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1970-04-17 第63回国会 衆議院 文教委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年四月十七日(金曜日)     午前十時十一分開議  出席委員    委員長 八木 徹雄君    理事 久野 忠治君 理事 久保田円次君    理事 河野 洋平君 理事 櫻内 義雄君    理事 谷川 和穗君 理事 小林 信一君    理事 正木 良明君 理事 伊藤卯四郎君       有田 喜一君    小沢 一郎君       塩崎  潤君    床次 徳二君       野中 英二君    堀田 政孝君       松永  光君    森  喜朗君       吉田  実君    渡部 恒三君       川村 継義君    辻原 弘市君       新井 彬之君    有島 重武君       麻生 良方君    山原健二郎君  出席政府委員         文部省管理局長 岩間英太郎君  委員外出席者         参  考  人         (日本私立大学         連盟会長)  時子山常三郎君         参  考  人         (日本歯科大学         学長)     中原  実君         参  考  人         (朝日新聞社論         説委員)    永井 道雄君         参  考  人         (日本私立大学         協会会長)   稗方 弘毅君         文教委員会調査         室長      田中  彰君     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本私学振興財団法案内閣提出第五九号)      ————◇—————
  2. 八木徹雄

    八木委員長 これより会議を開きます。  日本私学振興財団法案を議題とし、審査を進めます。  本日、御出席をいただきました参考人方々は、日本私立大学連盟会長時子常三郎君、日本歯科大学学長中原実君、朝日新聞社論説委員永井道雄君、日本私立大学協会会長稗方弘毅君、以上四名の方々であります。  この際、参考人各位にごあいさつを申し上げます。  参考人各位におかれましては、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。本委員会におきましては、目下日本私学振興財団法案について審査を進めておりますが、本案について参考人各位より御意見をお聞きいたしまして、その審査参考にいたしたいと存じますので、自由濶達な御意見をお述べ下さいますようお願いいたします。  なお、御意見を承る順序といたしましては、まず時子山参考人、次に稗方参考人、次に中原参考人、次に永井参考人の順に、お一人約二十分程度で一通り御意見をお述べ願いまして、その後、委員質疑があれば、これにお答えいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を受けてから行なうことになっております。また、参考人からは委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、この点あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  それでは、まず時子山参考人よりお願いいたします。
  3. 時子山常三郎

    時子山参考人 時子山でございます。私学振興財団法につきまして連日御審議をいただきまして、まことにありがとうございます。私学の中にも、個人的ないろいろ御意見があるようでございますが、私は、全私学連合代表といたしまして、私学連合機関決定に従いまして、以下申し上げさしていただきたいと思います。  昭和三十七年ごろから、私学団体人件費を含む国庫補助要望してまいりました。それは全私学連合機関決定に基づく要望であるということを申し上げたいと思います。昨年の十二月十日に、私学法制定二十周年を記念するにあたりまして、人件費国庫補助期成大会というものを開きました。この大会には、日本私立大学連盟日本私立大学協会私立大学懇話会日本私立短期大学協会日本私立中等高等学校連合会日本私立小学校連合会日本私立幼稚園連合会、いわゆる私学団体代表が約七百名出席いたしまして、国または地方自治体による人件費二分の一補助要望を出すことを大会決議としたのでございます。この場合に、この提案大会でなされましたのは、本日お見えになっております私立大学協会会長稗方先生でございます。これに対しまして、いま申し上げました七団体代表賛成演説をいたしまして、いま申し上げました内容大会決議が行なわれたのであります。その後、ことしの一月二十日になりまして、全私学連合代表者会議と全私学連合私学予算対策委員会合同会議をいたしまして、同様な決議をいたしたのであります。その後、三月に入りまして、何回か全私学連合代表者会議あるいは私立大学振興政策委員会におきまして、要望実現について協議いたしてまいりました。そこで、与党あるいは政府先生方の御尽力によりまして私学振興財団法案というものをつくっていただきまして、これにつきましていろいろ私学側審議したのでございます。  第二番目といたしまして、この私学振興財団法に対する私学論議を簡単に申し上げたいと思います。私学振興財団法案につきまして私学団体で取り上げました、主として問題とされましたのは、役員の問題と運営審議会の問題であったわけでございます。この「財団に、役員として、理事長一人、理事四人以内及び監事二人以内を置く。」こう第一項にございまして、第二項に、「前項の理事のほか、非常勤理事四人以内を置くことができる。」とあって、「置く」となっていないのでございますが、「できる」ということであれば、場合によっては置かないこともできるのではないか。非常勤理事のほうに私学代表者が入るようなことになりはしないだろうか。それから役員任命につきまして「理事長及び監事は、文部大臣任命する。」とありまして、他の「理事は、理事長文部大臣の認可を受けて任命する。」同じ理事であって任命のしかたが違っておるということでありますが、こういう役員構成でありますれば、理事長が非常に大きな権限を持つことになるだろう。私学の意思が十分そこに反映できるだろうかという疑問が出されたのであります。もちろんこういう理事長に大きな権限が与えられますというと、人を得れば効率的に運用できるという長所がある。そうでなかった場合にどうなるだろうか、弊害が出ないだろうかという論議がなされたのでありますが、これは私学振興会の場合には、役員は、文部大臣がこれを任命し、また、会長理事長理事監事評議員につきましては、私学側が推薦するという慣例があったのでありますが、私学振興財団におきましては、会長制度もございませんで、理事長に大きな権限があるようにできておる。この点につきましていろいろ議論がありまして、問題じゃないかということであります。  次に、運営審議会でございますが、この運営審議会は、理事長の諮問に応じたり、理事長意見を述べることができるという程度にとどまっておるのは、私学意見が十分反映されがたいのではないかということが問題になったわけであります。教育またはその振興方策について広い識見を有する者のうちから、理事長文部大臣の承認を受けて任命するということになっておるけれども、これも運用によっては十分私学側意見が反映できないじゃないかという問題点を指摘されたのでありますが、しかしながら、これは運用よろしきを得れば、あるいはこの法律趣旨を踏みはずすことがなければ、弊害も除去され得るのではないかというような話もだんだんと出てまいったのであります。  第三の問題といたしましては、私立学校法一部改正について、またいろいろ意見が出てまいりました。ことに第十三条十項の二と三について議論が戦わされたのであります。その第二で、「当該学校法人の設置する当該補助金に係る私立学校学科若しくは大学院研究科増設又は収容定員増加に係る計画が、法令規定又はその実施に関し所轄庁が定めた規程に違反することとなると認める場合において、当該計画変更又は中止を勧告すること。」、これは問題となった第一点であります。次に第三号に「当該学校法人の設置する当該補助金に係る私立学校が設備、授業その他の事項につき法令又は所轄庁規程に違反した場合において、その変更を命ずること。」、こういうことはどうだろう。もちろん、これにつきましては私立大学審議会等意見を聞くことになっております。また、法令または規程に違反する場合であるから当然ではないかという意見がありましたし、また私学の中にも、すでに世間で問題になっておる学校もなくはありませんので、これで私学もむしろ姿勢を示すべきではないか、そういう意味でこれは入っておるのではないかというような意見もございました。しかし、私立学校法第五十九条の第二項、第三項、第四項にすでに規定がありますので、新たにこれを加える必要があるかどうかということで、私立大学人件費を含む経常費助成拡大に名をかりて大学自治の干渉となるおそれがある、妥当でないという意見も、また強く打ち出されてまいりました。  こういう意見が出ましたけれども、以上、いろいろ私学側研究いたしましたが、結局問題は、私学振興財団法趣旨内容をいかに生かすかというのであるから、坂田文部大臣国会提案理由説明の中でこの事情を明言していただこう、そしてこの法案私学にとって支障にならないようにしていただこうというので、要望書文部大臣に提出いたしました。要望書はこういうことを申しております。「この法案は、日本私学振興財団法制定関連して、学校法人に対する助成措置の拡充に対応し、学校法人公共性をさらに高めるとともに、助成効果の一層の確保を図り、私立学校自主性を尊重しつつ、私立学校における教育研究充実向上を期するため、学校法人経理の適正を確保するための規定を整備するとともに、必要最小限度の枠内において所轄庁権限に関する規定を整備し、その運用に当っては私立大学審議会等関連機関に諮った上慎重に適用する方針である」旨を、文部大臣国会にこの法案を提出する趣旨及び内容の御説明の中で明言していただく。そうしていただいた上で、この法案本国会で通していただきたいという結論になったわけでございます。文部大臣国会にこの法案を提出されます際に、私学振興財団法趣旨及び内容の御説明をされておりますが、この全私学連合要望を全面的に表明してくだすっておりますので、この国会でこの法案を御審議、決定していただきたいのでありまして、それが全私学連合機関決定でございます。  なお、全私学連合事務局長会議でも、この三月九日にこの法律案が閣議決定され、国会に提出された以上、坂田文部大臣を信頼して、この国会をぜひ通していただきたい旨決議されたということを伺っております。あわせて申し添えさせていただきます。  なお、本日は稗方先生中原先生などの私学関係の方も御出席でございますが、私は全私学連合代表といたしまして、機関決定に沿うてこれだけ申し上げさせていただきます。あと御質問がございますれば、お受けしたいと思います。何とぞよろしくお願い申し上げます。(拍手)
  4. 八木徹雄

    八木委員長 ありがとうございました。次に、稗方参考人にお願いいたします。
  5. 稗方弘毅

    稗方参考人 私は、日本私立大学協会会長稗方でございます。ただいま時子山早稲田総長から詳細申し上げましたので、たいして違いはございませんが、ただ私のこの財団法に対する考え方を若干述べさせていただきたいと思います。  その前に、このたびの四十五年度の予算人件費を含む経常費助成が実現されたということは、まことに画期的なことでございまして、特にこれは文部大臣はじめ文部当局並びに大蔵当局、特に、私学に最も深い御理解とその充実発展について非常な熱意を寄せていただいております文教関係の議員の方々の非常な御尽力によるのでありまして、まずもって冒頭にこの点に対して深く感謝の意を表したいと思います。  次に、財団法案についてでございますが、この構想は、非常に進歩的と申しますか、第三者機関として官庁のほかにこういう機関を設けるということは、大体においてその趣旨に対しまして私は高く評価するものでございます。したがって、またこの振興財団に対しまして非常な期待をもって歓迎しておったのでございますけれども、しかし、その法案内容を検討してみますと、率直に申し上げますと、たいへん失望したというのが偽らざる私の感じでございます。  これは、現在の私学振興会を発展的に解消いたしまして、強力な私学振興推進機関にするというために創設されるものと存じましたが、事実は、どうもその予期に反しまして、大体出発の場合に政府出資が十億円、これは昨年度に比して五億円減であります。それから財政投融資も昨年度に比して八十億以上の減となっておりまして、これはむしろ発展解消でなくして、縮小整理というような感がいたすのでございまして、こんなことで財団が発足してはたして十分な機能が発揮できるかどうかということになりますと、はなはだわれわれの期待に反するわけでございます。私学振興会が約二十年前に発足した当時でも、出資金が十億円で発足したのであります。この十億円というのは、今日ではおそらく数百億の金に当たると思いますが、今後これは拡大強化していただくということを私どもは大いに期待しておりますが、しかし、とにもかくにも非常な大きな理想を持って出発するその振興財団が、かような貧弱な発足ではたして十分な機能が発揮されるかどうかという点に、非常な疑いを持つわけであります。  それからこの組織でございますが、これはどうして一体会長制をおとりにならぬのか。大体会長なり総裁という制度で発足すべきであったのではなかろうか。それで、この財団首脳部は、公正でほんとうに見識の高い人物を迎えるというのでなければ、これはほんとう財団としての機能を発揮することができないんじゃないか。これは個人的に申しますと、だれがいい、どういう人がいいというわけじゃないんですけれども、少なくともこの財団の任務のおもなる、重要な部分は、いろいろ配分とかいうようなこともございますけれども補助金配分のほかに、寄付の募集ということが重要なるその業務の一つになっておるのでございますが、こういう点から申しますと、どうしても財界の有力なる方とか、たとえば日銀総裁でもしたような人、あるいは大蔵大臣でもしたような人が、ほんとう財界から巨額の寄付私学に集め得るというぐらいの実力のある人が、この首脳部になるべきではなかったか。ところが、これは専務職になっておりまして、理事長というのは専任職だ。そういう場合に、はたして財界方面で非常に実力のある方が、その本務をなげうって、そして専任職員として理事長になるという人が、はたして期待ができるかどうか。また、私学関係者から、総裁とか会長とかいうものが出る余地があるか。何となれば、その学校をなげうって、それでその専任理事長になるなんということは、これは想像もできないのでございます。私どもは、私学経費負担は、これは三分の一経費負担ということを申しておりますが、その三分の一は国の助成、それから三分の一は私学が自力でつくる、授業料その他で財源を負担する、それからあとの三分の一は財界からの大幅な寄付を受けて、この三つの負担制度私学振興をはかりたいというのが、私どもが年来主張しておる三分の一負担制度でございますが、そういう点からいっても、この財団に大きな期待をかけておったのでございますが、どうも理事長専任職、それで何か官僚の天下り人事がこれに予想されているような、これはまあ少し想像でありますけれども、そういう感じがいたすのでございます。それで、これは何とかこの際会長制度——兼務の人でもよろしい、そうして会長制総裁制にしていただくということが、われわれ非常に望ましいことではなかろうか、こう思うのであります。  次に、この組織の、法案の「役員」の第九条に、この点はいま時子山さんが申し述べられましたので私は重複して申し上げる必要はないのでございますけれども、とにかく理事長一人、理事四人というものは、これは常勤だ。で、これはやはり天下り人事がこの中に構想されているのではなかろうかという推測が、当然出てくるわけであります。だから、やはり非常勤理事常勤理事も同じ地位に置いて、そしてこういう方面から私学関係者を入れるということが望ましい、こう考えるのであります。  それから第九条の規定のしかたが、非常勤は置いても置かぬでもいいというような表現になっておりますけれども、これはどうも適当ではないんじゃなかろうか。とにかく理事というものは八人なら八人置く、そのうち常勤が四人とかいうようなことで、理事地位というものを同様の立場に置くということが必要ではなかろうかというようなことを、われわれは論議しておるわけでございます。  それから運営審議会ですが、初めは二十人というようなことで、文部省から初めわれわれに協議された場合は二十人であったのが、十人に減っておるのであります。これはどうしてもやっぱり私学関係者が相当この運営審議会に出る余地を設けていただきたい。これはよけいな話でありますが、イギリスのグラント・コミッティの構成は、大体運営審議会に当たる委員が十八人で、そのうちの十三人が私学関係者、それから財界から三人、その他官吏等の人が構成しておりまして、これは聞くところによると、非常にお互いに信頼感を持っている、したがって、どうしてもやっぱり利害関係者の中からこれが出るということが、最も必要適切であると思うのであります。利害関係者が出ると、どうも利益代表手盛りをするようなきらいがあるから、これはあまり出ないほうがいいんだというような御意見も、文部省ではしばしば承っておるのでございますけれども、しかし、これは民事法にしてもあるいはいろんな行政法にいたしましても、利害関係者意見を聞くということは、これはもう共通原則でございます。利害関係者を排除するという理由は、私どもはどうも理解ができない。したがって、運営審議会というような重要な機関については、少なくとも十五人——まあ二十人が望ましいのでありますが、これはやはり私学実情に通じた人間をこれに入れていただくということが必要であると信じます。私学の者は手盛りをするんじゃないかなんというのは、これはどうも私学人ほんとう理解していただかぬので、高邁な識見のある私学人も必ずしもないとは限らぬのでございますから、ぜひこの運営審議会は、少なくとも十五人ぐらいに拡大して、そうして私学人がこれに入るようにしていただきたい。この場合に、われわれのほうでは全私学連合というのがございますので、やはり全私学連合意見を尊重してもらいたいということを希望いたします。財団は、その趣旨私立学校教育研究充実発展ということと、それから経営の安定に資するというようなことが書いてございますが、こういう各種補助金の交付とか資金の貸し付けとかいうような重大な問題につきましては、どうしてもやはり私学実情に通じた、そして利害関係者がこれに当然参加することが適当であって、あらゆる方面においても、民事法にしましても行政法上の問題にしても、利害関係者意見を聞くということは当然ではなかろうか。それで、ぜひひとつ全私学連合の推薦とか、あるいはその意見を尊重してもらいたいということを希望いたす次第でございます。  それから次には補助の問題でございますが、経理の公正に関する規制は、これは私学としては当然甘受しなければならぬ問題でございます。私立学校法の第五十九条を大幅に改正してあるのでありますが、私学法の五十九条では、相当詳細にわたってこの補助金適正化ということについては監督規定があるのであります。その上にこれを改正するのが必要であるかどうか。それからこの私立学校法の五十九条のうちの二項、三項、四項、五項、六項、七項、八項、九項等につきましては、いままであるのをただここに加えたのでありまして、別に変わるところがないからこれは問題がないと考えますが、大体、支持はするが統制はしないというのが、教育一つ世界共通理念じゃなかろうかと私は考えるものでございます。愛知外相文部大臣の時分は、金は出すが口出しはしないということをおっしゃっておったものでございまして、やはりこの理念、この原則というものは、大いに尊重すべきではなかろうか。経常費補助をするからといって、この五十九条にいろいろな規制に関する監督規定を強化されておるようでありますが、そこまでしなければならぬ必要があるのだろうか。やはりサポートはするがコントロールはしないという精神だけは、尊重していきたいものだと思うのでございます。立ち入り検査というようなことも、やむを得ないかもしれぬと思いますけれども立ち入り検査の場合に、補助金に限定して検査をするということが——われわれはこの規定の受け取り方に非常に複雑な感じを持っておるのでございますが、やはり補助金使途とかあるいはその運用に関してとか、それはいずれもすべての私学財政関連はございますけれども補助金使途その他について限定して、立ち入り検査をするというようなことは局限してもらいたいものだと思うのであります。  それから私学法の第五十九条の第十項の第一、第二というのは、これは全く別の問題をここに持ってきて、そして学科増設とか定員増加とかを取り締まるということでございます。これは近来大学乱設されるものでございますから、この乱設を防ぐという意味でこういう規定が設けられたのじゃなかろうかと推測しますけれども、しかし、これは乱設の歯どめにはならない。何となれば、新設の大学はこの補助を受けないのでございますから、これをどうも規制する方法はない。したがって、既設の大学のいわゆる活動をこれによって非常に制限するということになって、定員増加も一々変更命令やら中止命令を受けるとか、あるいは学科増設というふうなこと、大学院研究科増設高等学校学科増設のごときは、これは従来届け出事項でございまして、別に法律規制する必要はないということで、私学法でも規定されておるのにかかわらず、これをまた規制して——なるほど、審議会意見を聞いてやるからだいじょうぶだ、そうして文部大臣説明におきましても、最小限度規制だ、私学自主性を尊重して最小必要限度規制であるということをおっしゃっておるのですけれども、これは相当行き過ぎではないかということをわれわれは感得するわけです。現在の文部大臣なりあるいは局長なりが御在任であればそういうことはないと思いますけれども、もし今度人がかわってこの規定が適用されるということになると、これは相当激しい、きびしい規制を受けることになる。私学が自由に計画をし、自由な運営をするという場合の行動を非常に制限される。私学の自由な創意くふう、自主的活動がこれによって阻害されると思いますから、少なくともこの第二、第三は削除していただきたいものだ、こう考えるのでございます。  ただいま、何か私学意見が違うようにお考えかもしれませんが、全私連の会合においては、これを全部了承したというような決議はいたしておらぬのであります。こういう議論が出て、その結論は別に全私学でまとめたということはないのでございますので、こういう点についての私学意見というものは相当主張されて、ぜひこれはそういうふうに改正していただきたい。文部政務次官西岡先生を通じて、われわれの希望を各委員会その他に伝達していただいたのでありますが、それがどうも聞き届けられなかったというところが決着でございまして、別にわれわれがこの財団法を全部オーケーをしたという決議をした覚えはないのです。われわれの少なくとも私立大学協会は、これらの点については、ぜひともこの第二、第三はひとつ削除していただきたい。それから財団のいろいろな組織についても、われわれの希望をぜひ取り入れていただきたいということを決議もいたしました。そこで、ひとつこの際会長として、その意見大学協会の総意として述べてもらいたいという意見もございます。その点を申し上げておきたいと思うのであります。  その他いろいろ申し上げたいこともたくさんございますけれども、時間の関係がございますので、私の意見は以上でとどめておきたいと思います。どうもありがとうございました。どうぞよろしく。(拍手)
  6. 八木徹雄

