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梅原参考人 ただいま御指定をいただきました、私は
北方地域ただ
一つの島民団体でございます
千島・
歯舞諸島居住者連盟の常
務理事で、
終戦当時の
色丹の村長でございました
梅原衛でございます。私の在任中に失った島でございますので、あのような
状態になっておることにつきましては深く自責の念にかられておるわけでございます。
本日、国政のきわめて御多端なおりから、貴重な時間を御割愛いただきまして、
北方地域の引き揚げ島民の実情についてお聞き取りいただきますことは、私のまことに光栄とするところでありますとともに、二万の島民とともに深く感謝を申し上げる次第でございます。
私は、
北方地域の引き揚げ島民の実情をかいつまんで申し上げますとともに、私ども
懸案と
考えております二、三の事柄について御要望申し上げたいと存じます。
戦後すでに四分の一世紀を
経過いたしまして、もはや戦後ではないというのが世上一般の常識であろうかと存じます。また、敗戦で受けた打撃はひとり
北方地域のみの問題ではございませんこともよく
承知いたしておるわけでございます。私どもは国家利益に沿うことを根本として、究極的には失われた民族の遺産である島の回復、
日本復帰のことを目標といたしておるものであります。したがって、われわれ島民は自主更生をモットーとして努力してまいる決意のものでありまして、いたずらに引き揚げ者というような好ましくないレッテルをかざして他力に依存するような
考えはないわけでございます。
しかしながら、
北方問題はまことに低調である、かように申されますごとく、また内政の面におきましても
国民的にあるいは同じような環境にある同胞に比べまして取り残されておる面がありはしないかということが
考えられるわけでございます。もしそうでありましたならば、われわれも
国民並みの処遇をちょうだいいたしたいというのが島民の念願でございます。一がいに戦争地域からの引き揚げ者と申しましても四百万も数えられる、その中の状況はさまざまなものがあろうかと存じます。
私ども
北方地域は次のような特殊の事情があるように
考えておるわけでございます。
その第一は、四百年来長期にわたって父祖が開いた
固有の領域であり、われわれの先人がまだ交通の開けなかった北辺の地を墳墓の地と定め、開発にあたって築いた郷土でございます。昭和年代になって渡島した者が約二九%でございますが、その他の者も明治、大正にかけて長い間かの国に住みついて、だれ一人としてここは外地であるというふうに
考えた者はなかったわけでございます。すぐ根室から目と鼻の先にある島々からの引き揚げは、どなたがお
考えになっても安易なふうにお
考えになることは当然のことと思われますが、しかし私は
北方地域の引き揚げの特徴というものを二、三述べてみたいと存じます。
その
一つは、島が今日の状況にあることを全く予知しなかった不意打ちの引き揚げを余儀なくされたわけであります。なお、当時は島の帰属に迷っておったわれわれが、
政府の出先機関であります支庁当局から現地に踏みとどまって生業にいそしめ、このような指示もございましたので、大部分の者は、かの地に
ソ連が参りましても、一るの望みをかけて残留をいたしたわけでございます。
その第二番目は、
ソ連だけが行ないました仕打ちによって労働力搾取のために抑留をされたわけでございます。あの一刻を争う経済混乱の最も激しい時期に、三年あるいは四年立ちおくれて追放されたわけでございます。したがいまして、その立ちおくれで生活戦線に非常なハンディがついたことであります。たとえばバスに乗りましても先客に占められ、着席ができない。立ってさえ容易でないというような状況に戻ったことが大きく尾を引いておることでございます。働こうとしても働き口がなく、また開拓農業に入りましても人の食い荒らした
条件の悪いところでございます。本来の生業であります漁業をやりますにいたしましても、もう海がふさがっておる、余地がない、かような状況で立ちおくれて本土に転入したということが、生活に大きな影響をしておるわけでございます。
三番目には、抑留された者につきましては、
日本貨幣はもちろんのこと、預金、貯金の通帳も取り上げられ、まる裸の姿で、いわゆる無一物の状況で帰ってきたことが抑留引き揚げ者の特徴でございます。しかもあの七キロ先の水晶島の果てまでも、全部が樺太経由で一カ月ないし二カ月を要して帰ってまいった、こういうことでございます。
