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伊東参考人 行政介入が
物価にどういう
影響を与えているかということを、四十三年の九月から一年数カ月にわたりまして
調査いたしました。その
調査をずっと続けてまいりまして私
たちがつくづく感じましたのは、従来までの
行政というものが、戦後の貧しい
時代の、
物資不足時代の
行政として定着している。その結果、
生産をふやすこと、質を向上させること、こういうことに
力点が置かれておりました。そして、
高度成長過程を通じまして、そうした
役割りはますます強められ、ある
意味で、これは十分な
成果をあげたと考えております。そして、その
成果があがりましたために、現在のように豊かな
時代になりますと、その
行政は
転換を必要とするのではないか。そして、
転換を必要とし、
消費者のために、あるいは
価格の
安定化のためにという新しい、
生産優位の
視点からもう
一つ別の
視点へと、ウエートを徐々に移す
段階にきたのではないか、これが、私
たちの
調査の大きな
一つの結論であります。特に
高度成長以後、
社会構造、
経済構造の
変化は非常に大きいのでありまして、その
変化に適応すること、その
経済政策のむずかしさを、
調査過程においてしみじみと感じました。
ところで、どういう点に私
たちのねらいが集中したかと申しますと、それはおよそ五点であると思います。
第一は、各
産業におきまするところの
参入条件をできるだけゆるめる。そして、
参入障壁を高めているような要因を徐々に取り除き、その
産業に
競争条件を導入していくということが、
一つの
ポイントであります。
競争が激化する、あるいは
競争が
価格引き下げに向かってくるというようなことの一番大きなところは、この
参入条件をゆるめるというところにあるかと思います。これが第一点。
第二点は、ともすれば
限界企業、一番
能率の悪い
企業温存が各
産業によってはかられてい過ぎる。この
限界企業温存を取り除く、これが第二の
ポイントであります。
それから、第三点には、
競争条件を強化いたすために、
一つの武器として
輸入を使うということはしばしば行なわれておりますけれども、この
輸入によるところの、外からの
刺激が迅速に行なわれねばならない。時期を失する、そういうようなものが
かなりあるのではないか。迅速にこれを行なうメカニズムは、どうしたらこれが樹立できるであろうか、これが第三点であります。
第四点は、
安定帯価格政策、
最低価格政策、こういうようなものに
経済法則を導入し、その
水準の
適正化をはかる。豊かな
社会になるとともに、こうした
安定水準というのは動いていくのでありまして、その
安定帯価格水準というものを、そのとき、そのときに合わせて移していくというようなことをしていかなければならない。これが第四点。
第五点は、ともすればおちいりがちな惰性的な
行政というものにケリをつける。
この五点であります。
行政介入と
物価という
提言自体は短いものでありますけれども、そのもとに
かなり膨大な
調査がありますが、それを全部申し上げることはできませんので、
一つずつ例をあげながら御
説明したいと思います。
惰性行政をやめるということの最も典型的な例は、それは事実上の
カルテルであります。
適用除外カルテルと現在いわれておりますところの、
中小企業団体法に基づきますところの
カルテル、これが実に九百を数えておりまして、そして、その中におきましては、緊急避難的に、一時この
カルテルというものを結ぶというような緊急避難的な性格を持つものもありますけれども、それが何と十年にわたってずっと続いているものもある。そこで、こうした緊急避難的なものはもちろん、
適用除外カルテルの場合におきましても、ある
程度たちまして
効果が出なかったならば、それはもう時限的にこれをはずすというようなこと、そして冷たい風を外から当ててみるということも、必要があるのではないか。あるいは、
適用除外カルテルの場合も同じでありますが、こうした場合においては、
産業構造を近代化し、質を高める、そういう本来の
目的があるならば、当然、そこに時限的なものを与えることによってみずから
業界が努力する、こういうようなことを強くやるべきではないであろうか。こうして、惰性的にそれが五年も十年も続くというようなことについては、ピリオドを打ちたい。
次に、
価格水準、
安定帯価格水準というようなものにつきましては、農産物、豚肉であるとかそのほかでありますけれども、こうしたものは、
下限については、
生産者保護的機能はほぼ働いてきた。しかし、
上限でありますところの
消費者保護的な
機能というのは働いていない。これは
安定帯のとり方に問題があるのではないだろうか。ここを動かしていくということ、こういうことが必要であろうと思います。