    八木委員長 ありがとうございました。次に、中原参考人にお願いいたします。
  7. 中原実

    中原参考人 前のお二人が十分お話をいたしましたので、私がそれを繰り返してもしようがないので、私は幾らか違ったことを皆さんにお聞き願いたいと思います。昨日私は、大学協会の会長及び専務理事、ここにおります矢次さんと打ち合わせのためにお話をしましたが、皆さんはよく私学のことを御存じの方ばかりらしいのですが、肝心なことを知っていても、論議の場合にはどうもそれをはぐらかすというようなことが多いのじゃないか。日本の私学ほんとうの状態を実際に取り上げていただけない節が、いままで多々あるのであります。また私は、われわれの卒業生の唯一の議員である中村英男君にきのう、こういうわけで出席するのだが、どういうお話をしたらいいのかということを聞きましたら、委員方々、みな私学のことをよく知っている人たちなんだ、しかし思ったことは何でも話したほうがいいだろう、こういうことなんであります。  それで、私は金をくださるというのは、まことにありがたいのであります。われわれの仲間の中には、非常に迷惑だと思っておる者も事実あるのです。それは、いままで私学をこれだけ許したというのは、いろいろな事情で文部省もやむを得なかったのだが、はなはだずさんであった、そういう点に非常に大きな原因があるのじゃないかと思うのです。また、いままでもいろいろの補助金を国家からいただいておるのでありますが、その大半は大きな総合大学がちょうだいしておるわけです。少しでももらいたいような小さな学校には、なかなかうまく回らない。私学と一がいにあなた方おっしゃるけれども、連盟とか私立大学協会というのは、たいへん性質が違うのです。その代表者内容が違うのです。連盟というのは、御承知のとおり大きな大学でありまして、そのヘッドになられる方々は、ここにおられる時子山さんはじめ、悪いことばだけれども、みんな雇われマダムなんです。しかるに、われわれのような小さな学校の者は、身をもって学校を興した人間であるから、百八十ほど集まってはおりますが、たいへんことばは悪いが、一国一城のあるじばかり並んでおるのです。したがって、学問に対する考えも、国家に対する考えも、たいへんに違うのです。われわれの協会においては、私は副会長でありますけれども、前者の会長さん以下、何ら議論が分かれて騒いだことは一度もないのです。しかもこの私学のいろいろなプランというものは、われわれのほうの専務理事の矢次局長のプランが大体ほとんどなんです。それに対して連盟の方々は、いろいろ修正をされるという役をやっておられるのです。そういう状態であるにもかかわらず、国家といいますか、文部省としては、私学代表者といえば必ず慶応とか早稲田の人間を並べておる。これはわれわれ小さい学校の、一国一城のあるじの集まりから見ますと、非常におもしろくない。いつ自分のいすが飛んでしまうかわからないような人間がはっきりした意見などを示すことはできないじゃないかという考えを、しょっちゅう持っておるのであります。  また、今回のお話でありますが、何か私が古田氏のかわりに呼ばれたように言う方がありましたので、その話もちょっとつけ加えさしていただかないと、私としては非常に迷惑なんです。たいへん余談でありますが。私は、十数年前に文部省の私大審の委員をいたしておりました。そのときに、官学に対しての抵抗の線の一番先端の人は、小汀利得さんだった。それについて、古田とかまあ私というような者が驥尾に付しておったわけです。古田という人は非常に口べたな人で、自分の思うことを半分も言えない男です。まあ原稿がおもな男だからしかたがないけれども、そういう人であって、その時代にわれわれ知り合っただけですよ。その後ああいうふうな状態に古田氏がなった。私は人が栄転したときに必ず名刺を持っていくようなことはあまりやらない男でして、その反対の場合には必ず旧交をあたためるというような精神をもって行動しております。今回古田君がああいうふうになったということについて、いままで古田氏のもとにおった者がみな背中を向けた。そういう意味で、私は、古田氏がこういうことをやってくれないかというので、二つばかり役目を引き受けておるだけのことで、彼とは何らの義理合いはないです。今後においても、佐藤さんに対しても、私は何もおせじを使って利益を得ようなんという考えは持っておらない。一年に一、二度しか会わない。その際にちょこちょこと意見を申し上げるけれども、われわれの言うような声は、総理が覚えろといったって全然無理な話なんです。  そういうわけで、先ほど稗方会長も言われたように、前に愛知さんが文部大臣であったときに言われたとおり、補助はするけれども何ら文句は言わない、ひもはつけないということが、議事録に残っておるのです。それにもかかわらず、今回おあしをちょうだいするにあたっては、このようなやかましい、われわれが頭が痛くなるような条文がずっと書いてある。こんなことをしなければ私立の補助はできないのか。これは文部省のどうのということでなく、おそらく大蔵省の意向だと思うのでありますが、岩間さんがわれわれにお話しになったところによると、こういう条項を入れなければ許さない、それだからやむを得ずのんだのだとおっしゃった。しかし、これはどうも大蔵省の方も考えなければならぬと思うのです。いつまでも官立づらをして筆答試験の秀才で固まっている。日本の大体はそうですよ。しかも、その筆答試験の秀才がわれわれ凡人を率いて戦争に突入した結果は、日本を英語の属国にしたじゃないか。しかもその責任については、てんとして恥ずるところがない。文部省は、自分の直轄学校については何ら示しがつかない。私は去年の暮れに坂田さんのお呼び出しで意見を申し上げたときに、一番先、大学法だとか私学法だとかそんなことを伺うのではないのだ、一体文部省と直轄学校とはどういう関係にあるのか、官立に対して文部省はどういう地位にあるのかということを伺ったのです。そばにおられた文部省方々も、もちろん坂田さんも何らのお答えがなかった。私らの聞きたいのは、そこのところなんです。自分の直轄学校の示しもつかないのに、私立に少しばかりの金をくれるからといって、長々といろいろな条文をつくって、それをのまなければやらないよというような、そんなばかなことがあるかということなんです。ひもがつかないというなら、何にも書くことはないじゃないか、くれたらいいじゃないか。せんだっても、与党や野党のこの会の委員の方にお目にかかって、いろいろお話をいたしました。そのときも、岩間さんも何度も言っておられるように、上げるけれども決してひもがついているんじゃないとおっしゃる。なるほど、坂田さんや岩間さんがおられる間は、それはけっこうでしょう。次にどんな人が出てくるかわからない。その場合には、条文をもとにしてああだこうだ言うに違いない。そういう点をわれわれは非常に心配する。しかもこれだけ大きな財団をつくるとなれば、この費用はやっぱり国民が払った税金でやるに違いない。国民の金でやるに違いない。そういうよけいな金があるなら、それを私立のためにくれたらどうかということを私は言いたい。本日も、ここへ出てまいりますのに何がしのお礼を下さるそうですが、それは税金に関係ないんだろうが、私はそういうことを考えているのは、やはり筆答試験の秀才たちの頭で、さようしからばのことであって、私立の実情にちっとも通じないことだと思うのです。私立は、零細なところにも金の使途については考えなければならない。収支については、しょっちゅうそういうことに留意しなければならない。予算を組んで学問の理想をうたっておれば、いつかは国家から金が出るというようなわけにはいかないのです。皆さんは私立学校の状態を御存じかもしらぬけれども、この中には身をもって私学をおつくりになった方も、おそらくおられると思う。そういう方はよくわかっておられると思うのです。しかし、国民のわれわれは、法律がどうだとか公金がどうだとかということを聞かされてもぴんとこない。  せんだっても社会党の小林さん、それから民社党の麻生さんおいでになりまして、私が世話人をやっております文教研究会でお話を願ったのでありますが、そのおことばにはたびたび公的だとか公共的だとかいうおことばがあるのでありますが、これは私に言わせればおかしいと思うんだ。おそらく、日本に生まれた人間で、どんな個人も、公的な意味に何ら関係ない者は生きておられないと思う。そういう点で、官吏の方々も同じだと思う。ただ官吏の人たちは、個人個人の公的を持っておっても、それを国家の名という大きな綱でもってお互いにつながることができる。けれども、人民はそういうことはできない。みんな孤立しているんだ。そこで、公的公的をうたわれて、こういう公金をやるんだからこういう規則をつくらなければやらねえぞ、こういうことは、私らにはどうもぴんと来ない。私立をここで補助しなければならないということが皆さん十分おわかりならば、黙って下さったらいいじゃないか。アメリカには、六つも大学基準協会というのがあるそうです。日本にはたった一つだ。しかも、それはいわゆる官立の、国家を英語の属国にしてしまった方々の左右するところにすぎない。われわれ小さな学校の者は、黙って引っ込んでいるよりか方法はない。デモクラシーだの何だのと言っているけれども、これはみんなアメリカがつくったことで、あんな、大統領が暗殺されても何のことだかわからないようなデモクラシーを私は信じておらないです。私は学生にそう言っておる。デモクラシーは日本だって昔からあったんだ。何もアメリカに急に教わらなければならぬことじゃないです。今後といえども、この際日本はアメリカのおしきせのあらゆることをすっかりやめて、やり直す必要が私はあると思います。  あらゆる方法を申し上げても長くなりますから、それほどの頭脳を持っておりませんので、あとは皆さんにおまかせするほかしようがないのでありますが、金はくれるけれどもこういう条件でなければやらないということについては、私立のわれわれは何としても納得できない。一体官学は何をしておるのだ。影も形もない官学を認可しておるじゃないか。いろいろな言い分がございますけれども、それは前からのしきたりいろいろなことがあるから、一朝一夕に非難ばかりできないだろう。しかし、今後は少なくともわれわれの私学というものをもう一ぺん、日本を形成しておる大部分であるということを見直してもらいたい。  たいへん余談を申し上げて申しわけないのでありますが、あと何か御質問がおありになっても、私は前の方々のようにりっぱな、条文などを読んできておりませんですから、お答えはできないのでございますが、できるだけのお答えはいたせると思います。ありがとうございました。(拍手)
  8. 八木徹雄