なお、これらの抑留者は、島を
放棄して退散することが将来彼らに
領土問題に対する口実を与えることになりはせぬかと、このような純情な気持ちで残ったわけでございます。このようなケースの者が全体の五二%、その他の者は
ソ連が上陸してまいりました以後、翌年の三月ごろまでに自船あるいは他の船に便乗いたしまして、わずかながらも荷物を持ち込んで帰った者が約四八%でございます。俗にこれを脱走引き揚げと私どもは申しております。これらの人方は早くに定着地を求めまして、多少の持ち帰った物資のおかげで生活再建には大きくプラスになったわけであります。
第四には、
北方地域の生活は漁業でございます。ほとんど全島民は漁業で生きておった。つまり魚をとる以外生活のすべてを知らなかった者でございます。これが本土に参りまして、割合で申しますと、島におった当時は約七六%が漁業でございましたが、本土に転入してまいりましてはその本来の漁業に携わることができなくて、転業を余儀なくされた。しかも勤労階級に転落した者が七八%もあるようなわけでございます。彼らの生来の漁業に復帰できた者は三十三年の
調査では二一%となっておりますが、三十八年の
調査ではわずかに一四%に満たない者だけが漁業に復帰できたと、かようなことでございます。お手元に差し上げました資料の中にそのことが書いてございます。
この
調査は実は相当時点が古いので、私どもとしては最近の実情を握りたいということで数年以前から道あるいは国のほうにこの
調査の実施をお願い申し上げておるわけでございますが、幸いにいたしまして、四十五年度の
政府予算で
政府がおやりになるようになったことは、私どもまことに喜びといたしております。だがこの
調査費は、前回の
調査費に対して残念ながら三分の一程度の予算しかついていないようであります。このようなことではたして期待できる
調査がまとまるかどうかということを私どもは懸念しておるわけでございます。資料の中に書いてございますが、職業別で当時の
調査で収入の状況を比較してみますると、漁業はやはり何としても島民のお手のものでございまして最高の収入をあげておりますが、漁家収入を一〇〇と仮定いたしますと、農業が一〇〇に対して三六、その他の営業が五六、勤労者では
事務系統、技術系統、あるいは学校の先生等を含めましたものが一〇〇に対する三四でございます。農漁業雇用者が二七、職業工作員等が一〇〇に対して二〇、かような割合にあらわれたわけでございます。さらに漁業につきましては地域別に格差がございます。何と申しましても
北方海域に近い根室地域は、同じ漁業者の中でも最高の収入を示しておるわけであります。
本来の漁業に復帰できなかったということは、何としても
北方地域引き揚げ者の致命傷でございます。このようないろいろの事情が折り重なって、いわゆる脱走引き揚げ者とそれから抑留をされて引き揚げさせられた者を比較いたしますと、非常なハンディができております。三十三年の
調査では、自由に引き揚げた
——自由と申しますと語弊がありますが、いわゆる脱走して引き揚げた者を一〇〇といたしますと、抑留して一年早く引き揚げた者が七一、さらに一年おくれて二十三年に引き揚げた者が一〇〇に対する五二でございます。さらに三十八年の
調査にいたしますと、一〇〇に対して一年早く引き揚げた者が九三、最後に引き揚げた者が七八というふうに、やはりこの間の開きは依然としてあるわけであります。
この事情を生活援護の状況にとってみますると、全国の平均が当時で千人に対して一七・六四でございます。
北海道が平均して千人に対して一七・九三、それから
北方地域の脱走引き揚げ者が千人に対して一八・二一と、ほとんど全国平均あるいは
北海道平均と大差がないわけでございますが、抑留して引き揚げた者は千人に対して三二・〇八、さらにこれを地域別に見た場合には最高は千人に対して六〇・七三、このような大きな開きがあるわけであります。
このように引き揚げの状況によって大きな断層ができて、この
関係はさらに長期にわたって後遺症として残るものと
考えます。島では目抜きの地所を一人で六十筆以上も持っておった者もあるわけでありますが、したがって島では島の王者あるいは海の勇者というふうにあがめられておった者が、本土に引き揚げては、あたかも羽をなくした鳥、ひれを切られた魚のようなものでございます。もうすでに七十を越した老人がある工場の夜警番をしてかろうじて糊口をしのいでおるというふうな状況あるわけであります。この人などは、いわゆる村の開拓功労者として、その父親は開拓碑を刻んでもらっておるわけであります。親子ともに万年村
