○石川
委員 実は「東洋経済」で谷村さんが
お話になった記事を拝見をしたのでありますけれ
ども、おっしゃるように、
産業政策と競争維持政策が対立しておるというふうに
考えているとすれば、これは
産業界における自殺行為である、この
考え方はひとつ堅持してもらわなければならぬと思うのです。
先般のことをいま蒸し返していろいろ申し上げようとは思わないのでありますけれ
ども、富士鉄と八幡の合併は当
委員会においては九分九厘つぶれた、こういうふうにわれわれは判断をしておったわけであります。ところがその対応策が出て、対応策がいろいろと検討された結果、結局は合併というものが実現されることになったのは、われわれとしては非常に意外な
感じを与えられた。社会党はとかく大企業に対して反対をする
立場だというが、そういう教条主義的な
立場でわれわれはこの合併に反対をしたものでないことを、はっきり御認識を願いたいと思うのです。
これは御
承知のように、USスチールがいろいろな
事情で一九〇一年に合併した当初は、七〇%のシエアを占めておった。しかし大きいことはいいことではないのだという例がこのUSスチールに出ている。というのは、最近わずかにシエアは二四%に低落をしておる。富士鉄と八幡が合併左することに対して、ほかの住金や川鉄というものは全然反対をしなかった理由は一体どこにあるか、こういうことを
考えたときに、この新鋭設備の寄与率というものが八幡とか富士鉄というものは非常に少ない。
日本鋼管、川鉄、住金というものは、新鋭設備の全体の
生産高に占める寄与率というものは非常に高い。したがって八幡、富士鉄が合併しても何らおそるるに足りないし、多くのシエアを占めればそこできめた値段に右へなら身をすればいいんだ。いわば鉄鋼戦争にくたびれて、もう独占
価格で高い値段できめてくれれば、それに右へならえすればいいんだという機運が強かったのではないか。それでは独禁法のねらうところの公正な競争というものは眠ってしまう。
日本の国民経済という
立場からして非常に不幸ではないか、こういう
考え方でこの富士鉄、八幡の合併というものに対してはわれわれは反対をするということなんであって、いたずらに合併することそれ自体が反対だという一本調子な
考え方ではなかったということをひとつ御理解を願いたと思うのです。
そういう点で言いますと、いままで独禁法の
立場でいろいろ合併の問題については、雪印とクローバー乳業、これはシエアが七〇%くらい占めてしまうという問題の大きいことではあったのですが、あるいは中央繊維と帝国製麻の問題、あるいは三菱三重工の合併の問題、これはいずれも非常に問題が大きかったのでありますけれ
ども、これは全部公聴会をやっただけで合併というものは認められてしまったというあとに出てきたのが富士鉄と八幡の問題で、財界は、この合併さえできればあとの合併というものは易々たるものである、こういう感覚のもとにこれをこぞって支援をするという
立場であったけれ
ども、一方体制内のいわゆるケインズ学者のグループである連中ですら、学者はこぞってこれに反対する。これが決して反体制の学者ではなかったというところに問題があると思うのです。体制内の学者が全部反対をするということは第一条の精神にもとる結果になるのではないか。狭い一定の取引市場におけるところの問題だけを法律的に解釈をして、実質的に競争を制限するんだということなんですけれ
ども、実をいうと、これは蒸し返して言ってもしかたがないのでありますけれ
ども、粗鋼のシエアというのは全然取引市場を持たないわけです。
アメリカあたりではベスレヘムスチールとヤングスタウン、この合併、二位と六位の合併であるけれ
ども、これは完全に拒否された。どうも
アメリカでは独占というものは罪悪であるという観念が徹底をしておりますけれ
ども、
日本人はどうも独占というものに対しては感覚が鈍い。過当競争は罪悪であるという感覚だけが発達をしていると言うと語弊がありますけれ
ども、そういう感覚が多過ぎる。したがって、独占というものが経済というものを鈍らせてしまう、競争というものを維持するためには非常な弊害である、こういう感覚がないと、先ほどのUSスチールではありませんけれ
ども、
日本の国民経済というものは健全な意味で発展はしない、こういう点をひとつしっかりと
公正取引委員会としては腹に据えてこれから対処してもらわなければならぬと思うのです。
それで申し上げたいのは、富士鉄、八幡の問題をここでお伺いしたいと思っているわけじゃありませんけれ
ども、
公正取引委員会の問題の重要な柱として伺いたいのは、八幡と富士鉄の問題について言っているわけではありませんけれ
ども、この「東洋経済」で谷村さんがおっしゃっている座談会の中で、八幡と富士が自分たちの思うようにいかないからけしからぬというような話ではなくてと、こう書いてあります。これはそのとおり。そのとおりだと思うのですが、ところがほんとうはわれわれが言いたいのは、八幡と富士鉄のようなものが合併が実現してしまうというようなことではなしにと、こう書いてもらえば、なおわれわれは納得したわけです。これは財界の意見ですが、いま新聞に盛んにいわれておるのは、財界と公取との密月時代になった。これは誤解が非常にあると思うのですけれ
ども、密月時代になったというふうなことがもてはやされて、非常に公取と財界というものは持ち株会社というものについても柔軟性を持って、話しやすくなった。非常に柔軟な態度になった。私はその額面どおりには受け取っておりませんけれ
ども、そういうふうなことは誤解だと思いますけれ
ども、そういったことであるとすると、非常に私は問題の
方向を見間違うのではないかという懸念を持っておるわけです。
この富士鉄と八幡の場合に、いろいろな対応策が出たわけですが、対応策が実際に実現するかどうかということについて、われわれな非常な危惧を持っておるし、そういう点で実はこの点は不確定の問題が多いという点で、私は合併にはならぬ、こういうふうに確信を持っておった。それがいつの問にか合併になってしまったということについて、これでは
公正取引委員会の存在の理由はもうほとんどなくなった。これだけ大きな合併というものが、いろいろいきさつがあったにしても、認められてしまうということになれば、あとは合併は全部野放しだ、端的に言うと。そういうふうなことになりはせぬか。しかも第十五条は死文化してしまったのではないか、こういうふうな気持ちすらわれわれは持たざる得ないわけなんです。
念のために伺いますが、八幡と富士の対応策というものは、狭い一定の取引分野におけるという法律解釈だけでは、なるほど法律に対して忠実にやったのかもしれません。しかし、基本的な、経済学的な国民経済の
立場からするとどうなんだという点が、大きく抜けた結果になってきているのではないかということを懸念をするのですが、十五条を狭く解釈をしたといたしましても、八幡と富士が対応策を出して、そのあとの実行の経過、それはどういうふうに現在進んでおりますか。念のためにこの機会に伺いたいと思います。