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1969-06-05 第61回国会 参議院 文教委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年六月五日(木曜日)    午前十時三十五分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         久保 勘一君     理 事                 楠  正俊君                 田村 賢作君                 小林  武君                 安永 英雄君     委 員                 小林 国司君                 大松 博文君                 中村喜四郎君                 永野 鎮雄君                 平泉  渉君                 二木 謙吾君                 吉江 勝保君                 秋山 長造君                 川村 清一君                 鈴木  力君                 内田 善利君                 柏原 ヤス君                 萩原幽香子君                 小笠原貞子君    国務大臣        文 部 大 臣  坂田 道太君    政府委員        文部政務次官   久保田藤麿君        文部大臣官房長  安嶋  彌君        文部大臣官房会        計課長      安養寺重夫君        文部省大学学術        局長       村山 松雄君        文部省管理局長  岩間英太郎君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国立学校設置法の一部を改正する等の法律案  (内閣提出衆議院送付)     —————————————
  2. 久保勘一

    委員長久保勘一君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  国立学校設置法の一部を改正する等の法律案を議題といたします。  前回に引き続き質疑を続行いたします。  政府側から坂田文部大臣村山大学学術局長、以上の方々が出席いたしております。  本案について質疑の申し出がございますのでこれを許します。萩原君。
  3. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 きょうも私時間がたいへん短こうございますので、かいつまんで申し上げたいと思います。  三重大学では、全国から六千五百件にのぼる工学部入試についての問い合わせが殺到しており、そのつど断わりの返事に大わらわだと聞いております。それはいかにも当然の話で、すでに新入生を迎えて授業が始められなければならないはずのいまごろ、まだ募集すらできていないというのですから、その困惑は当然と察しられるわけでございます。しかし、それにもまして、受験生や両親たちの不安はたいへんだと思います。こんな急を要する問題を、いままで放って置かれたことに、私はやり切れないふんまんを感じるものでございます。いまさらおくれた理由をお尋ねしようとは思いません。しかし、およそ子を持つ親なら、あるいは教育前進を願う人なら、こうした事態は許せないはずではなかったかと、まことに遺憾でございます。いまこの法律が成立いたしましても、なお授業開始までには一カ月の時間を要すると承っております。この期に及んではおくれて入学する新入生にこれ以上の迷惑をかけない配慮を切望いたしまして、一ときも早く本法律の成立を願って質問を打ち切りたいと存じますが、ただ私は、現在の大学問題がいかに国民に不安を与え、大学の無能に憤りを感じさせ、あわせて政治に対する不信を抱かせたかということを申し上げて、大臣の今後のこの問題についての御所見を承っておきたいと存じます。  五月中に、私のところに大学問題について寄せられた手紙は十三通ございました。相談に来られたのは五件ございました。その中から二つを御紹介をいたしておきたいと存じます。  一つは、「予備校時代には苦しくても入学という希望がありました。しかし、せっかく入学は許可されたにもかかわらず、いつ授業を受けるかさえわからぬ昨今では、不安定で落ちつかぬ毎日です。一体大学は何を考えているのか。全く無能ということばしかないと思います。いつまで待てばよろしいのか。これに対して政府はどのように助言をしておられるのか。近ごろはどっちを向いても信頼できないおとなばかり、」こういっことが長々とつづられておりました。やり場のないふんまんを私にぶっつけてきたというような形でございました。  もう一つは、ある未亡人のおかあさんからのものでございますが、「むすこがせっかく合格した大学をやめて就職をすると言い出しました。紛争が続いていてもだれもそれをおさめてくれるものもない。はたしてこんな大学に入ってもほんとう勉強ができるのだろうかと思うといやになったと申します。でもむすこ大学にやることは私となくなった主人との約束でございました。私は主人との約束を果たすためにもと働き続けてまいりました。むすこも一生懸命に勉強を続けました。そしてやっと希望している大学入学することができたというのに、私は残念でたまりません。どうして勉強させてやってくださらないのです。私はこのむすこにどう話してやればよろしいのでしょうか。」こういうおかあさん手紙でございます。この手紙を私は繰り返し読みましたけれども、いいかげんなおざなりな返事は絶対に許されない問題でございましょう。こうした自宅待機新入生親たちにどのように私は答えたらよろしいのでしょうか。非常に苦しんでいるわけでございます。そうしてこのまま推移しますなれば、何の罪もない新入生を留年という最悪の事態に追い込むことになるのではないでしょうか。一体授業開始のタイムリミットはいつなんでございましょうか。私は大臣がどのような手段をお考えになってこの人たちにこたえようとしておられるのか、承りたいと存じます。  さらに私は、去る六月の二日に神戸の婦人会に招かれて参りました。その席上、文部大臣にぜひお尋ねをしてほしいと要望されてまいった二項目がございます。  その一つは、国・公立大学が少ないために、その肩がわりをしている私立大学に対して国はあまりにも冷た過ぎる。授業料の値上げなど今後の問題が起こる心配もございますので、私立大学に対する補助を基本的に考え直していただけないものだろうかどうだろうかと、こういう問題、もう一つは、新聞で見ました政府大学運営臨時措置法案はどうもあまり感心できない、あれだけではどんな大学考えておられるのかさっぱりわかりません。私たちは、子供に希望を持たせるためにはどういうすばらしい大学、未来の大学をお考えになっているのか、そういうものをまず打ち出していただきたいと思うんです。この法案ではたして大学を正常にすることができるかと考えると、これはなかなかむずかしいので、紛争処理法案はむしろ紛争法案にもなりかねないと、こういったようなことについて、やっぱり文部省としてはこの次の大学はこういうすばらしい大学考えていると、こういうものの中からひとつこういった法案も出していただくほうがいいのではないか、こういうほんとうの望ましい大学、すばらしい希望の持てる大学像というものをなぜ打ち出していただけないのか。ずいぶん長い時間があったはずなのに、こういう管理運営の面だけをお取り上げになった理由は一体どこにあるのだろうかと、こういうことをぜひ大臣にお聞きをしてもらいたい、大臣のお考えをお聞かせいただきたい、こういう私はおかあさん方から質問を、宿題をもらって帰ったわけでございます。私にはこの問題についての回答はどれ一つとしてできるものはございません。大臣のお力をおかりいたしまして、私は大臣お答えはこうであったということで答えていきたいと思うわけでございます。どうぞ、こういったような国民全体のほんとうに素朴な問いに十分答え、こういった問題をしっかり踏まえながら今後のあり方をいろいろと御検討いただきたいと思うわけでございますが、差しあたり私が非常に悩んでおりますその学生に対する答え、それからさらにはおかあさんに対する答え、そして最後に二つの要望について大臣のお考えを承りまして、この法案は一ときも早く成立させていただきますことを要望いたしまして質問を終わらせていただきたいと存じます。
  4. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 非常に広範な御質問でございますが、ただいま学生たち入学はした、しかしながら授業も再開されないままでおるということについて非常な不安と焦燥とを感じておるということは、私もよく承知できるわけでございます。またその父兄方々も御心配になっていることをともに私は憂える一人でございます。現在大学、ことに国立大学におきましては七十五校のうちに三十二校が紛争いたしておるわけでございまして、あるいは封鎖、占拠あるいは授業がなされておらない、おそらく国立にいたしますと、新入生だけでも一万三千七百十五人の学生自宅待機を余儀なくされております。公立が千四百五十八人、私立が一万九百八十八人、合計二万六千百七十一人、これは五月二十九日で調べましたものでございますが、二万数千人の者が入学をいたしましたけれども自宅待機をしておる。また、二年、三年、四年をひっくるめますとおそらく十万以上の人たち授業がないままにほったらかされておるということで、これはまことに私は異常な事態だと思うわけです。ことに国立私立よりも教育条件は非常にいい、あるいは授業料にいたしましても御指摘のとおりに一万二千円、私立のほうは十万円あるいはそれ以上のいろいろの名称によるものを取られている。そういうことや、あるいは一教官あたり学生数にいたしましても比較にならないほど国立の場合はいいというにかかわらず、国立七十五校のうちで三十二校がそういう紛争校である。ところが私立のほうは二百七十校のうちに九校程度であるということは、一体どこからそういうことになるのか。何が原因なのかということを考えましたときに、簡単に考えられることは、国立の場合には親方日の丸無責任態勢がとり得る。たとえば一年間も授業をしなくても自分の生活には困らないというような身分保障が非常に手厚くなされておる。このことが同時に学問の自由というものを認めることではございますけれども、どうもその学問の自由を認めることと大学先生自身が社会に対して責任を持つということ、それはやはり両方兼ね備えなければならない問題だと思うのでございますが、そういうことに対する責任というものがはたして十分に考えられておるかどうか。私学の場合でございますと、もう一回入学試験でがきなかったならばその学校全体がつぶれてしまう。学校とともに教職員もつぶれてしまう。こういうことをひしひしと感ずるがゆえに、やはり大学改革大学の再建あるいは教育正常化についての心がまえが違うんじゃなかろうかというような気もいたすわけでございまして、そのような点が、いま大学教授たちは一体何をしておるんだということが問われているんでないだろうか。そういうような状況において、ただ大学自治を尊重しなければならないから、またそれに対して指導助言あるいは何らかやることすらこれは自治の介入であるといって済まされる問題であるかどうか。私は国民方々やあるいはいま御指摘になりました学生たちの心情を考えますときに、その最終的な責任を持っております文部大臣といたしましては、このままで過ごすわけにはまいらぬというふうに思いまして、中教審の御答申もございます、で、その中教審の御答申を見ますと、各般の指導助言及び行政措置あるいはまたいろんなことを答申なさっておるわけでございますが、その中におきまして、この紛争処理について有効な手だてというものが何かないか、もともとがやはり大学みずから自主的に解決するということが望ましいのであるが、その自主的解決の努力を助けるというあらゆる手段を講ずるということをまず第一にやるべし、そうしてそれがどうしてもいけない場合は、やはりある程度文部大臣勧告をする、いろいろの非常措置について、とるべき方策についての勧告をできるようにしたらどうだろうか、あるいはまたどうしても、もう授業放棄され、あるいは占拠され、にっちもさっちもいかなくなった、学生教育研究ができない、先生研究もできないと、そういう事態になったならば、教育研究を一時停止して、そうしてお互いに頭を冷やして考え直すということによって収拾をはかるということも考えたらどうだろうかというような答申もございまして、必要最小限度のそういうような中教審の御答申も踏まえました立法をただいま国会提出をいたしておるわけであります。  しかし、私も単に一片法律でもってすべてが解決するとは思いません。しかし、この法律一つ紛争解決糸口になるというふうには考えておるわけでございます。また大学の問題というのはしばしば私が申し上げておりまするように、複雑ないろいろの原因をかかえておるわけでございますから、一片法律やあるいは短時間で解決する問題だとは考えておりません。相当時間をかけて、そうしてじっくりと、御指摘のように新しい国民のための大学、閉ざされた大学から開かれた大学という、その開かれた大学というのはどうなければならないかというようなことをやはり明確にして、その中において解決をしていくということでなければならぬのじゃないかと思います。また、その開かれた大学国民のための大学というのは一体どういうものかということにつきましては、この六月以降中教審のやはり御審議をわずらわしたいと考えております。いずれまた御答申があると考えております。われわれ自体も、それについていろいろの構想を描いているわけでございます。たとえて申しますならば、はたして今日、国・公・私立というふうに分かれておりますけれども、国立にはそのような手厚い政府経費が支払われているにもかかわらず、同じ学生一人当たりに対してきわめて少額しか国が援助しておらないということはどうなのか。世界的な大学、世界のいろいろの例を見ましても、今日では設置者国立であるとかあるいは州立であるとかあるいは私立であるとかというようなこととは別個に、やはり公教育あるいは公の高等教育機関という形において相当の国の支出をしているということを考えた場合に、この国・公・私立のかきねをある程度撤廃するというようなことも考えられないか、あるいは大学についてももう少し種別化をやる必要があるのじゃないか。大学院中心としたそういう学問研究主体とした大学、あるいは一般高等職業教育ということを中心としたような大学というような仕分けがある程度必要ではないだろうかというような、いろいろの国民のための大学の像というものが考えられていると思うわけでございまして、そういうような構想を描きつつ、やはり当面の問題は当面の問題として処理していかなければ、いま困っております学生にもこたえられないし、また心配している父兄方々にもこたえられないのじゃないかというふうに思うわけでございます。  私学につきましては、細々ではございますけれども、昭和四十四年度、ことしの予算におきましても多少は私立学校振興会経営費貸し付け金を、十億から五十億円に増額いたしましたし、あるいはその貸し付け利率の引き下げと貸し付け年限の延長をはかるというようなこともいたしたわけでございます。あるいはまた私立大学教育研究費補助金を三十三億円にいたしまして、昨年度は光熱水道費というものを認められなかったわけでございますが、これを認められなかったために、せっかく三十億円の予算があったにかかわらず、実際それを私立大学でこなしきれなかった。そのこなしきれなかった原因というものが、むしろ光熱水道というものをこの中に入れなかったというところに問題があるので、その点を今後の予算折衝におきまして大蔵大臣とよくお話し合いをいたしまして、光熱水道にもその補助対象を拡大した。これは一つ前進だと私どもは考えているわけでございます。しかし、こういうようなことではとうてい今日の私立大学紛争原因となっておりまする授業料の引き上げであるとか、あるいは教育施設設備充実であるとか、あるいはまた教官の待遇が、毎年毎年国立については上がっていく、公立についても上がっていくにかかわらず、私立授業料主体としてしか財源をまかなわれないという今日の実情から考えて、何らかの経常支出というものを国に仰がなければならないというせっぱ詰まった気持ちもあるわけで、この辺の私立大学に対する援助をどうするかということはわれわれに課された大きな課題であるというふうに思っているわけでございまして、これをどういうふうに処理していくかは今後の問題と考えますけれども、御指摘の、私立大学に対して何らかの助成をしていくという方向は、先生の御指摘のとおりというふうに考えております。また今日の大学管理、この大学運営法につきましては、いよいよ国会提出をいたしたわけでございますが、いずれまた皆さま方の御審議をわずらわしたいと思います。ただ私は、これによって直ちにこの紛争がおさまるとは思いません。しかし先ほど申しますように、これがきっかけとなって、糸口となって、紛争への解決糸口は確かに開かれるというふうに考えておるわけでございまして、どうかひとつ皆さま方の御協力をお願いしたいと考えておる次第でございます。
  5. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 まだ私の時間は余っているようでございますが、もうこの問題は一ときも早く成立させたい私の願いを込めて、ここで質問を終わらせていただきたいと存じます。
  6. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 いま提案されております国立学校設置法の一部改正案によりまして、三重大工学部、それから大阪外大大学院大学設置するということになって、その設置に伴って増員される職員数というのがせんだって委員会のほうで発言されております。三重大では教授二、助手二、事務職員八、大阪外大のほうでは全くゼロという数になっているわけなんですけれども、こういう非常に要求があって、そしてまた必要と認められて設置される法案の中で、これだけの教官や助教授事務職員の数ではたしてほんとう大学としての、工学部としての教育ができるとお考えになっていらっしゃるのか。また外大大学院については全くゼロということになっておるわけなんです。ゼロということになりますと、結局兼務ということでまかなわれていくということになると思うのですけれども、そういうことではたして設置されて、意義ある教育というものができるかどうかということです。そのことについてお伺いしたいし、また大学側としては、この設置に伴ってどういう教育をしたい、どういう人数を確保してほしいという要求などが出されているとしたら、それはどういうものであったか、まずお聞きしたいと思います。
  7. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 三重大学工学部につきましては、前回もこの委員会で御説明申し上げましたように、四年間の学年進行をもちまして漸次職員施設充実をやってまいります。ただいま御指摘のありました十二名というのは、四十四年度、初年度の増員数であります。今後の分につきましては、学部工学部、それから学科、これは機械と電気でありますが、工学部学科については定型的になっておりますので、大蔵省と折衝して漸次学年進行的に充員がはかられることになっております。それから大阪外国語大学大学院につきましては、大学院設置に直結する職員の増加は御指摘のようにゼロでございます。これは考え方といたしまして、大学院は、充実した学部の上に、これを基礎として置くという考え方をとっております。この考え方につきましての議論は別といたしまして、従来そのような方式でやっておりますので、大阪外国語大学につきましては、少なくとも修士課程大学院を置くだけの教官組織充実しておるという前提で、必要な研究費あるいは物件費を約七百万円程度新規増することによって大学院設置を行なうということでございますが、これとは直結はいたしませんが、大阪外国語大学学部につきましてこれを補強する意味合いにおきまして四十四年度に教官八人、その他の職員六人、計十四名の増員考えております。これは学部段階の一そうの増強をはかるという考え方でございます。なお、大学予算要求でございますが、工学部につきましても、大学院につきましても、大学設置基準なりあるいは従来の予算の関連がございますので、大学もそのようなことは十分承知しておりまして、基準に適合した予算要求をいたしておりますので、まあ大学要求文部省予算措置とは食い違いがないわけでございます。
  8. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 お答えで、大学要求とは食い違いがないということでございましたが、やはりほんとうにいまの大学の問題なんか考えましても、学生が第一に要求していることは、そこで自分たちほんとうに満足できるような教育を受けたいと、研究をしたいということでございますので、この設置に伴っての、次年度からのいろいろな予算措置とか、人員についても十分な配慮されるようにということをつけ加えてお願いしておきたいと思うわけなんでございます。  この設置法に関連して二、三ちょっとお伺いしたいんですが、先ほども大臣のほうで国立大学には相当の予算が出されているということを言われましたし、いままで、衆議院の本会議でも、予算委員会なんかでも、ちょっと耳にたこができるくらい国立大学、特に東大においては一人百二十六万円も出している。非常に十分な教育費というものが出されているかのように聞こえるんです、その発言の中で。そこで、実際その百二十六万円というような費用というものがどういう算出基準で出されているのかということ、幾度も文部省のほうにお伺いしているわけなんですけれども、よくわかりませんので、その百二十六万円でこれだけ出していると、確信を持って何度も言われました。その百二十六万円の中身ですね、大まかなんじゃわかんないですから、具体的にどういうことで出しているかということを詳しくおっしゃっていただきたい。
  9. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 学生一人当たり経費というのは、その経費総額におきましても、それからそれを除する学生の数にしましても、いろいろな取り方があるわけでございますが、大臣が百二十六万円と申されておりますのは、東京大学昭和四十一年度の決算額、これは学部病院附置研究所を含めたものの総額でございますが、これを分子といたしまして、四十一年五月一日現在の在学生数、これは学部学生と、それから大学院学生、それから聴講生などを含んでおりますが、これの総数で除して得た値を単純に百二十六万円と言いまして、これを申し上げておるわけでございます。
