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1970-03-24 第63回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十五年三月二十四日(火曜日)     午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 池田 清志君    理事 宇田 國榮君 理事 大村 襄治君    理事 鯨岡 兵輔君 理事 床次 徳二君    理事 箕輪  登君 理事 川崎 寛治君    理事 中川 嘉美君       本名  武君    山田 久就君       豊  永光君    美濃 政市君       大久保直彦君    小平  忠君       林  百郎君  出席政府委員         総理府総務副長         官       湊  徹郎君         総理府特別地域         連絡局長    山野 幸吉君  委員外出席者         沖繩及び北方問         題に関する特別         委員会調査室長 綿貫 敏行君     ————————————— 委員の異動 三月二十四日  辞任         補欠選任   不破 哲三君     林  百郎君 同日  辞任         補欠選任   林  百郎君     不破 哲三君     ————————————— 本日の会議に付した案件  沖繩北方対策庁設置法案内閣提出第六四  号)      ————◇—————
  2. 池田清志

    池田委員長 これより会議を開きます。  沖繩北方対策庁設置法案を議題とし、審査を進めます。  質疑の申し出があります。これを許します。鯨岡兵輔君。
  3. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 きょうは湊副長官おいでですから、湊副長官並びに特連局長からお答えをいただきたいと思います。  いろいろいままでにも議論のあったところでありますが、この際あらためて、総理府外局としてこの対策庁を設置しようとする根本の理由についてやや詳細にお述べ願いたいと思います。
  4. 湊徹郎

    湊政府委員 ただいま、総理府外局として沖繩北方対策庁を設置した理由を詳細に話せ、こういうことでありますが、もうすでに皆さん御承知のとおり、七二年をめど復帰が決定いたしました。そこで新しい沖繩県づくり、こういうことになりますと、私も昔県の仕事をしておってよく承知しておるのでありますが、いままで全く別な環境、異なる歴史のもとに四半世紀にわたって置かれてきた沖繩実態考えますと、その中から新しい県をつくる、そのことだけでも容易ならない仕事であると考えております。そこにもつてきて、さらに実態的に社会経済、すべて構造日本と違っておる。そのおくれた経済なり産業構造をいかに高度化し、さらに水準として低いところにございます沖繩経済を引き上げていくか、こういうことになりますと、その実態施策、これはさらにそれ以上むずかしい問題があろうかと思います。そういう問題を処理いたしますためには、とうていいままでの総理府内局、一部局として処置しておりました、いわゆる特連局の手に余る仕事でもございますし、まさに日本にとっても歴史的な仕事として、これこそ政府をあげて、いや国をあげて取り組まなければいけない仕事である、こういうたてまえから外局ということで、単に事務の量だけでなしに、質量とも複雑多岐にわたるこの問題を解決するためには、外局として責任をもって対処し得る体制が必要であろう、こういうことで対策庁外局として設けることにしたわけでありますが、それと同時に今度は北方の問題につきましても、第二次大戦最後の残された懸案として、これはどうしても領土返還を実現することは国民の悲願でございます。それぞれ別につくったらいいではないかというふうな御意見議論過程にはあったのでありますが、両方とも性質も成り立ちもいきさつも違いますけれども、いずれにしろさき大戦一つ終戦処理というふうな形で処置するためには、両者一体的な解決をはかるのが適当であろう、こういう判断のもとに沖繩北方対策庁外局として設置することにわれわれとしては決定をした次第でございます。
  5. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 山野さんに伺います。  いま、質量ともにというお話がありましたが、確かに政治的には沖繩の問題について真剣に取り組むという意味で、これは非常に大きな効果があると私は思うのです。仕事だけを言えばどうなんでしょう、人が足らなければ人を入れたということだけではだめなんですか。根本的に外局として沖繩北方対策庁というものをつくらなければ非常に不都合があるということを、具体的に何かあったらお伺いしておきたいと思います。
  6. 山野幸吉

    山野政府委員 従来の施政権返還めどが立たない以前でございますと、施政権アメリカ側にあるわけでございますから、したがいまして、わが国沖繩に対する援助費その他の対策につきましても、総理府としては連絡調整機能がそう強力な連絡調整機能でなくても済んだわけでございます。ところが、もう二年後に沖繩が返ってくるということになりますと、二年後に沖繩県をつくり、そうして沖繩本土体制の中に組み入れなければいけません。それを実行するためには、やはり二十五年間アメリカ施政権を持っていた、アメリカ日本政府との調整の問題、それから今度は日本政府沖繩の百万住民、琉球政府との関係、これを調整いたしますには、非常に各般にわたって、これはなかなか従来の祖国復帰というような命題とは違いまして、現実的な、具体的な行政上の、ある程度背反する問題もありますし、利害対立もありますし、そこでこれらを円滑に、総務長官おっしゃるように、沖繩住民復帰してよかったという体制で迎え入れるには、まずもってわが国の国内の復帰対策すべてについての意思統一、しかもその統一された意思沖繩住民の受け入れる、沖繩住民意思を尊重したものであるように調整していかなければいかぬわけでございまして、そういう施策を進めますには、これはどうしても従来の内部部局では機能が十分に発揮できない。さらに、いま湊副長官から御答弁ございましたような、沖繩復帰後の経済社会開発発展を進めるための計画の立案、遂行ということになりますと、これまた各省庁との関係調整には従来より以上の非常に強力な総合調整をはかる必要がある。こういうことでございます。
  7. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 重ねてお伺いしますが、いまアメリカ並び日本外務省等でいろいろ詰めていることもありま吟。それから、いまるるお話があったような沖繩県づくりの問題についても、ずいぶんいろんな事象が煮詰まっているようであります。いまお話しのようなことをやらなきやならぬということで、この対策庁をつくるということになると、その対策庁を、まああなたの腹づもりでは——これは委員会でいろいろ審議を慎重になさなければなりませんから、別にあなたの腹づもりに合わせるというわけではないけれども、あなたの腹づもりとすれば、いつごろまでにこれをつくらなければならないというふうにお考えになっておりますか。
  8. 山野幸吉

