○
大橋和孝君 ただいま藤原議員から非常に微に入り細に入りいろいろな御所見を伺いまして、特にまた
修正案
提出者の私に対しましても七項目にわたる、あるいはまた非常にうんちくの深い御
質問をいただきまして、特に僻地の問題あるいはまた財政の問題を含めて
社会党の、
修正案
提出者である私を含め
社会党では一体抜本的にどう考えておるかという非常にむずかしい御
質問をいただいたわけでありますが、御
質問の趣旨に沿えるかどうかわかりませんが、私の力の一ぱいを出しましてこれから御
答弁をいたしたいと思うわけであります。
私の提案をいたしました
修正案における
政府の一年以内の
抜本対策国会提出の義務規定について、私を含めて日本
社会党にはいかような抜本策の構想があるか、この際明らかにすべきだと、こういう御
指摘でございます。われわれの志向する
抜本対策の前提となるのは、今日のわが国医療のどこに欠陥があり、どこに根本的な検討を要するかという、この現状の認識でございます。この点は私は、先ほど
提案理由説明の中でるる述べたわけでありますが、ここにそれを要約するならば、わが国の医療
制度を
中心に見た場合、およそ次の
四つの根深い矛盾が横たわっているということであります。
その矛盾の第一は、現行八つの
制度に分立しているところの医療保険の間には、
保険料その他の
負担及び
給付の
内容や条件に格差が大きく、貧しいものに対してかえって劣悪な
給付が対応するものとなっており、このために、疾病と貧困の悪循環を断ち切れずに呻吟する人々が依然として多いことであります。
第二には、
給付内容が、すべての
制度を通じて治療に片寄り過ぎて、疾病の予防や後保護については保険
給付のワク外とされ、職場や地域住民の健康管理に実効をあげることのできない仕組みとなっていることであります。これが特に顕著なのは、中小零細企業の労働者を対象とするところの
政府管掌健康保険、それに農村、林野の労働者や建設、港湾労働者などの多い日雇健康保険、そして農漁民や零細企業労働者と退職者の加入しておるところの
国民健康保険の
三つであります。
第三の矛盾は、
制度の管理
運営に計画性がないばかりでなく、健康と生命をいかに守るかということよりも、保険財政のバランスをどのように維持するかということばかりにとらわれてきていることであります。わが国の勤労階級は、生活点において劣悪な環境の中に、生産点において過酷な労働条件のもとに耐え続け、これが今日、米ソに次ぐ生産力を生み出してきているのでありますが、この反面では、各種の公害、交通事故、労働災害、職業病等が当然続発することになり、したがって、いま政治に
要求されておりますのは、保険財政のことよりも、このような疾病、事故を未然に防ぐための環境の整備にあると言わなければならぬのであります。第四の矛盾は、
制度の
運営に、被
保険者や患者の声がほとんど反映されない、非民主的な仕組みになっておることであります。
制度の民主的
運営が保障されず、上からの官僚的締めつけが日常化しているところに、
国民のための医療が行なわれようはずはないと思うのであります。
さて、われわれの、医療
抜本対策の構想でありますが、日本
社会党の運動と政策の基調は、「人間の尊厳」「人間の復権」を
国民大衆の立場に立って追求することにあることは、藤原君もすでに御
承知のとおりであります。ところが、保守党
政府の従来の政策理念は、われわれのこれとは根本的に異なっているため、
政府に義務づけられております
抜本対策は、この政策理念からまず抜本的に改革せねばならないと思うのであります。
政府・自民党の
社会保障政策と、われわれのそれとがどの点で基本的な違いがあるのかは、すでに随所で申し上げておるつもりでありますが、昨四十三年十一月二十八日に出されました財政
制度審議会報告に、
政府の
姿勢がきわめて集中的に表現されていると考えますので、この際これを取り上げ、これにメスを入れながら、急務とされている医療抜本改革の基本的政策理念はどのようなものでなければならないかを明らかにしてみようと思うわけであります。
この財政
制度審議会報告は、その正式な表題を「
社会保障についての費用
負担ならびに
政府管掌健康保険及び日雇労働者健康保険の財政再建についての
報告」と題して、
社会保障全般にわたってかなり突っ込んだ
意見を表明しております。それは「まえがき」と「総論」からなっているのでありして、最後の
部分で、特に、
政府管掌健康保険及び日雇労働者健康保険の財政再建についての
報告がなされております。当
審議会は大蔵大臣の諮問機関であり、会長は小林中氏であることは藤原君も御
承知のところだと思うのであります。
報告書の冒頭に、特に会長名をもって、次のように
報告の趣旨を述べられております。すなわち、
財政
制度審議会は、
社会保障についての費用
負担のあり方について検討を行なってきた。この問題は、先きに
報告した食管
制度、国鉄財政及び地方財政とともに、財政硬直化打開のため、抜本的対策が望まれるものである。
本
審議会は、第二特別部会において、学識経験の深い特別
委員の参加のもとに十三回に及ぶ会合を開いてこの問題の検討を行ない、その
報告についてさらに総会で
審議を重ねた。その結果、今回、
社会保障についての費用
負担ならびに
政府管掌健康保険及び日雇労働者健康保険の財政再建について、
報告する運びとなったものである。
政府においては、この
報告の趣旨にそって、
制度の
改善に勇断をもって当られるよう強く
要望する。というものであります。
ここで、この
報告全般に対して少しく批判をしておかなければなりません。それは、すなわち、
社会保障という国の重要な政策をどのようにとらえるかということであります。
社会保障とは、
国民が、一時的あるいは永久に働けなくなった人たちに対して、基本的な
社会的権利として正常な生活ができるような手段を保障する
社会制度または立法
措置をいうのであるとするならば、国の財政
事情に伴って