    八木委員長 ありがとうございました。次に、永井参考人にお願いいたします。
  9. 永井道雄

    永井参考人 ただいま御紹介にあずかりました永井であります。私は、一カ月半前まで国立大学の教師をやっておりました。過去一カ月半民間の会社につとめておりますから、そういう意味では国立を代弁するわけでもなく、また民間の立場を代弁するのでもなく、わが国の教育がどういうふうになることが望ましいかということを考える人間の一人として、意見を申し上げさせていただきたいと考えます。  私が申し上げたい点は、三つでございます。  第一に、私学振興財団法案という方向に向かって国会活動されていることに対して、敬意を表したいと思います。これは申し上げるまでもないことでございますが、大正七年の大学令の公布の際に、はたしてわが国の高等教育をどういう姿にしていくかという問題についての議論が、当時の岡田良平文部大臣のもとで臨時教育会議が行なわれたわけであります。その時期はちょうど産業革命をわが国で終えた時期でありますから、したがいまして、当然理工系の大学を拡充する、そしてまた大学卒業生人口がふえるというときに当たりますので、相当政府として思い切った投資をしなければならないときであったかと思います。しかしながら、実をいいますと、多少の国公立大学の拡張がありましただけで、それから後、わが国の高等教育人口の大多数は私学に負担してもらう、しかし、それに対して政府は援助をしないというそういう姿が、いわば大正七年にでき上がったわけでございます。したがいまして、本年そのことが問題になっておりますのは、それから数えましてたぶんことしが五十一年目でございます。五十一年目のしりぬぐいということに相なるわけでありまして、あるいは五十一年目の懸案というものに初めてわが国で立ち向かうことになったわけでありまして、私はたいへん望ましいことと考えております。したがいまして、この問題について責任がありますのは、国会はもとより、文部省、それから教育関係者、いずれもが私学を非常に軽視してきたという結果生じた現在の大学教育の内部における私学の混乱でございますから、そしてそれは主として財政的な困難から、たとえば経営主義に流れるというような問題が生じてきたわけでございますから、私は、この方向でこれから私学を強化していく、特にその財政面について本年度はすでに人件費に対する補助を行なう、そういう方向が出て、さらに財団法という形が出てきたのは、望ましいと思っております。  さて、第二点でございますが、ところがこの法案を拝読いたしますと、幾らか注文をつけたくなる点がございます。特に注文をつけたくなります点は、これがわが国全体の大学教育の中でどういう意味合いを持っているのかということについて、必ずしも明確でないという点にございます。御承知のように、一月十二日に高等教育の改革に関する答申が中央教育審議会から出ておりますが、それとの関連がはたしてどうなっているのかということが、私にとってもう一つのみ込めない点でございます。そのことを二つくらい申し上げましょう。  まず第一は、その一月十二日の答申の第十の部分と思いますが、そこで、これから日本では高等教育を考えていく場合に、いままでの文部省のようなやり方では足りないわけであって、もっと長期的に計画を立てて、そうして長期的財政計画をつくることが必要であるし、またそれを担当する機関が必要だということが書いてございます。そういたしますと、そういうものとの関連においてこの私学財団の問題も出てくるわけでありますし、実は国立などもそれとの関連において考えていかなければならない。現在、財団の規模は大体この案の中に盛り込まれておりますが、しかしその後に、長期的な計画期間をどうするか、あるいは五カ年間、十カ年間にわたる財政計画をどうするかという案が、たぶん国会審議されることになるかと思われます。前後関係が、ですから総合計画が最初に出るのではなくて、一部分が出て、そうして後に総合的なものを論ぜざるを得なくなるような形になるかと思いますが、したがいまして、その点を御考慮の上で、先行き十分に手直しができる、特にこの財団の基礎財産などにつきましては、さらに拡充ができるということを十分御考慮願うことが必要かと思われます。  第二点は、やはり改革答申の中に、今後国立、公立、私立の格差、差別を次第になくしていくということが書いてございます。私は、そのことはたいへん望ましいことと思っております。格差、差別をなくすということはどういうことであるのかということをその答申に即していろいろ読んでまいりますと、先ほど中原さんのお話がございましたようですが、国立学校は非常な過保護のもとに今日まで運営されてきているではないか。大学の自治ということはございますけれども、しかしながら、大学財政的な経営あるいは長期的な教育研究計画などについては、必ずしも自主的にそれを行なってきてはいない。したがって、答申の中では、今後国立大学などの中にも、一つの方向としては理事会的なものを導入すること、もう一つの方向としては、もっと徹底して、公社ないしは特殊法人的なものにしてはどうかということが書いてございます。そういうふうにしなければ、おそらく本格的な大学の自治というものは成り立たないであろうという意見が述べられているわけであります。その案をすなおに読みますと、実は将来、日本の国立大学は次第に本格的な私学的なものになるわけであります。その場合に、したがいまして、私学、国立をあわせて全体的に大学政府との関係をどうしていくかということをあらためて考えなければならない時期が出てくるかと思いますが、それとの関連においてこの法案を御審議願いたいというふうに、私は考えております。それは具体的に申し上げますとどういうことであるかと申しますと、実を申しますと、国立大学の中で実際に大学の経営、運営を担当しておりますのは、二つの部門であります。一つは、現状においては教授会です。もう一つは、文部省のほうから来ておられる事務関係の方でありますけれども、事務関係の方は、大体監督行政に当たっています。したがって、法律をよく守っているか、あるいはお金の使い方に間違いがないか、これを調べることは、たいへんけっこうです。教授会のほうは、長々と大ぜいの人間が議論を果てしなくいたしまして、なかなか本格的な経営の問題には及ばないわけであります。したがいまして、現在の国立大学におきましては、実は事務関係もあるいは教授会も、そのいずれもが教育研究内容を充実するためにどのように財政を掌握し運営していくかということを議論していないのが実情であります。したがって、私は、将来それを公法人ないしは特殊法人ないしは公社のような姿にしようという案は、たいへん望ましいと思いますが、さてそうなりますというと、実は現在の文部省の監督行政という姿それ自体も、ある時期にまいりますと相当変化させなければ、日本の高等教育運営はとうてい不可能である。もっとわかりやすく申しますと、たとえば建設省あるいは通産省などでは、監督行政ではなくて、もう少し仕事の内容に即した新しい行政というものが確立されてきているわけでありますが、文部省などの場合には、必ずしもそうではない。そうではなくて、主としていままでは一般監督行政の形で動いてきた。これを本格的な教育経営行政というものに改めるためにはどうするかということを片方で考えながら、こういう私学財団法案というようなものを検討するということは非常に意味があると思いますが、それを改めませんでただ私学財団法案をつくりますと、非常にお役所的な形で関与する、そうして法律は守っておるでしょうか、あるいは財政の点について使途にあやまちはないであろうかという、そういう一般監督行政的な形におけるいわば大学に対する関与というものが出てきやすいと思うのです。そういう全体的なスコープの中で、いわば展望の中で私は今度の私学に関する助成の問題もお考え願いたい。これが第二点でございます。これは国会でもって法案の成立を非常にお急ぎになっておるときに、根本問題にまでさかのぼれという注文であるように聞こえるかと思いますが、私は、おそらく中教審の答申が国会で本格的に議論されるときには、どうしてもそのことが問題にされざるを得ないことになってまいりますから、あらかじめいまからそれとの関連というものを十分お考えの上でもって当法案を御審議になることが妥当であるかというふうに思っているわけであります。  第三点は、したがいまして、あまり申し上げることはありませんけれども、当法案に即して、若干具体的なことを申し上げさせていただくことにいたします。これは先ほどから数回、何人かの方から出たことでありますが、お金がどんどん私学のほうにいくことは望ましいことですけれども、その場合に、財団の中心になる役員というふうなものがどういうふうに構成され、そうしてどういうふうに任命されるかということを、もう少し詰めていただくことが必要ではないかと思います。その場合に、二つの点が必要であります。先ほどからなるべく私学側意見も聞くようにというおことばもございました。私は、審議会をつくったりあるいは理事会をつくる上でそういうことは必要かと思います。しかし、世界じゅうの大学の歴史を見ますと、大学の内部の力によって大学が本格的に改革された例は、ほとんどございません。それはなぜかというと、大学の内部の人たちは——これは私は私学のことだけ申し上げているわけではございませんので、私は国立の大学の教師をしてまいりましたから、国立のこともよく存じておりますが、なぜかと申しますと、大学の内部からそういう議論をいたします場合には、おのずから現在までの状況を維持するという傾向に流れることが多いからでございます。大学の人間というものは、社会のあらゆる改革について述べるけれども大学だけについては述べないというのは、歴史的な一つの定則といってよろしいかと思います。したがいまして、審議会理事会の構成の場合に私は外部の人間を入れるということがたいへん大事だ、それをミックスするということが大事であるかと考えます。ただ、その外部の人間というのが、天下りの監督行政の先輩であるということでは困るわけでございまして、むしろ教育、それから経営の内容、そういうものをほんとう理解するような人間をどのように入れていくか。これを法案の中でもって規定していくことがはたしてどういう姿で可能か、むずかしい問題だと思いますが、これは国会の立法の専門家がここにおいででございますから、もし私の趣旨をおくみいただきますならば、私あと意見を申し上げる必要があれば申し上げますが、お考え願いたい点の第一点です。また、理事長文部大臣任命という形になっておりますが、そういうふうな大きな重要な財団ということになりますと、文部大臣の推薦で国会の承認を得るというぐらいのところまで進めるほうが、むしろ妥当なんではないのか。というのは、文部省の監督行政それ自体もどんどん変えていかなければならないというところにきているわけでありますから、その場合に文部大臣任命という姿だけでとめておきますのは、いささか保守的な考え方に過ぎるように私は感じております。  さらに、もう一つの問題だけをつけ加えさせていただきますと、それはどういうことかといいますと、現在四年制の私立大学が約二百五十ほどあります。日本の国民がみんな大いに働いて、そしてどんどんこれにお金を注ぎ込みましても、たいへんお金がかかります。そこで、計画の問題であります。これはおそらく五十数年ネグられていた問題でありますから、根気よく五年、十年、二十年をかけて、私は日本の高等教育というのを充実していくように考えなければいけない。そこで、さしあたって先生方のお給料が非常に安い。私は大学の教師をしておりましたから、当然先生方の友人が多いのでありますけれども先生方の生活というのは、現在日本が世界の中で非常に重要な立場に立っている国であるということを考えますと、皆さま方にもお話をするとほんとうにお驚きになるような、そういう形で生活をせざるを得ないのが現状です。そこで、さしあたってそういう人件費補助があるのは望ましいのですが、さらに将来、教育研究内容を充実していくという場合には、どうしても選択的にならざるを得ないだろうと思います。その選択をする場合の問題は二つあります。一つはだれがどういう姿で基準をつくるのか。この問題を十分に詰めていただきたい。それからその基準が明らかになった場合には、この財団のほうないしは政府のほうが、あの学校をひとつ助けてやろう、この学校を助けてやろうというふうに政府のほうから選び出すというのではなくて、学校のほうがみずから名のりをあげる。私のほうにはこれほどりっぱな研究ないしは教育計画があり、しかも経理内容はかくかくしかじかということで、一種の応募制と申しましょうか、あるいは申し込み制といってもよろしいわけでありますが、そういう姿でもってむしろ自主的な計画を強化するという形で財団が動いていくことが、たいへん望ましいことではないかと思っております。実は、これは常識的なことでありまして、たとえば企業の場合、銀行がどこの会社も非常に経営状況が悪いから、おしなべてみんな助けましょうということをやる銀行はないわけです。むしろほかの会社と違ってこういう将来計画を持って発展していくというふうに働きかけてくる会社について、金融機関はそれを審査して助けるわけであります。それとほとんど同じようなことが、将来は国公私立のすべての大学に妥当すべきだと私は思います。私は、決して、私立だけがそうなるべきであるとは思いません。そういうわけで、この私学振興財団法案の御検討というのは、必ずしも私学を助けるというだけの問題ではなくて、実は将来日本の大学の姿をきめていくという、そのくらいの抱負をもって御検討願いたいわけなんです。私は国立大学、公立大学の姿というものも、現状において必ずしも望ましいものでないばかりか、多くの問題を含んでいる、このことはすでに昨今の事態によって明らかであると考えております。そうすると、この財団法案によってただ私学を助けるのではなくて、将来の日本の大学をどういうふうに強化していくのか。それと政府との対応関係あるいは財政の対応関係はどのようになっていくのか、こういう角度から御検討になることをお願いしまして、私の参考意見といたします。まことにありがとうございました。(拍手)
  10. 八木徹雄

    八木委員長 ありがとうございました。以上をもちまして参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  11. 八木徹雄

    八木委員長 これより質疑を行ないます。  なお、この際委員各位に申し上げますが、永井参考人には所用のため午後零時三十分ごろ退室したいとのことでございますので、その点お含みの上、各参考人に対する御質疑をお願いいたしたいと思います。それでは小沢一郎君。
  12. 小沢一郎

    ○小沢(一)委員 本日は参考人先生方、お忙しいところを貴重な御意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。私からは、時間の関係もありまして、二つばかりさらにつけ加えて御質問させていただきたいと思います。  まず最初に永井先生に御質問いたしたいと思いますけれども永井先生が去年の九月十二日の読売新聞におきまして書かれておりました中に、こういう文章があるわけでございます。その部分だけを読ませていただきます。「私学についても経営を現状のままにして、国庫助成の増大だけを期待すべきではない。私学経営の現状も、しばしばあまりにもずさんである。商業主義的な点もあり目にあまる不正もある。」こういうくだりがあるわけでございます。現にいろいろ問題になっていることもあると思いますが、このような点をいわゆる本来のあるべき私学の姿に正していくためには、どういった方法がいいのか。それはいわゆる私学の自主的なこととして、その問題として扱っていくべきか、あるいはそうではなくて、何らかの公の機関によってチェックしていく方法がいいのか、その点につきまして、先生の御意見をお伺いいたしたいと思います。
  13. 永井道雄

    永井参考人 簡単に申し上げます。私は、まずこの法案の中にもございましたが、経理の公開という原則がございます。これはすべての私学が公共的機関であるというたてまえで運営されている以上、当然行なわれるべきものだと思います。ついでに申し上げますが、国立大学経理内容でございますが、これも公開をしろといえばできるのですけれども、非常に複雑にできておりまして、実は教授会の人間でも、それをよく読んで簡単にわかるというふうにはできていないわけでございます。その点私は公平に、私学はもちろんでありますが、国立についても私立についてももう少し明確に、そして単純化された姿で経理というものが公開されて学内あるいは学外の検討にまつような姿、これはすべての学校公共性を持つ以上は当然だと思います。しかし、今度は立ち入り審査の問題なんです。これはなかなかむずかしい問題だと思います。それは経理の公開がほんとうに行なわれて、非常に妥当でない、つまり怪しい面があると考えられるときに、公開の場所で、たとえば討論を行なうというような方法でひとつ考えられるのではないか。このような場所も一つあると思います。それを考えております。大体そういうふうな姿が、まずまず糸口になるべきだと私は思います。
  14. 小沢一郎