  10. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 その割られました額ですね。それの中身、どういうんですか。いま聞きますと、学部費用に、それから病院費用に、それから附置研究所費用というのがあるわけですね。その学部の中にどういうのが入っていて、そうして病院の中に、附置研究所の中に、そこまでいけば時間がなくなりますが、たとえば、東大学部の中の費用というのがどういう項目になっているかというのを聞きたいわけです。計算して割ったら百二十六万円ということは発言の中でわかるわけですから、その中身を聞きたい。
  11. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) これは要するに、昭和四十一年度の東京大学に投ぜられました国費総額対象としてそれを学生数で割ったものです。
  12. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 それはわかるんです。東大に出されたその国費総額中身を聞きたいんです。どういう項目でどれだけ出しているか。
  13. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 人件費物件費施設費設備費等の、こういう一切の額でございます。
  14. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 それくらいはわかるんです、私のほうでも。だから、東大にかかった費用がこれだけだから数で割ったという単純な数で、こういうふうにたくさんの費用を出しているのに紛争起こすのはけしからぬということがまず結びつくわけですよね。
  15. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) ほかの私立との比較……。
  16. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 だから、東大全部に国費としてつぎ込んだ、そうすると、いまおっしゃった中でも、人件費入っているわけですよね。職員基本給というのが入っているし、手当が入っているし、超過勤務手当が入っているだろうし、休職者給与が入っているだろうし、公務災害補償費も入っているだろうし、退職手当も入っているだろうし、そういうものをずうっと聞きたいわけです。そこをほんとうに聞かないと、学生たちほんとう要求しておる見合った予算かどうか。これを詳しく質問いたしますから、どうぞお答えいただきたいと、出しているわけですよ。そこのところを教えてほしいわけです。
  17. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) とにかく予算でいろいろな費目がございますが、それらの一切でございます。ですから一々申し上げる必要もないかと思います。
  18. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 申し上げる必要ないと言うけれども、あなたのほうは必要ないけれども、私のほうは必要あるからいま質問しているわけなんですよね。この大学の問題というのは局長、めんどうなこともあるんですけれども、めんどうだとか、複雑だとかということですぐ解決できないわけでしょう。だから、めんどうだとか複雑だとかは、どの辺がめんどうでどの辺が複雑なのかという、あくまでも科学的に資料出していただいて、そうして私のほうで判断しなければ、一切の費用でございますと言われただけでは、こちらは幾ら頭を使ってもその中身までわからないわけです。何度お聞きしてもそういうお答えだということは、こういう費用項目や額をお出しになるのは何か差しつかえがあるのですか。
  19. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 昭和四十一年度の国立学校特別会計のほうに計上されている人件費物件費それから施設設備費、これの一切でございますので、これを一々申し上げますと、要するに、予算の各日明細表の費目を全部読み上げることになるのでありますが、御指摘のような例をあげれば、人件費でありますから俸給諸手当等でございますし、それから人に伴うものとしては人頭で計算しております庁費あるいは校費それから旅費、そういうものが入ります。それからあと物件費といたしましては、物的なものとしては機械、器具、備品等の購入費。それから運営費的なものといたしましては光熱水料あるいは諸謝金、借料等でございます。それから施設といたしましては建物の建設、修繕、維持、こういったような経費でございます。それらを全部含めまして東京大学総額は約二百二十億程度になりますが、先ほど申し上げました学部学生大学院生、聴講生の四十一年五月一日現在の指定統計にあがった数字で割ったものが百二十六万円という数字になるわけであります。
  20. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 大体の項目というのは私たちもある程度のところはわかるのです。その程度のところでわかっても、具体的にいろいろと判断できない問題があるわけです。特に大学の問題については財政面で非常に苦労していますし、そちらのほうでも財政投資で締めつけてしまうということをなされることもあるわけですから、その財政問題というのは非常に大学にとっても大事だし、また私たちが結果としてほんとうに真剣にこの問題を検討しようとすると、そういう費用項目だけ言われてもちょっと困るのです。その項目についてこれがどのくらいになっているかということを詳しくお伺いしたいということを再三申し申し上げているわけですし、本日もそのことについて御答弁いただきたいと申し上げたのですけれども、その準備を全然されていないわけなんです、いまの御答弁を伺いますと。そうすると、ほんとうにこちらで真剣に考えたいし検討したいというのに何ら文部省として答えていただけないというのは、一体どういうのでしょうか。文部省ずいぶん怠慢だと思います。それじゃそういうことができないという何か理由があるのですか、それを知らせたらいけないということでもあるのですか。
  21. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大体わかる限りのことは申し上げているつもりです。
  22. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 小笠原さんの御質問の意味は私もわかるわけです。というのは、小笠原さんのところでお調べになっているのを私ちょっとでございますけれど拝見いたしました。非常によく私は御調査になっていると思うのです。実を言うと、そういうような共産党さんでお調べになっているのと、いま私たち考えているのとあるいは違うかもしれませんが、しかし違うは違うとしても、とにかく東大白書といいますか、私が百二十六万円と申しましたのは、附属病院附置研究所というものを含んでいるわけです。そうすると、東大考えると附置研究所が十四ある、そうして学部は十。そうすると附置研究所を含む場合と含まない場合とでは非常に違うのじゃないか、学生の実態について。学部学生だけのという場合にはそれをのけた計算をしないとほんとうには出てこないのじゃないかということも私はあると思うのです。ところが、そういうようなこまかいいわば算定というものを、実はまだ基本的に、率直に申し上げましてやっておりません。部分的にこういうようなあれはありますけれども、そういう一つの見方でもって全部東大を見るとか、あるいは大学を見るというようなことはやっていないと思います。ですけれども、それをやろうといたしますと、実は相当時間がかかると思います。政府としてこれを出します場合は、単に普通のだれか個人が出す場合と違って、やはりそれでもっていろいろ御答弁を申し上げるわけでございますので、正確を期さなければなりません。したがいまして、相当時間がかかるわけでございます。このことは私自身もそういう各大学を同じ方式によってどういうような実態にあるのかということをまず知らなければ、どういうふうに改革すべきであるかということは実は出てこない。こういうことは先生指摘のとおりだと思うので、その点については少し私は時間をかけまして出したいと考えております。ただ先般から御要求がございましたでしょうけれども、なかなかある程度しか実はお答えができないということは、ひとつ御了承をいただきたいというふうに思います。正確な数字は、あるいはもう少し古くなったかと思いますけれども、たとえば東大は一万五、六千人の学生大学院生に対して、大体助手を含めると三千五百人くらいの教官がいる。あるいは五千近くの事務職員がいる。そうすると八千五百人くらいの人でもって一万五、六千の教育研究及び管理運営をやっておる。こういう実態を考えますと、普通の自由社会の常識から考えると、そんなことがあり得るのかということだと思います。しかし東大に入ってみますと、それでも人は足りないというような感じを実は持っておる。それは一体どうなのか。考えれば、私はやはり十の学部と十四の研究所とあって、それがごっちゃになって、あるいは研究所の人たちがもう少し学部やあるいは大学院学生に対して教授をするとか何とかというようなことだって考えられないことではないのじゃないか。しかし現在の仕組みでは、とうていそういうことも考えられない。したがって、それでも人数は足りない、こう言っておる。しかし一万五、六千人の学生及び大学院生に対して、事務職員も含めてでございますけれども、八千五百人でこれをやっておるということは、このままそれでいいのかどうかということはもうちょっと分析してみなければいけない。確かに教育研究は金がかかるし、人手はかかるということはわかるのですけれども、これでいいのか。そうすると、それでは私立は一体どうやっておるのかという比較も考えなければなりませんし、そこにやはり今日、国立大学紛争は、先ほど萩原先生にもお答えしましたように、ある程度頭から言うならば、相当に私立よりも教官もそろっているにかかわらず、実際受ける学生の身になればあまり変わらない。あるいはむしろ教官との接触が悪いというような統計さえ出るというようなことでは、やはり何か管理運営が間違っておるのではないかということになるのでございますので、その辺のところはやはりもう少し緻密な実態調査ということが必要だと思います。その点については、ひとつ御了承いただきまして、できるだけ公表できるものは公表したいということをわれわれはつとめたいと考えております。このところはひとつ御了承願いたいと思います。
  23. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 あと聞きたいことがありますから、そこであまり時間を取りたくありませんけれども、文部省として検討されるのにいろいろとまだお時間がかかるということもあろうと思いますけれども、私のほうは検討の結果を伺っておるというのではなくて、数字で出ているわけですね。四十一年度の決算額は、これに何%使われる、四十四年度の予算については予算書の中でこまかく数字が出ておりましょう。ですから、そういう数字を伺わしていただけば、私たちの場合は、私のほうではそれを伺って、そうしてよりよい大学をつくるためには問題はどこにあるのかということを私は私なりに検討したいわけです。だからその数字をお出しになるのに、もう出ている数字ですから時間をおかけにならなくても済むわけでございますから、だからきょうは言っていただくわけにもいかぬでしょうけれども、あとでいずれまたお伺いしたいと思いますから、そのとき見せていただくなり、お答えをいただくという保証をここでいただきたいと思うわけなんです。
  24. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 決算でございますから、お出しいたしたいと思います。
  25. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 四十四年度分についてもまたお伺いしたいときにあとで参上いたしますので、その節はいろいろと見せていただきたいと思います。  それじゃ次に移りますけれども、いま私がその辺のところ、もうほんとう大学問題が起きるときから非常に考えましたことは、膨大なお金を使われている、一人について百二十六万もかけているというその演説を聞きますと、大臣発言なんというものはなかなか信頼性があるので、そんなに百二十六万も使っているのかというふうに思っているわけなんです。しかしその中身を見ますと、極端な話が、それこそ人件費から何まで入って、コンクリートから材木まで全部入れてしまって、そうして病院から付置研究所まで入れてしまうというたいへんなものが入っているわけです。そこで、ほんとうに私が言いたいと思うことは、それでは実際にいまの学生や、いまの大学における教官たちが、この進んだ科学の中でほんとうにいい研究をしたい、学問を学びたいというときの実際の費用というのが一体どれくらいになってきているのか、ここが知りたいわけなんです。そういうような具体的に教官学生研究に関する費用ということになりますと、学生当たり積算校費とか、それから教官当たり積算校費、教官研究旅費、こういうことになってくるのではないかと、そういうふうに思うわけなんです。そういうような具体的な基準経費、これがどういうように改善されているのかというところが、一つは大きな問題になると思うわけなんです。その辺のところを、実際具体的な研究のための費用というものが、どういうふうに現在改善されてきているかということをちょっとお伺いしたいと思います。
  26. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大学教育研究に充当されます経費はいろいろあるわけでありますが、比較的関連の高いものとしましては、御指摘のように教官当たり積算校費、学生当たり積算校費、あるいは教官研究旅費等でございます。これは年年単価の改定をはかってまいっております。大体最近は一割前後の改定をやっておりますが、四十四年度につきましては、いずれも八%の改定をやっております。なお、一般的に増加する以外に、内容をきめこまかくできるだけ実情に合わせたいということで、たとえば教員養成関係の学部学生当たりの積算校費については平均八%でありますが、理科系の単価に近づけるとか、あるいは教官当たり積算校費で、これは現在実験、非実験、臨床という三つの区分で単価を計上いたしておりますが、非実験に当たっているものは金額が少ないわけでございますけれども、非実験の科目でも実験的なことをやるというものについては、積算の区分を非実験から実験に切りかえるというような措置をやっております。金額で申し上げますと、四十四年度の予算学生当たり積算校費は六十九億で、前年度に比べますと十億の増加になっております。それから教官当たり積算校費は二百三十六億で、前年比二十六億の増加になっております。それから教官研究旅費は十億八千万で、前年比一億一千万の増加になっております。それらが教育研究に比較的関連の深い費目の現在の充実の状況でございます。
  27. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 なお、前年度比一〇%ないしは八%というのがこの間うち委員会でもお答えをいただいておるわけなんですけれども、私いつも言いますけれども、前年度に比べてよくなったということでは、それは一つの比較の方法であるかもしれないけれども、正確に学問研究の保障というものに対しての比較では正確じゃないと思うのですよ。たとえば私こうやって調べてみましたら、物価との比較ですね、これもそちら御承知だろうと思いますけれども、その物価の単価を比較いたしますと、昭和十年から四十三年度というのを見ますと、物価の上がりというのが総理府統計局でも四九八・一になっているわけなんです。その物価が四九八・一にもなっているのに、教官当たり積算校費の中で一番高いところを見ますと、講座制の実験で四四八・一です。一番高いところでも戦前の昭和十年並みにまだいっていないということなんです。それから低いところにいきますと、学科目制の助教授の場合ですと、二一二・五になっていますでしょう。それから研究旅費なんかに至っては講座制助教授が四二・五ですよ。それから学科目制助教授が四三・八、こういうふうになっているわけです。そうするともう研究旅費というのは物価指数のほうが四九八、約五〇〇になっているのに、わずか四〇なんです。十分の一にしかなっていないわけなんです。だから前年度に比べて八%ふやしたといわれても、いまの物価指数と具体的な現在の活動を行なう上での比較において出してみると、大学の運営の費用というのはいいところで戦前並みにやっと追いつくぐらい、低いところは戦前並みの十分の一ぐらいにしかならないということになるわけです。そういうふうなことを考えますと、一体これでいいものなのかどうなのか、この辺を大臣としてどういうふうにお考えになっていらっしゃるかということを伺わせていただきたいと思います。
  28. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大臣お答えの前に、ちょっと事務的な御説明を申し上げますと、教官当たり積算校費を消費者物価指数と対比いたしますと、大体御指摘のような状況で、なおおくれておりまして、さらに増額の努力が必要だと考えます。ただ戦前と現在とでは事情が違うことも御了承いただきたいと思います。と申しますのは、戦前の教官当たり積算校費、当時は講座研究費と言っておりましたけれども、これは人件費まで含めまして、大学教育研究、運営の一切をまかなうような考え方であったわけでございますが、戦後はまず人件費ははずれておりますし、それから戦後の教育研究、特に自然科学系につきましては大型の機械設備等が必要になります。そのような設備の充実のための費用などは教官当たり積算校費ではこまかい機械は買いますけれども、少し金のかさむものは別立ての特別設備費あるいは設備更新費というような費目を立ててそちらのほうで充実につとめております。それらいろんな手立てを含めまして教育研究ができるだけ支障なくやっていきたいということでやっておりますから、教官当たり積算校費にいたしましても、なお充実は必要でございますが、これだけですべてをまかなうという考え方では必ずしもないわけでございます。
  29. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 毎年の予算で八%増とか九%増とか、そういうことだけでは私やはり教官研究費というものが適当であるかどうかということはわからない。その一つの尺度としていま局長から御説明いたしましたわけでございますが、私もいまから十年か十一年前に実は東大に行きまして、三日がかりで教官研究費について調べたことがございます。その当時文部省に聞きましたけれども、なかなか文部省が教えてくれないんでわからなかったということを経験しております。でございますが、結局そのときに昭和九年、十年、十一年の平均を一〇〇として計算いたしますと、たしか私の記憶では三分の一程度であったんではないか。そこで当時の矢内原さんと、その次がすぐ茅先生が学長になられて、茅先生と一緒になって、これでは日本の学問研究がおくれてしまうということで、その年の予算折衝ではだめでございましたけれども、その翌年から大蔵省もようやくその壁を開いてくれまして、たしか二割増をやってくれた。それから少しづつきて、大体いまお答え申し上げましたようなことで戦前並みの水準まできたんじゃないか。しかし、それで十分だとは言えないというふうに思います。こういうような点がこれから先のやはり大学問題を考えていく場合において一つのポイントと考えて、大衆社会の大学ということと同時に、やはり非常に高度な教育研究、基礎的な研究体制というものの確立を急がなければならないということだけははっきり言えると私は思います。
  30. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 いろいろな算出のやり方で、人件費が入っていたのが今度は抜けたというようなことはあると思います。教官研究旅費なんかにしてみれば、完全にそんなほかのものはないわけですから比較できるわけです。そうすると戦前に比べたら十分の一程度だということからして、ほんとうに必要な教官学生研究費教育に必要な費用というものは実に少ないということがいえると思うのです。その一方で大臣は百二十六万ということを何度も言われるものですから、非常にそれはまずいと思うのです。全くもうこういうふうに戦前並みにもゆかないような研究状態に置かれておる。それに人件費から光熱費からコンクリート、材木までみんな入れてしまって百二十六万というようなことでは全くとんでもないことだということを言いたいと思うのです。それでいまお聞きしただけでも、もう常に大学当局としては経費というものにたいへん苦労しているわけです。その苦労しているところをきゅっとつかまえられまして、紛争だとこの予算はカットだ、こういうふうにそちらのほうは出ていらっしゃるわけです。そういう予算カットの次官通達をお出しになりましたけれども、その予算を押えちゃうというのは一体法的にどういう根拠でできるのですか。
  31. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 予算の執行が文部大臣の権限でございますので、これは会計諸法規にのっとって適正に行なわれるようにやるわけでございます。そこで紛争大学においては、たとえば施設費のごときものは適正に建築計画が進められないおそれもある。それから設備費等につきましても、その目的とするところの機械を購入して使用するということが必ずしも予測できない事情がある。そういうことからいたしまして、予算に計上された費目でさしあたり適正、適法に使用される具体的な見通しの乏しいものは、とりあえず保留するというのが現段階でございます。
  32. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 ちょっとまだしろうとでわかりませんけれども、文部大臣予算の執行権を持っていて、それで法的にはどういう法律のどこにあるのですか、その予算を必要に応じてカットする——むずかしいですから教えてください。
  33. 安養寺重夫