社会保障政策が伸縮するものであってはならないのであります。
戦後、わが国経済の復興や高度経済成長が、基本的には、安価で流動的で豊富な労働力の存在によるものであったことは、ロンドン・エコノミスト紙をはじめ、すでに国際的に認められているところであります。わが国の劣悪な労働条件、貧弱な生活環境、低水準の
社会保障等が続く限り、日本は、安価な労働力に事欠かず、独占資本育成のための予算にも一応不自由しないでありましょう。しかしながら、
国民の福祉を本来の任務とする政治が、人よりも物に、人間尊重よりも経済主義、財政至上主義に片寄るならば、その政治、その
社会は、必ずや破綻と混乱におちいることは疑いのないところでありましょう。今日大衆的に告発されている教育の矛盾や公害、それに
健康保険制度の問題などは、そのような破綻の端的なあらわれと言えると思うのであります。健康で文化的な最低限度の生活の水準は、予算の有無によってきめるべきものでは断じてなく、むしろ財政を指導、支配すべきものであるというのがわれわれの主張であり、
国民大衆の立場であります。
したがって、この観点からするならば、
社会保障に対して国家財政としてどの程度支出するのが妥当であるかを財政
制度審議会は十分な理由を付して述べるべきであるにもかかわらず、当
審議会は、この点きわめてあいまいなままに、国庫
負担を現状にとどめるのみならず、かえってこれを減らそうとしているのであります。
社会保障が西欧先進諸国から見てはるかに立ちおくれているわが国にとっては、
社会保障に対する国庫
負担を大幅に拡大することこそ必要であります。このことは、
昭和三十七年八月二十二日に出されました総理府
社会保障制度審議会の「
社会保障
制度の総合調整に関する基本方策についての答申及び
社会保障
制度の推進に関する勧告」の中でるる述べられたところであります。また、「
社会保険から
社会保障へ」というのも世界的動向として認められるところであります。
おおむねこのような視点で財政
制度審議会報告の
内容に入ってみたいと思うのであります。
念のため、この「まえがき」の
部分を読み上げてみたいと思うのでありますが、この「まえがき」では、
1 財政
制度審議会は、昨年来財政の硬直化を打開しその体質を
改善するための方策について
審議を続けているが、その一環として、
社会保障の問題について検討を行なった。
勿論
社会保障
制度には、公的扶助、
社会福祉、公衆衛生、
社会保険等極めて広範な分野が包含され、その内蔵する問題も
給付と費用の両面にわたり複雑多岐に及んでいる。それらの問題の全てについてあらゆる角度からの検討を行なうことは当
審議会の任務ではない。
われわれに与えられた課題は、昨年十二月の
審議会報告に述べているように、財政が、
国民生活の一層の充実、
国民経済の均衡のとれ安定した発展を達成するために期待される役割を果しうるような健全にして弾力的な体質を備えるには、いかなる
措置が必要であるかを明らかにすることである。
当
審議会はかかる見地から
社会保障の問題をとり上げた。従ってここで行なった検討は
社会保障の財政的側面にかかわるものであって、国庫
負担をはじめとする費用
負担のあり方が
中心となっている。
2 しかしながらこのことは、当
審議会がただ単に財政支出を抑制しさえすればよいという立場に立つことを意味するものではない。
国民福祉の向上のため、
社会保障の充実を希う点において、われわれも人後に落ちるものではない。しかし、
社会保障は
国民負担の上に成立っている
制度である。
給付の充実は、租税であれ
保険料であれ必ず
負担を伴う。その意味で費用
負担面を無視して
社会保障を論ずることはできないのであって、われわれは
社会保障の発展は健全な財政的基礎の上に可能であると考える。
3 当
審議会はこのような基本的立場から問題点を検討したが、以下にその検討結果を
報告する。
なお、個別
制度としてとりあげたものは、医療保険、年金保険、失業保険及び児童手当
制度であるが、このことは公的扶助や
社会福祉などの
社会保障の他の分野に問題点がないことを意味するものではない。ただ後に詳しく述べるように、現在のわが国
社会保障
制度の
中心的な課題は
社会保険制度の問題であって、われわれの検討も自らこれらの問題点に集中され、他の分野についてはこれをとりあげる時間的余裕がなかった結果であることをお断りしておきたい。と述べられておるのであります。
以上の「まえがき」では、例の財政硬直化を取り上げ、この原因の
一つが
社会保障
制度にあるような
指摘があるのでありますが、さらに一番問題となるところは、「当
審議会がただ単に財政支出を抑制しさえすればよいという立場に立つことを意味するものではない。
国民福祉の向上のため、
社会保障の充実を希う点において、われわれも人後に落ちるものではない。」と言っておきながら、そのすぐ後に、「しかし、
社会保障は
国民負担の上に成立っている
制度である。」と言っているのであります。この考え方が大きな間違いと言わなければなりません。
社会保障というものは、何も
国民相互の互恵
制度でも互助
制度でもなく、国家が
責任を持って、
社会の中で生活するのに困難な
事態に対して保障する
制度であり、この考えが第一義的にとらえられなければならないのであります。この互助
制度なり、互恵
制度というものは資本の論理であって、
社会保障の究極の目標は、費用の
負担は全額国庫
負担でやるのが当然であります。もちろん、ここに言われているように、租税の収入の中から、
社会保障としてワクをとるわけで、そのための目的税をとるというのは、
社会保障理念と相反するものであることは言うまでもないのであります。
次に、総論を見てみたいのでありますが、それは、「現状と問題点」、「
改善の方向」の
二つの点について述べているのであります。特に重要な点でありますので、全文を読み上げて、その検討をしたいと思うのであります。
第一の「現状と問題点」は次のとおりであります。
