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1969-03-20 第61回国会 参議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十四年三月二十日(木曜日)    午前十時十六分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         久保 勘一君     理 事         楠  正俊君                 中村喜四郎君                 川村 清一君                 小林  武君     委 員         田村 賢作君                 大松 博文君                 永野 鎮雄君                 吉江 勝保君                 鈴木  力君                 柏原 ヤス君                 萩原幽香子君    国務大臣        文 部 大 臣  坂田 道太君    政府委員        文部政務次官   久保田藤麿君        文部大臣官房長  安嶋  彌君        文部大臣官房会        計課長      安養寺重夫君        文部省初等中等        教育局長     宮地  茂君        文部省大学学術        局長       村山 松雄君        文部省体育局長  木田  宏君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    説明員        文部大臣官房審        議官       西田亀久夫君        文部省体育局審        議官       中島  茂君    参考人        財団法人札幌オ        リンピック冬季  佐藤 朝生君        大会組織委員会        事務総長        財団法人日本体        育協会理事    前田  豊君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○札幌オリンピック冬季大会準備等のために必  要な特別措置に関する法律の一部を改正する法  律案内閣提出) ○教育、文化及び学術に関する調査  (昭和四十四年度における文教行政重点施策  に関する件)  (昭和四十四年度文部省関係予算に関する件)     —————————————
  2. 久保勘一

    委員長久保勘一君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  参考人出席要求に関する件についておはかりいたします。  札幌オリンピック冬季大会準備等のために必要な特別措置に関する法律の一部を改正する法律案審査のため、本日、参考人として、財団法人札幌オリンピック冬季大会組織委員会事務総長佐藤朝生君及び財団法人日本体育協会理事前田豊君の出席を求め、その意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  4. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 札幌オリンピック冬季大会準備等のために必要な特別措置に関する法律の一部を改正する法律案議題といたします。  まず、政府側から提案理由説明を求めます。坂田文部大臣
  5. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 今回政府から提出いたしました札幌オリンピック冬季大会準備等のために必要な特別措置に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  昭和四十七年二月三日から十三日までの十一日間にわたって、札幌市を中心に開催されます第十一回オリンピック冬季大会は、御承知のようにアジアで初めて開催されるものでありますが、本大会においても、世界各国に深い感銘を与え、多大の成功をおさめたオリンピック東京大会と同様な成果をあげるため、競技施設関連施設整備等、各般の準備について万全を期する必要があると思います。  この準備対策の一環として、国際親善のためきわめて重要な役割りを果たすオリンピック選手村を整備するとともに、報道関係者に十分な便宜提供するためのプレスハウスを用意することは、本大会成果にきわめて重要な関連を有するものであります。  本大会には、前回のグルノーブル冬季大会を上回る数の各国選手及び役員等の参加が期待されておりますが、このような多数の選手役員及び報道関係者などを収容する宿舎を、民間に求めることは著しく困難な事情にありますので、この際、日本住宅公団会場近辺建設する住宅財団法人札幌オリンピック冬季大会組織委員会が一時借り受け、これを提供することが最も時宜にかなった方法であると考える次第であります。  そのため、この法律案においては、日本住宅公団法規定する同公団業務のほかに本来の業務遂行支障がない範囲内で同公団建設する住宅財団法人札幌オリンピック冬季大会組織委員会賃貸できるよう所要の規定を設けることといたしております。  以上がこの法律案提案理由及びその内容概要であります。何とぞ十分御審議の上、すみやかに御賛成くださいますようお願い申し上げます。
  6. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 以上で本法案についての提案理由説明聴取は終わりました。  政府側から坂田文部大臣木田体育局長中島体育審議官参考人として財団法人札幌オリンピック冬季大会組織委員会事務総長佐藤朝生君、財団法人日本体育協会理事前田豊君、以上の方々が出席いたしております。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますのでこれを許します。鈴木君。
  7. 鈴木力

    鈴木力君 最初に大臣に伺いますが、この法律の出し方なんですけれども、どうも私はしろうとでよくわからないんですが、この法案を読んでみますと、改正になるのは住宅公団業務改正法案改正だと思うんです。そうして札幌オリンピック組織委員会のほうはその住宅公団住宅を借りることができるという法律、そうすると普通法律しろうと考えますと、貸す側の者ができるということを法律できめて借りるというのは、どうもちょっと私にはよくわからぬですけれども、こういう法律的な扱い方というものはどういう例によって扱うのか、ちょっと伺いたいんです。
  8. 木田宏

    政府委員木田宏君) お手元文部省体育局の名前でこの議題になっております法案資料をお届けしてあるかと思いますが、日本住宅公団法規定によりまして、ちょうど二三ページに入っておるわけでございますけれども日本住宅公団としてなすべき職務内容がうたってあるわけでございます。日本住宅公団はその一条の目的あるいは三十一条の業務内容として規定してありますように、一般的には住宅建設賃貸ということを目的としておるわけでございますから、それ以外の目的にその業務を拡大するということについては、法律の与えられました権限といたしまして問題が起こってくるわけでございます。そこで組織委員会札幌オリンピックを円滑に処理いたしますために必要な選手のための宿泊施設日本住宅公団協力を得て整備したいという必要のために、政府として日本住宅公団の特殊な職務特別法規定をしていくという、こういう必要が生じたからでございます。そこで、たまたまそういう特殊な札幌オリンピックを実施いたすために必要な特別の諸規定につきましては、すでに札幌オリンピック冬季大会準備等のために必要な特別措置に関する法律というものを御制定いただきまして、お手元資料の中にその法律も入っておるわけでございますが、従来組織委員会を結成し、その必要な組織委員会の受けるべき協力業務を、お手元資料の一一ぺージ法案があるわけでございますけれども国有財産無償で借りることができるとか、あるいは特別に郵便はがき等の発行に関連して協力を受けることができるとか、専売公社、国鉄からも特別の便宜の供与を受けることができる等の特例を書いた法律がございまして、ここにあわせて法律として書き加えまして住宅公団協力を行ないやすくする、こういう趣旨でこの法律案お願いしておるわけでございます。
  9. 鈴木力

    鈴木力君 その趣旨はわかるんですけれども、たとえばこの委員会でこの法案審議する場合に、これを修正することがありますでしょう。委員会審議権を持って審議するんですからね。その場合に、住宅公団業務遂行支障のない範囲内で賃貸することができるとあるから、これをこの場合には無償とすると修正した場合には、住宅公団はどういうことになるんです。困るんですか、困らないんですか。
  10. 木田宏

    政府委員木田宏君) 住宅公団住宅公団としての業務の経理を別にお持ちでございまして、現在組織委員会住宅公団と私どもとの間で相談をいたしておりますところは、やはりしかるべき対価によって借り受ける、有償で借り受ける、こういうたてまえで話をいたしております。住宅公団業務の詳細につきましては、私担当でございませんのでよくわかりませんけれども、普通の住宅をやはり住宅公団としての性格上、借り主から対価を取って回転をしていくという事業規模の形態を考えまして、その線に沿って、組織委員会としてもその使用期間中相当の対価で借り受けるという予定にいたしております。
  11. 鈴木力

    鈴木力君 私の聞いているのは、そういう趣旨を聞いているんじゃないんですよ。法律扱い方を聞いているわけですよ。こういう法律というのが適当なのかどうかということです。私は、提案するほうは住宅公団と話し合いの上に、支障のない範囲内で賃貸をする、その期間だけ借りることになっておりますと、提案者はそれはそれでいいだろうと思うんですよ。しかし、われわれが審議する立場から、組織委員会というのは非常にいま金に苦労しておる、寄付金等でいろいろやっておる委員会である、その立場に立ってわれわれがこれを審議すると、住宅公団のいろいろなこと、これを主にした審議じゃないんです。オリンピックを主にして住宅公団がどうにでもこっちの都合のいいようになれるという審議なんです。そうすると、これは無償でもよろしいとか、半分はくれてもよろしい、オリンピックが終わったら、それを売って、体育団体の今後の普及に資するというように修正することもできるんじゃないか。少し乱暴な話ですけれども法律扱い方として。だから私はほんとうにこれを審議するには、どっちかといったら、住宅公団そのもの審議をしないと、このオリンピックに貸すことができるのかどうか、どういう態様なのかという面を持ってくるんじゃないかという感じがする。それを借りるほうの法律で貸す側のほうを規定するというこの法律あり方というのがどうも私にはわからぬものですから聞いているんですよ。そうすると、いまのように住宅公団のほうと打ち合わせ済みですというのは説明にならないんです。われわれの審議する立場から言えば、この委員会で修正することができるんであって、あなた方が陰でどんな相談をしているかわれわれは知らないが、そうすると、この法律扱いというのはどうなればいいのか、その辺をきっちりしておいてもらって、それから中身の質問をしたいんです。
  12. 木田宏

    政府委員木田宏君) 法案として御審議お願いいたしておるわけでございますから、その御審議内容はその結果に待つほかはないわけでございます。ただ私どもといたしましてこういう法案を用意いたしました趣旨は、オリンピックの開催前後にわたりまして四十日間選手のために、あるいは外国から参ります新聞記者のために宿舎を用意する必要がある。四十日間の一時的な施設を用意いたしますための合理的なあり方考えまして、住宅公団協力を得て、住宅公団の本来の業務ではございませんけれども業務を拡張して、そういう一時的なオリンピックのための協力を得る、こういう特別規定を設けておきますならば、一番合理的に札幌オリンピックの運営ができるのではなかろうか、こういう趣旨から業務特例をこちらのほうでお願いする、こういう規定をいたしたわけでございます。
  13. 鈴木力

    鈴木力君 ぼくはそれはわかっている、読んでみればわかりますよ、それくらいのことは。そうじゃなくて、法律体系的に、今後も一体こういう法体系で、それぞれの委員会がてまえの都合のいいようなことは、てまえのほうで他を拘束するような法律をどんどん改正されていっていいのかということです、私がいま聞きたいのは。いいですか、今度は逆の立場に立って、今度は建設省なら建設省住宅公団関係法案を出して、札幌オリンピックで使った施設は全部今度は可能な限り住宅公団の所有にして、国民の住宅施設に切りかえる、そういう法律をそっちできめることができるのかと。逆に言ったら、そういう意味での法律体系上の見解を聞いているわけです。
  14. 木田宏

    政府委員木田宏君) 住宅公団の、住宅公団法に関します特例といたしまして、今回お願いしておりますものと比較的近いものは、万博の推進、万博の実施のために必要な法律が出ておりまして、その特別措置の中にも、今回御審議お願いしておりますとほぼ同文の規定がそちらのほうに法律体系に入ってございます。これは住宅公団の本来の業務に対しまして、まあきわめて一時的な特例規定ということに相なりますので、その一時的な特例を必要とする事業法のほうで一時的な例外として規定をしていく、こういう趣旨に立つものでございまするから、他の、現在できております特別措置法の中の他の条文と同様の趣旨におきまして、関係省の合意の上に、政府としてこのような特例法お願いをするということは、法律体系として成り立ち得るものと、こう考えておる次第でございます。
  15. 鈴木力

    鈴木力君 まあ蒸し返してもあまり意味がないと思うのですけれども、しかし、私はやはり法律体系的にいいますと、どうも疑問に思っておるのです。いまの御答弁では私はどうも納得ができないのです。これは住宅公団が主体にする住宅公団のそちらのほうの法律改正をしていくのがほんとうじゃないかと感ずるのです。いまの御説明では、私のその感じは消えない。それはしかし、このことをやっていくために、それだからどうということにするつもりでものを聞いているのじゃないですけれども、これはまああとあとまで私もひとつ法律体系上の勉強の資料にしたい、こう思っております。  それで、佐藤事務総長さんに、何かたいへん、きょう札幌で重要なお仕事があったのをお引きとめすることになったんだそうで、それはたいへん申しわけないと思っておりますが、できるだけ午後に支障のないようにと思いまして、先に事務総長さんにお伺いをしたいと思います。  いま説明もらいましたように、住宅公団公団建設をやって、それが選手村とそれから外国報道関係宿舎になる。これはなければならぬ施設なんですから、それはそれでいいと思いますが、住宅公団は、これは大体住宅としてつくられている、おそらくそれだと思うのです。そういたしますと、それに選手村に切りかえますための、そのための特別なその施設なり準備なりというものはどういうことが準備されておるのか、あるいはどういう順序で選手村にそれは切りかえるというのか、それらの過程について御説明を承りたい。
  16. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) ただいまのお尋ねでございますが、先ほど政府側から御説明ございましたとおり、住宅公団が建てます住宅を、その供用開始前に私のほうでお借りいたしまして、一時使うわけでございますが、前の東京オリンピックのときにも例がございまして、東京オリンピックのときも、メーンスタジアムのそばに住宅公団のつくっていただきますアパートを、供用開始前にプレスハウスにやりましたような前例がございますし、それにならいまして、住宅公団のほうといろいろ相談いたしまして、私のほうが使ったあとは一般住宅になるようなかっこうでつくっていただきますが、その中の一部の造作であるとか、そういうものはつくらないでおいていただきまして、外国人が使いやすく使えることのできるように、たとえば畳は敷かないでおいてもらいまして、そこに寝台を入れますとか、そういうことをいま研究しておりますが、そういうことによりまして、外国人にも使いやすいような選手村にいたしたい、そういうふうに考えております。
  17. 鈴木力

    鈴木力君 これは選手になりますと、何といいますか、食事提供とか、そういう特別の設備が必要になると思うのです。公団住宅は、これはそこに入っている人たちが、それなりの自分の世帯の炊事をやっておればいいわけです。そういう生活になるのだと思うのですけれども選手村になると、そういうわけにはいかない。そういたしますと、それらの施設設備といいますか、あるいはその食事提供する諸費用とか、それからいま総長さんが説明されましたように、特別に外国人が居住できるような、住いできるような施設を前もってやっている。そういうようなことを勘案いたしますと、費用のほうからいったらどういうことになりますか。それは、そういう計算はされていらっしゃると思いますけれども、ちょっと伺いたい。
  18. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) ただいまお尋ねのございました食堂等につきましては、実は御承知のとおり公団がつくっております住宅は、二DKあるいは三DKといろいろございますが、そこに台所もございます。そういう台所は使わずに、われわれのほうで仮設の食堂をつくりまして、そこで、われわれのほうでホテル協会でありますとか、レストラン協会に頼みまして、全国のコックを呼び集めまして、優秀なコック各国料理をつくったり、そういうことを考えまして、一カ所で集めて食堂を経営いたしましてやるつもりでございまして、ただいまお尋ねのございました経費の点につきましても、われわれといたしましても、国費の補助もいただいております、また地元の補助もいただいておりますし、なるべく経費のかからない方法をただいまからいろいろ考案いたしまして、しかも外国選手に満足のいくような方法で、東京大会のときの経験もございますので、そういう経験を生かして、十分考案をいたしていくつもりでおります。
  19. 鈴木力

    鈴木力君 そこで、いまの計画によってやりますと、選手一人当たり一日どのくらいの費用当たりますか。
  20. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) その点につきましては、ただいま、まだいろいろ全体計画につきまして計画中でございますが、私もこまかい数字まで覚えておりませんけれどもオリンピックのときには選手各人から、食費だけは外国選手からも徴収するわけでございます。それで、食事費用はそれでまかなうわけでございますが、そのほかの、住宅公団から借ります費用でありますとか、あるいはそこに造作する費用でありますとかは、われわれ組織委員会の負担になりますので、それがただいまどのくらいになりますか、ちょっとまだ、ここに手元資料を持っておりませんのでお答えできませんが、御必要であればまた他日お答えいたしたいと思います。
  21. 鈴木力

    鈴木力君 これは、私はこの法案審議の判断の重要な資料だと思って、いまそれを伺うのであります。つまりこれから施設をつくりまして、公団住宅目的設計でつくっていって、それを特殊の目的設計を切りかえていって、またもとに戻して、それから特別な食堂をつくってと、そういう形でやって、食料をどっちから取るとか取らないとかいうことを一応抜きにいたしました場合に、一人当たりコストがどれだけ出るかという計算は、これはぼくは一番先にやるべきじゃないかという感じがするのです。ということは、これは笑われるかもしれませんけれども、われわれしろうと考え方ですと、むしろ既設ホテルなりそういう施設のほうに頼むなり委託するなり、あるいは借り切るなり、そのほうがむしろコストの上からいっても非常に安くつくのじゃないかという感じ、これはもう私も資料で数字的に検討したわけじゃありませんけれども、そんな感じもするわけですね。それから、さっき言いましたのは、これ自信もないのですけれども、こういう法律でものをきめるという法の体系上から申しましても相当疑義を私は持っておるのですけれども、そういう点からの検討というものは相当してみる必要があるのじゃないか、こういう気持ちがあったものですから、いま伺ったわけです。かつてアジア大会か何か東京でやりましたときには、選手村を、だいぶ前の話ですけれども、いつでしたか、どこかのホテルを借り切ったことがあったじゃありませんか。ああいう形にやるほうがむしろ安くつくのじゃないかというような気持ちがあったものですからいまのような質問をしてみたのです。
  22. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) ただいまのお話でございますが、われわれのほうでもいろいろ研究いたしてみましたのですが、札幌東京と違いまして、ホテル施設ども非常に少のうございまして、われわれいま困っておりますのは、現在の札幌のいろいろな宿泊施設から申しましても、観客等はどのくらい招致できるか、誘致できるかということでも困っておる次第でございまして、われわれ考えまして、とても既設宿泊施設ではこの多人数の選手諸君あるいは外国プレスマン諸君を入れることができないという結論に達しまして、住宅公団お願いするような結果になったわけでございまして、先ほどお話のございましたコストにつきましても、私のほうでいろいろ検討しまして、あまりそのコストは皆さまがお考えになるほどかかるものではないような考えでおります。むしろホテルを借り切りました場合よりも、コスト等は安くつくのではないかと私は考えております。
  23. 鈴木力

    鈴木力君 それはいますぐできるということでもないと思いますけれども、御検討お願いしたいと思うのです。つまり、いま説明を伺いましたように、たとえばコックも何人お集めになる計画なのか、これもお伺いしたいのですけれども、そういう形で特別にある期間炊事なら炊事をやる人、料理なら料理をやる人、そういう人を特別に集めてある期間やるというようなことやらそういう点を考えますと、しかし、かわるものがなければこれはしようがないということになるわけでありますけれども、そういう点の御検討もひとつお願いを申し上げたいと、こう思うのです。  公団住宅は、法案は別といたしましても、住宅建設計画はもうできていると思いますけれども、いつごろから工事が始まりまして、そうして規模はどの程度規模のものになっているのですか。
  24. 中島茂

    説明員中島茂君) その選手村に充当いたします作業は、先ほど私ども局長から申し上げたような次第でございますが、選手二千三百ないし二千五百名、選手と申しますのは、選手に伴う団長、コーチ、そういう選手に直結する役員、それから選手、それが二千三百ないし二千五百名、それから外国プレスマンを千八百名と想定しております。これらに要しますところの戸数は一応現段階では千二百五十戸程度を予想しておりまして、三DK計算で約十九棟くらいのものを建てる、こういうふうに考えております。まだ詳細の計画が立っていないのでございますが、そういうふうなことになっております。  なお、参考までに申し上げてみたいと思いますが、いま鈴木先生ホテルのことがございまして、実はアジア大会新橋第一ホテルを借り切りまして、これを提供した経験がございます。しかしアジア大会は、アジア大会憲章には選手村の規程は別にございませんでして、御承知のように、オリンピックではオリンピック憲章三十七条において、大会組織委員会は、男子用女子用オリンピック村を準備して、各国チーム役員競技者が同一場所に宿泊し、低廉な価格で食事ができるようにしなければならない。要するに、人種、宗教政治関係なく同じ村で、同じところで生活するということが基本になってかような規程があるのでございます。また、プレスマンハウスにつきましても同憲章によりますと、四十九条で、オリンピック競技大会における新聞、ラジオ、テレビ、ニュース映画に関します広報活動を保証するため、大会組織委員会は、万全の処置を講じなければならない。としておるのでございまして、新橋第一ホテルの場合に私も若干関係いたしましたが、盗難事件、それから風紀問題等も起こりまして、やはりああいうホテルの、営業ホテル提供は私個人といたしましては好ましいことじゃない、先ほど申しましたように風紀の問題、盗難の問題、ある国の選手が毛布を持って帰ったというようなことが起こりまして、あと味の悪いことを残すということはこれは国際行事にはあまり好ましくないというふうに考えております。
  25. 鈴木力

    鈴木力君 それで、あといまの施設のほかにそれはもう前から計画的に施設設備準備に取りかかっておるわけですけれども、現時点で、施設設備準備といいますか、その進行状況はどうなっておりますか、ちょっと一応御説明いただきたい。
  26. 佐藤朝生

    参考人佐藤朝生君) 今度発足いたしましたのが四十一年でございますが、それからまず考えましたことは、競技施設の整備でございまして、ただいままで競技施設の整備をいろいろと計画いたしてやってきたわけでございますが、一昨年の夏でございましたか、その競技施設十幾つございますが、その施設の施行主体と申しますか、施行主体を政府においてきめていただきまして、その分担に従いまして国、札幌市、組織委員会この三者が分担いたしまして競技施設建設することにしまして、それから鋭意皆さまの御協力を得まして計画を進めてきたわけでございますが、国のことにつきましてはこれは文部省からお話があったほうがよろしいかと存じますけれども、私から大体のことを申し上げますと、国で受け持っていただきますスピード・スケート競技場、アイス・アリーナ、それからジャンプ場というようなものにつきましてはマスタープラン、自主設計等が終わりまして、今月の下旬ごろ入札に付しまして、来年度早々から建設にかかりまして、二カ年計画でこれをつくっていただくというような計画が着々と進みつつございます。市でつくっていただきます七十メートルジャンプの宮の森シャンツェは、昨年から工事を始めまして、四十四年度じゅうにこれが竣工、大体の竣工を見まして、この次のシーズンにはこの宮の森シャンツェが使えるような状態になる予定でございます。  それから市でつくっていただきます手稲の回転、大回転のコースにつきましては、大体伐採等も完了いたしまして、今年リフト、ゴンドラ等をつくりまして、来シーズンにはその頂上までリフト等で登りまして、十分この施設を活用することができるというような状態でございます。またアイスホッケー並びにフィギュアのコンパルソリーをやりますアイスリンクにつきましては、市で美香保と月寒、この二カ所につくっていただく計画になっておりましたが、いろいろな経過がございましたが、美香保の設計が大体終わりまして、最近これが入札に付せられまして、来年早々からこれが建設にかかることになっておりまして、これも二カ年ぐらいの計画オリンピックの前年に行ないます国際スポーツ大会、すなわちプレオリンピックのときにはこれが間に合うというようなかっこうになっております。月寒は少しおくれまして、オリンピックには必ず間に合うというような状態でございます。それから市でつくっていただきました藤野におきますリュージュの予備競技場は、昨年の暮れでき上がりまして、現在リュージュの選手等がこれを活用しておる状態でございます。組織委員会でつくります恵庭の滑降競技場につきましては、昨年着工しまして、本年じゅうにリフト等もつくりまして、来たるべき来年の冬のシーズンにはこれも使えるような状態でございます。それから組織委員会であとつくりますボブスレー、リュージュのコースにつきましては、昨年から計画を始めましたが、昨年は土工工事の一部をやっただけでございまして、本年じゅうに本格的な工事を行ないまして、本年暮れにはボブスレーは一応の完成を見る予定でございます。リュージュの競技場は、先ほど申し上げました市でつくっていただきました藤野のリュージュ競技場が一応できましたので、一年くらいおくれましても、一年前のプレオリンピックには両方とも間に合うというようなかっこうでございます。そのほかに距離競技のコースにつきましては、十五キロにつきまして、昨年われわれのほうで一応伐採等を終わりまして、着々これを整備中でございます。  以上申し上げましたとおり、大体、一部を除きまして予定どおり競技施設建設は進みつつございまして、オリンピックのいろいろの準備のため、また選手強化のためにも十分お役に立てるだろうと思っております。
  27. 鈴木力