    ○小沢(一)委員 ありがとうございました。永井先生お急ぎのようですので、永井先生に対してはこれだけにとどめたいと思います。  それから、ほかの先生方の御意見の中で、ちょっと私お聞きいたしまして考えましたことは、いわゆる私学に対する助成、これは当然のことである。特に今回におきましては人件費助成の点もあるわけでありますが、それらの点も含めまして、この点については、そのこと自体の問題としては先ほどお話しにならなくて、当然のことであるという前提に立ってお話しなさったかと思うわけでございますけれども、私も、現在の私立学校の果たしている社会的な役割りとかそういったことを考えました場合には、国家がこれを助成していくということは、当然のことであると思うわけでございます。しかしながら、その国家の助成といいますのは、何と申しましてもやはり国民の血税によってなされるものでありますから、そういった場合におきましては、やはり国民からいろいろの行政を託されて行なっている機関が、それが間違いのないように適正に行なわれるかどうかということを注意して見守っていくというような姿勢は、これまた当然のことであると思うわけでございます。先ほどのお話にも、今回の財団法案に伴って私立学校法の改正を行なうという点につきましては、賛成いたしかねる点がたくさんあるというようなお話がございましたのですけれども、たとえばこの点につきましては、憲法の八十九条におきましても——条文を読み上げますと、「公金その他の公の財産は、」「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」という憲法の条文もあるわけでございますけれども、これとのかね合いにつきまして、先生方の御意見をお伺いしたいと思います。
  15. 時子山常三郎

    時子山参考人 いま私学経理がずさんだということもありましたし、人件費は当然のことだ、前提としておるということでございましたが、これは第二次大戦後新制大学ができまして、大学を設置する基準ですね、教員あるいはその他学科などの設置基準は、国公私立大学全くひとしくいたしました。したがいまして、これは戦前の私立大学と違っております。それから学校法人学校になったのであって、名前は私立大学でありますが、すでに私は社会立的な性格を持っておる、こう思うのであります。したがって、憲法の第八十九条の問題でありますが、「公の支配に属さない教育」とありますが、学校教育法、教育基本法、私立学校法というものができておって、いま申し上げましたように、設置基準は国公私立全く同じ条件で律せられておるわけでありまして、あの「公の支配に属しない」には該当しなくなっておる。そこに問題があるんじゃないかと思うのであります。そういう意味で憲法上は、もう差しつかえないのじゃないか。  それから国民の税金の問題でありますが、私はたまたま財政学を専攻しておりますが、国民の税金は納税者に当然はね返るようにすべきである。政府がそういう使い方をする責任がある。先ほど永井先生から選別の問題が出ましたけれども、私はそういう観点から、これは実施していただくのが当然じゃないかと思います。
  16. 中原実

    中原参考人 いまの憲法の問題ですと、出してはいけないと書いてあるのに、どうして当然出すのだ、こういう御質問ですか。
  17. 小沢一郎

    ○小沢(一)委員 はい。
  18. 中原実

    中原参考人 それは協会のほうでずいぶん論議いたしまして文書にも出ておりますし、専門家稗方会長からお答えしたほうがいいと思います。私はしろうとで法律のそういうことはよくわからぬですから、よけいなことは言わないほうがいいと思います。
  19. 永井道雄

    永井参考人 先ほどの時子山先生の御説明に尽きると思います。つまり学校教育法で学校公共性ということが規定されておりますから、したがって、八十九条はそういうふうに解釈いたしますれば、当然私立学校への国庫補助というものを許すというふうに見ていいんだと思います。
  20. 稗方弘毅

    稗方参考人 この憲法の問題は、私どももすでに解決済みだと考えているのです。これは御承知のとおり、私学法をつくりましたとき、第五十九条で公の支配に属するものだということがその際論議されまして、私立学校はみな国家の認可を受けて、学校法人として成立しておる。だから、りっぱに公の支配を受けておる。その認可を受ける場合は、特定の基準がございまして、その基準を守らなければ設立ができない。学校教育法なり私学法なり、あるいは大学設置基準その他についてそれぞれ規制がございまして、その基準に合わなければ許可しない。いわゆる国家にかわって国家の教育私立学校が行なっておるということは、あらゆる法規から考えましても、これは当然公の支配に属するものだということが言える。それで、これは大学から幼稚園に至るまで、それぞれの基準によって設立されておる。それから学科、課程、あるいは高等学校以下についても学習指導要領によって教育しなければならぬとか、それから教科書は国定の教科書あるいは検定の教科書も使わなければならぬとか、それから土地の問題なんですが、教場等土地の問題を私はこの際注意したいと思いますが、たとえば大学については、一人当たり平均で教場が八平米なくてはならぬ。そうすると、その六倍の四十八平米の土地がなくてはならない。四十八平米と申しますと、十六坪ぐらいですか、これが私学財政を非常に圧迫しておる。これは北海道の土地も六大都市並びにその周辺の都市も、同じ基準でこれを強制しておる。そのために無用な金を私学に使わせる。そのために定員増加もできない、あるいは学科増設もできないというような状態でございまして、これくらい不合理な基準というものはない。今度の私学財団法の改正で五項、六項というものをお設けになるならば、その前にまず大学設置基準なりその他の基準を再検討した上で考えるべき問題ではないか。そういう無理な基準を押しつけておいて、そして定員増加をするとかあるいは学科増設をするときは一々制限をして許されないというようなことでございますので、水増しの定員増加どもそこからきている。東京の中あるいはその付近におきまして、非常に高い土地を買い入れるということはほとんど不可能です。それがなければ定員増加もできないということになるから、結局水増しをある程度やらざるを得ないということが実情なんです。これがみんな法令違反だ、こういうことになってくると、これはもう国公立の学校だって、基準に合致している学校はごく少ない。東京大学だって基準に合っていない。しかるに、私学に対しては文部省が厳重に常に、おまえのところは土地が足らぬから買え、水増しをやっておることはけしからぬというような規制に、私学は非常に困難を感じているという状態でございます。そのほかにいろいろな規制がございますね。これはみんなやはり公の支配というような見地から制限を受けておるのでございますが、もしこういう規制がなかりせば、もっと私学財政というものは自由にできるんじゃないかと思うのです。しいて公費の補助全部にたよる必要もないと思います。しかし、現在の状態では、私学の経営は非常に困難を感じておる。これに対して物価がこう上がってくる。それから教員の俸給を人事院の勧告によって毎年上げていかなければならぬ。一方において、授業料はそのわりに上げられない。これを上げると、ほとんど大騒ぎになるという状態でございます。これは日本だけでなくて、世界共通の現象であります。やはり大学教育その他学校教育というのは非常にお金がかかるということになっておるが、やはり物価騰貴あるいは人件費増加というようなところが原因しておるのでありますから、これはある意味において私は政府の責任じゃなかろうか。これに対して、政府私学の大きな役割りを果たしておる、その貢献度を認めて国が助成されるということは、当然じゃないかと思うのであります。
  21. 小沢一郎

    ○小沢(一)委員 いろいろお話をお伺いしたい点がたくさんあるのですけれども、他の委員の御質問がありますので、私の質問はこれで終わります。どうもありがとうございました。
  22. 八木徹雄

    八木委員長 質問者に申し上げます。永井参考人の時間の都合がございますので、永井参考人に対する質問だけにして、あとでもう一回質問を許しますから、そのようにしていただきたいと思います。川村継義君。
  23. 川村継義

    ○川村委員 きょうは参考人先生方、どうもありがとうございました。委員長から御注意がありましたように、永井参考人は時間の都合があるそうでございますから、一言御意見をちょうだいしておきたいと思います。実は先ほど永井さんから、今後の高等教育のあり方の問題、あるいは財団をつくるとすればどうあらねばならないか、私なりにまとめますと、そういう観点から非常に貴重な御意見をちょうだいいたしました。ありがとうございました。それらについて実はもっとお聞きしたいのでございますけれども、時間がたくさんございませんから、それに関連をいたしまして一言お聞きしておきたいと思います。  実は私は、私立学校法制定された当時のあの法律の精神というものは、今日でもやはりかたく守らねばいかぬのではないかと考えております。先般委員会で、財団法を見ると、当時の私立学校法制定のときに国会なりあるいは閣議なりで修正をされた、それが今日この財団法の中に生き返ってきている部分があるではないか、なぜそうまでしなければならないか、こういうことをちょっと聞きましたら、大臣のことばでありますけれども、非常に時勢が変わったのだ、情勢の変化があるのだ、私学はたくさんの生徒をかかえているのだ、経済的にも行き詰まっておる、財政的にもたいへんなんだ、だから人件費をここに導入することにした、それだからして、国民に対してこういう処置をとるのは必要やむを得ない措置ではないか、こう言っておるわけですね。どうも私が受け取っておりますと、文部省等々に経理を報告をするということが、いかにも国民に公開するように考えておられるのではないか。私立学校経理公開というものは、別途に、ちゃんと正しくいったら方法はあると思うのですね。文部省に報告するだけがそれではないと私は見ておるわけなんです。私もそういう観点から問題をいま非常に疑問に思って、実は悩みながら審議に参画しているわけでありますけれども、先生十分御承知のとおりに、私学法ができるときに、法律案が提出されまして、実は閣議で八項目にわたる修正がなされて政府原案となっているわけです。それは御承知のとおり、非常に重要な修正があります。ところが、それが委員会論議をされましたあとで、また委員会で二項目にわたるところの修正がなされて、いまの私学法ができ上がっている。貫くところは、私立学校自主性、独自性、いわゆる私学それぞれが持っているところの建学の精神というものを発揮させねばならない。それが日本の教育、文化、研究に大きな力をなすのである。これは当時の委員長の報告にも、そういう趣旨のことがるる述べられております。したがって、私は、そういう精神というものはあくまでも守り続けていかねばならぬのではないか、こう思っているわけです。ただ今日、経常費人件費を含めてやることは、これは高く評価していいと思います。われわれも要求してきた問題であります。しかし、それに籍口してその私学法の精神をゆがめるような財団法なり等々がここに動いていっては、たいへん悔いを千載に残すものではないか、こう考えておる。しかも御承知のとおり、財団法の三十四条、三十五条によって財団法規制が大きくかぶっていく、私立学校法の第十三条の改正によってこれまた大きな文部省規制が受けられるということでは、私は私立学校法発足当時のあの好ましい状態というものがなくなるのではないかと心配をしているわけです。そこで第一点、先生からこの辺の御意見をひとつちょうだいしておきたいと思います。
  24. 永井道雄

    永井参考人 たいへん貴重な御質問をいただきまして、ありがとうございました。ただいまの問題について私の見解を申し上げます。実は私はいまから八年ほど前、昭和三十七年に大学公社案というのを主張しておるわけでございますが、これは国立大学におきましても、必ずしもそれぞれの大学というものが独自性、特殊性をもって研究教育をやっているというわけではない。そこで学校に入るという場合には、その学校に入ると就職率がいいとか、社会的勢力が高いという学校を、おのずから高校生やあるいはその両親たちもいい学校だと思うようになってきた、このことは非常に嘆かわしいことだと私は考えております。そこで、実は国立大学というものも、ほんとう私学的になっていかなければならない。ということは、たとえば東大にせよ、京大にせよ、そういうところに入りましたならば、建学の精神というもの、どういう学校の特色、そして、それだから学生はそこに入りたいという方向に向かわなければならないというわけです。この間の高等教育の改革答申についての森戸会長説明によりますと、私学が国立化する一方、国立もまた私学化する方向に向けていくのが今度の改革の趣旨である、こういうふうに述べておられます。その説明が正しいものであるとするならば、文部省は、国立大学についても、いままでのような形の一般監督行政をやってはいけない。むしろ一般監督行政ではなくて、国立大学が経営的にも自立していくような姿に変わっていくべきだ。それが文部省の解体にまで及ぶのか、あるいは部分的変更に及ぶのか、非常にむずかしい問題をはらみますけれども、そこに及ばなければならないと思っております。したがいまして、当然今度の私学振興財団につきましては、私学法の根本的な精神でありましたところの私学の持っている教育研究の独自性というものを、少しでも阻害するような点があっては困ると思うのです。たとえば私が先ほど、理事長文部大臣によって任名されるという姿がはたして妥当かどうか疑問があると申し上げたのも、それに関連いたします。現在、文部省それ自体の変更というものはさしあたって議論にのぼっておりませんから、これを後に考えるといたしましても、しかしながら、現行の姿でも、文部大臣はその候補者を推薦して国会の承認を得るという程度の重要性を持たせる、そのことは、それだけ文部省の一般監督行政からの自立性を強化することに役立つだろうと思うのです。そういう意味におきまして、全くこまかい条文——いまお読みになりましたところを私覚えておりませんから、それについてお答えできないのは残念でございますが、私立につきましても国立につきましても、森戸会長説明が正しいものであり、またほんとうに高等教育改革の答申が目ざしているものが森戸会長の御説明のとおりであるとするならば、今後は、国公私立すべての大学を問わず、それぞれが私学的になっていく。それは、それぞれが建学の精神、教育研究の特色を持っている。それに対して国家が公的補助を行なうのをどのようにやっていくか、この組み合わせを考えることが一番大事だと思うのです。  もう一言つけ加えさしていただきます。その組み合わせの場合に何を考えるべきかというと、一つ重要なことは、そういうことを言っても、それぞれの学校がてんでんばらばらに自分がやりたいことをやったのでは困るではないか。そこで、国家として高等教育全体についての長期計画というものが絶対に必要である、これが答申の中に述べられておりますけれども、まだ一向具体的な段階に来ておりません。いま世界的にこのことを認めているようですが、イギリスがそういう意味では一番いい形になっているのではないかと私は思います。イギリスの場合には、たとえば理工系の学生を何%にするかという計画があるし、それから五カ年間程度財政計画、長期計画がある。しかし、それは大ワクであって、その大ワクの中で、それぞれの学校がどのような特色をもってその長期計画で動いていくかということについては干渉しない。したがって、自主性と国家全体の計画というものをかみ合わせるようにしておりますが、わが国の高等教育もその方向に向かっていく、そのことの一環としてこういうふうな法案を検討すべきものと考えております。
  25. 川村継義

    ○川村委員 ありがとうございました。もう一言お聞きしておきたいと思います。たいへん貴重な御意見をいただきましたが、先ほどちょっと質問に出ました憲法八十九条の問題につきましては、もうすでに昭和二十四年私立学校法ができる前段におきまして、相当長い期間にわたってそれぞれ見識ある方々論議がありまして、結局私立学校に公的な費用を出すことができるというような解釈に実は統一しているわけでありまして、私はその解釈を支持したいと思います。これは当時出されました、いま文部省の官房長をしております安嶋さんあたりが書いておられます私立学校法内容解説にも、詳しく経過とその論点が明らかにされておりますから、それは現在異議を差しはさむ者はないと思います。そしていま一つは、それはそれといたしまして、今日私の胸の中に一つきちっとくるものは、私立大学あるいは私立学校、特に私立大学の今日の経理状況は、どうもいろいろ問題があるではないか。特に日大の問題をよく引き合いに出されるわけでありますが、日大だけではないわけであります。そういう問題があるから、結局私学にまかせておいてはというような一つの考え方がこびりついておるものがどっかにある。私は、私立のいろいろ経理上の、率直に言うなら乱脈、不正常な状態があったとするならば、それは私学みずからが正すべき筋合いである。私学人が、その学校全体がみずから正しくして、学生、生徒、社会あるいは国民にこたえるという姿勢がなければならぬ。それに指導、助言ということは必要になってまいりましょう。しかし、そういう状態を特に取り上げて、それとこの法律を結びつけてものを考えて法律規制を強めるということは、問題が残るのではないだろうか。特に先ほどお尋ねいたしましたような私学の精神、あり方、使命というような点から考えても、そのように私は考えておるのでありますが、この点は先生、どうわれわれは割り切るというか、考えをまとめていったらよろしゅうございましょうか、御意見をひとつちょうだいしたいと思います。
  26. 永井道雄

