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北川参考人 北川でございます。
最初のお話がございました、これには基本法といったようなものを先にやるべきかというふうに承ったつもりでございますが、これは端的に私の個人的な感じから申しますと、
情報時代というのは、実は、どういうものだか見通しがついていないというのがほんとうではないかという気がするわけです。
明治時代のときには、新しい
技術革新に対する
パターンがすでに
ヨーロッパ、
アメリカにあったわけでございますから、それを
参考として、そうしてその基本法的な
考え方を設定することが可能であったと思うのであります。ところが
情報時代というのは、ことに
日本では、実はまだほとんど入っていないといってもいいのではないか。むしろ
アメリカが必然性を持って、先ほどおっしゃいましたように、国防と原子力が出た。原子力に対する対策としては、新しい経営手段、すなわち
コンピューターをやるよりしかたがないという必然性から国防
関係でやった。国防
関係から、宇宙
開発、そして
技術革新の後に来たるべき
産業革命として、御
承知のように、
アメリカでいまやられてきていますのは、原子力
産業をはじめとして宇宙
開発産業、それからもちろんそれに連関しました
情報産業。それからまた、宇宙
開発に連関しまして、御
承知のように、地球のぐるりを放送衛星で取り囲んでしまって、そうして新しい
時代に適応するためには国際的に教育をやる、どうしても新しい教育をやらなければならぬということで、私の聞いている範囲では、NASAとインドとの契約が進んで、宇宙中継を通じてインドに教育をやる。テレビ、ラジオを通じての教育ならば、一度に義務教育はやれるといったような、いわゆる知識
産業と、それからまた、そういう宇宙
開発あるいは原子力などをやるときには、直接
人間が取り扱えませんから、どうしてもロボットだとかいろいろな間接的なものが要る。そういうことの
利用を通じて海洋
開発というふうに、
技術革新に応ずる新しい
産業革命が
アメリカで進んでいるというように思うのであります。だから、それを
参考にする程度にしかできないであろう。そうしますと、基本法を制定するについても、それから新しい
アメリカの進み方を
参考にするにしても、やはり
コンピューターというものを、何らかの形でそういう検討ができる程度にまで各方面で上げておきませんと、いたずらに、どうなるかわからないことを空想で議論をする心配があるかもしれない。
そういう
意味からいきますと、
コンピューターについては、幸い、
通産省の御努力によってそれが相当進歩した。しかし問題は、
コンピューターは
機械であって、それをどう
活用するかという
ソフトウエアの技術が進まぬ限り、そういう
情報時代の議論もできない。そのためには、せっかく
コンピューター関係については非常に
日本は進んだわけでございますから、それを生かすための
ソフトウエア技術というものを、
通産省をもとにしてどうしてもそれを先にやらなければならぬ。それを先にやらなければならないもう
一つの原因は、
日本は軍備がございませんけれども、
民間としては国際競争にさらされているわけであります。これは相手が待ってくれないわけであります。国際競争をするためには、
民間自体が
コンピューターの
ソフトウエアを進めなければどうにもならぬ。ところが、その
ソフトウエアを進めていく上についていろいろなことを
考えてみますと、どうしても
民間だけではできない事柄もある。
政府がやってもらわなければならぬ問題もありますし、あるいは援助を仰がなければならぬものもあります。そういったようなことについては当然
通産省にお願いしなければならぬ。そういう
意味からこの
ソフトウエアをある程度
開発する。それからまた、できればそれがある程度デフュージョンした上でないことには思想統一ができない。基本法を制定するにしても、各人が従来の
延長でものを
考えていたのではなかなかむずかしい。かといって、
情報時代のことを知っているほんとうの
人間もいない。そういったようなことをある程度議論がしやすいようにするためには、まずもう少し勉強してからでないとまずい。そのためには、やはりこの情報部会で
答申したような形のものをぜひ先にお進めいただきたい。もちろんそれを進めときには、当然将来のことを
考えながら——もちろん、あくまで
人間でございますから、根本的には千年前にも五千年前にも変わらない、いつも同じ赤ん坊からスタートする
人間そのものと、積み重ねによって限りなく進歩する文明との調和が根本的な問題になります。その根本的な調和を