    鈴木力君 まあ予定どおり進行しておられるということですから、予定どおりさらにやっていただければそれでいいと思うんです。  もう一つ伺いたいんですけれども、グルノーブルの大会で、特に日本の選手団の活躍についてはいろいろな批判があったり、多少騒ぎがあったりいたしました。私なんかはむしろあんまり選手が勝ったとか負けたということを騒ぐほうが少しおかしい、おかしいというのも変ですけれども、争ういう形であまり選手に負担を重くさせるということは、一体この種のオリンピックなり、そういう競技の考え方としてどうなんだろうかという気持ちは持っておりますけれども、しかし、少なくともあのグルノーブルの大会のあとに、札幌ではという非常にこの強い決意がいろいろな方面から表明をされておると思うんです。まあ伺いたいのは、そういう形での札幌大会をめざしての選手の養成、あるいは選手の発掘といいますかね、選手の強化、こういう、こちらの方面ではどういう形でいま進行されておるのか、これはちょっと伺いたいと思います。
  28. 前田豊

    参考人前田豊君) 東京オリンピックを終わりまして、私たちはいろんな面で収穫を得た。しかし、スポーツ界では非常にスポーツが盛んになっております。ことに昨今、サッカーブームとか、あるいはママさんバレーの誕生とか、スイミングクラブの活動とか、いろいろ大きな収穫があったんではないかというように考えておるわけです。そういった意味からいいますと、やはり札幌でやる以上は、大会の運営がうまくいっただけではいけない。やはりかなりの成績といいますか、いいものを残さなくちゃいけないというのがわれわれ強化関係者の一致した考えでございます。したがいまして、従来夏季大会に比較いたしますと、歴史上から見ましても、冬季のほうは競技では不振であった。これが残念ながら現在までの流れでございます。しかし、これではいけないというわけで、一応四十一年以来五カ年計画を立てました。そして第一期を基礎強化、昭和四十二年、四十三年度をこれに充てる。第二期を四十四年、四十五年、四十六年に充てるというような考えのもとに、昭和四十一年には竹田恒徳を委員長とし、副委員長に大庭哲夫、近藤天を任命して強化をはかり、さらには、四十二年には六月に財務委員会と強化委員会を設けて、それぞれ専門のもとに強化をはかってきた。さらにはいよいよ第二期の本格的強化期に入りますので、昨日のJOCの会議におきましても、とてもこれは片手間にやっておってはいけないというわけで、強化本部長、東京オリンピック大会と同じように強化本部長を設け、その強化本部長と、現在体協に設置されている、私が現在やっておりますけれども、競技力向上委員会、さらには東京大会、あるいはメキシコ大会の夏季大会の権威者あたりとも一緒になって、そこで本部長を中心として出発していきたいというような処置を現在とっているわけです。残念ながら御指摘のごとくグルノーブルではよくなかった。しかし、そういった新しい構想のもとにスポーツ界あげて協力して、そうして冬季だけでなしに夏季の持っているいままでの体験、経験、あるいは研究している事項を加えて今後やっていきたいというように考えている次第でございます。
  29. 鈴木力

    鈴木力君 具体的に大体各種目に何人ぐらい出場させる御計画で、そしてこの選手を強化なさっているのか。それから相当長期にわたりますから、したがって、既成の選手と、それから、これからその時期までを目ざして養成されている選手と、いろんなそういうものがあると思うんですけれども、その点のひとつ御説明お願いしたい。
  30. 前田豊

    参考人前田豊君) 第一期におきましては、一応大会までにかなりの年数がある。一年、二年じゃない。したがって、その当時から考えて、その当時に全盛期にある者が本大会で使えるかどうかはわからないというような懸念もあるわけです。したがいまして、主として若手の候補者、これを強化するというわけできたわけです。したがって、有望新人千八十名を対象にしてやっております。しかし、だんだん本大会が接近するにつれまして、これは人数をしぼっていかないといけないというわけで、今後は大体、四十四年度以降は二百九十一名を対象にしてやっていきたいというような考えを抱いているわけであります。御指摘のごとく、非常に選手強化というものは、対象が生きている。これが将来伸びるだろうと思った者が案外途中で伸び悩む、あるいは逆にこれはと思った人がぐんぐん伸びていくというような現象が間々起きるわけでございます。したがって、そういった点、非常にむずかしい点もありますけれども、一応四十四年度以降は二百九十一名を対象としてやっていきたい。なお大会には何名出すかという御質問でございますけれども、これは現在のところまだ決定しておりません。やはりわれわれの気持ちとすれば、当初申し上げたごとく、出ると負けではやはりぐあいが悪い。やはり札幌でやる以上は、出た者はかなりの成績をあげてもらうというような感じを抱いていることは事実でございます。
  31. 鈴木力

    鈴木力君 まあこの選手の強化、いまやや抽象的でありましたけれども、そういう方向でいかれる。私はやはり選手の強化ということと、それから札幌で冬季オリンピックを開催する、札幌というよりも日本で冬季オリンピックを開催をする、この意義というものと、これと選手の強化というものもありますけれども、それと日本の人たちそれ自体がこういう競技種目に対する何といいますか、理解の度合いを深めていくといいますか、それらが別々に存在しないと思うのです。選手を見つけ出していく、それを強化していく、参加をさせていく、それが特にグルノーブルとか遠くの場合は別といたしましても、特に札幌オリンピックというカテゴリーでいろいろやっていく中に、日本で開催をするという意義というものが、ただ単に何名かにしぼって、出ると負けじゃぐあいが悪いから勝つのだという形だけじゃ、どうも開催地としての考え方としてぴんとこないという気がするのですが、その辺についての全体的な構想なりはないのですか。
  32. 前田豊

    参考人前田豊君) この点は非常にむずかしい問題だと思います。と申しますのは、日本の過去の歴史を見ましても、非常に水泳がローマオくリンピックあるいはベルリンあたりのときにはよやったというときには、国内でも水泳が盛んになってくる。あるいは陸上が強いときは陸上が盛んになるというような悪い面が出てまいっておると思います。やはりほんとうの姿ならば、全部が常に同じような歩調で進むのがやはりスポーツ界の理想だと思います。しかし、そういった現象も間々起きやすい。そういう点を考えていった場合には、各競技団体とすれば、ほんとうに自分の競技を盛んにする、またわれわれの立場としても全体を引き上げていくということは理想としているわけであります。そういった意味においては、なるべく大ぜいの選手がたくさん出たほうがいい、これは事実だと思うのであります。フルエントリーして、全員出場したほうが一そう盛り上がるということは事実でございますけれども、やはりそれと同時に、相当の成績を期待する声も強いし、また開催の意義から考えても、両方あわせて考えていかなければいけないのじゃないかというように思うわけでございます。  もう一点は、現在冬季競技は夏季のスポーツに比べて普及状態がよくない。スキー、スケートはかなり普及している。しかし新しい種目が札幌では行なわれます。ボブスレー、リュージュ、バイアスロンとかいろいろございます。国民になじみのない新種目が登場するわけでございます。したがいまして、御指摘のごとく、これは今後一そう普及させなければいかぬ。そのためにはいろいろな方面、これを動員して普及させ、そうしてそのうちからも選手がといいますか、興味をまず国民に持っていただくという方向へ進みたいというように考えるわけです。
  33. 木田宏

    政府委員木田宏君) ただいまのお答えに関連して、私どものほうからもちょっと補足をさせていただきますが、オリンピック札幌で開きます趣旨につきましては、私ども第一には、やはりオリンピック憲章にうたわれております、スポーツの精神をわが国の国民に普及高揚させる、そうして憲章のことばにあるわけでございますが、「道徳的資質」と「肉体的努力」の成果を高める、これを国民の中に期待をしたいということを第一に考えます。  また第二には、いまお話がございましたように、わが国の冬季スポーツの種目につきましては、他の種目に比べて振興の度合い、普及の度合いがおくれておるわけでございますから、冬季スポーツのオリンピックを開くことによりまして、日本の中で冬季スポーツの普及振興をはかりたいということが第二にございます。  第三に、また、オリンピックという社会的あるいは人種、宗教、政治の差別のない世界的なスポーツの祭典を開催することによりまして、またそれを国民の社会的、文化的総力を結集して迎え入れるという努力をいたすことによりまして、わが国の実情を広く世界の人々に知ってもらう、相互の友情を高め親善に役立てよう、こういう趣旨をやはり考えるべきものだと思っておるわけでございます。したがいまして、この選手の強化に関しましては、直接強化事業を担当しておられます体育協会に対しまして、ただいま前田理事から御説明のありましたような、強化策を推進するに必要な補助措置を講じておるわけでございますが、同時にまた、あとあとのことも考えまして、この選手強化の一翼にもなるわけでございますが、冬季のスポーツ施設の整備を自治体にもすすめていきたいということで、本年度の予算におきましても大型ジャンプ台三つ、中、小型のジャンプ台五つ、パイピングスケート場一つといったような、後のスポーツ振興に役立つような競技施設をやはり広く奨励していきたいという予算措置も講じております。また北海道大学にトレーニングセンターを設置いたしまして、体育競技そのものの将来の発達をはかるというようなことも講じておるわけでございまして、選手だけの競技ということでないオリンピックの精神を生かしていきたいというふうに考えておるところでございます。
  34. 鈴木力

    鈴木力君 私はいまの御答弁伺いまして、それはそのとおりだと思うのです。ただ私は、何かスポーツを、あるオリンピックならオリンピックというものを機会に広めていくというか普及をしていく、いまの御答弁いただいたような趣旨で国民のものにしていくという場合に、あまり限定し過ぎるような気がしてならないのです。たとえば、札幌オリンピックというのを日本でやるぞ、そうすると札幌オリンピックのお祭りになってしまって、これが一つの大きな目標にはなるけれども、国民の間にスポーツというものがそれなりに植え付けられていかないような気がしてならないのです。そういたしますと、私は札幌オリンピック、これは冬季のオリンピックですけれども、冬季であろうがあるいは夏季でありましょうが、あるいは国民体育大会でありますか、スポーツそのものを、何といいますか、国民の生活の中にどうして溶け込ましていくかということをもっともっとくふうをしてみる必要があるのじゃないか、そういうような気持ちをもっておるものですから、したがいまして、率直に申し上げますと、何かスポーツというのはある行事を契機といいますか、その行事をもとにしまして、関係する団体の独占事業みたいな形のように国民のほうに印象づけられていくとすると、私はだいぶこの趣旨が違ってくるんじゃないか。それからまた、いろいろなことをねらったにいたしましても、そのねらいというのはくずれていくんじゃないのか。そういうような気持ちを持っておるんです。ですから、選手強化というのは一体どういうことをやるのかという場合には、もちろん直接的には、その大会、競技に出て、そして何番目になるかは別としても相当の成績をあげるということが選手強化の目的である。しかし、その過程には、今度新しい若い選手を見つけて、札幌オリンピックが済んだあとにもやがてはこの日本のスポーツの指導者となって、十年後なり二十年後なりという構想が出て、初めて札幌オリンピックを持ってきた意義というのが生かされるんじゃないかという気がするんですね。そういたしますと、いまの教育の面における体育なり、あるいは社会体育としていまいろいろやられておるそれらの問題がどうあるかという御検討も、これはまあ体育協会とか、あるいはスキー連盟とかという団体にそういうことまでをやれというのはあるいは酷かもしれないんですけれども、それらの関係者全体が、そういう点についてのもう少しこまかな何かというものが連携して出てくるようでないとぐあいが悪いんじゃないかという感じがいたします。きょうはまあ時間もございませんし、いま大体そんなことを伺っただけでありますけれども、なおこの点につきましてはあとでまたもう少し具体的に、こまかな、全体に関係のあるような、どう関係づけるかというような点についてもさらにお伺いをしたいと、こう思うのであります。  きょうは少しはしょりまして、そういうものと関係があると私は信じているんですけれども、それの一環としての国民体育大会ですね、いわゆる国体。この国体について考え方を少し伺っておきたいと思うんです。というのは、私はいま申し上げましたように、体育というものがほんとうに国民のものになるのか、あるいは、一つの選手なりそれらを囲んだ体育団体のものとしてそのままに過ぎてしまうのか、非常に重要な意義がこの中に入っておると思う。その役割りを果たす一つの重要なものに国民体育というものもあるんではないかという感じがするんです。そこで、これも、文部省にも、それから体育協会の前田先生にもお伺いいたしたいんです。  国民体育大会がこれもやはり世論からは批判もいろいろあるところだと思うんです、あらゆる角度から。ただし、ものを言うのにはあるいは当たらないものの言い方もあるし当たる言い方もあるかもしれませんけれども、私は国民体育大会というのが、いまの状態では国民体育大会になっていないんじゃないかという感じがどうしてもする。もっと国民の体育大会にする手はないだろうか。そういう観点で若干お伺いいたしたいのですけれども、たとえば、選手の資格要件なんかについても、出場資格についてもいろいろな規制があると思うんですね。いろいろな規制がある中で私はどうも疑問でならないのは、たとえば、陸上競技に出場する選手は陸上競技連盟に登録をしている人でないと出場資格がないというふうに聞いているんですけれども、これはほんとうなんですか。
  35. 木田宏

    政府委員木田宏君) 国体は、日本体育協会が中心になりまして、それと文部省と地元開催府県、三者の共催ということで行なわれております。実施します競技種目、あるいはその運営につきましてはそれぞれの競技団体の主管のもとに行なうということになっておるわけでございます。競技団体といたしましては参加者がアマチュア競技者であるかどうかということの確認を選手の登録によって知ることができますので、登録会員を前提にして参加資格ということの規定をいたしております。その意味では御指摘のように登録したものでないと参加できないということになるわけでございますが、しかし登録につきましては各競技団体とも広く門戸を開放いたしておりますので、所定の手続をとることによりまして、登録ということは可能と、こういうふうになっておるわけでございます。
  36. 鈴木力

    鈴木力君 それがどうも私にはかからぬのですね。門戸を開放しているから登録ができるのだから、だから登録して出たらいいじゃないかと、こう言うのでしょう。それなら国民体育大会という名前をやめたらどうです。各種体育団体競技という名前をつけたらどうです。陸上競技に出るものは陸上競技連盟に登録し所属したものでなければ出られない。国民であっても出られないのですよ。それから水泳に出たいものは水上競技連盟ですか、それの連盟員でなければ出られない。それらが体育協会を構成しているとすれば、体育協会総合記録会なり、総合競技会と名前を変えて、国民という字は取ったらどうなんですか。その辺の御見解を伺いたい。
  37. 木田宏

    政府委員木田宏君) 国民体育大会の開催につきましては体協のほうでおきめになり、私どももそれに同意をいたしております開催要項というものがございまして、その中で国体の趣旨といたしまして、広く国民の間にスポーツを普及し、アマチュアリズムとスポーツの精神を高揚して、国民の健康増進と体力の向上をはかり、合わせてスポーツの振興と、地方文化の発展に寄与するとともに、国民生活を明るく豊かにしようとする、こういう趣旨の要項をつくりまして、国体の運営を考えておるわけでありまして、国体によりまして国民一般にスポーツの普及発展を期するということでございますけれども、また大会の形式が都道府県対抗というような形で運営されることになっておるわけでございます。ところで、このスポーツの普及をはかりますにつきましては、いま鈴木委員御指摘のように、広く国民一般の生活の中にスポーツを浸透させていくという面と、もう一つはそのスポーツの純粋性を高めてすばらしい、より強く、早くという意味でのスポーツの向上をわざとして競うという面と二つあるわけでございまして、どちらか一面だけでその趣旨が達成できるとも考えられません。選手強化だけでもうまくもまいりません。一方におきましては広く国民層の中にスポーツの振興をはからなければなりませんが、と同時に、この中身を高めていくということを考えますと、その広い層の中からすぐれたものが選ばれてくるということを一面考えることによりまして、国全体のスポーツの振興というものをはかっていけるのではないかと思っておるわけでございます。非常に数多くの人の参加を期待することになりますので、その競技の実際の管理の必要から私は出場者の取り扱い等について一定のルールを設けましてアマチュア選手であることの確認の上で競技をしていく。それも都道府県ということを主体にして実施いたしております関係上、都道府県ごとにその意味選手を選んでくる、こういう結果に相なっておるもの、このように考える次第でございます。
  38. 鈴木力

    鈴木力君 あのね、局長。私聞いたことに答えてもらいたいのですよ。何もその早く走れるものが選手になるのはけしからぬとか、そう言ってはいない。ある特定の団体に所属したものでなければ出場資格がないと、これはどういうことなんだということを言っているわけですよ。もう少し率直に言いますと、失礼にあたるかもしれませんけれども、けさの新聞でも体協のことをいろいろ書いているでしょう。私はそれが事実かどうか触れるつもりはありませんよ。たとえば私なら私が、かりに百メートルの日本記録保持者だとする。陸上競技連盟の、しかしあの会長とか、主流とか、反主流とか、いろいろ新聞に書いてあるようなことがもし事実であろうがなかろうが、そういう気持ちでもってこの体育連盟はおれはとてもじゃないがいやだ、そう言ったその人は国民体育大会に出場する資格がないということは一体どういうことなんだ、それを私は聞いているのです。
  39. 前田豊

    参考人前田豊君) 現在の国民体育大会は日本一人ならば全部出られる。ただしアマチュア資格を持っておるアマチュアでなくちゃいかぬということです。ところが、現在のアマチュア規定を見ますと、一例をあげますれば、もとプロフェショナルであった者、これはアマチュアに復帰できないというルールがあるのです。これはいい悪いは別といたしまして、現在はそういうルールがある。そうしますと、これがアマチュアであるかどうかと判定する必要が各競技団体にはあるわけでございます。したがいまして、各競技団体に登録した者が出られるということになっております。ところが、登録という問題、国民という問題、これはほとんど手数のかかることでもなければ、各競技団体とすれば、全国民が自分の好きなスポーツを登録するということは大歓迎だと私は考えていますし、またいつでもそれができるんじゃないかというように考えております。ただ、アマチュアであるかどうかを認定するためにそういう規定が私は設けられているというふうに考えております。
  40. 鈴木力

    鈴木力君 これはどうも、私はいまの御説明でもなるほどとは思えぬのです。アマチュアであるという判定を日本にあるある体育団体だけが判定権を持っておるということ、それはもちろん体育協会がつくったアマチュア規定には、自分のところの体育協会に所属してないやつはアマチュアでないという、こういう規定がある。これは体育協会の中では通用する規定として私はいいと思うのです。しかし国民体育大会にそれをもって拘束をされるということはどうも私は納得できない。これは文部省に聞きます。
  41. 木田宏

    政府委員木田宏君) 特定の団体に属してない者がアマチュアでないというふうには私ども考えません。しかし、アマチュアであることの確認を経た者であることが競技に参加する場合に必要だ。その確認の方法をどこがやるのが適切かという問題になってくると思うのでございますが、私は、やはり現在行なっておりますように、それぞれの競技種目について一番権威のある競技団体がそのことの判定を行なわれるべきものと、このように考えておるところでございます。
  42. 鈴木力

    鈴木力君 いまのそこまでは私は譲ってもいいです。アマチュアであるという判定をしなければいけないと、そのアマチュアという資格要件がある競技団体に所属していようがいまいがアマチュアであるという判定をすることができる。そのアマチュアであるという判定をある権威のある競技団体に依頼をすると、国体の実施委員会なり実行委員会なりが、そこまでは私は、他にも問題があるかもしらぬけれどもまあいいとただし、そうじゃなくして、その競技団体は自分の団体に登録してある、加盟をしているものでなければアマチュアと認めないということで出場させないということがあるからそれは違うですよ、私に言わせると。陸上競技連盟が競技の選手をアマチュアという判定をすると、それはそこがやってもいいと私は思う。しかし加盟していない者がアマチュアでないということではずされるということになれば、どう考えても国民体育大会という名にはふさわしくないと私は思う。事実上は選手だと思います。予選を通って出てくるくらいな選手は、あるいは事実上は全部入っているかもしれないから、事実上それほど影響があるかないかという議論があるかもしれないけれども、そういう論じゃなくたてまえのほう、少なくとも国と地方の自治団体と、それから体育協会と三者の主催をしている。それはどうしてもそこに登録している者でなければというのははずすべきだという気持ちにこだわるのですけれども、その辺の見解はどうですか。
  43. 木田宏

    政府委員木田宏君) この登録の実質的な内容がどうであるかということに確かに御指摘の点はかかってくる点があると思います。しかし、現在学校のたとえば学生、生徒についてみますならば、部に所属しているということで部の責任者が一括登録申請をするという手続が行なわておるようでございまして、申請によってアマチュアであるかないかの判定さえ問題でなければどの競技団体も申し入れを受け付けるということでございますから、その実態がアマチュアであることの判定と登録ということとが格別の隔たりがないものというふうに理解もできるのではないか、このように思っております。
  44. 鈴木力

    鈴木力君 そうすると、登録していなくともアマチュアという判定があれば出場できる、そういう解釈でいいわけですね。
  45. 木田宏

    政府委員木田宏君) これは結局現在の各競技種目のその判定のやり方の問題でございまして、競技団体におきましてその登録という手続によってそのことの判定が行われておる、こういうふうに理解をしておるというわけでございます。
  46. 鈴木力