    永井参考人 たいへんむずかしい問題で、私は、先ほど前の委員の方の御質問に対して、経理を公開すべきだと申しました。そこでだれにどういう姿で経理を公開するかということが、まさに問題なんだと思います。現在の法案の中で、確かにこの法案のとおりでいきますと、文部省の監督権が非常に強くなる、そして文部省に公開するという姿になっていくおそれが強い。そこで私が、なぜ理事長国会承認が必要かということを言いましたのは、そういうふうにいたしますと、この財団がそれだけ文部省から相対的独立性を得て、いわば国会に対しても権威を持つものになります。国会こそ実は国民を代表する機関でありますから、そういう意味におきまして、財団文部省からの相対的独立性を得るということは、非常に大事だと思います。そこで、経理の公開も、むしろ文部省の監督行政に対してではなくて、この財団に対して行なうという形を明確に打ち出すことができたらば、非常に明朗なものになるのではないだろうか、そういうふうに私は考えております。それを法案の中にどのように具体化していくか、また役員構成をどうするかということにも関係がございます。そういうふうにしておいても、たとえば天下り人事があれば間接的には文部省の監督強化になるじゃないかということがあるでしょうから、役員構成やあるいは経理の報告のしかたなどについてのいろいろな規定の検討が必要と思いますが、しかし、公開すべき場所はそこにするという方向を打ち出していくことが、妥当だと思います。
  27. 川村継義

    ○川村委員 ありがとうございました。そこで法案の一々についてお尋ねができませんが、私もいま先生の御意見をたいへん大事に受け取ったのでありますけれども、実は業務内容として三十四条、三十五条の規定があります。これは財団に対して相当の権限を持つわけですね。それを受けて、必要であればいま先生のお話のように私学補助金を受けた経理財団に公開するということは、財団の権威も高めることになるだろうと思っております。ただ、それが一つあるかと思うと、今度は附則十三条で私学法の五十九条を改正してまた文部省の力が強まっていくということについては、たいへんな問題ではないだろうか、検討しなければいかぬなと考えさせられている問題も、幾つかあるわけであります。どうもたいへんありがとうございました。
  28. 八木徹雄

    八木委員長 新井彬之君。
  29. 新井彬之

    ○新井委員 ただいま非常に貴重な参考意見を聞かしていただきまして、私たちも大いに参考になったわけでありますけれども永井先生に二、三点にしぼりまして御質問をいたしたいと思います。  先ほどから質問が出ました件につきましては重複は省きまして、先生は今後の私学のあり方また国公立のあり方、そういうことにつきましていろいろと審議会の答弁等ももたれてお話がございましたけれども、現在非常にいろいろな問題がある。この問題を一つ一つ取り上げますと時間もありませんけれども一つの問題といたしまして、大学は駅弁大学になっている。したがいまして、そこには非常に質の低下があるのではないか。今後予想されますことは、ますます修学希望者がふえて受験地獄になってくる。したがいまして、ここで多額のお金を援助するなりして、そうしてその充実とその大衆化ということについて対応をはかってまいらなければならない。したがいまして、そういう件について意見がこれもいろいろございまして、少数精鋭主義でいくべきである、いややはり社会の要請に従って大衆化を受け入れて、それがまた大きく今後の発展に寄与すべきである、こういうような意見があるわけでありますけれども、そういう点についてどのようにお考えになっているか。これが第一点です。  その場合に、私が思いますけれども、この教育と申しますものが非常に社会の発展に寄与していることは、事実のことであると思います。したがいまして、そのお金を出す場合において、やはり国民総生産の何%までは持っていく、最終的にいかなければならないのじゃないか。これは先生が主張されております校舎をつくるにいたしましても、私学を援助するにいたしましても、財政の裏づけがないところにはそういう実際の効果というのはあらわれないわけでありますから、教育というものが社会においてどの程度重視されているのかという面について、そういう予算との関係をお伺いしたいと思います。  それから第二点は、先ほど先生が教授の給料のことで非常に安いというお話があったわけでありますけれども、現在国立におきましても私立におきましても、教授の方の人数が足らないといいますか、今後その点を充実していかなければならない、こういう議論があるわけであります。現在世界に対する頭脳の流出であるとか、それからまた一流企業に非常に優秀な人材が取られていくとか、そういうことがあるわけでありますけれども、そういう点について、一体教授の位置づけと申しますか、そこをどこの辺までいままでの経験においてお持ちになっていらっしゃるのか、こういうことでございます。  それから第三点は、先ほど来役員のことが論議されておるわけでありますけれども、その審議会が、いままで私学振興会のときには二十名で行なわれていたのが、今回十名に減らされている。これも文部大臣の答弁によりますと、少数精鋭主義で、力を持った方が十名でやったほうがいいんじゃないか、少ない数でやったほうがいいんじゃないか、こういう意見があるわけです。しかしながら、現在の社会というのはいろいろな層に分かれておりまして、多種多様な意見があるわけであります。その場合において、なるたけ審議会のメンバーというものを多くして、そうして少しでも国民的な合意の教育というものを行なったほうがいいんじゃないか、こういうこともあるわけでありますけれども、そういう点についてはどのようにお考えになっていらっしゃるか。  それから第四点につきましては、一口に言いますと、金を出すけれども口は出さないということが行なわれてまいらなければならない、こういうことになっておるわけですけれども、現実この財団法を設定するにあたりまして、ここが非常に問題になっておるところでありまして、その点についてもう一歩、具体的に出すとすればこの程度経理内容をはっきりするということは当然のことである、だけれども教育について文部省として言うべきではない、こういうような意見等もあると思うのですけれども、そういうところを、ひとつ簡単でけっこうでございますが、明確にお願いいたしたいと思います。
  30. 永井道雄

    永井参考人 非常にむずかしい問題がたくさんありますが、まず第一点、駅弁大学のような姿でどんどん学校は拡張していくが、これについてどう思うか、これについてこう思います。私は、わが国の大学一つの重要な問題で、しかも中教審答申に触れておりません点、これをぜひ御考慮願いたい。中教審の一月十二日の答申は、大学の多様化ということを申しておりますけれども、現在の日本の大学教育研究の頂点が国立大学に片寄っており、しかも国立大学の中で東京大学がほとんど優先的位置を占めておるということについて、何も触れておりません。これはいけない。要するに、ほかの社会もそうでありますけれども一つの頂点ではなく、幾つもの頂点がある、そして頂点との間に競争関係があるというところにおのずから発展、進歩が生まれるわけでありますから、そのように高等教育政策を展開すべきであるというふうに思います。したがいまして、私が先ほどから、この私学振興財団法案のごときもわが国大学の改造全体の一環として考えるべきであると申し上げましたのは、たとえば私学の中からチャンピオン大学のようなものをつくり上げることができまして、これが優に東京大学と拮抗するようなところにまで強化していくことができますならば、わが国の教育研究が非常に強化される。事実わが国の明治時代におきましては、赤門と稲門、あるいは赤門と三田というものは拮抗したる状況にあって、それがわが国の文化の発展に非常な寄与をいたしたことをわれわれは忘れてはならないわけであります。さらにまた、わが国の東京大学はわずか九十年の歴史を持っているにすぎませんけれども、イギリスのように、何百年の歴史を持っているオックスフォード、ケンブリッジ大学、その二つの頂点というものを現在是正すべきであるということをイギリスの政府は明らかにしております。オックスフォード、ケンブリッジを中心とする一九四五年、つまり第二次大戦が終わるまでの大学の数が二十でございます。第二次大戦以後にできた大学が二十四でありますが、その頂点はサセックス、エセックス大学である。サセックス、エセックス大学をむしろ強化することによってオックスフォード、ケンブリッジをよみがえらせようということが、イギリスの政策になっております。その程度の積極性がわが国の大学教育大学政策にないというところに、私は非常に問題があり、答申がこれに触れていないということも嘆かわしいことだと思います。  もう一つ、せっかく議員諸公がお集まりでありますから率直に申し上げますと、わが国では、たとえば文部大臣が総理大臣におなりになるということは、非常に少ないようであります。そして大蔵省関係の方が総理大臣におなりになる例が多いようでありますが、しかしながら、それは決して責めるべきことではなくて、わが国の発展の一段階において必要であったことであるかもしれません。しかしながら、他の国々におきまして、たとえばイギリスのウィルソンあるいはドイツのブラントというような人たちは、いずれも文教の中心であってさらに自分の政党を率いていくという人たちである。そういう段階に歴史が入ってきているということを、この際国会方々に強く認識していただく、そういうことがあって、そうして幾つもの頂点をつくる努力があります場合に、初めて駅弁大学、ウのまねをするカラスというようなものがそこら方々にあるという状況が打開されるのでありますけれども国会においてそのような意気込みがなければ、そういうことはなかなか望むことができません。  第二番目、予算でありますが、予算は、わが国は明治維新以来今日まで、小中高教育の充実によって知識の普及、これにつとめてまいりましたから、高校教育段階までは、国民一人当たりの所得に対する教育負担費というものは、先進国並みであります。しかしながら、文部省も明らかにいたしておりますけれども、高等教育におきましては、国民一人当たりの所得に対する高等教育投資率は、先進国の約半分でございます。これを倍増しなければ先進国並みにならない。それが国民総所得の何%になるかということは、いまここに数字を持っておりませんけれども、もっと具体的な数字で申しますと、一九六八年度国立大学予算二千八百億円というのは、当然六千億円になってしかるべきものでありまして、さらに私学の充実ということを考えると、一兆円程度のレベルでお考えになるべきである。確かに、高速道路計画あるいは新幹線計画というふうな場合には、長期的な兆がつく予算が出ておりますけれども、高等教育においてはさようなものがない。それが実は教授の流出に影響がございます。一九六八年度大蔵省税制調査会の報告によりますと、わが国の中堅サラリーマン層は、税込み年間所得百五十万円から四百万円でございますが、国公私立の大学教師の中で中堅サラリーマン層の中に入り得たものは、二八%にすぎません。つまり大学の教師は、大多数が低所得層であります。私もその一人でありました。これは非常に困ります。そこでどんどんどんどん頭脳は流出をいたします。しかし、わが国がお金のない国でない証拠は、プロ野球や芸能関係においては、アメリカ合衆国からわが国に体力の流入がございます。そして頭脳は流出いたしております。したがいまして、かような方向というものを転換するということを考えなければならない。しかしその場合に、すべての人の給料を一挙に上げることができるかという問題に直ちにぶつかるでありましょう。私が公社を主張いたします重要な理由も、そこにあります。現行公務員制度、給与制度というものに執着いたします限り、とうてい、すでにでき上がってしまった、そうして過去何十年間にわたってネグってきた大学の問題を一挙に解決することはできない。そこで十年、二十年、三十年の長期的計画でやっていくというためには、公務員法とかあるいは給与体系からはずしたところで、もうちょっと柔軟に大学経営を行なうという姿でもって、優秀な先生をわが国にとめおくばかりか、これを迎える。目下話題になっております国連大学のごときものも、そういうふうな問題の一つの目玉にしていくというくらいの積極性がなければ、とうていこの窮境は打開できず、大学の沈滞は続くでありましょう。  第三間、審議会の人数はどのくらいにしたらよろしいか。この問題につきましては、これは非常にむずかしいです。十五人がいいか、二十人がいいか、それは審議会内容にもよりますし、それからどのくらいパートタイマーがいるかフルタイマーがいるかというふうな問題にもよりますが、ただここで一つのことだけ申し上げておきたいのは、こういうことです。私はイギリスの——イギリスは大学政策に非常に熱心な国でありますが、クラウザーレポートというものを出して、それは十数冊に及ぶ長々とした報告書であります。わが国の教育関係に対する答申というのは二十ページか三十ページ、そのことをいつもふしぎに思っております。しかもイギリスの非常に著名なる人物が、そういう審議会に長々と報告書を書いておる。一体イギリス人はそれだけ大学に対して奉仕的なのかどうか。そこでそのことについて聞いてみましたところが、実はこういうことがあるそうです。つまりイギリスのそういう審議会の場合には、非常に優秀な人を引っ張ってくる場合、フルタイムで働いてもらう。そうしてその人がそれまでもらっていた所得に値するものを審議会員として払う。そのかわり、その間はその仕事をしてもらわない、全く審議会の仕事をしてもらう、そういう形になっておる。ところが、わが国の審議会は、えてして片手間審議会になっておりまして、事実上は官庁において素案をつくる、そういう形になっております。したがって、審議会の人数よりも、私はこれから審議会の形態、その財政的裏づけをどうしていくかということが、非常に大事であるというふうに考えるわけであります。  それから四番目、これは金は出すが口は出さないということが、はたして可能であるか、そういう意味の御質問だったと思いますが、そうでございますか。——いわゆるサポート・バット・ノー・コントロールは当然の原則であって、しかもそのことは可能である。ただ、そのことは、教育の自由放任主義というと違うのだと私は思います。そのことはしばしば誤解されます。そういう教育の自由放任主義ということをやりましたならば、非常に無責任なことになる。たとえば農業が次第に縮小していくのに農業研究者がふえるということも、十分に起こり得る。お医者さまが足りないのにお医者さまが出てこないということもある。そこで、国家的な総合的計画機関というものが絶対に必要だと思います。私は、文部省の調査局とか大学学術局は何もしてないというのではないのであります。しかしながら、はたして大学が小さかったころにあったその程度の部局でもって今後の問題をカバーしていけるかどうかということに、相当の疑問があります。顧みますと、経済安定本部あるいは経済企画庁というふうなものがわが国の経済の窮境から発展へ果たした役割りというものもあったかと思いますが、私はその比喩を用いますならば、今日、教育企画庁というふうなものを考えなければ、事は実は大学だけではなく、小中高に及んでおります。もっとはっきり申しますと、小学校ではもう教育はおそいのでございます。ゼロ歳教育が始まっておりまして、テレビは、お母さんより先に子供に話しかけているのです。そういう状況の中で、教育が持っているウエートはきわめて大きい。その場合に、いままでのような形の対応方式でもって教育を考えてよろしいか、それが七〇年代の課題であると私は考えているということを最後に申し上げて、お答えといたします。
  31. 新井彬之

    ○新井委員 どうもほんとうにありがとうございました。
  32. 八木徹雄

  33. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 時子山さん、稗方さん、どちらからでもよろしゅうございますが、お考えをいただきたいと思います。  今度のこの私学振興補助金について、大体三つ考えがいわれておるようであります。一つは、次の時代の日本を背負って立つ高等教育をするのであるから、したがって、国が補助金を出すべきじゃないかというのが一つである。いま一つは、さっきからも話が出ておりますが、金は出すが口を出すな、それは先ほどの中原さんからもおっしゃったことに尽きておるのではないかと思いますが、補助金はもらいたいが、文部官僚の天下り干渉をしてもらっては困るというのが一つである。もう一つは、私立大学も今日ではもう私企業である。だからしたがって、国からそういう補助金をもらうべきでないということが、学校経営者の中からもそういう意見が出ております。この三つ、私が大体総合してみますとあるようでございますが、こういう点に対して、どのようにお考えになっていらっしゃるか、これをお聞かせ願いたいと思います。
  34. 八木徹雄

    八木委員長 永井先生、たいへん御多忙のところ長時間貴重な御意見を拝聴さしていただきまして、ありがとうございました。もうお引き取りいただいてけっこうでございます。(拍手)
  35. 時子山常三郎

