○春日
委員 それは私ども代議士の視野というものは、諸君から見ればはるかに次元の高いものであるということは論をまたないところでありますが、ただ私は、あなた方の答弁から不愉快に感じますことは、答弁のどさくさまぎれに悪い面だけを
事例として持ち出されてくるというこの官僚のど根性である。たとえば先日のごときは、大島君は、大陸地域における
審判所の機能は増額決定をすることができるとか、いま細見君は、税金を納めてなければ出訴権が付与されないとか、聞きもしないたわけたことを言うてくる。まさに三つ子の魂百までというて、君たちは徴税官吏として育ってきたものだから
——いまわれわれが審議しておる法案は救済のための法案ですぞ。聖書の中にもあります。なんじ収税人石もてこれをぶち殺せ、これは聖書の中にもある。そういうような収税人の根性でもってこの法案を作成しようと思うところに、まさしく語るに落ちたというけれども、いかに次元の隔たりが広大無辺であるか、よく御
理解が願えると思う。
だから、
政務次官、なお各党の
理事に申し上げたいことは、私はこの租税紛争というものは大量的である、そして
処分、解決というものは、しょせんは懐疑的性格を持つものであるから、したがってこのような前置主義の機能というものを認めるにやぶさかではない。やぶさかではないけれども、ただわれわれが
法律論としてこれを論ずる場合、政策論としてこれを論ずる場合は、花よりだんごということがあるが、その逆なんだな。だんごよりも花なんだ。ということは、実益を与えれば、名目はどうなってもいい。実益を与えれば、憲法上の基本的人権の保障というものが若干制約されてもそのほうがいいんだ、こういうようなあり方ではいけないのである。すなわち、憲法の条章はあらゆる政策の根源でなければならぬ、原点でなければならぬ。だとするならば、私の言うのが詭弁を弄しておるのではなくして、三カ月間たって返答がなければ出訴権が保障されておると言うけれども、三カ月間というその時間、
国民の基本的人権が制約をされておるということは、これは憲法の精神、わけて三十二条に厳然として保障されておる基本的人権、これを三カ月間制約するという、そういう問題については、問題の焦点、その
内容が客観的にきわめて簡明である。ということは、本人の申し立てに基づいて
審判所長が特に出訴を認めた場合においてはとか、ほかの条件をさまざま付しても、この出訴権という基本的人権が全面的にここに制約されるというような法の立て方は、何らかそこにはけ口といいまするか、そういうようなものを設けていくということが、立法の府として考えなければならない肝心な焦点ではないか。この問題については、いずれ
理事会において附帯決議その他の御検討があるようでございまするから、あわせて御検討をお願い申し上げておきたいと思います。
質問を進めます。次は国税審判官の地位に関する問題についてでありますが、この制度か生かされるかどうかということは、この
審判所を構成する審判官がその職責を自由濶達に、良心に即して自主的にこれを行使できる体制が確立されるかどうかということにかかると思われるのでございます。そこで、昨年の大蔵
委員会においてもかなりこの問題については論議されたところでございますが、この際この審判官の地位ということを中心にしていろいろと考察を加えてみたいと思う。
この
法律によりますと、この審判官は担当審判官と参加審判官とに分かれて、合議によって一応
裁決の案をつくり、所長が
裁決に基づいて審判を下す、こういうことになっておるようでありますが、この審判官はそれぞれの
事案の審理にあたって
審判所長の指導監督を受けるものなのか。それとも
裁判官のごとくに独立して、そうしてその審理に当たることができるのであるか、その点はどう
理解されておりますか。