    山野政府委員 すでに御案内のように、きょう準備委員会のほうは現地で事実上発足するわけでございます。それから日本政府としては、沖繩復帰対策閣僚協議会も設置され、総理府には各省担当官会議も設けられております。そこで、この復帰準備琉球政府と協力して進めてまいりますには、私どもとしてはできるだけ早く発足させたい。まあ何月何日なんということは申し上げられませんが、一日でも早く成立をして、早く沖繩復帰準備を具体的に進めるようにしたい。と申しますのは、もう二年間という期間は、沖繩復帰準備、国政全体にまたがっての沖繩復帰受け入れ体制づくりには、決して長い期間ではないわけでございまして、返還協定の問題、暫定措置法の問題、そして沖繩復興措置、そういう問題を外務省と協力して進めますには、二年間あっても足りないほどでございますので、そういう意味からもひとつ一日も早くこの復帰準備が具体的に進められるような体制をおつくりいただきたいというのが私ども考えでございます。
  9. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 先ほど副長官からもお話があったのですが、これをいろいろ、審議している過程の中で、いろんな方の意見が出たんですが、副長官からもお話があったように、沖繩返還の時期が一九七二年中にときまったわけであります。ところが、北方領土のほうは、別に返還の時期がきまったわけではない。これは、しばしばソ連側が言うように、もう解決済みの問題、こんなものをいまごろ問題にするのはおかしい、こう言っている問題で、全然質が違う。なぜ一緒の外局としての沖繩北方対策庁にしなければならぬのか。しかもソ連あたりへ行っての感触では、この問題はソ連政府側では、どうにもならぬ。政府側に言えば、もうこれは終わったことだと言う。もしこれをさらに突っ込んで考え直してもらおうということであれば、それは政府側に言うのではなくして、党に言うべきだ。だから党と党との問題になってくるのであって、政府側から政府側に言ったのでは、いつまでたってもらちがあかない。これはアメリカと同じように考えることに根本的に間違いがある。こういうような時点に立って考えたときに、どうも沖繩北方対策庁というのは、何か無意味なことをやるような感じがしないかというような議論も出たようであります。これは副長官でも山野さんでもどちらでもけっこうですが、こういう議論に対して、どういうふうにおこたえになりますか。
  10. 湊徹郎

    湊政府委員 ただいま沖繩の問題と北方問題は全く性質が違うではないか、それを一つ対策庁でやるといってもなかなかうまくいかぬのじゃないかというふうな趣旨お話がございましたが、さっきも申し上げましたように、両者ともに第二次大戦の結果生じた、一つのわれわれとして国民的な解決をせねばいかぬ課題であるという点では共通なんでありますが、おっしゃられますように、沖繩についてははっきりした一つめどがついた。したがって、返環準備対策あるいは今後の沖繩計画ないし社会開発発展施策、こういうことを具体的にもうすでに、どちらかといえば、政治ベースから行政ベースに比重を移して、いわばもう土俵に上がった、レールに乗った問題として、片方は具体的に実施すべき段階にあるし、一方まだ北方領土問題については解決の端緒すらつかめない、こういうことで、明らかに性質が違うことは、私も同様に考えます。さらばといって、この両者の問題を別々に切り離していくということになりますと、片や沖繩の問題は、これはきわめて具体的にどんどん進みますが、北方領土の問題は、単なる機構だけの問題ではなしに、ただいま御指摘がありましたように、むしろ政治的な課題としてこれからやらなければいかぬ、こういうことでございますが、一方同時に、国民世論喚起して、一つ世論づくりを進めていくという意味で、やはり行政庁が探求し、関与すべき分野もかなりございますし、大筋は、さっき御指摘のとおりに、むしろこれはいわば超党派的に政治姿勢としてソ連のほうと話を進めなければいかでやってきた経過もございますし、それから政府政治姿勢ということにおいても、二つの別々の機構をつくるというと、片方は、まあちょっと悪く言いますと、形はできたけれど、中身については何もないじゃないか、こういうことにもなりかねませんし、両方合わして、やはり一体的に処理するのが政府としては一番いいんではないか、こういう判断できめた次第でございます。
  11. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 山野さん、いまのお話で、きわめて常識的なことでわかるのですが、北方領土問題現状、それから対策庁として今度新たに発足した場合に、これからやろうとすること、これからいま考えておることがあったら、ひとつお述べをいただきたい。
  12. 山野幸吉