わが国の
社会保障は戦後急速にその分野を拡げて来た。特に三十年代後半においては、医療、年金の分野における皆保険、皆年金の達成をはじめとして、
制度的にも
給付水準においても目ざましい拡大を示した。かくて全体として
給付及び
負担の水準は西欧諸国に比べなお低いとは言え、児童手当を除きあらゆる
社会保障の
制度が出揃うに至っている。
一方、
社会保障
給付の急速な拡大に伴い、
社会保障関係予算も顕著な伸びを示し、その結果、一般会計予算における
社会保障関係費の構成比は、三十年代の始めには一〇%程度であったものが、現在では一四%程度に達している。
しかしながら、このような
社会保障関係予算の顕著な増加にも拘らず、その
内容を分析してみると問題が少くない。
第一に、
社会保障関係予算が著しく医療に偏った構造となっており、しかも年々その傾向が強くなっていることである。すなわち、三十年代後半から医療関係予算の平均伸率は
社会保障関係費のそれをはるかに上回り、この結果、三十年代半ばにおいては
社会保障関係費中約三分の一程度であった医療関係予算が、最近においては約二分の一を占めるに至っている。
第二に、
社会保険に対する国庫
負担が著しく高いことである。すなわち、前記の医療関係予算の約六割が医療保険に対する国庫
負担であり、これに年金保険や失業保険に対する国庫
負担を加えると、
社会保険に対する国庫
負担が
社会保障関係費の半ば以上を占めるに至っている。
第三に、既存の
制度を維持するための経費が巨額に達し、最近においては
社会保障関係費の増加の殆んどがいわゆる自然増の経費で占められていることである。
以上を要約するに、三十年代後半における
社会保障
給付の拡大は、主として
社会保険特に医療保険に対する国庫
負担の増加によってなされて来たと言っても過言ではない。三十年代後半における経済の高度成長に支えられたわが国の財政はそれを可能としたし、また
社会保険の草創期においては、国庫
負担により
制度の助長を図ることにはそれなりの意味があったとも言えよう。
しかし、
社会保険が
制度として成長するに伴い、これを維持するための費用がぼう大な額に上ってきた。さらに後に詳しく検討するように、既存の
制度の中には
社会保障としての目的なり機能なりに疑問の生じて来たものがある一方、経済、
社会の発展に伴い、
社会保障の分野においても新しい
社会的需要が生じてくる。他面、国の財政においては、経常的に大きな税収の伸びを期待することが次第に困難となり、一般的に硬直化の現象が顕著となって来たところに、今日わが国の
社会保障が直面している大きな問題がある。
わが国の
社会保障にはなお充実を図るべき分野が多く残されている。
社会福祉等の分野においても現状必ずしも十分というわけではなく、又
社会保険においても年金
制度等今後の充実が必要なものが存在する。しかし、医療保険に巨額の租税財源を投じている現状のままではそれは著しく困難である。
わが国
社会保障の全体としての均衡ある発展を望むならば、この際そのあり方に根本的な再検討を加え、いかなる
給付をいかなる財源によって行なうかについて明確な理念を確立し、これに基づいて逐次
社会保障の
給付と費用の再編成を図ることが必要である。
二、
改善の方向
(1)基本的な考え方
今後
社会保障の充実を図って行く場合、まず第一に必要なことは、
社会保障により国が関与すべき
給付の範囲と程度についての考え方を明確にすることである。いかなる準備を個人の
責任において行ない、いかなる保障を公的に行なうのかについて十分検討する必要がある。
第二に必要なことは、
社会的緊要度の高いものから優先的に充実を図って行くことである。
国民の
負担能力に限界がある以上、
社会的需要の強弱を十分検討し、重点的に充実を図るのでなければ、
制度の形だけは整っても
内容的な充実は期しえないであろう。
第三に必要なことは、総合的かつ長期的な立場に立って充実を考えて行くことである。
社会保障
制度は極めて広い分野に及びしかも相互に
関連した
制度であるとともに、長期にわたる継続的な
給付を必要とするものである。
給付においても費用
負担においても、統一ある考え方に基づき組み立てられ、かつ将来の見通しに立って考えることがその安定した発展を期するうえで何よりも重要である。
(2)費用
負担のあり方
社会保障は
給付と
負担についての明確な認識に基づくのでなければ、健全な発展を望めるものではない。
社会保障は
国民の
負担の上に成立っている
制度であるからその
負担が可能な限度においてのみ
給付の拡大が可能である。
給付の拡大は、減税の見送りか、増税か、
保険料の引上げか等々に直接つながる
国民的選択の問題であることを十分認識しなければならない。
また、
社会保障
制度として国が関与することが、ただちに「国庫の
負担」——「一般租税
負担」を意味するものではない。従来わが国においては、
社会保障といえば「国の
負担」が問題とされ、各
制度とも国庫
負担の増加を競う傾向が強かった。この際従来の行き方を反省するとともに、費用
負担の現状について検討を加え、
社会保障全体を通ずる統一的な考え方に雄づき調整を加えなければならない。
この点について
社会保障制度審議会は、
昭和三十七年度に行なった「
社会保障
制度の総合調 整に関する基本方策についての答申および
社会保障
制度の推進に関する勧告」において、
社会保障における費用
負担のあり方及び国庫
負担の優先順位について述べている。
われわれも
原則的にはその
見解に賛意を表するものであるが、ここでは特に
社会保険制度における
保険料と国庫
負担について一言述べておきたい。
社会保険は本来
保険料によって
給付を行なうべき
制度である。
社会保障の諸分野のうち、公的扶助や
社会福祉、公衆衛生の分野は、その性格上関係者による一部
負担を除いては租税財源を
もってしか行ない得ないものである。これに対し
社会保険は、一般的な貧困原因に対する準備を