    政府委員安養寺重夫君) 手元に法規はございませんが、予算決算及び会計令の三十九条というところが根拠になっております。
  34. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 ちょっといまそこまで伺いましたので、この次までにちょっとそこのところをもうひとつ突っ込んで伺いますから、きょうのところはそこまで伺いません。そこのところだいぶ問題ありそうなんです。  次に、もう時間もたちましたのでお伺いいたしますけれども、大学紛争の現状というのは文部省のほうで調査なすっていらっしゃるわけですね、五月三十日現在。この調査なすったときに、現状は調査なすったけれども、それぞれの学校でどういう具体的な問題から紛争が起きているかというような御調査はなすっていらっしゃるんでしょうか。
  35. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大体承知しております。
  36. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 承知しておりますというのは、その調査というのはもうおできになっていらっしゃるということなんですか。
  37. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大学からの報告を受けておるということでございます。
  38. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 報告を受けていらっしゃるというのは当然だろうと思いますけれども、やはり大学紛争をどう解決するかという場合には、やはりその最も直接的な原因というものをどう解決するかということにつながっていくと思うのです。そういう具体的な原因というものがどうで、これについてどう解決しなければならないかというのが立てられなければならないのに、いままでの御答弁や、いままでなすっていらっしゃるところを見ると、非常にその紛争原因というものが具体的に調査されていない。具体的にもし調査されているとすれば、それについてこうこうこうすべきだという、紛争そのものについての解決の策というものが出されていないわけなんですね。紛争が起こっている、だから先ほども大臣おっしゃいました、これは大学教官責任があるのだ、こういうことなんです。確かに教官にも一部そういう責任があるという考え方があるかもわかりませんけれども、文部省自身として、こういう紛争が起きるというのに対して、まず責任者がみずからの責任を反省してから人に言わなきゃいけないのに、もっぱら大学先生自治能力がないとか、自治だけは主張するけれども、さっぱりやってないんだとかいうような非常に無責任発言に聞こえます、いままでのところでは。私のほうは、やはり日本共産党は科学的にやりますから、調査をしたわけで、もうお目にとまったかもしれませんけれども、一月からと、三月から今度は第二次をやったわけですけれども、こういうふうに具体的に調査してみますと、非常に問題はっきりしてくるわけなんです。こういう問題についての解決法というのも次に出てくるわけなんです。そういうふうに文部省としても具体的な問題についての解決の方法というものをお考えになっていただきたいと思うのです。中教審なんかみても、非常に抽象的なことばですよ。そして原因は何だといってこの間安永委員お聞きになっても、文部大臣はルネッサンス以来という、もう歴史的、社会的にたいへんな学識を披瀝されるわけだけれども、そういう社会的要因だとか、いろいろ歴史的条件というようなものは現実にあるわけですから、この現実に立って、いまどういう原因で起きているかというところの原因というものをはっきり調査していただかなければならないと思うわけなんですね。そういうのが非常に不十分で、とにかく紛争が起きている、そしてこれを収拾するんだという、今度の大学運営に関する臨時措置法案は全くひどいものですよね。もう予算で締めちゃったかと思ったら、今度またこういうので、閉校、廃校までやっちゃって、さっと地ならしして、大学院大学をつくって、まことにうまいぐあいにそちらのほうとしては出されているわけなんです。これでほんとうに、初めに書いてありました自主的な収拾のための努力を助けるというような立場に立っていないと私は思うのです。こういう法案や、全くの権力の介入で押えていって、一体ほんとう解決というのがされるかどうかということを一体どう考えていらっしゃるか、ちょっと伺いたいと思います。
  39. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 先ほど萩原先生にもお答え申し上げましたように、私たち一片法律でもって今度の大学紛争が終息すると思っておりません。それほど今度の大学紛争というものは根が深いと思っております。小笠原さんのほうで科学的にお調べになったのも、これは非常に貴重な資料だと私は思います、率直に申して。ですけれども、単に個々の大学に起こっているそういうようなデータだけで解決できる問題ではないと私は思います。また別な原因もあるというわけでございます。かと言うて、それじゃ、個々の大学のいろいろの問題をほったらかしておいても、これは解決する問題ではない。やはり両方からこれは見ていかなければならない。そこに今日の大学の問題がだれにもこれだという解決策がないということだと私は思うのです。ですけれども、何と申しましてもやはり大学でございますから、どんなに重病人になったといいながら、その重病人自身が自分で生きようとする、あるいは立ちあがろうとする、健康体になろうとするそういう意欲、そういう意欲を手助けをするという、そういうことでなければそれこそ意味がないわけなんです。いたずらに大学をつぶしてしまうことが目的ではなくて、そういう重病にあり、もう自治能力を失っていると思われるようなものであっても、まず第一にその自主性を何とかして育ててやろう、手助けしてやろうというのが今度の法案の趣旨なんです。それでもっていろいろ、こういうような方法もございます、ああいうような方法もございますというような、七つ道具もそろえてあげましょう。それをそろえてやるけれども、なおかつそれもやり得ない。そうしてなおかつ紛争は長引いていく。学生たち自宅待機のまま。また入学試験もできない。これで一体われわれの税金でもって立っている国立大学というものはどうなのかということなんです。それでは私はやはり責任者としまして国民に対して申しわけないので、そういうようなことはそう長く許さるべきことではない。こういう場合においては、やはりその収拾のために必要な研究教育の一時停止をする。そうして頭を冷やす、学生教官も。そういうようなことをすることによって解決の曙光を見出す。現に、それはナンセンスだとおっしゃるかもしれませんけれども、上智大学におきましてはみごとにそれをやりのけていると思うわけであります。もちろんその上智大学でやりました背景には、ノンセクトの人たちの立ち上がりというものがあったればこそ、ああいうようなドラスチックだと思われるような大学側の措置というものをも大部分の学生からは受け入れられ、そうして今日、入学試験をやり、また授業を再開している、こういうこと。そういう意味からいうと、やはりあの程度のことは考えなければいけないのじゃないかというふうに思うわけでございます。どうぞひとつ御協力を願いたいと思います。
  40. 小笠原貞子

    小笠原貞子君 時間がありません。終わりにしますが、いまの発言の中でも相当な矛盾がありますし、問題点がずいぶん出ているわけです。非常に複雑で根が深いという、その複雑で根が深いものを何で急にこういう、重病人を助けるどころか、重病人に、頭を冷やすのかどうかしらんけれども、水をぶっかけて殺すような法案でしょう、これは。大学自治能力がないというけれども、大学がいまどういうふうに動いて、そうして具体的に解決の道を進んでいるか。そういう行き方を全くされてないわけです。これになると問題は次に移らなければなりませんから、きょうはこれで終わりますけれども、やはりこういうふうな権力でもって押えてしまって、口ではおっしゃらないけれども、事実は大学をつぶすという、そういうような結果しか起こさないようなこういうもので解決は絶対できない。あとでまたそのことについてはいろいろな質疑の中でただしていきたいと思います。質問を終わります。
  41. 安永英雄

    ○安永英雄君 先の委員会に引き続いてお伺いをいたしますが、長崎の大学で記念講堂を建てる、こういうことでその間に寄付行為が行なわれ、その寄付の内容を見ると、各業者等からも相当な金額がきている。こういうことが非常に問題になり、さらにその主唱した秦野という教授はさらに医療器械等の購入をめぐって汚職をやったという二つの事件があって、きょうの新聞等を見ますというと、当該の教授についてはこれを罷免した、また、する、こういう方針が出たようでありますけれども、私はその際申し上げておった、そうして問題にしなければならんのは、この記念講堂というのが総工費で八千七百七十万の金額が必要なのに、この設立を認めた文部省としては千二百万の予算を出している。したがって相当額の金額というものが地元の負担といいますか、大学においてそれぞれ金をかき集めてこいという、こういうことを文部省自体が認めたのだということを問題にしたわけでありますが、その際、そういった汚職をやる教授についてはこれは不届きだという大臣の意向も承っておったのでありますが、しかし、こういった校舎、施設をやる場合に、非常に少額を文部省がみてやって、他は野放し、こういった考え方については明確に大臣のお考えは出ていなかったような気がするわけですが、この点はあとでまとめて答弁を願いたいとしても、一応ここでそれに似た問題として、現在各国立大学に企業とかあるいは他の省、その他いろいろ研究委託を申し込んでおるし、そうして研究費といったものをずいぶんその大学に注ぎ込んでおる、こういう実態を私も一部分知っているわけでありますが、いま文部省として国立大学に他のほうから研究委託を受けておる件数、それからどういう内容を研究委託を受けておるのか、こういった点についての現在の情勢について報告を願えれば幸いだと思います。
  42. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 受託研究につきましては、大体国立学校特別会計で三億円程度の予算のワクを設けておりまして、個々の大学において研究委託の申し込みがありますと、当該学長がこれを審査して当該大学教育研究目的に反しない範囲のものであればこれを認めて、委託者と契約を結び、同時に文部省に連絡をしてこれを予算化する、こういう手続をとっておりまして、大体ほぼ毎年予算額をこなしておるのが実情でございます。
  43. 安永英雄

    ○安永英雄君 一つのワクをきめて、そうして研究の性質、内容を検討しておるけれども、一応ワクをこしておる、こういう話ですが、そこまでおっしゃるなら、件数をおっしゃっていただきたい。
  44. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) いま手元に資料がございませんので、至急取り寄せます。
  45. 安永英雄

    ○安永英雄君 いまのお話で、私も今後調査してみたいと思うのですが、そのワクをわずかに毎年出ているというような印象の答弁でしたけれども、一応いまおっしゃったのは、大学のほうから文部省のほうに申請といいますか相談をしての額だと思うのです。ところが、私の一部分の調査ですけれども、東大の場合で八十七件、こんなにたくさんあるのです。そうして約四千万くらいの金額が研究費として入ってきている。こういう数も一応調査してみたわけですけれども、たとえば東大の生産技術研究所、この委託の件数は四十三年で三十件、そうしてここだけで五百五十三万の金額が入っている。ところがこの五百五十三万の委託費、研究費というものが入っていながら、国のほうへ報告したのは二件、三十一万、こういう私は調査をしてみました。したがって、いま一つのワクをつくって、そうして文部省に相談をしてその研究を受託をしておる、そしてそれに伴う研究費というものはそのワクをわずかこしておるといっても、これだけを見ましても、文部省の知らない相当の金額というものが各大学の委託研究費として入っているということを御存じですか。
  46. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 受託研究につきまして成規の扱いを御説明申し上げたわけでありますが、この成規の扱いをしないで大学が事実上受け入れて経理している——大学というよりは教授個人といいますか、教室単位といいますか、そういうことで大学の会計を通らず、したがって文部省も通らないで委託を受けて研究をやっておるというのが若干あるようでございまして、実は昭和四十二年度分につきまして会計検査院からの指摘も受けまして、それから参議院の決算委員会でも御指摘がありましたので、目下、成規の道を通らない事実上の受託研究の実態につきましては調査をしておるところでございます。
  47. 安永英雄

    ○安永英雄君 研究調査をいまからやられるということですけれども、これについては何か今日まで文部省としてそういった指導をなさったことがありますか。私は明らかに予決令の違反だと思う、違反行為なんです。出てきて、そして多少ありますから、いまから調査しますでは済まないような内容だと思うのです。この点いままでの調査なり指導というものはどういうことが行なわれましたか。
  48. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) まず、制度としまして大学がその教育研究と関連のある分野で、外部からの研究委託を受けるという事柄自体は決してとがむべきことではなく、また場合によっては奨励してもしかるべき事情もあろうかと思いますが、そのやり方が会計法規に従わないで、いわば私的に行なわれるということは適当でないので、昭和三十九年に大学会計制度を特別会計にした際に受託研究あるいは奨学寄付といったようなものをはっきり特別会計のワクを設定して、正規に経理する道を開いたわけでございます。しかし、それがやや周知徹底を欠いて、なお事実上の経理が行なわれているということもございましたので、さらに昭和四十二年に次官通達を出して、経理のやり方について研究者にも支障がないように、会計経理としても適正であるようにという観点から指導通達を出しまして、それによることを指導してまいったわけでありますが、なお若干周知徹底の不十分、あるいは大学側で何と申しますか、会計法規に不馴れというような点もありまして、正規の道を通らないものがあるのは、御指摘のようにこれは会計法令に違反するものでありますので、きわめて遺憾な問題でありますので、よく実情を調べまして善処したいと思います。
  49. 安永英雄

    ○安永英雄君 いま局長は重要なことをおっしゃったと思うのです。こういった研究委託というものは責められる問題でもないし、むしろ推奨すべきものだと思うとおっしゃった。私はいまからこの問題についてただしたいと思います。推奨すべきである、しかも国立大学において、私は先ほど長崎大学の問題を申しましたけれども、校舎施設の問題にしても、研究費の問題にしても、私は少なくとも国立大学というものについては国がすべての予算を、経費というものを十分に持ってやるのが私は本筋だ、むしろ研究委託というものを推奨するという立場というのは、それはたとえば財政上の問題とか、金の問題ならば多少考えられることもあるけれども、本質的に国立大学学問研究、こういったものに外部の研究委託というものを文部省自体が推奨するという立場をとればどういった事態が起こってくるか目に見えていやしませんか。局長、いまの問題についてはほんとうにあなたそう思っているのですか、推奨するということ。
  50. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) そもそも新制の国立大学学校教育法によってできまして、当時昭和二十三、四年にかけまして、一府県に少なくとも一大学をつくる、それは地域の協力も得て設置をするし、また地域の産業、経済社会等にサービスもするというような理念がうたわれた事実がございます。国立大学設置につきましてはすべて地域の旧制大学などは除きまして、地域の御協力を得ておりますし、またその教育研究面においても地域に対する関連ということは十分考慮してしかるべき問題だと思います。ただ、それがために大学教育研究の自主性を失ってはならないわけでありまして、自主性を失わないという前提はもちろんでございますが、その限りにおいて大学教育研究を通じて地域社会に奉仕するということは推奨すべき問題だと思います。たとえば、最近も報道されておりますが、鳥取大学の農学部におきまして鳥取の砂丘地の研究を多年やっております。このための研究施設もつくり、砂丘地に適合した農作の方法、それから品種の選定などの研究をし、地域と協力関係に立って、あの砂丘が非常に生産力のある地帯になってきておる。これはほんの一例でありますけれども、そういう意味合いにおきまして、研究につきましても大学の自主性を失わない限りにおいては委託を受けるということは一向に差しつかえがないと、かように思っております。
  51. 安永英雄

    ○安永英雄君 大学研究の自主性をそこなわない範囲においては、これはもう推奨すべきだというのは、私は行き過ぎだと思うのです。いま砂丘の農業の話もありましたけれども、当然これは国立大学として地域のたとえばサービスという問題があっても、私は大学自体がその問題に取り組んでいくという立場が本筋であって、別にこの鳥取大学研究というのは委託を受けたからこれをやるのだ、こういう問題ではないと思うのです。積極的に大学自体が自主的に取り組む問題だと思う。少なくともこの委託を受け、委託費をもらい、そしてそこで研究をやっていく場合に、自主性というのは少なくともそこなわれるという方向に向いていく危険性があるということは、これは文部省として指導される場合に基本的に持っていなければならぬ問題ではないか、私はそう思う。どんどん委託費、研究費を集めて、そして大学の自主というのは多少横に副次的に置いて、そしてそれがそこなわれないということであれば、幾らでももらいなさい、こういつた推奨ということばは、局長としては取り消してもらいたい。いまの大学紛争という問題も、ここら辺に非常に起こってきておる問題じゃないですか。それに局長のことばとして、委託の問題については、たとえそれが自主性という歯どめがあるにしても、これは推奨すべきという筋合いの問題ではなかろうと思うのですが、もう一回お聞きしたい。
  52. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) ただいま局長からお答えいたしたわけでございますが、私はこれからの大学というものは、国民とともに開かれた大学ということでなければならない。やはりその研究の成果というものを社会に還元するという機能というものが、私は二十一世紀に向かう大学のやはり姿でなければならないと思うのでございます。その点について、確かに大学というものが自主的にそういうものをやる、一企業の利益に奉仕するようなそういう委託研究というものはやるべきではないということははっきりすべきである。そのルールというものは、私はガラスばりで確立をしなければならぬ。それが確立をしないでおるというところに実はいま先生の御指摘のような長崎の問題もあり、ほかの大学においてもいろいろある。そこでその自主的自主的と言いながら、自主性あるいは大学自治の名のもとに委託研究——当然国庫に一ぺん納めてこういう計上をしなければならないのをやらないような傾向というものを、大学当局も反省してもらわなければならないと私思っているのです。そういう点を私文部大臣といたしましては指導助言をいたさなければならないのでございまして、それで委託をされる場合について大学側の自主性を侵さないように、また大学側もそういう委託費があった場合に、自主的自主的と単にいばってこうやるのじゃなくて、気づかないところのサゼッションがあったら、ああそうかというような形で協力していくという時代を迎えておる。このビッグ・サイエンスの時代におきましては、単に大学だけの研究室だけで、この社会の変化、この世界の変革に応じられない時代を私は迎えたと思うのです。ですから民間企業でも、あるいは国立につきましても私立大学研究所等とも、人事の交流も、あるいはいろんな学問的なテーマについての共同研究というものが積極的に行なわれなければならないのでございまして、その自主性というものさえくずさなければ、むしろ私は推奨されるべきものであるというふうに思う。それなくしては大学というものは全く社会から隔絶され、取り残され、もう真の大学の基礎研究というものの使命が達成されないような、萎摩沈滞した大学研究室に終わってしまうと私は憂えるものであります。その意味において企業側あるいは社会側、大学側ときちんとしたルール、だれが見てもわかるような、新たなるそういうルールというものが必要ではないかというふうに私は思うのでございます。その辺はあまりかたくなに考えないほうがいいんじゃないかというふうに思っております。
  53. 安永英雄