    時子山参考人 ただいま三点について意見を述べろということでございますが、次代の日本を背負って立つ若者に対する教育であるから金を出せ、こういう御意見があるようでございます。当然のことだと思いますが、日本では特に若者は大学に行きたがる。ヨーロッパから見ますれば、大学への進学希望者が非常に多いのであります。多い国はアメリカとソビエトと日本でございます。なぜ多いかというと、いわゆるカースト、社会的身分制度の制約が日本では非常に薄れてきております。実力があれば社会の第一線に出られる。ヨーロッパでは必ずしもそうでない。ソビエトとアメリカと日本で若者の進学率が非常に高いということでございますが、先ほど、駅弁大学の大量の学生を入れるか、少数精鋭主義かということがございましたが、私は、現在進学率が多いということは、歓迎すべきことである。運動選手も、数が多ければその頂点に優秀な選手が出ますように、大学生の数も多いので、優秀なエリートが現在育ちつつあります。現在の新制大学は高等普通教育で、エリート養成でないとたてまえとしていわれておりますけれども、私の経験から見まするならば、その中から戦前よりは数多く若い優秀なエリートが育ちつつあると思うんでありますが、そういうことを考えますと、ことに激動の時代、危機の時代を迎えまして、世の中が大きく進展するし、知識社会の到来が予想されておるときに、私どもは、未来を背負う若者に対しては、金を惜しみなく出して教育をすべきである。また、先ほど私立大学人件費を出すのが当然ではないかという御意見がありましたが、ついでにこれに関連して申し上げますが、日本の今日の、たとえば十七歳を考えますと、同年配の若者のうち二一・六%は短大を含めた大学に進んでおるということは御承知のとおりでございますが、そのうちで国立が五%の学生しか預かっていない。ところが、国立大学中心でありますフランス、ドイツにおきましては、一一%の学生を預かっておる。あと私立大学がこれを預かってきております。そのために、私立大学の量的な拡大が起こってまいりました。これにつきましても、先ほども申しましたように、日本ではカーストが非常に薄れているということと、戦後憲法が新憲法に改正されて、社会が民主化されてきた、経済が成長して生活程度が上がってきた、文化が開発されてきたというようなことが、さらに大学進学者を多くしてまいる。それを私立大学が今日まで国立に肩がわりして引き受けてきたのでありまして、現在の大学全体の教育水準あるいは研究水準を高めるためには、私立大学研究教育の水準を高めるのがまず第一である。OECDの教育視察団も、量から質への転換がいま必要だ、こういうふうな報告をしておるようでございますが、そういう意味で、私立大学に対して大きな経費を国から出していただきたい、これが今回の私どもの要求の前提になっておるわけでございます。  次に、第二点として、金を出すが口を出すな、これは原則として当然でございますが、先ほど申し上げましたように、私たまたま財政学をやっておりますので、今回の私学振興財団法の中の規定は、予算関係法案であると私は考えておりまして、それ以上に出るものではない。あそこにいろいろな制限規定がございますが、予算に関してであって、国の補助を要求しない私学に対しては、何ら関係がないたてまえになっております。国民の税金を使わせていただく以上は、やはりそれだけの責任を私学のほうで持たなければならない。先ほどの経理の公開の意見もございます。私は当然だと思います。私、総長に選任されまして、直ちに日本公認会計士協会に頼みまして、公認会計士の検査をお願いいたしました。もう報告もいただいておるのでございます。そういう姿勢が必要であるということを考えておりますが、原則は言うまでもなくコントロールを必要以上にやってはならないので、経理に関する限りのものでとどめるべきものである。また私は、私学振興財団法もそういう方向で運営していただけるものと考えております。  第三点でございますが、私立大学は企業だから金を出すべきでないという御意見があるようでございますが、どういう根拠からそれを言われるのか、ある特定の私立大学を言われるのか、全私立大学を言われるのか、私はその根拠をそういう人たちに示していただきたいと思います。いま私立大学は、そういう若者の進学率の上昇に応じて大きな増強はしてまいっておりますが、あるいは中にはそういう誤解を受ける学校もあるかもしれません。また、私、文部省大学設置審議会、それから私大審議会委員をしておりまして、できた学校のアフターケアにおいて幾らか実情を存じ上げていると思いますが、そういう非難を受けることも絶対にないとは申しかねるのでございますが、それを理由に金を出しちゃいかぬということはいかがかと考える次第でございます。
  36. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 いま、私立大学は私企業であるから、したがって国の補助を受くべきでないという意見等が、大学の経営者の中にあるということを私申したわけであります。御存じのように、日本くらい大学の多いところはないのであります。したがって、また経営内容も非常に千差万別です。かなりいいところもある。まあどうやらこうやらというところもある。全くやっていけないというところもあります。だから、私が申し上げたのは、やっていけるところ、まあまあやっていけるところ、そういうところからの意見でございます。でありますから、そういう大学が、これまたいま申しましたように、非常によく健全経営がやれておる、まあまあとにかく何とかやれる、どうしてもだめだというような、そういうところをどういうようにしたら——補助金だけに依存するということもどうかと思いますが、これは結局大学の経営のやり方が悪いのか、あるいは地域的な点等にあるのか、時間がたてばよくなってくるのか、あるいはこういうあまりに大学の多い結果が私はそういう状態をつくっておると思いますが、こういう大学の健全経営というか、合理化というか、そういう点についてどうお考えでございますか、御説明願いたいと思います。
  37. 時子山常三郎

    時子山参考人 いま御指摘のような問題は、確かに私どもも非常に心配しております。これは大学設置審議会審査いたしますときに、一定の条件がありますればこれを認可するということでやってきたところに、反省すべき理由があると思います。そこで、まだそういうことは具体化しておりませんけれども、私の文部省に申し上げておりますのは、国の大学政策を立てて、そういう大学申請が出てきた場合に、国としてそこにそういう種類の大学が必要かということを研究し、同時に理事長学長がはたして大学経営の能力、識見ありやいなやということを調べて、次の年にいまのような審査をやらしたらどうだろうか。これがいま先生御指摘の問題に対する対処の方法じゃないか。国立大学も同じような方法をとったらどうだろうか。いま御指摘にありますように、非常にやればやるほど赤字になるとおそれられる大学も、かなりあります。大学は開校したけれども、学生は来ない、困っておる、先生がみなやめてしまうというのがございますけれども、設置審議会法律の中には、一度許したものに対して、これはもう成り立たないからやめろということのいえる法律がございませんので、いまいろいろ御心配をおかけするような事態がありまして、私どもここ七、八年設置審議会委員をしておりまして、反省をしておりますが、いまとなりましては、新しく設置法を変えてこれから対処していくより方法がないんじゃないかと思います。
  38. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 ついでながらさらにお伺いさせていただきたいと思います。国立大学を含めて、今日の大学一つの企業経営であるという考え方、いかがですか。
  39. 時子山常三郎

    時子山参考人 企業という内容がどういうことを意味なさるのか、私どもの経済学では、企業という場合に、利潤追求が前提になっておるのでございますが、あるいはそういう限定された意味でなくて、事業であるのかと——もし経済学でいうような厳密な企業でいいますと、国立大学は企業性は持ち得ないんじゃないか、あるいは私立大学も企業性は持つべきでないと私考えております。
  40. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 私が率直なお伺いをいたしましたのは、実は私ども子供のころ、若いころは、教師のことを恩師と言いました。教師のほうでは生徒を教え子と言いましたが、そういうことはいま通用せなくなってきております。そういう点から、だんだん学校関係などにおいても、もうまさに人間づくりの教育の道場としての存在ではないのである。いかにすれば健全経営化し、やっていけるか、そういうことに全力を経営管理者は頭を使っておるというのは、御存じのとおりでございます。そういうことであるから、したがってそういう点からおそらく中教審議会などでも——私はいまの大学教育というものはもう一つの私企業的なものであって、人間をつくるということについてのそういう古い従来の考え方に立っての教育をしておるところでない、こういう点から私ども見ておりますが、そういう点について、いかがでしょう。
  41. 時子山常三郎

    時子山参考人 教育のないところに学校大学は存在しないと思います。もし教育がなければ、それは研究所であるかもしれませんが、学校では絶対にないと思います。いま、学生が教師を教師とも思わなくなったというお話がございますが、そういうお受け取り方もあろうかと思いますけれども、私の簡単なひとつ例を申し上げます。反戦連合という黒ヘルメットの猛烈な学生活動家の集団がございます。早稲田大学のある部屋を占拠いたしました。中も荒らしておりまして、半畳敷きぐらいのガラスを割ってありましたので、私その中へ入って説得に参りました。外見は非常にどうにも手のつけようのない学生のようにお感じであると思いますけれども、私が入っていきますと、ソファーを持ってきたり、いすを持ってきたり、先生どうぞどうぞというので、私の説得を一時間二十分静かに聞きました。私のあと堀江担当理事が行きまして一時間五十分説得いたしたのでありますが、そういうことは、彼らは集団になりますと、うしろを考えて非常に乱暴や暴言を吐きますけれども、そういう少数であって、ほかに人が見ていないときには、十分私ども意見を聞くのでありまして、表現と実質とはかなり違っておるのじゃなかろうか。また、あとで彼らのことばを間接に聞きますと、まさか総長が入ってくるとは思わなかった。ところが入ってきた。そして君たちはもしそういうことをやるなら、生涯悔いない覚悟があればやれ。それ以外は絶対やるな。しかしながら、死ぬまでやる覚悟があるならばどこまでもやれと言ったところが、これが非常に身にしみたというようなことを言っておった。ところがどうかすると、おまえらの言うことがわかるよというようなことを言うと、あまりたよりにしなくなって、むしろはっきり言った場合に、彼らもやはり師は師として考えてくれるんじゃないか。そこにもまた、私どもから見れば、一たび自分の学生になった場合においては、きょうだいではない、親子ではない、友だちではない、特別な愛情というものを感ずるのでありまして、いまの大学の一般的な外観から見て教育がないと断定されるのは、いかがかと私の体験から存じます。
  42. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 私がいまお伺いしたようなことを申し上げましたのは、ちょうど十年前でございます。日米安全保障条約等の問題で、この国会の中庭周辺は全部労働組合、学生等で占拠されてしまいました。国会はその間ほとんど会館と本館との間は遮断され、したがって国会は開会ができないという状態がややしばらく続きました。そこで世論機関は、大学側はこれでよろしいのかというかなり手痛い公開状を新聞が書いたことがございます。そういうところから、大学関係では直ちに教授の人々を派遣をかなりいたしました。私の会館にも三、四人ずっと来ておりました。そこで私は、あなた方は教え子に説得に来られたのであるから、したがって説得に出かけられたらいかがですということをしばしば注意をいたしました。ところが、そんなことを言ったって聞きやしません。説得になんど行ったら、ばりざんぼうを浴びせられ、なおかつ強く出れば洗たくデモへかけられて窒息する以外にはありませんというようなこと等でほとんど、私のところにいた教授ばかりではありません、各議員の会館におられた教授の人々も、説得に行って説得されたということを私は聞いたことはございません。そういう点から、私は、洗たくデモへかけられて窒息するなら、そこに一つの教授たるの権威があるじゃありませんかということを注意をしたことがありました。けれども、それはほとんどだめでした。のみならず、いまでは、御存じのように、中学生が先生を洗たくデモへかけて窒息さしたという例さえあるわけです。でありますから、そういう点から、やはり先生というものがもっと教育者としての誇りというか、自信と勇気を持ってやられないところに、だんだんそういうことが起こってきたのではないかという点などからも考えまして、学校教育がたくさん収容しさえすればいいという企業化しておるところに、古い憲法時代の学校の姿というものが見れなくなってきてしまったんだ。だからして各方面から専門的に勉強しておる人々が、学校、特に大学などは企業化しておるといわれるゆえんは、いま私が御参考までに申し上げましたようなこと等が、多くの例があるのでいわれているのではないかと思いますが、そういう点から、やはり管理者を中心にしまして教授会あるいは教師の人たちが、生徒は教え子である、われわれは恩師である、そういうことについてもっとプライドを持ってやらなければ、ますます複雑な状態がだんだん大きくなってくると私は思いますが、そういう点についての教育のしかたなどについて、どういうふうに今後のお考えをお持ちであるか、ひとつお教え願いたいと思います。
  43. 中原実

    中原参考人 委員のお話は、世間でも盛んにいっておることです。私が考えますのに、やはりすべての責任は官学の先生方にあると思う。というのは、官学の先生こそ非常に教育を企業化しておられる、というのは、私に言わせると、官学の先生は学問の切り売りをしているとしか思えない。そういう点があなたの指摘されるようなことに該当するのじゃないか。私立だけが経営のためにやっている、そういうふうにお思いになりますけれども、先ほども申しましたように、われわれ小大学の一国一城のあるじどもは、決して学問の切り売りを生徒にした覚えはございません。あなたの御指摘のように、はっきりと青年に、われわれの思う人間性の涵養について厳たる態度をもって臨んでおります。あの官学のようなだらしのないことは、決してやっておりません。ですから、もし企業化しているというなら、官立こそ企業化していると思う。学問を切り売りしておる。かつて、去年ですかおととしですか、森戸辰男さんがこういうことを言われました。今後大学あるいは教育というものは、教える者とあるいは教えを受ける者と、そういう考えはすべきでないというようなことを言っておった。いまあの人はどう変わったか知らないが、赤から白になる人だから。いろいろ変わるんだ。しかし、そういう考えを持っておった。官学の方々は、大体が翻訳の名人ですよ。私立にはわりあいに翻訳の名人というのはおりません。やはり自分の人間に立脚したところからほとばしり出た考えをもって学校を経営しておるというのが事実です。そういうところに、あなたの御指摘のように、何でも企業化しちゃった、ことに私立はそうだということについては、私どもはそれをそのままちょうだいするわけにはいかぬです。官学こそ企業化しておるのです。
  44. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 時間の関係がございますようですから、いま一点だけひとつお許しを願いたいと思います。特に私立大学の教授の人たち、職員の人たちの待遇がよくない。したがって、このたびのこの補助金等にも関連することでございますからお伺いしておきたいのですが、そういう待遇条件かあまりよくないし——これもまた千差万別であるようですが、そういう点等がありますから、したがって、自分の学業にすべてをささげて勉強して教えるということより、むしろ生活的な考え方が、したがってアルバイトとかいろいろ無理なこともやられなければならない。そういう状態では、やはり学校側もいい教授を得ることができないというところから、税金のかからないような形ででも何とか優遇しないといい教授を得ることはできない、いい教授は出ていってしまうという点からそういうことをやられておるところも——これはあに大学ばかりじゃありません。ほかの私企業から各団体などにも、これはことごとくある例といってよろしゅうございます。課税の点からいけばこれは脱税。しかしながら、現代の社会情勢からいきますと、やはり給与その他で優遇をしていかなければならない、それでなければいい人を得ることができないというところからそういうこと等がやられておるわけでありますが、これは学校が次代を代表するこの高等教育というか、そういうすぐれた教育者を得るために、またよりよく勉強をして大学の誇りを持つためにも、いい教授を得るということが非常に大事であります。こういう点から、そういう待遇条件というのが非常によくないから、したがってアルバイトなどをやらせないような学校経営というようなことについて、ひとつどのようにしたらいいかということについてお聞かせを願っておきたいと思います。
  45. 時子山常三郎