会議員で過ごしてきたというプライドもありまして、公費にたよるようなこともなく、はなはだ気の毒ではございますが、先祖のりっぱな大事な位はいをミカン箱に納めて朝な夕な昔の島の生活をしのんでおる、このような状況でございます。
私事に触れましてまことに恐縮ではございますが、たとえば私の場合でも、私は七人の子供を持っております、その七人のうち二人はかろうじて義務教育中学を終えさした、このようなことでありますので、親といたしましてはやはり
責任を感じておるようなわけでございますが、このようなことは
千島島民の通常のことだ、かように
考えるわけでございます。
以上で島民の概況を簡単に申し上げましたが、私の
意見というよりは、元居住者側を
代表して次の事柄を御要請申し上げたいと存じます。
その第一点は、
領土復帰の推進のことであります。このことにつきましては、先ほど両
参考人から述べられましたわけでございますが、
千島連盟は以前は
千島列島居住者連盟として昭和三十年に始まったわけでございます。ちょうど
日ソ交渉のさなかでございますので、いわゆる
領土問題の島民としての発言権を持とう、かようなことがいきさつになっておるわけでございます。したがいまして、私どもは現在
主張しております
択捉以南の四島の
返還を提言いたしまして、終始一貫今日でもそのような
運動を進めてまいっておるわけでございます。島に帰ることが最大の望みでございますので、この点につきましても
先生方の格別なる御尽力をお願い申し上げたいと存じます。
第二点は、
北方問題に対する啓発費を国が相当増額していただきたいということでございます。昨年の十月、
関係方向の熱烈なる要請がかなえられまして、
北方領土問題対策協議会という特殊法人が発足したわけでございますが、私ども島民はこの発足に対して大きな期待を持っておるわけでございます。しかしながら、この原動力ともなります事業費の予算額は、かように申し上げては失礼でございますが、一
北海道地方の
領土対策事業費に対する二〇%程度しかないということでは、この
領土問題を全国的な
国民運動に発展させることは、とうていおぼつかないことではなかろうか。この設立の目的と全
国民の切なる要請に対して、大幅な増額をお願い申し上げたいというのが、島民の全体の希望でございます。
第三点は、
千島連盟に
政府の財政援助の道を講じていただきたいということでございます。
北方領土問題の低調である原因の
一つは、
沖繩には百万人近いわれわれの同胞が現住しておるけれども、
北方には
日本人の居住が許されておらないわけであります。なおまた、島の生産に逆比例して、かの地には、一万七千程度のきわめて少数なものでございます。このような劣勢の立場を緩和するものは、やはり島民団体の活動でなければならない。島民は、少ない数の島民でございますけれども、
領土復帰
運動の
中心に飛び込んで、そして
国民の皆さまの協力を得て、声を大にする以外にはないと存ずるわけでございますが、しかし、昨年の
北方団体の制度の変革によりまして、従来、南方同胞援護会と
千島連盟との関連におきまして運営してまいりました連盟財政にとりましては、年間予算の三〇%程度の財源を失ったということで、現在、悩んでおる次第でございます。これらの点につきまして、
政府の財政援助の道を講じていただきたいと御要望申し上げるわけでございます。
次は、ただいま
横田参考人から申し述べられました、
北方地域の戸籍
事務所の開設の問題でございます。だいぶ以前からいろいろと
政府当局にも要請申し上げてありますが、いまだに実現をしておらないわけであります。現在、
北方地域の六カ村には、戸籍
事務を取り扱う機関がないわけで、したがいまして、次のような問題があるわけでございます。
まず第一に、戸籍法には、
日本国じゅう、どこにも戸籍が置けるようになっておるわけでございます。そのようなことから、先ほど
横田参考人から申されましたごとく、根室市にすでに三十件も転籍を希望して申し出をしておるということであります。
過去の
調査によりますと、島が返ったならば直ちに帰島するという希望が八〇%以上出ておるわけでございます。このような人方が、自分の帰島を希望する土地に在籍を認めてもらうということは、郷土を愛し、国を愛し、さらにひいては、これが