輸入によって外からの
競争を入れる、これは迅速にしなければならないというものの最もいい例は
ノリのようなものでありまして、その
ノリの
輸入、この放出というようなことが、国内産の
価格決定が行なわれた以後において行なわれるというような事態では、本来の
機能を発揮しないのでありまして、それ以前において、
政策的に見ながら、いち早くこれを行なうというようなことをすべきではないかというぐあいに思います。
四番目に
限界企業温存。これは非常な
産業において存在しております。巨大な
企業が
一つありまして、
あとの同業者が
かなり小さい。こういう場合におきましては、過去においてだったならば、これは
競争によりまして
限界企業が淘汰される。その
過程の中において
価格が下がるべきものが、これがそうならない。こういうことは、たとえば
損保事業のような場合においては、もう少し
競争条件を入れ、同一な
料金によって
競争するのではなしに、
お互いに
料金格差をつける。
企業格差もあるのですから、そうしたことをやる必要があるのではないか。
かなりつらいでしょうけれども、しかし、そういうようなことをして合理的なものを残していかない限り、合理的なものを育成していかない限り、
価格問題というのは十分いかないのでありまして、
限界企業を温存させますと、
限界企業の
労使は、ともにその
自分たちの
企業というようなものを存立させるために利益集団的になりまして、
価格に問題を転嫁していくという
傾向が非常に濃厚であります。
産業を見てまいりますと、通説的には、
労使という
ぐあいに見方を分けておるのでありますけれども、
価格問題に対する限り、日本におきましては、小さいところは小さいところなりに、大きいところは大きいところなりに、
企業あるいは
産業一体化の
利益集団化傾向というものが
かなり進行しておりまして、そして、問題をその
需要者に転じていく。こういうようなことを防ぐためには、どうしても
かなりきびしい
競争の
条件を導入しなければならないのでありまして、その場合、少なくとも
限界企業というものが安易にならないように、ここに徐々に
競争の冷たい風を送るというようなことも必要なのではないか。過去におきますように、
生産あるいは
成長ということの
視点が強くて、そして
企業温存、
企業育成というものが、ともすれば、こういう
限界企業という非合理的なものを安易にしている。こういう点については、ややきびしい
行政態度というものに転じていく必要がある、こう思います。
五番目に、
参入条件をゆるめるというようなことについては、意外に小さい
企業、あるいはもっと極端に申しますと、たとえば
ふろ屋さんであるとかあるいはお酒を売る店、こういうようなものについて、従来の
行政の
視点から、
許可制というようなものがお酒については行なわれ、それから、お
ふろ屋さんにつきましては
距離制限、こういうようなものが行なわれ、そして、その結果
参入条件がゆがめられてきた。お酒の場合などがその例でありまして、スーパーという
大型能率小売り店、これが進出するのに対して、ともすれば、そうした
許可がスムーズに行なわれない。
税収確保という
目的はもう十分達したのではないか。あるいは、お
ふろ屋さんについて言いましても、
距離制限というのは
衛生的見地から行なわれますけれども、
衛生的見地という、過去の貧しい
時代における
目的は十分達しているのでありまして、いまでは、
経済政策としてこうした問題を考えなければならないのではないか。あるいは
タクシー業というようなものも、いままでとは違いまして
——一体タクシー業というのは、
産業組織論の
見地から、どういうような
組織が一番合理的なのであるか。本来的に、
化学工業のように、
生産過程が
大量生産の
合理性というものを基軸にして展開するような、そういうものではありません。もしそういうような、
大量生産の合理的なものを基礎にしていくのであるならば、それは、本来的に大
企業が生まれるのが必然でありましょう。しかし、
タクシー業のように必ずしもそうでない場合には、一体
産業組織論の
見地からどうしたものが適当なのか。おそらく、この免許を自由にするならば、
個人タクシーというようなものは
かなり拡大するであろうというぐあいに思います。そして、こうした
業界に最も適するような
経営組織、そういうものを育成するというような
視点、こういう点に、ともすれば、従来の
参入条件を
行政的に阻止していたものがありはしないか、等々であります。
以上、五つの問題について例を申し上げましたけれども、
消費者行政の場合におきまして、どういう点に手を加えたならば一番
価格が安くなるかという
ポイント点があるのでありまして、その
ポイント点を、
行政介入の場合にも
力点を置いて変えていくということが、いま一番大切であろうかと思います。