社会的に共同して行なおうとするものであって、この
制度までがその財源を租税に求めていたのでは、租税をもってしか行ない得ない他の分野が制約を受けざるを得ない。しかも
社会保険自体についてみても、租税財源に依存することは必ずしもその
給付の充実を期しうる所以ではない。租税財源は年々の経済状況によりかなりの変動があるとともに、他の政策目的との競合をさけることはできず、個別の
制度にとって必ずしも財源を安定しうるとは限らないからである。
勿論われわれも
社会保険に対する国庫
負担を全く否定するものではない。国が関与する
制度としてその事務費を国庫が
負担することは必要であるし、被
保険者の
負担能力が必要とされる
保険料負担に耐え難いような場合には、これを補うための国庫
負担も必要である。また
制度の初期の
段階においては、助長的な観点から財源の一部を租税によることも必要であろう。
しかしながら、
社会保険制度が
制度として定着した今日において、なお
社会保障に対する国庫
負担の半ばが
社会保険、就中医療保険にあてられているわが国の現状は異常であると言わざるを得ない。
社会保障
制度全体の均衡ある発展を期するため、この際
社会保障の費用
負担について根本的な調整を行なわなければならない。
つぎに、
社会保険の安定した発展という観点から、
保険料負担のあり方についてふれたい。
現在わが国の
社会保険制度においては、
保険料負担は
原則として所得に対する比例料率によっているが、一部の
制度においては年間の基準所得を固定し、或いは基準所得の上限を画するという方式をとっているものがある。これらの点をどう考えるかは、
社会保険における
給付と拠出の対応関係如何にかかるものであるが、少くとも個人的な意味における両者の厳密な対応関係は
社会保険の必須の条件ではないと考える。
社会保険が経済の成長に弾力的に対応しつつ、
保険料負担により
給付の充実を図って行くためには、
保険料負担を能力に応ずる方向で検討することが必要である。
また、特に短期の
社会保険については
保険料負担の弾力性を確保することが重要である。現在一部の
社会保険はその
保険料率(又は額)を固定しているが、
社会保険制度である以上、収支の変動に弾力的に対応しうる余地をもつことが基本的な要件である。この点特に現在の医療保険における
保険料の定め方には問題がある。
(3)
制度運営の効率化
社会保障の諸
制度は相互に
関連を持っているのであるから、その
運営は相互の
関連についての総合的な配慮に立ってこそ実効を期し得る面が少くない。今後
社会保障
制度の
改善を図るに当っては、この点についても十分配慮することが必要である。
特にこの点についての具体的問題の
一つとして、
社会保険料の徴収面における
制度の合理化を望みたい。この問題はかねてから
指摘されているところであって、同一の所得に課される
保険料が、
制度毎に異る基準により、別個の機構を通じて徴収されることが、被
保険者、事業主にとって大きな
負担となっていることは明らかである。従来この問題の解決をはばんで来た原因の
一つは標準報酬制と総報酬制の問題にあったと思われるが、既に述べたようにこの問題は
社会保険制度において絶対的なものではない。この際、
制度の効率化という見地に立ち、一刻も早く問題の解決を図ることを
要望する。
こういうことであります。
まず、「現状と問題点」のところでありますが、
制度的にみて、「児童手当を除く、
社会保障の諸
制度は出揃った。そして、
制度的にも、
給付水準においても目ざましい拡大を示した。」、といわれておりますが、なるほど、
制度的には児童手当を除く諸
制度は出そろってはいますが、
制度が複雑に分立し、その格差は開く一方であり、
国民の中に
不満をいたずらに助長することになっていると思うのであります。また、
社会保障
給付の伸び率、
社会保障関係費の伸び率を自慢しておりますが、
社会保障
給付費の対
国民所得比では、一九六三年度では日本は五・六%、アメリカ七・六%、イギリス二二・八%、西ドイツ二〇%。先ほどお話しになりましたような比率も、国際比較においても日本は著しく低いのであります。
次に、
社会保障関係予算が著しく医療に片寄った構造になっておると
指摘しておられるのであります。しかしながら、これは、他の
部分の立ちおくれに基づくものであって、医療部門の抑制ではなく、他の部門の拡大という方向をとることによってバランスのとれた
社会保障の構造とすべきなのであります。
また、
社会保険に対する国庫
負担が著しく高いことを
指摘しているのであります。しかし、ここでも、保険主義に片寄った考えで押し切ろうとしているのであります。
社会保険に対する国庫
負担が
社会保障関係費の半ば以上を占めていることは喜ばしいことであって、他の分野の、たとえば、
社会福祉や公的扶助の相対的なおくれを是正する必要があると思うのであります。そして現在、
制度の上にない児童手当を、一日も早く創設して、西欧先進諸国の水準にまで持っていくべきであります。
次に、この
報告書は、また次のようにいっているのであります。すなわち、「既存の
制度を維持するための経費が巨額に達し、最近においては
社会保障関係費の増加の殆んどがいわゆる自然増の経費で占められている」「
社会保障
給付の拡大は、国庫
負担の増加によってなされてきたといっても過言ではない」といっているのであります。これも、前段については、厚生省、大蔵省両省の
社会保障、
国民生活の向上に対しての取り組みの弱さ、貧困さを
指摘するべきで、この考えは当たらないといえるのであります。後段については、一応、
社会保障の
給付の伸びは認められるとしても、国庫
負担の伸びについては少な過ぎるのであります。現在の年金にしても、老後の生活の安定なり、傷病の手当てなりを十分できるとはとうてい言いがたいのが
実情ではありませんか。医療保険についても、特例法に示されているように、国庫
負担を百五十億円から二百二十五億円に七十五億円ふやして、国の