    鈴木力君 同じことを繰り返しては時間がたつので困るのですよ。アマチュアであるという判定を各競技団体の判定のしかたにまかせるというところに、また事実上は自分の競技団体に所属していないものをアマチュアと認めないという規定を持っているアマチュアの団体がある、それならさっき私が言ったことと同じことになるのです。そうじゃなくて、そういう規定はその団体内ではそういう規定を持っておってもいいけれども、国体に出場するものとしてはこれはその団体が判定してもいいがそのいまの規定は適用しないのだ、そういう確認なら私はわかるのです。どっちなんです。
  47. 木田宏

    政府委員木田宏君) 現在、各競技種目ごとにやはり考えなければならない問題でございますから、現在各競技団体がとっておりますアマチュアの判定の方法というもの、結局それは登録することによって一つのアマチュア資格というものを公認するという結果になっておるわけでございますから、この競技団体のそういう態度で運営を適切にしていく、こういうことでいけるのではないかというふうに思っております。
  48. 鈴木力

    鈴木力君 いまそうやっていること私は知っておるからそれを直す意図がないかということを言っておるのです。国民体育大会にならぬでしょう、そういうことだったら。どうなんですか、それは。それならば国民ということばをやめてその体育団体の競技会にしなさいと私は言っておるのです。そんなに体育団体が何でも全部きめてしまうのだ、そういうことになったら国民体育大会のいままでのイメージというものは全然なくなってしまう、その考え方を固執しているから選手強化を幾らやっても日本のスポーツは国民のものにならぬと私は言っておるのです。
  49. 木田宏

    政府委員木田宏君) 結局スポーツの振興につきましては、やはりそれぞれのスポーツの競技団体というものを中心にして、その熱心な方々の手によって振興をはかっていくべきものだというふうに考えます。  その別のところで適切な判定ができる何らかの方法があるかということにつきましては、いまの段階では私そういうふうにも考えませんので、現在の段階ではやはりアマチュアのスポーツをやられる方々の種目ごとの団体というものを中心にしてアマチュア精神を普及しその運営を伸ばしていくということで国民全体に対するスポーツの普及というものが実現できるのではないか、このように考えておるところでございます。
  50. 鈴木力

    鈴木力君 だからね、何べん言っても局長さんは、どうも私の聞こうとすることわかっておるのかわからないのか私はわからぬけれども、さっき言ったのは、あなたはこう言ったわけだ。たとえば陸上競技連盟なら陸上競技連盟は自分のところに所属していないものはアマチュアでないと、そういうことまではこだわらないとあなたは言っておられた。したがって、アマチュアであるという判断を陸上競技選手については陸上競技連盟に頼むんだと、それはいいと私は言うのです、それはいいと。そのときに陸上競技連盟は、自分の連盟に登録した者でないやつは入れないということがいけないと、こう言っている。ところがあなたは、最初のうちはよさそうな話をしていて、だんだんにはその団体にまかす、その団体のしかたでいいのだと、こう言ってくるからわからぬ。それならば国民という字を取りなさいと私は言っておる。
  51. 木田宏

    政府委員木田宏君) たいへん恐縮で、繰り返すようになるわけでございますが、何らかのしかるべき組織がアマチュアであることの確認をする必要がある、この点は鈴木委員の御指摘のとおりだと思います。その確認のしかたとして、現在の各競技団体が自分の確認できる者について登録という手続をしておるということでございますから、その登録された者について競技種目の実施を認めて、それを中心に行なっていくということは、結局広くだれでもアマチュアであるならば参加することができ、国民としてのスポーツを楽しむという方向に協力することができる者ということで実質的にそのことができ上がっておるのではないかと私は思っておる次第であります。
  52. 鈴木力

    鈴木力君 そういうことであるならば、私はこの国民体育大会という名のもとに行なわれるものに公的機関が協力するということには疑義を持っているんです。民間団体が登録する道を開いているからそれでいいのだと、それはなるほどそうですよ。その団体は道を開いているから、少なくともその競技をやる者は自分の団体に加盟してもらいたい気持ちがあることはわかっている。しかも、さっき私はさらっと——こういう話はしたくないんだけれども、そう言われるとせざるを得ない。けさの新聞にも出ているように、体協の内部におけるいろいろ批判があるわけです。そうすると、良心的な者が、ああいうごたごたしているところは私は所属するのはいやですと。そうすると、おまえは国民体育大会に出ちゃいかぬぞと、こうやられる。これでいいのかということを私は聞いているんです。  それから、登録登録と言ってただでやらせるみたいな話をしているけれども、金を取っているんですよ、登録する場合に。それはうそならうそと言ってもらえばいい。私は登録料というものを納めていると理解しているんですが、どうなんですか。
  53. 木田宏

    政府委員木田宏君) 登録料につきましては、私、各団体どのようになっているかこまかいことは知りませんが、非常に軽易な、十円とか二十円とかいう登録の手数料があるというふうに聞いております。  いま鈴木委員の御指摘の点でございますが、スポーツの問題というものを振興していきます場合の私ども立場、態度として考えてまいりますときに、結局私はやはりそれぞれのスポーツにつきまして熱心にその振興をはかる方々というものを中心にした団体なり組織なりというもののお力を中心にして、それに政府なりあるいは自治体なりの当局者が奨励をしていくということがかなり大事な方法ではないかと思っております。全部ではないと思いますけれども、大事な方法だと思っております。特に国民体育大会は、国民各層の中から各競技種目を中心にいたしまして——競技種目だけではないという配慮もあるわけでございますけれども、競技種目を中心にして各都道府県の競技の総力というものを競い合うということになりますと、やはりある程度質の高いすぐれた競技というものを各府県、団体ごとに考えるということになるだろうと思うわけでございます。したがいまして、そういう各府県ごとにすぐれた競技の質を整えてくるということは、いま日本にありますそれぞれの競技種目の中心的な団体というものがその団体の仕事として進めていける、その団体の活動に広くだれでもその種のスポーツをやろうとする人が加盟できるということでありますならば、私はそこに現在あります団体の活動を中心にし、それに対して政府協力をし、応援もして広く国民の中のスポーツを進めていくという方法が正しくとられるのではないかと、こう考えております。
  54. 鈴木力

    鈴木力君 私の言うのは、その中心になってやる団体の功績というものを認めないといっておるのじゃない。そんなことわかっているでしょう。私がいままで言っておることは、だから判定をその団体にまかせるところまではよろしい、しかし、所属していないものが国民でないという言い方はどういうことなんだということなんです。やや体育団体横暴ですよ、そうなれば。それを文部省があと押ししてやっておるのでは、その横暴が直るわけがない。主催者になっておってその世話をする。また選手を育てていく役割はしているのですよ。しているけれども、たまたまその団体には所属しない、それは高いレベルの選手でないという判定は、あなたがそういうようなものの言い方をするというのはそれはおかしいじゃないですか。しかも全然プロになったこともなくて、しろうとて自分一人でやっておった、それを直せ——まああなたと議論してもだめだからこれはあとで大臣とやります。あとの機会にまたやります。大臣にも伺います。もうあと時間がないのですが、もう一つ選手の問題もいろいろあるのですが、これはあと回しにします。選手の問題も大臣がいるところでやります。  もう一つ国体の中で学校教育との関係があるのですね。もちろん国体全体のあり方という問題もありますけれども、これもいまの調子であなたは議論されるでしょうから、これは大臣に御質問したいと思うので、あと回しにします。  技術的な問題ですけれども、開会行事について、これはひとつ見解を承わっておきたい。  早い話、私の申し上げたいのは、あの開会行事です。私はああいう形式をやめろという意味でものを言っておるのじゃないですよ。そうじゃなくて、ほんとうの、何というかしろうとらしい素朴な開会行事にさるべきではないかという考えを持っておるのですよ。その一つの例として、私はマスゲームとか、あるいは鼓笛隊とか、学童の出る部分を一つの例として私は質問したい。——それだけ直せばよくなるという意味で聞いておるのじゃないですよ。少なくとも、国体の開会行事に中学校なら中学校の生徒がマスゲームに参加をする演技時間が十分か十五分ですよ。それに参加するために三年も前から、あるいは二年も前から練習をしなければいけない、そういう負担をかける開会行事というのは、一体適切だと思っておるのかどうかということをお伺いしたい。
  55. 木田宏

    政府委員木田宏君) 国体の開催方法といたしまして、大会の種目を競技種目のほかに公開種目及び集団演技というふうに加えてあるわけでございます。この集団演技につきましては、ももっばらといってもいいわけでございますが、開催県の計画によりまして進められるというふうになっております。競技種目が各競技団体によって運営されるのに対しまして、この開会式と集団演技は、地元開催府県が運営に当たるということになっておるわけでございまして、その運営の内容につきまして、いま御指摘のあるような三年も前から練習をしなければならぬというような実態があるといたしますれば、それは度が過ぎておるというふうな御判断をなさる点も私も理解できるところでございます。この集団演技を加えております趣旨は、国体の主体が競技種目になりますので、競技だけでなくて、もう少し幅広く問題を考えていきたいということから、集団演技があるわけでございますから、その趣旨に沿って、開催県におきまして、その運営なり企画なりを与えるべきものというふうに考えております。ただ地元の開催県といたしましては、全国の各地からいろいろな関係者が集まって来られることでございまするから、その地元でやる集団演技につきましていろいろと努力をし、くふうをされるということは当然考えられるところでございますが、その努力とくふうと趣向というものが度が過ぎないことが大事だというふうに思っております。
  56. 鈴木力

    鈴木力君 大体いまのような考え方でいつでもいっていると思うのですが、しかし度が過ぎていると私は思う。それはなぜかといいますと、私は、地元の一生懸命やっている人たちは善意なるがゆえにやっているので、これをけしからぬというのもどうも、私は気持ちの上から言いますと、なかなか言いにくいですよ。言いにくいけれども、たとえば私の郷里の岩手県で集団演技の準備をしている。ちょっとその計画を聞いてみますと、一週間に一時間、あるいは金曜日の六校時日には体育の時間を取ることとか、そういうような  ことを申し合わせをしてやっているわけですね。それでも岩手県の人たちに聞いてみると、できるだけしわ寄せをしないように、しないようにといっていまやっているけれども、いまのしきたりをそのままもっていきますとそうなるのですよ。そこで、私はこれらの弊害を直すためには、やはり主催者が、主催者のうちの重要な役割りを占めている文部省なり体育協会なりが、少なくとも一集団演技をやる場合に、普通の学校行事でやる期間以上の練習なんかはやっちゃいかぬというぐらいの、そういう態度を打ち出すべきじゃないかということなんです、簡単に申し上げますと。そうやらない限り、府県は、もう去年やったよりことしは素朴ながらもスマートなものをという熱意を燃やしてやっているのですから、それでは弊害が直らぬと私は思う。どうですか。その辺。つまり、集団演技なら集団演技というものは参加することに意義があるなら、多数の学校の子供たちが出て徒手体操をするならそろわなくてもいいじゃないか。学校ごとに多少のぼろが出たって、それに拍手してやるというような雰囲気が国民体育大会にできないのか。私は去年福井に行ったけれども、全く頭が下がるようなりっぱな演技ですよ。これは小学校のいまの体育にあすこまで期待しているのかどうかというと、これはちょっと過ぎていやしないか。この見解をはっきり聞きたい。
  57. 木田宏

    政府委員木田宏君) 小学校あるいは中学校の学童が、これまでも国体の関連行事のためにいろいろとマスゲームその他で協力をしているという事態は御指摘のとおりでございます。その国体のいろいろな行事に協力をいたしますことが、学校教育に大きな支障なり障害を加えるというようなものであってはならないことば当然だと思います。しかし、また小学校、中学校の子供たちが、私の考えます一例でございますけれども、鼓笛隊のような形で協力をいたしますことが学校教育のワクの中だけの協力であるかどうかという点については、考え方もあり得るのではないかというふうに思います。ですから、学校の成規の授業のあり方ということの関連をどのように保っていけるかどうかという問題が一つございますけれども、学校の特別活動としての行事の範囲でできること、あるいはそれとはまた別の観点で、子供たちの鼓笛バンド、その他の鼓笛隊の活動として行なわれるものというような協力のしかたもあり得るのではないか。ですから、実際の競技のしかたそのものに具体的には関係することでございますけれども、国体にございます学校関係者の行事が、すべて特別活動のワク内とだけいわなければならないものかどうかということについては多少考え方もあるんじゃないかと思います。
  58. 鈴木力

    鈴木力君 あなたは私の言うことをまともに聞いていないですね。私は、学童が大体行事に参加することがいけないとは私は言わないということを最初に言っているでしょう。それにいまの答弁はどういうことなんですか。まるで私が学童は出ないほうがいいと言ったことに対する答弁じゃないですか。まともに聞いておって、まともに聞いたことに対して答弁をしてください。私が言うのは、少なくとも岩手県を例にとれば——岩手県で体育大会が行なわれるのは来年ですよ。それにいまから毎週何時間というような練習をしなければならないということは適切なのかどうかということを聞いている。どうですか。
  59. 木田宏

    政府委員木田宏君) いま御指摘のように、いまから毎週確実に何時間ずつ国体のために練習するということは度が過ぎておると思います。
  60. 鈴木力

    鈴木力君 念のために申し上げておきますが、岩手県の実施計画によると、いままでもやっておるのですよ。実は去年からやっておる。去年からいろいろやってみて成案ができた。いよいよできたその成案によると、校内における学年合同練習の時間として毎週一時間七校時を増設する、期間は四月から十月までとする、こういう方針がちゃんと学校にできている。中学校は合同練習の時間として毎週七校時を増設する、そのほかに体育の時間に一時間やれ、こういうことになっておる。あなたは度が過ぎるということをはっきり確認をなさったから、それぞれの御指導を願いたいと思います。  私は、さっきも言ったように、中学校の生徒が出ていけないということじゃなくて、出てもいいと思うのです、国体に参加するということであれば。そのかわり、来年だったなら、まあ二週間か三週間前に普通の学校の運動会の練習程度のそういうことをやってみて、そうしてその子供たちが参加をするのだ。そうすれば、それは、三年もやったものと比べますと、でき上がりはずいぶんと素朴なものでもあり、あるいは間違える子供もあるかもしれないし、そろわないかもしれない。しかし、国民体育大会はそれでいいんだということをはっきりさすべきじゃないかということなんですね。鼓笛隊も同じなんですよ。小学校の四年から去年からやっている。いろいろと吹いてみて、あれがいいだろう、これがいいだろうということでやっておる。そうして、関係の先生たちは、統計をとったら、去年だけでも三十六回もこのために会議をやっている、三年も前からね。私は、これをやらせているほう、やっている人たちが悪いとどうも言い切れない。いままでの埼玉がどうだった、それから福井がどうだった、どこがどうだった、もっと素朴な、しかしもっといいところをということでくふうをしているのですから、善意なんですからね。それを地方にまかせてあるから地方にやらせるべきだということで責任をのがれれば、国体なんかやらないほうがいいという意見が出てくる。国民からそっぽを向かれる国体になってしまう。さっきの選手の資格も同じなんだけれども、これははっきりと、文部省として、これは行き過ぎである、少なくとも本年度は国体の準備なんかやるべきじゃない、それが妥当なんだ、そういう指導を文部省からきっちりしてもらいたいと思う。これはどうですか。
  61. 木田宏

    政府委員木田宏君) 国体全体のあり方につきましては、いま御指摘の集団競技の問題もあろうかと思いますが、そのほかに競技の持ち方、そのことにつきましても、いろいろ関係者とともに考え直さなければならぬ点が現にあると思っております。一つは年々歳々規模が大きくなり過ぎるということでございまして、これをどのようにしてある適正な運営の合理的な基準にとどめておくかというもう一つの問題もございまして、そういうことから、体協の国体委員会でも、国体の今後のあり方につきましては、いろいろいま検討が行なわれておるところでございます。いまお話がございましたように、集団演技は地元府県ということにはなっておりますけれども、しかし全体としては、その国体の中の重要な一環をなして運営されておるものでございますから、そういう御指摘のような点の今後の是正につきましては、他の競技種目のあり方、運び方全体を含めて、私ども十分検討してみたいと思っております。
  62. 鈴木力

    鈴木力君 事、学校教育計画は四月から入るわけです。早急にやっぱり文部省として指導すべきだと思います。特に勘案して検討しますということで、例によってだらだらやっておって、また学校がその善意の間違いをおかしているんだから、それはもう是正させるということが、国体をむしろ国民のものにするためには早く手を打つべきです。あなたもさっき度が過ぎておるということを認められておるんだから、そういう点では善処すべきです。それから、ついでにいまの国体問題で体協の前田先生に伺いたいんだが、この競技のあり方につきましても、やっぱり抜本的にひとつお考え直してみたらどうかと私は思うんですね。これは一つの提案になるかどうかわからぬけれども、もう少しレベルを下げてみたらどうかということなんです。ただし、レベルを下げるという意味は、全体のスポーツのレベルを下げるということにはならないと思うけれども、たとえば選手につきましても、まあ国民体育といって、国民になじませるという趣旨を生かそうとすれば、ほんとうオリンピック級の選手というのは勝敗、府県単位の点数を争う競技には参加しないとか、あるいは何年間か入賞者は一応別ワクになって、ほんとうのもう少し低い人たちが国民体育という形での府県対抗をやってみる。しかし、せっかく県に出て歩くという意味はすばらしい競技をやっぱり県民の目の前に披露するという意味もあるから、そういうのは別ワクにして、模範演技というような形にでもして、それは県の人たちに見せるということをやったらよろしいだろう。何かそういう形のものに考え直してみる必要がないかということなんです。というのは、私はもう一つそういうことを提案する意図は、その競技場なんですよ。公式記録ということが前提になって、いまのように国民体育大会とは言うけれども、アマチュアではあるが、ほんとうの一流の選手というものに規定されてきますと、競技場それ自体が非常に規定されるわけですね。公認競技場でなければその競技が持てないという形になってくる。しかし、もうそこまでくると、私は国民体育大会というのは、それはできれば公認競技場があるのにこしたことはないけれども、公認競技場がなければなくても、ないなりで競技をやれるような形の国民体育大会に切りかえるということは考える必要がなかろうかどうかということなんですね。そういうことがないと、もう地方回りの国民体育大会はやめろという空気のほうが非常に強く起こってきはしないかという感じを私は持っている。そういうことじゃなしに、スポーツというものをほんとうに親しませていく、全国のスポーツやる人たちが集まって交流をしながら、美化運動とか、花を植えたりいろんなことをやる、それに集中するようなのにはあまりにもやかましい規定の障害があるんじゃないか、それを取り去るべきじゃないかという感じがする。そういうものに国民体育大会というものを切りかえる段階にもうきているんじゃないか。この辺はひとつ御検討をいただきたいような気がするんです。そういたしませんと、いまの集団演技にしてもおよそばかばかしい。三年も前から練習をしてそうして十五分でおしまいだ。参加することに意義があるとか、いろんな理屈を言うけれども、県下の学童なんか参加できっこないわけです。そういうようなことのへ理屈をつけて、自分たちの我説を押し通すことはもうやめたらどうだろうか、そういうことをひとつ考えてみてはどうかと思いますけれども、いかがです。
  63. 前田豊

    参考人前田豊君) ただいまの国体の問題は、体育協会では国体委員会というのがありまして、これが主としてそういった問題を扱っております。私あたりの考えとしましても、現在国体委員会として大会の持ち方について二つの問題点があると思います。一つは、やはりトップをねらうという案と、逆にそうではなくて、いまおっしゃったような、底辺の普及、これを主とした種目に切りかえたらどうかという二つの意見がやはり交流しているのじゃないかというふうに聞いております。事実ある競技団体におきましては、そういったトップだけでなしに、底辺の出場できるような種目を設けたらどうか、こういうようなことを真剣に考えている団体もございまして、したがいまして、それらが現在交錯しているわけでございますけれども、やがてそういったものも加えられていくのではなかろうかというような気がする。私の立場としましては、現在そういうような見方をしているわけでございます。
  64. 鈴木力

    鈴木力君 委員長に伺いますけれども大臣は何時ごろ来られますか。
  65. 久保勘一

    委員長久保勘一君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  66. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 速記を始めて。
  67. 大松博文

    ○大松博文君 次の、四十四年度の予算要求額というその中に、宣伝啓蒙費として二百四十一万円を計上しております。そうして四十三年度が二百十一万八千円。私考えますのには、この前の東京オリンピックのときには、国民がみな非常にああいう種目を知っていたし、また親しんでいたということからして、まあ八十年に一回、百年に一回ということで日本に来るのだからということもあり、またその中で金メダルを取る、優勝できるというような種目もあるというのと、またマスコミの影響によって、非常にだんだんと盛り上がっていった。現在では、この札幌の冬期オリンピックというものは、こういうものの中の種目を見ましても、私のように、スポーツをやっていた者でも知らないようなのがある。そうしますと、普通の方でしたらますますそういうことに関心を持たないというようなことからして、この間も、冬季オリンピック特別委員会というのがあるというのでちょっと顔を出した。すると、全然その委員の先生でも何らわからない、盛り上がりもしない。まあいいじゃないか、そのうちに考えようじゃないかというようなことを言って、こういう状態であればこれやろうと思ってもできないんじゃないか。たった二百四十一万円、こういうものはテレビのコマーシャルだってカラーでやったら一ぺんに吹き飛んでしまう。どういうものに使う考えでこの二百四十一万円のこの予算要求をされたか、それをお伺いしたい。
  68. 木田宏

    政府委員木田宏君) 文部省では、直接たとえばこのようなオリンピック読本といったようなものをつくりまして、関係者に配るという活動をいたしております。文部省が直接いたしますこうした資料の作製費がいま御指摘の経費でございますが、そのほか実施主体になります組織委員会、また地元の札幌市あるいはその他の関係者も、その活動としては当然普及啓蒙をやっているわけでございまして、組織委員会に対しまして、運営費の補助金の中にも別途見ているわけでございます。しかし、御指摘のように、今度初めて日本選手の参加いたします競技種目もございますし、一般に耳なれない種目でございますから、これから関係者と一緒になって努力をしなければならぬと思っております。  詳細につきまして審議官のほうからお答え申し上げます。
  69. 中島茂

