○渋谷
説明員 それでは先ほど少しはしょりましたので申し上げますが、二月二十五日にそういう
状態になったわけであります。そこで脱出できましたのが三月十九日でございますが、まず最初に、そういう
状態になりました二十五日、電報が夜十一時ごろ入ってまいりまして、翌日の二十六日に南極本部緊急連絡会を開催いたしまして、「ふじ」の艦長からの
要請はございませんでしたが、氷の
状態がそのときの
状態のままであるならば、片肺をなくした「ふじ」では自力脱出はおそらく困難であるという
判断のもとに、
米国及びソ連
政府に外務省を通じまして救援を依頼いたしました。
その前に、あの地域に船がいる
状態をあらかじめ大体調べてあったわけでありますが、ソ連のオビ号がソ連のマラジョージナや基地に向かいつつあるという情報がございました。それからもう
一つ、
アメリカ側はグレーシャー号がかなり近くに、それから砕氷力の非常に強いエディスト号というのが
アメリカの基地近くにおるということがわかっておったわけでありますが、それの救援
要請をいたしました。
それで、オビ号はそういうわけで、マラジョージナや基地に参りまして十日間の
作業をいたしまして、それから
昭和基地の沖を通りまして、西のほうにございます向こうの基地に行くという
予定になっておったわけでありますが、マラジョージナや基地での
作業を
あと回しにいたしてかけつけてくれたわけでございます。それが三月六日でございましたが、かけつけてまいりまして、そのときの氷の
状態は「ふじ」の閉じ込められましたところから十五キロ沖にさっきの水路があり、その先三十八キロは、同じ密群氷でもややゆるい群氷の
状態でございます。そこをオビは割って入りまして、水路のすぐ近くまで、結局「ふじ」から二十一キロのところまで来たわけでございますが、そのところで、「ふじ」から飛ばしましたヘリコプターに、楠隊長、「ふじ」の艦長、オビの船長が乗りまして氷状の偵察をいたしました。その結果、水路までは容易であるが、東西に開けておる水路から「ふじ」に近づくことはこの氷状では非常に困難であるということで、そういうオビの船長の
判断になりました。ただその際、オビの船長その他楠隊長等の
意見では、水路から沖合いの密群氷はさらにどんどん解けてくるであろう。そういたしますと、湾になっておりますのでうねりを生じまして、「ふじ」の近くの最密群氷も逐次解けるであろうという見通しを持たれたようでございますが、そういうことでオビはマラジョージナや基地に帰りまして、最初の
予定の
作業にかかったわけであります。その去るときも、氷状が好転すればいつでも救援にかけつけるということでございました。
一方私
どもの調査では、エディスト号のほうも当初の救援
要請に対しまして、ウェリントン基地へ向かいまして、救援
活動の準備に入っていただいておりましたが、そのウェリントンで補給をしてかけつけるという準備をすでに開始してくれておったわけでありますが、エディスト号が当時南極海におります船では一番砕氷力が強いのではなかろうかというような専門家の御
意見もあり、すべてこのようなものは最悪の事態に備える必要がございますので、万一砕氷が不可能で「ふじ」が脱出できないというような場合は、将来そういうような場合は「ふじ」が越冬しなければならぬということも
考えられるわけであります。そういう場合は「ふじ」が越冬いたしますと、将来自力で脱出できるために必要な乗り組み員だけを残しましてその他の観測隊員なり乗り組み員はほかの船に移乗をして救出をはかる必要があるわけでありますが、オビ号は、そういう救出の場合に収容能力があまりございません、エディスト号は相当あるというようなことを、それぞれエディスト号の艦長なりオビの艦長、両国の
政府から聞いておりましたので、エディスト号による砕氷なり万一の場合の人員救出ということも
考えまして、
米国側に救援出動を依頼をいたしたわけであります。その後この氷状はいろいろ好転する傾向もございましたわけでございますが、それに応じまして
アメリカのエディスト号は出発をしてくれました。その間「ふじ」の艦内の状況は、比較的動揺はなく落ちついておったということを聞いておるわけでございますが、本部といたしましては、脱出できない場合の最悪のことも
考えまして、そういうことで「ふじ」が越冬をしたというような場合は、食料その他はどうであるかとか、いろいろな点も十分
検討いたしておったわけでございますが、そういう場合も食料その他は
昭和基地と合わせますとまずだいじょうぶ、燃料のほうもだいじょうぶであるという見通しも持っておったわけであります。そういうような最悪の場合を常に
考えまして、いろいろな措置をとっておったわけでございます。