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井野委員 繰り返してくどいようですが、あなたのほうでは
協力と
理解を得ておった、こういう話をしておられる。ところが、実は
市長だけの腹の中で、
市議会が了解しないような結果になってしまって、大騒ぎになっている。
市長不信任にまでいきそうになっている。これで
国鉄が市の了解を得たといってどうしても
実施されるなら、
国鉄じゃないですよ、
市民が線路にすわり込んで汽車をとめるぞとまで言っておる。そうでないと、
市長は別として、
室蘭市として
詐欺を働いたことになるということを非常に心配をしております。それはそうだと思います。二万四千戸を収容する
ニュータウンの
土地を売るのですから、相当
宣伝されているのですよ。駅まで何キロ
——これは私も恥ずかしいけれ
ども、
実情をそのまま申し上げておる。重大なことに発展します。したがって、
市民の
関係者の
協力というのは
市長だけではないということを再
認識を願って、
市議会等が十分納得する
——それは一人や二人あって、採決するということになるかもしれませんが、そのことは別として、
市議会の大半が納得する、あるいは
関係の地主その他の付近の人が納得するということは、
国鉄としては今後のためにも絶対やらなければならぬことだと思いますので、その点は再度確認をしたいと思います。
それから、次の問題を申し上げますが、(「選挙区の
ことばかりやるな」「いいよ、やれ」と呼ぶ者あり)実は同じように、
合理化の
人減らしの中で万字線の無人駅の問題がございます。私もここは近いところではございますけれ
ども、事情あってあまり行かしてもらえない
場所になっておったのですが、このたび、
運輸委員でもあり、
現状を見るために全部入りました。その中で、
国鉄というのは全くひどいというふうに私は感じました。私、
地元ではそんなことは言ってきませんが、そう感じました。(「
速記録に残るぞ」と呼ぶ者あり)
速記録に残したいのです。
その
一つの例を言いますと、まず上志文駅、ここは平常は百人から百二、三十人だそうです。
助役さんが一人おられましたが、
助役さんと駅長さんとで
交代勤務で、休暇のときには岩見沢駅から
助役さんが来て、
国鉄の
組合員はおりません。ここは冬、
スキーの時期には札幌から
特別列車が入って、千人以上の
スキー客が来る。特に
子供だそうであります。この駅の
お客さんはほとんど通学の
子供であります。ここは雪も二メートル以上降るところであって、もしホームの
管理、駅舎の
管理が悪かったら、必ず
人命事故が起こることは間違いない。これは
地元の人の意向であります。町の様相も、ここは純農村と
観光地でありますから、これから栄えても減るところではございません。
胆振縦貫鉄道のような人なしのところとは違います。ここの駅の人をなくしようというのでありますが、ここで一人でも
子供が
列車とホームの間に落ちて死んだら、
国鉄は責任をとるのですか。私はこういうような通学駅ともいわれるようなところを無人化しようとする
国鉄の意図がわかりません。まさに企業優先であって、
国鉄の公共性は失われつつある、こういうことが言えると思います。
その次は、万字炭駅と万字駅であります。この間は確かに一キロしかありません。地理的には一キロですけれ
ども、ものすごい渓谷とつり橋があります。そして万字駅へ入るためにはどうしても線路をまたがなければならないので、ここにはさくを設けて人が通れないようにするのだそうであります。ここは七名の駅員がおります。駅長、
助役と
組合員は口をきかないくらい仲が険悪になっております。毎日のように
国鉄から行って説得工作が行なわれておりますが、ここの新聞屋さんはこういうことを言いました。もし無人駅になったら、私はここへ新聞を届ける仕事をやめざるを得ない、なぜならば、定刊のものは時間どおり来るからいいそうですが、不
定期のものについては、ホームに投げられたら、新聞は紙であるからぬれて使えなくなってしまう、これでは営業は成り立たない、こういうことであります。お寺の坊さんはこう言いました。私は
国鉄が駅をつけるときに、昔の話だが、
国鉄の
要請に基づいてここに布教に来たものだ、ここに五十年
国鉄と一緒にやってきて、ここで
国鉄が駅をなくすことは、この部落の五十戸をなくすことに通ずる、したがって、
国鉄の駅が無人化されるならば、私もお寺をたたまなければならぬということを言っていました。雑貨屋さん、とうふ屋さん、すべての人が言っておったのですが、ここで私は過般の磯崎総裁の
ことばを思い出しました。配置転換等のためには、時間をかけ、職業訓練等をやってやるけれ
ども、そこを動きたくないという人はやめてもらわざるを得ない。この七人の中に二人おります。おじいさんも
鉄道敷設のときに人夫に採用されておる。おとうさんも
鉄道だ。したがって
子供さんも
鉄道だ。ここを去れということは
鉄道をやめろということに通じます。確かにそうだろうと思います。そういう結果になるだろうと思います。そしてこの五十戸の部落が栗沢町から消えることだ。こういうので写真をとりましたけれ
ども、その写真はまだ間に合いませんが、少なくとも万字炭の駅まで行くと、新たに道路をつけて山を越えていかなければならぬことになるわけであります。距離から見れば、なるほど一キロくらい行ったらいいじゃないかということになろうと思います。無人駅にするので、これは停留場にするからいいのだということでありますが、
国鉄では、線路上の事故が起こったら困るから、川を渡って、つり橋を渡って、この線路を越えて駅に来る、駅はがけの上でありますから、三十五段階段を上がって、切符を買って乗るというような、きわめて楽しい健康な駅のようです。ここへさくをやって万字炭まで行かなければならないようにしてしまう。これが
国鉄の公共性だろうかという気がするのですが、ここは七名全員
廃止だそうであります。しかしながら、私は、そうだからといって、全部の駅を無人化するには賛成をしませんけれ
ども、必要でないところの、たとえば美流渡、北星炭鉱の閉山に伴って、あそこの構内操車の
人たちや機関車を回す装置をなくするということは当然だと思います。しかし、三十七名の減員は必ずしも適正でない。もっと
国鉄の持っておる公共性というものを考えるならば、この人員整理だって検討すべきだし、もっと
地元住民や従業員の声に耳をかしていいのではないか。何でも反対するのだからだめなんだ、何でもやるのだという
姿勢、これは私は岩見沢
市長、栗沢町長の話を聞いて、いずれも自民党支持の方々でございますけれ
ども、このことだけは賛成できないということで、政治信条や政党政派にかかわらず、
国鉄の横暴ぶりを憤っておりました。この点、御所見を伺いたいと思います。