    説明員中島茂君) いまのお答えで尽きているのでございますが、冬季大会は地域的に北海道でやるということ、それからいろいろ東京大会と冬期大会の差はございます。たとえば競技種目が東京大会は二十種目で、札幌は六種目である。参加国は東京大会が九十四カ国、札幌は四十四、五カ国である。あるいは選手の数にいたしましても、東京が七千二百五十名、札幌は二千五百名であるというような、スケールの点においてはかなり違うわけでございます。そうしてまた率直に申しまして、オリンピックの二番せんじだというような印象を国民に与えておるかもしれません。これは組織委員会をはじめ関係者一同大いに啓蒙宣伝をしなければならないということには、大松委員の御指摘のとおりでございます。努力を重ねているところでございます。いまの予算額は、二百四、五十万と申しましたのはきわめて零細ではございますけれども、お手元に差し上げました、いまの局長が御答弁申し上げましたように、オリンピック読本を全国の小学校、中学校向けに四十二年度には、いま差し上げておりますのは四十二年度版でございます。四十三年度版は、大学、それから体育指導員、公民館、その他社会体育関係者に理解をいただくための読本を用意いたします。  さらにこれは年次計画をもって進めておりまして、四十四年度には壁写真といったようなもの、それから五年度になりますとスライド、あるいは当該年度については競技種目の解説等を文部省ではやっていきたいと思っておりますが、その金額でございます。  そのほか、局長も申し上げましたが、地元の札幌市、北海道はもちろんのこと、組織委員会では、いろいろなチャンス、たとえば雪祭であるとか、あるいは国際大会の機会であるとか、冬季国体のときとか、あるいはオリンピックデーというような機会をとらえまして啓蒙、まあポスター、パンフレット、リーフレット、カレンダー、サインボード、展示会等を積極的に催しているのでございますが、私も東京大会に若干関係いたしましたが、あの東京大会でも、やはり盛り上がる年次というのは二年前か三年前ごろでございまして、やはりまだ札幌大会の理解は少のうございますけれども、寄り寄り、いま申しました事業は非常にじみな仕事でございまして、予算額も少ないのでございますけれども、先ほど来鈴木委員からの御指摘もありますように、できるだけ予算というものは切り詰めて、そして実効を上げたいというふうに思っておりますので、学校向けとか、あるいは公民館向けなどは、非常に遅々たるもののような考えが一部の人にはあるかもしれませんけれども、そういうことから啓発していきたい、かように思っております。
  70. 大松博文

    ○大松博文君 いま、まあこの前の夏季オリンピック、これがあったものだから二番せんじだと言われた。ちょうどあの東京オリンピックのときは、日本に誘致するために委員がもう全国を頼み歩いた。そしてちょうどロサンゼルスの和田さんなんかも南米を走り回って、そして南米の票をもらうようにやってもらった。まあ全世国を走り回って、そしてそういう各国の了承を得るように努力した。そういうことまでやって、そしてああいうものをりっぱにやり遂げた。そうすると、今度はまあ日本は夏季オリンピックをやはりやったから、まあ日本にまかしとけば何とかやるだろうというようなことからして、今度のこの札幌オリンピックも一応日本に来たように私は思います。それだから二番せんじだと言っていたのではこれはいけない。あのときでも、施設からいろいろなものができるのだろうかという気持ちを持ちながらやったら、とうとうできた。この間のメキシコでも事実そうだ。ああいうなまけ者の国だ、そうするとあれはできないんじゃなかろうかと、開会式でも時間間に合わないんじゃなかろうかと言っていた。しかし、あんななまけ者の連中が完全にやってしまったんだから、こういう気持ちを持っておるとともに、またちょうど鈴木先生のところが来年国体をやる。そうすると、あの県へ行ってみますと、ものすごい猛烈なファイトを燃やしてみんなが一生懸命にやっている。そうかと思うと、一ぺんやった県へ行きますと、もうあんなものは要らぬじゃないか、やめてしまえこんなばかなものはと、こう言う。まあこういうことにもなりがちで、その点も私締めていかなければいけないのだと思います。  それと、次に前田さんに伺いたいのですが、このアマチュアスポーツ精神、これ一体簡単に言ってひとつばっと出してどういうものか、そして今度アマチュアスポーツ規定を改革すると言っているが、それをどういうふうに改革するのか、それをひとつお聞きしたい。
  71. 前田豊

    参考人前田豊君) いまアマチュア規定をどう改革するかという御質問なんでございますけれども、このアマチュア規定というようなものができましたのは六十年前の明治四十四年、嘉納治五郎先生がつくられて、最初大会参加規定というようなかっこうだった。それが続きまして、最後には昭和三十二年、いまから十三年前に改定された。そして現行に至っている。したがいまして、二、三ここは直さなくてはいけないような点が日本の国内の社会的情勢の変化あるいは各国際連盟、こういったものの規定の改革それとにらみ合わせて現在検討中であります。しかし、それらの中核をなすものは何かといいますと、ちょうど国における憲法と同じアマチュア精神であります。ところがこのアマチュアというものは、辞書を見ますと、アマチュアとは好きだからやるということになっている。ところが過去六十年の歴史におきまして、絵画とか芝居あるいはその他のものでは、アマチュアとは好きだからやるで通っておりますけれども、スポーツに関しては少し事情が違ってきているのではないか。それにさらに倫理的といいますか、教育的といいますかそういったものも若干加わってきている。そういった現象を生じている。したがいまして、そのアマチュア精神を何とか明瞭にうたいたいという気持ちを現在抱いているわけであります。現在の規定ではそれにかわるものがスポーツマン綱領というものがあるわけでございます。ただスポーツマン綱領というのが非常にむずかしくて、最初の出だしも、スポーツとは人類、人間が持つ文化の一つであるというような書き出し、これでは子供さん、青少年にはなかなか理解しにくい。したがいまして、大松先生から指摘されましたように、これをもっとわかりやすく、子供たちにもだれにもわかるような単刀直入なものに切りかえたらどうかというような意見も出ているわけであります。しかし、何ぶんにもそういったものを端的にあらわすということは、たとえばルールを守るとか、あるいはフェアプレーの精神を尊ぶ、あるいは公衆の目的なくしてやるというようなものを端的にあらわすのも、非常に文章その他もむずかしいので、現在それを担当員をきめまして鋭意検討をしているという段階であります。
  72. 大松博文

    ○大松博文君 そうしますとこのオリンピックの理想という中に、オリンピックで最も大切なことは勝つことではなくて参加することである、こういう規定もございますが、しかし現在のこのオリンピック、また先ほど言っておりました国体ということも勝つことのみにおいて価値があるというようなほうにも変わっているような気がする。しかし、アマチュアスポーツ精神は何かというと、人間の本分たる学業、また社会人なら各人の仕事を持っている、その仕事を完全にやったその余暇にやってこそ価値があるだろうからして、人事を尽くして試合のときは天命を持つというのが私の信念ですが、しかし、こういうことがこのオリンピックには全然行なわれておらない。ましてやこのグルノーブルの冬季オリンピック大会、これなんかにはマーク問題がいろいろある。また現在テニスとか、いろいろアマとプロとの全然区別がない。ましてやこの前のメキシコオリンピック、この中には靴の中にドイツのメーカーが金を入れていた。また新聞紙上を見ると何億円かの金をそれが出して、そしていわゆる宣伝用に使おうとしているというようなことがある。こういうことがいろいろあることからすると、何もIOCだけの云々じゃなくて、今度の札幌冬季オリンピック、これには日本が確固たるそこの一つの線を出して、そして純粋なアマチュアスポーツ精神にのっとったその線を私は出すべきだと思いますが、その御意見をお伺いしたいわけです。これははっきりしておかなければ私は日本の国にとって恥だと思うのです。
  73. 木田宏

    政府委員木田宏君) 前田参考人からお話もありましたように、体協自体でアマチュア規程というもののあり方について御検討が始まっております。各競技種目ごとに国際的にも若干のニュアンスの違いがあると思いますけれども、アマチュアの基本的な趣旨は、そのスポーツによって生計をかせぐというような本業でないということに一つあると思っております。その基本の線に沿って各競技種目がそれぞれの競技種目に適切な基本線あるいは日本の体協全体を通じた一つのべーシックな線というものをせっかく検討されておる時期でございますから、明確にしていただき、私どももそういうことにつきまして一緒にさしていただくという考えでおるわけでございまして、特に冬季スポーツにつきましては、御指摘のような事情のあることも聞いておるわけでございますから、体協関係者の努力と相まちまして、できるだけの処置を講じてみたいと思っております。
  74. 大松博文

    ○大松博君 オリンピックに生徒が出る場合、これは文部省の見解としてどういうように処理されますか。
  75. 木田宏

    政府委員木田宏君) いまお尋ねの越意は、中学あるいは高校の生徒がオリンピック種目に出るかどうかということだと考えるわけでございますが、それらの学校の生徒の中にありましても、非常にすばらしい能力を持っておるものが選ばれてオリンピック選手になるということは十分あり得ることでございますし、また、そうした若い学生、生徒が出ました場合に、それがひのき舞台で活躍をする、参加をするということは、同年配の学生、生徒に対しても好ましい影響を与え得るものだというふうに思います。ただその訓練のために学業がおろそかになるということの問題があるとしますならば、これは学生の本分との関係として、やはり問題が起こってまいりますので、学業との関連というものをけじめをつけました上で、オリンピックに参加いたしますためのわざを伸ばす、そして参加をするということはできるだけ激励をしていって、子供たちのためになるように考えていくべきものじゃないかというふうに思っております。
  76. 大松博文

    ○大松博文君 そうしますと、現在スポーツをやっておる、そうするとそういうものにその中から選ばれて出られる生徒があったとする、そうしますと、その生徒は何日間授業を離れるのがアマチュアだと、また一般社会人がオリンピックに出る、そうすると仕事を何日離れればいけないのだ、何日離れればいいのだ、この規定がなければそこにそういうけじめが私つかないと思います。そのけじめをつける規定か何かそれがありましたらお教え願いたい。
  77. 木田宏

    政府委員木田宏君) 現在何日どうしたらというような規定があることは私聞いておりません。またそういうことでどの程度まで一定の基準がつくり得るものであるかどうか私も全く不案内でございまして、適切な御答弁にならないかと思うのでございます。しかし本来の学業の遂行面から見まして許され得る限度というものを各学校段階別に、また競技種目との関連も若干はあろうかと思いますけれども、そのわざのみがき方との関連でひとつ考えてみたいというふうに思います。
  78. 大松博文

    ○大松博文君 何か時間がないらしいのでございますが、ちょうど今度の選手強化、これには大体七億程度使う予定になっておりますが、これは予定で、要求しているのも入れてでございますが、これだけ金を使う。そうすると、この前強化対策本部でプロのコーチを雇ってはいけないとか、またいいんだとかいうようなことを言っておった。しかし、これは仕事、学業をやった余暇にやってのみ価値がある、そしてその中で優勝するのが一番価値があるのだ。ソ連へ参りましたときでも二万三千人おった、観衆が。その中で日本人というのはせいぜい百五十名。ましてや国旗とか国歌が要らないというあの岡田嘉子さんまでおって、その場面を見ながら涙を流して喜んでおったというふうなことを見ますと、やはり民族意識というものが勝つことに非常な関心を国民は持っておるということからしますと、プロのコーチであろうと何であろうと入れて勝たすようにすべきじゃなかろうか。現在のプロとアマのコーチというものは差がないと思う。ただその人自身の価値と能力によってきめるべきだという気がするのですが、この点ひとつお聞きしたいわけです。そして今度やりますと、大体これだけの強化費を使う。そうなりますと、その中でどれだけのものがどういう成績になるか、めどをひとつお話しいただきたいと思います。
  79. 前田豊

    参考人前田豊君) 今度の札幌対策で現在プロコーチを二名というような話が出ております。ところが、プロコーチの定義というのが非常にむずかしゅうございまして、現在それを、アマチュア規程検討中でございます。どういうものをプロコーチというかということは非常にむずかしい問題があるわけでございます。したがいまして、そういう事情でございますけれども、ともあれ現在スキーとかスケートはいわゆるプロコーチというものを持っておられる競技団体でございます。したがって今度二名お願いいたしましたコーチは現在スケートあるいはスキー連盟のプロコーチなんで、別に問題なくこれをお願いしている。また国際連盟の規約、オリンピックの規約を見ましても、スキー、スケートではそれらの人が指導しても差しつかえないというようなことになっておりますので、そういう制度を今日のところお願いしておるわけでございます。なおプロコーチの定義、こういったものは現在検討中で、しかるべき線を出していきたいというように考えておるわけでございます。
  80. 大松博文

    ○大松博文君 もう一つお伺いします。  この前の東京オリンピックをいろいろ見たりやったり感じたことでございますが、あのオリンピックというものは、とかく選手なんかとか国民というものを疎外したような感じを受けた。組織委員会の連中だけのオリンピックだという感じを受けた。これは私、大きな誤りじゃないか。選手も同様だが国民全部の人のオリンピックだということを念頭に置いてやっていただきたい。その一つの例も、ちょうど発会式がございましたときに、ある方が私たちに向かって、これほどの施設を私がつくってやったのだ、だからしておまえら勝てよと、こういうことを言った。そうすると、当時、私たちは夜は朝の三時までやって、そして朝八時から仕事をして、これでやっていた、これ以上やれというのなら私たちに死ねと言うのかということを私反発したというようなことも一つの例ではございます。いろいろなことございますから、国民全部のためにオリンピックをやっていただきたい。
  81. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 私は前田参考人にわずかの時間お尋ねしたいのですが、参議院の文教委員会の中に設けられたオリンピック委員会で、グルノーブルから帰ってきた竹田さんその他の体験を聞いてまことに残念だと、今度は札幌では成績を上げたいと、その原因は準備が十分でなかった、訓練が足りなかった、底辺が浅かったと、こういう問題をとらえて札幌にそなえていきたい、さきほど前田参考人選手の強化の本部もつくった、対策のために強力な組織をやっておる、四十四年には二百九十一名の選手をしぼって、その中から精鋭を出していくと、そこで、札幌オリンピックには、目標として入賞できるのはどの程度目標に置いていかれるか私は尋ねたい。やっぱり出た以上勝つということ、ポールに旗を上げるということ、これは国民的な一つの念願でもあり、国民に与える影響も、スポーツの底辺を深める上においても私はきわめて大事なことだと思う。参加することだけに意義があるという考え方ではない。少なくとも国民に種が投げ込まれ、そしてスポーツをより強くきりもみ的に将来やっていくという観点に立つならば、選手として出る者は、出す者は国民の念願をかなえさせるような方向に準備と訓練とをすべきではなかろうかと、私はそう考えるのですが、そしてそういう悲願を達成するために何かネックとなるものがあるならば、たとえば資金の問題はこうだとか、その他のネックとなるものがあったらそれもあわせてお答えいただきたい。
  82. 前田豊

    参考人前田豊君) 非常に重要な問題だと思います。ただ、私たちが先ほどから申し上げているように、冬季の種目と夏季の種目は歴史が違っております。残念ながら冬季にはかくかくたる歴史が少のうございます。したがいまして、現時点はあまり期待のできない状況にあるのじゃないかと思うのです。しかし、私たちがここで断言できることは、東京オリンピックでもある程度の成功をおさめた。さらにはメキシコでもおさめました。ところが、これは夏季である。しかし、やり方は共通の面も多うございます。たとえて言いますれば、アイスホッケーがある。これは競技の、バレーとかサッカーに似ています。チームづくりは大体同じではないか。またスピード競技あたりは、陸上の短距離あるいはマラソンなんかと似ている。そういうように共通点が相当あるわけでございます。したがいまして、これらで成功をおさめた最短距離をわれわれは十分承知しているわけでございます。こうすれば、普通は三年かかるところを一年でできるのじゃないかというようなことを知っております。したがいまして、これらの総力を結集しまして、今後、札幌に夏季のものも全部の力を結集していけば何とか私はなるのじゃないか。また何とかしなければいけないということだけしかここで私は申し上げられない。何個金メダルと、私たちは東京オリンピックの前にもまたメキシコオリンピックにも大体、金メダルは何個というようなことを申し上げました。しかし札幌については現実はそういうわけでございます。ただ、これは本部が目の色を変えて、われわれスポーツ界が持っておるすべての力を結集してやりたい。私も夏季の人間でございます。しかし私も持っておる力を全部投げ出してこれからやってみたいというような覚悟をきめておるわけでございます。その決意を新たにするために昨日のJOCの総会でも新しい本部長をきめ、これを中心にしてみんなでやっていこうじゃないかというような気持ちでございます。先ほどから申し上げておるように、やはり東京オリンピックをやった。札幌オリンピックをやった。やはりわれわれは国民の体力が増強することをそれによって望みます。またりっぱな運営をやることも望みます。それと同時に、やはり日本国民に対しては、いい成績をおさめたい。それが私たちスポーツマンの第一の心がけるべきことじゃないかというように考えております。非常に御回答の線から遠くなりましたけれども……。
  83. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 非常にむずかしい質問で、賞は幾つとるかという、これは私はそういう意味だけを含めてでなく、やはりやる以上目標が掲げられて、そこに全役員選手が全力集中的にやることこそ私はスポーツの花を咲かせるもとではなかろうかという感じでございます。そのためにネックになるものがあるならばネックは取り払うことにわれわれ協力することにやぶさかではない。先ほども歴史が浅いということ。たとえばスケートの問題にしても私は歴史が浅いとばかりは考えられない。いままでオリンピックその他で日本の成績をあげたレスリングにしても、あるいはサッカーにいたしましてもウエートリフティングにしましても、これは歴史は浅いのです。浅いけれども科学的に、そしてそれを底辺を深めるために集中的なことをやって私は成績をあげていると思うのです。成績をあげるということは、私はその参加した選手だけでなく国民に与える影響はまことに大きいと思うのです。大松君らが率いたニチボー貝塚の問題にしましても、あるいは八田君が率いたレスリングの問題にしましても、国民に与えた影響というのは私はきわめて大きいと思うのです。そしてその参加した選手の気力というものを私は国民にそれぞれ与えて、私自身も、私は決して自分の訓練を言っておるわけじゃございません。私自身も学生選手権を一回とっておる、日本選手権を一回とっております。とっている過程の中で、私は相手がおりません、夢の中で相手を想像しました。夢の中で試合を何回かした、夢の中で悟り得たものを、自分であすの試合に勝ったということ、それが私の人生に何か役立っておるという、私はそういう訓練が若い人の中にこもってこそスポーツの成果が実を結ぶのではなかろうか。ただ楽しくやるだけ、それだけではない。私はやっている間に楽しさをわき立たせるものがそこにきびしい訓練を伴うし楽しさを伴う。国体の先ほどの問題、鈴木さんの考え方も私は同感なんです。ああいうふうに底辺を深く楽しみ、同時にその中に深みをつくって少年たちに何かこう一人一人がつかんだものを持っていくという行き方、それには私は今度の冬季オリンピックなんというのはやはりささえるものが必要だと思うのです。あと三年です。目標があるわけです。国民はネックがあるならばそれを解決するためには協力体制をつくるべきだ。これは資金だけじゃありません。気がまえだと思うのです。そういう意味で私は前田参考人に重ねてお尋ねしたいのですが、なかなか答えにくいと思いますから、私ども考えているところの一端をくみ取っていただきまして、選手強化や体育協会のあり方についてひとつ強力な体制を臨みたい。なお文部省関係につきましては、底辺を拡大するための施設の強化の問題これはオリンピックだけじゃありません。体育時間いまの小、中学校、高等学校の体育時間、 いまの姿でいっていいわけではないわけです。全人格の陶冶の面から、スポーツの面から、あるいは体育の時間の問題、そしてその施設の問題、こういう問題は後刻午後時間が許されたらお尋ねしたいと思います。
  84. 小林武

    ○小林武君 私はたった一つなんですが、前田さんがお帰りになりますから前田さんにだけ自分の考え方一つ述べて御検討いただければしあわせだと思います。それは、私もやはりオリンピック見ても何競技見ても勝てばうれしいほうです。参加することだけが意義があるというふうにはあまり考えない。しかし、そのことのために何やってもいいともこれは考えられない。しかし、そこらはひとつある程度のやはり調和も必要なんでしょうし、その点は体育関係者ばかりじゃなく、文部省でも苦労私はあると思います、率直に言って。ただ、一つここで申し上げたいのは、アマチュア規定の問題ですね。これは体育協会の立場からいえば、私は一つのしろうと観ですけれども、かつてのアマチュア規定というようなものができたときから見ればたいへんな変化が起こっているということを踏まえないとできないのじゃないか。ちょっときょうの新聞見ましたら、三宅君が一億金があればおれはこの次も金メダルとってみせるというような、そういうことを言っておった。私はこれはほんとうだと思うのですよ。必ず取れるということも言えませんけれども選手を養成するということに金のかからぬことはないです。これは小学校の子供の選手を養成しても金がかかるのです。これはなかなかひねり出すのに容易じゃないという経験も持っておるわけなんです。だから、金のかからぬということはできないということは、もうやはり文部省もそれは十分頭にあるでしょうしね、それから体育関係者だってこれはあるだろうと思うのです。もう一つは、やはり社会主義、共産圏ができた。そこのスポーツの選手の養成のしかた、これも私は全部見たわけじゃありませんけれども、見た範囲において、日本のものとはだいぶやり方が違うように思います。小さいときからの一つの指導のしかたにしましてもね。そういうことを考えますと、いままでのような何か、決してことばじりとらえるわけじゃありませんが、用語がむずかしいとかなんとかいうことではなくて、新しい時代になって、新しいアマチュア規程というものがなきゃならぬし、プロとの間が、私から言えば、非常に接近してきているという点も考えるわけです。そういうものをいまの段階ではっきりアマチュア規程というものを立てないというと、私は逆にスポーツの振興を意図しておって、スポーツが衰退する、その中から一つの腐敗も起こるというようなことになるのじゃないか、こう考えておるわけです。とにかく精神主義だけでやっておったんではたまらないし、私は見ておっても、オリンピック選手の——これは今度のオリンピックのことではありません。たとえば東京オリンピックの場合でも、選手にならずにやはりその中で、スクラップ化というとこれは悪いですけれども、そういう選手の将来なんていうふうなものなんかについても、かなり私は問題点があると思いますし、そういう一つの犠牲の中にまただんだん世界的なレベルに接近していく選手の養成というものがつながっているわけですから、これは一がいにそのことを否定することにはいかないと思います。思いますけれども、そういうことを踏まえて、ひとつ体育協会などというものは選手養成に、文部省その他体育関係者との協力のもとにやっていかれたらと思うわけです。まあどこのあれにも派閥はあるわけですから、体育協会の派閥だけ問題にすることは、政党にだってざらにあって、これは世の指弾を受けているわけです。しかし体育協会は、ぼくはわりあいに整理するとすれば政治の世界よりか整理がしやすいような気もするのです。そういう点で、あまりもう——体育協会の中心的な人物が吐き捨てるように私に言ったのは、ああいうとこないよ、というようなことを言われた。これはほんとです。ごく最近です。そういうことを言われるということは スポーツマンシップとか何とかいうことを日常口にしている人たちにしては非常に残念なことになるので、これはもう政界もそういうところがありますから、お互いにひとつそういう点で反省を強めながらやっていきたいということを考えて申し上げているわけです。
  85. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 本法案に対する本日の質疑はこの程度にいたします。  午後一時三十分まで休憩いたします。    午後零時三十三分休憩      —————・—————    午後一時四十二分開会
  86. 久保勘一

