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大出委員 長官、どうもそこに少し違いがありまして、それをはっきりしないというと
——実は古い
議論をむし返してもしかたがない、だから古い資料を持ってこなかったのですけれ
ども、ロバート・J・マイヤースが戦後
日本に来まして、マイヤース勧告というものを出した。この人は一週間しか
日本にいなかったのですけれ
ども、非常にりっぱな勧告を出したときに、
公務員法ができておりましたから、
公務員法の規定に基づいて人事院は研究の成果を発表する責任があった。だから
給与局に次長制をつくって、
大蔵省出身の慶徳さんなどを次長にして置いたわけですよ。坂中
恩給課長等がその当時一生懸命研究された時代があった。私は当時官公労の事務局長でありましたから、退職
公務員恩給連盟と一緒になってずいぶん
苦労した時代がある。このときに
恩給とは一体どういうものかという大きな
議論があった。そこで一番の問題は、
明治憲法下における
恩給制度でありますから、
公務員の
立場は天皇の官吏だった。
公務員という
ことばは使っておりません。だからつまり恩賜、天皇に長年仕えた官吏に天皇が下さるのだという
意味の
恩給ですね。地方に退隠料だ云々だといろいろありましたが、そういう時代の、つまり
明治憲法下のものの解釈だった。ところが戦後の
公務員法というのはそうじゃなくて、
国民の公僕であるというものの考え方に新憲法下の
公務員制度はなっている。ということになると、
恩給ではないということになった。ここに実は思想的な戦後の一番の出発がある。だからマイヤース勧告というものは、年間の当初
予算に掛け金は要らないのである、
国民の公僕たる
公務員がやめるのだ、そのやめた人に対しての思想が
一つ背景にありますからですが、当初
予算に対象
人員何名、金は幾ら幾らというのをすぽんと組んでしまえというのがマイヤース勧告の
趣旨ですよ。だから掛け金はしない、こういう筋書きだったわけですね。これはなぜかというと、欧州型、アメリカ型はそのときから違いがあるのですが、欧州の例からいけば、一般の退職年金と称するものには、一般論として年をとった
方々の休息の
権利というものを認めるべきである。長年社会に尽くしてきた、給料をもらうけれ
ども、給料は、
自分が働いた価値を全部ふところに入れて給料なりというのではない。その何分の一かを給料として、あとは世の中に置いてきたというのが、長年世の中で働いた人の今日の姿である。その置いてきたものが今日の文明であり文化であり、それが次の世代に受け継がれていくのだ。そうだとすると、価値を置いていってしまった先輩諸君、つまり年寄り、老人はその
意味における休息の
権利がある。だから新しい世代というのは、その先輩、年寄りの諸君に十分休息をしてもらう、それだけのことをする
義務がある。そういう
意味で退職年金というものは考えらるべきものなんだという思想があったのですね。だからそこが中心になると、よく
恩給論議で出てくるように、退職をしたということは経済的に減耗するのだ、だからその減耗分を補てんしてあげなければならぬ、そこにつまりいわゆる
恩給の思想がある、退職年金の思想がある、こういうことは
日本のこういう論議でもよく出てくるのですよ。つまり十分休養してもらうという
意味において経済的減耗の補てんをするのだとすれば、現職でないから昇給はしないのだけれ
ども、やめたときの俸給というものを基礎にしてその社会的価値が失われないようにしていく責任だけは少なくともある。そしてその
恩給額、つまり退職年金というものの額は、今日
日本の場合には非常に不十分。だからこれは何とか
引き上げていって、十分休息できるようにしてあげなければならぬという点がもう
一つある、こうなってきているわけですね。その場合にいずれをとるか。つまり退職
公務員の
給与はその限りでは正しいのだけれ
ども、激しく
物価が上昇していたという現実に立って考えた場合に、
物価というものを
一つ基準にすべきではないかという考え方がその時点で出てきたのであって、だから本来歴史的な流れからいけば、アメリカでいうところの退職
公務員年金法という
法律にしても、あるいはフランスでいうところの文武官の
恩給の改革に関する
法律が規定するところも、その限りでは、根本的にはやはり経済的な減耗を補っていく、そうして休息の
権利を認めていくという筋書きなんだけれ
ども、
基準のとり方が、国情が違うから違うと見なければならない。アメリカは
物価変動が少ない。ケネディの時代だって二%程度の
物価上昇が続いていたわけです。だから保険思想があれだけ発達するわけでありますが、これは貨幣価値の変動がないからです。ところが、
日本は特殊事情があって
物価が上がるのだから、
物価というものも
一つ勘案しなければならないというのが、二条ノ二が出てきた
趣旨。「
物価其ノ他ノ諸事情ニ著シキ変動ガ生ジタル場合」という理由をつけた理由はそこにある。そうなると、
国家公務員の
給与は、
国民の
生活水準と、ある
意味では景気の変動はありますけれ
ども、バランスをとっていくものだということになる、というところで、当時の審議の過程からすればこういう表現が出てきているわけでございます。だから、そういう
立場からするならば、当然伊能さんがさっき言ったように、歴史的に振り返ってみて、やっぱり
国家公務員の
給与というものが
前提になって考えられるべき筋合いである、これだけは私は間違いないんじゃないかというふうに思っているわけなんです。
少し話がくどくなりましたが、前の話が
長官から出てまいりましたからつけ加えたわけなんですけれ
ども、その辺のところで先々に向かっての方針というものを、あるいは
日本の
公務員の退職年金というものに対しての考え方というものをはっきりさせておいていただきたい、こう思うのですが……。