責任はこれで足りると思っているところに行政に携わる者の思想の貧困さがあるのではないでしょうか。
次に、最も批判されるべき点は、「経常的に大きな税収の伸びを期待することが次第に困難となり、」というくだりであります。今日、日本では、
国民総生産は、西ドイツを抜いて、アメリカ、ソビエトに次いで世界第三位にあることは、御
承知のとおりであります。しかしながら、一人一人の
国民所得では世界第二十位にしかすぎないことも、皆さん御存じのとおりであります。この格差は、一体何によるものでありましょう。
一つには、資本の側のみが財を握って、
国民に分配されるものがきわめて少ないからであります。
社会保障とは所得再分配機能であり、当然
国民に平等に分配されるべきであります。税制についても、大企業擁護の税制であって、
国民は重税にあえいでいることは一いまさら言うまでもありません。この税制を改めさえすれば、ここでいう税収の伸びに期待できないことはないと考えられるのであります。わが国の
社会保障の全体としての均衡ある発展を望むならば、立ちおくれた
制度を国の
責任で大きく発展させることが必要であるのは、言うまでもないと思うのであります。
次に、第二の「
改善の方向」でありますが、基本的な考え方については、あたりまえの話なのであります。この考え方に即してあえて一言つけ加えるならば、
社会・経済の発展に伴い、そのひずみから発生する労働災害、職業病、交通事故等による傷害、公害等、また、人口構造の変動に伴うところの対策が必要であることをつけ加えなければなりません。
「費用
負担のあり方」については、「
社会保障は
国民の
負担の上に成立っている
制度であるから、その
負担が可能な限度においてのみ
給付の拡大が可能である。」といっておりますが、前にも述べましたとおり、
社会保障はもともと人間尊重の崇高な立場から出発したものなのであり、また、そうでなくてはならないと言えましょう。しかるに、ここでの考え方は、全く保険主義そのものであって、
国民の互恵互助の
制度であることに終始しているのであります。福祉国家建設の基礎づくりを行なうものとして、政治の基本に
社会保障を考えてみるならば、こうした考えこそを否定しなければならないと考えるのであります。
総理大臣の諮問機関として権威ある
社会保障制度審議会においても、たびたびこの点について勧告してきたところであると思うのであります。
さて、お尋ねの
抜本対策の件でありますが、「人間の尊重」「人間の復権」は、わが党が目ざす
社会主義的変革の基本となる理念でありまして、このゆえに、わが党は、当面する医療問題に対処するにあたりましては、経済の高度成長の中で貫かれてきたところの資本の論理と経済合理主義によって、人間が経済に隷属し、人間の価値そのものを見失っている現代
社会において、科学的に人間の復権をいかにかちとり、そのためにわが国の医療をいかに変革するかに政策と運動の基調を置いているのであります。わが党が去る七月五日に発表いたしました医療政策は、この観点を基本に据えて、次の
四つの柱を政策の目標としております。
すなわち、第一の目標は、「すべての
国民大衆を対象とする
健康管理体制を確立し、公費
負担医療の拡充をはかること」であります。
第二の目標は、「すべての
国民大衆に等しくよい医療を保障し、その
負担の軽減をはかること」であります。
第三の目標は、「
制度の機構並びにその
運営の民主化と、健康管理、医療供給体制の公共的組織化をはかること」であります。
第四の目標は、「
診療報酬体系を適正化し、製薬大企業の利潤追求を規制して、医療費を真に
国民大衆の健康及び医療の向上のためのものとすること」であります。
以上の四大目標を達成するために、われわれは次の政策が必要であると考えております。
まず、第一の目標、すなわち、「すべての
国民大衆を対象とする
健康管理体制を確立し、公費
負担医療の拡充をはかる」ためには、まず第一に、日常の健康管理を
中心とするところの
制度の再編成が急務であります。いまや
社会保障は、かつての救貧あるいは防貧
制度たる性格を越えて、一般
国民に対する国の
責任として、また
国民の権利として認識されておるのであります。この意味においても、わが党は、現行の
健康保険制度を健康管理の重要な一環としてとらえるとともに、医療保障を単に医療費の保障にとどまらず、すべての
国民大衆の健康と医療を、予防、治療、後保護を一貫して総合的に保障する
制度として再編成すべきであると考えているのであります。
第一の目標を達成するための
二つ目は、
国民の生活環境及び労働環境の整備であります。
国民に対する日常の
健康管理体制を確立する最も基礎的な要件は、まずその生活環境及び労働環境を整備することであります。経済財政政策の転換を行なって、
社会資本の充実をはかるとともに、産業公害、食品公害、交通事故などについての積極的な発生予防
措置を重視し、また労働災害、職業病を防止することはもちろん、労働時間の短縮、保育所の増設、育児休暇の創設など、労働条件、労働環境の
改善と向上をはかることこそが
国民の健康と生命を守るための基礎的基盤を整備することになるのであります。
第一の目標達成のために必要な
三つ目の政策は、
社会構造、疾病構造の変化に即応した公費
負担の医療の拡充であります。
昭和三十年代以降における経済の効率的な発展を至上のものとした、いわゆる高度経済成長政策が、職業病や、公害病など、多くの
社会的要因に基づく障害を増大させたことは言うまでもありません。これらの新たな疾病に対する医療、老人福祉、児童福祉、母子保健、心身障害者福祉の向上にかかわる医療及び分べんは、国家的
責任として全額を公費で
負担するか、もしくは健康保険の
自己負担分を公費で
負担すべきでありましょう。また、原爆被爆者の疾病や、公害病などを対象とする医療を制限しているもの、たとえば、所得制限や、居住地制限などについては、これを全面的に撤廃する必要がありましょう。結核、精神病、原爆被爆者の疾病、老人医療、ガン、公害、災害、交通事故などによる疾病、それに分べんなど、全額を公費で