    委員長久保勘一君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  教育、文化及び学術に関する調査として、昭和四十四年度における文教行政重点施策に関する件並びに昭和四十四年度文部省関係予算に関する件を一括して議題といたします。  政府側から坂田文部大臣、村山大学学術局長、西田大臣官房審議官、以上の方々が出席いたしております。  本件について質疑の申し出がございますので、これを許します。小林君。
  87. 小林武

    ○小林武君 大臣お尋ねいたしますが、総理が大学管理法をつくることをあなたに命じたとかなんとかいうことですが、これは一体事実ですか。そしてまたその趣旨はどういうことですか。
  88. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 大学管理法案をいますぐやれという御指示はございません。
  89. 小林武

    ○小林武君 いや、どうも総理も非常にこれに対する熱意があり過ぎるように思うんだけれども、何か伝えるところによると、これでひとつ総選挙をやるんだというような意気込みらしいと、新聞にも書いてある。私はやはり今度の大学問題考えましたときに、そんな角度からやられるということは、これはやはり総理としては慎しんでもらいたいと思うんですよ。しかし、ないというお話でありますから、そうすると今国会にそういうことをやるというようなことはまあないというふうに理解してもよろしいですね。
  90. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) たびたび総理も私も衆議院、参議院の予算総会あるいは本会議あるいは委員会等で繰り返し繰り返しお答えをいたしておりますとおりに、第二十四特別委員会の中間報告というのが大体四月の中旬ごろには出るということでございますので、その辺を、出ました時点において、もし必要があるならば考えるというふうに一貫して答弁をしてまいったわけでございまして、その考え方に変わりはございません。
  91. 小林武

    ○小林武君 前回の委員会において坂田文部大臣から文明史論的な見方を、御説明をいただいて、私はさっきもちょっと雑談で述べたんですけれども、私はわりあい好意的に受け取ったんですよ。なかなかこういうときにああいうことを深刻な段階で言うことは、へたするというといろんな問題を起こすわけですから、なかなかおっしゃらないことだと思うんです。それを大臣が率直に述べたということは、ものの考え方についてやはり根源的な一つのつかみ方をなさろうとする努力というものがその中にあらわれているから、私はそれについて非常に好意的であったわけです。ただ、その文明史論が、坂田文明史論がどういうあれであるかということについては、これからお尋ねしたいと思うんですけれども、実は私もちょうど党でもって大学問題を取り扱っていろいろヒヤリングをやったときに、ある学者が、あなた、書くなら文明史論を書きなさいというようなことを言われた。そのとき私はたいへん参考になるいろいろなお話を聞いたけれども、私は政党ですから文明史論ではちょっとこれは大学の問題をどう処理するかということの解答にはなかなかならぬと思うからそれは書けませんけれども、たいへん参考になりましたという話は、本気にそう思ったわけです。そこで、私はいまあなたの文明史論、私も今度の大学問題を見れば、やっぱり歴史的なひとつの見方というものが必要だと、単なるこの時点での現象面ということだけではものごとのとらえ方がやっぱり間違いだというふうに理解したわけです。  そこで、実はこの間もお話を私は聞いておったのですけれども、端的に言ってどうなんでしょう、いまの若い人たちの、特に学生の諸君、大学の学生の諸君、さらには高校にこれが波及しておる事実、きょうの週刊誌を見ましたら埼玉県では小学校の中にもそういう問題が起こっているということを取り上げている。この問題を、私は、文明史論的ということをおっしゃった大臣はどういうふうに考えて一体申されておるかということをここでお聞きしたいわけです。私はこれとかかわり合って、それではどうやる、それではどうこれを理解しているのだということを実はこの間ちょっと限られた時間の中で質問している人のことを考えましたら、ちょっとこっちも少しあわてて、これはどうなるかというのを心配しておったので聞き漏らしましたからお尋ねするわけです。  そこで、私は一つだけここで、これは決してやじる意味でも何でもなく申し上げたいのだけれども、きのう本会議の席上で、自民党のある議員さんが私にちょいちょいと言うから耳をそっちのほうへ出してやった。小林さんやめてくださいよ、何の話かと思ったら、高等学校のこのごろの卒業式の騒動ですね、あれ、小林さん、日教組がやらせているのでしょうと、こう言うのですね。日教組がやらせているのでしょうと、こう言うから、日教組が何か卒業式のああいうことをやらせているようにおっしゃるから、それは違うよと、日教組の組合員といえどもあれにぶつかっちゃってもう弱り切っているのがこれは実情でしょう、それからまあ都立大学の高校の場合には、私は古川原さんという校長さんよく知っていますから、あの先生は非常にやはり苦労して三カ月前からいろいろな方策を講じられて、そうして学生との間の討論の上で一つの方式を考えた。それが突如としていよいよやるという段階にああいう場合にぶつかった。古川教授もきっとこれはたいへんな打撃を受けているだろうと私は思う。だから、そんなだれがやっているとか、彼がやっているとかという、これはあまりこの方面に関係のない方々には、だれがやっているとか、日教組がやっているとか、日教組の教育がどうだとかというようなことだけでとらえられない問題だということを、もうこの段階だったら政治家全体が考えていかなければならぬ。そういう意味で先ほど来の文明史論的な立場からいって、いまの問題をどうとらえているのかどうかということをひとつお伺いしたいわけなんです。
  92. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 非常にむつかしい問題でございますけれども、大学の紛争の原因については、いろいろ複雑多岐な要素がかみ合って起こっておるというふうに言えるかと思うのでございますが、しかし、これが単に日本だけではない、アメリカにも起こっている、あるいはフランスにも起こっている、イギリス、ドイツにも起こっておる、イタリーにも起こっておる。こういうようなことを考えますと、単に日本だけの一つの原因ではないんじゃないかと、やはり世界史的な広がりを持ったものであるということであります。それからまた、これは自由社会における先進国に起こっておるということが一つの特徴かと思うのでございます。こう考えてみると、やはり歴史的なものとしてこれを考えなければならないんじゃないか、そういうことが一つ。それからもう一つは、従来イデオロギーでもっていろいろの現象をとらえてきたわけでございますけれども、はたして昔のように、左翼である、あるいは右翼である、あるいは左翼といった場合はマルクス・レーニンというその主義、そのことを深く勉強し、そうして共鳴をし、そうして革命運動に走るということで左翼といわれたかと思うのですが、そういうものの考え方で左翼の中においていろいろのまた分派ができてきた今日の状況において、直ちに昔と同じような形で割り切り得るかというと、そうでもないんじゃないか。むしろかつて世界史——共産主義革命を主張する人たちそれ自身もまたエスタブリッシュメントとして批判をされておる。こういうことを考えると、やはり現象だけを見るんじゃなくて、現象のもとになるものをやっぱり考えなきゃいけないんじゃないか。三派の人たちがよくオリジナル・ポイントということを座標の問題で、ものごとがわからなくなったら座標のところに帰れという、そういうことを言っているといいますけれども、私はやはりいろいろの混乱した状況によってものごとがどこに本体があり、本質があり、そうしてどう解決するかということがわからなくなった場合においては、最も原理的な、あるいは本質的な、本源的なものに帰って世の中を見てみるということが非常に大事ではないかというふうに私は考えたわけでございです。そういう意味合いにおきまして、ことばは当たっておるかどうかしりませんけれども、戦後のこの二十年間の科学技術の進歩というものは、かつての世界歴史における五百年、あるいは六百年の変化を二十年の間にされた。それに対して元来人間は社会の変化に対応することができる能力を持っているのだけれども、この変化の早さ、この変化の複雑さにはなかなか対応できない。したがって、たとえば教育大学とか、あるいは東大とか受験して入ってまいりまする学生の中で、一二%から一三%ぐらい精神障害を受けた人たちであるということは、そういうようなことも物語っておるのではないか。しかもこの十年来の経済の成長に伴いまして、人口の都市集中化というものが行なわれた。かつてわれわれが歴史で読みましたのにはゲルマン大移動なんということがありますけれども、これがとにかく現実の問題として日本の社会において十年間において七大都市に人口が集中をしてきた。しかも七大都市に六〇%の学生が存在をしておる。それと学生運動というものは無関係ではないんじゃないかということを考えました場合に、やはり学生の意識の問題についても単に左翼である、右翼である、共産主義者である、社会主義者である、あるいは保守主義者であるとかいうようないままでの考え方だけでこれをとらえても問題の解決はできないのじゃないか、それを越えたいわゆる文明史的な意味において人間の変化というものが、意識の変化というものがあらわれてきておるのではなかろうか、こういうふうに私は考えて大学問題の紛争というものもそういう一面があるということを主張したかったわけでございます。
  93. 小林武

    ○小林武君 ただいまの話を聞いておって共鳴点が多いわけです。私は文部大臣であるからなおさらそれについて共鳴することが多いわけです。これは率直に言って役人の方もいらっしゃるから悪口ではなくて聞いていただきたいのですが、やはり官僚では言えないところだと私は相当これは高く買っているのです。というのは、大臣、ほめたけれども、そのほめた先のことが出てこなければわからぬのだけれども、これはやはり一つの先進国に起こったタイプで日本だけの問題ではないんだと、日本のある特定の教員組合がどうしたとかこうしたとかいう問題ではない。私はさらにあなたのあげられた問題、科学技術の進歩とか、そういうことについて全く同じ意見です。さらに私は高度の資本主義社会というものに起こった問題だということはこれを見のがすことはできない。繁栄を誇る国に起こっている、高度の資本主義国であり、それから同時にやはりいまの原子力の開発によって一面には平和的利用というものも起こっているけれども、問題はそれが戦争とからまった場合に、非常に深刻な問題もここに出てきておる。これはアメリカの学生にも、フランスの学生にも、日本の学生にも共通の刺激であるということはこれは言える。そういう根本的、原理的な問題について考えなければならないということはおのずから対策がどうなければならぬかということになると思うのです。私はその点で国連の報告などというものの従来のそれとは非常に違った新聞の論評、私はその点ではなかなかこれはやっぱり見方がいいと思ったのです。非行少年とかなんとかいうようなほんとうに小さな局面だけ押えたやつが今度は世界の若人たちの怒りというものはどういうことかということにやはり目を向けた。それからわれわれから言えば保守の保守のどうにもならぬと思われるローマ法王が学生の行動に対して支持の態度を表明しておるのです。これに謙虚に耳を傾けることこそ必要なものだということを強調した。これはローマ法王が教師を集めての演説である。私はパウロ六世という人はどういう人かあまりよく知りませんが、しかし進歩的な考え方を持っている人だと思う。それにしてもローマ法王です。そのローマ法王がそういう表明をされたということを考えると、私は、今度の問題を単なる政争の具に考えたり、それからとにかく学生はけしからぬと、ゲバ棒を振ったやつだけが問題なんだというものの考え方は私はやはり大いに反省してみなければならぬと、こう思っているのです。それでいろいろ問題が出てくるわけでありますけれども、われわれとは必ずしも根本的に意見が一致しない考え方にしても、京都大学の井上教授が学生の運動に対して一つの賛意を表明したとか何とかということが出てきた、これはかなり政府を刺激した。あるいは羽仁さんという歴史学者が今度の運動に対してとっている態度も私もこの目で見ておる。ここは政治家と学者の違うところで、この事態に対してどう解決を与えて日本の大学を一体正常な形に持っていくことができるのか。将来日本を背負うところの人たち、世界の人たちに寄与する青年たちにすることができるかというところにわれわれは政治家ですから重点を置く。しかし、あるいは現実に目をとめれば彼らのほうが正しいということが出てくる。そこは井上さんと羽仁さんと私たちと違うところが出てくるわけですけれども、それはさておいて、そこでこの問題を考えますときに、私は中教審というのは一体、あなたたちは中教審をいかにも信頼してこの結論が出たら、この結論が出たら、こうするんですと言うが、それに一体値するような結論を出すと私のとにかく最近信頼している文部大臣がお考えになっておるかどうか。それを言えといってもそれはとても言いにくいだろうけれども、言えなかったら言わぬでもいいですけれども、一体これはほんとうに本気になって現在の問題を考えるときに、中教審の考えだけ、しかも幾つか出されている学生の地位に関する問題、その後出てくるところのいろいろな答申というようなものが学生運動のいまの状況をまず押えて、そうしてその後にりっぱな基礎の上から出発するということが可能かどうかということについて非常な不安を感じておるのですが、あなたのお考えを文明史論的立場からひとつどういうようにお考えなのか、その辺を聞かせていただきたいんです。
  94. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) まず前段の問題についてちょっとお答えしておきたいと思うのですが、先ほどは世界に共通した意味における若者どもの意識の変化あるいは行為、行動というものを普遍的なものとしてお話を申し上げたわけですが、しかし、これは小林さんも御承知のとおりに、それぞれの国にはそれぞれの国の学制、制度がございますし、そうしてまた、それなりの伝統もあるわけなので、今度は共通した部面もあるけれども、特別の問題もある。したがって、たとえばフランス、ドイツ、ヨーロッパ大陸における大学というものにおける若者どものそういう行為と、それからアメリカにおける運動、あるいは日本における運動と非常に違っておる。たとえばその目標にいたしましても、彼らの反抗しておる目標あるいは批判しておる目標にいたしましても、フランスの場合はむしろ制度そのものが日本のように開放された教育といいますか、すべての人たちが高等教育を受けるだけの制度になっておらない。十六万人パリ大学は確かに入れますけれども、その卒業は三〇%になってしまう。イギリスにいたしましてもようやく一〇%程度、ドイツにおいても同様だと思うのですが、そういう閉ざされた大学制度になっておる。アメリカ、ソ連においては開かれた大学制度になっておるということで、彼らはそういう制度に対して批判をし、何とかもうちょっと労働者の子供も農民の子供も高等教育を受けられるようにしたいという、こういうことがむしろ中心になっておる。またそのやり方にしましても、やはり何百年かの合理主義の、あるいはものの考えもヨーロッパに居すわった形においての学生の批判のしかた、あるいは闘争のしかたをやっておる。アメリカの場合はむしろ別な問題、あるいはもっと底にあるものは黒人問題、そういう政治的問題がむしろ学生たちの運動の基本になってきておる。日本の場合はフランスよりも少なくとも国民のために開かれた大学制度になっておるけれども、しかし、その制度はそういうふうになったけれども、それを運営している大学当局は依然としてまだ古い観念にとらわれて、昔の旧帝国大学、さらにさかのぼるならばドイツ流の大学というような考え方になっておるというようなところに問題がある。その他、いろいろ日本においてもベトナムの問題、あるいは安保条約の問題、そういう政治的な問題がからみ合ってきておるということは、まあ小林さんの御指摘のようなところだろうと私は思うのです。そういう特殊な面があるというところをまず申し上げたい。  それから中教審の問題でありますが、それじゃ中教審というものがなくて、そこへわれわれ政党がかってに、そのときの文部大臣が自分の考え方でもってどんどん法案を立案する、あるいは行政をやっていくというようなことがはたしていいかというと、そうじゃなくて、やはり中教審というような制度を設けて、そうして有識者の方々がその中に入っていただいて、冷静な第三者の考え方でもってこういう制度について答申をいただく。そうしてその答申をいただいた文部大臣は、あるいは総理大臣は、その答申を尊重し、あるいはその答申について多少意見の違うところがあった場合はそれを修正しながら立法するなり、あるいは行政をするなりしていくことのほうが民主的な方法ではないだろうか、客観的に長期的に見るならば非常にいい方法ではないか。いかにもちょっと見まするとまどろっこしくてという批判もあるかもしれませんけれども、そこのところがいわば自由社会における民主主義の一面において非常に極端に走らないいい面でもあるのじゃなかろうかというふうに私は思うのであります。その意味合いにおいて中教審の現在のお仕事というものは、やはり相当尽すべき意味を持っているというふうに私は信じておるわけでございます。
  95. 小林武

    ○小林武君 初めにあまりほめちゃったけれども、文明史論もよかったけれども、その文明史論が今度は特殊性だけ強調して日本の場合違うのだというようなそういう論理の組み立て方は、それは文明史論をいう坂田文部大臣にしてはおかしいと思いますね。これは文明史論としてほんとうに議論されなければならぬことは、その共通面を強調するということですよ。それはアメリカにはアメリカの一つの問題がある。黒人問題という日本にない問題がやっぱりある。それからフランスはフランスの一つのやはり学校制度の中に問題点はあると思う。日本には日本の問題がある。しかし、ここで共通面としていえることは、これはたくさんあるわけでしょう。そうでなかったら文明史論出てこないものね。だから私が言うのは、その文明史論の立場に立ってその共通面をどう探したらいいかといったら、先ほどむしろあなたのおっしゃる根源的な文明的な本質的ないまの国際的なつながりというものを考えていかなければいかぬと、こういうわけです。私の言うのはそこなんです。  それで申し上げたいのは、日本の特殊事情、特殊事情とこういう。そして日本の学生はけしからぬ、日本の大学は古いと、こう言うだけじゃだめだ。それだけ学生たちが騒ぐような事情がいまの国際的な諸情勢の中に出てきている。フランスの学生も、日本の学生も、アメリカも同様なんだ。フランスの学生が日本の立ち上がりを見て、そして日本の全学連に続けと言ったとか何とかいうようなことも聞いている。フランスのあれが起こると、日本の学生の諸君がやはり呼応してやらなければいかぬというようなことを言ったり、アメリカの諸君がそんなことをやったりする。学生の諸君がそういうことでやるというようなことになると、そのつながりは共通面のところから出てくることだと私は思うのです。そう考えたら、私はやはりこの大学というものは、特殊性を強調して出すということになりますと、いかにも党派的な、政党的なにおいだけが出てくるということになると思います。これは自民党だけではありませんけれどもね。そういうにおいが出てきたら、やはり問題の本質的な解決というものはぼくはできないと思います。そういう点でまず申し上げるというと、坂田文部大臣は大学の古さだけ強調される。私は正直にいって、これはもう坂田さんから一言聞いて、実はあなた忘れたかもしれぬけれども、ことしのことですからお忘れにならぬかと思うけれども、ぼくも大いに反省するところがあるというようなことを、いろいろな問題を検討して考えてみたら反省するところがあったというようなことをちょっと聞いて、そんなら坂田さんとあまり争わなくてもよかったと、前にそんなこと言ってくれたらぼくはそんなこと言わなかったでしょう。やっぱり一番問題点は、われわれもしなければならぬならするけれども、自民党という党は政権を持って、大学政策に対してはとにかく一つの方針をもって臨んできている。文部省というのは行政面からこれをとにかく、われわれから言えば、指導ではなくて圧力を加えてきた、こう考えている。そのことについての反省が一つも出てこぬということは、どういうことだろうとぼくは思っているのです。これは片手落ちだ。私は大学の古さというようなものを認めますよ、率直に。しかし、認めますけれども、その古さも認めるけれども、同様に新しい大学がとにかく生まれ変わろうとした、新制大学になったときから、一体自民党のやっている政策を考えると、大体これはとにかくどうですか。新制大学を指導するということよりか、むしろ私は逆な方向だと思っているのです。それはもう戦後のあの大学の大学管理法問題以来、ずっと系統的に言えば、ここで列挙する気持ちありませんけれども、一目瞭然ですね。だから私はその反省を持ってもらいたいと思います。その反省なしに、大学の学生が悪い、教授が悪いということだけではだめだと私は思う。また、それがなければ、今度新しい大学、——あなたは国民の大学ということをおっしゃって、実はわれわれと同じだなと思ったことがある。国民の大学ということばが文部大臣から出てくるということは、これはもう画期的なことだ。この大臣が本気になってやったら、これは変わってくるのかもしらぬと、実は一時そう思ったこともある。国民の大学という発想が少なくともこれから出てこなかったら、ほんとうの解決には私はならぬと思います。そういう点で、自民党がずいぶん私はお考えになっていただきたいと思っているのだけれども、反論があったらひとつ答えてください。自民党に悪いところ一つもございませんと、大学がみんな悪いと、それから日教組悪いのですというようなことを言うんだったら、ついでに社会党もけしからぬというようなことを言うのだったら言ってもけっこうだ。けっこうだけれども、とにかくはっきりその点はしなければいかぬと思います。そのことが一つです。  もう一つ申し上げたいのは、中教審に対する考え方です。朝日新聞の三月十八日の海老原教授の書いた中教審のこれをお読みになったと思うんですが、お読みになったらこの事実については、もうあなたたちは認めざるを得ないのじゃないですか。中教審というものをどういうふうにしたいと南原さんはじめ考えたか。中教審の委員というものはどういう選び方をしなければならぬかということを考え、とにかくそれを否定された。その後はどうなったか。この海老原教授がそれを詳細に書いています。この事実の移り変わりだけはあなたたちもお考えになっていただきたい。もはや十年選手が出てしまった。社会党の書記長が、年寄りばかり集まって平均年齢幾らだと言ったら、反駁を食ったそうだけれども、私は年寄りよりも何よりも、十年選手がずっといて、そうしてここへ集まってくる方は、もうそれぞれみんな自民党の案にみな賛成の人で、反対の人は一人も入っておらぬ。個人的に言えば、自民党の議員の人でも、それはおかしいと言うと、おかしいと、 こう言う。そろそろ直さなければならぬかもしれぬなということも言う率直な方もいらっしゃる。海老原教授のことについて、まあここで読み上げる気持ちもあまりありませんけれども、どうですか。あなたのほうで人間の選び方に非常にもう苦心されて、都合のいいようにおやりになっているように見えるわけですが、私はいまの委員の方をながめて、文部省の選択の標準といいますか、それに反しているとも言いませんけれども、人格が高潔で教育学術または文化に関し広くかつ高い識見を有する者のうちから二十名を選んで、これが十年も続いたというようなことを見るというと、これは自民党のほうではだいぶ御信頼のようだけれども、私に言わせれば、人格高潔でなくても、もっと適当な人があるようにも思ったりするのですが、そのことの人物評論はやめます。しかし、日本教育学会の会長さえも入れない。その中に書いてある。日本教育学会の会長もどうしてこれはきらわれるのだろう。それからこれは再々言うことですが、運営規則で非公開だ。海老原教授の指摘だというと、明治二十九年の高等教育会議の秘密会に出発した伝統の復活であると、こういう東大教授の見解を引用している。こういうことを考えて、私は大臣がそう言わざるを得ないという気持ちはよくわかるけれども、これはもうよほどはっきりしたあれがなかったら答弁なさらぬでけっこうですわ。けっこうですけれども、私はそれに対して非常な不満を持っているということです。これに不満を持っているというのは何か。このことにどうこうというよりかも、これから出てくるものがどんなものが出てくるのか。それで日本の大学教育なり高等学校の後期中等教育なり、さらには小学校にも波及するというような勢いのあるいまの状況を一体どうするのかということの解決が出てこないように思うのです。抜本的な解決をやるという意図があるならば、ここで勇敢にひとつ明らかにしてもらいたい。  まず、お答え願うことは、中教審の問題に対する私の反論、その前の幾らか述べた問題についてありましたらひとつお話をいただきたい。
  96. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 先ほどのお話なんだけれども、小林さん非常にいま誤解されて言っておられるように思うのです。私は世界の共通の部面、普遍的な部面で文明史論的な意味のことを申し上げたわけです。かといって、それでは特殊のものを否定するかというとそうではないわけなんで、それは制度やいろいろな問題というものは、その特殊と普遍というものが折り重なっているわけなんです。普遍だけがある、あるいはそういう形だけでものを見たら、それこそもの見方はゆがんで見える、こう私は思うのでございます。あるいはその特殊の中に普遍的なものを見ていく、こういうことでなければ、ものを見る目というものは私は間違っておるというふうに思うのでございます。
  97. 小林武

