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橋本国務大臣 あるいはこれから私の
考え方を申し述べる場合に、多少
事務当局と
意見の違う点、ニュアンスの違う点があるかもしれません。これはわれわれは政治家といいますか、長期展望という点からものを
考えますので、多少ニュアンスの違いが出てきましても、その点は御了承を願いたいのであります。
そこで、とにかくこの本四連絡架橋というものは、鉄道を含めてこれは三年、五年の問題じゃないんですね。どう
考えても完成までには十年以上かかる。早くても十年は見なくちゃいかぬでしょう。そこで、このバックグラウンドとして
考えるべきことは、
昭和六十年なりあるいは
昭和六十五年なりの
日本の経済予測というものがまずバックグラウンドになくてはならぬ。私はその
意味において、このいわゆる
大阪を
中心とする地帯といいますか、あるいは
東京中心、この
考え方、現在の点の
考え方といいますかある
地域のものの
考え方、これは訂正をする必要がありはしないか。私はこれを東海道メガロポリスとも言っておるのですが、
東京−神戸間というもののいわゆる市街地形成というものは、現在は
一つの点の連絡という時代でとらえておりますけれども、十年もしくは二十年将来には、これは
一つの長さが六百キロ、幅十五キロ平均の巨大なる組織
都市の形成が進むんじゃないか。全国
都市の約六割程度がここに集中される。これは御
承知のように、
情報化社会、
情報産業社会における
一つの特色であります。そういう
考え方からいきますと、
日本の巨大
都市というこうしたものは、ムカデでいえば、からだの長いこういう
都市の形成があって、そこから足が出ていく。たとえば徳島方面とか兵庫方面とかいうものはそこから足が出ている。あるいは千葉県、茨城県というものはそこから足が出ている。こういう
一つの姿をわれわれは想定しなければいかぬのじゃないか。そうなりますと、全国人口の六割なり六割五分なりというものが二十年将来において集まり得るという予測に立って
考えますと、そういう観点から、たとえばいまの本四連絡架橋にいたしましても、あるいは
自動車網の問題につきましても、これは
考えていかなくちゃならぬ。そういう
意味から
考えますと、いまもちろんこれは技術
調査の問題がかなり根本であります。
私、
昭和四十二年に
建設大臣をやっておりましたときに、徳島県知事の
道路橋としてのいろいろの陳情があり、また徳島県も金を出してこれがえらい
調査をしておりました。私はある研究所に行きまして風洞実験なども見ましたけれども、非常な長大橋の場合におきましてはかなりな問題がある。これはアメリカの例でありますけれども、台風によって非常な長大橋がねじれるようにして倒れる
状態を映画で私は見た。そういうことから
考えて、十分なる研究開発、これがないとたいへんな結果を招来するのじゃないだろうかということを当時
考えた。
その後において、すなわちその当時から、先ほど
篠原総裁が言われましたように、鉄道
関係においては研究を進めてまいったわけであります。そういう
一つの前提に立って
考えますと、いわゆる国鉄再建というのは十カ年
計画の中でバランスをとっていこうという問題、そうして将来の新幹線網の一環になるわけですが、あるいは在来鉄道の
整備がこの十カ年
計画の中で大体においてこれが完了しようというのですが、まあ残りましょう。そういう
意味から
考えますと、もちろんこれは、在来鉄道再建
計画と新幹線というものがからみ合いがないとはいえません。だが近く皆さんの手によって
提案されるであろう新幹線網鉄道の
建設法におきましても、その
財源措置は別個において検討すべし、かような
考え方があられるようであります。そういう
意味からいいますと、もちろん、これは新幹線が在来鉄道の財政を将来においてこわすということでありますなれば、鉄道経済としては非常に困難をきわめますけれども、私は、十五年なり二十年なりの将来の貨物、人間の移動、こういう
状態から
考えますと、必ずしも全部がオーバーラップしているわけじゃない。一部はオーバーラップします。飛行機の例で恐縮ですが申し上げますれば、十年先におそらく現在の四倍から六倍近い人間を運ぶ。一億二千万人が国内で飛行機によって動くだろう。これは飛行機に鉄道の人間がとられるというわけじゃありません。それだけ将来において人間の移動なり、こういうものが非常にひんぱんになるという
一つの証左として申し上げておるのでありまして、鉄道からとっていくために、いわゆる飛行機がふえるということじゃなくして、十年、十五年将来を
考えますと、それだけ人口の短期的移動、いわゆるレジャーとか
調査、こういうものにおいて動いていくんじゃないか。
こういう
一つの前提に立って
考えますと、必ずしもAルートは鉄道が必要でないとか、あるいはA、Dともに必要であるという問題は、そういういわゆる将来の需要予測を完全に行なった上で、かつまた、これはもちろん研究開発によって実際的にできなければしかたがありませんが、同時に、この費用が非常な不経済であれば、これも
一つの問題でありましょう。しかし、それらを十分にこの
公団によって検討した上で、
政府はやはり十五年なり二十年の将来を
考えて着手すべきものは着手していく。これくらいの遠大な
考え方があって、初めていわゆる全国の総合開発ができるんじゃないか、かように私自身は
考えておるのでありまして、おそらく
政府としてもその
方針のもとに、この
公団によって、いわゆる研究開発あるいはそれらのことがあった場合において、進んだ場合において最終的な決定をいたしたい、かように
考えておるのであります。