たとえて申しますと、
生鮮食料品という非常に
上昇傾向を持っているものにおきましても、
小売り店マージンというものは意外に大きいのでありまして、
小売り店マージンは、仕入れの五割ないし十割をかける。卸値が非常に高いときには、
マージン率は非常に少なくなりまして、安いときに多くなるのですが、こういうような場合に、たとえば
卸売り機構の
合理化というようなところに
行政介入で手をかけまして、
中央卸売り市場の
機構を改良いたしまして、一%
程度の
合理化をやりましても、それはほとんど
価格には
影響を持たず、
小売り段階において吸収されてしまうということであります。それに対しまして、
小売り段階の
合理化というものは、
売り上げ利潤率が非常に大きいために、ここでは
かなり価格に響いてまいります。こうしたところに
行政介入の
転換をすることが必要である。そして、それは、現に
かなりの
程度でもって進行しておりますところの
大型小売り店、こういうようなものを見守っていく、こういう
態度が必要ではないか。いままでの
中小商店保護という、そういう
視点は実に重要なのでありますけれども、しかし、その結果が、ともすれば非合理的な
商店温存策にならないだろうか。それに対しまして、非常に
経営効率をあげ、
販売効率をあげていくところの
大型小売り店、こういうようなものを見守っていくというようなことが、
小売り価格というものを
安定化するためにプラスになる度合いは強くなるのではないか。そのためには、すでに
物価問題懇談会において強調いたしましたけれども、再
販売価格維持制度、こういうものについては
かなりきつい
態度をとっていただきたいと思います。
再
販売価格維持制度につきまして、イギリスが戦後、
小売り段階における
経営構造の
変化が非常に激しくなるとともに、再
販売価格維持制度につきましては、
原則禁止をうたいまして、そして、認めるものについては
コスト公表の義務を課し、そして、
小売り店におけるところの
合理化という点から問題を進めていく、こういう
態度は、われわれ見習うべきであろうと思います。
現行法のもとにおきましても、再
販売価格維持制度というものは、もう少しきつく適用することが可能であり、そうするならば、この
大型小売り店というものによるところの、
既存小売り店を含めての
合理化というようなものは、それを
刺激の中心として進むのではないか、こう考えております。
以上、
幾つかの例を申し上げましたけれども、私
たちが
提案を申し上げてから以後、徐々に実現しつつあるものもございます。たとえば、
たばこにつきましては、
たばこの
在庫がきわめて多い。これにつきましては、その後の
資料を見てみますと、
在庫は次第に減りつつあります。さらに、塩の場合でありますけれども、塩の場合につきましても、基本的に、従来の
国内塩を育成し、ここで
食料塩を確保するという
政策を、次第次第に
輸入塩に転ずる、あるいは新しい
技術導入というのを行ないながら、それと
輸入塩との
競争状態というものを勘案していく。そして、従来の
塩業地域というものは、
工業立地として非常に恵まれている地帯が多いので、そこへの転用を次第にはかっていく。こういうような点をはじめまして、
提案しましたものの中で、現実に進行しつつあるというものは
かなり進んでいるように思います。
しかし、
厚生行政、
運輸行政、従来、
産業別に
かなりのしきたりがあります。場合によりましては、従来
厚生行政であったものが、あるいは
通産行政に移してしまうほうがいいかもしれない。私は
学校関係者なので、非常に極論を申し上げるのでありますけれども、いままで
衛生的見地というので
厚生行政でしていたものが、あるいはそれで十分であったものが、いまやそういう
段階ではなくなりまして、たとえば
薬屋さんであるとか、お
ふろ屋さんであるとか、あるいは床屋さんであるとか、こういうものは
中小企業の
産業政策として、あるいは別の官庁に移したほうが、従来の事実からいって非常にいいのではないか。そういう
提案は実はしておりませんけれども、そういうようなことを考えさせる
内容もあった。あるいは、現在のように交通問題というのが非常に問題になっているときにおいては、
道路の上を走る自動車と、それから
鉄道、電車、こういうものを一元的に、
交通行政という点でもって考えていく必要があるのではないか。
道路のほうは、つくるのは建設省、しかし、それを使うのは運輸省、そして、そのつくった
あとでトラックと
鉄道とが
お互いに
競争する。いかなる合理的な
運輸体系をつくったらいいかというときには、もう少しつくる前に両省が十分話し合う、そして十分検討し合う。そういう点では、あるいは一元的にこういうのを見るという体制が必要ではないかというような議論まで出ましたということを申し上げて、
あとは御質問に譲らしていただきます。