    ○小林武君 具体的にどうなるかという……。
  98. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) これから具体的に言いますと、それは一面だけを申し上げたわけなんだけれども、しかし、文明史論的にやはり今日の日本の大学制度、大学紛争というものを見なければいけない。いま御指摘のように、自民党とかなんとかいうことではなくして、そういう特殊だけでものを見てきたところに間違いがあるのじゃないだろうか。あるいは日教組は日教組としてのものの見方だけですべてを割り切るという、そういうものの見方というものが間違っているのじゃないだろうか。あるいは御指摘のような自民党的な非常に極端なものの見方だけでこの学生運動を見るとするならば、それは間違うことが多いのではなかろうか。そういうものをやはりひっくるめてこの際ものを見ていかなければいけないのじゃないかということを私は言いたかったわけなんでございまして、ものの見方をそういうふうに一方的に見てきたところに今日のいろいろな問題が出てきている。その中にやはり日教組の影響というものも、若者どもに与えた影響もないと否定するわけにはいかぬということをこの間から私が申し上げているわけなんでございます。しかし、それだけがすべての原因かというとそうではないというようにも私は思っている。それからまた、文部省自身につきましても、これは全然批判がない、あるいは反省がないとするならば、それは間違いであると私は思うので、われわれ文部省のほうでも幾つかのことをいまから考えれば誤っておったところもあると思うのです。そういうことを謙虚に反省すべきものは反省をして、そうして現実のこの問題をとらえなければ、真の解決にはならないんじゃないだろうかという意味のことを申し上げたわけでございます。中教審の悪い面だけをとらえればいろいろございますけれども、中教審の御答申を得て、幾つかの具体的な問題で本質的な問題を解決したことももう小林さん御承知のとおりでございまして、ただ、この運営等について今日の状況においてはたしてこのままでいいかというようなことについては、私は謙虚にやはり反省をして、この社会に対応するような運営のしかたも考えていかなきゃならない、また今後いつか人選の時期がある場合には、やはりそういうような御指摘の点をも踏まえました人選をやっていくということが考えられなければならない、かように私は思うのでございます。
  99. 小林武

    ○小林武君 そこが、あなたの途中のところまではぼくと一致するんだよ、途中のところまで。普遍的なもの、それから今度、いまつけ加えた中に特殊な中から普遍というものを見ようとする考え方、これは正しいのです。そういう考え方に立たなければ、今度の問題の解決をわれわれ探り出すことはできないのです。その際に、あなた、大学に対しては古さがあると言ったが、ほんとうのことを言うと、政府みずからが中教審に十年もいらっしゃる方がいるんだから、中教審もずっといままでのことを見て自己批判しなきゃいけない、一番やはり根幹になるのは何といっても日教組、日教組とあなたおっしゃるけれども、日教組よりももっと強烈な力を持っている政治権力のほうの側、まず政府与党というものがこの点でやはり間違っているところがあった、大学についてもある、日教組についてもやはり一方的にものを考えるようなあれがあるんじゃないかという話があるならわかるけれども、先のほうの、一番罪の重いのが軽いほうをたたいておいて、自分のほうをきっぱり言わぬから、だから私は話がおかしくなると、こう言うのですよ。私はただここでお互いに罪のなすり合いをやるというようなことを言おうという気持ちはない、ほんとうのことを言うと。ただ、ほんとうはやはり文部省としては、いままでの大学政策なり何なりに誤りがあったということを言ってもらいたい気持ちがある。これが一番大事だと思う。これがなかったら話にならぬと思っているんです。しかし、そういうことを言ったら、党内たいへんになるかどうか、それは知らぬけれども、私は謙虚になるということはそういうことだと思う。それから中教審の問題でも、私は事がたいへんなんですぞということになったら、事がたいへんなんですぞということになったら、中教審の内部の問題、ぼくは考えないというのはこれはちょっとおかしいと思うのです。ところが中教審にもっぱらおんぶしているということがぼくには理解できない。これが出たらというようなことを言いますけれども……。私は多数の人間が組織している政党であってみれば、それは自民党といわず、社会党といわず、なかなかいろいろな角度から議論があることは、これは当然のことだ、必ずしも一本になって、きめたことがすっと全部の賛同を得るなんていうことは考えられません。しかし、一つの方針として出ることは、これはもう党の一つの考え方だということになるわけでありますから、私はそういう意味でどうも大臣の答弁にはそこらへ来るというと非常にあいまいになる。しかし、これから先のことをあなたにいくら責めてみても、ここで答弁するというようなことはできないだろうから、そこで私はこの問題は一応まずその中心になる問題はやめましょう。ただ、あなたにお考えいただきたいことは、やれることはやってもらいたいということです。私は、もうとにかく今度の大学の問題のきっかけになることはだいぶいろいろな方面から調べました。相当とにかく何といいますか、われわれから言えばぐあいの悪い方面のものの見方だというようなものも調べました。しかし、これで見るというと大体一致していますわ、直接の原因というのは。学館の問題学寮の問題から始まって授業料——いろいろあげればそれはもう大体だれが見ても、右が見ても左が見てもだれが見てもみんな同じです。そのきっかけが解決されないで次々次々と再生産、拡大されていくのですよ。そこに大学がもうとにかくのっぴきならぬ段階に追い込まれたと、かぜのようなものだなんといって、われわれもかぜくらいだと一ぱい飲んでぐっすり眠れば直るという段階のものもあるけれども、これは余病を併発するようなところまでいったら手のくだしようがない。いまの大学問題は私は、うんと初めのところに、これはただし文明史論からいえば世界最大のものだからそう軽くはいかぬだろうけれども、しかし当面の問題は、ある程度の解決をしていく力が大学にあれば、これは私は大ごとにならなかったと思う。東大の問題一つ見ても、大河内さんのときに加藤さん程度のやり方をやればこれはおさまったのじゃないか、あるいは加藤さんをとにかくみんながもっと支持する態勢が東大の中にできたら加藤さんのときだってある程度やれたのじゃないか。そうすると留年の問題もあるいは入試の問題もある程度別な解決のしかたがあったのじゃないかということをいまでも考えているのです。しかし、いまになればとってもそれじゃおさまらないわけですからね。だから一体そういう大学を力のないものにしたのはだれかといったら、ぼくはやはり大学も悪いけれども、文教政策そのものにも問題があったということを大臣として胸の中に入れておいてくださいということをまずおいてこの問題はひとつ進みますが、ただしそんなことを言われてたまるかというのならひとつ御答弁いただいてもけっこうです。
  100. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) やはり戦前、天皇制というものをタブーにされて批判が行なわれなかった、そこにやはりいろいろの問題があったと言えると思うのです。戦後におきましては、大学というものは一つの聖域とされて、そして一般の批判を許さないタブーなものとしてきた、これは特に私は革新政党の方々のほうに多かったのじゃないかというふうに思うのでございます。そうだったからこの社会の移り変わりということについて全く反応をせずまた意欲的な大学のあり方というものも検討がされなかった。そこで私たちが反省をするとするならば、むしろ私に与えられておるところの指導、助言というものをちゃんとしなかったという反省がある。もう少し国民のための大学であるならばまた文部大臣としては国民に責任を負っておる大学教育に対して、あるいは学問研究の進歩に対して。そうであるとするならば、もう少しその大学当局に対して国民を代表してものを言う、指導、助言ということを言うならば、直ちにそれが大学自治を侵すものであるという風潮というものが二十年つちかわれてきた。そうして今日の古さというものが温存されてきた。ここに私は根源があると思う。われわれ政府のほうでは御承知のように、二十六年、三十八年と大学改革の問題を提起をいたしておるわけでございますが、そのときの風潮というものはこれにその真意というものを全く耳を傾けない状況にあった。それならば、あの三十八年の大管法を出さないということを決定したときに、国大協が間に入って、私たちがひとつみずから考えてみますからちょっとお待ちくださいといった、その三十八年から今日までいろいろのこの案は出たようでございます。大学自治に関するレポートは出たようでございます。しかし、今日の七十四、七十五の国立大学の中からわれわれは大学自治を尊重して、その大学改革案なるものを待っておったわけでございますけれども、どこの大学からも一つとして建設的ないわゆる改革案なるものは出てこなかった、こういうわけなんでございまして、むしろ私たちが責任を国民に対して負うものとして感ずるとするならば、その新制大学における、あるいは現在の制度における私の指導、助言というものを尽くさなかったという責任は免れない、かように考えるわけでございます。
  101. 小林武

    ○小林武君 まあおことばでございましたから、またもう一度このことについて申し上げますが、あなたは大学管理法を出して、それがやめられたときに国大協ができた、この国大協というものが十分な役割りを果たしてくれたかどうかという問題に論が及んだと思いますけれども、この国大協というものは、結局、先ほど来私が申し上げておるように、これは私の単なる意見でなくて、大学の人たちの間から、国大協というのは結局何であるかというと文部省の代弁者にすぎないというこの不信感が出てきたということであります。でありますから、その中から建設論なんていうのは大学から出てきたところで、建設論なんていうものは大学の人たち全体を、学生も含めてみんなが、よしこれでいこうというような気持ちを起こさせるような状況が一つも出るはずがないのであります。私もさっき中教審のことで触れましたけれども、もしほんとうにあなたたちが指導、助言というものをやられて、そして効果をあげようとするなら、なぜ反対論も含めたいろいろな議論に耳を傾ける用意がなかったかということであります。大学の先生なんていったら評論少しやり過ぎるぐらい評論家がたくさんいらっしゃる。こういう人たちの意見を、反対論にこそ耳を傾けるべきですよ、疑いの中からこそ進歩が生まれ、ものごとの研究が生まれるのですから。そのことをなぜ文部省はやらないか。文部省は聞きいいことだけを聞こうという態度になった、これは問題だと思うね。この大学政策が誤りです。まあここで一言いうと、坂田さんも御存じだと思うけれども、日教組の代表、日教組を代表するすなわち五十数万の教員を代表する者をひとつ中教審に入れたらどうかということを毎度私がやった時期がある。そのときに、団体の代表者は入れませんと、こう言った。特定の団体の代表者は入れませんと、こう言った。私はそのとき、どの大臣だったか忘れましたけれども、財界という団体はないかと、こう言った。日経連だとか何だとかいうそういうものの団体はないのかと、こう言った。そうしたら、それはありませんと、こう言った。こんな非論理的な話はないと思う。財界なんていう団体はないということを答弁した人があって、これはもう話にならぬからやめましたけれども、とにかくその点ではあなたたちのほうは、やっぱり何といってもほんとう意味において大学を今日の状況に持ってきたことに大きなやはり責任を感じてもらわなければならぬということだけは重ねて申し上げておきます。  次に移りますが、この前お尋ねいたしました中に、教育会館館長、教育研究所長、この二人は——これは大臣わざわざお話にならんでけっこうですが、係の方がおっしゃってけっこうですが、これは身分的にはどういうことになりますか。私も法律はちょっと見ましたけれども、どういうふうに理解していますか。
  102. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 平塚先生は御承知のとおり、国立教育研究所長でございますので、文部省の付属機関の管理職でありますので国家公務員でございます。で、高坂先生は国立教育会館館長、これは御承知のように特別の法律で設置されております特殊法人でございまして、そこの館長としての地位を持っていらっしゃる方でございます。
  103. 小林武

    ○小林武君 まず研究所長のほうから申し上げますが、研究所長というのはあれですか、中教審の委員ですか。
  104. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 中教審の委員になっております。
  105. 小林武

    ○小林武君 新聞によると主たるブレーンであるということを書いてありますが、高坂さんと平塚さんという方が中教審の中心的存在だという新聞の見方は間違いですか。
  106. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 審議会には会長、副会長がいらっしゃる以外には各特別委員会の主査という立場が役づきでございまして、それ以外に中教審に特別なブレーンとか幹部であるとかいう形はございません。
  107. 小林武

    ○小林武君 それについてどうだこうだという議論もだめな話でね。だけど、あなた良心的にものを考える必要がある、そのことだけを注意しておく。そこで、一体教育研究所長というのは国家公務員だとすれば文部大臣の監督下にあって、どうなんですか、反対の意見とか自由な発言というのはできるわけですか、中教審の中において。
  108. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 国立教育研究所は文教政策ときわめて密接な関係のあります教育の基礎的な研究を行なうところでございます。この研究所はしたがって文部省の付属機関ではございますけれども、そこにおける学問の研究ということについては、それぞれの学者の良心に従ってその研究を遂行されるという立場におられます。したがって、研究所長はその研究の成果を高めるために、学問的な立場から御発言になる。  その場合にあるいは文部大臣と特定の問題について見解を異にするということはあり得ると思いますけれども、これらがいずれも学問的な立場において発言されるものであれば、それはその立場上私どもは特別なものではないのではないか、かように思っております。
  109. 小林武

    ○小林武君 それはどういう法律ですか、国家公務員としての特例はありますか、何条です。
  110. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 現在のところ、この研究所長が文部大臣から命を受けて服務するというかっこうにはなっておりません。私どもはしたがって大臣から直接命令が出て、それに対して服従のもとに職務を行なう、そういう意味の命令服従の関係ということはないのではないか、かように考えますので、その職責に与えられた役目を忠実に遂行するという立場においてその活動が行なわれる、かように考えております。
  111. 小林武

    ○小林武君 たとえばどこに書いてありますか、国家公務員としてどこにそういうことが許される、法律で言いなさい、法律で。
  112. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 国家公務員には上司に対する服従の義務というのがございますが、それ以外に現在の平塚先生の職務というものに対して、直接その命令服従という関係が、現在の規定の上ではそのような関係にあると私は考えません。
  113. 小林武

    ○小林武君 考えなくていいんだ、法律でどこに許されているか、どこの法律で許している、国家公務員法のどこで許されている、自由に何でも文部省の意に反してやってもいいとどこに書いてある。
  114. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) 文部省の意に反するというのが具体的にどういうことか存じませんが……。
  115. 小林武

    ○小林武君 反対のことをいったらいい……。
  116. 西田亀久夫

    説明員西田亀久夫君) それが本人の職責上あるいは学問上の立場から思想、信条の自由に基づく御発言であるか、あるいは職務立場をこえた不当なるものであるかというのは、事ごとに応じて判断すべきものであると思っております。
  117. 小林武

    ○小林武君 それはおかしいのじゃないか。平塚さんはあれかね、特例を受けているわけじゃないのだろう。文部省には一つの方針があるのだろう、あんた。文部省には一つの方針があるでしょう。ぼくはこれについて教育公務員特例法の適用を受けるというならこれまた別だ。これはもう学者だから研究の自由だとか何とかいうことでやるなら別だ。しかし、これは教育公務員特例法のあれを受けているわけでもないのだろうな。
  118. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 国立教育研究所は大学学術局において所管をしております所轄機関でございますので、私からその間の事情を補足して御説明申し上げます。国立教育研究所の設置の根拠は、文部省設置法第十四条でございます。第十四条に列挙されているもののうちの一つでございます。そこでこの教育研究所が、単なる行政機関でない面がございます。それの一つの証左といたしましては、教育公務員特例法施行令第三条の二におきまして、文部省設置法第十四条に掲げる機関、ここに国立研究所が入るわけでありますが、その「機関の長及びその職員のうちもっぱら研究又は教育に従事する者」途中省略いたしまして、「法第四条、第七条、第十一条、第十二条、第十九条、第二十条及び第二十一条中国立大学の学長及び職員に関する部分の規定を準用する。」というような規定がございまして国立研究所はその職員の中で教育研究に従事する者及び長につきましては、特例法準用職員というようなかっこうになっておりまして、一般行政職とはやや違った位置づけがなされております。また機関の長の任命につきまして、また文部省設置法に戻りまして、第十五条に「前条の機関のうち、」——前条というのは第十四条で設置の根拠をきめております条文でありますが、その「前条の機関のうち、国立教育研究所、」以下省略いたしまして、に「評議員会を置く。」ということになっております。十五条の第三項に「それぞれの機関の長は、評議員会の推薦により、文部大臣が任命する。」というような規定がございます。これらの条文からいたしまして、国立教育研究所は文部省の所轄機関でありますが、教育に関する研究ということで、やや特殊な性格を、一般行政機関とは違ったものを与えられておりますし、それから職員の身分の取り扱いにつきましても、教育公務員特例法を一部準用する等、特別な扱いがされておるわけであります。
  119. 小林武

    ○小林武君 そのややというやつだな。やや適用されておるということは、それはどういうことかね。たとえばあなたのほうで、あなた大学学術局長だから、京都大学の井上教授の問題の起きたときにも問題になったろうし、今度の場合にも、あなたのほうで、九州大学の井上教授の言動の調査などということをやろうとしておる、新聞だ、ただしね。大学の教授で、はっきり言論の自由を持っておる人たちはなかなか物議をかもす。あなたのほうの教育研究所長というのはどんなことを言ってもいいということになるのですか。大学の問題、たとえば、どんなこと言っても、学生の行動に対して見解はいろいろある。さっき言ったように文明史論まで出れば、見方というものはいろいろな形で出てくる。そのときにそういうことを言って教育研究所長というのは何にも差しさわりがない。ないならば、一体井上教授の言動を調査するとか、京都大学の井上清教授を何とかかんとか言うのはおかしいじゃないか。その関係はどうなんですか。片一方のほうはややだから、ややというのはどういうことなのか。
  120. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) ややと申しましたのは、教育公務員特例法適用職員ではなくて、準用職員、準用職員というのは、適用職員より、何といいますか法律の適用される部分が限定的という意味でややと申したのでありますが、準用職員でありましょうと、それから特例法適用職員でありましょうとも、これはやはり国家公務員でございますから、これらの規定によりまして、身分の保障等につきまして、一般公務員よりは、その態様に応じて身分保障等が厚くされておるわけでありまして、国家公務員法の原則が適用されないわけではありませんので、法令を順守し、忠実勤勉にそれぞれの機関の目的を達成するに資すべく勤務する義務があることにつきましては同様でございます。
  121. 小林武

    ○小林武君 同様というのは何と同様だ。
  122. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 一般公務員でありましょうとも、特例法適用職員でありましょうとも、また準用職員でありましょうとも、国家公務員法の規定に従い法令を順守し、忠実勤勉に服務する義務において異なるところがない、こういうことでございます。
  123. 小林武

    ○小林武君 勤勉はいいけれども、ひとつそこのところを区別してくださいよ。大学の教授が自分の研究なり、学問的な主張を述べる場合には同じとは言わないと思う。どうして文部省の国家公務員であるところの平塚研究所長は同じだと、こう言うのですか。全く差別ないというのですか、準用でも何でも、大学教授と全く同じだと、こうおっしゃるのですか、そこら辺はどうですか。
  124. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 準用というのは、先ほども申し上げましたように、限定的であります。  そこで、どういうぐあいな心得で教育研究所長が服務すべきかということは、やはり文部省設置法におきまして、教育研究所につきましては設置の目的が掲げてございます。その目的に従いまして所長以下職員は、その目的ができるだけ十分に発揮されるように服務する義務があるわけであります。
  125. 小林武

    ○小林武君 あなたのは役人の答弁で、さっぱり実質にそぐわない。大学の教授よりかずっと不自由な、われわれの端的なことばでいえば、準用のあれであるし、文部省というところにつとめている、設置法の中に含まれている者なんだ、そうでしょう。  そうなったら、文部大臣お尋ねいたしますがね、適当だと思いますか、そういう人が中央教育審議会の委員になることは。私は文部大臣、これならいいと思うのですよ、研究所長としてつとめている、いろいろそういう際に議論になる、そういう場合に、本来は学者の方らしいから、自分のその学問的立場というようなものを、文部省の側の資料なり何なり、意見なりとして出すということについては、私はこれはあたりまえだと思う。ただ自由に発言し、あるときは文部省のやり方をとにかく押えるような発言もしなければならぬという意味をもっている。そういうところに、何といったって、平塚さんというのは相当中枢的な役割りを果たしておるということは衆目の見るところ同じなんだ。適当だと思いますか。どうですかその点。
  126. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 私は法律のことはあまりよくわからないわけですけれども、平塚さんは、御承知のように九大の比較教育学の権威者であるし、それから世界的にも、ユネスコの教育局長ですか、もやっておられまして、世界の教育制度についても非常によくおわかりになっておる。やっぱり日本における学者としては得がたい人だと私は思っておるわけなんです。でございますから、その方が中教審にお入りになって、そうして御検討いただくということは、非常に好ましいことだと私は思うわけなんで、それを何もかにも私たちの言うがままになるような人ならば、これはもう、それこそ小林さん御指摘のとおりに、中教審としての意味を持たないわけでございますけれども、そんなことをお考えになっておる先生では私はないと思うのです。  で、ただいまの日本の教育制度をどうしたらいいかということについて、平塚さんは平塚さんなりに、文部省の局長がどういうことを考えようと、審議機関がどういうことを考えようと、そのことじゃなくて、その中教審の目的遂行のために誠心誠意自分の学殖というものを発揮して、ちっとも不自由なくおやりいただかれることのほうがいいのじゃないかと思うし、またそうやっておられると私は信じておるわけでございます。  また、国立教育研究所の機能というものを私はあまりつまびらかにはいたしませんけれども、あの研究所においてやられました成果というものは、何も党派にとらわれることなく、われわれ行けばその資料を出していただく、また社会党さんがおいでになればいつでもそれを資料を出していただく。また民社党さんが行かれればいつでも資料を出していただく。こういうような役目が私の役目でございますというようなことをしょっちゅう平塚先生申されておるわけなんです。あの山中吾郎君なんか一番あれを利用しておるだろうと私は思うのです。だからそういう性格の所長さんですから、私は中教審のメンバーとしては非常にふさわしい人だと、こういうふうに思っております。しかも先ほどからるるお話し申し上げますように、大学の問題、ことに社会に対応してどうなければならぬかという問題については、それは大学の先生たちはたくさんおられますけれども、どうも、ある自分の専門については学識豊かな人である。しかしながら、大学をどうしなければならないかというような問題、あるいは制度をどういうふうにやらなければならぬかということについては、非常にしろうとの方が多いわけなんです。で、やはり大学というものを、今日の世界の中においてどうとらえるかという、そういう巨視的な立場から考えるならば、やっぱり得がたい人でございます。こういう方々にやっぱり中教審のメンバーになっていただかなければならぬと私は確信しております。
  127. 小林武

