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国務大臣(
坂田道太君) 非常に広範な御
質問でございますが、ただいま
学生たちは
入学はした、しかしながら
授業も再開されないままでおるということについて非常な不安と焦燥とを感じておるということは、私もよく承知できるわけでございます。またその
父兄の
方々も御
心配になっていることをともに私は憂える一人でございます。現在
大学、ことに
国立大学におきましては七十五校のうちに三十二校が
紛争いたしておるわけでございまして、あるいは封鎖、占拠あるいは
授業がなされておらない、おそらく
国立にいたしますと、
新入生だけでも一万三千七百十五人の
学生が
自宅待機を余儀なくされております。
公立が千四百五十八人、
私立が一万九百八十八人、合計二万六千百七十一人、これは五月二十九日で調べましたものでございますが、二万数千人の者が
入学をいたしましたけれども
自宅待機をしておる。また、二年、三年、四年をひっくるめますとおそらく十万以上の
人たちが
授業がないままにほったらかされておるということで、これはまことに私は異常な
事態だと思うわけです。ことに
国立は
私立よりも
教育条件は非常にいい、あるいは
授業料にいたしましても御
指摘のとおりに一万二千円、
私立のほうは十万円あるいはそれ以上のいろいろの名称によるものを取られている。そういうことや、あるいは一
教官あたりの
学生数にいたしましても比較にならないほど
国立の場合はいいというにかかわらず、
国立七十五校のうちで三十二校がそういう
紛争校である。ところが
私立のほうは二百七十校のうちに九校程度であるということは、一体どこからそういうことになるのか。何が
原因なのかということを
考えましたときに、簡単に
考えられることは、
国立の場合には
親方日の丸で
無責任態勢がとり得る。たとえば一年間も
授業をしなくても
自分の生活には困らないというような
身分保障が非常に手厚くなされておる。このことが同時に
学問の自由というものを認めることではございますけれども、どうもその
学問の自由を認めることと
大学の
先生自身が社会に対して
責任を持つということ、それはやはり両方兼ね備えなければならない問題だと思うのでございますが、そういうことに対する
責任というものがはたして十分に
考えられておるかどうか。
私学の場合でございますと、もう一回
入学試験でがきなかったならばその
学校全体がつぶれてしまう。
学校とともに教
職員もつぶれてしまう。こういうことをひしひしと感ずるがゆえに、やはり
大学改革、
大学の再建あるいは
教育の
正常化についての心がまえが違うんじゃなかろうかというような気もいたすわけでございまして、そのような点が、いま
大学教授たちは一体何をしておるんだということが問われているんでないだろうか。そういうような状況において、ただ
大学の
自治を尊重しなければならないから、またそれに対して
指導、
助言あるいは何らかやることすらこれは
自治の介入であるといって済まされる問題であるかどうか。私は
国民の
方々やあるいはいま御
指摘になりました
学生たちの心情を
考えますときに、その最終的な
責任を持っております
文部大臣といたしましては、このままで過ごすわけにはまいらぬというふうに思いまして、
中教審の御
答申もございます、で、その
中教審の御
答申を見ますと、各般の
指導、
助言及び
行政措置あるいはまたいろんなことを
答申なさっておるわけでございますが、その中におきまして、この
紛争処理について有効な手だてというものが何かないか、もともとがやはり
大学みずから自主的に
解決するということが望ましいのであるが、その
自主的解決の努力を助けるというあらゆる
手段を講ずるということをまず第一にやるべし、そうしてそれがどうしてもいけない場合は、やはりある程度
文部大臣が
勧告をする、いろいろの
非常措置について、とるべき方策についての
勧告をできるようにしたらどうだろうか、あるいはまたどうしても、もう
授業放棄され、あるいは占拠され、にっちもさっちもいかなくなった、
学生も
教育研究ができない、
先生も
研究もできないと、そういう
事態になったならば、
教育研究を一時停止して、そうしてお互いに頭を冷やして
考え直すということによって収拾をはかるということも
考えたらどうだろうかというような
答申もございまして、
必要最小限度のそういうような
中教審の御
答申も踏まえました立法をただいま
国会に
提出をいたしておるわけであります。
しかし、私も単に
一片の
法律でもってすべてが
解決するとは思いません。しかし、この
法律が
一つの
紛争解決の