    山野政府委員 北方領土の問題の現状につきましては、いま湊副長官からもお述べになりましたとおり、機会あるごとにわが国北方固有の四島の返還について対ソ折衝をしてまいりましたが、いまだソ連のほうは、すでに解決済みであるとか、あるいは第二次大戦の結果生じた領土の変更は他に影響があるから、この回復には応ぜられないとかという表現で、全く手がかりがないわけでございます。しかし幸いにして、沖繩日米平和裏外交交渉によって返還めどが確定された。そういう段階を踏まえて、北方領土問題についてもあくまで平和外交を通じて日ソの恒久的な真の平和の確立のためには、どうしても北方固有領土返還を粘り強く今後続けていかなければいけないというのが北方領土問題に対するわが国姿勢ではないかとも考えるわけでございます。そこでそういう政治的背景を踏まえて、今回沖繩問題に合わせて、沖繩北方対策庁を設置することにしておりますが、新しい庁が発足しますと、従来監理渡航課という課によって北方領土問題を取り扱ってまいりましたが、これを北方課という独立した課にいたしまして、昨年十月に発足を見ました北方領土問題対策協会という政府関係機関、準民間的な機関と相協力しまして、まず北方領土に対すぬ、こういうことですが、その窓口を従来特連局国民世論喚起をして、そして北方領土問題に  対する政府見解に対する支持を求めていきた  い。これがためには、対策協会等北方領土問題  に関する専門家による研究会をつくっていただきまして、その研究会北方領土問題に対するあらゆる角度からの調査検討をしていただく、そういう調査研究を踏まえて、政府としてはこの北方領土問題に対する正しい国民世論啓蒙をはかってまいりたい。その方法としては、もちろんこの啓蒙宣伝のためのあらゆるPR機関を利用し、あるいは国民大会を開催し、領土展覧会を開催し、その他諸外国に対する啓蒙もあわせて行なってまいりたい。政府関係機関としましては、北方問題の各省連絡会議がすでに二年前からつくってありますので、その連絡会議を通じまして、外務省ともよく領土問題に対する認識を一致させまして、そして各省庁との間で北方領土問題に対する政府意思統一をはかりつつ、この新しい庁で北方領土問題に対する世論喚起を着実に、そして全国的に展開してまいりたい、こういうのが政府考えでございます。
  13. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 ことばじりをつかまえるわけではないのですが、山野さん、いま北方領土問題に対する調査研究というおことばを使われた。それから、正しい国民世論ということばも使われた。外務省とも一致させてとも言われた。北方領土というのはどこをいうのかということが何かまだよくわかっていないから、これを外務省と一致させて、正しい国民世倫というのは、国民の中に北方領土というのはどこだというのがまだ未確定だから、これを正しく一致させて、調査研究というのは一体どこを北方領土というのかというのをあらためて調査研究してというようにも聞き取れるのですが、そうじゃないのですか。
  14. 山野幸吉

    山野政府委員 調査研究と申しますのは、政府でしばしば申し上げておりますような歯舞色丹国後択捉わが国固有領土についての日ソ外交上の沿革とか、あるいは戦前、戦後の実態とか、それからまた、それに対する各界のいろいろな見解とか、あるいは諸外国の動向とか、そういうあらゆる問題についての調査研究をさすわけでございます。  それから、的確には私も把握しておりませんが、北方領土についての見解がすべてにおいて国民各界各層にわたって全く一致しておるというぐあいにも私は承知していないわけでございます。もちろん外務省総理府を含めて、政府といたしましてはこの歯舞色丹国後択捉、この北方領土はいかなる沿革に徴し、国際条約に徴してもわが国固有領土であって、平和条約第二条で放棄した領土に含まれない。したがって、当然ソ連日本に四島を引き渡すべきであるという見解においては政府としては一致しておりまして、その間にいささかの疑問もないのでありますが、しかし、国民全体の中にはあるいはそれと違ったお考えの方もおられるかと思うのでありまして、その間の政府考え方をやはり十分認識していただきたいという気持ちで申し上げたわけでございます。
  15. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 そうすると、政府はこの前の総務長官に対する私の質問でも、あのときはっきりお答えになったのですが、歯舞色丹国後択捉、この四つがいままで一ぺんも他国の領土になったことばない。だからあの平和条約にも関係ない。これは日本古来のものだから、これをソ連が領有しておることは間違いである。これは返しなさい。これがいわゆる北方領土問題である。もちろんその他の北千島や樺太の問題は、これは平和条約でもって権利、権原を放棄したが、それにソ連がいるということは間違いない、それは何もソ連にすぐ言うことではなくて、むしろアメリカ中心とした四十八の連合国に言うべきことであるということは、この前総務長官明らかに答えられた。  そこで、そういうのが政府見解であるから、そういう政府見解国民全体に浸透させていくということも対策庁仕事ですか。
  16. 山野幸吉

    山野政府委員 私どもはそういう点についても政府として十分配慮していきたいというふうに考えております。
  17. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 これまた山野さんにお尋ねいたしますが、きょうから返還準備委員会発足ですか。——対策庁ができますと沖繩事務局ができますね。いまの名前は何と言いましたか。
  18. 山野幸吉