負担すべき医療については、すべて健康保険に優先して公費
負担制度を適用すべきであります。
次に、
抜本対策の第二の目標、すなわち、「すべての
国民大衆に等しく適正有効な医療を保障し、その
負担の軽減をはかること」についてでありますが、この実現を期するために必要な政策の
一つは、国費
負担による
給付水準の大幅
引き上げであります。わが国の
健康保険制度の出発を見るならば、被用者健康保険においては、労働者に対する労務管理対策として、また、
国民健康保険においては、富国強兵策を背景に、農民に対する救貧対策として発足したことは、すでに藤原君も御
承知のとおりであろうと思うのであります。戦後においても、
健康保険制度の
運営は、
国民大衆の健康と生活を守ることよりは、むしろ保険財政の収支均衡をいかにはかるかということに力点が置かれてきたのでありまして、このことが、今日、医療問題を一そう混乱させ、そのあり方が、理念及び政策の上で問われている
一つの重大な原因となっていると思うのであります。
わが
社会党は、予防、治療、後保護を一貫した
健康管理体制の確立にあわせて、それに対応する形で、
健康保険制度及び保険医療
制度を、これまでの
制度、機構及び保険財政優先の考え方にとらわれることなく、
国民大衆が、もっと適切な健康管理と医療をひとしく受けることのできる体制の確立を目ざして、これを再編成しようとするものであります。すなわち、すべての健康保険における
給付率を、六十歳以上の老人、三歳児以下の医療の
給付率は十割とし、また、本人、家族を問わず、あらゆる入院医療を
原則として十割
給付とし、通院医療に限って、当面本人十割、家族八割の
給付といたしたいと思うのであります。さらに、薬剤費はもとより、初診料、入院料などの患者の一部
負担制度を全廃するとともに、ベッドのいわゆる差額徴収、付き添い看護料などの一部
負担をも撤廃すべきであります。次に、被用者保険における傷病手当金は、標準報酬日額の八〇%とし、転帰までに支給いたします。また、医療に対する官僚統制として、著しく医療の
内容をゆがめ、不当に医師を拘束しているところのいわゆる制限診療、規格診療と呼ばれるものは、すべて撤廃すべきであります。
国民大衆に対する医療は、あくまで現場の医師に
責任があるのであって、この現場の医師の良心や自主性を阻害したり、不当に拘束したりすることは、ちょうど、教育の最大の
責任者である現場の教師を、文部省が学習指導要領や勤務評定などを通じて束縛することと類似するものと言わなければなりません。
なお、保険
給付の方式についてでありますが、これはあくまで現場
給付を徹底すべきであって、いわゆる療養費払いは断じてとるべきではありません。経済成長のひずみをまともに受けているわが国の勤労階級に対して、現金を持っていかなければ医者にかかれない
制度を恒久化し、これを習慣として定着させることによって一体何がもたらされるのかを冷静に考えてみなければならないのであります。現金を持っていかなければ医者にかかれないという
事態は、
国民大衆の早期受診、早期治療を妨げ、したがって、受診率の低下をもたらし、被
保険者は、病がかなり重くなってようやく医者にかかることができるような結果になるのは明白であります。このような政策は、わが国の経済成長をささえてきた主人公であるわが国勤労階級に対して、
政府がいわば恩をあだで返すようなことになるのであって、申すまでもないのであります。
最近、いわゆる
健康保険制度の統合論が盛んでありますが、八つに分かれているこの
制度を一本にするか二本にするかということの問題は、今日の医療問題の本質的な課題ではなくて、本来問題なのは、さきに申し上げましたように、八つの
制度の間で
保険料その他の
負担及び
給付内容や条件に格差が大きく、より貧しい者に対して、かえってより劣悪な
給付が対応する仕組みとなっているところにあるのでありますので、抜本的対策の課題はここにあると言わなければなりません。この格差を解消して
給付水準のいわゆる高位平準化をはかることであると確信しておる次第であります。現行各
制度がこのように高位平準化され、充実した
給付水準と格差なく軽減された被
保険者、患者
負担を基礎とするものになった暁には、
健康保険制度の統合は、おのずから円満に容易に実現されるようになることは、しごく当然のことであると考えておるのであります。このようにして
政府・
与党にも、この際この点における本末転倒をなされないよう強く訴えたいと思うところであります。
なお、健康保険の
運営にあたっては、被
保険者の自主的な
運営を
原則とした
運営機関を中央及び地方並びに職場及び地域に常設し、
健康管理体制と一体となった民主的
運営を実現させなければならないと思うのであります。
第二の目標は、「すべての
国民大衆に等しく適切有効な医療を保障し、その
負担の軽減をはかること」を達成するために必要な
二つ目の政策は、
国民大衆の税
負担及び
社会保険料負担の総点検であります。今日、
政府及び保守党の側からなされている主張は、健康保険財政をめぐって、税
負担と
社会保険料を加えた
国民負担が西欧先進諸国の
国民負担に比べて少ないという主張、あるいはまた、健康保険財政に対する国庫
負担も結局
国民負担となるから、保険財政はむしろ受益者
負担として
保険料や患者
負担によって収支均衡をはかるべきであるとの主張であります。しかしながら、これらの主張が私保険の原理に貫ぬかれ、
社会保障及び
国民大衆のための医療からおよそかけ離れたものであることは、いまさら
指摘するまでもありません。われわれは、健康保険財政について現行の税制を徹底的に洗い直すことによって、その財政の相当分を国庫に求めても、決して
国民大衆の
負担増とはならないし、一方、
社会保険料の賦課について、労使折半
負担を改めて、逆進性を排除することによって、たとえ現行