    時子山参考人 いま大学の先生のアルバイトの話が出ましたが、私学と国立と比較してどっちがアルバイトをやっている先生が多いか、問題じゃなかろうかと思います。ただ、私学は金がございませんので、いい先生を得ることが非常に困難であります。これはしかし、私学に限らず、日本の国立にも言い得ることじゃないかと思いますが、先ほどもお話が出ましたように、給料の低い代表大学の先生だというようなことになっております。昔はまだ幾らか大学教授というと社会的に尊敬されましたので、武士は食わねど高ようじというような点がございましたけれども、最近は労組などができまして、非常に待遇改善を要求いたします。しかしながら、資金に限りがございますので、その要求は満たすことがむずかしいのでありますが、私ども大学の経験といたしましては、よそへ逃げていくというのはございません。国立からもやってきていただきまして、いろいろ事情も各学校にあろうかと思いますが……。ただ一番の問題は、大学院に優秀な学生を残そうと思っても、なかなか優秀なのが残らなくなったということが、一般的に言えると思います。戦前でありますと、優秀な学生に大学へ残ったらどうかといえば、むしろ喜んで残った傾向がございましたけれども、戦後はなかなか残らない。先ほど一流会社の課長級になるのは二八%という先生のお話がございましたが、若い卒業生が私のところへ来て、自分の給料と比較してまことに先生に申しわけないと思いますと言っておりますが、根本の問題は、大学教師全体について——これは大学はかりでなく、小学校からの日本の学校の教師について言い得ると思うのです。次代の若人を養成して日本の将来をになうという使命を果たすということから言いますならば、私はこの前佐藤総理に会ったときに、小学から大学までいまの給料の三倍にしてくださいと座談の中で申し上げたのでございますが、むしろ困難はそういうところにあるんじゃなかろうかと思います。
  46. 伊藤卯四郎

    ○伊藤(卯)委員 ありがとうございました。
  47. 八木徹雄

    八木委員長 塩崎潤君。
  48. 塩崎潤

    ○塩崎委員 中原先生に一点だけお尋ねしたいと思います。  先生の思い切った御意見を承りまして、ほんとう参考になりましたことを最初に御礼申し上げたいと思います。その先生の御発言の中に、補助金は大きな総合大学はもらえるけれども、小さな大学は幾らももらえない、こんなようなことで文部省の干渉が強くなるということは好ましくないという御発言があったのでございます。私は、この補助金配分方法について、先生の御意見を承りたいと思うのであります。先生の御発言が、もしもほんとうにそういう事実がありといたしますれば、私学の大きな存在理由は何といっても個性のある教育だと思うのでございますが、そういった見地から心配でございます。  それともう一点、今回の財団法審議にあたりまして私どもが気がつきますことは、財団法の二十条の中に、今後補助金配分文部省から財団に移されるという規定がございます。しかもまた、その配分の基準は法律のどこを見ましても明確に書いていない、こういうことになっておりますので、私はこの点について心配がますます大きくなるだけに、先生の御意見を承りたいと思うのでございます。  そこで私は、しかし文部省といえども、おそらくこれまでいろいろの見地と申しますか、むしろ十分練られた、たとえば学生数、あるいは補助金交付の目的でございますところの設備の大きさ、こういった客観的な基準から補助金が配付されていると思うのでございますが、もしも先生のような御発言がございますれば、はたしてそのような事実を示す例証があるかどうか、この一点をまず最初にお伺いいたしたい。  それから第二点は、いまも申しましたが、私は、文部省は法治国家のもとにおいて、おそらく民主的な合理的な方法で配分をいたしておると思うのでございますが、もしもその配分の中にそのような、先生のおっしゃいましたような事実を裏づけるような原因がありますれば、それは何かということを御指摘を願えればいいかと思うのでございます。  第三は、しからばそういった原因を考えた場合に、どうすれば補助金の分配——私は補助金だけじゃなくて、私学振興会になりまして以来の貸し付け金の貸し付けのしかたにも関係があると思うのでございますが、どうすればいま先生のおっしゃいましたような点の欠陥が除けるであろうか。今度私学振興財団ができていけば、このような欠陥はおのずと除かれるかどうか。おのずとは除かれないんだ、それにはこういうことにすればいいのだ、先ほど来申されましたように、役員の中に私学関係者をたくさん入れるとかいろいろな方法がございましょうが、このような対策について御意見がございましたら、第三にお伺いしたいと思うのでございます。以上でございます。
  49. 中原実

    中原参考人 一番初めの御質問は、私の申しましたことを多少誤解されておられるようであります。私立大学補助金をある学校は少なく、大きな学校は多いということは、こういう意味なんです。つまり小さい学校というのは、学部が一つしかない。ところが、総合大学は学部が幾つもあるわけです。十も二十もあるわけです。そうしますと、文部省に申請する場合に、二十の申請ができるわけです。小さい学校は、いつまでたっても一つしかできない。しかもそれなりの配分委員会においての作業が行なわれるわけでありますから、やはり私立の経営者は何とかして学部をふやして大きくやろうというような気持ちに相なるのであります。これは、やはり国家の文教状態としてよくないことだと私は思います。日大だのその他の大きな学校になるということは、日本の教育の発展の過程として当然かもしれませんけれども、今日のように相当に国民も教育を受けてまいりますと、早稲田であり日大のような大きな組織を持つ場合は、それ相当の統率者というものがなければならないし、それを発見するということは至難のことではないかと思う。人間の能力というものは個人に限定されるのでありますから、なるほど合議制においていい考えを集めてよくやるのがデモクラシーだとかなんとかいっておりますけれども、私はそういうことは考えられないと思います。毛さんの国は毛さんがすわっておられて、そうしてアメリカのようないわゆるデモクラシーの国が手を焼いているということは、よくおわかりだと思う。一人の人間が権力を持っていつまでもいるということは不都合だという考え方は、これは考え直す必要がある。選挙においても、あなた方はおわかりのように、十万票取ったものが落選して三万票でも当選するというようなことが、今日起こっているじゃないですか。  先ほど申し上げましたように、今日の佐藤さんも、二言目には民主的ということを使わなければならぬ。その民主的とは何だということは、よくはわからない。大体においてアメリカ流ということにしかならない。それでアメリカの国はどうだというと、ああいう状態だ。いつまでたってもベトナムの始末もつかない。これはやはり民主主義というものを間違えているのだと思う。民主主義というものは、彼何人ぞやわれ何人ぞやという認識をはっきり持って、まかすことは自分よりできる人にはっきりとまかすというのが、民主主義の真髄じゃないかと思う。大ぜい寄って選挙ばかりやる、そんなことは民主主義の一番悪いことであり、そういうことを続けておれば、無能なやつが集団で有能な者をじゃまするという結果しか出てこない。今日はそういう状態じゃないかと私は思っております。やはり自己をはっきりと見詰めることを教育としては訓練させるべきだと思う。何でも平等だとか均等だとかいって権利を主張する、それが当然である、わからなければすぐ選挙に訴える。しかし、それもやはりからくりがありまして、適当に頭のいい者が大衆をだましておる。これが現実です。  それから二番目のは——もう一ぺんちょっと一言おっしゃっていただきたいのですが……。配分の方法でしたか。
  50. 塩崎潤

    ○塩崎委員 まず最初は、総合大学のようなところにたくさんの補助金が行き、小さいものには行かないという事実があったかどうか。
  51. 中原実

    中原参考人 それは事実です。いつでもそうです。というのは、何も悪いことでも何でもなくて、学部が多いから結局たくさんもらえる。金というものは、御承知のとおり、小さな金と大きな金の運営とは力の状態が違う。
  52. 塩崎潤

    ○塩崎委員 そういたしますと、いまの総合大学のほうに多く行き、あるいは小さなほうにはあまり来ないということは、別に悪いことではない。
  53. 中原実

    中原参考人 そうです。
  54. 塩崎潤

    ○塩崎委員 私の誤解かもしれませんけれども、最初はそういったことが補助金配分を乱しておるのだというふうな印象を受けましたものですからお聞きいたしましたので、それなら、その後の原因とか対策とかいうふうなことはあまり必要ではないかと思いますので、質問は取りやめてもけっこうであります。
  55. 中原実

    中原参考人 文部省には、御承知のとおり、助成金の配分委員会というものがありまして、私らも出ておりますが、それがかなり公平にやっております。この前、この学校にはこのくらいな程度の申請があって、このくらい出しておる、今度はこういうものをこういうふうに買いたいという申請を出しておるから、それをよく検討しまして、確かにこれを買うということはこの学校にとって必要なことであるという場合には、委員はそれを認めてやはり出しておるわけですから、そういうところに先生が危惧されるようなぐあいの悪いということはあまりない。ただそこへ出てくる——これは人間の社会のことですから、出てくる委員そのものの発言力というものは、相当響くわけです。それはどこの社会でも同じことですから、これは論議をしてもしようがないと思います。わりあいにそういうほうは、文部省は別にそれをどうするとか、非常に変な配分の方法におちいるというようなことはいままで私の知っている範囲ではございません。
  56. 塩崎潤

    ○塩崎委員 それでは、ありがとうございました。
  57. 八木徹雄

    八木委員長 小林信一君。
  58. 小林信一

    ○小林(信)委員 一時までという予定でございますので、もう一時になりましたから、あまりお伺いすることは失礼だと思いますので、一つだけお伺いをいたします。  実はいろいろお話を聞きましてたくさんお聞きしたいことがあるのですが、時間の関係から一つだけにしぼってお伺いいたしますが、この財団法の生まれる原因というものを、私どもは考えなければならぬと思うのです。私は私なりに考えておりますが、あるいは他に特別な御意見がございましたら、お三人からお伺いをしたいのです。  一つは、いまの社会事情と申しますか、経済事情というふうなものの中から、ますます企業というものが拡大をされて、しかも技術革新が要望され、あるいはそこに働く人たちの学歴というふうなものももっと高い学歴をというふうに、時代的に要求をされてくる。そうすると、これからますます大学で勉強しようとする人たちが多くなると思うのですね。そういう中で、過去の経験からいたしましても、とても国立あるいは公立でこれをまかなうことはできない。いままでもそういう事実がありましたように、私立にますますお願いをしなければならぬ。そういう国家的な責任から考えてもいかなければならぬと思うのですね。それが一つの原因であるし、また先ほど永井参考人から特にお話がありましたように、いままでの大学だけでなく、学制全般をもっと再検討しなければならない。しかも総合的な計画的なものを考慮しなければならぬというようなものもこの中に考慮されておると思うのですが、そういうものと同時に、もう一つの問題とすれば、大学紛争等から私学要望されております国民の声というふうなものにも政府は応じなければならぬようなやむを得ない立場から、この法律というものが考慮されたような感がいたします。文部大臣は、いまはわずかしか金を計上しておらぬけれども、将来は人件費の半分ぐらいは支出するような、そういう将来性をもってこの法律をつくるのだ、こういうふうに言われておりますが、それらもやはり学園紛争というような事態から考えられたものではないか、こういうふうに私はいろいろ想像するわけです。おもなる点を三つしぼりまして、そこからいろいろ問題を私は考えているわけですが、学園紛争の中から出たものは、国公私立、これに格差を持たしておることはけしからぬじゃないか。社会的な要求から同じように税金を納めておる者の子弟が勉強するのに対して、その差別をなくす必要がある、これは非常に強い声だと思うのです。こういうものに政府は、政治は当然応じていかなければならぬと思うわけであります。またそれに対して私学は万難を排して対処してきて、いろいろ犠牲を受けたりあるいはそのために困っておいでになるような問題もたくさんにあると私は思うのです。そういうものに応ずるためには、ほんとうにこれは名目的な法律であって、もっと大胆に、国民の要望というものはもっと強いものを要望しておるのですから、そういった性格を持った法案でなければならぬ、こういうように私は考えておるわけです。したがって、先ほど連盟の会長さんから公共性があるのだ、公共性のあるものに金を出すことが間違っているかどうかというふうなかえって反問があったわけですが、われわれのほうからの質問というのは、決して公共性を無視しているわけではないと思うのですね。これは私立学校法が生まれるときに、私立学校に国が補助をするということがはたして正しいかどうかという問題が検討されたことは、皆さん御存じだと思うのですが、やはり憲法の八十九条というものを考えていくと、国が私学に援助するということは、ちゅうちょしなければならぬようなものがあるわけです。その中からしいて公共性を引きずり出して、そして私学に援助するというふうな道を開いたというのは、私学が今日こういう重要な社会性、公共性を帯びておるものに、せめて多少でも即応する道が開かれたと思うのです。したがって、憲法の精神からいっても、その公共性に対しては異議はない。だが、その逆の、国が金を出すことによって私学の特性というふうなものを侵してはならない、こういうことが憲法八十九条の内容だと思うのです。そういう点から、皆さんが問題にしております私立学校法の一部改正の問題は、これは非常に重大な問題だと思うのですが、それもそういう趣旨から考えれば、これは十分警戒をし、そういうものがあってはならないような法案にしていかなければならぬと考えます。  そこで特に私はこの際、社会的な要求というよりも、経済成長政策というものが、教育というものも一緒に入れた計画的なものでなかったというところに、今日の事態が生まれておるような感がするわけですよ。経済成長政策を実施するというふうな場合に、もっと教育を中に入れて考えてこなかったところに、今日のような私学の状態というものも生まれておるのではないか。あるいは教育全般に対して国民のいろんな意見が出ておるのも、それが原因ではないかと思うのです。  そういう誤りを直していく場合に考えなければならぬ点が多々ありますが、一つだけこの際、失礼とは思いますが、お伺いしたいのは、この状態の中でたくさんの希望者を収容するというふうな中から、施設の問題、あるいは設備の問題、あるいは教授陣の整備というふうなことから、私学は経済的に相当苦労をしてこられたと思うのですが、大きい大学はともあれ、先ほど中原参考人が言われましたように、一国一城を誇るような大学には、特にあるのではないかと思うのです。失礼な言い分ですが、いま財政的にだいぶ借金をお持ちになっておる学校が多いようなことを聞くのですが、そういう財政事情について、ひとつ中原参考人からお伺いをしたいと思うのですよ。というのは、それにもいろいろ問題があるのですが、特に附則の第十三条の八と九とを私は見ましたときに、「文部大臣の定める基準に従い」——まだその基準が出ておらぬようですが、学校法人の会計基準というものがどういうふうに出るかわかりませんが、それに従った財政事情を報告する。あるいは九項の「公認会計士又は監査法人の監査報告書を添付しなければならない。」というきびしい手続をしなければ、金を借りたりあるいは補助を受けることができないというようなことも私はあり得ると思うのですが、そういう場合に、きょうまで果たしてきた役目の中から、財政的に苦しんでおるわりあい小規模の大学等は、こういうものが厳格に行なわれたら補助を受ける資格がなかったり、あるいは金を借りる資格がないというふうな、そういう心配がないかと私は思うわけです。そんな心配のないような法律をつくるということが、私学のこれからの果たさなければならぬ使命——今日まで急速に私学に負担が課せられてきて、それに対応してきたために財政的に苦しんでおるというふうな小規模大学の苦しい実情、そういうものをこの十三条の八、九は無視するようなことになりはしないか、こういうふうに具体的には考えるわけであって、基本的には、もっと私学の特性とか、あるいは私学が今後果たさなければならぬ使命とか、あるいは国公立と私学との格差というものは是正せよという国民の強い要望がある、そういうものに大胆にこたえていかなければ、ほんとう私学財団法の使命というものは達成しないと思うのですが、そういう大きな目的というものはさておいて、部分的でありますが、いまの二つの条項から考えて、きわめて大きな大学には私は多少恩恵はあっても、小規模の学校には冷酷なものがありはしないか、こう思うのですが、ひとつ中原参考人からお伺いをしたいと思うのです。なおほかに御意見がありましたらお伺いをすることにして、私の質問はこれで終わらしていただきます。
  59. 中原実