    ○安永英雄君 現状においては、私はかたくなに考えなければならぬと思う。大臣のおっしゃった、開かれた大学、こういったものが現に日本全国で実現しておって、そういった形になっておって、その中におけるたとえば産学協同、こういった問題ならば、ある程度私もわかるのですけれども、いまも紛争原因になっている閉鎖的な現在の研究機構、こういったものの中の現状認識において、大臣のほうでこれは推奨すべき問題だ、こうおっしゃるところに、私はかたくなになるのです。現実にいまの問題、企業のほうの研究費がずいぶんつぎ込まれている。そうして前のときに問題にしましたけれども、新学科の新設なんていうことが堂々となされておるじゃないですか、企業の要求によって。あるいはまた大学においては、全くその学部研究室というものは、企業から牛耳られておるじゃないですか、思うがままに。あるいはまた九州大学の、板付基地周辺のあの公害、基地における公害、こういったものを九州大学に委託をした。委託をしたけれども、長年月にわたって研究したのですけれども、確かに研究委託をされたこの学部とか、あるいは教授あるいは学生、一緒になって検討したけれども、その集約されたものは一向に発表されない。しかし、少なくともその過程で研究に参加した者としては、この時点においては、明らかにこういった教育上の問題にも、あるいは身体上の問題も、いろいろな弊害が出ているというデータははっきり出しておきながら、それが発表されないし、集約されない、こういうところで、ついにその研究も防衛庁に返上した、こういういきさつ等もある。私は、現在の大学のあり方というものの中で、委託研究、こういったものを推奨するという立場は、現在の時点においては絶対にとるべきでない。少なくとも、大学の自主性というものは、国がすべての予算あるいは研究助言、こういったものを責任を持ってやるべき時期だと私は思います。さっきの話じゃないけれども、予決令に違反するようなこういった研究費の、文部省も知らない、こういった金は、大臣に言わせると、大学自身がこの大学自治ということで報告していない、そこに問題があるのだというふうな大学紛争と結びつけられましたけれども、これは結びつく問題じゃないのですよ。私は文部省のほうがそういったワクをきめて、すべて相談をしてこい、こういった委託の問題についてもこちらの意向を十分打ち合わしてやれ、そうしてその研究内容までこちらのほうで検討すると、こういう手だてになっておるにかかわらず、今度の決算委員会その他でいろいろ質問を受けて、さあいまから検討しましょう、こう言いながら、片や推奨をする、こういう現状ではない。やはり企業あるいは他の何といいますか、研究能力を持たないような各省、こういうところが強引に大学の中へ研究委託を持ち込んで、大学研究の自主性というものをはばんでおる現状じゃないか、私はそう思います。大臣、その推奨するというのはあくまでも引っ込められませんかね、現状の段階で文部大臣の口から、委託研究を推奨するなんて言うのは、たいへんなことになりますよ。
  54. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 非常に私はおかしいと思うのです。大学自身がこういうようなことをすらやる、自主性と言いながら、内容は会計法規もよく十分心得ないような、一般の市民社会から考えるならば当然指弾されてしかるべきことが行なわれておる。そういうところが、大学をそのままその自主性自主性という形でほったらかしてきたところに、今日のやはり大学問題があるし、また管理者としての、あるいは教育研究者としての問題が学生から問われておるんじゃないかというふうに私は思うんです。それに対して私が指導助言をしようとするというと、それに対して大学側は何と言うかというと、自治に対する干渉だ、こういうことを言って、何もものを言わせないようにしてきたのが、今日までの大学の姿ではないだろうかと私は思うんです。そういうことに対して、やはり言うべきことは国民の名においてどしどし言うし、改めさせると、会計法規なんかでもびしびしやるということを私たちはこれからやりたいと思っております。確かにいままで気づかれなかったところがたくさんまだ残っておるかもしれません。皆様方の御指摘によってそういうことを明らかにしていく。明らかにされた以上は、われわれがそれに基づいて指導助言をやっていく。こういうことによって、大学自身が、社会に対してこたえるような、責任を感ずるような大学になってもらいたいし、そのことと同時に、この社会の進展に対して、やはりこの民間企業その他あるいは自治団体等が大学のいろいろな研究の成果を享受するということをとめることはできないのであって、やはりそれは奨励されるべきことなんだと思います。都市計画のいろいろな問題等について自治体においていろいろ研究を頼むということ、一定のルールのもとにおいて、そして会計法規をちゃんと踏まえた上でならばむしろ奨励されるべきことではないかというふうに私は思うのであります。あるいはその他の科学研究の問題についても、私はそうだと思います。しかし、同時にこの大学側においても、こういう委託研究についてのルールをやっぱりはっきりしてもらわなければ困ることであって、そのことについてはわれわれ自身も責任があるということは、申し上げておきたいと思います。
  55. 川村清一

    ○川村清一君 関連してちょっとお尋ねしますが、ちょっと大臣は問題をすりかえられて御答弁されているのではないかと思うのであります。それで、大臣のおっしゃっておることのうち、まあ大学国民に開かれた大学であるということで、たとえば鳥取の砂丘の研究とか、こういうことはぼくは当然大学がやるべきことであり、そういう研究をどんどん進めて、そしてその地域住民の福祉の向上のために大いにサービスすべきである、さように考えます。現にやっていると思います。しかも、それは自主的にやるべきだと思うんです。たとえば私の出身の北海道などは、御承知のように、それはもう寒冷積雪地でございまして、米作ももう北限地帯でございますね。その北限地帯である北海道が、いま日本全国において一番の米の生産地になっておる。一千四百万トンの米の生産のうち、北海道が実に百十四万トン昨年生産しておるわけでございまして、一割近くの米をあの北限地帯の北海道が生産しておる。これは何がそうしからしめたか。当然農民の努力がありますけれども、ああいう地帯に稲作が発展していくような、そういう品種の改良なり、あるいは農業技術の改良進歩のために北海道大学学部が尽くした功績というものは、私は偉大なものだと思って、高く評価するわけです。したがって、北海道大学学部研究というものは、北海道の農業の開発のために非常な努力をしておる。ここに大学一つの使命があるということは私は認めておるんです。ですから、こういうことは当然あるべきだと、国立大学としてしかるべきものだと思うのであります。  しかしながら、こういうことはどういうことですか。これはまあ新聞の記事でございますから、詳しいことは私よくわかりませんが、「たとえば、東大の生産技術研究所内に設けられた財団法人「生産技術研究奨励会」は、四十二年度に東京瓦斯、日産、いす父各自動車、東芝、富士重工らから三十四件二千四百十万円の受託研究をした」と。まあそれが国庫へ納入されなかった、正式に届け出なかったという会計法の違反的なものはまずさておいて、それからさらに「東工大に設けられた「工業振興会」にいたっては東芝、日本電気、沖電気、三菱油化、東亜燃料などから四十二年度に二百八件九千百八十三万円、」の受託研究をしておるという、こういうことは私は納得いかないし、こういう点を安永委員はついておるわけであります。こういうことを文部省が推奨するということは絶対に私は納得いかない。こういうことまで推奨するということは、一体この研究はどこでだれがなしておるのか。それは東大先生方あるいは東工大の先生方ですよ。大臣がしょっちゅう言う、これは国家公務員だ。であるからして国の給料で生活しておる人たちである。そうしてこれは独占企業というか大企業から委託された研究というものは何をもって研究するか。それは大臣がしょっちゅう言うところの、国民の税金を使ってやった大学施設ですよ、そういうものを利用して、そうしてこういう大企業の利益を大いに進めるための研究をする、そういうことがあるというこれは事実がある。しかもこれを国立大学のいわゆる管理者であるところの文部省文部大臣が推奨するということは何としても納得いかない。このことを安永委員が言われておると思うのです。こういうことまで推奨するのか。こんなことまでも推奨する気ならば、われわれは承知できない。
  56. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 私が申しますのをすりかえていらっしゃると思いますし、私はあたりまえな意味合いにおける、正常な意味における委託研究というものは推奨さるべきであると申し上げておるわけであります。いまあるそれがそのまま当てはまるかどうかわかりませんけれども、一企業に奉仕するような委託研究というものは奨励さるべきことでないことはもちろんでございます。そういうことのないために、まず大学側の自主性というものをそこなわないようにということを申しておりますし、同時にそういうようなことが起こりがちであるから、ここに企業側と大学側とひとつガラス張りの一つのルールを確立したらどうかということを私は申し上げておるのでございまして、またその仲介をむしろ文部省がとるべきではないかというふうに私は考えておるわけでございます。たとえばいま御指摘のような北海道大学というものが、農業の大学から今日のような大学に発展をしたわけなんで、そういうことによってこうむった北海道の地域開発あるいはその他の恩恵というものははかり知れざるものがある。そういうふうに地域の大学の意味はあるというふうに私は思うのです。たとえばこれから米ではなくて、酪農というものを中心にしてやっていかなければならぬ。ところがその酪農をやるについての飼料というものを外国へ依存しておるということではとてもあの酪農の振興はできない。こういうものはやはり何といったって草の研究が必要じゃないか。しかし、いまだかつてその草の研究をやっておる講座すらなかった。ところが帯広大学にこういう講座が設けられた。こういうことで研究の成果というものが今度は酪農というものの振興につながっていくという意味合いにおいて大学研究というものは非常に大きいものだと私は思うのでございます。で、そのような点を考えた場合に、やはり地域住民の要請というものにある程度こたえていく、あるいは研究の成果をからみ合わせていくということが非常に大事ではないか。私は態本でございますが、たとえば水俣病が起きた。そうすると熊本大学研究陣がこれに対してこたえた。あるいは三池で爆発が起きた。そうするとそれに対してあの熊本大学のスタッフが行ってこの治療にあたった。そういうような成果が今度またほかのところにもその治療方法が利用されるということで、この日本全体というものが何と言いますか、栄えていくというふうにするわけなんで、やはりその大学の地域社会との関連あるいは企業との関連というものを、あぶないからあぶないからというだけじゃない、間違っておるからということで、間違いは間違い、いけないことはいけない、しかし積極的にやはり奨励さるべき正常なる委託研究というものは進めていかぬことには、とうてい世界の中の日本として日本が追いついていくことはできないというふうに私は思います。その意味合いにおいて申し上げておるわけで、間違った委託研究を、ある企業に奉仕するような委託研究を奨励するということは毛頭ないということははっきり申し上げておきます。
  57. 安永英雄

    ○安永英雄君 開かれた大学あるいは大臣が頭に描かれておる新しい再出発しなければならぬ大学構想というものはそういうものかもしれません。ただ私が言っているのは、現状の中で推奨するということばというものは、非常に危険だということを申し上げておったわけです。特に私は金の面と関連して質問をしているわけです。水俣の問題にしたって、ほかの研究にしたって、それはその地域における住民の要求でもあろうし、大学自体が私は積極的に取り組んでいかなければならない問題だということで、その地域のたとえば漁民、そういった人方が大学に委託をして、そしてそこから出発するというんじゃなくて、私は大学自身がその地域社会の要求というものをこの研究のテーマにあげて取っ組んでいくというのが本質的な大学の姿だろう、そう思っているのです。特にそれが金がつき、委託をとにかく研究してください、それから研究をする、こういった立場は非常に自主性を阻害していくんじゃないかというふうに考えて私は言ったわけです。何かいままでの研究の発展というのは、委託という事実があったのでずいぶんあちらこちら研究が進んだような言い方ですけれども、私は全く逆だと思う。国立大学のその地域における皆さんの要求というものに研究をひっさげていく。そのことは私は重要だと思いますけれども、私は研究委託といった形で研究を進めていく、それを推奨するというのが私は大学研究としては誤りじゃないかというふうに考えます。しかし時間がありませんから、これはまた次の機会にお聞きすることにいたします。少なくとも研究委託の研究費という問題についての実態は早急に調査されて、近いうちにひとつ報告をお願いしたいというふうに考えます。  次に、校地あるいは校舎、施設、こういった問題についてお聞きをしたいと思うのですけれども、この設置基準中で、「校地は、教育にふさわしい環境をもち、校舎の敷地には、学生が休息その他に利用するのに適当な空地を有するものとする。」、きわめて何と言いますか、ばくとした言い方なんで、しかも学生の休息の芝生あたりがこの設置基準の問題になっていますが、私はそれ以前の大きな問題として一つ取り上げたいのは、東京教育大学の現在の紛争の発端になっております筑波山ろくに移転をするという、しかもこれは七年前の話でありますが、総移転をしようということで、文部省もこれを進める、こういった立場を文部省とっておられた。それから今日の紛争に発展をしてきておるということなんですが、この大学の敷地、位置といったもの、これについて文部省としては学生の休む芝生の問題じゃなくて、山ろくに疎開をするとか、こういった構想をときどき出されるのですけれども、まとまったものをお聞きしたことがない。たとえば日大の敷地の問題をめぐって汚職も出ている。これが日大の紛争原因になっている。案外紛争原因としてこの敷地、学校の位置、こういった問題が原因になっていることが非常に多いから私は質問するのですけれども、たとえば東京教育大学の問題について文部省はこの筑波山ろくへの移転という問題で概して学校のこの位置というものはそういった方向で進めていくつもりなんですかどうですか。
  58. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 学校の校地の基準はただいま御指摘になったようなことでございます。国立大学につきましては、この新制の国立大学は先ほど申し上げましたように一県一大学ということで、特別な地域は例外でありますが、一般的に一県一大学ということで所在の旧制の大学、高等専門学校、それから師範学校といったようなものを統合改組して編成、出発したという事情がございます。そういう関係でそれぞれの学部の校地が散在しておって教育研究上も支障があるということで、統合した学部の中で特にまわりに余地のあるような大きいものがあれば、たとえばそのまわりに他の学部を移すとか、そういう余地もないような場合には新しい適切な校地を求めて移転、統合するとか、そういう方向で整備するのが適当であろうという方針をもう発足早々に立てまして以来、そういう方向で大学と話し合いながら努力をしてまいってきておるわけであります。  東京教育大学につきましては、御案内のように大塚に三学部ありますし、それから農学部と体育学部がそれぞれ離れております。どの学部も将来の発展を考えますと、いまのままでは狭い、東京では新しい校地も求められないということで、大学自体としても郊外に何か適地はないかということで探しておりました。その時期に政府においても研究学園都市というような構想が出てまいったので、東京教育大学政府はこういう計画があるが、どうであろうかという話をいたしまして協議をしてまいったわけでありますが、四十二年の六月になりまして教育大学としては若干の希望を付しまして筑波に用地を確保してほしいという意思表示がございました。自来それによって文部省としてはその目標で事柄を進めておるわけでありますが、これまた御案内のように、教育大学の意思決定の過程において、端的に申し上げますが、文学部がその意思決定に承服していないということで現在に至っております。それが学生紛争にも関連をして紛争が起こり、かつ継続しておるというのが実情でございます。
  59. 安永英雄

    ○安永英雄君 大体、文部省のこの問題についての方向というのはわかりました。東京教育大学の問題については他の大学紛争とちょっと特殊なケースでありますし、これは私ども自身もずいぶん検討し結論を出さなければならぬ問題だし、今後のやっぱり大きな問題になってくると思いますから、長くなりますので、この点は次回に譲りたいと思います。  施設の問題でこれはずいぶん前から質問しようと思っておったのですけれども、四月の四日に東大病院で高圧酸素タンクの爆発事件というのがありました。私も現地へ行って調査をしたのですけれども、実にこの施設という問題についてはお粗末で、あの部屋は総婦長室かなんかをそのまま危険な高圧酸素タンクの部屋に、治療室に簡単に持っていっている。その内部の施設は何にもしていない。あるいは消火の施設等につきましてもずいぶん離れたところに消火栓が一本立っておってこれで事を済ませようとしておった。こういった施設の不十分さというものを見てあきれたわけでありますが、現在こういった種類の高圧酸素タンクとか、あるいは放射能関係の設備とか、こういったものはたくさん国立大学の中にはあると思うのですけれども、大体、高圧酸素タンク等がありますそういった危険な医療施設、こういうものは国立大学の中にどれくらいあるのか。そしてこの東大病院の高圧タンクの爆発という問題について、その後どう調査をされ、どう改善しようとされているか、時間がありませんからわかっているところでおっしゃってください。
  60. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 高圧酸素治療装置があります国立大学は現在五大学でございます。最近開発された装置でございますのでまだ普及の段階でございます。東京大学の事故の原因につきましては、警察では刑事事件としての観点から、それから大学では学問上、研究上の立場からそれぞれ調査をいたしております。現在、双方ともまだ結論が出るに至っておりません。文部省としては、直接出向いて取り調べるということでなしに、大学側の調査に協力をして、できるだけ早く結論を出して対処いたしたいと、かように考えております。
  61. 安永英雄

    ○安永英雄君 これは、大学における施設、設備については取り締まり規則というものがあって文部省は許可をするとかしないとかいう立場にあるのじゃないですか、こういう高圧酸素の場合。
  62. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大学の附属病院につきましては、医療機関としては医療法系統の法規が適用になります。たとえば、こういう装置でありますと、薬事法の規定が適用になりまして、薬事法で検定を受けた機械というものを業者が製造したものを据えつけるわけであります。この場合、東京大学につきましては、ちょっとこまかくなりますが、東京大学の装置は大小二つの部分になっておりまして、それぞれの部分につきましては製造業者について薬事法の検定を受けたものでありますが、東京大学においてこれを結合して新しい装置を開発したわけでございます。この点については現行法規のいわば盲点になっておりまして、その時点での検定は受けておらなかったようでございます。文部省としては、この装置について、直接、法規上の監督をする立場にはございません。
  63. 安永英雄

    ○安永英雄君 文部省としてはそういった立場をとられるかもしれませんけれども、それでは、タンクの購入と、こういった施設費、購入資金、こういったものはどういう形で出ているのですか。
  64. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 東京大学の場合はかなり複雑な過程を経ておりまして、最初は厚生省からの費用で購入したようであります。その後の改造等については研究費工学部の協力を得て改造をやったというようなことであります。
  65. 安永英雄