    ○小林武君 私はいま、平塚さんの学者としてどうかこうかということについては、それは評価するあれがないからやめますけれども、私は、かりにあなたの立場で認めても、それは利用されることはけっこうなんです。利用されるなら、なぜ一体自由に発言できるようなところに置かれぬかということがぼくはふしぎでたまりません。文部省の教育研究所というところにつとめておって、国家公務員として身分をきちんと持っておられて、そしてそれはとにかく国家公務員法のほうが力強く準用されることになっておる。教育公務員特例法準用なんですから、ある部面について準用されている。そうすると、おのずから不自由なことがあることはあたりまえですよ、そんなこと。一々一体自分の言いなりに、主張をいつも通そうなんと思ったらたいへんなことが始まる。そういうことをやるなら、なぜ一体そういう自由な立場に立ってやらぬかということなんですよ。それがりっぱな方だから、あなたのほうで自分でやろうと思うならいつでもやれるんだから。ただ、あなたのおっしゃるように、ほかの大学の教授ならだめだけれども、平塚さんだけはりっぱな方だという考え方はぼくは毛頭持っておらぬけれども、一体そんなことよりも先に文部省の役人であるところの、国家公務員であるところの研究所長が実際問題としてこの問題はこうです、この問題はこうですという反対意見を述べられて、それで一体つとまるかといったらつとまるはずがないじゃないですか。お互い政治やっていてわかっているんですから、そんないいかげんの子供くさい話をしたってだめですよ、通用しますか。あなたがそうおっしゃるのはあれですか、当然だとおっしゃるなら当然で、これは水かけ論やってもしようがないが、あなたは教育研究所の所長として国家公務員である平塚さんがなることは当然だと、法的に当然だとおっしゃるならそれでよろしい。これはまたその次にやりますから。あなたそれならそれでよろしい。  それから次に、国立教育会館の館長である高坂さん、この人は国立教育会館法という法律によるところのものであることぐらいはぼくも知っている。そこの館長は文部大臣の任命である。そこで文部大臣がこの解任、自由にできるわけですから、私どもこの教育会館法ができるときに、だれが館長になるかということと館長の仕事の内容という問題についてはずいぶん神経をとがらせて議論した覚えがある。そういうことからいって、これは一体適当なのかどうか。もし職務上の義務違反というようなものが文部大臣ありと認めるような場合は——ただし文部大臣考え方一つで何やっても義務違反と認めないということなら別だけれども、義務違反と認めるようなことが起こったと、こう考えられたら、これは解任することができるんですからね。そういう人が一体やるというのはどういうことか。
  128. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 国立教育会館の館長の解任の問題でございますが、御承知のとおり、国立教育会館法の十二条に役員の解任に関する規定がございまして、第一項は教育会館の役員役員としての欠格条項に該当するに至った場合には文部大臣がその役員を解任しなければならないという規定がございます。第二といたしまして、役員が「心身の故障のため職務の執行に堪えないと認められるとき。」「職務上の義務違反があるとき。」この二つの場合には役員を解任することができるという規定がございますが、この役員につきましては任期の定めがございますから、原則といたしましてこういった役員の解任事由に該当いたします場合以外には身分が保障される、こういう関係になるかと思います。
  129. 小林武

    ○小林武君 関係はわかっている、ぼくもちゃんと法律見ているんだから。影響受けるでしょうと言っている。文部大臣というものの意向、それから政府の意向というものに対して非常に影響受けるでしょうと。あるいは一つの見解を述べて、そしてこれはこうあるべきだなんて言った場合に、教育会館というところの仕事の運営上からもいろいろ問題があるんじゃないかということは、これはもう教育会館できるときに特に議論のあったところですわね、あなたも御存じでしょう。少なくともそのことは、そういう点考えたときに適当かどうかという問題です。私は平塚さんというのは非常に自由な身分を持っているし、鈴木君が言うように、何とかいう研究社の本の広告を盛んにやって、これ読まなければとにかくだめなようなことを言うのもこれも自由で、たいへん都合のいい国家公務員だと思うけれども、そういうことをお認めになって、文部大臣もずらり並んだ皆さんもおっしゃるなら、何をかいわんやです。この人の場合だってそうでしょう。館長の場合だってずいぶん言いたいことを言っていますわね。大学なんかにそんな人間置く必要がないから、労働組合のなにになったらいいというような放言をなさる方、それはあたたのほうから聞いたら心強いかもしれないけれども、別のほうから聞いたらずいぶんくだらぬことを言う男だと思うが、そういう館長が、一体教員の研修の場である教育会館というものをどういうような運営の仕方をするのか、それやられたらたまらぬということをずいぶんわれわれ言ったわけです。適当かどうかということです。あなたのほうでいろいろな理屈をつければ理屈はつく。しかし適当だということであなたたちががんばるならがんばってみなさい。
  130. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 影響を受けるという話がございましたが、それは事実上の問題でございまして、法的な服務関係規定といたしましては、特殊法人の役員につきましては特別な規定がないわけでございまして、わずかに十七条におきまして、役員は法令により公務に従事する職員であると刑法上みなされるといった制限あるいは十四条に職員の兼職の禁止に関する規定がございます。そういう規定があるのみでございまして、その他服務上には特別の制約はございません。したがいまして、高坂先生がどういう館長としての行為をなさるかということは、これはあくまでも高坂先生の良心の問題であるというふうに考えます。なお高坂先生が教育会館の館長として適任であるかどうかという点につきましては、これは私どもは高坂先生の経歴あるいは学識、人格その他の点から考えまして適当であるという判断をいたしまして、教育会館の館長に任命をいたしておるわけであります。
  131. 小林武

    ○小林武君 まあ適任であることを官房長認めたということはけっこうなことだよね。これは人間が適任であるかどうかということを、一人の人間がどういう経歴を持っていてどういう仕事ならできるかできないかという議論はしたくない。その立場に置かれた場合に、一体正当に役目を果たせるかどうかということを問題にしている。そうでしょう、私はそのことを言っているのです。高坂さんが何をやったら適任なのかぼくは全然わからん。ぼくはほんとうのことを言って大学の教授をやったら適任か、学芸大学の学長やったら適任か、これは批判する道はいろいろあるでしょう。私はそんなこと検討したこともなければ、資料も持っていない。しかし教育会館の館長やっているということ、その館長がここの会館の運営をやるという場合に、非常に考慮してもらわなければならないのは、教育会館にあるところのいろいろのさまざまの問題について一方的なやり方をやられては困るのだ。館長の任命についてはずいぶん注文つけた。そういうことを考えて中教審の中におけるいろいろな発言をやられるというと、一体どっちかがやはりぐあいが悪いということは起きないかということを言っている。もしもこれが館長として、文部大臣のとにかく意に反するというようなことをやれば幾らでもやれますけれども、十条にもあるだろうし、三十二条、十七条見れば公務員に準ずるようなあれもあるでしょう。いずれも任命されているということだけでもやはりこれは問題があるのですよ。あなたたちもよくわかるでしょう。任命されているということだって一つの負担は感じます。公務員に準ずるだけのあれをもっておればそれも感ずる。やはりそうするというと適任じゃないじゃないかという、そういう角度からものも見ている。しかし、文部大臣のように、こんな適任な人はないというようなことを言うんならば、あるいは官房長が、私たちはそういう結論を出したということはけっこうだから、それにまあこの次に議論しましょう。  次に、最後に一つあれしますが、この井上九州大学教授の言動調査ということはどういうことですか。
  132. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 九州大学の井上法学部長の言動とたまたま国会で問題になったわけでございます。しかし、私自身は、たびたび予算委員会等におきましてもお答え申し上げているように、一般公務員よりもこの教授の身分というものは厳格に保障されておる。その意味は、教授というものが学問の自由というものを遂行する人でございます。したがいまして、その人が特定の政治的思想を持とうとも、あるいはイデオロギーを持とうとも、そのときの権力の地位にある政府に対する批判があろうとも、そういうようなことだけでこの身分というものをとやかくするというわけにはいかない実はたてまえになっておるわけでございます。ところが、最近これは視聴覚の影響も非常に多いかと思いますけれども、あるいは週刊、雑誌というものが非常に何といいますか興味本位に、とっさにいろいろ設問をいたします。まあ小林さんも、あるいは政治家の私たちも同様の目におあいになったこともだいぶんあると思うのでございますが、その片言隻句だけを取り上げると非常に問題な点がある。しかし、それでもってすぐその人の身分というものについて、あるいは名誉に関するようなことについていろいろとするいうことは、やはり私たちとしては慎まなければならない問題じゃないか。ほんとうにその事実を究明して、なおかつ明確にだれが考えてみても国家公務員としてもあるいは教授としても、あるいは大学の管理機関の長としても不適当であるというようなことがあった場合には、これはやはり最終の文部大臣としてその承認を与えないということもあり得ると思いますけれども、これはやはり厳格に、しかも冷静に考えるべきものであって、非常に感情的な形で処理をするということはよくないということが私自身の心情でございます。そういう意味から申しまして、また文部大臣としても当然そういうような冷静な立場で判断をすべきものであるということでございますが、しかしながらこのことがやはり国会で問題になった。国会で問題になったということは、国民の常識から考えていかがかということを、やはり国民の気持ちを代表して発言され質問をされておることであると思うわけでございまして、このこともやはり私は考慮に入れる必要があるというふうに思っておるわけでございます。その前提といたしまして、やはり事実を明らかにし、どういう気持ちで、たとえばテレビあるいは週刊誌、新聞等にお話しになったのかということぐらいの事実調査をいたすということは、当然国民に対する責任者といたしましてやらなければならないことである。多少時間はかかってもそればやるべきである。そういうことを尽くさないで判断をするということは、文部大臣としての職責を果たしておるとはいえないのじゃないかと私は考えまして、事務当局に言いまして調査をいたさしておる次第でございます。
  133. 小林武

    ○小林武君 この言動調査というのは、安嶋官房長の談話ですと、これも新聞に出たことですから真意を伝えてないかもわからぬが、「国会でも取上げられたので、全く無視するわけにはいかない。人事の判断資料にする考えだ」と説明したとありますが、これはほんとうですか。
  134. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 大体そのとおりであります。
  135. 小林武

    ○小林武君 国会で問題になったというのはどういうことですか。
  136. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 私は直接は聞いておりませんが、去る衆議院の予算委員会におきましてその問題が取り上げられたと聞いております。
  137. 小林武

    ○小林武君 予算委員会だからやるのかね、文教委員会はやらぬのかね。
  138. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) そういうことはございません。
  139. 小林武

    ○小林武君 まあ文教委員会でも予算委員会でもけっこうだけれども、私の言っているのはさっきから、人間がどうだとかこうだとか言っているわけじゃない。これも調査するんだろうね、するんでしょう、国会で問題になったのだから。ぼくの言っているのは、人間がいい悪いという問題じゃない。人間がいいとか悪いとかということは、こんなことは先ほどから聞いていると週刊誌がどうしたとかこうしたとかということらしい。これは、文部省にははっきり、ここの新聞によるというと、山崎事務局長という正式な責任者が、その面のあなたたちの連絡の係の諸沢人事課長に会って、警察は敵だという井上発言について、「刑法学者として、警察を批判することも必要だと考えている。しかし、警察官を敵視するといった意味では決してない」と言っている。敵視するといった意味ではないと言っている。批判するという、批判の立場でもって言っている。敵視するということは言っていないということを言っている、そういう意味ではものを言っていないという。事務局長でしょう、事務局長がそういうことを正式に申し入れたけれども、これは私はこのことで解決するような問題だと考えるんですよ。何か大げさに言動調査などということで、井上発言について文部省は原学長事務取扱に、これらの発言が事実かどうか、その意図は何かなどを文書で回答されたいと求めた。これに対して新聞紙は、「こうしたきびしい言動調査について、安嶋官房長は、国会でも取上げられたので、全く無視するわけにはいかない。人事の判断資料にする考えだ」と、こう言っている。正式な大学当局のことばを信用しないで、とにかく国会で討論されたということでこういうことをやる。私はこういうことはやめてもらいたいと思う。こんな言ったか言わないかわからないような話はやめてもらいたい。このことについてはたいへん熱意があるんだね、あなたたちは。自分たちに関係があるし……。それだからぼくのほうもやれとも言わないけれども、われわれのほうもとにかく国会で問題にしたのだから、研究所長というものが一体立場上よろしいかどうか、中教審の委員の館長が適当であるかどうか、その間において一体不便がないのかどうかということ、あるいは研究所長というものは本の広告までやる権限、自由を与えられているのかどうかということを、前回の質問にあったことなんだ、それらについてもひとつ、言動調査というのはその場合言わないかもしれないけれども、しかるべき調査をひとつやってもらいたいと思う、思うぐらいだ。しかし、ここでもう言っちゃったから、もうあなたたちのほうで腹に入れて、しっかりした考え方を出せばいい。この場合はどうしても言動調査というものをやらなければならぬということになりますかな。そうして、どうしても言動調査というものは文書でくればそれを見ればいいのかどうか、どういう調査をするのか、言動調査というものは一体どういうものなのか、言動調査というものはいままで大学教授についてやったことがあるのかないのか、あったなら、その帳簿があるのかどうか、これについてひとつはっきりしてもらいたい。
  140. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 調査をいたしました趣旨につきましては、ただいま大臣からお答えをいたしたとおりでございますが、多少事実関係について補足して申し上げたいと思いますが、御承知のとおり二月二日号のサンデー毎日におきまして、九大法学部長の井上教授に関する言動についての——言動と申しますか、言論についての報道があったわけでございます。その中身につきましては、ここで繰り返して読むようなことは差し控えたいと思いますが、こうした報道に関しまして、はたしてこういうことが事実であるかどうかということを承知いたしますことは、やはり任命権者である文部大臣立場としては調査をいたしておく必要がある、かように考えまして、去る三月十七日付けの文書をもちまして、九州大学長あて照会をいたしたわけでございます。内容といたしましては、このサンデー毎日の二月二日号に書いてあるところと同様でございまして、井上正治教授の一月十三日、TBS、マスコミQにおける発言、それがサンデー毎日の二月二日号の一一〇ページから一一四ページに掲載されているわけでございますが、その発言の事実の有無、事実とすればその内容について報告をしてもらいたい。第二はこういった井上教授の言動が事実である場合、これに対する大学当局としての考え方はどうであるか。あるいは大学当局としてこれについてどういう措置をとったか、あるいは今後どういう措置をとろうとするかといったことを照会をいたしまして、すみやかに文書で報告をしてほしい、こう申したわけでございます。先ほど小林先生がお話になりましたように、事務局長から口頭の報告を人事課長は受けておりますが、しかしながら、事柄は重要なことと思いますので、あらためて文書でそのことを照会したわけでございます。この文書が、文書と申しますか、報告が文書でまいりました場合にどうするかということにつきましては、文部省といたしましては現在何らの決定がございません。伝えられるところによりますと、九州大学におきましては井上正治教授を学長事務取扱にするということもございます。そういうこともございますので、こういった事実を文書で確めておきたい、で、今後の判断の材料にもいたしたい、こういうことでございます。  なお、こういうことをかつて調べた例があるかというお尋ねでございますが、これは例はございません。
  141. 小林武

    ○小林武君 新例だね。そろそろやめますが、大体このことについてはまた後ほど事実が明らかになったときにやりましょう。  それで、これと話は違いますけれども、前回質問いたしました北大の教育学部長砂沢教授の発令というものはその後どういうふうになっているか。まだ向こうのほうから正式のあれはないわけですか。
  142. 安嶋彌

    政府委員(安嶋彌君) 砂沢教授の教育学部長の発令の上申はすでに文部省に到達をいたしておりますが、その発令の過程につきましては、これまた新聞紙等に報道されましたような新しい手続を取り入れております。したがいまして、大学局長と私の連名をもちまして、北大の教育学部長が選考されました経過につきまして調査をいたしております。これも文書でその間の事情を報告するようにお願いをいたしておりますが、報告はいまだまいっておりません。
  143. 小林武

    ○小林武君 最後に大臣から一言。いまの問題について、九州もあれも内容がちょっと違いますけれども、あなたは責任者ですから、拒否権の対象になるとお考えですかどうか、それだけ伺います。
  144. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 具体的にこれまた出てまいりませんと何とも申し上げようがないわけでございますが、一般的に申しまして、冒頭に申し上げましたような意味合いにおいて、人事の問題については非常にはなはだしく不当、はなはだしく不適当だということが客観的に明確にならない場合は、任命しないということはあり得ない、こういうことに一般的にはなっております。
  145. 小林武

    ○小林武君 いまおっしゃったのは、本人のことですね。
  146. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 北大の場合、御承知のようにわれわれが問題にいたしておりますのは、大学の管理運営と申しますか、あるいは学生参加の限界等について、基本的に実質的に人事権に及ぶかどうかというような点について詳細に新聞等には出ておりますけれども、わかっておりませんので、その辺の事情を聞くということは、私は大切なことだと考えまして、その調査をお願いをいたしておるところでございます。
  147. 小林武

    ○小林武君 最後に一つ。教育大学の問題について、この間簡単な質問をいたしたのですけれども、私はある教育大学の学生に、教育大学のいまの状況、あの質問をやったあとですが、解決することはできないのか。学生諸君が一体全部というわけにはゆかないだろうけれども、七割も八割もの人間がこれならば納得するというようなことの道はないのか。いつまでもこの状態では困るがという話をいたしましたが、ありますと、それはわれわれのほうからとにかく何項目か要求を出しております。その要求を全学の人間、一部の人間ではなくて、全学の集会を開いて、その中でわれわれが納得するように話を聞いてくれというのでございます。またあれをしたら、夜っぴて夜中眠らないでやる、そんなことをやろうというなら、おっかなくなって、これはやりはせぬと言ったら、いや、時間をきめて、ルールをちゃんと守って、かりにも人権にあれするようなことはやらないでやるという約束は十分できます。そういうことをほんとうに学校が誠意をもってわれわれと話し合う機会を持ってくれて、しかもその内容について検討して、のむところはのんでもらえば、この問題は片づきます。私どもは九割くらい学生の諸君が納得するでしょうと、こういう話であります。その内容の詳細について私は知りませんけれども、一つのこれは文部大臣に対する私の提案ですが、一つの学校の大学の先がどうなるかわからぬような状況になっておる今日、学内において警察官をいつまでもとどめおいて、そうしてさらに深刻な状況をつくり上げていくよりは、むしろそういうことによって、とにかくまとまるならまとまったほうがいいと考えておりますが、これは大臣がおっしゃるとおり、政党がどうのと言ったり文部省からこうやりなさいというわけにいかない問題ですけれども大臣としてはそういうことについて、私のようなものの考え方について賛成の意見ですか、いやそれはほうっておいて、徹底的にやらしておくというお考えですか、その点一言聞きたいわけです。
  148. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) やはり今日の大学の紛争を、単に学生だけではなく教授がどういうふうに大学紛争を解決しようとしておるかということ、あるいはまた、教授の中において、むしろ教育大学の場合においては意見の違いがあるということでございますから、やはり学生側がそういうふうな気持ちになってくれることは非常にけっこうなことだと思います。ゲバ棒ではなく、ほんとうに話し合いのルールに従ってそうして徹夜なんというような人権を無視するようなことはいたしませんと、そういうような学生の態度であるならば、大学教授みずからがお互いのまあ意見は意見としまして、これに対して臨むという気持ちがあってしかるべきではなかろうかということは、私も小林さんと同感なんでございます。ただ学生だけがそう言ってまいりましても、なかなかあすこの場合においてはむずかしいので、まず前提として、そういう学生側の意向があるならば、ひとつ教授会同士が、各学部の教授会同士が一ぺん意思の統一と申しますか、そういうことならばひとつ全学集会でもやってみようという気になっていただくならば、非常に幸いだと私どもは思っておるわけでございます。
  149. 小林武

