○東
参考人 ただいま御指名をいただきましたファーイーストオイルトレー
ディング株式会社の社長をいたしております東でございます。私の御説明は、先ほど来のお三方と違いましてはなはだ次元が低うございますけれども、しばらく御清聴をわずらわしたいと思います。
ファーイーストオイルトレーディングという名前は、専門業界におきましてはようやく知られてまいりましたけれども、一般にはたいへん耳新しい名前だと存じますので、初めに、どんな会社か、どんなしかけになっておるかということをかいつまんで、ごく簡単に申し上げます。
御存じのとおり、インドネシア共和国では、その広大な
国土に豊富な
石油資源を保有いたしておりますので、戦前からシェルとか、スタンバックとか、あるいはカルテックス、こういった英米
石油会社が油田の
開発、生産、販売、あるいは
石油精製を行なっておりましたけれども、一九六〇年の十月にインドネシア
政府は、独立以来の構想でありますところの、
石油及びガス鉱業は国営企業が独占をするのだ、こういう旨の
石油鉱業法を制定いたしました。これによりまして、一九六三年九月に
石油鉱業権は国営
石油公社に移りまして、
さきに述べました英米
石油会社は、それぞれ国営
石油公社と請負契約の形でその
事業を行なうことになった次第でございます。
そして
石油生産
事業から生じましたカルテックスとか、スタンバック、あるいはシェルとか、こういった生産
事業から生じました利益の六〇%、あるいは生産
原油の四〇%を現物でインドネシア
政府に納入することが取りきめられた次第でございます。
さらに、
石油精製
事業も漸次国営
石油公社に移管をいたされまして、現在では、製油所はすべて公社が所有をし運営をしておる、こういう状況でございます。
当社は、インドネシア
政府が外国
石油会社から取得をいたしました
原油及び、自分でも油田をやっておりますが、自分で生産をした
原油及び製油所から出てまいりました
重油その他の
石油製品を、直接
日本市場に原則として一手に販売する、こういう特殊の使命を持ちまして、いわば日イ
経済協力の一環といたしまして一九六五年、
昭和四十年の五月十五日に、
日本とインドネシア側との五〇対五〇の合弁で設立をいたされたのでございます。インドネシア側の出資はすべて、唯一の国営
石油公社であるプルタミナという公社が五〇%持っております。
日本側では北スマトラ
石油、
石油資源
開発、
関西電力その他の
電力会社、
日本鉱業その他の精製会社、こういった側が五〇%を拠出いたしておる次第でございます。
自来当社は、インドネシア産出の
原油及び
重油の
日本市場における新規需要の開拓に
努力を傾注いたしてまいりましたが、供給可能な
石油の大部分を占めておりますミナス
原油、これは御
承知でもございましょうが、
硫黄含有量は〇・〇九%、なきにひとしいような
含有量でございます。これを
重油にいたしましたミナス
重油でございましても〇・一三%という状況でございます。このミナス
原油、ミナス
重油を主として入れるわけでございますが、こういうふうに超低
硫黄であります反面、非常に
ワクシーである。ろう分が非常に多うございまして、
日本では常温で凝固をする。三十五度以下になりますとこれが凝固して、くつ墨のように固まってしまうという性質を持っております。したがいまして、当初はその市場開拓は非常に困難でございました。
しかしながら、一九六六年、
昭和四十一年より
電力会社におけるなまだき用として、次いでガス会社の直接分解用として、ミナス
原油を使っていただくことになりまして以来、これを突破口といたしまして、逐次新規需要を獲得するに至りましたが、その間、需要者側においても保温
設備のある貯油タンクあるいはパイプ、その他の
設備を建設するなど、次第に受け入れ体制を
整備いたしましたし、さらに
大気汚染問題が大きくなるに伴いまして、急速に市場が
拡大をしてまいりましたが、去年の四十四年の上期におきましては、まだ契約がございましても、安定した平均的引き取りという点に問題がございまして、われわれは不需要期
対策に苦慮いたしていたような次第でございまして、現況からは
考えらなないようなありさまでございました。
このようにして、当社のミナス
原油の取り扱いは、
昭和四十一年の七万キロリットルに始まり、逐次増加をいたしまして、昨四十四
年度は三百六十万キロリットル、本
年度は五百二十万キロリットルでも足りない状況となりまして、その他の原
重油を合わせますと、取り扱い高合計は約七百五十万キロリットルに達する予定でございます。
次に、インドネシア産出の
原油及び
重油の生産について、簡単に御説明をいたします。
昨
昭和四十四
年度にインドネシア全土において生産をいたされました
原油は、
石油公社プルタミナあるいはカルテックス、スタンバック、北スマドラ
石油等を合わせまして四千五百万キロリットルでございます。先ほど
出光さんからお話しになりました数字と若干違いがございますが、これはわれわれの四−三ベースといいますか、
