○堀
委員 そこで私は、税の
負担のあり方の問題に今度はくると思うのですが、国債というのは、なるほどその
利子は確かに国が払います。しかし国債というのは
国民から国が借金をするわけですね。そうして、なるほど財政の面だけから見ると、そこで
利子を払うことは何か
国民に対して損をさせているように見えますけれども、受け取るのが
国民ならば、私は国債というものを出したことによって
国民が損をするというのは、実は物価上昇によるところの通貨価値の減額の問題以外にはあまりないと思うのです。
ところが税のほうは何しろ取りっぱなしになるわけですから、何らかの形でともかく
国民から取り上げるというときには、私はその取り上げられる世代とそれからそれを
負担する世代が常に同一でなければならぬかというと、そういうものでもないんじゃないか。
建設公債問題というのはそういう
意味では、ある程度長期の国債が発行されることになるならば、それは当代のものが少なくとも一部
負担するけれども、その一部は後代のものの
負担にシフトをさせるということが、私は
建設公債というものの
一つの意義ではないのか、こう考えるわけです。たとえば端的な例を水道
一つとってみますと、最近水道の起債もだんだん長くなってきましたけれども、いまのままでいくと、水道というのは大体二十年で償却をしてしまうわけですね。そうすると、二十年後の
国民は償却済みのただの水が飲めることになるわけです。だからそういうことでなくて、私は水道のようなものの起債というのは、やはりかなり長期でいいんじゃないか。相当世代にわたったものがその水を飲むことに相違なければ、それを平均的に分担をしてもちっとも差しつかえないんじゃないか、こういう感じがします。そのことも、長期的に見れば私は財政の効率的運用の
一つの
方法だろうと思うのです。ですから私は、要するに財源を得るのが間接税で得るほうがいいか、それはその時点の問題によりましょうけれども、私は間接税によって得ることと国債によって得ることとは、その条件はその時期の判断によるとしてももう少し私は、そういう
意味での国債の活用という問題があっていいのではないんだろうか、こういう気がしてならないわけですね。
ですから、いまこの国債問題というのはいろん左角度がありましょうが、前段にそれを私が申しておるのは、なぜここで特に私がこれを取り上げておるかというと、御承知のように、今度長期金利の改定がずっと一斉に行なわれました。御承知のように、いま国債と政保債とが実はまだ残されておるわけですね。これの利率の改定といいますか、それは利率を改定するのか、発売価格を下げるのか、そこはどうなるか私もわかりませんが、そのときに——私は今度の長期金利の改定必ずしも十分だとは思いませんけれども、ともかく
国民がその気で買える国債、政保債にするかどうかが、私はいまの問題につながるかどうかの境目だと思うのです。いまのように、
金融機関に無理に買わせて、一年たったらそれが日銀へ行くという、佐藤経企長官のことばによる日銀引き受け的国債は、私はどうしてもこれは
反対なんですよ。これはやはりマネーサプライをふやす
一つの
方法になっているわけで、いまのいろんな問題の中では、確かにマネーサプライが二〇%も続いているなんということは異常でありますから、そういうことを防ぐためにもいまのよう左ことはやめてもらいたい。やめるためには適正な価格になるということ、要するにプライスメカニズムが働いて、売れる国債を出すということ、その売れるだけを国が出すということですね。いまは恣意的にきめて無理に押しつけていますからね。ここに公債問題の盲点があるわけですから、何とか今度ひとつこの国債発行価格を、これから五月に向かっておやりになるのなら、少なくとも
国民が、横にその他のいろん左金利をにらんで、これならひとつ国債を買おうという気になるような国債なり
政府保証債の価格を考えてもらいたい。そうして、あるべき国債の方向に一歩近づいていくならば、そんなに消極的でなく、ほんとうに
国民が買った分についてだけはもっと積極的な公債の活用というものを考えていいんじゃないだろうか。これが私の
考え方なんですが、
大臣はその点についてはいかがでございましょうか。