○鈴木強君 大正の何年かにいまの
料金体系というものが決定されておるわけですが、まあいろいろ調べてみますと、当時は社会生活圏というのが非常に狭く、遠隔地との交流も現在ほどではなかったと思います。それから
加入者数も六十万程度、それから技術水準も非常に低くて、ほとんど手動式の
電話でサービスを提供しておったと思います。したがって、
利用者というものはおもに事業所が
電話というものを利用しておった時代、そのときにきめたこの
料金体系、ですから電信が赤字でなかった場合、これはひとつの原価主義に基づいてやってこられたのですか、サービスの対価というふうに。ところが、電信が赤字になって
電話の黒字でまかなえるようになったら、一体、対価というのだが、その対価は電信の赤字を含めた対価なのか。
電話の
利用者から見ると、この二千八百七十四億という面から見ると
——大体六万か七万ぐらい。
電話が引けますか、加入
電話を。
——そのくらいの金を
公社発足以来
電話の黒字でまかなってきているわけですね。ですから、電信と
電話のバランスがとれておったときと、とれてこなくなってからのその
料金のあり方というものは違ってきたと思うのですね。あらかじめ
電話の
料金に電信の赤字までぶち込まなきゃ、これは
料金はできないわけでしょう。そういうふうな事業の推移の中で、
料金体系がはたして厳密な意味において個別的な原価主義であったのか、対価というものがそれとの見合いでどうなっていくのかということがよくわからぬのですよ、私たちは。
もともとが
料金決定の
原則というものがはっきりしておらぬからだと思うので、この点は立法府にあるわれわれももっと早くこれは明確にして差し上げて、
市外通話料というものは、こういうふうなものを基準にしてきめるのですよ、それから
度数料はこうですよ、
基本料はこうですよという、大体大まかな
考え方だけでも明示しておくのが責任だったと思うのですが、その点はわれわれも責任を感じておりますが、その中で、
公社が一体
料金決定の
原則というものをどういうふうにとらえてやってこられたか、これを率直に聞きたかったわけです。いまの営業局長のお話でもその点がはっきりしないわけですね。非常にむずかしいと思いますけれども、苦心の要るところでたいへんだと思いますけれども、こういうふうな形で、いつまでも総括原価主義でございますといって、電信のほうの赤字はそのままにしておいて、だんだんふくれ上がるものを
電話で見ていくというのも、これは経営のプリンシプルからいったらおかしい。ですから、早くバランスのとれた形に電信事業というものを持っていくということは、もっと力を入れてやらなければならないことではなかったか、それなのにそうものについてはずっと放置されてきたじゃないですか。だから、厳密なサービス対価主義といったって、そういう意味からいったらよくわかりませんよ。どっちへ電報料が入っているのか。電信と
電話を一緒くたにして、そしてその原価主義をとって、
電話は幾ら電報は幾らというふうにやる
根拠があったらものさしを示してもらいたいです。どういうことでその
度数料を七円にしたか、七円は八円でなければこの原価に合わないとか、
基本料はこうでなければならぬということを、もしはっきり出せるものなら出してもらいたいが、なかなか出せぬでしょう。末端機器のように、
電話機器とか、あるいは
度数計だとか、引き込みの線路とか、こういうふうにきわめてわかりやすいものは、これは簡単に計算できると思うのだが、
一つの線を引いても何百回線、あるいは何千回線というものが
一つのケーブルの中に入っていくわけですから、それを一体どういうふうに原価計算をして
個々の
料金を割り出すかということについては、非常にこれはむずかしいと思いますが、だけれども、あまりにも電信の赤字というものをどんどん、どんどんしょい込んで、それで総括原価主義でございますと言っておることについては納得できないのですよ、これは。だったら赤字は、私たちがいままで言っているように、政府から
——公共性の強い電信事業、公共事業であるがために採算性を無視して低
料金政策でやらざるを得ないという、そういう理屈にもなるわけだから。国鉄だって同じですよ、
料金の問題では。だからして、国鉄には政府が利子補給をし、特別な措置を今度もやったじゃないですか。そういうことをもっと積極的にやるとか、何とか考えなければ、サービスの対価といったって、それじゃ電報、
電話組みにしたものですか。それで電信
電話どういうものさしでやったのですか、こういう
質問をされても困るんじゃないですか、その点どうですか。