    ○安永英雄君 この爆発事件のあったときに、患者が二名と、それから職員一名、それから大学院学生が一名、これが死亡されておるわけですが、この補償について、特に大学院学生である学生が一人死亡していると、こういった場合の補償というものはどうなっておりますか。
  66. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) この補償の関係につきましては、公務員につきましては、これが公務中のことでありますから公務災害補償関係が適用になります。それから公務員以外のものにつきましては、これは二つのことが考えられます。一つは、民法上の不法行為による賠償責任というものがございますし、それからまた国の施設内における事故でございますので、施設の瑕疵原因に起因するものであるとすれば国家賠償法の適用がある関係になります。それらの点につきましては、東京大学においても事故原因の探究、これは法律関係も含めて現在やっておりまして、その結論に従って文部省でも善処すべきものと考えております。
  67. 安永英雄

    ○安永英雄君 時間がありませんから、これに似た問題として、ちょうど一年たちますが、昨年の六月の二日に九州大学にアメリカのRF4C偵察機が墜落をして非常に問題になったわけでありますが、その際、あのすぐ横にコバルトの貯蔵室があったわけなんです。おそらくあの飛行機がそのまま十数メートル横のところに落ちておれば福岡市はほとんど全滅だろうといわれるくらいの危険なところにコバルトがあったわけですが、それが発端になって、九州大学紛争というものはここから起こったと言ってもいいくらいの問題なんですが、こういったときに、私も一緒に行ったのですけれども、防衛庁長官はあの当時は増田さんだったと思うのですが、驚いたことに、板付基地の近くの飛行機の通路になっておるところにこんな危険なコバルトを置いておくというのは不届きだと言わぬばかりの言い方なんです。私はおこって、とにかくこれは本末転倒していないか、そういう基地がそこにあるからあれなんで、それじゃコバルトをどこに置けというのだと言ったことも思い出しますけれども、現在のこのコバルト関係の、特に軍事基地に近い九州大学、あれはどういうふうにいま保管をしているか。それから問題になっておる電子計算機センターの進行ぐあい、こういったものはどうなっておりますか、お聞きしたいと思います。
  68. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) コバルト60につきましては、これは医療用として病院、それから研究用として工学部などに装置されておりますが、その格納の場所につきましては、その放射能の遮蔽のために十分な危険防止の手だてを講じた施設になっております。たしか九大のものにつきましても一メートル近いコンクリートの掩蓋の中に入っておりまして、考え得るあらゆる危険から防止できるというかっこうになっておるはずであります。それで、さらにそれでも不十分であればその上にもう一重掩蓋でもしようかというような話もしましたが、そこまでやる必要もあるまいということで現在そのままになっております。
  69. 安永英雄

    ○安永英雄君 時間もありませんから大臣にお聞きしたいのですが、この校舎の位置、敷地、こういった問題にからんでいま私は九州大学の問題を話したのですけれども、この九州大学でおおよそ一月前にもアメリカのジェット機が飛び立つ場合に誤まって滑走路をすべって大火災を起こしておるのですが、あれはあのままもう少し飛んでいれば九州大学に落ちていた。これはもう九州大学に行かれればおわかりと思いますけれども、四六時中戦闘機、偵察機が飛びかっておる。民間飛行機も飛んでおる。これは板付基地があるからだと思うのです。で、九州大学の学長を先頭にして、この基地を撤去してほしいという運動もあの周辺では九州大学が先頭になってやっておるわけなんです。で、今後の問題もありますが、先ほどのじゃありませんけれども、芝生で学生が休むようないい環境をつくれというふうな時期は去って、頭の上から落ちてくるような現在のこの危険な学校の位置になっておる、こういった場合に、文部大臣として九州大学のこの環境をよくするために、そしてこれは一つ間違えば、もう一回起こったのですから人命にも関する、九州大学自体の壊滅にもなりはしないか。新聞等にはよく出ませんけれども、あの板付基地の、九州大学中心として今日までたびたび飛行機が落ちているのですよ。たまたまあのときには九州大学に落ちたから問題になったのですけれども、しょっちゅうガソリンタンクが落ちてみたり、あるいは飛行機自体が落ちてみたり、ずいぶん危険な状態に九州大学はあると思う。そういった基地の問題について大臣としてはどうお考えになりますか。基地と大学の環境といいますか、そういった問題についてどうお考えになりますか。
  70. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) これは非常にむずかしい問題でございますが、現実の問題としては、九州大学は基地と非常に近接している、したがって危険であるということでございますから、一般的に申し上げますれば、やはり教育環境としては非常に危険なところ、あるいはそういうようなことがないようにということが希望されるわけでございまするが、さて、また現実の問題として、基地を直すとか、あるいはまた、大学が移転をするとかいうようなことになりますと、これまた非常にむずかしい問題があるわけでございます。当面といたしましては、やはり米軍当局に対して絶えず注意を喚起する、そうすることによって危険防止をはかるということはやらなければならないことではないかというふうに考えております。
  71. 安永英雄

    ○安永英雄君 非常にむずかしい問題だし、文部省だけでこの問題を解決するということは非常にむずかしいとは思いますけれども、やはりこういう状態は板付に限らない、基地周辺の義務制の学校なり、あるいは高等学校大学等では常に起こっている問題でありますから、やはり基地の問題については文部省の立場として教育という観点から、私は基地の撤去というふうな問題の焦点に立っていただいて善処していただきたいというふうな気持ちがします。  時間がありませんから、大阪外語の大学院設置の問題について基本的な問題をお聞きしたいのですけれども、先ほど小笠原さんのほうから予算の問題で質問がありまして、そうして学生入学の定員は七十名、そうして教職員の定員は増加なし、そうして大学院という立場の経費としてはほとんど金は入らないし、経費の問題等についてはむしろ学部のほうに幾らかつけるからというふうな発想でいま進められようといたしております。この大学院というものは、学部の基礎の上に立って研究するところだからというので、学部大学院とは密接に関係をしているというふうな予算上の説明が先ほどありましたけれども、これは誤っているのではないか。実際に大学院があっても、現在大学院専用の教室とか、あるいは大学院専用の研究室、こういったものはほとんどない、すべて学部におぶさっている、こういう状態で私は不思議に思うのは、これは調査を見てみますというと、やはりメジロ押しに大学院設置したいという希望が非常に多い、それをいろいろ審議会で選別をされている、こういうことなんですが、どうも学問上の、研究上の必要ということから大学院設置するというのじゃなくて、その大学の中に大学院を置くことによって大学の妙な権威というものをとにかく備えようといいますか、そういった傾向じゃないかというふうに私は思うのです。これではほんとう大学院という趣旨は生かされないし、何か学部のほうに行って研究をしておる、大学院自体の予算とかあるいは研究者の整備とか、こういったものは非常におろそかになっておる、こういう気がしてならぬのですが、大学院というものははたしてどういう立場になければならぬのか。予算上では、あるいは定員の問題とか、そういった問題ではどう考えなければならぬのか。どうも下のほうからぜひ大学院をやってください、渋りながら、それじゃ金はやらぬですから、名前だけ大学院ですぞ、それじゃ許しましょうということだけでは私は大学院の使命というものは、ほんとうの意味の使命は果たせない、どうもそういう気がしてならないのですが、時間もありませんから、大学院のあり方、こういったものについて大臣のほうからお答え願いたい。
  72. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) これまた非常にむずかしい問題ですが、しかし大体これは安永先生と私は同感なんですが、実情はそういうようなこともなきにしもあらずと思うのです。ですけれども、やはりこの大学院というものはどういうふうにいまの大学の中に位置づけるかということが今後の大学問題の中心の課題になるのじゃないかというふうに思います。従来はどうだったかというならば、やはり学部中心主義でございまして、大学院のことについてはまだあまり思い及ばなかったというのが率直なところじゃないかというふうに考えます。ですけれども、これからはやはり大学院、ことに博士課程の大学院充実ということは喫緊の要かと思います。それだからといって、全然これを別個に大学院だけ切り離した大学をつくるのがいいのか、それともやはり学部の上に大学院制度を設けたほうがいいのか、この辺は十分私は考えなければいけない課題だと思っております。
  73. 安永英雄

    ○安永英雄君 大学院の問題については非常に今度の大学法などと関係がありますし、十分そこでやりたいと思います。
  74. 小林武

    小林武君 私の質問も少し時間的な制約を受けましてとぎれとぎれになると思いますけれども、まず最初に、いま安永さんから大学院の問題が出ましたけれども、これについて質問をいたします。  国立学校設置法の一部を改正する等の法律案国立学校設置法の第三条の二、そこに大阪の外語大学が入るわけですけれども、私、いまの安永質問に関連してでありますが、ちょうど四十四年の三月十八日の参議院文教委員会会議録第三号に、このことについてちょっと私が触れたところがあるわけです。その際に文部大臣から御答弁がございまして、こういうことをおっしゃっているのですが、そのことばじりをつかまえるという意味じゃないから誤解していただきたくないのでありますが、いまの大臣の御答弁もそうだと思うのでありますが、「まさに日本の大学における大学院の位置づけというものが、実は私の乏しい知識でございますけれどもまだ成熟していないと私は思うのです。」、こういっているのですね、「成熟していない」と。この成熟とは何かというようなことをここでやかましく言うわけじゃございません。しかし国立学校大学院が発足いたしましたのは昭和二十八年だと思いますが、十六年の年月を経過いたしまして、この設置法の第三条の表を見ましても相当数のあれができているし、それから二十五年から出発した私立大学大学院というものの数もかなりのものがあると思います。そこで、ここまで来ますというと、成熟していない、どうもそこまでは思い及ばなかったという、これではやっぱり、文部大臣がおっしゃればなおさらぐあいが悪いなという気持ちがするわけです。そこで、私はやっぱりこの段階で議論しておく必要があると思いますことは、いま安永委員からも言われました大学院とは何かということ、大学院というものの目的なり性格なりは一体何であるかということを考えないで提案されたとすれば、これはまことに奇妙きてれつなことだと私は思うのですが、そういう皮肉を言うわけではありませんが、やっぱり事実上から言えば大学院というものはそういう立場にあると思います。そこで、大学院をよくするというか、日本の大学大学院というものをどういうふうに考えるかということをここで検討したいのでありますが、これはやはり事務的なことでございますから村山局長にお尋ねをいたしたいのでありますが、大臣が成熟していないと言ったが、それでは旧制の大学院というのは成熟しておったのかどうか、こういう問題があるわけです。旧制の大学院というのは一体どういう基本的な性格を持っておったとお考えになっておりますか。新制大学というものは成熟しないのはなぜだろうか。この点については、大臣は私の質問に対して二、三の事項を列挙しての御答弁がございました。どうも教授の頭が切りかえられておらないという、いわばアメリカ式の大学ができても、まだベルリン大学だというような御答弁があったと思うんですが、そこで村山さんに、旧制の大学院というのはどうであったのかということを聞きたいのです。どういう性格のものであったかということですね。
  75. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 村山君が言う前に私から……。大学院制度というものが成熟していないということは、言うならば定着していないという意味に申したと思うのでございます。旧制の大学におきましては、一応数も非常に少なかったということ、それからまた今日のように、何と言いますか、研究者を志す人たちが非常に少なかったし、そういうようなこともございまして、ある程度成熟をしておったというか、それはそれなりの、旧制度の大学においてはそれなりの意味と、そしてまた実際的な働きをなしておったというふうに私は考えるわけであります。でございますけれども、戦後、先ほど安永先生が御指摘になりましたように、どこもここも、確かに修士課程大学院等も設けられたわけでございますけれども、これはまあ大学それ自体だけの責任じゃなくて、われわれ文部省にも大いに責任があると思いますが、成熟させなかったと、ことばをかえて言ったほうがいいのじゃないかというふうにも思いますけれども、ともかく数も非常に多くなりましたし、ほんとう研究というか、部分的には例外もございましょうけれども、全体としましては、まだまだ大学院制度というものは定着していない、成熟していないということは言えるのじゃないかと思います。まあアメリカで言えば、もう大学というのは、むしろ大学院に重点を置いた大学大学なんだというような考え方があると思われるわけでございますが、その意味合いにおいて、大学についての定義あるいは大学院独自の施設、設備というようなものでなく、現状はむしろ未成熟だと言わざるを得ないというふうに思うわけでございます。
  76. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 旧制と新制の大学院を制度上並びに運営上で比較いたしますと、まず第一に、旧制、つまり旧大学令における大学院は、新制と違いまして、必置制でございまして、規定のしかたが、大学には研究科を置くべしという規定のしかたでございます。新制では、「大学には、大学院を置くことができる。」ということになっております。これが違いでございます。  それから旧制では大学の目的の中に大学院の目的も含まれておりました。新制では大学の目的と大学院の目的とを書き分けております。旧制では大学の目的の中で学術のうんのうをきわめるというようなことは学部ではなくてむしろ大学院に期待される機能だというぐあいに解されておったわけであります。また、実体的にも旧制の大学院学部そのもので、全然実体が制度上はございませんでした。職員につきましても、たしか学生定員も正規にはあまり計上されていなかったのではないかと記憶しております。したがいまして、運営上の問題としては、入りたい者は入るし、しからざる者は入らない。学部によっては置くべしとなって、観念的には大学院があったけれどもほとんど実員がおらない。法学部とか経済学部などの大学院はそういう事情であったようでございます。それから逆に文学部とか理学部とかは、要するに大学を出て数年間大学院に残るのがあたりまえ、かつまた助手に任命されますと同時に大学院学生たるべく指導され、現にそのように行なうのが例であったようでございます。  それからこれは大学院だけではございませんが、旧制では大学には別にその基準というようなものはございませんでした。大学令に目的が定められ修業年限が定められますと、国立につきましてはその設置につきまして官制が定められる。それからいわゆる帝国大学につきましては、帝国大学令ということでその骨格が定められて、その内容につきましてはほとんどもっぱら大学の創意工夫とそれを裏づける予算措置によって運営されておりました。公・私立大学についてはもちろん文部大臣が認可しておったわけでございますが、認可の基準といったようなものも制度的に法令の形をとったものはなくて、国立大学の実態に準じて判断をして、あとは財政面の基礎を判断して認可されておったようでございます。いろいろな角度から論ずることができようかと思いますが、制度面、運営面から旧制と、新制の大学院というものを比較いたしますと、ざっと以上のようなことになろうかと思います。
  77. 小林武

    小林武君 何かとらの巻を読まれたような気がしているのですが、もっとぼくは別なことを聞きたかったのですがね。大学院というのは一体どういう目的なり性格なりを持っていたかということです。やっぱりそれが明らかにならぬと新制大学との違いというものは明らかにならないのですよ。ことばの上で言えば、学問のうんのうと修業と一体どこが違うのかということになれば、そんな詮議立てをしてもしようがないけれども、これでいうと結局大学院というのは何のために存在したか、それを一言で言えばどういうことになりますか。
  78. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 戦前においては、先ほど申し上げましたように、大学令の目的規定の中で、学術のうんのうをきわめるという部分は大学院の機能である、したがって大学院なるものは学術の水準を維持し向上させ、もっぱら創造的なクリエーティブの機能を期待するということであったろうかと思います。学部段階でその成果を研究しつつ伝達する、こういうことであったろうかと思います。  新制度では、その大学の目的が、現行学校教育法では五十二条とそれから六十五条とに分かれておりまして、大学院の機能のほうは六十五条のほうに別途規定されております。ここではやはり学術の「深奥」とありまして、うんのうと大体同じことだと思いますが、やはりわが国の学術の水準の維持向上をはかることを目的としておりまして、最高度の学術目標というのは大学院に期待されておるわけでありますが、新制度では博士、修士という二本立ての大学院制度を考えまして、少なくとも修士課程においては高度の職業人の養成といったことも大学院の目的の中に入っておる、かように解されております。
  79. 小林武

    小林武君 それではもう少し具体的にお尋ねいたしますが、大学院を出た者——これは明治十九年の帝国大学令の公布と同時に成立しているわけですから、それから以来ですから、先ほどの大臣の御答弁で年限的には定着したというのですが、定着していなかったらおかしいことになるわけですけれども、それはうなずけるといたしまして、この大学院勉強した人は学界なり、あるいは社会の中にあって一体どういう役割りを果たしたのか、どういう役割りを果たすことを期待したのかということです。そのことについては、どのぐらい一体学んだ者があって、業を終えた者があって、いわゆる学術のうんのうをきわめたというような人がどういう働きをしたかということ、それをちょっとお尋ねいたします。
  80. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 旧制の大学院は、先ほども御説明申し上げましたように、別段特段の基準もなく、それから修業年限もたしか一年以上だったかと思いますが、現在のように、何年間に何単位というようなことももちろんございませんので、そこに入りますと、教授から研究テーマを与えられ、それから随時指導を受け、ある時期に大学を去っていくというような形で、大学院修了者等のはっきりした統計もないようでございます。  それからまた大学院の種別から申しましても、先ほど申し上げましたように、ほとんど大学院に期待もしていなかった学問系統もございますし、それから逆に助手が即大学院学生というような形で、勤務しつつ大学院学生として研究に従事するという形の学問分野もありましたし、そういうところでは当然大学院というものはもう研究者に直結する機能を果たしておったわけでございます。  そういうことで、戦前の大学院制度は必置制になっておった点では現在よりもむしろ強い形でございますけれども、その機能の具体的なものについては必ずしもこれが大学院の成果であるということではっきり打ち出されるものはなくて、むしろ大学院学部を一体とした大学の機能として社会的に成果を果たしておったと、かように考えます。
  81. 小林武