  19. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 沖繩事務所沖繩事務局になります。沖繩事務局返還準備委員会との関係ばどういうことになりますか。
  20. 山野幸吉

    山野政府委員 これはさき準備委員会法案をめぐって、準備委員会役割り外務省からいろいろ御答弁がありましたが、沖繩返還準備に関する日米意見調整は、これは日米協議委員会が全責任を持ちまして返還基本方針、基本的な考え方をきめるわけであります。そして準備委員会は、沖繩現地において進める準備事務の中で、日米折衝を要する事項についてその大綱を定め、あるいは計画を定める、こういうことになっていまして、日米代表現地に置かれるわけでございます。そうして琉球政府主席顧問として参加される。  沖繩事務所、これは対策庁ができますと、その出先機関としての沖繩事務局になりますが、沖繩事務局は、準備委員会できめた返還準備日米折衝においてきまりましたその大綱なりスケジュールなりに従いまして、具体的に琉球政府との間で復帰準備各般にわたって詳細な調整をし、準備をしなければいかぬわけであります。その準備実施事務はあげて沖繩事務局で実施していくということでございます。
  21. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 そうすると、沖繩返還準備委員会というものが一つあって、日本代表高等弁務官、それから主席顧問、これがあって、沖繩事務局があって、琉球政府、これは顧問ですが、琉球政府というものがある。  琉球政府沖繩事務局との関係ということはどういうふうにいったらいいですか。
  22. 山野幸吉

    山野政府委員 沖繩事務局返還準備委員会大綱に従って実施事務を進めてまいりますが、その場合に、結局返ってくるほう、沖繩県となるべきところは琉球政府であります。したがって、いま琉球政府は、もう十分御案内のとおりですが、国の事務と県の事務をやっております。そこで沖繩が返ってまいりますと、原則として国の事務日本中央政府が持つわけです。そして沖繩県が誕生しまして沖繩の県政をやるという形になるわけでございます。そうしますと、どういうぐあいにして国と県の事務を分離し、機構を分離し、職員を引き継ぎ、そして沖繩県をつくり上げていくかという具体的なそういう作業は、琉球政府対策庁意思を受けた沖繩事務局とが具体的に話し合って進めていかなければならぬ、こういうことになるわけでございます。これは沖繩県をつくるための仕事中心にいま例示として申し上げたわけでございます。
  23. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 この三者、琉球政府準備委員会沖繩事務局、この関係などについては、一ぺんわかりやすい何か表のようなものをつくって、それで一目してわかるような資料をつくっておいていただけるといい。それから日本と向こうとの東京の連絡があるでしょう。これらを、それぞれ機関を一表にまとめたようなものをつくってもらえると参考になると思いますが、これを要求しておきます。
  24. 山野幸吉

    山野政府委員 はい。
  25. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 そこで、いま話を承っていますと、対策庁というのは一九七二年じゅうに返還になった後はどうなりますか。そのときにはもう終わって店じまいですか。それとも何か形が変わって残るのですか。あわせて、沖繩事務局などはそのときにはどういう形になるか。
  26. 湊徹郎

    湊政府委員 復帰準備仕事中心にただいまから具体的に進めていくわけでありますが、復帰がきまったあと一体どうなるのだというふうなお話でございます。先ほどもるる申し上げましたように、とにかく四半世紀にわたって本土と全く違った環境の中で、全く違った経済産業構造のもとにある沖繩、これを文字どおり本土の中に組み込む、こういうことになりますと、これはもう経済実態に関してはもちろんのことでありますが、たとえば本土の法令あるいは制度、これを沖繩に移すにいたしましても、ものによって経過措置だけでいけるものもございますし、また相当な時間をかけながら持っていかなければいかぬ、いわば暫定措置を講じなければいかぬものもございますし、それから沖繩の特性にかんがみて、これは特別特例措置といいましょうか、そういうふうな措置をとらなければいけないものもございます。いわんやその経済全体の構造を立て直し、本土との実質的な格差を是正する。こういうことになりますと、そういう社会経済に関する仕事はむしろ今後に残る部分のほうが多くなりゃせぬかというふうに私ども考えております。したがって、復帰準備のための対策ということと、本来の復帰対策というものを一応立て分けをつけながら考えていく、こういうことになりますと、返ったあとも、やはりいま申しますような仕事が当然残るでございましょうし、また北方問題についてはなおさらのことでございまして、先のめどもつかぬ今日でありますから、やはり時間的にも北方問題というのは沖繩復帰時点とは一応無関係にかなり相当長期間を要する問題だろうということになろうと思います。そうなりますと、機構中身をどうするかという議論とは別に、それを扱うような機構そのもの復帰が終わったあともやはり何らかの形で残っていくことになるんではなかろうか、こういうふうに考えております。
  27. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 山野さん、沖繩北方対策庁というんですからね。やっぱり聞いた感じでは、復帰という重大な問題を前に控えてどうするかということを対策を立てる役所、そんな感じがするんですね。返ってきちゃったあと対策庁ですか。
  28. 山野幸吉