考えながらこれをどう進めていくかというふうなことが
情報産業部会では絶えず議論の種になったわけです。その結果は、とりあえずは、どうしてもあの
答申に書いたようなことは問題点として取り上げねばまずかろう。したがいまして、そういう
情報化社会に関する
考え方がある程度浸透してから基本法をやるべきものではないか。
それからまた、当然
時代が変わるわけですから、これは総合計画として
考えなければならぬことは言うまでもないわけです。別の
言い方をしますと、ある
一つの
時代には、会社でいえば、ある組織のもとにわれわれは
仕事をしていくわけであります。管理者層あるいは担当者は、そういう組織を
前提として
仕事をするわけです。しかしながら、経営者は、世の中が非常に変わったときには、いままでの組織をもってやれなくなる。むしろ経営者は、その
時代の進歩と合うようにするためには、組織自身を
考えなければならない責任を持っているわけであります。そういう
観点からながめますと、国が
一つの大きな会社と
考えてもいいのではないか、そうしますと、もはや
明治時代の
行政官庁のままでは、新しい
時代には必ずしもいけるかどうかわからない。そういうことを
考えるのは、各省だけではない。やはり総合的に
考えるのは、責任者は、会社でいえば社長、
政府でいえば
総理大臣であろうかと私は思うのであります。いずれにいたしましても、そういったようなかっこうで、しからば
総理大臣はどういうかっこうで総合計画を進めるかということは、これは
総理大臣の問題であり、あるいは皆さん方にお教えをいただくよりしかたがないのではないと私は思うのであります。
いずれにいたしましても、先ほどからくどく申し上げますとおり、問題は五千年前から変らない。いつも同じ赤ん坊からスタートする
人間そのものと、積み重ねによって絶えず進歩する文明とのその調整を、絶えずわれわれは
情報産業部会では
考えながらやっている。総合計画も、その形でどうやっていくべきかということを
考えなければならぬ。そういう
意味で、今度は、情報部会ではなしに
情報産業視察団で参りましたあとの提言でも、そのことを相当触れているつもりであります。したがって、どうしてもその総合計画を立てる
方法を
考えなければならぬ。しかし、くどく申し上げますとおりに、将来のことはなかなかわかりにくい。そうなりますと、現時点をそのままにしておきながらできるだけいろいろな阻害を与えないような変革をもたらさなければならない。
そこで、御
承知のように
アメリカの例では、先ほど申し上げました、陸海空軍は
一つにして
考えなければならぬ。しかし、その膨大なそういうことを処理するのは、
人間一人で統轄する限界を越えてしまっているわけです。その結果は、御
承知のとおりに、初代国防省の長官はノイローゼになって自殺をしたわけであります。どうしても必要だからといって大きくしてみても、なかなか今度は、みんなを納得させられるように
末端のことまで判断することができない。
人間の情報処理能力は、文字に直して一時間数万字にしかすぎませんから、どうしてもできなかったわけであります。したがって、
人間の情報処理能力の十万倍、百万倍の能力を有する
コンピューターを適当にある程度使うことによって、対象が非常に大きくなっても、
末端業務までもコントロールし得るという形の
マクナマラ長官の
考え方が一歩
前進した。実現を見た。ところが、その
方法は国防省でうまくいけても、これは全く私の想像でありますが、
アメリカであっても、諸
官庁がある以上は、国防省が
考え出したPPBSを各省でやりなさいという命令はできない。結局そのときには大統領の命令で、
コンピューターの使い方をやると非常にぐあいがいいからほかの
官庁も使いなさいという形でやっていったように、私は思うのであります。そこで各
官庁が争って
コンピューターを入れる。そういう形でやりますと、年間の経費が三十億ドルに達した。三十億ドルにもなりますと、そういう国民の税金を効率的に使う必要がある。しかし、それを総合的に統轄するような行政の仕組にはなっていない。そこで御
承知のように、ブルックス議員が議員立法でもって、そして暫定的にそれぞれの窓口——技術については商務省の標準局が
考える。あるいは購入については、これは購買局でしたか、そこで
政府のものは一元的に
考える。臨時にそういうやり方をやることによって、年間二億ドルの節約ができたわけです。だから、
行政官庁はそのままにしておいてどう乗り移るかということは、なかなか将来がわからないだけに、非常に