    ○小林武君 一言だけ。委員長ね、私は率直に言って、学外で、学部の間にいろいろの教授間のあれがかりにあるとしても、学生がそんな気持ちになって、私は学生がそうなっても、なおかつやるという人は、私はまずないと思うのですよ。むしろこの際負うた子に教えられの論法を、いまのようなことが事実であるならば、来た学生は非常に真剣に二人そんなことを言っていました、自信がある、九割くらいは、そう言っていましたが、そういう意味で申し上げる。終わります。
  150. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 私の時間、一時間の質問お願いしたんですけれども、あと川村さんと、それから萩原さんが……。私の四時までという大体約束事項がございますので、ごく短かい時間だけ質問さしてもらって、残った問題についてはこの次の委員会のときにただしたいと思います。  私は先ほどから小林委員と大臣、あるいは局長との話を聞いていて、何か歯車を無理にかみ合わせようという行き方があって、小林さんのほうの、極端に言えば、悪口でないんですからよく聞いてください、あとでまた御批判いただくとして。小林さんの質問に対して、その質問が受け取る側としては強圧的——これでもか、これでもかというような感じに受け取れる中で質問が繰り返されているので、文部省のほうでも、もっとぴちっとした姿勢で私は御答弁いただかないと、ほんとうの姿のものが出ないんじゃないかと。たとえば平塚さんの問題、平塚さんがほんとうにいい人でなかったら、所長にあてがえない、所長でしっかりしていなければいかぬし、高坂さんでもそうです、教育会館長としてしっかりした人だから国の仕事を、しっかりしている教育者だから高坂さんを館長にしたというんです。そこで私はぴったり呼吸が、ほんとう教育のことならば、合うはずだと思うわけでございます。なお、自民党に対するたくさんの御批判もいただきましたが、それらについては、ここで討論の場でもないですから、後刻またお話の機会があると思いますが、私は文部大臣に一言お尋ねしたいのですが、先ほど自民党といわず、日教組といわず、社会党といわず、みんなが反省すべきだと、文部省あたりからも反省すべきだと、その反省の考えるところは、大臣として、文部省として指導助言をやるべきことがやらなかったきらいがある。そこに大学紛争の一因もあったことをみずから反省するということをおっしゃいましたが、私どもが見てもそういう感じがするのです。文部省としてはもっと指導、助言にしても、あるいはその他の施策にしても、やるべきことが、いわゆる大学のアレルギーにかかって、大学の自治ということばにまどわされたと言ってはおかしいですが、私はそういうところに文部省の一応の責任を感じなくてはならない。しかも文部大臣は率直にそのことを認めていると、私は非常に勇敢な判断だと思うのです。  そこで先ほどから小林委員の質問に対しまして大学の管理法その他の問題は出さないで、いまのところ考えてない、総理から命令もされない、文部大臣もそう考えてないというんですが、私はいまの大学紛争の現実と長期的な将来の立て直しということを考えていったならば、大学管理運営のあり方については、ここらあたりで政治の責任者として決断をすべき時期に来ているのではなかろうかという考え方を、私個人です、私どもの自由民主党の中にはいろいろの議論があります、早まってはいけないという考え方、あるいはもっときびしいものを考えろという考え方、いろいろありましょうけれども、私はいまの法律の学校教育法やあるいは教育公務員特例法や、それぞれのことを考えた場合には、限度に来ている問題があるんだと、これだけは法改正は少なくともしなければ、正常化に持っていくことは困難だという考え方が大臣の頭にも、私は紛争の過程や将来を考えた場合に、去来しているのじゃないかと思うわけです。それらの出す時期、考え方というもの、どういう方法かということは、これは今後の課題でありましょうけれども、少なくとも私は大学管理運営の問題、あるいは先ほどから問題になっている井上教授の問題等、これは現実に九州大学の井上学部長の問題については、私が予算委員会でもって、国家公務員として、大学の教授として少し考えるべき筋合いのものではなかろうか。私自身が井上教授にも直接会って話もいたしておりますし、そのことばも、あるいはその動作等も見、それぞれのことから鑑定して私はそうなんです。しかし、これは事人事でございますから、大臣が慎重に、あらゆる角度から慎重にして、へたな考え方を起こさぬように、当然です、私はそれを要求する。したがって、私のような考え方が間違っておったといたしましたら、それで即断されてはならないから、私は慎重に調査してほしいということを要請したわけですが、それらの観点をずっと考えてまいりますと、大学管理のあり方等についてもここらあたりで法の問題にも触れてくる、反省する、改正する、こういうことが考えられるのではなかろらかという感じを私は持つのです。これに対して大臣は先ほど今日中教審の答申を待ってから慎重に考慮すると、そうだと思います。しかし、私は先ほど小林さんがおっしゃるように、中教審だけの考え方ではなくて、もう少し広い立場から見て、聞いて、結論を出すように方法をとられたらどうかと思う。たとえばできることならば大学の先生方が集まる会合、こういう会合で話を聞いたり、各県の教育委員会主催でいわゆる公聴会のような広く意見を聞くなり、そういうことを集約して、国の世論を結び合わせて、長期的な計画、短期的な臨時的な方法については別途な考え方がありましょう。いずれにいたしましても、このままほっておけないという考え方はどうぞひとつ私ども考え方も御理解いただきたいと思う。大学紛争では、私自身ジャンパーを着て登山帽をかぶってあのデモの中へ何回も行きました。東大の構内にも何回も入って行きました。教育大学は私の母校でございますから、あのストライキ中の学生と三回も四回も学生諸君と会いました。日大の場合でも両国講堂で私自身古田会頭あるいは全部の理事退陣を要求しておる学生諸君、秋田日大議長に対しまして、あなた方が要求するような古田会頭と理事がやめることによって日大紛争が解決することならば、私どもあえて会頭、理事以下の総退陣を要求すると、責任を持ってそういたしましょう。そのかわりあなた方もひとつ教室に帰って勉強することを私に約束してほしい、それならば私どもはそれを貫徹するがと、こう言ったところが、ナンセンスだと、私どもが掲げた七項目の要求が貫徹して、日大が人民のための人民の大学にならない限りわれわれの闘争はおさめられないのだと。私がそこに立っていると、何を君言っているんだと、私のネクタイを持って引き落とされてしまった。あるいはテレビで写っているのを皆さん方ごらんになったかもしれません。そういう真相の中で考えてみたときに、大学のいまのあり方、力でもって圧服されている先生方の追いまくられた良心、そうして大学のことは大学でおれたちにまかせろという大学自身の考え方、こういう考え方にいたしましても、私は、外部の声が入るような態勢を整えない限り大学の自治というものは、学問の自由というものも守られないと思うのです。  そこで、私の時間、前置きが長くなりましたので、私は大学学術局長か文部大臣に、外国の大学の場合、自治を尊重し、学問、教育の自由を守っていくために、いまの日本の大学のように一つのからに閉じこもった大学の自治ではないと、私の調べた範囲ではアメリカあるいは欧州等の大学の自治のあり方について調べた結果を私自身は持っているわけですが、文部大臣はいままで調査会長もやっておりましたが、どういうふうに受けとめておられましょうか。諸外国の例と日本の大学の自治のあり方についてのもし比較検討を単刀直入ですぱっと一言で言いあらわすことができるならば教えていただきたい。
  151. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) ちょっとすぱっとはなかなかいかないわけですが、たとえばフランスの場合でございますと、今度のフォール改革案におきましても、むしろその背景として大学自体が中央集権的な制度になっていると、したがって、文部大臣が告示をして、それから閣議で了解を得て大統領が学長を任命する、こういう制度になっておるわけであります。それから、もちろん政治的活動というものにつきましても、これを認めない。そして、ただ情報の自由だけが認められる。しかも、それは研究の場、あるいは教育の場、あるいは病院周辺においては、その情報の自由さえも許されない。いわんや秩序破壊なんというようなことはもちろん許されない。考えてみますると、ソルボンヌ大学はパリの町のまん中にあるわけでございますから、一体そうなると、許されるところはどこなのだというような疑問さえ起こすわけなんでございまして、日本のような形において学問の自由云々ということはあまりないんじゃないかというふうに私は思います。  で、よく間違ることは、憲法で保障しているのは学問の自由そのものであって、そのものの目的遂行するために大学自治というものがある。そして、従来はどちらかというと、その中核は人事権というものについてこれを守るという慣習があった。しかし、まあ戦前においてはそれでよかったわけでございますが、戦後になりましてからは、むしろ学問の自由を侵すものは国家権力ではなくて、むしろ足元の学生暴力あるいは学外の政治的集団の圧力こそが学問の自由を侵そうとしておるし、現に侵しておる。そして一般の学生たちが自由な研究も、教育もできないという状況になってきておる。あくまでも学問の自由という目的遂行するための手段として大学自治というものを考えなければならないのであって、その大学自治の機能というものは今日変化をしてきておるという、この実態をやはりわれわれはよく認識をし、また大学人も、単に警察を排除するならば、もう学問の自由は守られたなんというような、そういうナンセンスな考え方をお持ちにならないようにしなければならないというふうに思うわけでございます。
  152. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 私はそうだと思うのです。やはり学問の自由と大学の自治というものを並列的なものの考え方がいまの誤った一つの紛争の原因になっているのじゃなかろうか。やはり学問の自由を守るため、それを貫くために大学の自治というものがある。そこで私ども外国の例を考えてみますと、アメリカ等におきましても、大学の自治の根幹になっていくものは人事の問題だと。そういう人事の問題等につきましても、外部の意見が常に大学の中に反映する形において理事会、評議会ができておる。少なくとも三分の二以上の者は外部の者が理事会の構成の一員になっておる。あるいは、場合によっては九割までが外部の人が、声が入るような人事構成になって、しかもそういう人事構成でありながら、大学の学問の勉強というものは保障されておるし、英国の場合だってそうだと思うのです。国立の学校がなくて、民間の学校だけです。しかし、そこには国家の補助というものは膨大にされておる。だが、しかし、その管理とか実態の運営というのは、すべて大きな外部の声がそこに反映するような形になっていき、現在、英国の労働党が内閣で、国民の意思というもの、国家の意思が大学の中に十分反映させなくちゃならぬという声が強く出ておることも御承知のとおりでございます。フランスの場合でも、あの大学の紛争の継起の中で、きのう文部大臣が御説明なさいましたように、理事会のあり方について六〇%云々という、学生の総意をつかむためにはどうなのか、しかも大学の意思がどうここで結びつくかという形の中で学問の自由と大学の自治が保障されているのが、これはもう外国の学校の例だと思うのです。日本の場合は、大学のことはおれたちにまかせろ的な考え方——私はこの間も予算委員会でも申し上げましたけれども、たとえば会社の場合だって、社長だけが独断でやっているのじゃなくて、株主総会あり、重役会あり、部長、課長あり、会計監査ありという形で企業というものが組み立っている。裁判の場合でも、同じ法のもとに保障された、独立された権限を持っているけれども、常に下級裁判所の判事が上級裁判所からいつも差し戻される。弁護士、検事からこうやられる。そこで、法の独立の権限というものが保たれている形の中で身分が保障されている。大学はどこからも声は聞かないという形、ここに私たちは学生たちが憤慨する先生方の頼りなさを感ずる。私は、その大きな被害者はむしろ学生である。この大学の先生の考え方の古さと、そうして唯我独尊的な考え方が学生を誤まった大きな原動力ではなかったか。だとすれば、私はそういう国民の声が反映する形をどうとっていくか。同時に、文部大臣が指導、助言の権限は持っておったけれども、これを十二分に使う機会、方法がない。それには法の制限があったとすれば、その制限を、大学の自治を守りながら、学問の自由を保障しながらやれる態勢というものを私は考えていくべき筋合いと思うわけですが、これを論じますと非常に長くなりますから、私は二つの点だけ御質問申し上げますが、千葉大学で、自衛官の入学拒否の問題で学長さんが学生の圧力の前に屈服して、入学試験を白紙にする、やり直す、こういうことを声明されましたが、そのことについてひとつ御説明を、どんなふうな経過になっているか、文部省はこれに対してどうするか。ひとつお答えいただきたい。
  153. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 御設問のことは、千葉大学の工業短期大学部、これは夜間の短期大学部でございますが、ここにおける入学試験に際して、自衛官の身分を有する者が出願した者の取り扱いに関することだと思います。  これは、入学試験の受付は行ない、かつ入学試験は一応自衛官が受け付けられた状態で開始されたわけでございます。ところが、以前からそれに反対する学生自治会の動きがあったわけでありますが、その試験の前日から、自治会が工業短期大学部の主事及び教授若干名を、まあ部屋に閉じこめまして、自衛官の入試を認めないということを執拗に要求した結果、短大主事はその自衛官の入学をさせない方向で処理をするという確認書に調印したわけであります。そういうことでありまして、一方、一応予定どおり開始された入学試験が、学生が会場に入ってきて、反対の演説をするという状況になりましたので、当初予定の四科目の試験を切りかえまして、英語と数学の二科目の、当初用意したものと別に用意された簡単な問題に切りかえて、しかも二科目の試験だけで短期大学部の入学試験は打ち切る、あとは、二科目の試験と調査書等の判定と組み合わせて入学者の合否を決するということを受験者に周知徹底させて……。
  154. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 局長さん、たいへん恐縮ですが、時間がありませんので、できるだけ簡潔にひとつお願いしたい。入学試験をやり直しをするのか、しないのか。
  155. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) そういう経過がございましたが、さらに短期大学部の主事が試験をやり直すというようなことを認めたのに対して、大学当局、端的にいえば評議会と学長ということになりますが、それらは一たん行なった試験がやや変則的な方法であったとしても、これは有効であるという見解のもとに取り進めようとしましたところ、今度は学長が学生によって軟禁されまして、折衝の結果、試験はやり直す、それから自衛官の入学は認めないような方向で努力するというような趣旨の確認書に調印されたそうでございます。その結果、千葉大学の学長はたいへんからだが弱いような関係もありまして、一昨日から昨日の未明にかけてそういう折衝がございましたので、現在疲労して休んでおられます。学長はそういうことになりましたが、千葉大学当局を形成するところの評議会、それから直接当事者であるところの短期大学部の教授会、これはなお学長のそういう措置を認めるかどうか、どちらかといえばそれは学長が疲労こんぱいの状態で不本意な意思決定をさせられたのではないかというようなこともございまして、できるだけ当初方針どおりに取り進めるように動くように聞いております。  なお、千葉大学としての最終的な決定につきましては、現在まで連絡がございませんので、文部省としては当初取りきめたとおり、たとえ多少入試が変則的になりましても、それが著しく不当であり公正を害したというようなことでない以上は、それによって措置するように強く指導、助言しておるのが実情でございます。
  156. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 私も新聞だけで読んでいるからわからないわけですが、結局評議会、教授会等では試験は合法的であるという判断をもって文部省のほうに報告をし、その後学生から問題が起こされて、学長が呼ばれて七時間余にわたってつるし上げられた結果、学長は自己反省をして、批判をして、学校の入学試験は誤りであったと、こういうことでやり直しをするということを判こを押して解放された。したがって、からだを張って自分の職を賭してでもこの入学試験はやり直す。その中で前提には、なおかつ自衛官の入試は拒否する、この二つの問題がここへ横たわっておるわけですけれども、大学のほうからは、局長さん、いまの程度しか現在報告は受けていないで、最初の点の、変則的ではあったけれども、大学側が文部省に申請したその考え方で試験のやり直しは認めない形でいきたいと、こういうことですか。ちょっと私の質問がわかりにくいかと思いますが、そういう監禁状態や何のかんのの中でされたやり直しという表明のことばは、文部省側はそれを考えないで既定方針どおりやっていくと、こういうことでしょうかどうでしょう。ちょっと私の説明が足らぬかな。
  157. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 千葉大学の学長はたいへん疲労しておりますので、もっぱら事務局長と連絡をとっておるわけでありますが、先ほど御説明申し上げましたように、十六日にすでにやや簡略な形で実施された試験の結果をもとにして合否を判定する、やり直しなどはしないという方向で現在意思統一をはかっておられるように聞いております。
  158. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 やり直しはできる性質のものなんですか、これは。局長さん。
  159. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 受験者は相当多数でありますし、もうすでに住所に帰っておるわけでありますから、これを再び集めて前回と同じ公平さを保って試験をやり直すということは、これは論理的にはとにかく、実際的には不可能に近いことだと思います。
  160. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 そういう教授会、評議会では結論を出したけれども、学長一人が拉致されて、不法監禁の中で署名捺印されてもなおかつ、最終的な判断は学長に権限があるというように解釈できましょうかどうでしょうか。そこが大学管理の大きな問題でございますが、いかがでしょうか。
  161. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 大学の意思決定の責任者は学長だと思います。ただ、これは現在若干の法的の根拠もあり、またそれ以上に強い関心もございますが、学長が意思決定を行なう場合には、全学的には評議会、それから部局のことにつきましては部局の教授会の意思決定を基礎として行なうのが常例でございます。
  162. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 それはわかりました。それはあまり突っ込んでいくとあと二人の時間がなくなりますから、私あと二分ばかり……それじゃ別のほうに移ります。  育英資金の問題についてちょっとお伺いしたいのですが、この間私が東大のように長くストライキをやっている学校で育英資金がそのまま継続して出されておる——東大の場合は、学生一万六千三百名、そのうちで育英資金を受けている者が三五%の五千七百七十四名、年額で六億七千二百万円の育英資金が依然として出されておる。教育大学の場合は五千三百五十一名の中で四〇%の学生二千百七十六名、金額にして一億八千四百六十万円の金が、ストライキで、自分で学問を受ける権利を放棄して、そうして休んでおるにもかかわらず、出されておる。非常にこれはおかしいのじゃないかという声があるわけですけれども、これ何か方法ありませんか。おかしくありませんか、局長さん。
  163. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 育英資金の貸与は、現実には、その大学の推薦に基づいて日本育英会が判定し、貸与を行なっておるわけであります。育英会の貸与の方法といたしましては、基本的には育英会法に根拠がございますし、それから業務方法書あるいは貸与規定というものに基づいてやっておりますけれども、大原則は学業成績とそれから人物、性向それから経済的条件ということをかみ合わせて判定しておるわけでありまして、また大学の意見を聞きながらやっておるわけであります。そこで基本的には、育英資金は大学の最低就業年限を基礎にしてやっております。したがいまして、四年をこえて留年する者が出れば、その者につきましては育英資金は打ち切られることになります。それから就学期間におきまして不当な行為があって処分を受けるあるいは警察に検挙される、あるいは起訴されて判決を受けるというようなことになりますと、その事例に応じまして育英資金の停止、廃止の処置をとっております。ただ中間的にストライキが行なわれておる間の学生をどうするかでございますが、これはスト決議をやって怠業行為を行なっているものだから全員が同じ責任を負うべきだという見方もあろうかと思いますけれども、現在育英会が大学の推薦に基づき、あるいは停止、廃止等のことをやる場合には、大学と協議して行なうということでやっております関係もございまして、全員をとめるのはどうだろうか。しかし、その間において責任の軽重を論じて区別をした処置をとることも実際問題としてむずかしいということで、現在部分的な怠業状態にある者の処置につきましては、なお研究中でございます。
  164. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 私はそういう学生をとめろということで言っておるのじゃないのです。この育英会の趣旨というものが経済的に恵まれない学生そうして将来国家有為の人材を養成するのが目的だと、こういうように趣旨目的は明瞭になっておる。そして育英会では、そういう学生に対して補導の責任があるのです。補導の責任が課されておる。その補導の責任が果たされていない。果されていなかった場合には主務官庁である文部省は、育英会に対して業務命令をもってやらせることはちゃんとしてあるのです、二十何条かで。そのことを文部省でも育英会に対してやっていない。育英会自身も、補導の任務というものをやっていなるかどうかというと、警察とときどき連絡するという程度だけであって、現実に育英会の趣旨目的に合った行為が育英会自体にも、文部省自体にも、特に大学自体の中で何らなされていないで、一時育英資金をストップしようとしたところが鉄かぶとにおどかされて、すぐさま育英資金を出してしまった、こういう現実はたとえば東大の六億七千万円、教育大学の一億何千万円という金はたいへんな国民の税金ですよ。そのままその金を、学校をみずから放棄してゲバ棒を振っておる中でもらって当然の権利としてなされる、この考え方が私はおかしいので、おかしいならば大学はどう指導するか、金を出す側の育英会はどうするか、文部省は業務上課された任務を遂行するためにどうするかということを、私は実は大臣局長お尋ねしたいのです。これはもう国民に対して説明がつかないのです。ただ、しようがないから出しているのだ、区別することができないから出しているのだ、これからも出すのだというのでは説明がつかないのです。いかがでしょう。
  165. 村山松雄

    政府委員(村山松雄君) 修業期間内における、そういうスト行為実施中の者の処置につきましては、目下検討中と申し上げましたが、検討の結果、具体的な処置に及びそうなものといたしましては、現在こういうことを考えておるわけでありますが、修業年限の期間内でも、現在の大学は厳密な学年制はとっておりませんけれども、一学年ごとに単位を修得し、単位の認定が行なわれるわけであります。ストを行なっておれば単位はおのずから取れないという結果になりますので、少なくとも学年ごとに単位の取得状況を調べまして、単位の取得がはなはだしく不十分という者につきまして、停止等の措置をとるということは、実施に移せるものではなかろうかということで、現在具体的な検討を進めております。
  166. 中村喜四郎

    中村喜四郎君 私は処罰的意味でそう言うのじゃない、もう少し育英会も、大学も、文部省も、この育英会の趣旨を生かすような方法考えてみたらどうかと言っているのです。病気で休学した者はストップになってしまうのですよ。おかしいですよ。病気して困っている人の場合にはむしろ救済していかなければならない。片方は幾らやっても出ているというこの矛盾については、ひとつ十分御検討いただきたい。許された時間を五分ほど超過いたしましたが、質問終わります。
  167. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 速記をとめてください。   〔速記中止〕
  168. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 速記を起こして。
  169. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 それではまず最初に、明年度の地方財政でまかなう社会教育予算額をお聞かせいただきたいと存じます。私はきょう社会教育のことについて御質問する予定だったのでございますが、社会教育局からはどなたか……。
  170. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 速記をとめて。   〔速記中止〕
  171. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 速記を起こして。
  172. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 それでは予算関係、非常に大事だと思いましたのでお尋ねいたしたいと思ったわけでございますが、それではきょうはもう具体的な常識的な問題について二、三承りたいと存じます。  本年度計画されております一万二千学級はどこに重点を置いておられますのか、文部大臣お尋ねいたします。
  173. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) 家庭教育学級の御質問だと思います。これを一万一千学級から一万二千学級にふやしているということについて、どこに重点を置いているかという御質問だろうと思うわけでございますが、これはやはり前年度から続けてまいっておりまする学級を、どこということではなくして、全般的にもう少し地方の要望等もございますので、それをふやすという、単純な意味における学級をふやす、あまねくそういう意欲のあるところは開設をしていただきたい、こういうような気持ちをもって組まれているというふうに承知をいたしております。
  174. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 私がお尋ねしておりますのはそういう意味ではございません。その家庭婦人学級のどういうところ、たとえば三歳児教育に重点を置くとか、そういったような意味の重点でございますが、その一万二千学級についてどのようなところにポイントを置いて実施されますのか、それを承りたいわけでございます。
  175. 坂田道太

    国務大臣坂田道太君) そういうことでございましたら、やはり社会教育局長が参りませんとお答えできませんので……。
  176. 萩原幽香子

    萩原幽香子君 何か、きょう私がお尋ねしますことについてはどこからもほんとうに御回答がいただけないような感じで非常に残念でございます。これは残念だということをひとつ御銘記いただきとうございます。
  177. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 速記をとめてください。   〔速記中止〕
  178. 久保勘一

    委員長久保勘一君) 速記を起こして。本日はこれにて散会いたします。   午後三時五十九分散会      —————・—————