制度のもとでも
国民大衆の
負担を軽減することができる立場に立って、健康保険財政の確立をはかることが可能であると確信しておるのであります。
なお、
給付内容の
改善、
給付率の
引き上げにあたっては、国、地方公共団体及び使用主、
国民大衆の
負担基準を明確にするとともに、一定水準以下の所得層については
保険料負担や治療費
負担が生活費に食い込まないよう
負担免除
措置をとることも急務であると考えます。
できるだけかいつまんで申し上げたいと思います。
さて、次に、
抜本対策第三の目標、すなわち「
制度の機構、
運営の民主化と健康管理、医療供給体制の公共的組織化をはかる」ために必要な政策でありますが、その
一つは、地方自治体を場とする住民参加の
制度であります。
昭和三十六年に
国民皆保険が実施されてから、少なくとも形の上では医療を受ける側の
社会化が
進行しているに対し、
医療機関や薬剤など、医療を供給する側においては、依然として自由競争下に置かれ、また、医師及び看護婦などの医療従事者の教育研修に至っては、封建的な仕組みのもとにあることは、御
承知のとおりであります。また、一方、医療の需要と供給の両者をつなぐ
診療報酬に対しては、国の予算と保険財政からきびしい規制が行なわれております。さらにまた、以上のような仕組みの中で、
健康保険制度及び
医療機関に対する官僚統制化、中央集権化が進められているのであります。
わが党は、
制度の根本的な変革を展望する中で、
健康保険制度、医療
制度及び
診療報酬制度に対する官僚統制、中央集権化を排除し、
制度の機構及び
運営に関する徹底した民主化をはからんとするものでありまして、特に地方自治体を場として、形骸化されない住民参加の
制度をつくり上げていくこと、それに、革新首長が積極的にこれを保障していくことが、きわめて重要であると考えるのであります。
第三の目標達成のための
二つ目の政策は、わが国の実態に即した
医療機関の
機能分化であります。
国民大衆のための医療の確立に対応させるために、医療供給体制の公共的組織化をはかることは、最低不可欠の要件だと思うのであります。われわれは、
医療機関の機能別に、徹底した公共的組織化をはかるとともに、医師の教育研究
制度の民主的な改革、看護婦養成
制度に対する公的
責任の明確化等をはかって、わが国医療
制度の歴史的背景と、今日の実態に即した、医療の民主化、公共化を推進ぜんとするものであります。
すなわち、
国民大衆の健康管理と医療を、最も有効かつ適切に行なうため、保健所・診療所、病院などの機能を徹底的に分化し、それぞれの固有の任務を明確にするとともに、これらを適正に配置して任務遂行に当たらせるようにしなければなりません。特に問題となっている国立ないしは公的病院と、私的病院、もしくは診療所との関係については、両者のいたずらな患者の奪い合いをやめさせて、有機的な結合をはかるため、国立・公立、その他公的
医療機関は、高度の総合的設備を備えた機関として、専門的な治療を主とし、開業医による私的
医療機関は、地域住民の健康管理の第一線機関として日常的な疾病の予防と治療に当たらせるよう
機能分化をはかるべきであると考えておるのであります。そしてまた、これに伴って、現行
診療報酬体系を
機能分化に見合って適正化することは当然でありましょう。
第三の目標を達成するための
三つ目の政策は、
医療機関の適正な配置であります。
医療機関については、さきにも述べましたように、
機能分化と相待って、だれでも、どこでも、有効適切な医療が受けられるよう、
医療機関の体系的整備が行なわれなければなりません。総合病院は、特別区、市町村もしくは自治体
協議体にそれぞれ
一つ以上を設置するものとし、地域の病院、診療所と密接な連絡をとりながら
運営すべきであります。総合病院は、無医地区について医師の配置及び派遣の
責任を負うものといたします。また、国及び都道府県は、ヘリコプターや患者輸送車を総合病院に常備するとともに、当該地域と
医療機関を結ぶ道路を整備する義務を負うものといたします。さらに、救急事故の増大に対処し、救急
医療機関として一定区域内に、少なくとも一カ所以上の救急病院を地区病院として設置し、必要な設備と受け入れ体制を義務づけるべきでありましょう。
第三の目標である
制度の機構並びにその
運営の民主化と、健康管理、医療供給体制の公共的組織化をはかるために必要な
四つ目の政策は、医学教育、医師研修
制度の改革であります。医学教育及び医師研修
制度の改革については、
国民大衆のための医療という理念に基づいて各大学における自主的かつ民主的な改革を推進する必要があることは、異論のないところでありましょう。
このため、現在の大学附属病院は、教育病院に改組するとともに、総合病院のうち特に研究指導体制や施設、設備のすぐれたものも教育病院とし、少なくとも各都道府県の
一つ以上の総合病院をこれに充てるようにすべきであります。
さらに、医学教育、医師研修
制度における封建性、閉鎖性を温存してきたことはいまや明らかな事実であります。したがって、医局を廃止し、医学部教授と教育病院指導医の交流をはかり、医学博士号を再検討し、大学や研究機関を一般の医師はじめ関係者に開放する等の改革を断行すべきであります。また、医学研究への研究費助成を強化し、研修中の医師に対する身分と生活の保障など、抜本的
改善も必要であります。
次に、第三の目標達成のための五つ目の政策でありますが、これは、看護婦
制度の改革であります。
藤原君は、この問題の権威者でありますから、この点は、藤原君に対する
答弁としてではなく、あなたの御
要望にこたえてわれわれの考えを広く
国民の前に明らかにしたいと思うものであります。
さて、看護婦の絶対的不足もまた、
国民大衆のための医療を危機におとしいれている要因であり、この不足を解消するために、看護婦の専門職としての地位を引き下げる結果となるような安易な方法でこれを充足するわけにはいかないのであります。抜本的な対策としては、看護婦の賃金