    山野政府委員 まあ御質問趣旨は、返ってきたら沖繩開発庁にでもしたらいいんじゃないかというようなお感じから御質問じゃないかと思いますが、いま副長官から答弁ありましたように、復帰しましても沖繩経済社会開発事業振興事業、それからまた長い間の米国施政下におけるいろんな日米関係もまだ当分残る分野があると思います。それから北方問題は引き続き努力していかなければいかぬ、これらを沖繩北方対策庁——返ったあと対策庁で処理していっていかぬということも言い得ないと思います。もちろん沖繩が返ってきますと、少なくとも復帰準備事務はなくなりますから、したがってその内容においては検討をしなければいかぬと思いますが、しかしその両者事務重要性にかんがみまして、沖繩北方対策庁がそのまま残っても、別にそれで絶対いけないというようなものでもないのじゃなかろうかと、私は現時点ではそう考えております。
  29. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 もうあと一、二問ですが、佐藤総理大臣が、沖繩が一九七二に返ってくるが、それは行政上形だけ返ってきたことをもって復帰とは言わない。そうじゃなしに、沖繩の豊かな沖繩県づくりというものができたときに初めて沖繩復帰したのだ、そういう考え方で私はやっていきたいというようなことをいずれかの機会に言ったと思いますが、これはどうですか、山野さん聞いておりますか。
  30. 山野幸吉

    山野政府委員 ええ、十分承知しています。
  31. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 そうしますと、皆さん方のせっかくの努力で沖繩県というものの一つの形は一九七二年までにはできると私は思うのです。ところが総理大臣の言う豊かな県民生活のできるような形において初めて復帰ができたということを、それをめどにするということになると、私もいささか関係していただけに、なかなか容易ではないなという感じがするのですがね。山野さん、これは簡単に言えないことでしょうが、行政上県庁ができるという、その組織はどうするかというようなことだけでなしに、総理大臣の言ういわゆるそういうものを目当てにして今後やっていくということになれば、その準備というものはどんなことをどんなふうに進めたらいいか、これはそれだけでたいへんな問題ですから、いまここであなたとそのことについてやりとりしようとしませんが、あなたどんなふうにお考えになっておられるか、ひとつ。
  32. 山野幸吉

    山野政府委員 一番基本的に大きい問題は、やはり沖繩復帰したあと沖繩の百万の人口をささえる経済日本経済の一環として発展させていく方策は何かということでございまして、そのためにまず考えなければいかぬ点は、戦後二十五年間米国施政下にあって社会資本の投資のおくれ、全く社会資本の投資がなされてこなかった、そういう事態をまず解消しまして、そして沖繩経済発展の基盤を確立することが大事でございます。これには私どもは、沖繩経済の振興のための特別な立法なり、沖繩経済復興の特別な財政上の措置なり、そういうものをあわして検討していかなければいかぬと思うのでありまして、これらに対する基本的な考え方は、返還協定暫定措置法とあわせて沖繩経済の復興の復興法といいますか開発法と申しますか、そういうようなものをあわせて国会の御審議をいただくような準備を進めたいと考えるのでありまして、この作業は非常に大きい作業でございます。もちろん当面する国政全般にまたがる復帰準備あるいは暫定措置特別措置、そういうことも分量としては相当ありますが、沖繩経済を将来、いま御指摘のような佐藤総理がおっしゃっておられるような豊かな沖繩県にするための経済開発の問題は、この間も大阪で沖繩経済振興懇談会が開かれまして、三日間非常に熱心な討議が行なわれましたが、その内容等を拝聴すればするほど非常に大きい問題でございまして、今後ひとつ政府部内の意見を逐次まとめて準備を着実に進めたいと考えております。
  33. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 あのお話が出ましたからちょっと承りますが、大阪会議のメンバー、それから主要なるテーマ。——あなたは三日間出られたのですか。それに出られた感じをちょっとかいつまんで話してください。
  34. 山野幸吉

    山野政府委員 沖繩経済振興懇談会というのは、昭和四十一年の七月に佐藤総理が出席されまして東京で開かれまして以来五回目でございまして、東京と沖繩と交互で開かれておりまして、日本では、日本商工会議所はじめ経済五団体のリーダーの方々、それから沖繩では沖繩商工会議所はじめ、対応する諸団体、経済界の代表、総員本土側が約七十人、それから沖繩側が四十人くらいで、百十人前後と承知していますが、そうして十九日から三日間開かれたわけでございます。私、毎回大体出席しておりますが、今度の会議は、実は永野会頭、琉球側の国場会頭はじめ、総務長官にけさ八時半から報告されておられましたが、今回の会議は、そう言ってはなんですが、一番真剣な会合でございまして、やはり二年後に沖繩本土へ返るということが確定した。そして沖繩経済界としてももうこれを引き延ばすとかそういうことでなくて、どうやって二年後に沖繩経済体制をきちっとするか、あるいは将来どうしていくかということについて、前向きのほんとうに真剣な姿勢が見られたわけであります。これに対しまして本土側も、あらゆる業界の代表が出ておられますので、五つの分科会に分かれて真剣に討議が行なわれ、共同声明が発表されております。  その中の一、二を申し上げますと、やはり現在当面する沖繩の関心の一番大きい点は、外資導入のいわゆるかけ込み外資等の問題が非常に大きい問題でございましたが、これにつきましては本土側と沖繩側と非常に真剣な討議の結果、やはり沖繩の権益というものは日本の国益と合致すべきものだし、また合致させ得るという立場からこの外資導入についての調整をはかっていこう、十分相談していこうというような空気が圧倒的に多かったし、共同声明でもそのような見解が示されております。  それから本土の装置産業その他先導産業沖繩進出については、積極的な姿勢日本財界も取り組むべきである。しかしそれにはやはり水とか電気とか土地とか、そういうものについてのほんとうに専門的な広範な調査をなお具体的に進めていく必要がある。それと同時に、本土側と沖繩側双方で税制上、財政上の、先導産業が入りやすいような仕組みをつくってもらう必要がある、あるいは沖繩経済開発のためには沖繩経済開発のための事業団もつくってもらいたいとか、その他いろいろ申し上げると時間がかかりますので省略いたしますが、非常に具体的な積極的な報告が総務長官にけさ行なわれたわけでございます。
  35. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 これは山野さん、どうだろうね。そこで速記みたいなものをとっていたかね。
  36. 山野幸吉