北方領土問題を盛り上げる動機になると信ずるわけでございます。
このような基本的な施政権までも行使しないということは、
領土復帰に対する
わが国の姿勢が疑われ、また、国際上、第三国に対するいわゆる時効中断の口実を与えるおそれもありますので、この問題は、私どもぜひ実現していただきたい、やっていただかなければならぬ、欠くべからざる国内問題の整備、このように存ずるものでございます。
それから、転籍あるいは就籍。時期によって転籍を認められた
時代があるわけであります。昭和二十六年、つまり
平和条約発効前までは、普通町村と同じように転籍を認められましたが、なおその
あとは、いわゆる就籍によらなければならなかった。このような
関係で、
終戦後転籍あるいは就籍以前になくなった者は戸籍から抹消されていないのであります。したがって、戸籍を扱う機関がないわけでありますから、これらの人方の除籍簿の謄本の交付を受けることはできないのであります。したがいまして、現在行なわれております引揚者に対する特別交付金の請求も遺族給付金の請求には、そんなことがはっきりしなければならぬわけでございます。また、
政府の御配慮によって今月一日から
北方地域に対するいわゆる残置財産の相続登記にかわる扱い方法が認められたわけでありますので、この点は島民も心から喜んでおるわけでありますが、この相続登記の手続にも、除籍謄本が伴うわけでありますが、これらのいわゆる死亡の除籍謄本を得られないということは、これは該当者にとってはたいへんな物質的な被害を受けておるということも言えるわけであります。
なお、かつて
政府が
指導されたいわゆる昭和二十六年以後の就籍による戸籍については、不完全なものがあるわけであります。身分事項の記載されていないものがあるわけでありますので、これらを集中的に
指導するために、法務局根室支局等に戸籍取り扱い
事務所、町村にかわって扱う
事務所を設けていただきたいということであります。
次は、旧漁業権の買い上げの問題でございます。時間が迫っておりますので簡単に申し上げますが、
政府は新漁業法を施行するにあたり、旧漁業権の買い上げ措置が行なわれたことは御高承のとおりでありますが、あの地域は施政権が及ばないということで、当時、買い上げが行なわれていなかったのであります。ところが、実際には、
色丹漁業会の例を見ましても、距岸三万メートルの専用漁業権の海域を持っておりますが、ちょうどあの三角地域と称される公海の部分はまるまんま
色丹の専用漁業権海域に入るわけであります。なお、
政府は、目下、対ソ
交渉に
安全操業海域の拡大を要請されておるのでありますので、この
北方地域の旧漁業権はこの辺でひとつ解決をしていただきたい。そうでなければ、旧漁業権は他の漁業者によって使用されておるということに相なるわけであります。この点につきまして特に
先生方の御尽力をお願い申し上げたいと存じます。
次は、昭和三十六年に、
北方地域旧漁業権者等に対する特別措置に関する
法律というのが出まして、その
法律に基づきまして、十億の
政府国債が
あと一年後、四十六年の十二月には実施されるということで、
関係対象者は首を長くしてそのことを期待しておるわけでございます。なお、特にこの
北方地域の引き揚げ者は事業資金等が必要なわけでありますけれども、無財産の者が多く、事業資金の借り入れには抵当権、抵当物資を提供しなければ借り得られないのであります。したがいまして、この十億の、事業拡大に伴いましてこれらの無資産、いわゆる無抵当者に対して借り得るような措置のために、保証協会制度の採用等を特にお
考えをいただきたいというのが、旧居住者の一般の希望でございますので、何とぞこの点も御配慮をちょうだいいたしたいと存じます。
以上、
北方地域引き揚げ者の
意見を
代表いたしまして申し上げたわけでございますが、特にこの漁業権の補償あるいは旧漁業権者等に対する
法律に基づいて行なわれますところの国債の償還等は、さっき申し上げました
北方地域引き揚げ者の特殊性に対処するきわめて緊急な問題であると、かように
考えますので、よろしく御配慮ちょうだいいたしたいと存じます。
たいへんざっぱくで御説明にもならなかったわけでございますが、以上、島民の概況を申し上げますとともに、要望事項を申し上げまして、私の
意見にかえさせていただきたいと存じます。
たいへん長い間御清聴ありがとうございました。感謝申し上げます。(
拍手)