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寺前委員 私は、なぜ先ほど統計を示せということを言ったかといいますと、統計のとり方をどの角度からとるかということは非常に重要なんですよ。これは、いまの施行規則に基づくところの報告によるならば、結局使用人のほうが報告をするわけですよ。
労働者のほうからの直接の報告じゃないんですね。使用人の報告が出るわけです。そうすると、使用人の報告というのは、
労働者の立場とは立場が違う角度から見るというところの欠陥が出るから、そこから——私もこの間
監督署へ行ってちょっと調べてみたんですよ。そうしたら、どういうことが出るかというたら、個人の責任に帰するがごとき報告がもう非常に多いんですよ、その会社のほうから出てくるものは。ぼくはそれは当然だろうと思うのです。会社としては、私のところはこういうふうにうまいことやっていますけれ
ども、本人が前の晩にどうやったとか、そんなことになるのだと思う。問題は、こういう報告を基礎に
労働災害対策を組んでおったらこれはたいへんだ、これじゃ解決にはならない。だから、報告のとり方のあり方を
改善する必要があるということを、私はひとつ
大臣に申し上げておく必要があるということが
一つです。
時間がありませんから私は要領よう言うておきますけれ
ども、それからもう
一つは、
大臣、さまざまな原因があるということだけでは、やっぱりきっちりとした
対策は組めないと思うのですよ。そこで私は思うのですけれ
ども、まず第一にこの原因を明らかにしていく場合には、最近のいわゆる
合理化ということですね、これの進行という問題が、非常に大きな
労働条件上の問題が原因になっておる。たとえば、この前、私は
予算分科会のときにもちょっと話をしましたが、いわゆる四組三交代制の場合、いま鉄鋼
産業がずっと出てくる、あるいは化学でもその他の分野でも再検討が始まっている。この分野
一つとってみても、いままでは勤務時間、たとえば昼休みの問題
一つにしたって、四十五分与えられておったものが、昼休み二十五分でもって御飯を食べてしまえというような、そういうようなやり方が出てくる。あるいはいままで会社の門の入り口で出勤時間をきめておったものがハンドル交代に変わってくる、
労働密度が非常に濃くなってくる、こういうようなことからくるところの
合理化による
労働条件の
変化が
災害になっていくのじゃないか。私は、この問題はやはり検討されるべき問題だろうと思う。
それからさらに、新しい近代化に伴うところの資材という
お話をなさいましたけれ
ども、新しい
職業病が
発生しているという問題は、新しいいろいろなものを使い出してくるということから追い詰められてくる原因があるわけですね。そういう問題。
それから、私が特にここで強調したい、見のがすことのできないと思うのは、政府自身にも問題があるのではないであろうか。たとえば事前に十分に
監督をしていくことができるならば、こういうのを使うのはよくないよということを、あるいは事前にこういうものを使ってはなりませんという規則を明確にしていくならば、あとから、しまった、あんなことはなくてもよかったのに、という問題が出てくると思うのですよ。だから、そういう意味では、政府自身がきちんと、はっきりと、早い段階に、こういうものは使ってはならないとか、きびしい態度でやらなければならない。たとえば、先ほど
局長が染色ガンの問題でちょっとお答えになっておりましたけれ
ども、
労働者と使用者と両方がよく御注意くださいというような
お話をしておられましたけれ
ども、両方の注意ということだけではだめなんじゃないだろうか。押えるべきものはぽんと押えるということと、それから
労働者や資本家みずからがやはり注意しなければならない問題の面については、
産業別に具体的に詳しい
指摘がなければこれはだめだろうというような、政府自身の指導上あるいは責任上の問題というのが
労働災害上の問題になってきておる。
それからもう
一つは、今日の社会生活上の問題、これは公害その他が地域的にも
発生してきている
状況の中で、社会生活上やはりよくないという問題ですね。こういうような問題が、全体として、それこそ
大臣が言われたように、さまざまな条件が重なって
災害になっていくと思うのです。したがって、押える問題点はぴしっと押えられた上で、それに基づくところの
対策を組まれる。まず安全
対策を先にやらないと、結果を追うところの
補償問題だけ言っておってもだめなんじゃないだろうかということで、私はここで
要求しておきますよ。ともかく報告の求め方のあり方を変える必要があるという問題と
対策について、基本点をしっかり立て直してもらう必要があるということを、まずここで申し入れておきたいと思うのです。
次に、第二番目の問題ですが、労災の基本的な
考え方の問題です。
労働災害に対する基本的な
考え方、これは
大臣どうなんでしょうかね。自分の子供なりあるいは妻が、夫が働きに行っている場合に、どの妻であろうと、どの子供であろうと、どの親であろうと、働きに行っている人がほんとうに安全にうちへ帰ってくれよというのが共通した願いじゃないでしょうか。私たち子供が生まれるときでもそうですよ。五体満足で生まれてくれよというのが、親の共通した願いだろうと思うのです。そして、その子供が育っていって、働きに行き出した。ほんとうに安全に無事に帰ってくれよというのが私は共通した願いだと思うのです。人の命というのはもう金に換算することのできない非常に大切なものだと思うのです。だから、この安全性が失われた場合におけるところの家族の悲劇というのはたいへんなものがある。したがって、これを完全に補っていくというところに、近代的な社会の責務があるんじゃないか。
労働災害の
補償の基本を私はここに置かなければならぬのだと思うのですが、
大臣、お
考えどうでしょう。