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山中国務大臣 教育
委員の任命制の
本土復帰に伴う
本土制度並みへの移行という問題ですが、これは、いま任命されておる
人たちの残存任命期間中ぐらいの暫定措置等についてはあるいは
配慮しなければならぬかと思いますが、残す残さぬの制度の問題はやはり仕分けがいろいろあると思います。教育というのは、
日本じゅうのどこの
地域でも、義務教育に関する限りは生徒
たちが教育を受ける環境というものは同じでなければならない。ですから、
沖繩の制度がすぐれているともいないとも私は言いませんし、すぐれているいないの論争は水かけ論争であろうと思いますが、どちらがすぐれているにしても、
本土が、残りの四十六府県が全部同じ方法をとっているならば、
沖繩も教育については、子供
たちのために教育というものは同じ制度であるべきだ、そういうことから教科書も送り続けてきたということがあるわけですから、それは
本土のほうでしゃにむにいい制度を悪い制度に切りかえるんだ、党派の違いもありましてこのことは議論する意思はありませんが、そういうふうに受け取らない議論で冷静に処理すべきではなかろうか、私はそう思います。しかしながら、同じ制度でも、魚やみそ、しょうゆに物品税がかかっていたりというようなことは、もうすぐある意味の
本土並みにしなければならない、食べものに税はかけないという
状態にしてあげなければならない。こういうものと同じように扱わないで、やはり教育の問題は別な問題だ。それだけに大切な問題ですから、場合によっては与野党あるいは政党ごとに意見が違うこともあるかと思いますが、問題は子供
たちのために同じ制度であってほしいということを願っておるということを私は申し上げるにとどめたいと思います。
さらに、七三年春四月予定の
沖繩復帰記念
特別国体についてのお尋ねでありますが、現在では、
沖繩は国体のメーンスタジアムをはじめとする
各種競技場、さらにそれに対応します選手団が幾ら行くかわかりませんが、しかも春は観光シーズンとぶつかるということを考えますと、現在の民宿を考えましても、収容の面においてキャパシティそのものが、能力そのものがどうも不足であるし、さらに決定的なことは、輸送手段が航空機、船舶、いろいろ使ってみても、かりに選手を国体の半分、いまの岩手国体は最大の人間が行っているそうですけれ
ども、せめてその半分くらいというようなことに押えるとしても、選手並びに監督その他の役員、さらにこのついでにといって行く
人たちも父兄等あるでしょうし、相当な数の人が
沖繩に短時日の間に一挙に渡って一挙に引き揚げるということを考えますと、輸送手段というものもなかなかだと思うのです。しかしながら、最低、
復帰までに新しく建造される船等の収容能力、あるいはそれをどのように有効にピストン輸送するか等の
計画の立て方によって可能な人数、あるいは競技場
施設その他についても、奥武山の競技場ではなくて、コザの新しく
設計できる
地域をメーン
地域としたところのレイアウトをしていく。新しい
沖繩の体育
施設、さしあたりの七三年の
特別国体に間に合う
施設というものを、高等学校の屋内体操場とかいろいろ含めまして、そういうものを精一ぱいやるということで、収容能力については、これは民宿その他も含めまして問題はなお残るわけでありますけれ
ども、幸いわれわれとしては観光政策というものを
沖繩の今後の大きな未来への
一つの柱にしておりますので、民間の
計画その他がうんとあるようでございますが、これらを質のいいものは開銀の観光地方
融資ワク等に組み込むことによって、これはつくることがきまれば間に合うわけですから、それらのもので間に合わせることにして、七三年
特別国体というものは一応開くことにいたしました。しかしながら、
沖繩の
人々は七三年の春にあわただしくそんなことをやってもらって、かりに本国が全額経費をもってやってくれたとしても、われわれはその
仕事にも追われるし、またこれでお茶を濁されて、
沖繩があと七、八年後にほんとうに国体をやって、わっと
沖繩でスポーツの交歓を
復帰の何年か後にやってほしいのだ、それまでに毎年毎年きちんと国の投資も含めた
沖繩の新しい体育
施設が整っていくことを希望するというその希望に私
たちは沿えるかどうかという問題が相当残ると思います。そこで、私も総理に——やはりおそくても、五十年が三重県のお伊勢さんのちょうど遷宮か何かに当たる年で、四十九年までしかまだきまっていないそうですが、五十年は三重県を希望しているようだから、はずすわけにもいかぬだろうとなると、五十一年くらいになりましょうかね。そこらあたりには
沖繩で本格的な国体を、あたりまえの国体を開こうということで、七三年春に
沖繩復帰記念
特別国体をやってみる。それから引き続き毎年の公共投資その他の教育設備投資によって、五十一年を目ざしての
沖繩県民へのあまり負担をかけない形での国体への
整備が行なわれていく。やがてそれが
沖繩県民の
人々の長い後世に、教育、体育、スポーツのメッカとして提供される
施設になるであろうということを前提にしなければだめだということで、一応総理と私と意見が一致しましたし、あと文部大臣も原則的に了解しておりますが、体育協会その他の
関係者の
方々の御了解もいただかなければなりませんので、まず順序は逆にお考えいただいて、なるべく早い機会に、
昭和五十一年をめどに
沖繩において国体を開く。しかし、さしあたり
復帰の年のお祝いの行事として、七三年の春に
復帰記念
特別国体を開催するというふうにお受け取りいただきたいと思います。
沖繩側も、それならばいまのところ異存があるようには承っておりません。