    中原参考人 たいへん複雑な御質問でして、一ぺんにのみ込めませんのですが、私の考えますのでは、あなたのいろいろおっしゃる御意見の起こってくる原因というものは、やはり日本の教育のやり方、そこに欠陥が十分出ているのじゃないかと思う。一つ学校をどうするということ、それに対して一つの申請の規則を文部省ではいつまでたっても変えない。私ども委員をしておるときに、こういう方法では国民に迷惑をかけるだけで、しかもろくな学校はできないのだということを幾ら申し上げても、一向に取り上げない。これは慶応、早稲田のようなところから出てこられる方がおっしゃるとすぐお考えになるのでしょうが、われわれのような群小学校の者が何を言っても、一向に文部省は相手にしない。そういうことで、国民はあらゆる点で小さいものほど下積みにされておる。これが現在の、どこの国でもそうかもしらぬけれども、状況なんです。私は、われわれの大学協会においては、どの学校が一番どういうふうに困っているかということをいま具体的にお答えができませんですが、ここにわれわれのほうの事務局長、常任理事あるいは会長もおられますから、そういう点は後ほど何かお答えができると思います。ただ、官学が日本においてあらゆる教育の面においての規範を示してくれる。しかも国民はそれをもっともであると信じておる。それに抵触したようなものは全部なっておらないのだという印象を、いまでも持っております。それですから、困るようになったということは、月謝が上げられないということなんです。つまりなぜ上げられないかということは、私学自身も非常にばかであったのは、学問の美名に隠れて、金銭のことについてあまり考慮するということはいさぎよしとしないというような妙な気風をわれわれは持っておった。新聞代が千何百倍になっても、まだのほほんとしておって、しかも官学では、しゃれたライスカレーを一ぺん食えばなくなってしまうような月千円の授業料でもってゆうゆうと筆答試験の秀才がやっておる。しかもそれらが先頭に立って、授業料を上げてはいけないとか、それにまた太鼓をたたいて授業料値上げは限度に来ているというようなことを一般化したのでありますが、私は時子山さんにも申し上げた。だれが言い出したか知らぬが、授業料が限度に来ておるというのはどういうことなんだ。限度に来ておるはずはないじゃないか。要るものは、ほかのものは上がっておるのだから、授業料も要るなら上げていいじゃないか。そういうところに、あなたのおっしゃる私学の困っておるという原因があるわけであります。これは自業自得かもしれませんけれども、結局すべての日本の教育の混乱は官学にある。しかもそれは官学の教師の責任だと私は思います。決して生徒の責任ではないと思う。なぜならば、森戸さんの話を先ほど出したけれども、やはり教育というものは教える者と教えを受ける者とから成り立っているのが教育だと私は考えておる。それをそうでないというようなことを言ってふやかしてしまえば、若い者はいろいろ迷う。官学の人間の話を聞いておれば、しまいにただで勉強させろ、おれたちは秀才だから。しかし、それは私らに言わせると非常におかしい。なぜならば、今日医学が進んで人生七十となったとすれば、たった二十前後において国民をえり分けて、筆答試験でもって点数をとった者を選び、あとの者はみなだめだ。それらのだめな者が、御承知のとおり、私学に来ておるわけです。しかし、それらは何年かたってみなければ、その成績はほんとうにはわからない。官学の秀才が日本を今日のような状態におとしいれたという成績を見ても、あのえり分け方は非常に間違っておったと私は思う。出題した先生が、答案を書いた本人がどんな人間だかちっとも知らない。つけた点数だけで入れて遡る。そうしてそれらがかってなことを言って、授業料は限度に来ておる、何のかのと言っておる。しかも、それを少しでも納得させるだけの能力を官学の先生たちは持っておらない。ふだんからそういうことをしていないで、先ほど申し上げたように、あなたお聞きになったかどうか知らぬが、学問の切り売りだけをしておられるから、学生は、そのことだけに自分らの希望をしぼって、主張をしぼって、高い、安い、おれたちはよくできるのだ。しかし今日は、あなたのおわかりのとおり、日本の国はさいふの大きさを許されておるのです、大きくも、小さくも、あるいは中等にも。そういう状態の国ですよ。まだソビエトになっておらない。そういう国において、左翼的な考えをもってすべてに当てはめて、どうのこうの言うのはおかしいと私は思う。いまあなたの御指摘のように、困る学校がある。困る学校は、何かやり方が悪いのだろうということの、すべての原因は官学から来ておる、しかも、それは官学の教師から来ておる、私はそう言いたい。彼らがもっとじょうずに生徒を指導し、教えたならば、決してこういうことにならない。早稲田、慶応だって、好んで騒動が始まったわけではない。みな官学のまねである。若い者はほとばしる体力を持っておる、あるいは考えもいろいろの考えを、われわれの思い及ばないような将来性を持った考えも持っておるから、それに対していろいろな叫びをあげるのは当然だ。そういうことに対しての規正をすることが、少なくとも教育じゃないかと思う。しかも、官学の教師どもは、学問を切り売りするだけで、あとのことは知らない。あなたの御承知のとおり、東大の医学部は、前を通るのも職員はこわがっている。そういうばかなことをやっても、あのこわしたものはいつの間にか直っている。私は、文部大臣にいつか質問しましたよ、去年。あの修繕費はだれが出すんだと。絶対に国民のふところから直接に出すのはお断わりだと申し上げたのです。何のお答えももちろんなかったのですが、いま聞いてみると、だいぶ直っているそうですが、これはふしぎなことですよ、ぼくに言わせれば。  そういういろいろなことをやっておられて、そしていまこの助成金の問題にあたっては、せめて整理したお考えでもってこういうものをつくり、こうしてこういう方法によってやらなければいけないんだと大蔵省が言うのだろうけれども、そういうことはわれわれはとても納得できないです。自分らの直轄学校を整備してりっぱにしていく、国民が思っているように規範を示してくれれば、われわれは喜んでそれについていきますよ。  そのほか、だいぶ脱線したようですが、先生の御質問のもう一つ重要なことは……(小林(信)委員「大体わかりました」と呼ぶ)それでよろしゅうございますか。(小林(信)委員「はい」と呼ぶ)
  60. 八木徹雄

    八木委員長 新井彬之君。
  61. 新井彬之

    ○新井委員 非常に時間がないところを申しわけございません。もうほんとうに聞きたいことがたくさんあるわけでございますけれども、それこそ質問をしぼりまして、前後の私の意見をいろいろ聞いていただいてお答えを聞くのが当然とは思いますけれども、その時間もありませんので、質問の内容ずばりでお答えをしていただきたいと思います。  この問題につきましては、今回の私学振興財団を設立するにあたりまして、文部省も希望されておりますでしょうし、また一般の国民が非常に希望されている、こういう一面が非常にあるのではないかということでありますのでお聞きしたいのですけれども、今回のこの財団法におきましては、あくまでも私学救済ではなくて、振興である、こういうぐあいに文部大臣は明確に答弁をなさっております。私は、その金額にもよりますけれども、もっともっと抜本的に金額をふやしていかなければ、現在の状態から見て救済以外の何ものでもあり得ない。したがいまして、現在の状態において、たとえて言いますと、先ほども、これも非常に議論しなければならないことでありますけれども授業料であるとか寄付——これは入学どきの寄付金でございますけれども、そういうものが限度にきている。こういうようなことがよく議論されるわけでありますけれども、その場合において、結局この私学振興財団からいろいろと援助されるお金と、一般的に受験をする学生たちの間の相互関係といいますか、財政援助、どのような形で出てくるのか。こんな少ないお金のために、現在ではそこまでいかない。これは水増し定員の問題があるし、それから教員の不足がありますし、それからまた設備の不足がある。そういうわけで、とてもじゃないけれどもそこまで効果がいかないのか。それとも、今後大体この線までくれば、授業料であるとか寄付金であるとか、そういうところまで影響を及ぼして、非常にお金がなくても多くの方が勉強ができるようになる、こういうめどがありましたら、お聞かせを願いたいと思います。これは時子山会長稗方会長に、簡単でけっこうでございますから、よろしくお願いしたいと思います。
  62. 時子山常三郎

    時子山参考人 ただいまたいへんごもっともな御質問をいただきました。この私学振興財団法でもっと根本的にふやさなければ、私学振興にならないじゃないか、私学の救済にすぎないじゃないかというお話がございました。それから授業料値上げに限度がきておるというお話がございました。これは中原参考人とだいぶ意見が違うのでございます。こういう点について、私学はなぜ今日こういうふうな財政困難におちいったかにつきまして、要点を申し上げさせていただきます。  先ほどもちょっと申し上げましたが、新制大学ができましたときに、国公私立大学教育条件、研究条件、施設、教員数、すべて同じ基準で律しながら、憲法第八十九条がありまして、これに対してお金を出してこなかったその結果が、今日の私学財政を困難におとしいれている原因だと申し上げられるかと思います。たとえば、私立大学授業料は大体平均して八万二、三千円でありますが、それに施設その他の経費を入れますと、四年間平均すると大体十三万円ちょっとこえたくらいである。これは文部省で前にお調べになったのでございますが、ところが私立大学がいままで学生一人に使っていた平均経費が二十八万二千円。これは私管理局長から伺った数字でございますが、そういたしますと、私立大学はいままで学生一人当たり十五万円の持ち出しをしてきているわけです。その大部分は建設施設にかかっておりまして、それが私立大学の借金の大きな理由になっておるわけでございます。新制大学の基準によりますと、非常に経費がかかるようになりました。その点は戦前とは事情が非常に変わってきておるので、こういう財政困難になりました。イギリスの例を申しますと、イギリスでは、一九二三年ころまでは大学は全く自前でやっておりました。ところが、経済や研究体制の大きな発展によりまして、経費がふえました。御承知のように、現在では八〇%以上の国費をもってイギリスは私立大学をまかなっておるのでありますが、日本の場合にはそれが行なわれなかったというところに問題がございます。  いま一つ授業料値上げに限界がきた、これは中原先生はこない、取れば幾らでも取れるじゃないかということを言われるのでありますが、限界がきた客観的な数字を申し上げますが、これはやはり文部省で四十三年度の私立大学の学生の家庭の年収入をお調べになったのを申し上げますと、三百万円以上の年収の家庭のものが全学生の六・三%、二百五十万円から三百万円のものが九・五%、百五十万円から二百万円のものが一五・一%、百万円から百五十万円のものが三一・六%、五十万円から百万円までのものが二八・九%でありまして、これを見ますと、年収百五十万以下の家庭の子供たちが全学生中の六〇・五%を占めておる。これは私どもの経験からいたしましても、こういう家庭が大学に子供を出すということは、私はたいへんに苦労だと思うのでございます。したがいまして、もう授業料値上げに限界がきておるのでないかということが言えようかと思います。また、戦前と比較いたしましても、御承知のように、戦前は平年度というので大体昭和九年から十一年平均をとりますが、国公私立、大体年間百二十円でございました。国立は現在一万二千円でございますから、百倍でございますが、私立大学の場合には、今日は七百倍になっておるわけであります。こういう不均衡が、どうして教育の機会均等から見てあり得るのだろうか。しかもその七百倍が限界にきておる。こういうことが、今回私学が強く人件費研究費、学生教育費の三本の柱のもとでぜひ大幅な補助をいただきたいということを要望いたしました理由であります。
  63. 稗方弘毅

    稗方参考人 この受益者負担という制度で考えれば、授業料は幾ら上げてもいいわけなんでございますが、ところがいま問題になっておるような限度の問題なんですけれども、事実限度がきておろうとおるまいと、これを学校授業料を上げますと、たいへんな騒ぎになる。事実上げるということは不可能になっておるわけであります。それで私どもは、もう以前のように授業料がどんどん上げられるという時代なら、何とか私学の経営はつじつまを合わすことができると思いますけれども、現在においては、もし授業料を上げれば必ず大きな騒ぎになってくる。それではもうわずかな値上げのために学校は混乱におちいるのでありますから、どこの学校でも思い切って授業料を上げることができない状態であります。しかし、それならどういうふうに困っているかと申しますと、これは学校はまあ曲がりなりにつじつまを合わせれば、不足がちの教育をやり、不足がちの状態のもとに、教育研究条件がはなはだ不足がちでも、やればやれるのであります。私どもは困っているから金をもらいたいというのでなく、現在の状態では私立大学教育内容がはなはだしく貧弱である、何とかしなければならない、この状態でいってはたして学生に対して良心からかえりみて十分のことをやっているかということを問われると、これはどうもはなはだ良心にかえりみてどうも不足である、不十分である、こう考えるのでございます。そこで、大体施設その他のほうは従来文部省でいろいろ設備の補助等をいただいて相当充実してまいったのでございまして、ただ内容としては教員が不足、それから人件費に困っているという点で、やはり大学教育というものは、設備だけの問題でなくして、人の問題でございます。人がはなはだ不充分である。国立に比しても私学のかかえておる教員数が非常に不足しておる。これを充実しなければならない。これを充実していくためには、どうも授業料を上げなければ充実はできない。私どもはやはり内容を充実して向上していきたいという熱意に燃えておるのでありますが、今度のように人件費を含めた補助があれば、これは非常に助かるわけでございます。ぜひこれはもっと大幅に漸次これを増額していただきたいということを熱望いたしておるわけでございますので、ただ困るから補助してくれろというのじゃございません。われわれとしては、学校内容をよくしていこう、充実していこう、こういう考え方から要望しておるわけでございますから、その点で誤解のないようにしていただきたいと思います。  それから大体経営というものは御承知でございましょうが、人数によって非常に違うわけであります。小さな大学では、それだけ人数は少ないのですが、それでもやはり一世帯を持ちますと、すべて費用が相当要るのであります。ところが、大きな大学になりまして学生数が多いと、ほとんど加速度的に余裕が出るわけであります。私どもは大大学補助を少なくしていいということを申し上げるわけじゃないのでありますけれども、その点は小さな大学と大きな大学では財政上も非常な格差があるのでありまして、学生の数が多ければそれだけ余裕が出る。小さな大学、学生数の少ないところは、やはりそれぞれ一世帯を持っていかなければならない当然の経営の費用が相当かかる。その点は、大大学と中小大学とは非常な差別があるということも、ひとつ御認識を願いたい。  それからなお、今度の助成の対象が医科、歯科大学は教員俸給に対する三〇%、それから理科大学が二〇%、一般の教員に対しては、初めは全然これを無視するということでありましたのが、ようやく文部省なりあるいは議会の方々の御努力によりまして、これは一般の教員に対しても助成をするということになったのでありますけれども、わずかに一〇%。自然科学系あるいは文科系というもので、それは差別があるものでありましょうか。先生の給与に対して助成するならば、これはやはり同等に認めるべきものであって、どうも文科系統あるいは社会系統の教員は、卑近なたとえでございますけれども、御飯は一ぱい食べろ、それから理科の先生は三ばい、五はい食べろというのと同じことでございまして、やっぱり教員という立場からいったら、私は同等に助成の対象にすべきものではなかろうか、こういうことをひとつ鋭意配分のおりにはお願いしたいものだと考えておりますから、ちょっと一言申し上げたいと思ったのでございます。
  64. 新井彬之

    ○新井委員 どうも長い間ありがとうございました。
  65. 八木徹雄

    八木委員長 これにて参考人各位に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。本委員会といたしましては、各位の御意見を今後法案審査に十分参考にいたしてまいりたいと存じます。ここに厚くお礼を申し上げます。  次回は公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。    午後一時三十六分散会