日本の会計
年度と同じとり方でとりましたものですから、若干多うございます。四千五百万キロリットルがインドネシアの全
原油生産でございます。そのうちミナス
原油、現在低
硫黄原油の代名詞のようにいわれておりますこのミナス
原油は、約三千四百万キロリットル産出をいたされております。この数字のとり方も同様でございます。四千五百万のうち三千四百万がミナス
原油でございまして、全体の約七六%を占めております。
また
重油は、パレンバン
——これは南スマトラでございます。パリクパパン、これはカリマンタンの
中部にございますが、これらの製油所から約五百四十万キロリットル生産をいたされましたが、そのうちのミナス
重油、これはまた低
硫黄重油の代表のようにいわれておりますが、これが三百万キロリットル精製をいたされておりまして、全体の約五六%を占めております。
なお詳しくはお手元に資料を配付を申し上げておりますが、ごらんをいただきたいと存じます。
次に、私どもの会社のミナス原
重油の供給販売状況について、少し補足をして御説明をいたします。
現在当社が
日本市場に供給をいたしております北スマトラ
原油、デュリー
原油、ブニュー
原油及びミナス
原油、ミナス
重油、こういった五種類でございますが、
さきに申し上げましたように、合わせまして七百五十万キロリットルでございます。ミナス
原油及びミナス
重油以外のものも、いずれも非常に低
硫黄でございますけれども、ここでは、
大気汚染防止
対策用の低
硫黄燃料として知られておりますミナス
原油及び
重油にしぼって説明をさせていただきます。
昭和四十四
年度に生産されました約三千四百万キロリットルのミナス
原油のうち、インドネシア国内の精製用に使われますものが約一千万キロリットル、輸出された二千四百万キロリットルのうち、
日本に
輸入されたものは一千五百万キロリットル、大体六三%でございます。そのうち当社が扱っておりますのが約三百七十万キロリットルで、
輸入総量の約二五%、四分の一でございます。これが昨
年度の実績でございました。
本
年度、
昭和四十五年のミナス
原油の生産量は約三千九百万キロリットルが見込まれておりますけれども、
日本向けの輸出量は約二千万キロリットルと推定をいたしております。そのうち当社の供給量は約五百二十万キロリットルでございまして、二六%の割合になると存じます。この約五百二十万を、
電力、ガス業界へ百九十万キロリットル、
石油精製会社各社、すなわち
出光興産、丸善
石油、
日本鉱業、三菱
石油、こういった会社をはじめとする十数社の一般の
石油精製会社へ約三百三十万キロリットル供給することにいたしております。
ミナス
重油は、
昭和四十四
年度において約三百万キロリットル生産をいたされまして、このほとんど全量が
日本へ入ってきております。
本
年度の生産量はほとんど前
年度と変わりませんで、約三百十万キロリットル
程度の生産にすぎませんが、その全量が
日本へ輸出されるものと推定をいたされます。当社はそのうち約百三十万キロリットル、四二%の供給を
計画いたしまして、これは
輸入割り当て権を持っていらっしゃる
石油会社、商社を経由いたしまして
電力、鉄鋼等の需要家へ納入をいたしております。
次に、ミナス系原
重油の今後の供給見通しについて若干触れさせていただきます。
ミナス
原油は、古い油井の生産の減少
——デクラインがございますが、これをあわせ
考えますと、先ほど
出光さんからもお話がございましたように、大幅な増産は期待できないと伝えられておりますけれども、カルテックス社の手によって引き続きミナス油田の増産が
計画いたされますと同時に、ミナス油田近傍の新油田の
開発が着々と進められております。
これに加えまして、現在インドネシア全域では、インドネシア
石油資源
開発、九州
石油開発をはじめといたしまして、お手元に配付してございます黄色いパンフレットがございますが、そのまん中にございますように、三十八社にのぼる内外の
石油会社が新油田
開発に従事をいたしております。中でもIIAPCO
——藤井さんからお話しになりましたが、インデペンデント・インドネシアン・
アメリカン・ペトロリアム・カンパニー、こういう長い名前でございますが、このIIAPCOグループは、ジャワ島の西北方海域及びスマトラ島の南東部の海中の大陸だなにおきまして、きわめて有望な大油田の発見にごく最近成功をいたしております。目下これを
開発をし、商業生産を生み出すのに
努力をいたしております。
昭和四十六年の五月ごろから商業生産を開始するというふうに、先般も同社の社長が参りまして説明がございました。
また、インドネシア
石油資源
開発会社もカリマンタン島
——カリマンタン島と申しますのは昔のボルネオでございますが、カリマンタン島の東方海域におきまして、きわめて大きな油田を掘り当てました。伺いますと、
昭和四十八年の初頭から商業生産を開始するように聞いております。また、かねて探鉱中の南シナ海及びスマトラ島の
中部インド洋側の海中等においても、