    山野政府委員 はい。
  37. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 そしたら全部じゃなくてもいいですが、そのエキスになるダイジェストみたいなものでも、それをわれわれの参考資料として入手することをごあっせんいただけますか。
  38. 山野幸吉

    山野政府委員 これは私のほうで準備いたしまして、適当な、向こうのほうでできましたときに御配付申し上げたいと思います。
  39. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 ぜひそれを手に入れたいと思いますから、よろしくお願いいたします。  それから数次にわたって経済団体のいろいろな人が、今度の大阪の会議にも出席していた人たちでしょうが、沖繩へ行ってこられて、経営者の目から見てどういう産業がここで興るかというようなことを検討していると私は思うのです。その検討の中にはだめだというのもあるだろうし、いいというのもあるだろうし、いろいろだと思うのですが、そういう方々とかりにわれわれが何か引き出すためにひとつ会いたいということを考えたとしたならば、あなたとしては、それならこの人とこの人とこの人に会ったらいいでしょうという名前をあげる準備がありますか。
  40. 山野幸吉

    山野政府委員 いまここで指名してもらいたいとおっしゃいますとちょっとできませんが、私のほうでは十分ごあっせん申し上げる用意がございます。
  41. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 ありがとうございました。  それでは最後の質問ですが、北方領土問題対策協会がありますね。あれと対策庁との関係をきわめて簡単にお聞きして私の質問を終わります。
  42. 山野幸吉

    山野政府委員 対策庁におきましては北方領土問題につきましての基本的な施策あるいはそれに基づく調査をやりまして、たとえば啓蒙宣伝の具体的な実施あるいはまた北方漁業権者等の救済措置、従前の北方協会の行なってきた仕事でございますね、そういうような具体的な実施はこの対策協会のほうでやっていただくということになりまして、両方相協力して北方領土問題事務を行なってまいりたい、かように考えております。
  43. 鯨岡兵輔

    鯨岡委員 終わります。
  44. 池田清志

    池田委員長 中川嘉美君。
  45. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 私は、ただいま議題になっております沖繩北方対策庁設置法につきまして、副長官並びに特連局長に二、三質問をいたしたいと思います。  実は私も去る二月九日から四日間にわたって沖繩を訪問いたしまして、沖繩の要路の方々といろいろ懇談をしたり、あるいはまた御意見を伺ったりする機会がありました。そのときの現地の声といたしましては、沖繩北方対策庁はいつできるのだという質問がございました。このことからいたしましても、現地沖繩において本法案の提出されることをいかに待ち望んでいたかが推察できるわけであります。今回この法案の審議に入ることができたということは、明日私たち派遣団が沖繩に参りますが、この訪問にあたりまして非常にけっこうなことである、このように思っております。しかし、幾ら沖繩北方対策庁ができましても、これはできたというだけでははなはだ不十分である、要はその中身とまた実際の活動であると思います。中身が充実しておって、また実際に沖繩北方問題の解決のためにどんどん活動するのであるならば、国民としてももろ手をあげてこれを歓迎するでありましょうけれども、またいわゆる単なるお役所の行政機構一つふえたというだけで、あとは適当にお役所仕事としてお茶を濁すようなことがあっては設置法の意味も薄らいでしまう、このように思うわけであります。  そこで、まず第一に伺っておきたいことは、沖繩北方対策庁設置法の立法に至る経緯について御説明をいただきたいと思います。
  46. 山野幸吉

