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中村喜四郎君 私の時間、一時間の
質問を
お願いしたんですけれ
ども、あと川村さんと、それから萩原さんが……。私の四時までという大体約束事項がございますので、ごく短かい時間だけ
質問さしてもらって、残った問題についてはこの次の
委員会のときにただしたいと思います。
私は先ほどから小林委員と
大臣、あるいは
局長との話を聞いていて、何か歯車を無理にかみ合わせようという行き方があって、小林さんのほうの、極端に言えば、悪口でないんですからよく聞いてください、あとでまた御批判いただくとして。小林さんの
質問に対して、その
質問が受け取る側としては強圧的——これでもか、これでもかというような
感じに受け取れる中で
質問が繰り返されているので、文部省のほうでも、もっとぴちっとした姿勢で私は御答弁いただかないと、
ほんとうの姿のものが出ないんじゃないかと。たとえば平塚さんの問題、平塚さんが
ほんとうにいい人でなかったら、所長にあてがえない、所長でしっかりしていなければいかぬし、高坂さんでもそうです、
教育会館長としてしっかりした人だから国の仕事を、しっかりしている
教育者だから高坂さんを館長にしたというんです。そこで私はぴったり呼吸が、
ほんとうに
教育のことならば、合うはずだと思うわけでございます。なお、自民党に対するたくさんの御批判もいただきましたが、それらについては、ここで討論の場でもないですから、後刻また
お話の機会があると思いますが、私は文部
大臣に一言
お尋ねしたいのですが、先ほど自民党といわず、日教組といわず、社会党といわず、みんなが反省すべきだと、文部省あたりからも反省すべきだと、その反省の
考えるところは、
大臣として、文部省として指導助言をやるべきことがやらなかったきらいがある。そこに大学紛争の一因もあったことをみずから反省するということをおっしゃいましたが、私
どもが見てもそういう
感じがするのです。文部省としてはもっと指導、助言にしても、あるいはその他の施策にしても、やるべきことが、いわゆる大学のアレルギーにかかって、大学の自治ということばにまどわされたと言ってはおかしいですが、私はそういうところに文部省の一応の責任を
感じなくてはならない。しかも文部
大臣は率直にそのことを認めていると、私は非常に勇敢な判断だと思うのです。
そこで先ほどから小林委員の
質問に対しまして大学の管理法その他の問題は出さないで、いまのところ
考えてない、総理から命令もされない、文部
大臣もそう
考えてないというんですが、私はいまの大学紛争の現実と長期的な将来の立て直しということを
考えていったならば、大学管理運営の
あり方については、ここらあたりで政治の責任者として決断をすべき時期に来ているのではなかろうかという
考え方を、私個人です、私
どもの自由民主党の中にはいろいろの議論があります、早まってはいけないという
考え方、あるいはもっときびしいものを
考えろという
考え方、いろいろありましょうけれ
ども、私はいまの
法律の学校
教育法やあるいは
教育公務員
特例法や、それぞれのことを
考えた場合には、限度に来ている問題があるんだと、これだけは法
改正は少なくともしなければ、正常化に持っていくことは困難だという
考え方が
大臣の頭にも、私は紛争の過程や将来を
考えた場合に、去来しているのじゃないかと思うわけです。それらの出す時期、
考え方というもの、どういう
方法かということは、これは今後の課題でありましょうけれ
ども、少なくとも私は大学管理運営の問題、あるいは先ほどから問題になっている井上教授の問題等、これは現実に九州大学の井上学部長の問題については、私が予算
委員会でもって、国家公務員として、大学の教授として少し
考えるべき筋合いのものではなかろうか。私自身が井上教授にも直接会って話もいたしておりますし、そのことばも、あるいはその動作等も見、それぞれのことから鑑定して私はそうなんです。しかし、これは事人事でございますから、
大臣が慎重に、あらゆる角度から慎重にして、へたな
考え方を起こさぬように、当然です、私はそれを要求する。したがって、私のような
考え方が間違っておったといたしましたら、それで即断されてはならないから、私は慎重に調査してほしいということを要請したわけですが、それらの観点をずっと
考えてまいりますと、大学管理の
あり方等についてもここらあたりで法の問題にも触れてくる、反省する、
改正する、こういうことが
考えられるのではなかろらかという
感じを私は持つのです。これに対して
大臣は先ほど今日中教審の答申を待ってから慎重に考慮すると、そうだと思います。しかし、私は先ほど小林さんがおっしゃるように、中教審だけの
考え方ではなくて、もう少し広い
立場から見て、聞いて、結論を出すように
方法をとられたらどうかと思う。たとえばできることならば大学の先生方が集まる会合、こういう会合で話を聞いたり、各県の
教育委員会主催でいわゆる公聴会のような広く意見を聞くなり、そういうことを集約して、国の世論を結び合わせて、長期的な
計画、短期的な臨時的な
方法については別途な
考え方がありましょう。いずれにいたしましても、このままほっておけないという
考え方はどうぞひとつ私
どもの
考え方も御理解いただきたいと思う。大学紛争では、私自身ジャンパーを着て登山帽をかぶってあのデモの中へ何回も行きました。東大の構内にも何回も入って行きました。
教育大学は私の母校でございますから、あのストライキ中の学生と三回も四回も学生諸君と会いました。日大の場合でも両国講堂で私自身古田会頭あるいは全部の理事退陣を要求しておる学生諸君、秋田日大議長に対しまして、あなた方が要求するような古田会頭と理事がやめることによって日大紛争が解決することならば、私
どもあえて会頭、理事以下の総退陣を要求すると、責任を持ってそういたしましょう。そのかわりあなた方もひとつ教室に帰って勉強することを私に約束してほしい、それならば私
どもはそれを貫徹するがと、こう言ったところが、ナンセンスだと、私
どもが掲げた七項目の要求が貫徹して、日大が人民のための人民の大学にならない限りわれわれの闘争はおさめられないのだと。私がそこに立っていると、何を君言っているんだと、私のネクタイを持って引き落とされてしまった。あるいはテレビで写っているのを皆さん方ごらんになったかもしれません。そういう真相の中で
考えてみたときに、大学のいまの
あり方、力でもって圧服されている先生方の追いまくられた良心、そうして大学のことは大学でおれたちにまかせろという大学自身の
考え方、こういう
考え方にいたしましても、私は、外部の声が入るような態勢を整えない限り大学の自治というものは、学問の自由というものも守られないと思うのです。
そこで、私の時間、前置きが長くなりましたので、私は大学
学術局長か文部
大臣に、
外国の大学の場合、自治を尊重し、学問、
教育の自由を守っていくために、いまの日本の大学のように一つのからに閉じこもった大学の自治ではないと、私の調べた
範囲ではアメリカあるいは欧州等の大学の自治の
あり方について調べた結果を私自身は持っているわけですが、文部
大臣はいままで調査会長もやっておりましたが、どういうふうに受けとめておられましょうか。諸
外国の例と日本の大学の自治の
あり方についてのもし比較
検討を単刀直入ですぱっと一言で言いあらわすことができるならば教えていただきたい。