石油ガスの噴出を見たという連絡を最近受けております。
こういった三十八社
——四十社にも達しようという内外の
石油会社が探鉱に着手をいたしましたのは、ごく最近、古いのでも四年くらい前でございまして、それがようやく実を結んで、インドネシア海域のあちこちに油田が見つかりかけておるわけでございます。
さらに、ジャワ島のジャティバランという地区がございますが、先ほど申し上げましたプルタミナという
石油公社自身が手がけておる地点がございますが、これにおきましても新油田が発見をいたされまして、伝えられるところによりますと、その埋蔵量は、先ほど申し上げましたようなカリマンタンあるいはジャワ海域、こういった油田に匹敵する
規模であるやに聞いております。
さきに述べましたような新油田は、いずれもミナス
原油同様の超低
硫黄原油でございます。また他の地域におきましても、陸に海に、引き続いて新油田の探鉱が強力に推進をいたされておりますので、近い将来、インドネシアにおけるミナスタイプの低
硫黄原油の飛躍的増産は、期して待つべきものがあると確信いたします。
また、スマトラ島のミナス
原油の積み出し港でありますところのデュマイという地名がございますが、これにプルタミナ社の新鋭製油所、十万バーレル・パー・デーでございますが、新鋭製油所の建設が、着工いたされましてからすでに一年有半を経過いたしておりますが、予定どおり明四十六年八月には竣工の予定でございます。
私どもは、当初からその企画に参加をいたしますとともに、その建設に全面的に
協力をいたしてまいりまして、やがて生産されますミナス
重油、これは年間約二百八十万キロリットルが見込まれておりますが、これはすべて当社を通じまして
日本向けに供給されることになっております。明四十六年秋より、わが国向けのミナス
重油の供給もまた増大する予定でございます。
概要、以上のとおりでございますが、当社は、会社の
規模こそ小さくはございますが、
日本とインドネシアを油で結ぶパイプライン、こういうふうに自負をいたしており、その使命の達成のために、またインドネシアサイドでは、最近の雑誌を見ますと、
日本とインドネシアを結ぶ黒い真珠のかけ橋、こういうふうにいっておりますが、こういったインドネシアの期待にこたえるためにも、引き続きまして総力をあげ、インドネシアで
開発し生産をいたされました低
硫黄原
重油を、可能な限り多く
日本に確保いたしまして、その窓口といたしまして、秩序あり、安定した受け入れ、供給を行なってまいりたい。そして、
日本の
大気汚染防止とインドネシア
経済の復興
発展に寄与して、両国のお役に立ちたい。こんなふうに、少し大げさでございまするけれども、心から念願をいたしております。
こんな
考えでやっておりますが、当面、現在出ておりますミナス原
重油を少しでも多く
日本に持ってきて、これは効果的に供給をしたい、こんなような
考えで当社は当社なりに、
硫黄分は多いけれども値段が安い、しかもアスファルトとか、潤滑油の生産に適するという、インドネシア
原油にない特性を持ちました
中東原油をインドネシアに持っていって、ミナス
原油の輸出余力をふやすとか、あるいは
日本で生産されました高
硫黄の
重油をインドネシアに持ってまいりまして、そのかわりにミナス
重油を持ってくるとか、あるいは
日本サイドでは、関東、
関西にミナス原
重油の受け入れ配給基地を設けまして、その効率的な供給をはかる、こんなきめこまかい方法をいろいろと
考えて推進をいたしております。
しかし、何と申しましても、将来インドネシアの低
硫黄原
重油を量的により多く、そして確実に
日本に持ってくるためには、新油田の
開発に対するわが国よりの投資、インドネシアが
計画している新しい製油所の建設資金の供与、こういうことを行なうことが根本方策であると
考えます。
すでに北スマトラ
石油、あるいはインドネシア
石油資源、九州
石油開発、あるいはジャパンロー
サルファ株式会社、これは伊藤忠さんが中心になって設立をされておる会社でございますが、そういう会社がそれぞれの
方式でインドネシアに進出をし、活発な活動をしておられますが、何と申しましても、新しい油田の探鉱、特に
開発段階に入りました場合、あるいは製油所の建設にはばく大な資金調達を必要といたします。この事情は、外国会社でございましても同様でございます。今後ますます増大をいたします低
硫黄原
重油の供給源として、幸いにしていずれも極端に
硫黄含有量の少ない、しかも距離的に近うございまして、輸送コストの安いインドネシアの原
重油の
開発と確保が最も手近かであり、有効であると
考えます。
インドネシアの
石油がわが国において持つウエートは、今後さらに重きを加えることでございましょう。つきましては、わが国に密接な
関係を持つインドネシアを、このような観点からもう一度見直していただきまして、諸施策の面において国家的見地からする特段の御
配慮、バックアップを切にお願い申し上げて、私の説明を終わらせていただきます。
御清聴ありがとうございました。(拍手)