    山野政府委員 実はこれは昨年の十月、佐藤・ニクソン会談が開かれて、そうして大体一九七二年に沖繩復帰するという合意に至るのじゃないかという客観的な諸情勢がございまして、そういう情勢のもとに、私どもそうなった場合を想定しまして、この二年間で復帰準備を進めるために、そうしてまた復帰したあと沖繩経済社会の開発に伴う諸事務を遂行し、そうして北方領土の問題を処理していくためにはやはり現在の局制度では不十分なので、沖繩北方対策庁を設置する必要があるということで大蔵省のほうへ予算要求をいたしたのであります。その後十一月に佐藤・ニクソン会談が行なわれる、そしてまた、愛知外務大臣は九月に訪ソをされるとかいうような背景を踏まえ、沖繩返還が確定し、そして確定しただけに、北方領土問題の世論が盛り上がってき、そういう背景のもとに、これはどうしてもこの際できるだけ早くこういう対策庁をつくって——沖繩復帰対策閣僚協議会というのが佐藤総理が訪米直後につくられまして、そこで復帰対策基本方針をきめることに相なったわけでございまして、それを受けまして現地準備委員会、東京の協議委員会とも相対応しまして、政府部内の沖繩復帰対策に関する意思を確定するために沖繩北方対策庁をつくるべきだということで、新大臣、新総務長官のもとでこの予算折衝が行なわれまして、その経過の中には北方を除くべきであるという意見もございましたが、最終的には総務長官はじめ関係閣僚御相談になりまして、沖繩北方対策庁でいこうということになって、今日の法案提出の運びに相なったわけでございます。
  47. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 国家行政組織法の第三条によりますと庁とかそれから委員会というのは府または省の外局として置かれることになっておるわけでありますが、この行政組織法による庁及び委員会は府または省のもとに現実にどのような姿で設置されているか、この点を御説明いただきたいと思うのです。
  48. 山野幸吉

    山野政府委員 これは各省各庁で違いますが、総理府におきましては警察庁、宮内庁、行政管理庁、北海道開発庁、防衛庁、経済企画庁、科学技術庁等がございます。農林省には食糧庁、林野庁、水産庁、あるいは通産省には中小企業庁、特許庁、その他運輸省には海上保安庁とか気象庁とか、自治省には消防庁というような庁がございます。この庁の中には国務大臣をもってその長とする庁もございますれば、それから一般職の長官をもってこれに充てることとするというようにきめられた庁もあるわけでございます。
  49. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 いま御説明をいただいたわけでありますが、ところでたとえば国家公安委員会とか北海道開発庁等いろいろあるわけですが、国務大臣がその委員長なりあるいは長官を兼ねておられる。また今度の沖繩北方対策庁は、法案の第八条に長官に関する規定があるわけですが、庁長官は国務大臣をもって充てるのか、あるいは特別職の国家公務員を充てるのか、あるいはまた先ほど御説明がありました一般職の公務員をもって充てるのか、この点御説明をいただきたいと思います。
  50. 湊徹郎

    湊政府委員 まあ通常それぞれ単独の法律で設置をされたり、あるいは単独設置法の形をとったりあるいは一般的な省の設置法の中で設置したり、さまざまございますが、国務大臣をもって充てる場合はその旨法案の中に明記しておるのが通例でございまして、今回はそういう形は予想していないわけでございます。
  51. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 そうしますと特別職でしょうか、一般職でしょうか。
  52. 湊徹郎

    湊政府委員 一般職でございます。
  53. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 御答弁によりますと、一般職の国家公務員を庁長官に充てる、こういうことでありますが、沖繩復帰の問題も、あるいはまた北方領土問題も、国として非常に重要な問題でありますから、当然国務大臣をもって庁長官に充てるべきである、このように私は思いますけれども、これに対する政府の御見解を伺いたいと思います。
  54. 湊徹郎

    湊政府委員 私ども従来の経緯並びに政府部内のいままでとってまいったいろいろな準備過程、さらに二カ年という一応のめどがございますので、現在の総理府総務長官のもとで運用するのが実態に一番合っておるし、一番適当ではなかろうか、こう判断をいたしたわけでございます。
  55. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 次に、関連いたしまして、総理大臣も行政管理庁長官も、昨年の国家公務員の総定員法の審議のおりに、ここ二、三年は国家公務員の増員はしない、このように言明しております。私たちは、今回の沖繩北方対策庁の設置につきまして若干の国家公務員の総定員がふえることに別段の異論はないのでありますが、行政官庁がいたずらにその定員をふやすということは、これは考えなければならない。一たんでき上がった行政機構が不要になったときは、これはすみやかに定員を縮小したりあるいは整理することが主権者である国民に対する義務である、このように思うわけであります。この点について副長官の所見をひとつ伺いたいと思います。
  56. 湊徹郎

    湊政府委員 ただいまお話にございましたように、総定員法を設けた趣旨もそこにございますし、時代の推移に応じながら、伸縮自在、弾力的に運用するというのが基本であろうと思っております。したがって、この沖繩北方対策庁に関しましても、刻々進展する事態に応じて仕事の重点も移っていくでございましょうし、そういう際は私ども実態に即した措置機構その他についてはとっていきたいというふうに考えております。
  57. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 次に、条文の内容について二、三伺いたいと思います。  まず第一点は、第三条の、二ページの一行目にあると思いますが、「北方地域(政令で定める地域をいう。以下同じ)」となっております。この個所ですが、この政令の内容はどういう内容であるか伺っておきたいと思います。
  58. 山野幸吉

    山野政府委員 ただいまのところ、歯舞色丹国後択捉の四島を考えておるわけでございます。
  59. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 これはもう少し詳しく、いつごろのあれかおわかりになりますか。たしか昭和三十四年くらいじゃなかったかと思いますが……。
  60. 山野幸吉

