも実は違憲である、こういうような
考え方のようでございます。こうなりますと、
教育基本法も
憲法から出ております。そして
教育基本法の第一条、目的あるいは方針とかいろいろございます。また、その中には一党一派に偏する
教育はしてならないということもございます。しかし、この
判決の論理を進めていけば、そして学問の自由というものと
教育の自由というものが同断であるという論旨からいくならば、一党一派に偏する
教育内容を持った
教科書が出ましても、それは検定制度としてチェックできないのだ。したがってこれはまかり通ることができる、あるいはそれに基づいて
教育ができる。いな、あらゆる
教科書があっても、それ以外にどんな
教育でもやってよろしい。たとえば福岡の伝習館高校において行なわれましたような、もうほかの
教科書を一切使わぬ、あるいは毛沢東
思想というもの、おそらく毛沢東語録を
中心としてでございましょう、それに基づいて
教育をやるという場合に、これはよろしいんだ、こういうような形に誤解をされている、こう思うのでございます。私は、やはりそこまでいくべきものではないと思うのでございます。したがいまして、確かに、いま
局長が申しましたように、世間では
国家に
教育権があり、あるいは
国民に
教育権がありというようなことで
断定してしまう。いろいろな議論が行なわれております。しかしながら、もちろんこの
判決には「いわゆる
教育権」なるものが、こういう「いわゆる」という
ことばを確かに使ってございます。でございますが、それは親の子供に
教育を受けさせる
権利でありますし、また同時に、それに対しまして国は
責務がある、その
責務の保障の
内容が、いま
局長から申しましたように、
議会制民主主義におきましては
憲法あるいは
教育基本法、あるいは
学校教育法、あるいはそれに基づきました検定制度、基準、そういうような一連の法規に基づいて
教育がなされなければならない、こういうことであろうかと思うのでございまして、国はその
責務がある。それが
国民から負託をされておる。少なくとも近代社会においては、そういう形において
教育を受ける
権利が
国民にある、こういうふうに
解釈しなければならないんじゃないかというふうに思うのでございまして、その点はやはり明らかにして
混乱を防ぐということは、
文部省としては当然なことではなかろうか。この
判決におきましては、何だかそこが、
教育内容までも触れてくればこれは違憲である、誤字誤植までは検定制度はいいけれ
ども、そこまで踏み込んでくれば、もはや検定制度は
憲法違反なんだ、こうなりますと、一方の人たちから言うならば、実質上は検定制度はもうなくなったんだ、この
判決はそういう
判決なんだ、そういうような誤解を生んで、現場におきまして
混乱を起こすということが
考えられるわけでございまして、そうじゃないんだ、われわれの
解釈はこうなんです、それは控訴をして決定をしていただくんだけれ
ども、その間はとにかく現制度というものをやはり維持していかなければならない、こういうことを
通知によっておわかりいただくようにする、またそういう
責務がわれわれにはある、こういうことで
通知を出した次第であります。