引き上げ、夜勤制限の徹底、福祉施設の拡充など、労働条件の
改善、向上と相まって、医療における看護婦の専門職としての明確な位置づけにこそ求められるべきでありましょう。このような観点に立って、看護婦の養成機関はすべて学校教育法に基づくものとし、養成所を増設して看護婦の増員をはかるとともに、その費用は、公費で
負担すべきであると考えます。このように、専門職としての看護婦の地位を向上させる中で、准看護婦のうち知識と経験等の豊かな者は、受講
機会の拡大と均等をはかる中で、看護婦国家試験の受験資格を与え、看護婦への昇進の道を広げることが必要であります。将来においては、看護婦、准看護婦の身分を、看護婦に一本化すべきでありましょう。
さて次に、われわれの考える
抜本対策の第四の目標は、
診療報酬体系を適正化し、製薬大企業の利潤追求を規制して、医療費を真に
国民大衆の健康と医療の向上のためのものとするのであります。この目標達成のために必要な政策は、
一つは、医療従事者の技術と労働を十分に評価する
診療報酬体系の確立であります。わが国の
国民総医療費が年々増加する傾向にあるにもかかわらず、診療所も病院も、ともに経営難を訴え、医療労働者は、低賃金の打破と劣悪な労働条件の
改善を
要求し、
国民大衆もまた医療サービスの低下と
負担増にあえいでいること、私の
提案理由説明においてすでに明らかにいたしましたとおりであります。
このことは、現行の
診療報酬体系が、医師、歯科医師、薬剤師及び看護婦など、医療労働者の技術と労働を正しく評価しておらず、いかに適正を欠いているかを示していることと思うのであります。
われわれは、
国民総医療費に対してきびしいメスを加え、看護婦の養成費や国立及び公的
医療機関の設備資金などは
診療報酬によらず、これと切り離して別に大幅な財政資金の投入によって行なうべきであり、
医療機関の競合など、
制度のゆがみがもたらすむだな二重投資
部分等を排除すべきであると考えるのであります。
また、この一方では、医師及び看護婦など医療労働者の技術と労働に対する報酬と、薬剤費とを分離し、技術
中心の適正な
診療報酬体系を確立するとともに、地域住民の健康管理を一般診療所に委託するため、
診療報酬体系に健康管理費を固定報酬として組み入れ、健康管理業務を安定した医業経営のもとで行なえるようにすべきであります。
この第四の目標のための
二つ目の政策は、保険薬剤の製造、輸入、販売の規制及び広告、宣伝の規制であります。薬剤費が保険医療費のほぼ四〇%以上を占めるのは、
診療報酬体系が、医師、歯科医師、薬剤師及び看護婦など医療労働者の技術と労働を適正に評価していないこと、しかも、それと薬剤費の分離が行なわれていないこと等にも原因するのでありますが、大きな原因は、生産する医薬品の相当
部分を保険医療ないしは公費
負担医療に依存する一握りの製薬大企業の利潤追求にあることは、公然たる事実なのであります。たとえば、去る七月三日、
衆議院社会労働委員会で
政府原案の
審議の際、
社会党の山本政弘
委員は、製薬業者が医師に医薬品を売るときに、はなはだしい場合には一万錠を売るのに一万五千錠の添付をするというようなことをしているため、厚生省が保険薬価としてきめて健康保険
診療報酬支払基金を通じて医師に支払う薬剤費と、業者が医師や
医療機関に納めるところの実際の価格との間に大きな隔りが生じておることを示して追及しました。わが国の
国民総医療費は、四十二年度で約一兆五千億円、
国民一人当たり約一万五千円という膨大な額に達しておりますが、薬剤費は実にこの四割を占めておるという点から申しましても、それがこのように常軌を逸したサービスをしても十分利益を上げることのできる薬価が基礎となっているのですから、問題は大きいと言わなければなりません。保険財政の破綻を口実に、患者、被
保険者の
負担を倍増することは、この一事を見ても明らかであり、筋違いであると断ぜざるを得ません。
政府がまず、このような浪費をやめることこそ先決問題であります。
今日の薬事行政の貧困を示すもう
一つの例は、本年七月一日に閣議
決定され、同三日に発令となった薬事法施行令の一部
改正、すなわち、本年十月一日から、厚生省の医薬品製造に関する
審査、許認可事務の一部を都道府県に移譲しようという問題であります。全国に流通する医薬品の製造の許認可事務はサービス行政ではないのでありますし、しかも、
国民の生命と健康にかかわる事務でありますから、一元的、画一的な監督行政のもとで行なわれなければ
責任の所在が明らかにならず、また、いかに一定の承認基準のもとで行なわれるとはいえ、人間のやることでありますから、ある県で製造承認されなかったものが他の県において承認されたりする場合が起こり得る等のことを考えるならば、非常に問題があると思うのであります。数年前、アンプルかぜ薬の副作用で死者を出すという事件がありましたが、たとえば、このような場合におきましても、
責任の所在は、承認基準を設けた
厚生大臣にあるのか、あるいはまた、その基準に沿うて
審査し許可したところの都道府県知事にあるのか、きわめてあいまいになることが起こり得ると思うのであります。われわれの考える
国民大衆の健康と生命に
責任を持つ薬事行政とは、このような逃げ腰のものではない、うしろ向きのものでなく、
診療報酬体系の適正化にあわせて、現在の薬事
審議会を科学的、民主的に適正な
審査を行なう機関に改組すべきであり、保険医療及び公費
負担医療において使用する薬剤の製造、輸入、販売や、製薬の広告宣伝を規制をして、もって
国民の健康に対する政治の
責任を明らかにせんとするものであります。
なお、個々の問題についていろいろ
質疑がありまして、それについての
答弁も用意をいたしておりますけれども、非常に
要請がありますので、ここで一時とめて、もし、藤原議員からの
要請がありましたならば、第二の
質問として、それにお答えしたいと思います。(
拍手)
〔
吉田忠三郎君登壇、
拍手〕