    小林武君 制度的には新制のほうが完備していたと、こういうことになりますね。このことは、いまの大学院のいわゆる大学院生と称する諸君も、制度的には大体新制の大学院のほうが完備しているというふうに大かたが中にいて見ているようです。いまの局長の御答弁からみてもそれが裏づけられる。そして、どのくらい出て、それがどういう活動をしたかということについてはあまりはっきりしないようだ。しかし、一部の人たちは助手からさらに助教授になり、教授になっていったという人もあるでしょうけれども、それ以外の人たちがどうなったか、入ったのがどう、出たのがどうということもはっきりしないわけですね。私は、旧来の大学院制度というものを今度新制に改めるについては、あなたはそのときに文部省にいたかいないか知りませんけれども、一体どういう目的でやるかということは、これはまあ法律に書いてありますし、明らかな事実ですけれども、一体どういう目標でやられたのですか。今度新制大学というものをつくるときには、過去の古い旧制のものから考えてどういうものでなければならぬというふうにお考えになっておったか。その当時のことを簡単に個条書きぐらいにして言っていただいてけっこうです。
  82. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 新制度が発足した時点は、御存じのように、占領行政下でありまして、占領行政下で、文部省が行政的にいろいろな基準をきめないで、広く大学関係者あるいは専門家の協力を得てものごとをやるということが基本方針でございまして、当時大学基準協会でありますとか大学設置審議会でありますとか、そういうところで大学人を中心として、大学基準問題について、大学院も含めまして、検討がなされました。そこで強調されましたことは、一つは、論文博士と新制度の大学院との関係でございまして、端的に申し上げますと、論文博士というのはどうも大学としての責任体制というのがはっきりしないから、むしろこれをしぼってスクーリングを主体とする修士課程、博士課程に重点を置いて、そこで大学院の目標に照らし、ミニマムに履習制というものをやはりスクーリングの形であるところの単位にあらわして、修業年限と単位とでスクーリングの基準をきめて、そこで大学院の目標を、基準ではさらに博士と修士とに分かれますが、それの目標を達成していくように、こういうことであったようでございます。その後、やはりそれだけではいけないということで論文博士も認められる。現在は大学院コースによる修士、博士とそれから論文博士という二本立ての研究者養成、あるいは資格取得の制度になっておるというのが、ごく簡単に申し上げまして発足以来の事情でございます。
  83. 小林武

    小林武君 いま大学院には一体どういうことを期待しているわけですか。  私はちょっとここであなたに申し上げておきたいのですけれども、何か聞いていると、占領当時であるから文部省は全然それについては責任がないような言い方をされているようですが、たとえそういうことがあっても、大学院というものがいまの学校制度の中で生きているし、その法律もあるわけだし、あなたたちがその法律の改正を出してわれわれに賛成せいと、こう言っているわけですから、その限りにおいてはどういう過程を通ってきたかというようなことがはっきりしなければいけないんですよ。大学基準協会などがありましてやりましたというように、何も私のほうは知りませんというようなそんなことを言うものではない。だめですよ。これからだんだん二十年、三十年たったならあなたたちはいなくなってしまう。発足当時のことなんかわからないような若い役人の方が出てきたときに、われわれはまだ若くてそのときのことはよくわかりませんでした、そのようなことを言われても困る。ですから、そういう答弁は不親切を通り越して質問者をなめていると思う。そういうやり方はやめなさい。  それでは、いまの論文博士のほうはいいですが、とにかくいまの大学院というものは一体どういう性格でどういう目的のために置かれておるのか。そのことをひとつ聞きたい。
  84. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 高度の学術研究、それから研究者の養成、それから修士課程については高度の職業人の養成、ごく簡単に言えばそういうことが大学院の目標でございます。
  85. 小林武

    小林武君 研究者の養成、それから高度な職業教育、これが目的だと、こういうふうに言われますね。そうすると、これは日本の学問研究、それから研究者の養成であれば、必ず技術の進歩、そういうものに非常に大きな影響を与え、さらにはこれからもその学問研究に当たる人たち指導に当たる役目をする人も出てくるわけである。そうすると、今度の場合においては、大学院だけしか結局いまのところまとまった機関というのはないわけでしょう。その面でどうですか。
  86. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大学院が高度の研究の主力をなす組織であることは間違いないと思いますが、そのほかに、たとえば大学の附置の研究所もございますし、それから各省直轄の研究所もございます。それから民間においても研究所その他の試験研究機関はございます。高度の研究大学院に専属するものとは考えませんけれども、大学院がその中心となるべき位置にあるということは言えると思います。
  87. 小林武

    小林武君 あなたちょっと誤解しておるんじゃないかな。大学院というのは二面持っていますわね。性格の中に、一つの新しい型の研究機関であるという見方もあるんです。しかし附置研究所と並べて考えて、ほかの研究所と大学院というものを並べてあなたお考えになっていますか。それはおかしいんじゃないの。ぼくもあなたの新しい型の研究機関として、ということは認めますよ。そうなきゃならぬ。しかし、その中で行なわれる教育ということを考えなきゃならぬ、そういう人たちを養成する機関ということも考えなきゃならぬでしょう。その場合に、附置研究所の中で特別に大学院と同じ性格の仕事をそこでやるわけですか。
  88. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 国の教育制度としては、高度の研究者の教育大学院の機能でございます。ただ大学附置研究所大学院教育に協力をすることになっておりますし、また現にそのように機能しております。それからその他の研究機関でも、これは国の制度としての教育ということではございませんが、実際問題として教育はあらゆる場所で行なわれておるわけですから、教育を否定するわけではございませんが、制度としての教育はもっぱら大学院の機能でございます。
  89. 小林武

    小林武君 附置研究所大学院の場合とをあまりごっちゃにするようなことはちょっとおかしいから御注意申し上げたんですが、そうすると、先ほど来から文部大臣の話の中にも出てきているんですけれども、学部とそれから大学院の関係というのは、これはどういうふうにお考えになっておりますか。
  90. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 学部という実態があって、大学院という組織、機能に学部のスタッフが大学院という観点から必要と認められるものが参画をしておる、現行制度はいわばそういう形に相なろうかと思います。
  91. 小林武

    小林武君 それでは学部の延長と言ったらいいのか。延長ではないけれども学部に付属したものと見るとか、そういうことになりますか、あなたの説明は。
  92. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 修業年限的に申し上げますと、延長ではなくて一つの区切りがあり、学部の上に位置するところの教育研究組織でございます。それからそのスタッフの面から申し上げますと、学部の教職員が大部分大学院という形での組織に参画しておる。それからこの学部の面からいきますと、学部に依存する面もあるし、一部独自の予算措置も講じておる。こういう複合的な形の組織ということが現状だろうと思います。
  93. 小林武

    小林武君 ちょっと文部大臣にお尋ねをいたしますけれども、大学院というのはどういうことになりますか。いまの答弁ではどうもはっきりしないんですがね。大学学部の延長と、こう見るのか、あるいは同じ大学の中に置かれてはおるけれどもこれは独自な性格を持ったものであると見るのか。そのこといかんによって私は大臣がこの間御心配になっておった成熟するかしないかという問題、これはとにかく旧制の大学令による大学院とは違った性格を持っておる。あなたがおっしゃるようなアメリカの大学の型だという御答弁があったが、新しい型を採用された。そうするとこれは十六年間かかってなかなか性格があいまいである。先ほど来、大学局長の答弁を聞いておってもさっぱりわれわれには理解のできないような答弁ばかりしておる。どこが急所なのかよくわからぬ。急所を突いてみろと言ったところが足の裏をつついたような話をするから、これではさっぱり要領を得ない。こういうものなら私は力み返って置く必要のないことだと思う。いまのような答弁を繰り返しておるのでは、大学院を置くということは、一体大学院というものが日本の科学研究なりあるいは学問研究、科学技術の進歩といった上にどのような役割りを果たすのか、このことの目的が明らかにされて、そうしてその上に立って大学院をりっぱにするというような手当てがされるんでしょう。いまのあれだというと、依然としてまま子扱いになって、性格の不明なままに、とにかくだらだらと命をつないでいるということになりかねないと思う。そう言いながら、政府はどう言うかというと、大学院大学をつくろうかと言ってみたりする。その点についてはいささか何か首尾一貫していませんわね。われわれその心配してるんですよ。  そこで大臣にお尋ねいたしますが、一体これはどういう性格づけをしているのかということ、これがはっきりしないというとだめですわ。
  94. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) まさにその点が、私がまだ成熟してないということを申し上げたわけです。というわけで、そこをどう考えていったらいいかということがわれわれの当面の課題であると考えておるわけです。でございますから、独自なものとして考える、それはよくわかる、また、そうなくちゃならないと思います。しかし独自なものとして考えた場合に、修士課程、それから博士課程そのままを大学院大学というふうに考えるのか、あるいはむしろそうじゃなくて、もう修士課程までをいわば学部の延長として考え大学考える。まあ一般的な高度の職業教育あるいは一般的な高度の教養の大学というふうに考えるという考え方だってそれはあり得るわけです。そうしてむしろ博士課程だけを持ったものを大学院として考え考え方だったって私はあり得るというふうに思います。その場合、全然大学院というものを博士課程だけ切り離したようなものとして、いわば総合研究所みたいな形で、学部とは無関係なものとして考え考え方だって、これはあり得ると思います。しかし、そういうような教育というものを直接持たないような、つまり学部学生というものを持たない大学院というものによってはたしてほんとうの意味の、先生指摘のような高度の学問、学術というものが行なわれ得るかどうか、創造的な成果というものが期待でき得るかどうかというところには、やはり議論のあるところではないかと、こういうような問題について、もう少し一般にも議論もされ、また中教審においても議論をされ、各政党間においても議論をされ、とにかくここに基礎的な研究というものについて重点的に大学の中における位置づけというもの、研究体制を確立する、それをどういう形でやるかということについて知恵をしぼって、国民的コンセンサスというものを得るということが私は非常に大事だと思います。どの党においても、私がいま最後に申し述べましたことについては異論のないところだと。しかしながら、それをどういう形にしたほうがいいかということについては、各党とも議論の分かれるところだと思う。あるいは研究者の間においても、これについては議論の分かれるところだろうと思うのです。あるいは大学そのものについても、いろいろこれは議論の分かれるところだと思うのであります。この点についてはやはりもう少し慎重に検討すべきことであって、あまりここで明確でないというところのほうがほんとうであって、あまり明確にきちっと、いま法律に書いてあるからそうだといえばそれまでのことでございますけれども、実態的に申しますると、そこまで踏み込んで、今後の日本における研究体制をどう考えるか、大学においてはどうするんだ、民間との関係はどうするんだというようなことを考えなければいけないと思っておるわけでございます。お答えにあるいはならないかと思いますけれども、あまりお答えにならないような課題じゃないかというふうに思います。
  95. 小林武

    小林武君 いや、文部大臣ね、やはり十六年といっても、その十六年の年月の間にはやはりいろいろ変えなければならぬところも出てくるし、それから大学というものを、今日の大学の問題を考えますと、抜本的なやはり大学の改革ということは、与党であると野党であるとを問わず、とにかに口に出してきていると、一つの方法などを考えなければならない、こういうことですからね。変化は私は年々あっていいと思うのです。ただ、たとえ改められるにしても、十六年間の歴史を持って、その間に一体この大学院というのはどういう性格のものであるということをはっきりしないところが特徴であるというようなことでは、これはちょっといかぬですわ。
  96. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) いや特徴であるというのじゃない。
  97. 小林武

    小林武君 いや、そうでないと言ったって、大学院だと言ったって、どういうものなのか。私はさっき独自性と言ったけれども、独自性ということばは誤解されると困るけれども、やはり学部の延長みたいに考えているのか、全く学部の一種の付属物のように、まず旧制のやつを見るというと、何だかわけがわからぬで大学院に残るという形で、何年残ったがいつ出ていくのかわからぬといったようなのが旧制にあったようだが、今度の場合は、やっぱりそういうことではかなり整備されていると見ておりますよ。博士号をやるのはどうするとか、修士号をやるのはどうするとかという問題もありますからね、これは前のから見ればやはり整備されている。そういう種類のものとしてどういう位置づけをするのかということになたら、私はやっぱり、法をちょっと見ただけでも、これは法どおり解釈しても、別に完備はしていないけれども、こういう性格のもんだと言えると思うのです。それを何かことさら避けているのではないか、避けるからまたその大学という、この大学院というものがきわめてあいまいな性格でやってきているのではないか。先ほど来話がありましたように、そういう大学院が、今度ただ大学院をつくればいいというだけで、このごろは大学院をつくることに一生懸命になっているような大学がたくさん出てきている。そうでしょう。だから私は、性格を明らかにすべきだと、それにはこれはもうとても大学学術局とこういう論争をやっても時間が過ぎますから、ちょっとひとつ角度を変えてお尋ねいたします。  大学院に入る学生というものはどういう目的で入るかということを調査しておりますか。学生の諸君はどういうつもりでここへ入ってきているか。あなたたちが募集するのだから、そうでしょう、募集するのだから、大学院に入る人間がどんな目標で入ってくるかということを調査しなければならぬと思うのです。どうですか、局長さん。
  98. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 組織的な悉皆調査をやったことは実はございません。各大学の当事者の御意見などを総合いたしますと、やはり学問分野別によって非常に違いがございます。先ほど来申し上げましたように、たとえば理学部でありますとかあるいは文学部あたりですと、これは明らかに、学部研究を継続して研究者あるいは教師になりたいというような意識で入ってくる者が大部分のようでございます。それから今度は工学部あたりになりますと、工学部修士課程では、研究者になりたいという者と、それから、学部では技術的にも不十分だからもうちょっと高度の技術を身につけてむしろ社会に出たいという者とが混在しておるようであります。それから、社会科学系統になりますと、各大学によってかなり事情が違いますが、これはまた、やはり研究者になりたい者も一部いるし、それから、あまりはっきりした目的を持たずに入ってくる者もかなりあるというようなことが言われております。それから医学部につきましては、これはきわめて端的に申し上げますと、医学部修士課程というものはなくて、博士課程一本でありますが、大学院に入ったほうが学位がとりやすい、それから研究者になるにも組織的にやってもらえるというような意識で入ってくるようでございます。それから博士課程になりますと、これはほとんど研究者になりたいという意向のもとに入ってくる者が現状では大部分だと、かようにいわれております。
  99. 小林武

    小林武君 ある大学の調査を私見たのでありますけれども、それを見ましても、大体いまのようなんですがね、驚くことに、どうですか、はっきりした目的ないけれどももう少し勉強してみようかというようなのがもう非常に多い。この大学では五五%、私の持っている、ただしことしのあれじゃありませんけれども、五五%。これが各学部によって、あなたのおっしゃるとおり多いのですが、いわゆる法文系の者ですと、これがもっと多くなる、五五%以上になる。六〇%、七〇%近くになる。こういう状況というものは、私はやっぱり大学院の性格が、こればかりじゃない、大学院の性格そのものがはっきりしないためだと思うのです。そうしてまた、大学院の性格がはっきりしないままやられているから、大学院そのものがきわめて、学部の延長なのか何かさっぱりわからぬことになってきている。こういうところに問題があると思います。  それじゃもう少し別なことからお話しを申し上げますが、大学院をあなたたちこの法律案でつくれということをわれわれに要求したのだが、その設置基準というようなものはどういうことになっているのですか。大学院基準というようなものはどういうことですか。
  100. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大学院設置基準は現在法令の形をとっておりませんので、大学設置委員会、つまり文部大臣大学あるいは大学院を認可する場合に大学設置審議会に諮問するわけでありますが、大学設置審議会の審査基準という形できめられております。
  101. 小林武

    小林武君 それについてきめられておるのはどういう内容の基準であるかということなんですがね、どういう内容の基準ですか。大ざっぱに言ってください、あんまり長く言っても困るから。
  102. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) たとえばまず構成でございますが、構成を修士課程と博士課程に分ける、両者置いてもいいし、片っ方でもよろしいことにしております。それから目的を修士課程と博士課程と二つに分けて考えております。もちろん全体としては学校教育法第六十五条の大学院の目的を受けるわけでございますが、修士課程と博士課程で目的のニュアンスを変えております。以下、たとえば在学年限でありますとか、それから教員の資格でありますとか、それから修得すべき単位数でありますとか、それから博士、修士の称号を認める場合の基準でありますとか、そういうことを書いてございまして、これに照らして認可をする基準ということになっておりますが、認可されるからには、これが運営上の最低基準にもなるわけでございます。
  103. 小林武

    小林武君 学校教育法で大学院というものは、はっきりとまではいかぬけれども、ややこんなものだということを書かれている。この大学院基準に対して文部省のほうでいまでもこういう考え方に立っていますかね。大学院基準を作成するにあたって昭和二十二年の九月ですか、文部省側の意向として大学院専任の教授を置くことは望ましいが、現状では困難であるから、学部充実しているところから研究科を設け、これを総合したものを大学院とすると、こう言って大学専任の教授を置くということにかなりブレーキをかけたような文部省側の意向の発表というのがあった。このことはもうまぎれもない事実ですが、いまは一体どういうことになっていますか。大学院の専任の教授というのはどういうことになっていますか。
  104. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 専任の教授は必要に応じて置くことになっております。
  105. 小林武

    小林武君 現状としてはどういうふうに置かれておりますか。
  106. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 国立大学では事実上大学院だけを担当しているという方はきわめて少ないと思います。絶無ではないと思いますが、きわめて少ないと思います。それから私学につきましては国立よりは大学院専任の方がおられるようであります。たとえば学部大学院とで定年を異にしまして、学部では定年だけれども、大学院ではなお授業を担当するというような形で専任を置く場合もありますし、それからまた純然たる大学院専任の方もおられるようでありますが、その実数はつまびらかにしておりません。
  107. 小林武

    小林武君 それで国立では置かないのはどういう理由ですか、それは。
  108. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 一つは、発足当時の事情もございますし、それから大学側の意向も必ずしも大学院専任の教授を置くということに固まっているわけでもございませんので、現在まだ専任をどんどん充実するという形になっておらないわけであります。
  109. 小林武

    小林武君 大学側大学院に専任の教授を置くことを望んでいないと、こうおっしゃるわけですか。それで国立のほうでは専任教授を置いているところはきわめて少ないと、こういうわけですか。
  110. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 御説明がややあいまいになりますが、大学側は専任を置くことを希望しないわけではございません。ただ具体的にだれを専任にするかというような段階になりますと、考え方がまとまらない。そこで結果的には専任を置くという方向で具体的な行動が進まないというのが現状でございます。
  111. 小林武

    小林武君 これについて教育刷新委員会勧告、それから二十四年の学術会議勧告等いろいろな勧告があったと思います。その点についてはどんな勧告をされているわけですか。
  112. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) いろいろな御意見を受けまして、現在大学院設置審査基準要綱というのができているわけでありまして、ここで主として学部の教員で大学院の担当の資格があるというものが大学院を担当する。それから必要に応じて専任者も置くし、研究所等の適任者も協力するということにいたしておるわけであります。
  113. 小林武