糸口になるというふうには
考えておるわけでございます。また
大学の問題というのはしばしば私が申し上げておりまするように、複雑ないろいろの
原因をかかえておるわけでございますから、
一片の
法律やあるいは短時間で
解決する問題だとは
考えておりません。相当時間をかけて、そうしてじっくりと、御
指摘のように新しい
国民のための
大学、閉ざされた
大学から開かれた
大学という、その開かれた
大学というのはどうなければならないかというようなことをやはり明確にして、その中において
解決をしていくということでなければならぬのじゃないかと思います。また、その開かれた
大学、
国民のための
大学というのは一体どういうものかということにつきましては、この六月以降
中教審のやはり御
審議をわずらわしたいと
考えております。いずれまた御
答申があると
考えております。われわれ自体も、それについていろいろの
構想を描いているわけでございます。たとえて申しますならば、はたして今日、国・公・
私立というふうに分かれておりますけれども、
国立にはそのような手厚い
政府の
経費が支払われているにもかかわらず、同じ
学生一人
当たりに対してきわめて少額しか国が援助しておらないということはどうなのか。世界的な
大学、世界のいろいろの例を見ましても、今日では
設置者が
国立であるとかあるいは州立であるとかあるいは
私立であるとかというようなこととは別個に、やはり
公教育あるいは公の
高等教育機関という形において相当の国の
支出をしているということを
考えた場合に、この国・公・
私立のかきねをある程度撤廃するというようなことも
考えられないか、あるいは
大学についてももう少し
種別化をやる必要があるのじゃないか。
大学院を
中心としたそういう
学問研究を
主体とした
大学、あるいは
一般高等職業教育ということを
中心としたような
大学というような仕分けがある程度必要ではないだろうかというような、いろいろの
国民のための
大学の像というものが
考えられていると思うわけでございまして、そういうような
構想を描きつつ、やはり当面の問題は当面の問題として処理していかなければ、いま困っております
学生にもこたえられないし、また
心配している
父兄の
方々にもこたえられないのじゃないかというふうに思うわけでございます。
私学につきましては、細々ではございますけれども、
昭和四十四年度、ことしの
予算におきましても多少は
私立学校振興会の
経営費の
貸し付け金を、十億から五十億円に増額いたしましたし、あるいはその
貸し付け利率の引き下げと
貸し付け年限の延長をはかるというようなこともいたしたわけでございます。あるいはまた
私立大学教育研究費補助金を三十三億円にいたしまして、昨年度は
光熱水道費というものを認められなかったわけでございますが、これを認められなかったために、せっかく三十億円の
予算があったにかかわらず、実際それを
私立大学でこなしきれなかった。そのこなしきれなかった
原因というものが、むしろ
光熱水道というものをこの中に入れなかったというところに問題があるので、その点を今後の
予算折衝におきまして
大蔵大臣とよくお話し合いをいたしまして、
光熱水道にもその
補助対象を拡大した。これは
一つの
前進だと私どもは
考えているわけでございます。しかし、こういうようなことではとうてい今日の
私立大学の
紛争の
原因となっておりまする
授業料の引き上げであるとか、あるいは
教育施設設備の
充実であるとか、あるいはまた
教官の待遇が、毎年毎年
国立については上がっていく、
公立についても上がっていくにかかわらず、
私立は
授業料を
主体としてしか財源をまかなわれないという今日の実情から
考えて、何らかの
経常支出というものを国に仰がなければならないというせっぱ詰まった気持ちもあるわけで、この辺の
私立大学に対する援助をどうするかということはわれわれに課された大きな課題であるというふうに思っているわけでございまして、これをどういうふうに処理していくかは今後の問題と
考えますけれども、御
指摘の、
私立大学に対して何らかの助成をしていくという方向は、
先生の御
指摘のとおりというふうに
考えております。また今日の
大学管理、この
大学の
運営法につきましては、いよいよ
国会に
提出をいたしたわけでございますが、いずれまた
皆さま方の御
審議をわずらわしたいと思います。ただ私は、これによって直ちにこの
紛争がおさまるとは思いません。しかし先ほど申しますように、これがきっかけとなって、
糸口となって、
紛争への
解決の
糸口は確かに開かれるというふうに
考えておるわけでございまして、どうかひとつ
皆さま方の御協力をお願いしたいと
考えておる次第でございます。