    山野政府委員 総理府設置法に基づきます北方地域の範囲を定める政令が、昭和三十四年三月二十日政令第三十三号で公布されております。ここでは「総理府設置法第三条第二号に規定する政令で定める北方地域は、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島及び内閣総理大臣が定めるその他の北方の地域とする。」とございます。
  61. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 次に、平和条約の第二条(C)項には、「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」このように日本が千島、樺太を放棄しているよう規定してありますが、この地域の領有についてソ連側は国内法の上でどのような手続をとっているか、これもひとつ御回答いただきたいと思います。
  62. 山野幸吉

    山野政府委員 ただいま御指摘の点は、外務省の欧亜局長等から御答弁いただいたほうがいいと思いますが、したがいまして、私は私の承知している範囲でお答え申し上げますが、一九四六年、昭和二十一年二月二十七日ソ連の最高会議は旧日独領土ソ連領編入に正式決定した、こういう記録になっておりまして、サハリン州か何かに編入されたものと私ども考えております。
  63. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 いま伺いました点で、二十一年二月二十七日でありますが、内容的に見ましても、このソ連の国内法上の措置というものが非常に不法あるいは不当なものである、このように感ずるわけであります。それに対する副長官の御見解及び今後どのように北方問題を解決していくか、先ほどもいろいろお話があったようでありますが、この二点についてもう一度ひとつ御答弁いただきたいと思います。
  64. 湊徹郎

    湊政府委員 ただいままで総務長官あるいは外務大臣その他いろいろ答えがございましたように、ソ連自体の国内措置とは全く関係なしに、私どもとしては従来の考え方で進んでいきたいというふうに思っております。
  65. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 先ほど鯨岡委員質問にもありましたけれども北方問題は、副長官の御答弁にありましたように、いまだ解決の端緒さえつかめない現状であるわけですが、具体的に沖繩問題北方問題が当然分けられ、そうして北方課北方問題を扱うということでありますが、日本政府沖繩北方庁を設置して北方課を設けることについてのソ連政府への配慮でありますが、これはどう考えておられるか。何か政治的思考ないしは計算がソ連側に対してあるのかどうか、この辺についてひとつ御答弁いただきたいと思います。
  66. 湊徹郎

    湊政府委員 先ほども申し上げましたとおり、いわばまだ北方の問題は外交政治の舞台にさえのらず、きっかけをつかめないという現状でございますから、今日北方課中心にしてやっていこうという行政部内の措置としては、主として国民世論の啓発、喚起と、それによっていわば今後展開されるであろういろいろな政治的な動きに対して、行政の側からいろんな準備を進めていく、こういうふうな考え方でおるわけでございます。
  67. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 次に、第三条でございますが、対策庁の任務、それから第四条にその権限が規定されておるわけでありますが、条文のみから見た場合に、文章の中に準備のための施策を推進するとか、あるいは準備のための施策を策定する、こういった非常にまぎらわしい文言が並んでいるわけでありますが、具体的内容についてこれではちょっと明確さを欠いているのではないか、このように思います。この任務と権限の内容を国民の前に、特に沖繩県民の前に明確にして安心感を与えていただきたい、このように思うわけでありますが、この点ひとつ御答弁いただきたいと思います。
  68. 山野幸吉

    山野政府委員 法律の上では包括的な表現をとらざるを得ぬわけでありますが、一九七二年の返還準備といたしまして、これは主として外務省が行なうのは返還協定の作成であります。その返還協定を作成するにあたっての内容となるべきものは、総理府及び各省が協力していかなければなりません。それからまた——これは非常に大略的な部分で申し上げまして失礼でございますが、一方内政的な準備といたしましては、沖繩復帰いたしますと、わが国の国内諸法令が沖繩に適用になるわけでございまして、したがいまして、その適用をめぐって暫定措置を要するもの、特例措置を要するもの、そういうものを各法律について当たっていかなければいかぬわけでございます。この中の問題になろうかと思いますが、沖繩県設立の準備、ただいま鯨岡先生にお答えしましたが、国県事務を分離して沖繩県をつくっていく作業、それからそれらの公務員を引き継いでいく作業、それから沖繩における公庫、公団その他諸団体の本土との連携に関する準備、あるいはまた米国の投資資産、三公社等の引き継ぎの準備あるいは通貨切りかえの諸準備等がおもなものでありますが、そのほかこれまで米側が行なってきた行政行為とか裁判の効力をどう引き継いでいくか、そういうような内容につきまして政府関係意見を統一して施策をきめ推進していかなければいかぬ。それからまた復帰しましてから、沖繩の先ほど来申し上げておりますような経済開発を促進するための計画、立法上、財政上の措置、そういう準備が必要かと思います。  大体大略申し上げますとそういうことに相なっております。
  69. 中川嘉美

    ○中川(嘉)委員 いままでの御答弁政府の構想、だいぶわかってまいりましたけれども沖繩現地においては本土復帰に対する期待とともに一方には非常な不安があるやに聞いておるわけであります。沖繩百万県民の信頼にこたえるためには、ほんとうに政府国民も一丸となって、沖繩本土復帰ができたことを心から喜ぶことができるように、政府の一段の努力を要望いたしまして、本日はここでひとまず私の質問を終わらしていただきたいと思います。
  70. 池田清志

    池田委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。    午前十一時四十七分散会