    小林武君 学術会議でどんな勧告やったか、中身聞いている。
  114. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 正確には記憶しておりません。
  115. 小林武

    小林武君 記憶しておらぬ——記憶しておらぬじゃ困るよ。そんなことがなかったのかあったのか、それを明らかにして、あったんならあったということを調べて言わなければいかぬでしょう。そんなことで、あなた、提案してきょうあげろと言うても、上げるのをやめるぞ、そんなふざけたこと言ったら。何です一体、そんなことで上げられますか。とんでもないことを聞いているんならともかく。
  116. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大学院の問題につきまして諸方面からいろいろな御意見が寄せられているわけでありますけれども、学術会議の御意見につきましては、現在手元に資料がございませんので正確なことは申し上げられませんので、取り寄せまして御説明申し上げます。
  117. 小林武

    小林武君 資料がないんならないとそう言ってくれればいい。そうすればあとでよく調べて知らせてくれと、こう私は言おうと思っていたが、記憶しておりませんなんという答弁はだめですよあなた。大学院学部設置の問題でしょう、きょうの提案は。それをあなた記憶しておりませんなんということで、一体委員長こんな答弁でいいのかい。こんなことで上げてもらおうなんという考え方は横着ですよ。しかし、上げないなんて言わぬから心配せぬで……。
  118. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) ただいま資料がございませんので正確なことを申し上げられなかったわけでありますが、取り寄せまして御説明申し上げます。
  119. 小林武

    小林武君 村山さん、やっぱりそういう点については資料がないんならないということを言わなきゃまずいですよ。私はかなりこれについて質問しようと思ったけれども、いろんな事情があっていままで延びてきたんだが、きょうは与えられた時間しかやらないつもりですからそろそろやめますけれども、あなたにひとつお伺いしておきたいことがあるんだが、それは先ほど来共産党の小笠原委員からも出たし、それから安永委員への答弁からも出ましたが、文部大臣の言う一人百二十六万かかっているという、こういうものの言い方というのはどういう考え方か、ちょっとこれはきわめて大ざっぱなものの考え方だと思うのですね。大学のともかくあらゆる経費を全部集めて合計した。それをとにかく学生の頭割りでやってみた。そうしたら百二十六万になったのか、ぼくは計算してみないからわからぬけれども、なったんでしょう。そういう考え方はともかく私としては決してここでなるほどということにはならない。そこでそういうことをどうこうという答弁は必要ないですけれども、国立学校の特別会計の中に、一体学生予算というのは、ここにあるのじゃないんですか。これは国立学校の中の研究教育に必要な経費の中の目、校費の中にある、学生当たりの積算校費というものの中に。これがそうじゃないのですか。どうなんです。これは三百十二億ぐらいの金がありますが、これを言うんじゃないのですか。
  120. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 国立学校特別会計の予算はいろいろな立て方で積算をいたしまして総額をはじいて、今度は大学別に原則として積算基礎を逆に計算をして配当して、大学ではそれを予算書の指示に従いまして使うわけであります。そこでいわゆる学生当たり積算校費だけが学生教育に充当される費用というわけでは必ずしもございませんが、学生当たり積算校費は、学生教育のために使われる最も主軸となる経費であることは間違いがないと思います。そのほかに、たとえば厚生補導費でありますとか、あるいは設備費でありますとか、それから図書費でありますとか、すべて学生教育に使われるわけでありますが、主軸をなすものは学生当たり積算校費でございます。
  121. 小林武

    小林武君 そこであなたのおっしゃるように、それは文部大臣と同じ考え方ですよ。それは建物一つとったって金がかかれば学生のために建てたのだという言い方をすればできないことはない。しかし、そういうことよりか、学生当たりの積算校費というものの単価、学生一人当たりの単価というものは、まず区分があるでしょう。理科とか文科とかいう区分がある。その区分の上に立って、理科系なら幾ら、文科系なら幾らというのは幾らにとっているのですか。その単価は一体どうなっております。それに定員数が出てきて、初めて校費の中のあれが出てくるわけですよ。そうでしょう。単価はどういうふうにとっているのです。
  122. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大学学部につきましては、一般教養課程が一人当たり一万三千七百円であります。それから専門課程になりますと、文科系が九千六百円、理科系が二万二千円、それから医学部関係が二万三千九百円、それから教育系が一万三千七百円、こういう単価になっております。
  123. 小林武

    小林武君 まあそれでわかったでしょうし、百二十六万円は言い方としてはちょっと乱暴至極な話で、減価償却も何も一つも見ていないような話で、これはいささか東大九十年の歴史だか百年の歴史だかしらぬが、どうも算術にしてもあまり合った計算ではないように思う。  そこで最後に、もう時間がないからお尋ねをしておきますが、先ほど私が聞きたかったのは、産学協同と、日米の科学教育委員会ですか、そういうものを聞きたかったのですけれども、それはひとつこの次にいたしまして、私は別の角度から聞きたい。ほんとう一つ大学が、いまなら、たとえば理工系のものを見れば科学技術の進歩というようなもの、これに見合った研究をやるのには、この積算基礎の単価というものは一体学生一人当たりでいまのようなもので間に合っているのかどうかということですよ。文部大臣、私はほんとうのことを言うと、大体これに使われる金というものがあらまし予算に計上されておれば、これはいろいろな委託の研究というものがあったにしろ、その独自性を奪われるようなことには私はならぬと思います。私の聞くところでは、いまの局長の御答弁のような金額ではなかったように思いますが、これは局長一体どれくらいあればいいと文部省当局では考えていますか。理工系一つにしぼって話してみてください。
  124. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) これはなかなか客観点には定めがたいわけでありますが、現実には教育研究学生当たり積算校費、教官当たり積算校費、設備費等中心にして編成し使うわけであります。大学の当事者の主観的な御意見を聞きますと、足らない。しかし足らないといっても、以前と比べましてかなり充足されている。あと何倍というようなことではなくて、若干ふやしてもらいたい、こういうことのようでございます。
  125. 小林武

    小林武君 どうして大学教授というのはそんなうそを言うのか、私はふしぎでたまらない。十万という声を聞いたのはだいぶ前の話です。やはり学生一人当たり十万ということです。だから事実どうなんですか。先ほどからわからぬ、わからぬと言っているけれども、一体大学予算のほかに、やれ企業からどうした、あるいはアメリカとのいわゆる日米科学何とか委員会からどういうところへ金を持ってきた、こういうものは一体総額でどれくらいの見当ですか。どれくらいに考えていますか。いわゆる文部省からでない金というものは、一体大学へどのくらい流れ込んでおるのか、これを総額で見当つきますか。私はなかなか学生もいいことをやるなと思ったのは、どこどこの大学はどこから一億何千万あれをもらっているとか、あるいは二億もらっているとかいうことをかなり調べたものを見たことがある。大体概算で一体どのくらいのものが入っているか。
  126. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 多少古うございますが、昭和四十二年度に大学に部外から入っておる経費を調べたことがございます。そこでたしか約百億円くらいの数字が出ております。その中にたとえば科学研究費のように文部省から出るものもございますので、それらを除きますと、民間から入っておるものはおそらく五十億程度ではなかろうかと思います。
  127. 小林武

    小林武君 いま何だかわきのほうから、もう一週間くらいこれは審議しなければだめだという話ですが、そういうわけにもいきませんからきょうはこれでやめますけれども、これはちょっとけた違いですよ。私は何も因縁つける意味で言うわけじゃない。この国立学校特別会計を見て、とにかくこれはわずかなことですから、こんなもの何ぼしろうとでもわかるのです。そうするとこの金額で、この総額の金というのは、それは確かに総予算の中で見ればやはり相当目につく予算かもしれない。しかしながら、これはほんとう大学というようなものが、いまの数からいって、それからその中で十分に大学大学らしいような行き方ができるというようなことをするためには、もっと膨大な金が必要なんだという事実はこれは明らかにしなければならぬ。そこで私は文部大臣にこのことをひとつお願いしたい。これは党派とか何とかいうことでなく、やはりこれは明らかにしなければならぬことですから、一体どのくらいあればいいのかという検討はすべきだと思うのです。どのくらい入っているかということも明らかにすべきですよ。それを全部まかなうことはできなくても、それにだんだん近づけるということは必要じゃないか。そういうことをやらんというと、私は大学自体の内部の中にいろいろな問題が起こって、そうして今度の紛争の中にもそういうことが一つ原因になっているということが言えると思うのです。  それからもう一つ申し上げたいことは、先般質問いたしました大学院、私はいまの大学院制度というものをやはり充実しなければいかぬ、しっかりした目的を持たした、性格を持たした形で充実させなければいかぬ。そのことを怠った場合においてはこれはたいへんなことになる。そういう意味から、大学院学生というものは一体どういう生活をしているかということの調査をやるべきですよ。東大におけるところの無給の医師が東大の大きな問題になっているということは御存じのとおり、大学院学生というもの、将来日本の学術なり何なりを背負って立つというような人たちのためを考えましたならば、私はここでどうして生活をしているかということを考えればいいのです。私はここに資料を持ってきていますけれども、どういう生活をしているか、うちから幾ら仕送りを受けているか、それから育英資金をどれだけあてにしているか、あるいは結婚した者は共稼ぎをやっているとか、いろいろそういうことをやっている、あるいはアルバイトをやっている、こういうことによって自分の生活というものがどんなに研究というものから——そういう生活のために研究の時間を奪われているかということ、どっちが本職だかわからぬことになっているという、そういう嘆きがあるということを考えますときに、私はやはりそういう面の奨学金の問題についても、検討する面が非常に多いと思います。まあ短い時間でございますから、これからはひとつ一般的な質問の中で再々文部省にお尋ねをいたしたいと思いますので、きょうはこれで終わることにいたします。
  128. 鈴木力

    ○鈴木力君 時間がきわめて少ないので、あまり大きな問題はお伺いしませんが、この国立学校設置法の改正をずっと今日まで続けてまいりました懸案事項について若干伺いたい。時間がないから率直に伺いますが、その一つは、例の電波高等学校ですね、電波高等学校を専門学校にすべきであるということは、商船高等学校を商船高専にしたときに、そのとき以来参議院文教委員会では高専にすべきであるという決議も二回繰り返している。したがいまして、大臣も、当時の大臣はその趣旨に沿って善処するという意味の御答弁を二回繰り返しておられますが、昭和四十一年から始まっているのでありますから、現在どういう状況になっているのか、ひとつ伺いたい。
  129. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 私どもとしましては、前向きで検討すべく専門的な関係者にお集まり願って、まずもってこの関係の電波技術者を需要する向きの意見、それから学校関係の意見を含め、さらに高等専門学校にする場合にいかなるカリキュラムが成り立つかというような専門的な委員会、それらを並行的に進めております。で、近く結論を得まして、次年度を目標といたしまして前向きで処理したい、かように思っております。
  130. 鈴木力

    ○鈴木力君 そういたしますと、その専門家の意見を聞いているというのは、昇格といいますか、専門学校をつくる、そういう一つの方向で具体的にどうするかという検討をしているという意味ですね。
  131. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大体そういう方向でございます。
  132. 鈴木力

    ○鈴木力君 この件はわかりました。  もう一つのことは、これもこの国立学校設置法審議するために出てまいりましたことで、養護教員養成所の問題、これは今回養護教員養成所が一つだけできるわけですけれども、毎回議論をされておって、これは定数法の議論のときに議論は尽きておると思いますけれども、少なくとも各校に設置しなければいけないということで、これはもう全部認めておる。したがって、それがいまのようにこの養護教員がきわめて少ないので問題が起こっているわけですが、定数法でもある程度は配慮はされた。しかし、あるべき姿と比べるとほど遠い現実なんでありますから、したがって、この養護教員の問題は抜本的に対策を立てるべきだという意味の附帯決議になっているはずなんです。これはもう養成と、それから定数の配置との問題は、両方かみ合っているわけなんです。したがって、今度は千葉大学一校だけをつける、これだけではわれわれの意思にこたえるということにはならないと思うんです。したがって私は、この法案にはそれだけなんでありますけれども、これ以外に将来どういうことを考えているのか、具体的に何か検討されているのか、それを伺いたい。
  133. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 御案内のように、養護教員の養成、あるいは供給源というのは多岐にわたっておりまして、大学、短大それから養成所、あるいは看護婦からの転換等がございます。現在、大学局としましては、初中局の定数充足計画とにらみ合わせまして養成体制の整備をはかっておるわけであります。現在の計画でまいりますと、今次計画目標の四十八年までには、養護教員の免許状取得者は四千名を上回ることが見込まれております。現状では、大体年間の需要が千名程度でございますので、飛躍的な定数増があれば、またその時点で考えますが、漸増的な定数増計画に対しましてはほぼ支障がなく供給できる見通しを持っております。
  134. 鈴木力

    ○鈴木力君 時間がないから議論はしないんですけれども、いまの局長の答弁のようなことが繰り返されたので附帯決議になっているんです。経過ははっきりしておる。それは何かというと、定数法に見合って需要に間に合いますからけっこうですという意味のことを言っておられた。これが繰り返されたんです。ところが、実際はあの学校教育法を読めばわかるとおり、附則で特例規定をつけておる。あるいはただし書きで、附則だったか何か忘れたけれども、その特例としておるのは何かというと、養護教員の制度をつくったときに有資格者が足りないので当分の間置かないことができるという意味ですよ。これがほぼ通っているわけなんです。だから抜本的に計画を立てるべきだという意志は、定数に見合うものが需要に見合うという考え方じゃない。そうじゃなしに、学校教育法に見合ったものに近づけるのにどうするかと、こういうことなんです。だから、これは養成の問題だけにいくわけにもいかない、定数だけでいくわけにもいかない。これは文部省全体の問題なんです。これが三年目になってまた同じことを繰り返すというようなことなら、これはもう附帯決議なんということはどうお読みになっておられるのか、あるいは文部省ほんとうに養護教員という問題を解決しようとする真意があるのかどうか、どうも疑わしくてしようがない。これはもう局が違うからと言うかもしれませんから、大臣にこれについての答弁を再度伺いたい。
  135. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) これはもうこの前の定数法のときにもお答えをいたしましたように、養護教諭につきまして将来計画を立てたいということは申し上げたわけでございます。その線に沿いまして十分この附帯決議の線に沿って努力をいたす所存でございます。
  136. 鈴木力

    ○鈴木力君 最後に、これは繰り返してもしようがないのですけれども、少なくとも来年までには具体的なものをこの程度で検討しているとか、何か具体的なものを示してもらわないと、これはもう話だけではどうにもがまんができないと思いますから、それは要望しておきます。  時間がなくなったんですけれども、もう一つだけ、これはまあ要望になると思うのですが、この委員会でも何べんか教育事情の視察等もいたしまして、委員会の調査報告等も出ておる。その中に、現在の教育の中で養護教育ですね、養護学級なり、あるいは養護学校なり、こういう面の教育についてきわめて教師が足りない。それから教師の養成する機関がないということが大きな障害になっておる。このことはもう報告済みなわけです。たとえば言語障害児がいる。言語障害児を普通の小・中学校や高等学校でこれを教育をする特殊な技能を持った教師がいなければ、この教育ができない。そういう脳みを現場で持っておるということは、もう御存じのはずです。ところが、この国立学校の少なくとも附属に、こういう施設というのはきわめて私は足りないと思う。養成関係と合わしたそういう研究機関、あるいは実習機関というような、少なくともその付属にそういう面をもっともっと充実をさせる時期が来ておるのじゃないか、こういう感じがするんです。時間がありますというと、統計や何かで数字でもっていきますと、もっとはっきり申し上げられると思うけれども、きょう時間がありません。文部省として、いまのこの種の問題について真剣に取り組んでいただきたいと思う。そうして少なくとも養護学級、あるいは養護学校というのが相当程度にいま普及をしてきておるわけなんであります。それにこたえる教員の養成ということを、この国立学校設置の段階で真剣に考えなければいけないと思う。それを一つつけ加えて要望を申し上げまして、私の質問をこれで終わります。
  137. 川村清一

    ○川村清一君 質問時間はたった十分でございますのできわめて事務的な問題をお尋ねしたいと思います。  国立学校設置法施行規則の別表第一に、国立大学の教職員の定数が規定されておるわけであります。私はこの中で教諭の定数についてお尋ねしたいわけでありますが、たとえば教諭の欄に、北海道教育大学八十四、弘前大学六十五とか岩手大学四十三とか、こういう規定があるわけであります。これはもちろん別表の第九ですね、九の教育大学教育学部あるいは大学教育学部設置せられております附属小学校、中学校あるいは幼稚園の教諭の数を規定したものであると、こういうふうに理解しておりますが、私のお尋ねしたいのは、この大学の附属小・中学校——幼稚園はまあ除外します。小・中学校、いわゆる義務教育の小・中学校の教諭のこの数というものは何を根拠にし、何を標準にしてこれを規定したものか、そこをちょっとお尋ねしたいわけであります。
  138. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 大体公立学校の定数基準を標準といたしまして、国立学校の場合は大学の行ないます教育実習あるいは教育研究に協力する関係がございますので、その要員の分を若干見まして計算をいたしております。
  139. 川村清一

    ○川村清一君 そうしますと、全国のすべての大学の附属小・中学校の教諭の定数というものは、やはり大体同じ標準でこれは算定されて規定されておりますか。
  140. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 考え方としては同じ基準でございますけれども、沿革的な事情で多少の出入りはあるようでございます。
  141. 川村清一