考えながらやっていかなければならない。結局、大統領の命令、その次には議員立法という形で暫定的にやる。そうして一昨年は、これをいよいよ広げるためには情報ネットワークを国全体に張らなければならぬということで、パブリック・ブロードキャスティング・コーポレーションという立法措置をやって、そうしてそのネットワーク、情報センターを各所に置く。国としてどういうふうに置いたのが最も効率的であるかということをやるためのそういうアクトを出した。これも皆さん御
承知のとおりであります。問題は、国として最も効率的に情報ネットワークをやって、そのとき大統領は、
アメリカはいままで、物だとか生産することにやきもきしてきた、しかし、われわれはいまやもっと精神的な面を
考えなければならぬ、精神を豊富にするためには、情報ネットワークをうまく効率的に
アメリカの内部に張って、そうしてどんなへんぴなところにおる
人間も、非常な文化都市におけると同じような恩恵をこうむるようにすることをやろうという声明を大統領が出して始めているわけです。そういうようなかっこうで、
アメリカといえども、必然的に進んでいってはいても、やはり暫定手段を
考えながらやっていっていると思うのです。
それに見合うような、あるいは
日本に最も適したやり方でどう
考えるかということについては、これは
総理大臣にお
考えいただくのが順当であろうと思うのであります。
総理大臣が、適当な
審議会なり、いろいろなその
方法論については、私は私なりの個人的な
意見はございますけれども、とにかく
総理大臣はほんとうに
考えなければならない。
企業においては社長が最も
考えなければならぬ問題であります。別の
言い方をしますと、
コンピューターの働きは十万倍、百万倍の働をしますから、したがって、いままでは取り扱えなかったような非常な広い範囲のものを取り扱える。したがって、それは非常に大きなもの、全般的なことを
考えるのには非常にぐあいがいい。しかしながら、一方において、逆に十万分の一秒、百万分の一秒のような、そういう正確さまでやれるというのが
コンピューターの
特徴であります。ですから、
コンピューターの
専門家だけにまかしておきますと、必要以上に、十万分の一、百万分の一秒に相当するようなこまかいことまで
仕事に入れてしまう。必要以上にやりますから非常な不
経済になります。かといって今度は上の者は、こういう情報が必要だという、その情報の価値はわかっても、自分が
コンピューターをいじくるわけでございませんから、なかなかコストがわからない。
コンピューター専門家は、自分がつくるのですからコストはわかりますけれども、それのつくった情報がどれだけの価値があるのかわからない、そこに
一つの盲点があるわけです。したがって、どうしても上から下までお互いが相談し合いながらやらないと、なかなか適正な
考え方は出てこない。そういったようなものがある程度進みながら、適当な時期に総合計画あるいは基本法というものを
考えるべではなかろうか、こういう気がするわけであります。
それから最後に、
アメリカは、国防という
関係から必然性をもって
政府主導型になった。これは
アメリカへ行っても、たとえば
アメリカの
経済人と話をしてみますと、
アメリカの
経済界は、
民間は非常にやりやすい。それは
政府主導型で、少なくとも
政府のほうが
民間よりも大体五年間アヘッドしている。
前進をしている。したがって
政府のほうに非常に理解があるので、われわれは
仕事をやりやすい、こういう
言い方をするわけです。ところが
日本では、国防ということが必ずしも
アメリカのような形で主導性をとることはできない。これは全く個人的の
考え方でございますが、しかしながら、
日本の
経済密度は
世界最高であります。
日本は山地が非常に多い。したがって、逆に言いますと、われわれが
利用し得る平たん地というのは、せいぜい国土の一五、六%しかないわけであります。そのところに
経済活動が集中しているわけです。したがって、一ヘクタール当たりの
経済生産性は
世界最高であります。大体
アメリカの五、六倍、
ヨーロッパの二倍くらいであります。ところが、従来の
工業時代の
考え方でやっていきますから、それはそのまま公害につながる。だから公害対策というのは、
日本がどうしても自分でやらなければ、外国は
日本ほどその必然性を
考えていないわけであります。だからたとえば公害対策、言いかえますと、国土
開発計画といったようなものを
ナショナルプロジェクトとして、そうしてそれにそれぞれの予算をつけて、適当な形で
民間協力の形でそれを進めていただくというようなことが
一つの
方法ではなかろうか、こんなふうに思うわけであります。