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国務大臣(
坂田道太君) いや、なかなかそうもまいりませんので……。
それからもう
一つは、やっぱり
学生の意識の問題、これはやはりいろんな意識、戦前は御承知のように旧制高等
学校という
段階があって、まあ勉強はそっちのけで運動し、あるいはいろんな小説なんかを読んでいるけれ
ども、
一般的な常識というものは身についていた、その
人たちが入ってきた。しかもそれはたしか十九歳で入ってくる。今日はいまのような小、中、高のような
やり方で十八歳で入る。そういう年齢的な問題も
一つあるのじゃないか。つまり、からだだけはでっかくなり、あるいはからだだけはおとな並みの欲望を持っておるにもかかわらず、その精神状態はまことに幼稚な精神状態だと、こういうことが
一つ言えるのじゃないか。
もちろん精神状態がアンバランスということについても、またいろいろの原因は私はあろうかと思うのです。それは二つ私にはあると思う。
一つは、やはり終戦直後生まれました
昭和二十一年、二十二年、二十三年組が大体いまの
大学院の一年生、二年生だと思うんです。それからベビーブームのものに、二十三年、二十四年、二十五年に生まれた
子供たちがいまの学部
学生の大半だと思うのでございますが、この
人たちというのは、お母さんもたいへんだった。そうして小
学校に入った、青空教室あるいはすし詰め教室、中
学校に行ってもそうだと、高等
学校に行ってもそうだと、そうしてまた入学テスト、激甚な、歴史始まって以来の激甚な競争をやって入ってきた
人たち、もういわば情操
教育だとか、あるいは友情をあたため合うというようなことはかまっておられないという状況、マル・バツ式の入学試験もその
一つかと思いますが、そういう非常に
一つ十字架を背負った、いうならば被害者でもあるのではないかというふうに私は思うのです。
それからもう
一つは、やはりその
人たちが通過いたしましたそのときに、ちょうど
昭和二十七年に、日教組の新潟大会におきまして倫理綱領ができましたわけでございます。これに対するよしあし、価値はおのおのこれは違うと思いますが、事実
関係を申し上げますと、とにかく
政府と日教組というものが対決した、そのことによって授業放棄が行なわれた、そのことを目で見、はだで感じておるという
人たち、そういう影響というものは、ないとは私は言えないというのが二つ。
まあそういうことでございますが、しからば
一体今度はそのアンバランスあるいは人間疎外のそういうような
考え方というものはどこから出てきたかと
考えますと、私はこれこそ文明史的に
考えなければいけないんじゃないか。私は
予算委員会でも石原慎太郎君に答えたわけですけれ
ども、ちょうど西洋の歴史でいうならば、中世の時代からルネッサンスに、人間の復興といいますか、精神の復興というものを求めて、しかもその背景としては、自然科学というものが発達してこうきた。ところがその自然科学が、今度は異常に発達して、ヨーロッパ文明というものが、それだけではもうむしろやっていけない時期に来ておる。そのような
一つの
関係が、
日本の歴史から
考えるならば、徳川三百年のあの封建
社会から明治維新と、そして
世界のいわゆるルネッサンス以来の自然科学の合理主義、そういうような諸
制度というものが怒濤のごとく入ってきて、それを受けとめた。そして百年の間に、はたしてヨーロッパ的な合理主義的ものの
考え方、そういうものを体得したかどうかというと、私はまだそうじゃないんじゃないかというふうに思います。そして戦争になった。戦争が終わった。そしてこの二十年の科学技術の発達というものは、これは西洋の歴史から
考えても、五百年から六百年ぐらいの間に起こった変化だ。けれ
ども人間というのは、大体三百年か五百年すれば、だんだんと
社会の変化に対応していく。それがわずか二十年の間にその大変化というものを受けた。そこにやはり人間疎外もある。だから京都
大学とか東大とかに入りました
学生を精神医学の点から見ると、一二%から一三%ぐらいのいわゆる精神障害が出てきておる。しかもこれは単に
日本だけじゃなくて、ケンブリッジあるいはバークレーあるいはコロンビア
大学等々においても同様のパーセンテージである。こういうことからいうと、やはり二十年のこの変化というものは、かつての何百年かの変化に匹敵するような変化であって、それに人間が対応できてない。これは単に
子供ばかりじゃない、われわれおとなすらそれに対応できなくなってきているんじゃないだろうかということ。
しかもこれに加えまして、視聴覚というテレビが発達して、そしてわれわれの時代だったら、とにかく文字、活字を通じてものを
考え、思索し、
思想を組み、
文化が形成されてきた。ところが今日の
子供というのは、読書というものはしません。ほとんど読書能力を失っている。そうじゃなくて、テレビや何かの影響でございましょうけれ
ども、条件反射的であり、即物的であり、何といいますか、からだで示す。表現というもの、たとえば反対の意思の表明を、ことばで表現するよりも何かからだで表現するという表現のしかたが、われわれの活字
文化のいわゆる人類の類型と、その視聴覚
文化に生息しておる若者たちの意思の発表のしかた、表現のしかた、あるいは知識の受け取り方というものは違ってきておる、こういうふうに私は思うのでございます。
それから、いま言うように二十年の変化というものを経済的に見ましても、御承知のように、この十年間の人口の移動、農村から都会へ動いた。これはおしかりを受けるかもしれないが、所得倍増計画によってこうなったとおっしゃると思いますが、とにかく都市に集中したというこの現実、この過密化というものとこの
学生運動というものは無
関係じゃないんだ。パリの騒動にしてもそうでございます。私はそういうふうに思うんで、やはり七大都市に百五十万の
学生の六〇%が集まってきておるというこのことが
学生運動と無
関係じゃないんじゃないだろうかというふうに思うわけなんで、私は、そういう
意味から言うと、これから先、地方の
大学をやはり充実していくという方向に進まなければならないということも実は
考えておるわけなんです。
そういういろいろ文明史的なこと、あるいはまた活字
文化から視聴覚
文化へ変わった、それはやっぱり
世界史的に見ても、この時期というのは、ルネッサンス、あるいは
日本におきましては明治維新におけるあのときの変化に対応するような
一つのターニング・ポイントに立っているんじゃないか。そう
考えますと、単に
学生運動は、
学生だけのあの暴力だけに原因があるんじゃなくて、それを受けとめておるところの
大学教授にも問題がある。同時に、その
大学を包んでおる
日本の
社会全体についても問題がある。民主主義というけれ
ども、
制度や法律はいろいろできたけれ
ども、それを運用するものは人である。その人自身が、この明治百年のあの合理主義というものをはたして身につけておったかどうか、あるいは戦後の新
憲法下における新しい精神というものを
ほんとうにお互いに、政治家もあるいはまたジャーナリストも、それから
大学教授も母親も父親も身につけておったかどらかということを
考えますと、必ずしもそうじゃないんじゃないか。まだ定着していないんじゃないか。それで、そうなりますと、
一つの
大学紛争の問題も家庭のところにも入っていくわけなんで、結局戦争に負けた、したがって価値観念がひっくり返るというふうに錯覚した、自信を喪失した、そのことが、経済がよくなった結果としては、手とり足とりの過保護に転じた。それで自立的人間というものが要請されるのに、自分の足では立てない、こういうようなことになってしまった。そういうやっぱりいろいろの原因が重なり合いまして象徴的に
大学にあらわれているんじゃないかというのが私の
考え方で、これはきょうは少し時間をとり過ぎましたけれ
ども、そこまで言わないと、日教組だけが悪いんだ、こういうことになりかねないものですから、実はそういうふうに
お答えいたしました。