    ○川村清一君 そこで、われわれが定数法の審議をしたときに文部省からいただいた資料によりますというと、「四十三年度附属学校職員配置状況」というこの表によりますというと、小・中学校ともただいまの局長の答弁のように、大体というんでなくてずいぶん違っておる。学校によって非常に違っておるという点があるわけでありまして、たとえば中学校一つ例をとりますというと、十二学級の学校におきましては最高が二十八人最低が二十人、八人の教諭の差があるわけでございます。十五学級にまいりますと最高が三十二人最低が二十六人で、六人の差があるわけであります。小学校等におきましても十八学級の小学校では最高が二十七人、最低が二十二人と、五人の差がある、こういうことになってくるわけでございますが、これは一体どういうわけなのか。それからわれわれの見解から言いますならば、これは大学の附属小・中学校であっても義務教育でありますから当然公立義務教育の定数と同じように学校によって差がつくということは、これは了解できないわけであります。どうしてこの最高と最低にこんな大幅な差が出てくるのか、この点を納得いくようにひとつ答弁願いたいと思います。
  142. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) まあ主として沿革的な事情でございまして、現在の国立大学の附属小・中学校は旧制の師範学校あるいは高等師範学校等等の附属学校を切りかえたものでございまして、切りかえ時においては相当の出入りがございました。  そこで、文部省としては、最低のほうは少なくとも基準に満ちるようにまあ引き上げてまいったわけでありますが、最高のほうを削るというようなことはいたさなかったものですから、現状においてなお差があるという結果になっておるわけであります。
  143. 川村清一

    ○川村清一君 私は、大学の附属小・中学校の教諭の定数については、当然公立義務教育学校と同様、学級数に応じた標準定数というものをまず規定すべきである、その上に立って、この大学、まあ教育大学あるいは大学教育学部の附属小・中学校の任務というものは、公立学校以外にもやはり教育実習とか研究とか、そういうものの使命を持っておるわけでありますから、標準定数の上にそれをかさ上げしていく、こういうふうに相ならなければならないと思うわけであります。学校によって差をつけるといったようなことはまずいと思いますが、学術局長のお考えをいただきたいと思うことが一点と、それから、参考のため、私も勉強したいので、別表第九において、全国の学校ありますね。大学に付属されておるこの小・中学校の学級数とそれからそれに実際に配置されておる教員数を出していただきたい。たとえば、北海道教育大学八十四と、こう出ておりますが、この八十四というのは札幌、旭川、函館の小学校、中学校の教員の総数だと思うわけでありますが、それを学校別に分けて、一体札幌の学校には何人いるかというように、実際に配置されている数字を全国の附属校に分けて出していただきたい。これはちょっと時間がかかると思いますから、時間はまあおかししますけれども、いつかまたいろいろ研究してみたいと思いますから出していただくことをお願いします。  それから、もう三分ほどありますからもう一点お尋ねしますが、先日いただいた「昭和四十三・四十四年度大学の創設、学部の創設、大学院の新設等に関する要求・査定一覧」というこの表でございます。ここでお尋ねしたいのは、昭和四十四年度のところで、「上記のほか、大蔵省に要求したもの」というこの欄の中に、秋田大学とか大阪大学とか山梨大学とかありまして、横のほうに「創設準備費計上」という注と「創設準備費要求」という注書きがあるわけでありますが、準備費計上というのと準備費要求というのとはどう違うのですか。
  144. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) まず御質問の前段の、附属小・中学校の教員の定数の計算の考え方でありますが、考え方としてはもう御指摘のとおりそのようにやるべきものと考えておりますが、まあ実際問題として調整がなかなかつかないというのが実情でございます。  それから、後段の御質問でございますが、創設準備費要求をしたものは、たとえば秋田大学につきましては、元来が準備費の要求をしてそのように認められたわけであります。それから、大阪大学につきましては、創設の要求を出しましたけれども、まあ結果的に準備費計上に終わった、そういう差でございます。  資料につきましては整えまして御説明申し上げます。
  145. 川村清一

    ○川村清一君 先を急ぐものですから、恐縮ですが、この「計上」というのと「要求」というのがあります。ここの欄は、今度は四十五年、明年度にいきますというと上の「設置されたもの」というところにつながっていくと思うのですが、この表から推察いたしますと、これはまあ間違いかどうかわかりませんが、私のしろうと考えでは、「計上」というほうが優先的に「要求」よりもいくのではないか。そうすると、四十五年のときには「設置されたもの」という欄に秋田大学がまずこう上がっていくのじゃないかと、これはまあ大蔵省が認めるか認めないかによってこれは違いますけれども、常識的に考えるというとそういうことになるのではないかと思いますが、これはどうですか。
  146. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 御指摘のとおりでございまして、秋田、大阪につきましては創設準備費が計上されております。そこで、目下準備をしております。準備が整い、来年度は創設そのものの要求をして、認められれば学部設置に入る、かようなことになります。それから京都大学等の準備費を要求したが、認められなかったものにつきましては、四十五年度どうするかにつきましては、これからさらに検討することに相なります。
  147. 川村清一

    ○川村清一君 最後の質問ですが、決して私はそれに対して別段文句をつけているわけでもありませんし、深い根拠があるものでもないわけであります。ただ、ちょっと納得いかないのでお尋ねしているわけなんですが、そういうことになりますと、今度は四十三年と比較してみると、四十三年のところで「大蔵省に要求しなかったもの」という欄がありますね。ここに秋田大学があるわけです。それで、その要求しなかったものの秋田大学が、四十三年度で大蔵省に要求したもので四十四年度で「設置されたもの」の中に入らなかったもの、いわゆるこれは大蔵省に認められなかったものがそのまま横すべりいたしまして四十四年度にも「上記のほか大蔵省に要求したもの」の欄にあるわけであります。ところが、秋田大学は「大蔵省に要求しなかったもの」に四十三年度入っておって、四十四年度には四十三年度に要求したもののほかの学校全部を抜いていきなりトップに出てしまっているということは、これはどうも私は常識的に納得いかないわけであります。これは決して私は文句をつけているわけじゃない。何も深い根拠があって申し上げておるわけじゃないのですが、行政というものは、それはまことに公正であってまた明朗でなければならない。私は疑義を感ずるくらいでありますから、これは国民にこの表を上げてこれを検討してみたら、これは妙だなあと、こういうふうに疑義を持つと思うのですが、そこで、どうしてこういうことになるのかということをお尋ねしたい。こういうことはやはりはっきりしておかないと、いたずらに国民に非常な疑惑を持たせることにもなりますので、この点ひとつはっきりさしていただいて、私の質問を終わりたいと思います。
  148. 村山松雄

    政府委員村山松雄君) 学部学科の創設の要求につきましては、やはり毎年度検討するわけでありまして、検討の中身は、当該学部の社会的な需要でありますとか、当該大学の準備の状況でありますとか、それらを勘案するわけでございます。  医学部につきましては、前回でも御説明申し上げましたように、終戦後国立の医学部創設というのはございませんでした。そこで医学部に対する要求はきわめて強い。ほかの薬学とか歯学とかというものにつきましては若干ずつつくっておりますし、薬学士あるいは歯科医学士に対する需要といったようなものも医学に比べるとやや余裕があるというようなことからいたしまして、四十四年度につきましては、秋田大学が取り上げられ、その他の大学は見送られた、こういう経過でございます。
  149. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) ちょっと、予算のときに私が考えましたのは、ことし紛争があるということが一つやはり頭にありました。それからもう一つは、東京とか京都とかというふうな非常に大きいところは、やはりむしろ複雑多岐になるのでなるべく遠慮すべきじゃないか、むしろこれから先は、やはり地方大学充実していこうということが頭に一つありました。そういうようなことを一つ尺度として査定もいたし、また大蔵省とも折衝したということを申し述べておきたいと思います。ただ、その中で、原則で、それなら大阪大学の溶接研究施設はどうだ、あるいはまたあそこの社会学部はどうだというようなことでございますけれども、これは社会学部と申しますが、中身は人間科学部と申しますか、今日の大学紛争のスチューデント・パワーなんかを研究する問題も含んでございますし、こういうような新しい学問というものがどこの大学にもないというようなきわめて特異な学部である。むしろこういう学部は認めるべきであるという考え方、それから溶接の施設につきましても、これは従来、大阪大学がその方面の非常に充実したスタッフを持っておられまするし、当時御承知のタンカー船が折れたというようなこともございました。そのほうも考慮してそういうような査定をいたしたわけであります。
  150. 秋山長造

    ○秋山長造君 ことしもまた毎年の例にならって若干の学部学科大学院が新設されるわけであります。これは何ですか、文部省国立大学全体についての一つの基本計画のようなものがあってやっておられるのか。それともそれぞれの大学なり地元なりからの要望が出たり陳情があったりして、まあ、いいことばで言えばケース・バイ・ケース、悪く言えば出たとこ勝負で認めておられるのか、どっちなんですか。
  151. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) いまのお尋ねは一番の核心に触れる問題だと思います。私はやはりこれは長期的な一つ教育計画あるいは高等教育機関をどうするかあるいは日本列島の中でどうするかというようなことがやはり前提になって、ある程度そういうようなイニシアチブをとって文部省考えていくべき問題ではないかというふうに思います。ただ、いま御承知のように、大学とは何ぞやと、大学をどうするかというような問題もございますので、急にそういうような活動もやれない事情にあるかと思いますが、しかし御指摘のような関係は確かに従来あったケース・バイ・ケースというようなことで処理してきたといわれてもしかたがないようなところはあるというふうに思うわけでございます。ただ、ことしは、先ほども申し上げましたような意味合いにおいて地方大学充実していこう、将来やはり地域の住民に研究の成果がある程度還元していくという大学のあり方というものが望まれてくるということは、何人も肯定されることではないかというようなことから、そういう一つ基準を頭に置いて大蔵省と折衝したということを申し上げておきたいと思います。
  152. 秋山長造

    ○秋山長造君 よく大臣国立大学が七十五もあって云々ということをおっしゃるのですが、国立大学が七十五あるというのは、これは多過ぎると思っておられるのですか。まだ少ないと思っておられるのですか。この点イエスかノーか。
  153. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) いや多過ぎるとも思っておりませんし、少な過ぎるとも思っていないのです。ただ、国立大学の運営のやり方そのものがいいのかどうか。たとえば日本の明治以後勃興してきたときにおいて、国立大学の意味というものが非常に大きかった。しかしそれほどの重さを、国立大学という形において重要であるかどうかというものは、もう一ぺん見直されなければならないときに来ているのじゃないだろうかということでございます。それから、先ほどから小笠原さんやその他の方々小林さんからもございました。百二十六万云々ということをおっしゃいますけれども、それは東大は百二十六万、一般の国立大学が七十六万、ところが百五十万の学生のうちに三十万が国立大学ですよ。百万というものが私立大学ですよ。その百万の私立大学の一学生に対しては国は一万円以下しかやっていないのです。こういう意味合いにおいてあれを出しておるわけです。その点はひとつ小林さんも小笠原さんも御了承願いたい。こういう意味なんで、むしろ秋山さんが御指摘になった意味において、国立大学というものはどうなのかということは、ここで一ぺんお互いに考えてみるべき問題ではないだろうか、このかきねを取っ払うことがいいのか悪いのか、やはり国立大学国立大学として残しておくほうがいいのかどうかというようなこと、むしろそこに紛争が非常に多くなってきておるところに、親方日の丸の無責任体制があるのじゃなかろうかというような気がいたしますものですから、それを申し上げたわけでございます。しかし私は、やはり私立大学でございますと、ある程度都市集中と申しますか、そういうところでなければ成り立たないということから考えますと、むしろ国立大学というものはもう少しできても場合によってはかまわない。非常にこれは抽象的なものの言い方でございますけれども、そういう性質のものではないかというふうに考えるわけでございます。
  154. 秋山長造

    ○秋山長造君 以上の二点については、また別な機会にもう少し突っ込んだ御質問をしたいと思います。  最後に、きのう、国大協と総理大臣以下との懇談があったわけですが、その席上で総理大臣が、教育の基本問題それから大学制度改革の問題、こういう問題を扱うのには、現在の中教審は不適当だ、何かいずれ別個の新しい諮問機関が必要だというような御発言があったように報道されておるのですが、これはまあ文部大臣も同席されたんだろうと思うのですが、具体的にどういうものをつくるという意味なのか、それから受け取りようによっては、いまの中教審では年齢が少し高過ぎて、新しい大学制度の構想をやるのにはちょっと不向きだというような批判も政府部内にあるやに聞いておるのですが、受け取りようによっては、いまの中教審の不信任ということにもなると思うのですがね。そうなると中教審というものとどういう関係になるのか、あるいは中教審はもう廃止するということになるのか、そこらの点。
  155. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 私もけさの新聞を見まして実はびっくりしたわけなんであります。と申しますのは、二時から一時間だけ私は立ち会いまして、三時から四時までは立ち会っておりません。でございますけれども、あとでお話をちょっと、立ち会っておりましたうちの事務次官からも伺いましたし、それから私が立ち会っておりましたときに、それに関してちょっとこういうことを申されたわけです。この当面紛争法案という、これだけで大学紛争解決すると思わないし、その大学紛争のよってきたる原因というものは非常に複雑多岐なんで、やはり大学全般の基本あるいはまた大学につながるところの六・三・三・四あるいはむしろ就学前の幼稚園教育までも含めた制度というものをもう一ぺん見直す必要があるんじゃなかろうかということをむしろ述べられたわけでございました、私がおりました間に。ところがあとでも、その中教審のメンバーの一人でありました芸大の学長の小塚先生が、自分中教審の委員としておってみて、やはり自分の独自のスタッフといいますか、そういうものを持ったならば、もうちょっとうまく中教審自身が動くんじゃなかろうか、こういうような意味合いのことをお話しになったというふうに私は実は聞いているわけでございます。その意味がどういう意味でございましたのか、もう少しひとつ総理やそのとき御発言になった方々によくお話を聞いてみませんと、その辺誤解されるんじゃないかというふうに思っておるわけであります。
  156. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 他に御発言もなければ、質疑は尽きたものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  157. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより討論に入ります。御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べを願います。
  158. 安永英雄

    ○安永英雄君 本法案にかかわります問題は、抜本的に改めなければならない問題がたくさんあると思います。しかし当面の問題として、この法案に賛成するという立場で意見を申し上げたいと思います。  一つは、大学における学部大学院設置について、日本の将来に対応する大学のあるべき姿というものを見通した設置計画というものを早急にひとつ樹立してもらいたいということであります。大臣もいまもおっしゃったわけでありますが、私の質問のときにも大まかなビジョン、大綱、そうして長期展望を出す責任があるというふうな言明もありましたが、やはり将来の高等教育に学ぶ人口がどうだとか、あるいは国民大衆へ門戸をあける大学といえばどういう数でどういう学科でというような問題も早急に樹立してもらって、行き当たりばったりな設置ということではいけないという点を強調しておきたいと思います。  二番目に、新制大学の性格というものについて、今日ほど混乱しているときはないし、国民のための大学、大衆のための大学というこの新制大学の建学の精神、こういったものをこの際ひとつ確立して再出発をする時期だというふうに考えます。特に大学紛争原因にもなっております旧七帝大から残っている講座制といったもの、この中から閉鎖的なあるいは職階制、あるいは絶対服従あるいは徒弟制度、こういった問題が生まれてきて、学問の自由、研究の発展というものに対する自由がこの中から生まれてこないということも、この法案審議の中で明らかになったところでありますし、この弊害と欠陥を早急に解決する必要がある。大臣もまさにこの課題というものは大学紛争一つの課題であることははっきりしているという認識も持っておられますし、現在の大学の中の矛盾、こういったものを早急に解決する必要がある。  三番目には、施設設備の問題でありますが、これは十分な予算というものを組んで、全額国で持つという方針でもって努力を進めていくべきだということであります。これはもう例を申し上げませんけれども、この点についても、大臣からもそういった努力をするという言明もありましたし、この点産学共同の問題といい、あるいは今度の大学紛争一つ原因といい、すべてここらあたりから出てきているというふうに考えますし、私はその点の早急な取り組みが必要であるというふうに考えます。  次に、大学学問研究、こういったものの中に資本企業、こういったものが入ってきて、むしろそういった研究学問というものを従属させようというような危険を私は感ずる、こういった点については早急に従属化というものを防ぐ措置というものをとるべきであるということであります。企業に結びついた一部のものが資金源を握って、そうして大学全体の研究者を支配する、こういった方向を確かにとりつつある。一企業の寄付によって新学科の新設、こういったものまでも左右されるという現実を私は知っておりますが、こういったことはあってはならない。大臣はあくまでもこの委託研究というものは推奨すべきであるということばもありましたけれども、しかし、私がいま言った点については確かに否定をされたわけであります。こういった点、やはり三番目の私が申し上げた施設設備あるいは研究費、こういうものを十分に国立大学には国が持つという立場を確立しなければ、こういった弊害は除かれないということを申し上げたいと思うのであります。  最後に、養護教員の全校配置を早急に実現すべきであるという点であります。昭和四十三年度における公立の小・中学校における養護教員の配置状況を見ますというと、学校数が三万二千七百四校、養護教員数が一万三千百六十四人、配置率は四〇%、こういった状態であります。本年度から発足しましたこの義務教育学校の学級編制及び教職員定数の標準の改善五カ年計画、これが終了しますのが四十八年でありますけれども、これは結局四十八年の時限を考えてみましても、公立の小・中学校の養護教諭数は一万六千四百九十四人、配置率は五〇%という状態になる、これではほど遠いわけであります。それから養成機関から公立の小・中学校への養護教諭への就職者、これは毎年約千二百人程度というふうに見込まれます。したがって、現在の養成計画でまいりますというと、全校必置を実現するためには、大体年々三%程度の退職者の自然減がありますが、それを見越しますというと、四十八年度以降大体私の計算では全校必置は二十年かかるわけであります。これでは私は法律の趣旨からいっても、あるいは現状からいっても、とてもいまの計画を進行していっては全校必置などということはおよそできない、こういう見通しもありますので、この点千葉大学に養成機関を今度設置されたということは、これは一つ前進だとは思いますけれども、これはそういった少しずつの養成機関をつくるというふうなことではなくて、抜本的に各都道府県に国立大学等で正規の養成機関をつくって、コンスタントにこういった養護教諭の養成をはかっていくということが急務ではないかというふうに考えます。  以上五点の意見を付しまして賛成をいたす次第であります。
  159. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 他に御意見もないようでございますが、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  160. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 御異議ないと認めます。  それではこれより採決に入ります。  国立学校設置法の一部を改正する等の法律案を問題に供します。本案に賛成の方の挙手を求めます。   〔賛成者挙手〕
  161. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  なお、本院規則第七十二条により議長に提出すべき報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  162. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日は、これにて散会いたします。   午後二時二十三分散会